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子供の頃〝この教科書で教育を受けた結果がこの教師なのか〟とか〝私の人生に責任を負えない人間の言う事なんてそのまま受け入れるわけにはいかない〟と思って学歴のレールに乗らない人生というものを選択して自分の性質に合う方へ進んで行った結果、満足できる人生になったので、梶谷先生のお話しにはとても同意です。テンプレートに乗って人生を進めていたら、自分の人生は地獄のような道になったのだろうなと今でも思います。テンプレートにマッチできる素養の人はテンプレートを活用すればいいと思うけれど、それ以外のけもの道が世の中にたくさん増えたらいいなと個人的に思います。みんな幸せに生きられるといいな。
7:17 7:18 7:19
このコメントすごい多くの人を勇気付けてると思う
52:36 めちゃくちゃ良いこと言ってる。自己責任って言ってる人たちは責任を回避してる。
高橋さんの作る動画は、多くの人が見つけたくても見つけられないられない入り口だなぁ。
中学生の子どもに物事を決めさせる時に自己責任という言葉を使ってしまっている。確かに責任回避の為に使用していたってハッとさせられました。
気づけたことがナイスです
いやー、見応えある内容だった!面白い!昔大学生のときに同級生に哲学っぽい話題を出したら変な空気になってしまい、以後無難な話題しか選べなくなったトラウマが救済されそうです。
泣きながら観ました
この先生と成田悠輔先生の対談も実現したらとても面白そうです。
子どもを一人の人格として見ずに育成や指導、管理監督の対象として見て選択肢を奪い続けてる大人に自覚が無さ過ぎて、自ら命を絶つ若い世代が増え続けてるのも納得の社会が出来上がってるし、そういう社会に適応できてしまった順風満帆な人生送った人が学校の先生になっちゃうから、苦しさ窮屈さへの対処方法としてひきこもりやいじめは増えるしメンタル病む教員も増えてる現状の悪循環が生まれてるんだろうなと思います。
中高生のころ社会や教育制度に対する疑問を感じ哲学的になって、でもこれじゃ社会で食っていけないんだよなぁと思って、ものごとを深く考えることをやめ素直に受験勉強をすることにしたクチです。あの頃にこういう先生に出会いたかった。
そうなのよね、人間全体に認められたいのではなく、自分の尊敬している人、友達になってみたかった人、親とか周りの人たちに認められたっていうよりは、リスペクトされて自分も他人を尊敬できるようななりたかった自分になれた気がした時に本当に人生が急激にまた回転し始めた
寝る前にうとうとしながら観はじめたのに、眼ギンギンになってました。面白かったし、モヤモヤしてたことを言語化してくれて、哲学に興味わきました。
リハックって名前を学科っぽく訳すとリカレント兼哲学だと私個人は解釈してる。意味の分からない答えのない話を分からないし答えがないと話せる事に価値を感じるコンテンツ最高です。
梶谷先生のお話が大変興味深く、拝聴させて頂けて徳をした気分です。ありがとうございます。いいところで次回に!早く続きが見たいです。
リハックの哲学回が一番すこ
この先生の話がわかり易くて聞きやすかった。自分が今まで感じてきたモヤモヤを言い当てられてるような感覚。そして自分がしてきた選択は、自分にとってはこれで良かったのかもしれない、と思えて少しスッキリした。
高橋さんの「それは何でですか?」という質問が凄く哲学的。そのお陰でわかりやすくて助かります。
梶谷先生の本好きです
「責任回避のために自己責任だって言っている」梶谷先生が言ったことに同意です。自分が意図したことをあたかも相手が選んだかのように偽装することはモラハラです。モラハラのような行為が日本社会のいたるところで強者から弱者へ行われていると思います。
本当ですよね。責任責任と迫ってくる人物は、責任を取るの具体的方策はないんですよね。俺のせいじゃないからな!ということを四文字熟語にしているだけで。
高橋さんの普段のボンヤリした薄っぺらさの代表者としての質問が、あえてわかり易い😊中途半端な質問や議論よりも、あえて良い時あります。
梶谷先生の話聞いていて、自分も勢いに身を任せて生きてもいい気がしてきた。自分の何となく興味があるデリダの哲学で卒論書く気になった
48:38 ここからの数分、中高の授業でやってほしいくらいだわ。52:57 「責任回避のために自己責任と言っている」大人になって国や政治家、大企業の利権構造が見えるようになってきて、これはほんと同意。そもそも選択肢が権力側の都合の良いように最初から絞られていて、若者側に本来の意味での決定権が無いじゃん、という話。
高橋さんの質問が、私も聞いてみたいことだったのでとても面白かったです!
めちゃくちゃ面白い。次回が楽しみなのと、やっぱり高橋さんが聞き手だといいなと思った。特に宗教と哲学の違いからの、「自分で考える」ことの重要性についてが良かった。私は「考える」ことの重要性を哲学とは違うアプローチで伝える仕事をしているが、先生のお話がとてもしっくり来た。そう、自分で考えて決めなければ、自分の人生じゃなくなっちゃう。けど「考える」を放棄して奴隷でいることをラクに感じている人がいかに多いことか。
私は哲学や芸術を大学で学び、最終的にはロングフル・ライフ訴訟(倫理学寄り)について卒論を書きました。学費が安いからという理由で田舎の国立大学に進み、120名ほどの学部生のうち哲学専攻はたった2人でしたが、モラトリアム期間に哲学を学べて良かったなと思います。なんとなく、中学生の頃から人はなぜ生きるのかといったことを考えるのが好きでした。高校時代の部活の顧問に対して疑問を呈したことがきっかけで、理不尽な扱いを受けたことがあり、そんなことも相まって哲学を勉強し出したのだなとしみじみ。動画の中で言われている所謂「大企業勤めの人」をクサしていたりもするのですが、そういった人たちが、今後困ったときに哲学が助けになれば、勉強していたことも少しは役に立つのだなと感じることができそうです。
高橋さんのこの番組、意外に若い「エリート層」に浸透してきているかもしれない、と感じる今日この頃。この前進めてください。
大変興味深いお話でした。次回も楽しみ!!
生きづらさが哲学を考える動機になるというのは面白いですね
面白かったです。梶谷先生は、こんなにわかりやすく現象学を解説されるんですね。高橋さんが梶谷先生に行きついた経緯を知りたいです。高橋さんのマチズモとミソジニーを癒やしてくれる思想や態度が梶谷先生にあるという気がします。
哲学は不幸な時に初めて考えることだと思う。苦しい時に哲学と出会う人は多いと思う。ハッピーな人間は哲学なんて考えない。
それは人生哲学とかの方。分析哲学とか学問としての方はある程度メンタルが安定してないと厳しい。
私にとって明確な答えの無い話の大半は哲学と言っても過言ではないと思っていますが、なぜか哲学というワードは多くの人を困惑させ、理解に苦しむ話が始まったように感じさせてしまいますよね。教育の分野で問題視することは当然で、社会の構造上、自己責任論を含め、親も学校も哲学対話的なコミュニケーションをしない、させない、できないから多くの子どもも大人も選択肢なんて実際無いように感じてしまいますよ。答えが出ようが出まいが考えることを諦めないって、改めて自分の人生、哲学を探究する行為なのだと感じますし、大切なことだと思いました。
めっちゃ面白かったー!次回気になるー!
51:14~「一般的に自己責任と言われているのは、本来責任の負えない人たちが自分たちの利害のために思い通りにしようとして、だけど責任を回避するために言っていること」という話を聞いて、「若者には貧しくなる自由がある」とおっしゃった竹中平蔵さんを思い出しました。
責任を取る能力がない人や、責任という意味がわからない人と一緒のグループで生活するためには責任を取れる人を犠牲にして(考える力のある人を犠牲に)してでも特定の同一課題を出されないといけない。これが社会なんだと思います。法律も規則も、校則もみんなそうだと思いました。
好きを仕事によりも、苦じゃないことを仕事にしたほうがいい
全体的に興味深くお話しお聞きしましたが、特に後半の自己責任論については、ここ数年自身が抱えている感情の根源に触れるような内容だと感じました。ありがとうございました。自分の人生の選択権を意識する事は大事ですね。気づかず手放さないよう、大事な選択をする際に忘れてしまわぬよう、心に刻んでおきたいです。
小学生や中学生に見て貰いたい。こういう話を無料で聴けるなんて素晴らしい。
確かに古代ギリシャの哲学者達プロニートでしたもんね。
スコーラ(スクール)って暇って意味ですもんね
高校2年の時、倫理学という授業があって古今東西の哲学者たちが一冊の教科書に載っていた。誰か一人選んで感想を書けと言われてハイデガーを選んだのが懐かしく思い出された。「人は詩人的にこの世界に生きる」とか言ったのが刺さったので選んだ記憶がある。でも抽象的にすぎてついていけなかった💦 今でもなんだか霞を食うような思想という印象....本人も答えが出なかった、という話を聞いてやっぱりそうかと思った次第です。
梶谷先生のお話を聞いて、絶対落ちると言われていた第一志望の高校受験に合格した自分の体験が良かったのだと救われました😊ありがとうございます⭐ 今の学校教育も子供達が自分で考える余白を作ってあげれば新しい可能性、考え方を持つ子が増えるのではないかと思いました。
梶谷先生、高橋さん、超面白いです.本も、読んでみます❤
めちゃくちゃ面白いです
身分制度があった時代は身分を超えてやりたいことがある人がモヤモヤを抱えて生きづらくて哲学に行き着いたんかなぁ。
こういうのを求めてた
私はコネクション・プラティクス「平和を生み出す、脳と心臓の使い方」のワークを受けた者です。お話を聞いていて、哲学は、池田昌子さんの14歳の哲学を読んだくらいですが。大切な本だと思って息子に読んだら良いかもよと、渡した後、いま35歳になっている、息子ですが、哲学書を手当たり次第読んでいる様です、私も75歳になっていますがー哲学者の方のお話は聞きたいです、とても学ぶことができた様に思います。有り難う。感謝🙏
宿題のエピソード、とても面白かった。官僚しかり教育しかり宗教しかりどの組織もありがちな一方通行の宿題的なものは、本当に必要なことかどうか?哲学的対話の必要性を感じて刺さります
身体と心の問題攻殻機動隊ですな心と体は心が主で体が従の主従関係のように見えて、実際には相互作用があって体が心に与える影響も大きい
とても興味深く、面白かったです。自分がずっと抱えていた違和感が、この先生のお話で理解できるような気がしているので、次回もすごく楽しみです。本も読んでみたいと思います。
学校教育に疑問を持ち自分で考え反抗してきた自分は地頭が悪いのか努力が足りなくて一角の人間にはなれず、今底辺の職業について苦労をしています。こういう実力の無い人間は何も考えず言われた事を素直にこなす生き方の方が日本では上手く行くような気がします。
社会に適合している人ほど哲学的な問いを持たない、生きづらさを抱える人ほど問いを持つ、というのが印象的でした。生きづらさはまさに身体と感情の問題だと思います。
51分頃の話を聞きながら、見合い、マッチングの哲学対話を思い出しました.人生の交差点に哲学対話があるといいですね😊
今まさに学校の課題問題に直面しています。やらない息子とそれを憂えて連絡してくださる先生。その板挟みになって、息子にもちょいちょい苦言し、先生にも異論を唱えてみたり。先生の言い分は、「テストの点が取れていても課題未提出で、成績の評定が取れていない、損してます。息子さんよりテストの結果が悪くても評定のいい子がいます。」と。それって、理解や結果に繋がらない課題ってことですよね?と思ってしまいました。それは先生方、出してる課題を見直すべしですと。我が子かわいさに思うことなのか、悩んでいましたが、梶谷先生のお話を聞いて、これこれ!とすっきり。この動画をすべての先生が見ることを願います。
ソクラテス「とにかく結婚したまえ 良妻なら幸せになれる 悪妻なら哲学者になれる」
学ぶ意義は義務教育では教えるの難しいですよね。未来のことなんて誰も分からないし答えなんて無いのに根拠なく道を示す大人が多いのはそれが普通だからですかね?
気持ちの滞っているところにゴリゴリ来る内容の動画だな~。リピートして聞かないとまだまだほぐされないような(笑)先生のお話を聞いていて、途中たまに、食いついて聞いていた自分の気持ちが「あれ??」とポーンといきなり置いて行かれるような、取り残されていくような、掴んでいた風船がいきなり手から離れて飛んでいくみたいな不思議な感覚になる瞬間があったりするのもまた哲学ならではなのかな~、と思う。いずれにしても続きが楽しみ。
星の王子様、銀河鉄道の夜、赤毛のアン、クラシック音楽、アンネの日記、現代音楽、小説、映画、様々な人の生み出す物に救われる事が多々ありましたが、それが哲学なのかも知れないと思いました。
ありがとうございます!
泣けてきたって書かれているコメントがあったけど、私も同じでした笑 生きづらさが多かったかなのか、哲学的な話は昔から好きだったし、大企業でガツガツ働いて適応してるように見せるのは得意だけど、実は適応できてないのもバレてるし。自分が気持ちよく生きられる場所は自問自答して行動して自分で少しずつつくっていくしかないんだなと本当に思う。
やっぱり隠しきる乗ってむずいよな余裕で中身社不なのに
とてもおもしろい、かつ、共感できますね。些細な判断から大き目の判断まで、自身で引き受けるには、多分に適性が必要な気がします。具体から抽象を、またはその逆を導き出すって、ものすごく高度な事なのでしょうね。
動物も「ある」って認識してますよ「絵」に描いた「穴」を、猫が「穴」が「ある」と認識して回避しようとする現象があります言葉を使う動物もいるので「フィクション、推論」は人間しか使いませんが、「ある」は動物にもあります。
宿題をやるかやらないかは成績の善し悪しにつながる、自己責任と言われる。でも成績にこだわらないという選択肢もあり、部活で全国1位を取るのも一手。誤った選択はあるが、他人から不正解の選択肢だと言われる筋合いは無い。
この世界に有無を言わさず産み落とされること自体自分に選択権はないのにいつのまにかいろんな責任やら複雑なルールなどを課されてうまくできなかったら責められて、、ほんま生きるのしんどい
レールに乗った結果、それが自分にとって良かったと考えるかどうかは人それぞれの認識に依存します。が、そもそも前への進み方が、レールに乗っかることしか存在しないと考えるほか無いのは、やはり不幸かと。本当は歩いたりチャリを漕いだり這って進んだり、色んな方法があるけど、「速いのが正義」という観念が個々人が社会から与えられる「選択肢」を狭めている。農耕時代であれば、農民に生まれた人は農民になることしか選択肢になかった。しかし現代は違う。社会的には、誰もがなりたい自分になれる(生まれた環境での経済的自由の差はあれど)。そうした自由社会に突然放り込まれ、何が正しいのかを社会的に与えられること=~高校 しか知らない人、とりわけ若者にとって、社会的に正しいとされていることを疑うことは悪であり、抗うことに心理的抵抗を感じる人も多いハズ。ここのコメント欄のように。社会に適合するとは、そうした行為の反対、すなわち、正しいとされることを受容し進んでいこうとすることで、さらに言えば、"社会"適合だから、レール(=社会的に正しいこと)に乗ることを受け入れる or それしかないと考える ことを意味しますよね。一方で梶谷さんのような哲学者は、そのレールの存在そのものの妥当性・正統性を問う・「このレールって、みんな正しいって言うてますけど、ほんまですか?」と。その勇気を持ち続けた結果、大学の教授職という、1つのポストに身を置くことになったのでしょう。すなわち、教授という 仕事/ 社会的名刺 社会から見て真っ当・正しい存在 を得ることで、結果的に、社会的に適合している。ただ、そこまでの道のりは、どう考えても社会的には普通ではない。レールに乗っていないと認識される。そのプロセスが、当事者にとっては非常に生きづらい環境、それが日本であり、もしかしたら社会という個人集合体の性質なのかもしれません。「社会不適合」を貫いた結果、「大学教授」という社会的ラベルを得るに至った梶谷さんの人生、非常に興味深く、私にとって示唆深いものでした。
宗教は「救われちゃう」か。わかってたことだけどちゃんと考えたことなかったな。
参考にさせて頂きます。ありがとうございます。
良い話です。うちのこどもは幼い頃に地頭が良いとすぐに判断できました、親として遊び方を見ているとすぐに分かりました。学校に行き始め宿題の応酬。最初はルールだからとやらせましたが、頭が良いのでやる意味が分からなかったのでしょうね、抵抗すごかったのでその後ずっといままで7年間宿題というものをさせていません。中一ですが宿題、やりたいものだけやってます。学校の点数それで悪くなってもいいし、と本人は言ってます。学校での彼の勉強に対する姿勢は評価されているので。あとは学校嫌だったらいつでも行くのやめていいよと言ってます。友達作りのためにとりあえず行ってると本人。因みに海外在住です。IQは飛び抜けて良いのでやっぱり考え方とか興味を持った分野を寝る間も削って調べるという他とは違う子です。IQ高いというと皆さん誤解されるのですが凸凹なので服の着替えとか時間管理とか全くだめです。
神回だった。
SEと声の比率が違ってビックリする わかるって良い引き。面白い
存在論の話はドイツ語などで格変化の話と一緒にやったほうがよっぽどわかりやすいと思う。
判断する。って事ですよね。わかります。私、師匠に毎日言われて、身に付きました。師匠に感謝ですね。
「哲学」の二文字に、実はあまり見る気せず見てたのですが、話に吸い込まれました。先生の著書読んでみたいです。
おー!梶谷先生!!
面白い先生です.良いですね!
勉強不足でシュミッツは初めて聞いた。現代?哲学って日本ではフランスの思想が有名というか紹介する人が多い、つまりそれ以外が少ないんだよな。
~24:40 「ある」っていう問題を時間的に考えた場合、理解しやすい日本語は 生き方。 瞬間的に考えた場合 解りやすいのは、 時間なったからご飯を食べる <> おなかが減ったからご飯を食べる 1例 つまり、瞬間的・時間的な判断として 判断が時間に連結するのか 、判断が身体に連結するのかこの時間連結と 身体連結の 違いは何かというと 人間はあたりまえだけど、何も食べないと死ぬ つまり、食べるという行為は何のために行うか? を 問題提起した場合 それと直接関係してるのは 時間か? 身体か? → わかりやすいのは 食べるために働く という認識 この場合 移民とかの犯罪行為は 最低限度の労働 この認識の延長を勘違いすると 政治家が 個人的利益で資金を集めて、使う とかになる (財務省が政策を勘違いするのは少し違う) ただ出世したいだけなら個人的 (別に 高い飯くうなとは言ってない <> 結局資金を 何に使うかの 生き方。) {政治とはなにをするのかにもつながる 略} 政治の言葉としてあるのが パンとサーカス ある意味で 最低限度 パンを用意できないと国民が死ぬ パン(食料)を用意できなら 政治家やめたほうがいい 政治的に食料(インフラ系整備)の生産が必要になる → 時代的勘違い 貿易すればいいと思ってる。 貿易して食料があるのと 国家内部で食料が作れる・ある は状況が全然違う。 つまり → 食べるために働く という 意味がもっと根本的に勘違いしてる。または認識してない。砂漠でひろゆきさん置いた感じだから、むしろ高橋さんのほうが政治家より、もろもろ理解してそう。
いい動画。
マトリックスの外で目を覚ましてもハッキング能力持ってないと荒野で野垂れ死ぬからなぁ
47:29 自分用
途中からHIPHOPのリリックかと思いましたある種ラッパーは哲学者の域にいるのかもしれないという仮説があったのですが少し納得哲学者xラッパーの動画が見たいです
それめちゃくちゃわかる。金、女、暴力、、etcはまさに身体性の発露で、根源的な欲だよね。ヒップホップにおける、貧困からの成り上がりっていうストーリーって身体性と切り離せなくて、その過程で暴力とか権力的なものとかの問題に直面する。そうするとそのストーリーへの疑問が生まれる。じゃあカルチャーとして親しんできた成り上がりの枠組みからどう脱却するのか?みたいな問いっていっぱいリリックになってると思う。
そもそも社会というものは共同体で、その中ではある程度特性が相似したもの同士で形成するのが効率的だと、暗黙的に認識され、営まれるように見えています。確かに、そこから零れた人のほうが、客観視できるって話なのかもですね。
ゲストの紹介よりも尿管結石の話のほうが早くて笑う😂
ruclips.net/video/h2CY1Pdni1k/видео.htmlsi=nJh9M6a1vXEY3Ruh現象学 江戸の育児書 書く 問うシュミット、ハイデイガー
テロップが出るときのピロッという音がちょっと大きいかなと個人的には思います。。。ぼんやり聞いているときに突然鳴ってびっくりします笑
面白かった、次回の婚活×哲学気になるw
文系学問って大体認識論だよな
授業に出席すれば単位を与えるという大学のやり方も変えてほしいです(減ってきているとは思いますが)。単位を餌にして、面白くもない授業に学生を出席させている先生は多いです。このやり方では、頭を使わず上の指示に従うだけの人間しか育たないと思います。
20:16「ある」という自体は、「ある」という事態ではないでしょうか。間違っていたらすみません。
結局、子供じゃなくて、与える大人の問題。でも、その大人は子供の頃に詰め込み教育を受けてきた結果そうなったのだとしたら、鶏と卵の繰り返し。
むずすぎた
Amazonで、本探したら、取り扱い無かったです。専門書だからかあなあ
え!梶谷先生!!!
この動画に全くピンと来ない私は恵まれてるって事なのかな、、、
物書きの人が暗くて汚い書斎から美しいストーリーを書くのに似てますね。
ぶっ刺さりまくった
哲学やむよwww 死ぬまで探す冒険か~
う〜んめちゃくちゃ面白い
大学時代に教わったなあ。もうわすれちゃったけど😂
わいもこれはしっくりはまる、にゃん
坐薬持参の哲学者さんは惹かれるな〜
語られていた宗教と哲学の違いはヘッセのシッダールタの主人公と親友のゴーヴィンダの生き方の違いのように思えました。
紳助/松本人志/ジャニー/猿之介/萩生田/井川/ホリエモン/ひろゆきーーこの中で誰が一番くそだと思いますか?
ジャニ
ジャニーさんが1番罪重いな
20:40 なんかエヴァイマジナリーみたいな事言ってる…
子供の頃〝この教科書で教育を受けた結果がこの教師なのか〟とか〝私の人生に責任を負えない人間の言う事なんてそのまま受け入れるわけにはいかない〟と思って学歴のレールに乗らない人生というものを選択して自分の性質に合う方へ進んで行った結果、満足できる人生になったので、梶谷先生のお話しにはとても同意です。テンプレートに乗って人生を進めていたら、自分の人生は地獄のような道になったのだろうなと今でも思います。テンプレートにマッチできる素養の人はテンプレートを活用すればいいと思うけれど、それ以外のけもの道が世の中にたくさん増えたらいいなと個人的に思います。みんな幸せに生きられるといいな。
7:17 7:18 7:19
このコメントすごい多くの人を勇気付けてると思う
52:36 めちゃくちゃ良いこと言ってる。自己責任って言ってる人たちは責任を回避してる。
高橋さんの作る動画は、多くの人が見つけたくても見つけられないられない入り口だなぁ。
中学生の子どもに物事を決めさせる時に自己責任という言葉を使ってしまっている。確かに責任回避の為に使用していたってハッとさせられました。
気づけたことがナイスです
いやー、見応えある内容だった!面白い!
昔大学生のときに同級生に哲学っぽい話題を出したら変な空気になってしまい、以後無難な話題しか選べなくなったトラウマが救済されそうです。
泣きながら観ました
この先生と成田悠輔先生の対談も実現したらとても面白そうです。
子どもを一人の人格として見ずに育成や指導、管理監督の対象として見て選択肢を奪い続けてる大人に自覚が無さ過ぎて、自ら命を絶つ若い世代が増え続けてるのも納得の社会が出来上がってるし、そういう社会に適応できてしまった順風満帆な人生送った人が学校の先生になっちゃうから、苦しさ窮屈さへの対処方法としてひきこもりやいじめは増えるしメンタル病む教員も増えてる現状の悪循環が生まれてるんだろうなと思います。
中高生のころ社会や教育制度に対する疑問を感じ哲学的になって、でもこれじゃ社会で食っていけないんだよなぁと思って、ものごとを深く考えることをやめ素直に受験勉強をすることにしたクチです。あの頃にこういう先生に出会いたかった。
そうなのよね、人間全体に認められたいのではなく、自分の尊敬している人、友達になってみたかった人、親とか周りの人たちに認められたっていうよりは、リスペクトされて自分も他人を尊敬できるようななりたかった自分になれた気がした時に本当に人生が急激にまた回転し始めた
寝る前にうとうとしながら観はじめたのに、眼ギンギンになってました。面白かったし、モヤモヤしてたことを言語化してくれて、哲学に興味わきました。
リハックって名前を学科っぽく訳すとリカレント兼哲学だと私個人は解釈してる。意味の分からない答えのない話を分からないし答えがないと話せる事に価値を感じるコンテンツ最高です。
梶谷先生のお話が大変興味深く、拝聴させて頂けて徳をした気分です。ありがとうございます。
いいところで次回に!早く続きが見たいです。
リハックの哲学回が一番すこ
この先生の話がわかり易くて聞きやすかった。
自分が今まで感じてきたモヤモヤを言い当てられてるような感覚。
そして自分がしてきた選択は、自分にとってはこれで良かったのかもしれない、と思えて少しスッキリした。
高橋さんの「それは何でですか?」という質問が凄く哲学的。
そのお陰でわかりやすくて助かります。
梶谷先生の本好きです
「責任回避のために自己責任だって言っている」梶谷先生が言ったことに同意です。自分が意図したことをあたかも相手が選んだかのように偽装することはモラハラです。モラハラのような行為が日本社会のいたるところで強者から弱者へ行われていると思います。
本当ですよね。責任責任と迫ってくる人物は、責任を取るの具体的方策はないんですよね。俺のせいじゃないからな!ということを四文字熟語にしているだけで。
高橋さんの普段のボンヤリした薄っぺらさの代表者としての質問が、あえてわかり易い😊中途半端な質問や議論よりも、あえて良い時あります。
梶谷先生の話聞いていて、自分も勢いに身を任せて生きてもいい気がしてきた。自分の何となく興味があるデリダの哲学で卒論書く気になった
48:38 ここからの数分、中高の授業でやってほしいくらいだわ。
52:57 「責任回避のために自己責任と言っている」大人になって国や政治家、大企業の利権構造が見えるようになってきて、これはほんと同意。そもそも選択肢が権力側の都合の良いように最初から絞られていて、若者側に本来の意味での決定権が無いじゃん、という話。
高橋さんの質問が、私も聞いてみたいことだったのでとても面白かったです!
めちゃくちゃ面白い。次回が楽しみなのと、やっぱり高橋さんが聞き手だといいなと思った。
特に宗教と哲学の違いからの、「自分で考える」ことの重要性についてが良かった。
私は「考える」ことの重要性を哲学とは違うアプローチで伝える仕事をしているが、先生のお話がとてもしっくり来た。
そう、自分で考えて決めなければ、自分の人生じゃなくなっちゃう。
けど「考える」を放棄して奴隷でいることをラクに感じている人がいかに多いことか。
私は哲学や芸術を大学で学び、最終的にはロングフル・ライフ訴訟(倫理学寄り)について卒論を書きました。
学費が安いからという理由で田舎の国立大学に進み、120名ほどの学部生のうち哲学専攻はたった2人でしたが、モラトリアム期間に哲学を学べて良かったなと思います。
なんとなく、中学生の頃から人はなぜ生きるのかといったことを考えるのが好きでした。高校時代の部活の顧問に対して疑問を呈したことがきっかけで、理不尽な扱いを受けたことがあり、そんなことも相まって哲学を勉強し出したのだなとしみじみ。
動画の中で言われている所謂「大企業勤めの人」をクサしていたりもするのですが、そういった人たちが、今後困ったときに哲学が助けになれば、勉強していたことも少しは役に立つのだなと感じることができそうです。
高橋さんのこの番組、意外に若い「エリート層」に浸透してきているかもしれない、と感じる今日この頃。
この前進めてください。
大変興味深いお話でした。次回も楽しみ!!
生きづらさが哲学を考える動機になるというのは面白いですね
面白かったです。梶谷先生は、こんなにわかりやすく現象学を解説されるんですね。
高橋さんが梶谷先生に行きついた経緯を知りたいです。高橋さんのマチズモとミソジニーを癒やしてくれる思想や態度が梶谷先生にあるという気がします。
哲学は不幸な時に初めて考えることだと思う。苦しい時に哲学と出会う人は多いと思う。
ハッピーな人間は哲学なんて考えない。
それは人生哲学とかの方。分析哲学とか学問としての方はある程度メンタルが安定してないと厳しい。
私にとって明確な答えの無い話の大半は哲学と言っても過言ではないと思っていますが、なぜか哲学というワードは多くの人を困惑させ、理解に苦しむ話が始まったように感じさせてしまいますよね。
教育の分野で問題視することは当然で、社会の構造上、自己責任論を含め、親も学校も哲学対話的なコミュニケーションをしない、させない、できないから多くの子どもも大人も選択肢なんて実際無いように感じてしまいますよ。
答えが出ようが出まいが考えることを諦めないって、改めて自分の人生、哲学を探究する行為なのだと感じますし、大切なことだと思いました。
めっちゃ面白かったー!次回気になるー!
51:14~「一般的に自己責任と言われているのは、本来責任の負えない人たちが自分たちの利害のために思い通りにしようとして、だけど責任を回避するために言っていること」という話を聞いて、「若者には貧しくなる自由がある」とおっしゃった竹中平蔵さんを思い出しました。
責任を取る能力がない人や、責任という意味がわからない人と一緒のグループで生活するためには
責任を取れる人を犠牲にして
(考える力のある人を犠牲に)してでも
特定の同一課題を出されないといけない。これが社会なんだと思います。
法律も規則も、校則もみんなそうだと思いました。
好きを仕事によりも、苦じゃないことを仕事にしたほうがいい
全体的に興味深くお話しお聞きしましたが、特に後半の自己責任論については、ここ数年自身が抱えている感情の根源に触れるような内容だと感じました。ありがとうございました。
自分の人生の選択権を意識する事は大事ですね。
気づかず手放さないよう、大事な選択をする際に忘れてしまわぬよう、心に刻んでおきたいです。
小学生や中学生に見て貰いたい。こういう話を無料で聴けるなんて素晴らしい。
確かに古代ギリシャの哲学者達プロニートでしたもんね。
スコーラ(スクール)って暇って意味ですもんね
高校2年の時、倫理学という授業があって古今東西の哲学者たちが一冊の教科書に載っていた。誰か一人選んで感想を書けと言われてハイデガーを選んだのが懐かしく思い出された。「人は詩人的にこの世界に生きる」とか言ったのが刺さったので選んだ記憶がある。でも抽象的にすぎてついていけなかった💦 今でもなんだか霞を食うような思想という印象....本人も答えが出なかった、という話を聞いてやっぱりそうかと思った次第です。
梶谷先生のお話を聞いて、絶対落ちると言われていた第一志望の高校受験に合格した自分の体験が良かったのだと救われました😊ありがとうございます⭐ 今の学校教育も子供達が自分で考える余白を作ってあげれば新しい可能性、考え方を持つ子が増えるのではないかと思いました。
梶谷先生、高橋さん、超面白いです.本も、読んでみます❤
めちゃくちゃ面白いです
身分制度があった時代は身分を超えてやりたいことがある人がモヤモヤを抱えて生きづらくて哲学に行き着いたんかなぁ。
こういうのを求めてた
私はコネクション・プラティクス「平和を生み出す、脳と心臓の使い方」のワークを受けた者です。
お話を聞いていて、哲学は、池田昌子さんの14歳の哲学を読んだくらいですが。大切な本だと思って息子に読んだら良いかもよと、渡した後、いま35歳になっている、息子ですが、哲学書を手当たり次第読んでいる様です、私も75歳になっていますがー哲学者の方のお話は聞きたいです、とても学ぶことができた様に思います。有り難う。感謝🙏
宿題のエピソード、とても面白かった。
官僚しかり教育しかり宗教しかりどの組織もありがちな一方通行の宿題的なものは、本当に必要なことかどうか?哲学的対話の必要性を感じて刺さります
身体と心の問題
攻殻機動隊ですな
心と体は心が主で体が従の主従関係のように見えて、実際には相互作用があって体が心に与える影響も大きい
とても興味深く、面白かったです。
自分がずっと抱えていた違和感が、この先生のお話で理解できるような気がしているので、次回もすごく楽しみです。
本も読んでみたいと思います。
学校教育に疑問を持ち自分で考え反抗してきた自分は地頭が悪いのか努力が足りなくて一角の人間にはなれず、今底辺の職業について苦労をしています。
こういう実力の無い人間は何も考えず言われた事を素直にこなす生き方の方が日本では上手く行くような気がします。
社会に適合している人ほど哲学的な問いを持たない、生きづらさを抱える人ほど問いを持つ、というのが印象的でした。生きづらさはまさに身体と感情の問題だと思います。
51分頃の話を聞きながら、見合い、マッチングの哲学対話を思い出しました.人生の交差点に哲学対話があるといいですね😊
今まさに学校の課題問題に直面しています。やらない息子とそれを憂えて連絡してくださる先生。その板挟みになって、息子にもちょいちょい苦言し、先生にも異論を唱えてみたり。先生の言い分は、「テストの点が取れていても課題未提出で、成績の評定が取れていない、損してます。息子さんよりテストの結果が悪くても評定のいい子がいます。」と。それって、理解や結果に繋がらない課題ってことですよね?と思ってしまいました。それは先生方、出してる課題を見直すべしですと。我が子かわいさに思うことなのか、悩んでいましたが、梶谷先生のお話を聞いて、これこれ!とすっきり。この動画をすべての先生が見ることを願います。
ソクラテス
「とにかく結婚したまえ
良妻なら幸せになれる
悪妻なら哲学者になれる」
学ぶ意義は義務教育では教えるの難しいですよね。未来のことなんて誰も分からないし答えなんて無いのに根拠なく道を示す大人が多いのはそれが普通だからですかね?
気持ちの滞っているところにゴリゴリ来る内容の動画だな~。リピートして聞かないとまだまだほぐされないような(笑)
先生のお話を聞いていて、途中たまに、食いついて聞いていた自分の気持ちが「あれ??」とポーンといきなり置いて行かれるような、取り残されていくような、掴んでいた風船がいきなり手から離れて飛んでいくみたいな不思議な感覚になる瞬間があったりするのもまた哲学ならではなのかな~、と思う。いずれにしても続きが楽しみ。
星の王子様、銀河鉄道の夜、赤毛のアン、クラシック音楽、アンネの日記、現代音楽、小説、映画、様々な人の生み出す物に救われる事が多々ありましたが、それが哲学なのかも知れないと思いました。
ありがとうございます!
泣けてきたって書かれているコメントがあったけど、私も同じでした笑
生きづらさが多かったか
なのか、哲学的な話は昔から好きだったし、大企業でガツガツ働いて適応してるように見せるのは得意だけど、実は適応できてないのもバレてるし。自分が気持ちよく生きられる場所は自問自答して行動して自分で少しずつつくっていくしかないんだなと本当に思う。
やっぱり隠しきる乗ってむずいよな余裕で中身社不なのに
とてもおもしろい、かつ、共感できますね。
些細な判断から大き目の判断まで、自身で引き受けるには、多分に適性が必要な気がします。
具体から抽象を、またはその逆を導き出すって、ものすごく高度な事なのでしょうね。
動物も「ある」って認識してますよ
「絵」に描いた「穴」を、猫が「穴」が「ある」と認識して回避しようとする現象があります
言葉を使う動物もいるので
「フィクション、推論」は人間しか使いませんが、「ある」は動物にもあります。
宿題をやるかやらないかは成績の善し悪しにつながる、自己責任と言われる。でも成績にこだわらないという選択肢もあり、部活で全国1位を取るのも一手。
誤った選択はあるが、他人から不正解の選択肢だと言われる筋合いは無い。
この世界に有無を言わさず
産み落とされること自体
自分に選択権はないのに
いつのまにか
いろんな責任やら
複雑なルールなどを課されて
うまくできなかったら
責められて、、
ほんま生きるのしんどい
レールに乗った結果、それが自分にとって良かったと考えるかどうかは人それぞれの認識に依存します。が、そもそも前への進み方が、レールに乗っかることしか存在しないと考えるほか無いのは、やはり不幸かと。本当は歩いたりチャリを漕いだり這って進んだり、色んな方法があるけど、「速いのが正義」という観念が個々人が社会から与えられる「選択肢」を狭めている。
農耕時代であれば、農民に生まれた人は農民になることしか選択肢になかった。しかし現代は違う。社会的には、誰もがなりたい自分になれる(生まれた環境での経済的自由の差はあれど)。そうした自由社会に突然放り込まれ、何が正しいのかを社会的に与えられること=~高校 しか知らない人、とりわけ若者にとって、社会的に正しいとされていることを疑うことは悪であり、抗うことに心理的抵抗を感じる人も多いハズ。ここのコメント欄のように。
社会に適合するとは、そうした行為の反対、すなわち、正しいとされることを受容し進んでいこうとすることで、さらに言えば、"社会"適合だから、レール(=社会的に正しいこと)に乗ることを受け入れる or それしかないと考える ことを意味しますよね。
一方で梶谷さんのような哲学者は、そのレールの存在そのものの妥当性・正統性を問う・「このレールって、みんな正しいって言うてますけど、ほんまですか?」と。その勇気を持ち続けた結果、大学の教授職という、1つのポストに身を置くことになったのでしょう。すなわち、教授という 仕事/ 社会的名刺 社会から見て真っ当・正しい存在 を得ることで、結果的に、社会的に適合している。ただ、そこまでの道のりは、どう考えても社会的には普通ではない。レールに乗っていないと認識される。そのプロセスが、当事者にとっては非常に生きづらい環境、それが日本であり、もしかしたら社会という個人集合体の性質なのかもしれません。
「社会不適合」を貫いた結果、「大学教授」という社会的ラベルを得るに至った梶谷さんの人生、非常に興味深く、私にとって示唆深いものでした。
宗教は「救われちゃう」か。わかってたことだけどちゃんと考えたことなかったな。
参考にさせて頂きます。
ありがとうございます。
良い話です。うちのこどもは幼い頃に地頭が良いとすぐに判断できました、親として遊び方を見ているとすぐに分かりました。学校に行き始め宿題の応酬。最初はルールだからとやらせましたが、頭が良いのでやる意味が分からなかったのでしょうね、抵抗すごかったのでその後ずっといままで7年間宿題というものをさせていません。中一ですが宿題、やりたいものだけやってます。学校の点数それで悪くなってもいいし、と本人は言ってます。学校での彼の勉強に対する姿勢は評価されているので。あとは学校嫌だったらいつでも行くのやめていいよと言ってます。友達作りのためにとりあえず行ってると本人。因みに海外在住です。IQは飛び抜けて良いのでやっぱり考え方とか興味を持った分野を寝る間も削って調べるという他とは違う子です。IQ高いというと皆さん誤解されるのですが凸凹なので服の着替えとか時間管理とか全くだめです。
神回だった。
SEと声の比率が違ってビックリする
わかるって良い引き。面白い
存在論の話はドイツ語などで格変化の話と一緒にやったほうがよっぽどわかりやすいと思う。
判断する。って事ですよね。わかります。
私、師匠に毎日言われて、身に付きました。師匠に感謝ですね。
「哲学」の二文字に、実はあまり見る気せず見てたのですが、話に吸い込まれました。先生の著書読んでみたいです。
おー!梶谷先生!!
面白い先生です.良いですね!
勉強不足でシュミッツは初めて聞いた。
現代?哲学って日本ではフランスの思想が有名というか紹介する人が多い、つまりそれ以外が少ないんだよな。
~24:40 「ある」っていう問題を時間的に考えた場合、理解しやすい日本語は 生き方。
瞬間的に考えた場合 解りやすいのは、 時間なったからご飯を食べる <> おなかが減ったからご飯を食べる
1例 つまり、瞬間的・時間的な判断として 判断が時間に連結するのか 、判断が身体に連結するのか
この時間連結と 身体連結の 違いは何かというと 人間はあたりまえだけど、何も食べないと死ぬ
つまり、食べるという行為は何のために行うか? を 問題提起した場合
それと直接関係してるのは 時間か? 身体か?
→ わかりやすいのは 食べるために働く という認識
この場合 移民とかの犯罪行為は 最低限度の労働 この認識の延長を勘違いすると
政治家が 個人的利益で資金を集めて、使う とかになる (財務省が政策を勘違いするのは少し違う)
ただ出世したいだけなら個人的
(別に 高い飯くうなとは言ってない <> 結局資金を 何に使うかの 生き方。)
{政治とはなにをするのかにもつながる 略}
政治の言葉としてあるのが パンとサーカス
ある意味で 最低限度 パンを用意できないと国民が死ぬ
パン(食料)を用意できなら 政治家やめたほうがいい
政治的に食料(インフラ系整備)の生産が必要になる → 時代的勘違い 貿易すればいいと思ってる。
貿易して食料があるのと 国家内部で食料が作れる・ある は状況が全然違う。
つまり → 食べるために働く という 意味がもっと根本的に勘違いしてる。または認識してない。
砂漠でひろゆきさん置いた感じだから、むしろ高橋さんのほうが政治家より、もろもろ理解してそう。
いい動画。
マトリックスの外で目を覚ましてもハッキング能力持ってないと荒野で野垂れ死ぬからなぁ
47:29 自分用
途中からHIPHOPのリリックかと思いました
ある種ラッパーは哲学者の域にいるのかもしれないという仮説があったのですが
少し納得
哲学者xラッパーの動画が見たいです
それめちゃくちゃわかる。金、女、暴力、、etcはまさに身体性の発露で、根源的な欲だよね。ヒップホップにおける、貧困からの成り上がりっていうストーリーって身体性と切り離せなくて、その過程で暴力とか権力的なものとかの問題に直面する。そうするとそのストーリーへの疑問が生まれる。じゃあカルチャーとして親しんできた成り上がりの枠組みからどう脱却するのか?みたいな問いっていっぱいリリックになってると思う。
そもそも社会というものは共同体で、その中ではある程度特性が相似したもの同士で形成するのが効率的だと、暗黙的に認識され、営まれるように見えています。
確かに、そこから零れた人のほうが、客観視できるって話なのかもですね。
ゲストの紹介よりも尿管結石の話のほうが早くて笑う😂
ruclips.net/video/h2CY1Pdni1k/видео.htmlsi=nJh9M6a1vXEY3Ruh
現象学 江戸の育児書 書く 問う
シュミット、ハイデイガー
テロップが出るときのピロッという音がちょっと大きいかなと個人的には思います。。。ぼんやり聞いているときに突然鳴ってびっくりします笑
面白かった、次回の婚活×哲学気になるw
文系学問って大体認識論だよな
授業に出席すれば単位を与えるという大学のやり方も変えてほしいです(減ってきているとは思いますが)。
単位を餌にして、面白くもない授業に学生を出席させている先生は多いです。このやり方では、頭を使わず上の指示に従うだけの人間しか育たないと思います。
20:16
「ある」という自体
は、
「ある」という事態
ではないでしょうか。
間違っていたらすみません。
結局、子供じゃなくて、与える大人の問題。でも、その大人は子供の頃に詰め込み教育を受けてきた結果そうなったのだとしたら、鶏と卵の繰り返し。
むずすぎた
Amazonで、本探したら、取り扱い無かったです。専門書だからかあなあ
え!梶谷先生!!!
この動画に全くピンと来ない私は恵まれてるって事なのかな、、、
物書きの人が暗くて汚い書斎から美しいストーリーを書くのに似てますね。
ぶっ刺さりまくった
哲学やむよwww 死ぬまで探す冒険か~
う〜んめちゃくちゃ面白い
大学時代に教わったなあ。もうわすれちゃったけど😂
わいもこれはしっくりはまる、にゃん
坐薬持参の哲学者さんは惹かれるな〜
語られていた宗教と哲学の違いはヘッセのシッダールタの主人公と親友のゴーヴィンダの生き方の違いのように思えました。
紳助/松本人志/ジャニー/猿之介/萩生田/井川/ホリエモン/ひろゆきーーこの中で誰が一番くそだと思いますか?
ジャニ
ジャニーさんが1番罪重いな
20:40 なんかエヴァイマジナリーみたいな事言ってる…