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最後の投了図は同玉に95歩で93玉と引かせてから72馬で必至っぽいですね
改めて調べてみたらそうなってました🙇ご指摘いただきありがとうございます!
@@shogi-Joho ▲9五歩を打たずに▲7二馬だと、△9六玉で事件になりそうです。
100年後も200年後も棋譜を並べた人が度肝を抜くような棋譜を多く残した升田九段のかっこよさは永遠に語り継がれるでしょうね。将棋ってすごいゲームだよなあ。
掲載の将棋は、読売新聞社主催の「全日本選手権戦(第8期“通称”九段戦…現『竜王戦』の前身」七番勝負の 第ニ局(昭和32年11/21、…於・京都府宇治市の「花屋敷」)、升田(当時の)三冠王九段 v、s、大山前名人の一戦です。この将棋のハイライトは、升田の(35手目の)●3八飛の自陣飛車ですが、東公平氏の講評(「升田幸三物語」、平成8年、日本将棋連盟刊)によると、大山が○7四歩(30手目)とすれば、●3五金は『ない』と大山は踏んでいたようで、以下、数手後の升田の(35手目の)●3八飛の自陣飛車の絶妙手で「大山には指す手がなくなってしまった」と断定しています。 故・梶原武雄(囲碁九段)流に言えば、この自陣飛車で「将棋はオワ」ということである。この一手を指した後の升田の「シテヤッタリ」という顔が目に浮かびます。また、大山の(顔や態度に出すことは絶対にありえませんが)ココロがポッキリと折れて、首が「ガクンと落ちる」ような心模様が透けて見えるようです。しかし、そこは後の大名人大山です。この後、100手余の粘りを見せ、137手目に漸く駒を投じました。この七番勝負でも、三局目、四局目と連勝して意地を見せますが、結局、升田の4勝2敗で大山は升田の軍門に下ることになります。思えば、三冠王を堅持したこの時期が、升田将棋が最も輝いていた頃ではと懐かしく回顧しております。😊
升田さんは昭和32年には大山さんから名人、王将を奪取して九段を合わせて初の3冠王になったから抜群な才能。升田さんはG HQと話をして将棋の存続危機を乗り切った強者です。木村義雄、升田幸三なくして戦前戦後の将棋は語れません。升田さんは大山さんから王将を奪取して更に当時のルールの香を落として大山名人に勝利した唯一無二の英雄。
升田幸三強スンギ100年後の人もおそらく同じ思いでしょうね、棋譜が後世に残る素晴らしさ
「はい違う…」これ好き過ぎる
昭和47年の名人戦大山対中原第7局は本局を両者念頭において進行しています。これも名局。
最後は94歩、同玉、95歩と打って上部脱出を防がないと事件が起きますよ動画中で示された、94同玉、72馬、95玉、34馬の手順だと、96玉〜88と金、同香、97玉で詰めろ掛かって紛れそうです
升田九段の全盛期の将棋は本当に鳥肌ものと思います。出征されて戦地でマリラヤなどで体調を壊されたと聞いた覚えがあります。名人戦、王将戦などの2日制のタイトル戦、持ち時間6時間の順位戦は体力勝負の側面があることは否定出来ません。歴史にタラレバはありませんが、升田九段が体を壊されずに健康であられたなら、大山名人の全盛期名前に「升田名人」の全盛期を10年くらい見られたのではないかと妄想してしまいます。順位戦の観戦記だったか「将棋の弱くなる薬はないかいな〜🎵とヒゲの九段が鼻歌を歌っていた」というクダリがあって、思わず吹き出してしまいました。
この将棋、升田先生の飛車2枚横並びの局面しか知りませんでしたので、勉強になりました。ありがとうございます。なお、「大山康晴前名人」ということはイコール「升田幸三名人」ですね。この時代は、この二人以外に名人位についた棋士はいませんので…。
棋譜の升田「九段」は段位ではなくタイトルの称号だからですね、九段戦の棋譜なので
なるほど!おもしろ
現代では全く想像もできないような将棋だね。升田先生の二枚飛車も大山先生の左金の活用。これは二人だけの世界なんだろうね
飛車を並べて打つ有名な1局ですが全部は知らなかったので勉強になりましたね個人的に大山升田戦の対局で好きなのは1959年6月11日の名人戦で、一生に一回はこういう投了図を作ってみたい1局ですね
この将棋は名手38飛車の場面だけは知っていましたが、その後の展開を見るに名手一発で押し切った訳ではなく優劣不明の押し引きが最後まで続いていますね。別の将棋ですが35銀という有名な名手の出た一局もそのあと延々と優劣不明の展開が続くんですよね。これは大山名人の桁違いの力を示すもので、持ちこたえてしまうんですよねえ。
「九段戦」という事は、升田幸三さんが九段のタイトルを持っていて、大山名人が挑戦しているという図式ですかね。名局というより奇局ですね。一昔前に各戦法の定石が確立する前のこの時代でも珍しい破天荒な棋譜だと思います。
升田-大山のカードなんですけど、1948年の名人戦で「高野山の決戦」と呼ばれる一局があります。かなり面白いので、もし棋譜並べをしたことがなければぜひお願いしたいです!!
錯覚いけない、よく見るよろし。
@@kumaneko531?
3:09 一手損角換わりの渡辺新手みたいな発想ですね。凄いなぁ
じっと!聞いた日が一番よく眠れます!
升田先生の受けはすごい(驚
再度のコメで恐縮です。最後の137手目の●9四歩(投了図)以下、“詰むや詰まざるや“に関するご意見がありましたので一言コメさせて頂きます。結論的には、後手玉は詰みません。そもそも、投了図では、ニ手差近くの大差がついていますので詰ます必要は全くなく、○9四同玉に、●9五歩と頭を抑え、○9三玉に●7 二馬、と必至を掛けるのが簡明な勝ち方だと考えます。 以下、 もし○8四玉と逃げても、●9四馬、○7三玉、●8三馬、○6四玉、●6五銀、○5五玉、●5六銀、○同玉、●7四馬(5九飛でも可)以下の詰みがあります。つまり、この必至は完璧な😮のです。翻って、先手玉は、4三の馬が、遠く「8三」の地点に効いていることから安全で、後手に金銀駒が ない現状では寄り付くことは不可能デス。升田将棋は、一見、華やか・豪胆に見えますが、その本質、神髄は「受けの強さ」、「勝負の手数計算の正確さ」にこそあると捉えていますので、その辺は升田も瞬時に見切っていたであろうことは想像に難くありません。勿論、35手目の「●3八飛打」 の自陣飛車は、升田将棋の面目躍如と言ったところでしょうか。
この棋譜は、昔ニコニコで観たなあ。当時も2001年宇宙の旅よろしく騒然となってた。
そらさんの予想がことごとく間合い一つずつ外されてて面白かったです。大名人たちに見える景色はわからないです…
9段戦は、今の竜王の前身です。 14:33
この将棋って今の棋力に例えたらどのぐらいですか?
「九段戦」は現在の竜王戦ですね。九段戦⇒十段戦⇒竜王戦ですね。そして、大山-升田戦は、年の近い藤井-羽生戦に近いのかも知れません。
なんかすげえ将棋だな…
29:18 必至かどうか考えたんですが96桂59金の後どう詰むかわからなかったです
この将棋やばすぎますね
はずしリアクションの全パターンを網羅した感ある そして投了までどっち優勢か分からなかった…
投了図で、AI の Comments が「先手勝ち(詰み 20手)」となっています。持ち駒が歩2 だけで詰むのでしょうか(>強い方)。読み筋が、「△同玉、▲9五歩打、△…」までしか見えないのが残念です。 もし詰むのだとすれば、升田九段は少なくとも 7一銀打の時点で 27手詰を読んでいたのかもしれません。たぶん、7一角打の時点でそこまで読んでいたのでしょう。そして、大山前名人は、投了図以下の 20手詰を読んで投了したということになりそうです。どちらもすごい……。
詰みはないみたいです!自玉が詰まなく、相手玉が必死の場合でも「詰み」とでる仕様で、今回はそのパターンのようです。
@@shogi-Joho あ、そうなのですか。ご説明ありがとうございます。「いわゆる仕様」なんですね。お陰さまで、すっきりしました。😀
大山前名人ということはだれが当時の名人だったのかな?
升田名人だったのね😀
私もまずそれ気になったんで調べたら升田幸三名人でした
この対局がタイトル戦の「九段戦」だったので、タイトル3つ(名人、王将、九段)を持っていた升田八段※が、タイトルである九段を名乗っていました。もし名人戦だったら、あるいは一般棋戦や順位戦だったら、升田幸三名人となっていたところです。※翌年に段位が九段となっています。
投了図から同玉は9五歩じゃないですかねで後手9三玉に先手7二馬かな
この当時は九段は独り(タイトル)のじだいですな
結局23歩はどういう意味だったんでしょう(汗)? vs 新宿の殺し屋戦での『角落ち棒玉』戦法といい、常人の思考回路ではないですね。
10:45ここ3三歩成じゃ駄目ですかね?同桂なら3四歩、同金なら2二歩
同桂、3四歩のとき4五桂か、3七歩を入れてから4五桂と桂を捌かれるでしょうね。
升田9段は第二次世界大戦がなかったらもっとも活躍できたのよ。体調の問題もあるだろうけど、不運な人生でしたよね。最近、伊藤7段の持将棋定石が升田幸三賞特別賞を受賞したけど、升田幸三氏がご存命なら間違いなく激怒したと思いますね。
大山先生は角落ちよりも飛車落ちの上手方がうまかったそうですよ。
というか今日では9段を大盤振る舞いしすぎて段位が意味をなしてない。やっぱ升田さんレベルに到達して初めて9段(or8段)昇段おめでとうって感じにしないと。
対中飛車棒金戦法ねらいですね1980年代くらいの将棋の本には出てきますね棒金が成立すると勝てないから後手金歩の2枚かえ 1段に金がいるから先手自陣飛車を打つ
大山前名人では、なくて、元名人では
前名人は名人を失冠した後1年間だけ名乗れる正式な称号で現在もあります。(竜王もあります。資格があっても名乗らない方も居ました)元名人は正式な呼称ではないし、あまり使わないと思います。例えば加藤九段や丸山九段は名人経験者といったふうに表現されますが元名人とは言わないのが普通かと思います。
@@マウマウ団 前名人と前竜王は、ともに2020年2月にその呼称自体が正式に廃止されています。制度が残っていた時も20年以上にわたってこの呼称を選択する棋士がいなかったため、正規に廃止したとのことです。最後に前名人を名乗ったのが米長邦雄前名人、前竜王も佐藤康光前竜王(共に1994年に失冠)だったので、これも時代の変化なのでしょうね。
ソフトつかった単なるアマチュアに批評されるとは升田先生も想像してなかったでしょうね。そらシュガーにボコられるわ
いつもながら升田の38飛車知らないのかな?ならなぜこの棋譜を選ぶと思うし、リアクション芸なら役者だなと思うけど、ゴキ中の飛車打ち知ってるなら知ってるでしょ
人を疑う事しか出来ない詫びしい人生送ってきたんだなぁ…😢
@@顔巣-d9l 頭がいいからね
あたまわるそう😅
自分で自分を……悲しくならないかね
@@mochikkochiizuいや、自分から堂々と「頭がいい」と言うぐらいやから『本人の評価では』間違いなく頭が良い範囲と信じ込んでるんやろねw世間一般から見た評価は当然不明やけど🤣🤣🤣昔、芸能人の田原俊彦が「何事も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきません」と恥ずかしげもなく言ったセリフを思い出すわw
升田名人と呼びなはれ。この方は将棋に詳しくないみたい…
これは当時の九段戦のタイトル戦での対局なので九段のタイトルホルダーを意味する升田九段の呼称になっていますね。段位の九段ではないですよ。
将棋に詳しいかと将棋の歴史に詳しいかは別物。まさに浅慮という他ないコメント。
残念。詳しくないのは貴方だ。この頃は九段はタイトルで升田の史上初の三冠のうちの一つ。九段戦の対局だから、升田九段。藤井八冠も名人だけど、たとえば棋聖戦番勝負では棋聖とだけ表記されます。現在の九段はタイトルではないので勘違いされたんでしょうね。
最後の投了図は同玉に95歩で93玉と引かせてから72馬で必至っぽいですね
改めて調べてみたらそうなってました🙇ご指摘いただきありがとうございます!
@@shogi-Joho ▲9五歩を打たずに▲7二馬だと、△9六玉で事件になりそうです。
100年後も200年後も棋譜を並べた人が度肝を抜くような棋譜を多く残した升田九段のかっこよさは永遠に語り継がれるでしょうね。将棋ってすごいゲームだよなあ。
掲載の将棋は、読売新聞社主催の「全日本選手権戦(第8期“通称”九段戦…現『竜王戦』の前身」七番勝負の 第ニ局(昭和32年11/21、…於・京都府宇治市の「花屋敷」)、升田(当時の)三冠王九段 v、s、大山前名人の一戦です。この将棋のハイライトは、升田の(35手目の)●3八飛の自陣飛車ですが、東公平氏の講評(「升田幸三物語」、平成8年、日本将棋連盟刊)によると、大山が○7四歩(30手目)とすれば、●3五金は『ない』と大山は踏んでいたようで、以下、数手後の升田の(35手目の)●3八飛の自陣飛車の絶妙手で「大山には指す手がなくなってしまった」と断定しています。
故・梶原武雄(囲碁九段)流に言えば、この自陣飛車で「将棋はオワ」ということである。この一手を指した後の升田の「シテヤッタリ」という顔が目に浮かびます。また、大山の(顔や態度に出すことは絶対にありえませんが)ココロがポッキリと折れて、首が「ガクンと落ちる」ような心模様が透けて見えるようです。しかし、そこは後の大名人大山です。この後、100手余の粘りを見せ、137手目に漸く駒を投じました。この七番勝負でも、三局目、四局目と連勝して意地を見せますが、結局、升田の4勝2敗で大山は升田の軍門に下ることになります。思えば、三冠王を堅持したこの時期が、升田将棋が最も輝いていた頃ではと懐かしく回顧しております。😊
升田さんは昭和32年には大山さんから名人、王将を奪取して九段を合わせて初の3冠王になったから抜群な才能。
升田さんはG HQと話をして将棋の存続危機を乗り切った強者です。
木村義雄、升田幸三なくして戦前戦後の将棋は語れません。
升田さんは大山さんから王将を奪取して更に当時のルールの香を落として大山名人に勝利した唯一無二の英雄。
升田幸三強スンギ
100年後の人もおそらく同じ思いでしょうね、棋譜が後世に残る素晴らしさ
「はい違う…」これ好き過ぎる
昭和47年の名人戦大山対中原第7局は本局を両者念頭において進行しています。これも名局。
最後は94歩、同玉、95歩と打って上部脱出を防がないと事件が起きますよ
動画中で示された、94同玉、72馬、95玉、34馬の手順だと、96玉〜88と金、同香、97玉で詰めろ掛かって紛れそうです
升田九段の全盛期の将棋は本当に鳥肌ものと思います。出征されて戦地でマリラヤなどで体調を壊されたと聞いた覚えがあります。名人戦、王将戦などの2日制のタイトル戦、持ち時間6時間の順位戦は体力勝負の側面があることは否定出来ません。
歴史にタラレバはありませんが、升田九段が体を壊されずに健康であられたなら、大山名人の全盛期名前に「升田名人」の全盛期を10年くらい見られたのではないかと妄想してしまいます。
順位戦の観戦記だったか「将棋の弱くなる薬はないかいな〜🎵とヒゲの九段が鼻歌を歌っていた」というクダリがあって、思わず吹き出してしまいました。
この将棋、升田先生の飛車2枚横並びの局面しか知りませんでしたので、勉強になりました。ありがとうございます。なお、「大山康晴前名人」ということはイコール「升田幸三名人」ですね。この時代は、この二人以外に名人位についた棋士はいませんので…。
棋譜の升田「九段」は段位ではなくタイトルの称号だからですね、九段戦の棋譜なので
なるほど!おもしろ
現代では全く想像もできないような将棋だね。升田先生の二枚飛車も大山先生の左金の活用。これは二人だけの世界なんだろうね
飛車を並べて打つ有名な1局ですが全部は知らなかったので勉強になりましたね
個人的に大山升田戦の対局で好きなのは1959年6月11日の名人戦で、一生に一回はこういう投了図を作ってみたい1局ですね
この将棋は名手38飛車の場面だけは知っていましたが、その後の展開を見るに名手一発で押し切った訳ではなく優劣不明の押し引きが最後まで続いていますね。別の将棋ですが35銀という有名な名手の出た一局もそのあと延々と優劣不明の展開が続くんですよね。
これは大山名人の桁違いの力を示すもので、持ちこたえてしまうんですよねえ。
「九段戦」という事は、升田幸三さんが九段のタイトルを持っていて、大山名人が挑戦しているという図式ですかね。
名局というより奇局ですね。
一昔前に各戦法の定石が確立する前のこの時代でも珍しい破天荒な棋譜だと思います。
升田-大山のカードなんですけど、1948年の名人戦で「高野山の決戦」と呼ばれる一局があります。
かなり面白いので、もし棋譜並べをしたことがなければぜひお願いしたいです!!
錯覚いけない、よく見るよろし。
@@kumaneko531?
3:09 一手損角換わりの渡辺新手みたいな発想ですね。凄いなぁ
じっと!
聞いた日が一番よく眠れます!
升田先生の受けはすごい(驚
再度のコメで恐縮です。最後の137手目の●9四歩(投了図)以下、“詰むや詰まざるや“に関するご意見がありましたので一言コメさせて頂きます。結論的には、後手玉は詰みません。そもそも、投了図では、ニ手差近くの大差がついていますので詰ます必要は全くなく、○9四同玉に、●9五歩と頭を抑え、○9三玉に●7 二馬、と必至を掛けるのが簡明な勝ち方だと考えます。
以下、 もし○8四玉と逃げても、●9四馬、○7三玉、●8三馬、○6四玉、●6五銀、○5五玉、●5六銀、○同玉、●7四馬(5九飛でも可)以下の詰みがあります。つまり、この必至は完璧な😮のです。
翻って、先手玉は、4三の馬が、遠く「8三」の地点に効いていることから安全で、後手に金銀駒が ない現状では寄り付くことは不可能デス。升田将棋は、一見、華やか・豪胆に見えますが、その本質、神髄は「受けの強さ」、「勝負の手数計算の正確さ」にこそあると捉えていますので、その辺は升田も瞬時に見切っていたであろうことは想像に難くありません。勿論、35手目の「●3八飛打」 の自陣飛車は、升田将棋の面目躍如と言ったところでしょうか。
この棋譜は、昔ニコニコで観たなあ。
当時も2001年宇宙の旅よろしく騒然となってた。
そらさんの予想がことごとく間合い一つずつ外されてて面白かったです。
大名人たちに見える景色はわからないです…
9段戦は、今の竜王の前身です。 14:33
この将棋って今の棋力に例えたらどのぐらいですか?
「九段戦」は現在の竜王戦ですね。九段戦⇒十段戦⇒竜王戦ですね。
そして、大山-升田戦は、年の近い藤井-羽生戦に近いのかも知れません。
なんかすげえ将棋だな…
29:18 必至かどうか考えたんですが96桂59金の後どう詰むかわからなかったです
この将棋やばすぎますね
はずしリアクションの全パターンを網羅した感ある そして投了までどっち優勢か分からなかった…
投了図で、AI の Comments が「先手勝ち(詰み 20手)」となっています。持ち駒が歩2 だけで詰むのでしょうか(>強い方)。読み筋が、「△同玉、▲9五歩打、△…」までしか見えないのが残念です。
もし詰むのだとすれば、升田九段は少なくとも 7一銀打の時点で 27手詰を読んでいたのかもしれません。たぶん、7一角打の時点でそこまで読んでいたのでしょう。そして、大山前名人は、投了図以下の 20手詰を読んで投了したということになりそうです。どちらもすごい……。
詰みはないみたいです!自玉が詰まなく、相手玉が必死の場合でも「詰み」とでる仕様で、今回はそのパターンのようです。
@@shogi-Joho あ、そうなのですか。ご説明ありがとうございます。「いわゆる仕様」なんですね。お陰さまで、すっきりしました。😀
大山前名人ということはだれが当時の名人だったのかな?
升田名人だったのね😀
私もまずそれ気になったんで調べたら升田幸三名人でした
この対局がタイトル戦の「九段戦」だったので、
タイトル3つ(名人、王将、九段)を持っていた升田八段※が、
タイトルである九段を名乗っていました。
もし名人戦だったら、あるいは一般棋戦や順位戦だったら、
升田幸三名人となっていたところです。
※翌年に段位が九段となっています。
投了図から同玉は9五歩じゃないですかね
で後手9三玉に先手7二馬かな
この当時は九段は独り(タイトル)のじだいですな
結局23歩はどういう意味だったんでしょう(汗)? vs 新宿の殺し屋戦での『角落ち棒玉』戦法といい、常人の思考回路ではないですね。
10:45
ここ3三歩成じゃ駄目ですかね?
同桂なら3四歩、同金なら2二歩
同桂、3四歩のとき4五桂か、3七歩を入れてから4五桂と桂を捌かれるでしょうね。
升田9段は第二次世界大戦がなかったらもっとも活躍できたのよ。
体調の問題もあるだろうけど、不運な人生でしたよね。
最近、伊藤7段の持将棋定石が升田幸三賞特別賞を受賞したけど、升田幸三氏がご存命なら間違いなく激怒したと思いますね。
大山先生は角落ちよりも飛車落ちの上手方がうまかったそうですよ。
というか今日では9段を大盤振る舞いしすぎて段位が意味をなしてない。
やっぱ升田さんレベルに到達して初めて9段(or8段)昇段おめでとうって感じにしないと。
対中飛車棒金戦法ねらいですね1980年代くらいの将棋の本には出てきますね
棒金が成立すると勝てないから後手金歩の2枚かえ 1段に金がいるから先手自陣飛車を打つ
大山前名人では、なくて、元名人では
前名人は名人を失冠した後1年間だけ名乗れる正式な称号で現在もあります。(竜王もあります。資格があっても名乗らない方も居ました)元名人は正式な呼称ではないし、あまり使わないと思います。例えば加藤九段や丸山九段は名人経験者といったふうに表現されますが元名人とは言わないのが普通かと思います。
@@マウマウ団 前名人と前竜王は、ともに2020年2月にその呼称自体が正式に廃止されています。制度が残っていた時も20年以上にわたってこの呼称を選択する棋士がいなかったため、正規に廃止したとのことです。最後に前名人を名乗ったのが米長邦雄前名人、前竜王も佐藤康光前竜王(共に1994年に失冠)だったので、これも時代の変化なのでしょうね。
ソフトつかった単なるアマチュアに批評されるとは升田先生も想像してなかったでしょうね。
そらシュガーにボコられるわ
いつもながら升田の38飛車知らないのかな?ならなぜこの棋譜を選ぶと思うし、
リアクション芸なら役者だなと思うけど、ゴキ中の飛車打ち知ってるなら知ってるでしょ
人を疑う事しか出来ない詫びしい人生送ってきたんだなぁ…😢
@@顔巣-d9l
頭がいいからね
あたまわるそう😅
自分で自分を……悲しくならないかね
@@mochikkochiizu
いや、自分から堂々と「頭がいい」と言うぐらいやから『本人の評価では』間違いなく頭が良い範囲と信じ込んでるんやろねw
世間一般から見た評価は当然不明やけど🤣🤣🤣
昔、芸能人の田原俊彦が「何事も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになっちゃうとそうはいきません」と恥ずかしげもなく言ったセリフを思い出すわw
升田名人と呼びなはれ。この方は将棋に詳しくないみたい…
これは当時の九段戦のタイトル戦での対局なので九段のタイトルホルダーを意味する升田九段の呼称になっていますね。段位の九段ではないですよ。
将棋に詳しいかと将棋の歴史に詳しいかは別物。
まさに浅慮という他ないコメント。
残念。詳しくないのは貴方だ。この頃は九段はタイトルで升田の史上初の三冠のうちの一つ。九段戦の対局だから、升田九段。藤井八冠も名人だけど、たとえば棋聖戦番勝負では棋聖とだけ表記されます。現在の九段はタイトルではないので勘違いされたんでしょうね。