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GPと初日を観ました。素晴らしい歌唱と豪華絢爛な舞台にとても感動しました。今回の映像で総合芸術を支える裏方の様子がとてもよくわかり、別の感動を覚えました。今後もこのような舞台裏映像を是非つくってください。楽しみにしています!
初日観に行きましたがとても感動しました。この動画を見るとさらに感慨が深くなりました。ありがとうございます! 後編も楽しみです!
10年ほど前に出演致しました。とても懐かしいです♪いつか観客として観てみたいです!
永久保存版!!
見に行きたかったのですが、タイミングが合わず行けませんでした、けれども貴重なものを見せて頂きありがとうございます。後編も楽しみにしています。
ありがとうございます。とても興味深い貴重なアングルです。
初日に伺いました。馬ちゃんズの舞台裏が見れて嬉しいです(*^^*)お疲れ様でした。素晴らしいステージで一生の思い出になりました。
新国立オープニングの時に助演で出ました。懐かしいです。今回は観客です。
新国のアイーダ公演、毎回拝見しております。今回舞台裏を見せていただき、感激です。全出演者様、全裏方スタッフ様、お疲れ様でした👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻次回の再演を、早速楽しみにしております🐴🐴
馬、本物🐎すっばらしい〜💐
楽日に行きました。お馬さんが一瞬なので、よく見れて嬉しいかったです😊後半も楽しみです。
初めてみて🔰この場面は四階からでも絵巻物みたいで感動でした。次から次と人やら馬やらでてきて、壮大でエジプトに一緒にいるかのようでしたが、舞台裏がこんなとはビックリ!貴重です。(ラダメス→)とか(御輿もどる)みたいな字幕が、わかりよいですね。
先触れのキーンストーン号、見事に舞台中央で回転して、かっこよかったですね。颯爽と駆け抜けたジェニー号もなかなかのもの。舞台に本物の馬を登場させるのは、モーツァルトやシカネーダーの時代にはよくあったらしいのですが、最近はむしろ少ないですよね。犬くらいなら、ウィーンのフォルクスオーパーには登場しますけれど。動物も演技達者でなければならないから、教える人、世話する人は大変ですね。*****それにしても、新国立劇場杮落としに出演した友人のオペラ歌手が、「舞台の奥が広いから、あれをどう効果的に使うかが問題」と言っていたのは、こういうことなのですね。あれから四半世紀、漸く使い方も板についてきたというところでしょうか?1973年にイタリア歌劇団公演《アイーダ》が東京文化会館であった際には、舞台道具はイタリアおらもちこんだにしても、合唱やバレエ団、助演は日本人なのに、あの時代としてはよくやったと思ったものでした。ただ、舞台の関係なのか、ひたすら行列が通り過ぎるような感も。今回のゼッフィレッリの演出と見比べれば、脇舞台、奥舞台があるからこそ可能なものが見えてくるのでしょうか?-全体に、メトロポリタンオペラ的な豪華さが新国立劇場でも可能になってきているようで、頼もしいです。在欧37年、滅多に一時帰国もしない私は、新国立劇場のオペラは、まだ観たことがないのです。欧米のトップクラスのオペラ座と張り合えるような本格的な演出に加えて、日本人作曲家の作品も上演して、世界に誇れるオペラ座に育つことを願っています。
実に興味深い。
アイーダトランペット奏者ダッシュで完璧な音程さすがプロ
I had a great time, it was wonderful. Cant wait to go again.
水曜日の夜公演に行きました。5年後この演出で出来るかわからないので、貴重な記録と思います。後半も楽しみです。
5年後でも10年後でも、何なら50年後でも節目節目に新国劇はこの演出を持ってくるだろな。ゼッフィレッリは仮に存命中なら100歳だが、世界的パンデミックの少し前に満96歳で歿している。1962年に自身がミラノのスカラ座のために演出した物に基づいて、1997年開館の新国劇の1998年公演のためにコイツを演出してくれた。その後にポッと出てきた現代演出家の自己満と大衆蔑視なんか糞喰らえって感じで、このぐらい大見栄を切って絢爛豪華にしちまうと潔いし清々しい。
ちょっとした音楽家だった中高一貫校の音楽の先生が30年前くらいの授業で、更に20年前くらいの「ローエングリン」で歌う人がズルズルひかれた池で漕ぐ白鳥の船に乗ってやってきた、って話をしていました。進んだんですねー
合唱パート ドアップで観たいし聴きたいです
最終日、観に行きました!この場面、本当に圧巻で素晴らしかったです。お馬さん達がタタタっと出てきた所や助演の方々のダッシュ、早着替えなど舞台の壮麗な場面とは違い裏は本当に大変そう。でも活気があって一体感が素晴らしいですね👍学校の活動で観に行った娘も学校のお友達も大興奮でした。
この舞台裏企画、楽しいですね。アイーダを観て笑ったことは一度もないのですが、ここでは大いに笑いました。できれば 舞台袖と舞台の映像のコントラストを少し変えていただくか、舞台袖の方に白枠をしていただくと 見やすくなりそうです。解説のくまさんのシーンは、せっかくのスタイリッシュな舞台、もう少しお洒落にして頂くと、良いかもしれません。観客には見ることのできない貴重な映像なので、この舞台裏企画、是非シリーズ化してください。
やっぱり、裏はこんな 感じだったんですね。 解説もいいけど、バレエも観たかった。
気持ちは分かるけど、それはお金払って観てよ
@@こぼんたん お金払って観てます。前々回も観てるので2回。振付がよく出来てると感心したので、確認したかっただけなのですがね。。。
@@こぼんたん勿論お金を払って観ました。今度で2回目です。バレエの振付に感心したので、細かいところも確認したいと思っだだけなのですがね。。。
@@こぼんたん 払って観てますが。
全篇紗幕越しで観なくちゃいけないなんて全く馬鹿げている。ゼッフィレッリはそんな指示をしたのだろうか?2009年ミラノ・スカラ座の日本公演(ゼッフィレッリ演出)では紗幕は無かったぞ!
ゼッフィレッリが指示したかどうかはともかく、紗の掛かった演出は、ゼッフィレッリらしい柔らかな茶色の光に全体が包まれているようで、見た目の印象は悪くないと思います。ただ、実際に舞台で紗幕を使うとすれば、紗幕を使う箇所と使わない箇所との意図的な対比、そして紗幕に負けないだけの演奏の迫力が必要ですから、どこでどう使うかの問題ですね。-私が原典資料を調べた仲では、シューベルトのデビュー作である《双子の兄弟》冒頭場面は、明け方の薄もやの演出のために、紗幕を掛けるようにという演出指示が書きこまれている。そうした細かい演出指示は、もともとの演出家の指示だけではなく、公演ごとに演出担当者が書きこむのが通例です。場合によっては、歌詞を変更し、音楽そのものも切り張り変更してしまうことも多いですよ。《双子の兄弟》も、1882年の再演時には、1820年、シューベルト自身が演出の都合上もあって音楽も部分的に書き替えた反とはお幅に異なるので、研究者にとっては頭が痛いです。(笑)
@@erikasono565 同じゼッフィレッリの演出によるスカラ座日本公演2009年では紗幕は無かった、という事は別の問題として。新国アイーダで紗幕が意味を持つとしたら第一幕だけでしょう。砂漠の国の物語を表す効果はあります(焦らし効果も)。が、それも無い方がいい。スクリーン投影などの必要性があるならともかく、全面を紗幕で覆うこと自体が邪道で、本来は舞台美術や照明で表現すべきでしょう。全篇紗幕は演出の放棄です。観にくく、歌いづらくしているだけです。似たような演出をしているMET(ソニア・フリゼル演出)版では紗幕はありません。とても観やすい。
@@profbeetube 私は在欧なので、新国立劇場の《アイーダ》の舞台を観たわけではありません。シューベルトの《双子の兄弟》の場合には、19世紀当時の舞台監督用の台本に紗幕を使うよう指示が書きこまれているのですが、これは、当時は照明などで靄の掛かった効果を出すのが難しかったから、という理由もあるかもしれませんね。-足掛け15年に及ぶウィーン資料研究滞在で、毎晩のようにウィーン国立歌劇場などに通う間に、実際に舞台全体を開演前の緞帳が掛かる位置に紗幕で覆う演出を観たことがあります。どのオペラで、誰の演出だったのか、とにかく毎晩のように通っていたので、もう全く記憶にないのですが。ただ、紗幕を掛けると、靄の掛かった映像効果が得られる代わり、どうしても舞台上の声はくぐもった感じになってしまう。それでもあえて使うというのであれば、聴覚的にも、舞台袖で歌っているような遠くで歌っている効果を出したい場合に限られるかもしれませんね。そして、紗幕を使うのであれば、紗幕が上がる瞬間に、舞台上の靄が晴れて、視覚的にも聴覚的にも鮮明になるのか効果的である必要があるように思います。実際に新国立劇場の《アイーダ》の舞台を観なければ何とも言えませんが、《アイーダ》第一幕でずっと紗幕を掛けっぱなしというのは、私には違和感があります。-シューベルトの《双子の兄弟》の冒頭は、夜明けの朝靄の中で、アントンがリースヒェンにセレナーデを歌っているのです。だから、聴覚的にも、紗幕を掛けて歌った方が、遠くから歌っているような雰囲気も出せて効果的ということもありますね。ゼッフィレッリらしい柔らかな茶色は、砂漠の国らしいかもしれませんが、NHKの大河ドラマで、やたらとそうした光の効果を使いすぎると批判されるのと同じ批判を受けるかもしれません。
最初から最後まで、というのはおっしゃるとおり、どうかと思う。紗幕がないときには鮮明さを印象付けられるのに。
GPと初日を観ました。素晴らしい歌唱と豪華絢爛な舞台にとても感動しました。今回の映像で総合芸術を支える裏方の様子がとてもよくわかり、別の感動を覚えました。今後もこのような舞台裏映像を是非つくってください。楽しみにしています!
初日観に行きましたがとても感動しました。この動画を見るとさらに感慨が深くなりました。ありがとうございます! 後編も楽しみです!
10年ほど前に出演致しました。とても懐かしいです♪いつか観客として観てみたいです!
永久保存版!!
見に行きたかったのですが、タイミングが合わず行けませんでした、けれども貴重なものを見せて頂き
ありがとうございます。後編も楽しみにしています。
ありがとうございます。とても興味深い貴重なアングルです。
初日に伺いました。馬ちゃんズの舞台裏が見れて嬉しいです(*^^*)お疲れ様でした。
素晴らしいステージで一生の思い出になりました。
新国立オープニングの時に助演で出ました。懐かしいです。今回は観客です。
新国のアイーダ公演、毎回拝見しております。今回舞台裏を見せていただき、感激です。
全出演者様、全裏方スタッフ様、お疲れ様でした👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻👏🏻
次回の再演を、早速楽しみにしております🐴🐴
馬、本物🐎すっばらしい〜💐
楽日に行きました。お馬さんが一瞬なので、よく見れて嬉しいかったです😊後半も楽しみです。
初めてみて🔰この場面は四階からでも絵巻物みたいで感動でした。次から次と人やら馬やらでてきて、壮大でエジプトに一緒にいるかのようでしたが、舞台裏がこんなとはビックリ!貴重です。(ラダメス→)と
か(御輿もどる)みたいな字幕が、わかりよいですね。
先触れのキーンストーン号、見事に舞台中央で回転して、かっこよかったですね。颯爽と駆け抜けたジェニー号もなかなかのもの。
舞台に本物の馬を登場させるのは、モーツァルトやシカネーダーの時代にはよくあったらしいのですが、最近はむしろ少ないですよね。
犬くらいなら、ウィーンのフォルクスオーパーには登場しますけれど。
動物も演技達者でなければならないから、教える人、世話する人は大変ですね。
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それにしても、新国立劇場杮落としに出演した友人のオペラ歌手が、「舞台の奥が広いから、あれをどう効果的に使うかが問題」と言っていたのは、こういうことなのですね。
あれから四半世紀、漸く使い方も板についてきたというところでしょうか?
1973年にイタリア歌劇団公演《アイーダ》が東京文化会館であった際には、舞台道具はイタリアおらもちこんだにしても、合唱やバレエ団、助演は日本人なのに、あの時代としてはよくやったと思ったものでした。
ただ、舞台の関係なのか、ひたすら行列が通り過ぎるような感も。
今回のゼッフィレッリの演出と見比べれば、脇舞台、奥舞台があるからこそ可能なものが見えてくるのでしょうか?
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全体に、メトロポリタンオペラ的な豪華さが新国立劇場でも可能になってきているようで、頼もしいです。
在欧37年、滅多に一時帰国もしない私は、新国立劇場のオペラは、まだ観たことがないのです。
欧米のトップクラスのオペラ座と張り合えるような本格的な演出に加えて、日本人作曲家の作品も上演して、世界に誇れるオペラ座に育つことを願っています。
実に興味深い。
アイーダトランペット奏者ダッシュで完璧な音程さすがプロ
I had a great time, it was wonderful. Cant wait to go again.
水曜日の夜公演に行きました。5年後この演出で出来るかわからないので、貴重な記録と思います。後半も楽しみです。
5年後でも10年後でも、何なら50年後でも節目節目に新国劇はこの演出を持ってくるだろな。ゼッフィレッリは仮に存命中なら100歳だが、世界的パンデミックの少し前に満96歳で歿している。1962年に自身がミラノのスカラ座のために演出した物に基づいて、1997年開館の新国劇の1998年公演のためにコイツを演出してくれた。その後にポッと出てきた現代演出家の自己満と大衆蔑視なんか糞喰らえって感じで、このぐらい大見栄を切って絢爛豪華にしちまうと潔いし清々しい。
ちょっとした音楽家だった中高一貫校の音楽の先生が30年前くらいの授業で、更に20年前くらいの「ローエングリン」で歌う人がズルズルひかれた池で漕ぐ白鳥の船に乗ってやってきた、って話をしていました。
進んだんですねー
合唱パート ドアップで観たいし聴きたいです
最終日、観に行きました!
この場面、本当に圧巻で素晴らしかったです。
お馬さん達がタタタっと出てきた所や助演の方々のダッシュ、早着替えなど舞台の壮麗な場面とは違い裏は本当に大変そう。
でも活気があって一体感が素晴らしいですね👍
学校の活動で観に行った娘も学校のお友達も大興奮でした。
この舞台裏企画、楽しいですね。アイーダを観て笑ったことは一度もないのですが、ここでは大いに笑いました。
できれば 舞台袖と舞台の映像のコントラストを少し変えていただくか、舞台袖の方に白枠をしていただくと 見やすくなりそうです。解説のくまさんのシーンは、せっかくのスタイリッシュな舞台、もう少しお洒落にして頂くと、良いかもしれません。
観客には見ることのできない貴重な映像なので、この舞台裏企画、是非シリーズ化してください。
やっぱり、裏はこんな 感じだったんですね。 解説もいいけど、バレエも観たかった。
気持ちは分かるけど、それはお金払って観てよ
@@こぼんたん お金払って観てます。前々回も観てるので2回。振付がよく出来てると感心したので、確認したかっただけなのですがね。。。
@@こぼんたん勿論お金を払って観ました。今度で2回目です。バレエの振付に感心したので、細かいところも確認したいと思っだだけなのですがね。。。
@@こぼんたん 払って観てますが。
全篇紗幕越しで観なくちゃいけないなんて全く馬鹿げている。
ゼッフィレッリはそんな指示をしたのだろうか?
2009年ミラノ・スカラ座の日本公演(ゼッフィレッリ演出)では紗幕は無かったぞ!
ゼッフィレッリが指示したかどうかはともかく、紗の掛かった演出は、ゼッフィレッリらしい柔らかな茶色の光に全体が包まれているようで、見た目の印象は悪くないと思います。
ただ、実際に舞台で紗幕を使うとすれば、紗幕を使う箇所と使わない箇所との意図的な対比、そして紗幕に負けないだけの演奏の迫力が必要ですから、どこでどう使うかの問題ですね。
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私が原典資料を調べた仲では、シューベルトのデビュー作である《双子の兄弟》冒頭場面は、明け方の薄もやの演出のために、紗幕を掛けるようにという演出指示が書きこまれている。
そうした細かい演出指示は、もともとの演出家の指示だけではなく、公演ごとに演出担当者が書きこむのが通例です。
場合によっては、歌詞を変更し、音楽そのものも切り張り変更してしまうことも多いですよ。《双子の兄弟》も、1882年の再演時には、1820年、シューベルト自身が演出の都合上もあって音楽も部分的に書き替えた反とはお幅に異なるので、研究者にとっては頭が痛いです。(笑)
@@erikasono565 同じゼッフィレッリの演出によるスカラ座日本公演2009年では紗幕は無かった、という事は別の問題として。
新国アイーダで紗幕が意味を持つとしたら第一幕だけでしょう。砂漠の国の物語を表す効果はあります(焦らし効果も)。
が、それも無い方がいい。
スクリーン投影などの必要性があるならともかく、全面を紗幕で覆うこと自体が邪道で、本来は舞台美術や照明で表現すべきでしょう。
全篇紗幕は演出の放棄です。
観にくく、歌いづらくしているだけです。
似たような演出をしているMET(ソニア・フリゼル演出)版では紗幕はありません。
とても観やすい。
@@profbeetube
私は在欧なので、新国立劇場の《アイーダ》の舞台を観たわけではありません。
シューベルトの《双子の兄弟》の場合には、19世紀当時の舞台監督用の台本に紗幕を使うよう指示が書きこまれているのですが、これは、当時は照明などで靄の掛かった効果を出すのが難しかったから、という理由もあるかもしれませんね。
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足掛け15年に及ぶウィーン資料研究滞在で、毎晩のようにウィーン国立歌劇場などに通う間に、実際に舞台全体を開演前の緞帳が掛かる位置に紗幕で覆う演出を観たことがあります。
どのオペラで、誰の演出だったのか、とにかく毎晩のように通っていたので、もう全く記憶にないのですが。
ただ、紗幕を掛けると、靄の掛かった映像効果が得られる代わり、どうしても舞台上の声はくぐもった感じになってしまう。
それでもあえて使うというのであれば、聴覚的にも、舞台袖で歌っているような遠くで歌っている効果を出したい場合に限られるかもしれませんね。
そして、紗幕を使うのであれば、紗幕が上がる瞬間に、舞台上の靄が晴れて、視覚的にも聴覚的にも鮮明になるのか効果的である必要があるように思います。
実際に新国立劇場の《アイーダ》の舞台を観なければ何とも言えませんが、《アイーダ》第一幕でずっと紗幕を掛けっぱなしというのは、私には違和感があります。
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シューベルトの《双子の兄弟》の冒頭は、夜明けの朝靄の中で、アントンがリースヒェンにセレナーデを歌っているのです。
だから、聴覚的にも、紗幕を掛けて歌った方が、遠くから歌っているような雰囲気も出せて効果的ということもありますね。
ゼッフィレッリらしい柔らかな茶色は、砂漠の国らしいかもしれませんが、NHKの大河ドラマで、やたらとそうした光の効果を使いすぎると批判されるのと同じ批判を受けるかもしれません。
最初から最後まで、というのはおっしゃるとおり、どうかと思う。紗幕がないときには鮮明さを印象付けられるのに。