金田正一の投球!【国鉄スワローズ時代】新人長嶋茂雄から4打席連続奪三振
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- Опубликовано: 8 фев 2025
- 金田 正一
身長
体重184 cm73 kg
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1950年
初出場 1950年8月23日
最終出場 1969年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
名古屋電気高等学校
享栄商業高等学校 (中退)
国鉄スワローズ (1950 - 1964)
読売ジャイアンツ (1965 - 1969)
監督歴
ロッテオリオンズ (1973 - 1978, 1990 - 1991)
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1988年
選出方法 競技者表彰
国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)と読売ジャイアンツで活躍し、日本プロ野球史上唯一の通算「400勝投手」である。
同時に通算敗戦(298)、通算奪三振(4490)、通算完投(365)、通算イニング(5526回2/3)、通算対戦打者(22078)、通算与四球(1808)、連続シーズン20勝以上(14)、連続イニング無失点(64回1/3)、開幕投手回数(14)、連続シーズン100奪三振以上(16)はいずれもNPB記録。NPB史上最年少で200勝達成と共に最年少ノーヒットノーランを達成している。NPB最多記録となる最多奪三振を10回獲得。また、史上2人目の沢村栄治賞3回受賞者であり、史上初の3年連続受賞(1956年 - 1958年)も達成している。
引退後はロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)監督や日本プロ野球名球会初代会長を務めた
#金田正一#国鉄スワローズ
長嶋選手に投げたインコースの直球は確かにメチャクチャ速い。
金田は180kは出てたぞ
今気づいたけど金田投手もクイック投法だったんですね
山本由伸投手並みですね驚愕しました
金田は足を上げてるときもあるから金田自身もクイックとは言葉付けてないけど、ランナーいる時にクイックしてたんだろうね
「投球だけでなく、フォームでも緩急つけたんよ」と本人が話していました
おっさんのキャッチボールのような始動から急にくる。これは、今でも打ちにくい。
始めてだから打てないことはある。
その後慣れてきて打てるようになった。
金田氏によれば「あの時は絶好調で、以降長嶋にあれ以上の球は投げていない」
まあ、話半分と言ったところでしょうが、金田氏が大投手であることは不変。
まさにしなるような投球😮❤いくら投げても疲れないカネヤン❤
長嶋さんとの対決みたいに決め球以外はスローカーブが多かったみたいですね。
もちろん下位打線は本気で投げない。
老害みたいな言われ方してるけど食事など今のコンディショニングの先駆けみたいな人。
長嶋を威嚇するために2塁から投球練習をしたって話が好き
思い出補正
親が持ってた昔の古い野球本に全盛期の金田のストレートは秒速45㍍と書かれてました
時速に直すと162㌔です
当時で今の佐々木や大谷と同等のスピードを投げてたら400勝も納得です
計測が目測だったかも
国鉄根来博光捕手、家内のお父さん高校で、同じ教室で、授業受けてたな😊
関節が柔らかいのか、練習のたまものなのか,上半身が柔らかいのか。投げる時の左腕が背中のうしろまできている。
江川と全く違うね。
全盛期の速球で150キロ前後じゃないかな。
長身と長腕から投げる角度ある球に、2種類のクイック投法で打者のタイミングを外す技術により、打者には余計に球が速く感じられたと思う。
ピッチクロック要らず。
昭和58年のOBオールスターのカネやん見たけどちぎっては投げとは正にコレって感じ。だから現役時代の名残なんだろと。
その時の中西の打撃フォームの迫力たるや、そしてミスターの守備も上手かった
金田、江夏、江川、工藤とか直球とカーブしか投げなかった。
155km? それはないやろ美化しすぎ
長嶋とのこの初対戦の映像を見ると、1球毎に右足を上げる高さを変えている。
球が速いというよりも、タイミングが取りずらかったのだろう。例えば、00:43などは、割と足を上げている方だが、長嶋は前に突っ込んだ空振りをしている。投球フォームの割に 球が来てない感じだったのだろう。カーブなのかチェンジアップなのか、よく判らないが。
速球は、この前近代的な投球フォームからして、せいぜい130キロ台後半ぐらいじゃないだろうか?
どちらかといえば、打者のタイミングを巧みに外す技巧派だったのかもしれない。
真面目にコメントされてますね。155キロは超えてたと。🤣🤣🤣180キロじゃないんですか。🤣🤣🤣
多分引退後時間が経つにつれ毎年1kmずつupして最終的に180kmに達したと思われます
140あるかないかくらいかな。当時だと速い投手もいないマシーンもないからみんな速い球なんて見てないから。投手平均125の時代に140いたらそりゃ400勝てるよね
いくら何でも125はないよな😮少し無知過ぎる。
全盛期に140ってことはない。
MAX150はあったはず。見たことないけど。
144キロくらいと、勝手に想像。
当時でサウスポーがそれだけでれば滅茶苦茶速い部類だろう。
155キロ?どっかの記事か動画で180キロとか言ってなかった?
現代ならアーム投げとして矯正されそう
カネヤンってフォームや見た目外国人長身左腕ぽいのに身長184しかないのな
2メートル位あると思ってた
それだとヒルマンw
当時なら大リ―ガ―でも金田ぐらいの体格があれば大きな方だと思いますよ。ライアンが金田より少し小さいかな。😮
まぁ、カネやんも在日韓国人2世(終戦の頃に日本国籍を取得)なので、外国人っちゃあ外国人なんだけどね。
161かな
当時中軸以外の非力貧打のどうでも良い連中には手抜きで投げていたのでょう,出なきゃ金田の400勝稲尾の42勝,雨雨権藤,江夏の年間400奪三振等の記録は出ません
体調管理に対する意識の高さは尊敬に値する。
だけど、球速に関しては・・・ね😅
この方の自称何キロというのは、速球派の後輩が現れるたびに盛られていったものだから。
野村克也氏の著書には、日米野球で対戦した野村氏のことを憶えていたウィリー・メイズが、後年になって声をかけてきた時のことが書いてある。
その時野村氏は、日本の背の高い左腕投手(金田氏のこと)のことを憶えているかと訊いたが、印象に残っていないとの返答だった。
つまりは、そういうことなんだと思う。
まあ、140キロ後半です
その頃の並の投手は130キロ代
なので速く見える
江川野茂松坂ダルビッシュ田中がその時代でスピードガンの数字が一番速かったかと言うと否だから。一番速くて一番すごい投手だったのは日ハム時代の大谷位。その大谷も163以上を出しだしたあたりから腕が寝てしまいスリークォーターになってしまってストレートで空振りがとれなくなってしまった。つまりそういうこと。
178kmは出ています。キャッチボールの初球から143km出ています。
投球練習の球は140出ていないくらいだと思う
全力で投げたら、150近く出たかもね
てかこの距離の投球練習の動画なんてたくさん出ているし、それ見ればわかる
いまやアマチュアが150とか出すし、それと比べてもこの投球練習の球は遅い
話しぶり・しぐさが 大山倍達先生と似てますね
同胞であられることもありますね
155以上か、金やんにしては控えめな。170は出てたでしょ。
こんな投げ方で150キロも出るわけが無い。
コマ数の違いから早送りになってる事に気付け。
このゆるいたまが155キロ?(失笑)
投げおろしと落差カーブが有効だったのはわかるとして
速球なんて140キロでてるかもあやしい
どこが緩い😂ピッチング練習で全力投球などするバカな投手は昔も今もいない。🎉他の動画もあるから良く確認しなよ。マヌケといれるぜ😂😂
@@西村正博-q8d 自称155キロ投手がピッチング練習で140キロも出ているかあやしい半速球を無駄に投げると思い込んでおり、最後の方では球場でアンパイアや打者立ってる状態でピッチング練習しているように見えるなら逆にきもい