圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された。 アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している。 またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している。 前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという。 アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。 歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している。 沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている。 従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している。 なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している。
圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された[446]。 アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している[447]。 またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している[448]。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している[449]。 前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという[104]。 アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している[450]。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。[451] 歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している[452]。 沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている[453]。 従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し[454][455]、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している[456]。 なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している[457]。
圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された[446]。 アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している[447]。 またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している[448]。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している[449]。 前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという[104]。 アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している[450]。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。[451] 歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している[452]。 沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている[453]。 従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し[454][455]、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している[456]。 なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している[457]。
圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された。 アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している。 またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している。 前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという。 アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。 歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している。 沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている。 従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している。 なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している。
うちのおばーも、この時米兵から銃撃を受けて今でも足に傷後があります。1人の沖縄兵に担いで助けれたって話してました。それが、自分のおじーみたいで今でも健在です。もっと長生きしてくれよな
@@ミドル研究会 はい、ソースは?
@@ミドル研究会 根拠は?
@@ミドル研究会 正しいコンギョをいえ!!
お婆様、怪我をされても生き延びることができてよかったですね。かつてあった、狂った時代を知る方の経験談がより多くの人に耳に伝わる事を願っております。
@@ハインツグデーリアン-y4n
東大医学部は頭が悪い!
「今の時代は」って言うけど、戦時中より圧倒的に今のほうがいいわ
自殺、就職氷河期世代、いじめ、貧困。今の時代も散々だな
あったかい布団で寝られるだけ幸せに思う。
@@ikko4967
今は貧困からの自殺と同レベルでパワハラ自殺が横行してるな
@@コメント専用 生ダイコン齧ってる時代に比べたら全然よww
@@kawa8611
俺の親戚で京都の人いるけど結構裕福だったし空襲もなかったから戦争は遠い世界の話って感じだったって言ってた人いたわ、同じ日本でも都会か田舎かも含めて場所でも結構違う
勇敢にも立ち向かって行った勤皇隊の人達のご冥福をお祈り申し上げます。
これは皇軍の反人类罪行
妊婦でさえも手りゅう弾持たせて特攻させたっていうエピソードが一番やべぇわ
腹の中の子も一緒か......
多分妊婦の人は自分から特攻したと思う
自殺用の手榴弾?
@@Happy_Powder
んなことあるわけねぇだろ。
自決では?
一昨日、ひめゆり平和祈念資料館を訪問しました。
「鉄の暴風」と呼ばれた凄まじい爆撃の様子や、沖縄戦を経験してかろうじて生き延びた当時の女学生の方達の証言の撮影フィルムを見てきました。
特に印象に残ったのは、
米軍の上陸が始まり、地上戦が始まって圧倒的な戦力差の中で戦線が日に日に不利になる中で学徒隊が壕の中で避難している中、ある日突如の解散命令が下り、「今日からはそれぞれ自己判断で動いていいぞ、解散するから壕を出て行け」と無責任にも米軍が包囲する戦場に丸腰のまま、いきなり放り出され、逃げ惑う中、米軍の機銃掃射の弾が当たり、歩けなくなった。敵に捕まれば、恐ろしい目に遭う。「自決」を望み、そばにいた日本兵に「殺してください」と頼みもした。近くに砲弾が落ちて一緒にいた学友とも生き別れとなってしまい、それでも自分は生き延びた。
という部分です。
このような過ちは2度ともう繰り返してはなりません。
沖縄は観光地として立派になりましたので、出来るだけ多くの方に訪れて頂き、色々な思いを抱いて感想を持ち帰って欲しいと思いました。
2022年5月5日(木)
こんなことが100年も経たない前に起きてたとかエグ過ぎ
素朴な疑問ですが…亡くなった本人が何故この事を語り後の出来事を語れるのでしょうか…( ・-・)⁉️
日本人の本質は今でも変わっていないと昨今の政府の対応をみて確信した。
俺なんかうんこしながら鼻ほじってんだぞ
この人達は死と隣り合わせでそんな瞬間も許されないんだぞ
想像できん
本当に先祖に感謝してる
@@monmon4268 先祖って意味理解してます?既に亡くなってる血縁者全般のことなんですけど…安直に返信しない方がいいですよ?😊
私の祖父の兄は鉄血勤皇隊で亡くなった。遺品も遺骨もどこで亡くなったかも詳しくはわかってない。
つい最近やっと死因が分かったけど、ひいおばあちゃんは亡くなってるのか生きてるのかも分からなかったし、亡くなってるならせめて遺品を、と思い続けたままこの世を去ってしまった。
なにか知ることはできるか、と考えたけど現時点では本を読む。しかなかった。
戦争は世界から消え去ってもらうべき。コロナと一緒に。
0:22 鬼畜はお前だろってw
これがトラウマで戦列復帰出来なくなった米軍兵が大勢居たのも事実
やっぱ戦争はゲームの中だけでいいんや...
ホウズキ上総介
根が優しい人は子ども殺せないよね
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
焼肉定食
うわ、人生の敗者
@@焼肉定食-m5z 何言ってんだこいつ釣かな?
シャーマンの前とか横に履帯をつけてるのは装甲を増すためだったそうです。
増加装甲ってやつですか。
@@appleseed4772 そうです
ティーガー、パンターの履帯でやっと10mm増加だから、シャーマンの履帯だと大したことなさそう 3mmとか?
実際砲弾の何が怖いって爆発よりも飛んでくる破片だよなぁ…
当たったらクソ熱いやろし
ホントにひどいわ
高速でナイフが飛んでくるようなものだからね
妊婦まで米軍に手榴弾を持って特攻とか悲惨すぎるよね
戦争は二度と起きて欲しくないね
国の体制が悪いよね
あそこまで劣勢ならもう降伏すれば良いのに
戦争は我が人類の最大の罪だ
@@nandemonaoshi49 他の国なら既に降伏しますね
@@キュウベエ-k8z ナチス…
@pno姉貴 曲型的なネトウヨやん。それやってることパヨクと変わらんで。
同じあやまちを繰り返してはいけない
こういう事はみんなに知ってほしいな
ひとりひとりの命が軽すぎる…
暗い世だ…。
私の父は19歳で徴兵され、スフという粗末な合成繊維の軍服を着て、四国で爆雷を抱えて戦車に飛び込む訓練をしていました。広島原爆のキノコ雲を見たそうです。幸運にも終戦となり生きることが出来ました。歩兵銃の先端のキャップを盗まれた話(失くした者が他人の者を盗む、そうぜつなしごきといじめで殴られた話も寡黙な人が死が近づいた頃に急に昔のことを家族に話してくれました。戦争を経験したことのある人は当時の戦時中の慣用句ではなく、普通の本音で苦しかったことを話してくれました。これは本当に苦しく、一番の苦しみ、死に至る苦しみなので、日本人として、子孫に同じ苦しみを負わせることを決して望まれないでしょう。平和ボケというのはこれを忘れることであって、現実的な防衛は必要ですが、抑制が必要で愛国というなの誘導にも気を付けておかないと危ないです。
昔見た 明石家さんまさん主演のドラマで 長男やったかな 子役の名前忘れたけど こんな感じで 撃たれて血みどろになりながらも 敵陣に突っ込んで いったシーンは 本当に泣けた。戦争が無かったら 沖縄戦が無かったら……。結局命令やらした上官共は死なずに 逃げ惑い生き延びる。まぁ 沖縄戦とかになってきたら 大本陣営もバカかウルトラバカかしか残って無いからね……
さとうきび畑の唄とゆう作品でしたね、勝地涼さんとゆう俳優さんです。
AKBの前田敦子さんとご結婚された方です。
それです!ドラマの中身は覚えてるのにタイトルが思い出せなくて……さとうきび畑の唄。あの長男君は 勝地涼さんやったんですね。余りにも最期のシーンが 可哀想過ぎて ドラマとわかってても 涙が止まらなかったです
自分が通っていた高校の前身は鉄血勤皇隊が組織されていたらしい。
今でも近くの公園に記念碑がある
この頃の人々が今の日本を見たら泣くだろうな
自分たちが命をかけて守ったのにそのことを批判されるなんて…
本当にそう思います
良すぎて泣くってことかな…。平和で。
@@eeeg 自分達が命懸けで守ったのに愛国心が欠如しているから
俺日本大好きやけどな。今留学で海外来てるけどめっちゃ日本褒められるで(アニメやら食べもんやら車やらサムライ魂とか)。
謙虚心が強くなり過ぎて個々の自信が欠けてきてるからや思う。
こっちのニュースとか見たら毎日人が死んでるしサディスティックな内容ばっかり。
日本ではしょーもないニュースばっかやけどそれぐらい平和やって事。逆に暇すぎて叩く対象を探し回ってるんが傷やけど。
日本は世界に誇れる最高の国やと思います。
@@gajf8415
まさに国家の危機にあるのに
国民の大半が無関心 平和ボケですからね
まあ
日本が悪いのでしょう
サンフランシスコ条約だっけ?
アメリカの統治が終わり
後は好きにできたはずなのに
アメリカが作った憲法を後生大事に
している日本
今も死ぬか死なないかの差で、精神論、根性論は何も変わらない。
トイレも命がけで 泣きそう
よっちゃんイカ
弱み見せた時撃つのはある意味当然。米兵も必死なんだから
草むらあたりで済ますしかないんだろうね
ruclips.net/video/IZnR3clLSUU/видео.html
このキル集パネェ…うまスギィ!!
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
かわいそうにほんと戦争て怖い。いまつづいてたら…
形を変えて戦争は常に行われてますけどね。表面化されてないだけで。
脱獄ごっこやってます!
なんて読みにくい文なんだ
一人の死は悲劇だが
百万人の死は統計学である
pyスターリン
@@フンヌラ氏 それな
『お前が散ってこい‼️』って言ってやりたい
圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された。
アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している。
またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している。
前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという。
アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。
歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している。
沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている。
従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している。
なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している。
@@user-rh4wo3dr4c 長げー
@@user-rh4wo3dr4c 3文字で頼む
命令を下していたのが日本人の将官だとしたら、、ほんまクソ。
あの時代に生まれなくて良かった。
そう言うの良くないと思いますよ
@@malon7889 ?
@@HighballMan479 ?
将校たちは本土で贅沢三昧。軍人とは名ばかり。まともに戦場で戦ったこともない腰抜けばかり。
まだ15才の子供に自爆攻撃を強制させるなど恥としか言いようがない
これを美しいとか言ってる奴は狂ってるとしか言いようがない
ネットの奴らは素晴らしいことだと言ってるよ
結局負けそうになると年寄りや子供まで自爆させて名誉な死とか言うんだよ。本当に哀れだよね
論点ズレてる。美しいと言ってるところが違うよ。
ほんとそれ
白頭山で10万回負けたくせに
何言ってんだって感じ
子供に自爆攻撃をさせるのは間違ってると言うのはわかる。けど、死んでいった方々は偉大ですし。御國の為に、家族の為に命を賭けられるのは名誉な事だと思いませんか?
戦争は否定する物だが、命令者、戦死者を否定しては行けない
どこかの動画でソ連軍がティーガー使ってたがしっかりM4シャーマンだな
それな。ヒューマンバグ大学の動画だろ?
@@-maus-1614 シモヘイヘがドイツ連邦のDSR1使ってたしソ連の飛行機は確かスピットファイヤだったし「スコープはつかわない」とか言ってたのにバリバリ照準器出てたしでツッコミどころが多すぎてあれはあれで好きw
ソ連軍に鹵獲した戦車で作った部隊があったようなので、ティーガーを使用してた部隊があったかもです。
@@カナダオオヤマネコ でも冬戦争終わったの1940年で独ソ戦始まったの1941年だから鹵獲のしようもないからね
@@カナダオオヤマネコ 描かれていたのはTigerⅡなので多分二時大戦中は運用されてないかと…
戦時歌謡チャンネルを聴いていたら少年兵の歌があった。
もう勝ち目がないのに無駄死にさせられた子どもや女性がほんとにお気の毒です。
子どもを兵士として特攻させると決めた大人は生き延びたのに…。
いや、一緒に死んだと思いますよ
@@taka53212 いや、十代の子どもを特攻隊で使おうと提案したのは地方じゃなくて軍部の中心にいた大人です。
自分は敵の弾が当たらないところにいて、少なくなってきた兵隊の代わりに子どもを戦闘機や魚雷に乗せるのを思い付き命令しているんです。
本土からってことですね…なんとまあ
残念ながら、その子どもや女性が自分で志願したのが当時の常識。
坂口安吾が書いているように、当時は皆が一体となって戦争に向かっていた。
GHQの洗脳に囚われちゃうダメだよ。
ちなみに特攻を立案した大西瀧治郎司令官は終戦直後に割腹自殺をしたそうてす
まぁこの一人の死程度で数多の特攻で散った人々が報われるわけないですけどね
狂った時代・・
地球人が狂っていた時代
まあ世界中で人の殺し合いが行われてた時代だからねぇ
腹を括って挑む戦争と戦う意味のない国民を戦わせる戦争は全く違う
誰も死にたいと思って特攻した訳じゃない… 家族、大切な人の為に 命を懸けた。
その理屈はおかしい。
それとも特攻隊に志願しなければ連座制よろしく家族が銃殺にでもなったというのか?
沖縄の人に死ぬことを強いたことは正気じゃない
実は強制じゃないという話もあります…
そりゃあ目の前の壕が、火炎放射器で炙られたりしているのを見たら自分の手で楽に死のうと言う考えにも至ります…
@@大いなる和-d9s 沖縄は時間稼ぎに使われたんですよ、本土のやり方が許せないんです
@@生姜湯-s1b さん
合理的ではあるが、道徳的ではない
後に生まれてきた自分ではとても考えきれない出来事です…
@@生姜湯-s1b
じゃあ沖縄はさっさと日本から独立して中国に吸収されとけwww本土のおかげで今も昔も沖縄人は人間的な文明生活を送れてるんだろ
@@コメント専用 生まれてからずっと米軍の騒音と戦時の危険に晒されているのは人権を奪われている状態ですが、野心的な国の脅威に直面しているのも事実ですね。
7年前の中学の時から今まで一瞬で通り過ぎた気がしたし、何にも変わってないのにこれのたった11倍の時間遡ったらこんなに違う日本があったなんて信じられない。今住んでる東京の街もあんなに何もないところからこんな街になるなんてありえんなあ
沖縄戦で一番の被害者は県民
勇気をもって戦う英雄、
勇気をもって子供を守る大人、
とにかく生き残る人たち、
みんながいないと、成り立たない
「戦争の悲惨さ」と一緒に「戦争で得られるもの」も教えた方がいい。
戦争を起こしたい者は戦争の利点を叫び、我々を死に導くのだから。
戦争とは非常に危険かつ高コストな事業である(孫子)
孫子は実は戦争は極力避けるように言っています。
戦力の差がありすぎるのに特攻…
無駄死にじゃないか
戦力の差がありすぎるから特攻してるんだよなぁ(あと沖縄戦は特攻ばかりしていたわけではない)
圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された[446]。
アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している[447]。
またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している[448]。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している[449]。
前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという[104]。
アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している[450]。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。[451]
歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している[452]。
沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている[453]。
従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し[454][455]、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している[456]。
なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している[457]。
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
何もせずに殺されるよりはって所なのかな
米国は民間人の被害とか考えてないし
この少年兵も生き延びた人も今じゃほとんど亡くなり、生存者も今もいて、91歳のおじいちゃんだった。
生で見て伝えられる人も減ってる。風化してほしくない。
一人の死は悲劇だが
百万人の死は統計学である
pyスターリン
少年兵が見たいならアフリカ紛争地帯行ってこい!運が良ければ見れるぞ
風化させてはいけないのだろうけど、近い将来戦争体験者は誰も居なくなり格好だけの終戦記念日になるはず、誰も関ヶ原の戦いでとか、そんな昔話されても位にしか思わない感じになると思う、自分は多くの記録映像や話を聞いて読んで、実際の体験談を祖母から聞けた世代である事は誇れると思います
@@にしまさとし 関ヶ原より白虎隊の方が近いのでは?
@@nandemonaoshi49 ご指摘ありがとう、その表現の方が妥当ですね
今の日本は彼らが望んだものになっているのか。彼らが夢見た未来なのか。彼らに問うことはできない。彼らの期待を背負ってこれからの日本を未来を我々が作り上げるしかない。
国防を完全にアメリカに頼っていて
日本が戦争に負けたんだぞ
そんな未来もクソも無い国をかつての大戦に参加した多くの人々はこんな国を望んではいないしょ
@@くソビエト恐ロシア 一言余計だぞDQNめ
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
@@くソビエト恐ロシア 飯食えてとりあえず平和なんだから良いと思ってるやろ
今後どうなるかはともかく
背中の後ろで爆発するってやべー
敵戦車に、爆弾を踏ませる為ですからね。
抱えるより背負った方が動きやすいし
この話し、知らなかった…。
戦争なんて、やると決めた奴が最前線に行くべきだ!
ミミズ船長 それはおかしくない? だって鉄血勤皇隊は日本側がきめたことだし....原爆の投下も彼がきめたことじゃないし
ミミズ船長 ん~まあそうなのかな~
フランクリンルーズベルト大統領は日本が密教を使って呪殺したので大丈夫。当時はもう、鈴木貫太郎内閣でした。
@ミミズ船長
マッカーサーは自衛(セルフ・ディフェンス)とは言ってない。
禁輸による失業への対策をセキュリティと言ってる。
独裁国が禁輸されて失業者が出るなら、暴発しても自衛か?
@ミミズ船長
アメリカの反日大統領が何を考えようと、
日本が満州に徹してたら、あんな形の戦争は無かった。
満州事変でも、国際社会から赤信号を出されたのに、
日本は調子に乗り、さらに中国介入~ナチスと同盟~警告無視の南下。
それで「アメリカが石油を止めた、罠だ、日本は被害者だ」と騒いでも、
当時の日本を、あまり擁護できない事は変わらない。
4:55
おもいっきり英語で話してる上官
別に敵性言語とかやってたのはメディアと国民です。
日本は沖縄を本土決戦のための捨て石にしたんだよね、、
日本人はこの歴史を深く知るべき
この動画を見て
歴史を知った気でいるgmが多くて草
家族愛が強すぎて自分の家族を米国から守る為に特攻したんだ。
国のためというより自分の大事な人の為。
最後の''お母さん''が物語っている。
これはアニメーションだけど、NHKの「映像の世紀」で実際戦車の下に潜り込んで爆発している映像を見たことあるよ。
年齢は10代くらいだったかも。
バンって爆発しても、戦車は何も変わらない。
虚しさだけが残ってた。
見る勇気があれば、NHKの映像の世紀を見て欲しい。
フイルムだから淡々としているけど、敵に追われて崖から飛び降りる家族と海に浮かぶ2人の死体とか、自決の映像も辛いものがあった。
特攻隊が海に落ちて、本人が助けを求めても米軍に撃たれて血が出てる死体とかも放送されてる。
あれを見たら、戦争なんてやるべきじゃないって絶対思えるよ。
音楽も素晴らしいからNHKオンデマンドにあれば見てほしい。
海に浮かぶ特攻隊の隊員は手榴弾を爆発させるので撃たれたとも言われた。中には助けてもらってる映像もあった。
戦争で若人が命を賭して守った未来がこれか……
(´Д`)ハァ…
まともな人ばかり死んだからね
「先人が嘆いてる……」みたいなことを言ってる人ってどれほど立派な人生を歩んできたのだろう。
偉大な先人の気持ちを推理してあたかも霊能者のように語るなんて、畏れ多くて俺にはできない。
@@kaonashi01 横やり失礼なんも思わず聞き流すよりかははるかにいいと思うんやけど?
最強国との同盟組んでます。 経済は3位です。
鉄血勤王隊や学徒隊は知ってたが、妊婦も爆弾抱えて突っ込んだのは知らなかった…
人間は優秀な誘導装置だからね
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
@@焼肉定食-m5z 米兵はきっとそう思ってる
殷という字は妊婦の意味
まさか妊婦の特攻でできた国かな?
「御国の為に」と宣いながら、軍部のお偉いさん方は最後方で命令だけ出している...
余は常に諸子の先頭にあり
栗林忠道中将
@@user-rh4wo3dr4c そういった人達ばかりなら良かったんだけど、結果として未来ある若人を無駄死にさせる結果になってしまった...
@@user-rh4wo3dr4c
ああいう名将は残念ながら旧軍では例外的な存在。
まさかの妊婦さんまで...投降なんてしたら敵兵になにをされるか薄々気づいてたんかな...
赤ん坊が生まれたら泣き声で気付かれる、それに生んだとしても栄養失調か母親に口を塞がれて死んでる。
投降先がアーミーなら一縷の望みがあるけどマリーンだとね。。。
いつの日か関ヶ原の決戦の様に客観的に先の戦の正負を見られる日が来ると良いな。
あと300年か…長いな
若者の投票率が低いとこういうことがまた起きるよ
自爆攻撃……
沖縄戦調べた時見たなぁ……
よくこんなことやれたよ
作戦立案者自ら外道と言わしめる作戦……
なお司令官や立案者は本土の安全圏で酒池肉林の贅沢ざんまいでした。
@@オーシャンフェニックス 所詮、皇軍など肩書に過ぎなかった。
本当の皇軍っていうのは、誰かの為に戦おうって思った人なんだろうな
@@hyugaszuiun8880 今でも悪いこと皆でやれば怖くない系の圧力で正義面した帝国主義者はいますね。いわゆる右にありがちな傲慢な勘違いです。
特定の個人が自殺するまで追い込むネットの誹謗中傷やヘイトスピーチを民意で愛国心だと謳ったり、全く反省しない。
いじめや差別や家庭内暴力を延々と蔓延らせてきた原因も、その辺りにあるのではないでしょうか…。
まあ当時は負けたら日本がなくなって日本人は奴隷になるかもしれん状況やからね
特攻を否定するのはわかるけど抵抗することそのものを否定する人らは奴隷になるのがを望みですか?と問いたい(当時の人たちは苦しさが一番わかってるので除く)
琉球大学元教授で知事も歴任した故、太田昌秀氏は、教授時代に
鉄血勤皇隊関連
書籍、沖縄戦関連の
書籍も出版してました。太田氏も鉄血勤皇隊沖縄戦は6月23日は組織的戦闘が終わったとされてますが
その後の北部地区や
離島のゲリラ戦闘で
9月7日に沖縄戦は
終結したようです
沖縄って今はリゾート地でみんな浮かれて行くけど多くの人が日本のために血を流し死んでいった場所でもあることを忘れてはいけない
ついでに言えばハワイもアメリカの事を想いながら多くの米軍兵が死んでいった場所である
大和魂神風ではなぁ
じゃあ今で言う
なりたい職業ナンバーワン”軍人”ってことか凄いな
たまらないょ敬礼合掌
感情論でしか話せない人が戦争を再び呼び起こす可能性が高い。
戦死なんて何も偉くない!
何が英霊だ恥を知れ
@@nandemonaoshi49 洗脳済みか…
@@藤江-y7h いいえ、コメントで日本を守っただの英霊だので少年兵や自爆特攻隊を英雄に見てる人を見た客観的な感想だよ
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
@@nandemonaoshi49 終わってんな君
一人でも多くの人にみてもらいたい。こういう動画ぜひこれからもよろしくお願いします
満14歳になれば軍に志願できたんだよな。すげぇ時代だ
志願じゃなく強制、嫌な事を嫌と言える時代の方が良い。大人が始めた戦争の犠牲になる子供が悲惨
@@nandemonaoshi49 平和ボケ日本人あらわってて草
@@nandemonaoshi49 自衛隊が解体されたら誰が侵略者から国を守るんだ?
@@nandemonaoshi49 なんでそう考えたのかもっと聞きたいなぁ
@@にしまさとし 強制ではない
市民を攻撃するなんて…ロシアのやっていることを忌まわしき米帝は批難すんなよ
日本は、昔から変わっていないんだよな😩
俺は戦車に爆弾抱えて突っ込まないぞ
その考えがブラック企業を爆誕させた気がする😅
信じられないような話だ
本当にあったのだから相当悲しいよな
これからは無くなってほしい 戦ってくれた人たちに大感謝
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
@@焼肉定食-m5z 悪を見てしまった、、、
@@焼肉定食-m5z 笑えねぇよ生まれてないくせに上から目線で言いやがってかまちょが。
@@焼肉定食-m5z これあれだよカマチョだよ関わってもらって喜ぶ変質者
空を覆っていたのは戦闘機じゃなくて爆撃機なのでは?
死に名誉なんてない...
皆死にたくないと思ってる。
この時の日本は狂っとるな
当時は何処の国もそうだしアメリカも狂っとる
圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された[446]。
アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している[447]。
またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している[448]。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している[449]。
前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという[104]。
アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している[450]。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。[451]
歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している[452]。
沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている[453]。
従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し[454][455]、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している[456]。
なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している[457]。
やっぱりアメリカの軍事力は凄い!
890名さん。
決して無駄にしません。
ん?、十・十空襲って、米海軍機動部隊のF4Uとか、F6Fとかの艦上戦闘機だけだった記憶があるけど、B29っぽい機影があるような、、、
まぁ そこまでの細かいところまではええやん
あなたたちが持ち堪えてくれたおかげで本土決戦までの時間が稼げて玉音放送を流すことができました…沖縄の人と日本の為に散っていった人たちがいなければ今の自分も日本も存在していなかったかもしれませんね
どうかなぁ
そもそも原爆2発落とされても本土決戦考えてたのが軍部だぞ?
ソ連参戦で流石に降参したけど
妊婦の女性に特攻は流石に引く
人命は尊いなんていうマシな概念は、圧倒的質量をもつ現実という物の前では無力なんだねー。
日本国が建国して、後にも先にも命をここまで軽視した歴史はないだろうと願いたい。
願うだけじゃだめだろ
いや日本には室町時代があるからなあ・・・
命を粗末にするような素質は十分あったんだわ
@@無-u7s 世界を見れば未だに同じようなことが起きてるから日本人にその素質があるというより人間に刻み込まれたDNAなのかもしれないねぇ
戦争恨んで特攻隊恨まずだよね
これが「歩兵戦闘の極み」か……
沖縄戦で死屍累々を経て日本が勝ち取ったのは「歩兵戦の極み」という評価だけ、ということですなww
圧倒的な戦力差があったにもかかわらず、洞窟陣地を利用した粘り強い防御戦闘と反斜面陣地などの巧みな陣地形成で苦戦を強いられたアメリカ軍は、この日本軍の防御戦闘を「歩兵戦闘の極み」と評した。「沖縄作戦の主な戦訓」と題されたアメリカ軍の秘密報告書においては「この戦いはアメリカ軍にとって史上最大の激戦のひとつになった」とも評された。
アメリカ陸軍省戦史局編集の公式報告書「OKINAWA: THE LAST BATTLE」での総括は「沖縄で支払った代償は高価なものであった。アメリカ軍の死傷者の最終的な対価は、日本軍に対するどの方面作戦で経験したものよりも高かった」「勝利の高い代償は、予想以上の強力な戦力を持って巧みに先導された日本陸軍と戦ったこと、厳重かつ巧妙に要塞化された難しい地形を越えたこと、故国を何千kmも離れて戦った事実によるものだった」「作戦は予想していたより遙かに長引いた」など、苦しい戦いであった事を指摘した上で「だが、アメリカ軍は、希望するどんな土地も最後には日本軍から奪うことができることを沖縄で示した」と激戦を勝ち抜いた自信も示している。
またアメリカ海兵隊の公式活動報告書でも「(日本兵は)よく訓練され、統制もとれた陸軍兵士で、特に士気の高さと、身体能力の高さは特筆すべきである」とか「日本軍の兵士は常に頑強で機知にとんだ戦法で戦い、絶対に降伏しなかった」等、その能力を高く評価している。シュガーローフの戦いで名誉勲章を受賞し、のちに在沖縄アメリカ軍司令官となったジェイムズ・L・デイ(英語版)少将は、自分の経験から「日本軍の将兵は素晴らしい男たちであった。航空部隊による直接の支援もなければ、海軍部隊による支援もなく、事実上何の支援も受けられない状態で戦うには、非常に柔軟かつ巧妙な戦闘指導が要求される」と日本軍将兵及び前線指揮官の優秀さを評価している。
前線のアメリカ軍兵士も、当初は人種差別と憎しみから「日本兵は、がに股で飛び跳ねながら猿のように金切り声を上げたり、豚のように鳴いたりする奴らと思っていた」という偏見を持つ兵士も多かったが、シュガーローフなどの激戦を経て「日本兵は極めて統率のとれた集団だ」とか「日本兵は実際に見ると落ち着き払っており、アメリカ軍海兵隊員と同じ顔つきだった」という印象に変わっていき、更に日本兵への畏敬の念が行き過ぎて「日本兵を大したことがない、なんて抜かす奴がいたら俺が撃ち殺してやる」と新兵を怒鳴り散らす小隊長もいたという。
アメリカ海軍は特別攻撃隊に沖縄戦中終始苦しめられ、アメリカ海軍史上最悪の損害を被ることになったが、太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、「沖縄作戦は攻撃側にとってもまことに高価なものだった。約13,000名のアメリカ兵が戦死したが、その内3,400名が海兵隊で4,000名が海軍だった。艦隊における死傷者の大部分は日本機、主として特攻機により生じたものである」と回顧している。また「日本軍が準備された防御陣地に布陣し補給が受けられる所では、我がアメリカ軍の最優秀部隊が、従来になかった強力な航空支援・艦砲射撃・砲兵支援のもとに攻撃しても、遅々たる前進しかできないような強力な戦闘力を発揮する事が沖縄の実戦で証明された。日本軍はまとまった人数で降伏したことはなく、わが軍が膨大な死傷者を出すことなく日本軍部隊を撃破する事は不可能である」と沖縄守備隊が非常に頑強であったとアーネスト・キング海軍作戦部長に報告している。
歴史家ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう(中略)驚くべきことは、組織や軍紀が低下せず、これほど長く保持されていたことである」とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比し、日本陸軍が夥しい損失にも関わらず、最後まで組織的な戦闘を継続したことに驚嘆している。
沖縄戦が終わると、大英帝国首相ウィンストン・チャーチルはハリー・S・トルーマン米大統領に向けて「この戦いは、軍事史の中で最も苛烈で名高いものであります。我々は貴方の全ての部隊とその指揮官に敬意を表します」と慰労と称賛の言葉を送っている。
従軍記者としてピューリッツァー賞を受賞し、沖縄戦も取材した経験を持つアメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィン(英語版)は沖縄戦を振り返って「その規模、その広がり、その苛烈さにおいて バトル・オブ・ブリテンすら影の薄いものとした。飛行機と飛行機、水上部隊と航空部隊の間で、これほど凄惨な、独特の死闘が行われた事は、後にも先にもない。これほど短期間の内に(アメリカ)海軍がかくも多くの艦艇を失ったことはなかったし、これほど狭い地域でかくも短期間内に、これほどアメリカ軍の将兵の血が流された事もない。おそらく3ヶ月の間に敵(日本軍)がこれほど大きな損害を被った事もかつてなかったであろう。(中略)陸戦としては、もっと大きい会戦もあったし、もっと長期に渡る航空戦もあったが、沖縄作戦は最大規模の統合作戦であり、海上、海中、陸上において仮借のない戦闘が継続されたのである。」と評し、「沖縄は人間の忍耐力と勇気の叙事詩であった。日本軍の攻撃は創意に満ち、決死的であった。これに対しアメリカ軍が防衛に成功し、沖縄攻略に成功したのは卓越した補給、作戦計画およびその断固たる実施によるものである。」と総括している。
なお、ボールドウィンは、戦後、沖縄戦の陸軍の司令官、牛島満大将について、「太平洋戦争を通じて日本には二人の名将がいる。陸の牛島、海の田中(海軍中将田中頼三提督)」、と評している。
@@user-rh4wo3dr4c 結構ですよ Wikiコピペしても得られたのは“名誉”だけ、というのは変わりませんからなぁw
勝者であったアメリカ軍も、当初の計画は1か月で沖縄を攻略する計画であったのに対し、莫大な物量を投入しながら実際にはその3倍の期間を要し予想外の大損害を被る事になった。
その為、日本本土上陸作戦を強硬に主張し、ハリー・S・トルーマン大統領にダウンフォール作戦を承認させていたアメリカ陸軍も、硫黄島や沖縄の戦績を踏まえてダウンフォール作戦での推定死傷者をシミュレーションした結果、最大で400万名の死傷者が出るとの結果が出るなど甚大な損害が予想されたために、トルーマンが「沖縄戦の二の舞いになるような本土攻略はしたくない」と日本本土侵攻に躊躇し、強硬派のヘンリー・スティムソン陸軍長官らが軟化するなど、講和推進派のジョセフ・グルー国務次官らが巻き返しを図るきっかけとなった。
スティムソンはグルーとの議論の後に、かつて訪れた日本本土の記憶をたどりながら「(日本列島は)硫黄島や沖縄で見られたような最後の望みをかけた防御がやりやすく、戦車による機動戦はフィリピンやドイツより困難」であり「日本人は極めて愛国心が強く、侵攻軍を撃退するためには狂信的な抵抗の呼びかけにすぐ応じるのは間違いなく、我々が侵攻を開始すれば、ドイツよりさらに苛烈な最後の戦いを経験することを覚悟せねばならない」と考えた。そこで「硫黄島や沖縄のような大量の流血から我々を救うためには、日本人の国家理論の下では唯一の威厳の源」である天皇を利用するため、対日侵攻に代わる無条件降伏に相当する「何らかの代案」が必要であると判断し、ジェームズ・F・バーンズ国務長官など関係者に説いて回った。そしてスティムソンが纏めた『覚書』はこの後に日本への降伏勧告となるポツダム宣言の原案に組み込まれる事となり、終戦に向けての動きが加速する事となった。
それら沖縄戦での大損害を参考にした被害想定は、アメリカにおけるアジア史の権威イアン・ガウ教授のように「沖縄戦はアメリカ軍と日本軍の交戦の中でもっとも苛烈なものであった。アメリカの指導者たちは、アメリカ軍が日本本土に接近するにつれて人的損失が激増する事に疑問をもってはいなかった。沖縄での経験から、アメリカの指導者たちは日本本土侵攻の代価は高すぎて払えない事を確信していたのである。」
@@user-rh4wo3dr4c アメリカの資料はリップサービスが多いからそれで鬼の首とったみたいに喜ぶのは滑稽
7:20
この後も地図にも載らない小さな島で1人の日本人がアメリカ軍に勝ったんだよね
誰それ詳しく
範馬勇一郎ですか?
@@タンスの角の硬いあれ それ漫画刃牙でしょ?
@@タンスの角の硬いあれ それは余裕で勝てるww
@@タンスの角の硬いあれ
裸一貫技1つで戦艦ジャックしたあれです
これ、昭和のテレビドラマでやってました。
この時代に生まれなくて良かったー
それを言うならあの時代の軍人が勇敢に戦ってくれて良かった。です
@@user-so3fg6hv8v ?
@@えびきち-n1b 恐らく、「この時代に生まれなくてよかったー」で終わるのではなく、戦争時代に生きた方々があって、今の私たちがあることを考えましょうよ。と仰っているのではないでしょうか。
@@nandemonaoshi49 勝手に戦ったというのは違いますよ。この動画でも見て取れるように強制的に戦わされたんです。
愛する人をこの世に残して散っていった人に対して「勝手に」という言葉を使うのは如何なものかと思いますが
@@nandemonaoshi49
え、ガチで言ってる??日本人か??
あなたが日本人でないことを願う。
勝手に戦死してるだけって…??まじか神経疑う(;一_一)
戦時中は空中戦だけでなく白兵戦でも特攻が行われたというわけだ
もし第三次大戦に成った時には、この愚かな愚行を政府や自衛隊がしない事を祈りたい。
普通にやると思われます
愚かな愚行...
アホ
祈るだけじゃダメだろ。
責任の所在の明確化が必要だね。
日報破棄からして日本軍と変わらん。
馬鹿みたいな幼稚な政策しか思い付かない政府はともかく、自衛隊はそんなことしないだろ。
戦争無くなれよ。。
まだ世界で起きてる
俺だったら上官に向かって特攻するわ
実際に上官を撃ち殺すことはあっそうな。
陸戦なら敵はどこにいてもおかしくない(だから味方に撃たれたか敵に撃たれたかわかりにくい)
人間は夢中になると前に注意がいくので横や後ろには無防備になるから
ね
恨まれると手痛いしっぺ返しならまだ次が有るけどね
しかも酒の席で、仲間内で自慢話的に「やってやったぞ」と話していたという。
その前にお国のためにって言う体罰アリの教育もあったからどうなんだろ、沖縄は捨て石作戦で国民の事は島田あきらさん以外のホントの人はなんとも思ってなかったんです。捕虜になれば後ろに手榴弾も隠し持って途中で自爆しろって教えられてる人も、して沖縄戦は、6月23日に終わったと言ってましたが、それは牛島満と言う司令官が自決した日で、本当に終わったのは9月なんです。
祖国日本かと思って見てたら投稿者違ったw
???「大和魂を見せてやる!(外国産)」
大和魂笑わせるなよ、江戸時代から刷り込まれた奴隷根性の間違った武士道だろ、なお本物の武士道は戦国時代のもので生き残るために手段を択ばない方法を言います
@@キュウベエ-k8z
そんな意味があったんですね!
初めて知りました。
(このコメントを消すか悩んでます。)
BFIVかな?
@@キュウベエ-k8z 朝倉宗滴「武者は犬ともいへ畜生ともいへ勝つことが本にて候」ですね
あぁ数少ない大和魂の保持者が死んだ…なむなむ
百戦錬磨の初期に比べて、終戦間際は、なんでも自爆することにカオスを感じるな
すべて失うかもしれないと脅迫されてる人達が絶望に立たされると、ここまで狂ってしまうのか。
こればかりは結果だけで軽々しく批判できる内容ではないですよ。
そもそも戦争に至った原因はアメリカにあるんだよな。当時資源に乏しかった日本は大陸進出するしかなかった。そうしたらアメリカに石油輸入を停止されて解除を求めたらハルノート(受諾すれば日本崩壊も同然)を突き付けてきた。
ほんとそれなんも知らんやつが批判だけしすぎよなあせめて少しでも考えたりすればいいのに
戦車に対して天に鳥地に死に組もはや(耐久力以外での)逃れる術はない!
なんでこんな昭和天皇の息子や孫をあんなに崇めているんだろう。不思議で仕方ない。
それな、天皇なんか処刑すればよかった!!!
天皇陛下は日本の尊重であり世界でたった一人のエンペラと呼ばれてるからでもありますが、当時の天皇陛下…昭和天皇にも非はありますがさすがにそのコメントは失礼ではないかと思います。
@@めざましテレビ 日本の歴史と共にある天皇家を滅ぼしたいのか?
@The Userネトうよ→ネト魚→魚ということだね!
@八木良
完全に無知晒してて草
右翼ってのは天皇中心に考えてる主義のことだよw
自分の考え方とは全く右翼の思想はあってない
馬鹿の一つ覚えみたいにネトウヨ、ネトウヨ言わない方がいいよw
彼らが生きていればどんなに日本の国益になったことか...
聡明な指揮官なら降伏を考えるのが正論なんだろうけど、当時言ってたら非国民とかいって弾圧されるんだろうなぁ。
大体あってる
おめでとう特攻隊員諸君
君たちの大道芸は笑いを誘った
たかが一発芸の為に命を捨てるとはやるな
今の日本はめちゃくちゃ平和なんだってわかるどうがやな特攻しないとダメな時代なんて嫌やな
鉄血勤労隊ですね、今の自分は。😔
人様の子供に平気で爆薬を背負わせ、戦車に自爆攻撃をさせた軍人や一部教師の脳みそがどうなっていたのか見てみたい。
自分さえ良ければいいのか?戦後ものうのうと生き延びた輩も多かった。
戦前から植民地扱いで、多大な苦痛を負わせ続けられた沖縄へはもっと理解をするのが先決だ。
こんな戦争をして英雄がいたと言う馬鹿がいる限り戦争は終わらない( ̄▽ ̄;)
九九式破甲爆雷(アンパン・スッポン)は単体では米軍戦車の機関部を破壊できないという戦訓があり、戦車への突入時は2個重ねて置くという事になっていた。さらに指導の際には「より効果を出すためにその上に載って抑え込め」と言われたそうです。昭和30年代の映画にはそう描かれています。
ノイマン効果は刺突爆雷の方には応用が有ったようですがこちらには無かったデス
刺突爆雷は指向性爆薬なのでタンバーが有れば操作者の身に良いのですがそういう配慮は無く、攻撃後の生存はどちらも共に困難だったようです。
M4シャーマンの砲塔が雑すぎる
M10に見えましたね
忌まわしき米帝め…
敗戦国に限ってこんな人命軽視した兵器、戦術ばかり取るよなぁ
戦勝国は人命について考える余裕があるからね、敗戦国はこうでもしないと負けて属国化、奴隷化されるかもしれないからね
イギリスは鉄パイプや水道管まで持ち出して訓練をしていた。
チャーチル首相は暗号解読のためだけに自国の街をドイツ軍に襲わせた。
戦勝国であっても追い詰められたら人命なんて言ってられないんだよ。
@@志々雄真-h6n なるほどね。君みたいな人命軽視する人間も世の中にはいるんだね…
どうしても切っちゃいけない手札もあると思うんだけどね、例えば人命とかね。
@@t.y.7175
君、読解力皆無か?
「追い詰められたら人命軽視の作戦に出るのはどこの国でも同じ」
っていう事実を言ってるだけなんだが?
ソ連だって対独戦の追い詰められた時は犬まで持ち出して特攻じみた攻撃なんて普通にしてたし、フランスもまた然り。
君みたいな読解力皆無な奴が戦争を語る資格なんて無いだろうね。
@@俺氏-e2x 正に無駄な努力という奴だな
7:04から流れ始めるbgmなんて曲ですか?