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82年ワールドカップでサッカーファンになった私にとってまさにどストライク。特に準決勝の対西ドイツ戦でのバチストンの負傷退場のエピソードが取り上げられていたのが良かったと思います。82年、86年のワールドカップではジレス、ティガナたちとリズミカルなパスワークを見せ、一時代を築いたプラティニとフランス代表、一生忘れません。
黄金のカルテット🎉
とにかく佇まい、プレー、発言全てがお洒落!トヨタカップのスーパーボレーは今でも色褪せないワンシーンです。
あれを超えるシュートはない。幻になったのがプラティニらしい。
プラティニは、プレースタイルがエレガントで、とにかくカッコ良かった。マラドーナの代わりにプラティニが86年を獲っていたら、もしかしたらプラティニはマラドーナレベルの評価を得ていたのかもしれませんね。プラティニはフィジカルが強くて、センターフォワード的なプレイも得意で、9.5番というのが彼に一番ふさわしい背番号だったんでしょうね。82年のドイツ戦、86年のブラジル戦は、ワールドカップ歴史上のトップ10に入るような試合。それこそが、彼の真価を物語っているように思います。
82、84、86は素晴らしいフランスチームだった。素晴らしいパスサッカーだった。
サッカーにてんで疎かった中1小娘の私はイギリス戦のプラティニを見て、虜になってしまいました。
86年のブラジル戦は最高の試合。選手たちのトラップ、パスが実に見事。
80年年代のスーパスター最後の1人特集ありがとうございますマラドーナ、ジーコ、プラティニこの3人は本当に凄かったです個人的にはジダンよりもプラティニが好きですねやはり10は点を取れる選手が着けてほしいからジダンのトラップとキープ力も凄いけどね
プレースタイルもピッチ外もとにかく粋な選手。この人以上にお洒落な男はまだ居ないでしょう。
ついに来た、僕のアイドル、プラティニ!トリッキーさは無いのに取られないドリブル、急所を突くパス、意外にも強いヘディング、一撃必中のフリーキック、フィニッシュへのアイディア。全てに心を掴まれたものだ
トヨタカップの幻のゴールは当時のルールでは完全にオフサイドなんですけど、初見ではそこに気付かないほどあの一連のプレーに目を奪われるという…まさに宝石のような、そして魔法のような瞬間ですね😍💕ちなみにプラティニが寝そべった時、映像では後ろの観客達が手をたたいて爆笑してたことまで覚えています😏✨
1985年の国立でのあの幻のスーパーゴール、まだ小学生でしたが現地観戦しました当時のトヨタカップはヨーロッパ勢が負けまくってたのでユーヴェが勝って嬉しかったですね。自分にとって初めて世界の頂点を体感出来た試合で思い出深いです
それはまさに歴史の証人ですね。あのプラティ二の幻のスーパーゴールのあとの寝転ぶシーンをみんな真似しましたよ笑。この試合でデンマーク代表のミカエルラウドルップを見て完全にファンになりました。今でも自分の一番好きな試合はこの試合です。
@@ray2598 チケット取ってくれた親に感謝です笑バルサ行く前の生ラウドルップ見られたのは今となっては貴重な体験出来たなと思います当時の日本であんな素晴らしいゲームを見られたのは運が良かったですね😊
エレガント、アーティスト、クール、さり気なく決定的パスを出す。まさに将軍。
今でも強烈に残っている40年近く前のトヨタカップの記憶、自分を含め当時の日本のサッカー少年たちに与えた影響は計り知れない
自分もまだ小さい頃ですが、未だに記憶に刻まれてます!
私も初めて見た外国人の試合が、あのトヨタカップでした。動画でも映っていた、オフサイドで寝そべる姿は強烈な印象で、目蓋に焼き付いています。
1985年12月、テレビで見たあのシュートは、今でもオフサイドではないと信じています。
皇帝ベッケンバウアー、キングペレ、ボンバー(爆撃機)ミューラー、魔術師ベスト、イタリアの若き太陽ジジ・リーバ、そして将軍プラティニ。1900年代のスーパースターたちには本当に感動させられました。個人的には1972年全盛期のネッツァーとハンガリーのフローリアン・アルベルトそしてジョージ・ベストの三人が好みの選手ですが、ポーランドのガドハやディナ、ロシアのブロヒンなども好きな選手です。今ではRUclipsでいろんな選手のプレーが見れて幸せです。
フィレンツェ・バロシュも、来日してましたよねwポーランドも、今や多くの選手が他の国の国籍を選んでしまってるのが悲しい。1972年は、ラトーやルバンスキーらも居て、強かったのにな~。
@@エイチヒノモト-y8i ルバンスキーはポーランド史上最高の選手と言われていましたが、ワールドカップ予選のイングランド戦で悪質なファールを受けそれからはあまり活躍できなかったように思います。もし74年のワールドカップに彼が出れていたら、3位以上にはなっていたと思います。前線のガドハ、ラトー、ルバンスキー、中盤のディナ、キーパーもワールドクラスでしたね。ポーランド史上最強のチームだったと思います。
あの'86年のブラジルとの準々決勝はW杯史上最高の名勝負と言われています。'82年と'86年に西ドイツのしぶとさに屈してしまいましたが、その活躍は色あせることはありません。そして、なんといってもあの''85年のトヨタカップです。ユベントスが勝つまで欧州勢はなかなか勝てませんでした。あの幻のスーパーゴールを東京でやってくれたことは日本人として実にうれしかった。そして、この試合、デンマーク代表のMラウドルップのあまりのカッコよさに完全にファンになりました。あの試合はクラブチームの試合としては最高だったと思っています。プラティ二が引退した後はフランス代表は暗黒の時代を迎えます。ジダンが主力となる母国開催の時まで低迷していきます。その間、Eカントナというプレーヤーも出てきましたが、救世主になるにはあまりにも破天荒すぎました笑。プラティ二の存在はあの'80年代の欧州で本当に輝いていました。
はじめまして、小生51歳、中学高校時代はサッカー部。中1時は欧州選手権、中2時はトヨタカップ、中3時はメキシコW杯でありました。動画の後半80年代のコメントも含めて、泣きまくりでございます。素晴らしい編集にとても感謝しております、ありがとうございました。
中学時代サッカー部に所属していた自分のアイドルがプラティニでした。パトリックから当時出ていたスパイク プラティニスーパーがお気に入りだったのは良い思い出です!(笑)
82年W杯ドイツ戦は小3で見てなかったけどその後TVでやってたのを当時VHSに録画して何度も見返した。中高時代、公式戦前にこれとダイヤモンドサッカー総集編見てテンション爆上げさせるのがルーティンやったの思い出した、懐かしすぎる‼️😭
子供の頃 85年のトヨタカップ観に行けた事は今でも忘れられない思い出です
同じく!
@@マイルドキャット うらやましい!!いいなあ!!
ルンメニゲ、マラドーナ、プラティニ、毎週ダイヤモンドサッカー夢中で見てました。あのトヨタカップも国立で観てました。プラティニのワンタッチ痺れたなぁ😊
昔WSDに連載していたジーコ、プラティニ、マラドーナとチームメイトだった選手の話だけど、プラティニとプレーしていると最終的にプラティニがシュート出来るようにパスしているように感じたとのこと優雅さと抜群の得点力の融合まさに天才の中の天才
懐かしい〜!!とにかく懐かしい〜!!'82の時は中学生で'86の時は高校生。どんどんこの様な動画を待っています😂
まってました!よくシャツ出して真似しました笑笑
あの国立競技場最前列で観た、幻のゴールは今でも目に焼きついています。
ピッチで寝そべるプラティニの姿は忘れられません
私は、オフサイドライン上で観てました。
サッカー、フットボールを扱うyoutubeで一番好きです。かつてのダイヤモンドサッカー、footなどと同様、youtubeのなかでは上品で上質な番組と思っています。いつも、素敵な内容をありがとうございます。
1986年のブラジル戦は史上最高の試合レベルと言えるほどでした。とても美しく創造的。マラドーナがこんな試合見たことがないと言った程です。ジーコもワールドカップには縁がなかったですが、プラティニと同じようにエレガントでセンスの塊、フリーキックが抜群に上手く、得点力があるプレーヤーでしたね。
初めて見たのはトヨタカップ。まだ小学校の時かな?幻のゴールは今でも忘れない😊
あの試合アルヘンチノスが先手取ったから余計に楽しかったですよね。
大好きな選手です!78年アルゼンチンワールドカップで若い世代に入れ代わり、82年スペインで花開き、84年ユーロでの活躍は凄まじかった!86年メキシコでは、かなり疲れが見えましたがそれでも美しく楽しいサッカーでした。トヨタ杯の素晴らしいゴール(オフサイド)今も思い出すことがあります。パスがポンポン通る楽しいサッカーは彼らの代名詞シャンパンサッカーでした。とにかく粋で華麗で楽しいと思うのは彼だけです。
将軍ミシェル・プラティニ全てに憧れて何でも真似をしたプレースタイルも人物としてもエレガントでカッコイイ唯一無二の存在今でも自分の中ではダントツのフットボーラーです!
8:41 名シーンをいれるあたり、さすがアジカンさん!わかってます笑プラティニのユニフォームの着こなしは、本人は腰骨が張っているのがコンプレックスでそれを隠すためらしいですね。80年代のサッカーは本当に10番の時代ですね。もう二度と戻らないのが切ない
小学生の時にトヨタカップを観に行きプラティニのプレーに魅了されました。今でも自分の中では最高のサッカー選手です。
言わずと知れたフランスの将軍。欧州の選手のみが対象だった時代とはいえ、三年連続バロンドールは凄いとしか言い様がないですね。引退が早かった。ジダンが出てきた時に、プラティニの後継者が出てきたとサッカー雑誌に載っていた事を覚えています。
自分の中での10番はプラティニです!関係ないが、UEFAかFIFAのポストについていた時に、エレベーターで来るの待ってたら、知らない男の人に声をかけられて男「僕の事覚えてますか?」プラティニ「申し訳ない。誰だかわからない…」男「あの時の主審です(85年TOYOTAカップでオフサイド判定した審判)」プラティニ「あっー、あの時の!」と言いながらたわいも無い話をしていたが、本心では、「首を絞めてやろうかと思ったw」って笑いながら話してたの記憶にあるわw
ちなみに、あの試合の線審をしてた方は、知り合いの父上です。
小学生の時、初めて好きになったプロ選手はユベントスのプラティニでした。
特集ありがとうございます❗私もユニフォームの袖を出しソックスを下げたスタイルを真似た少年の一人でした❗来年還暦迎えますが今もサッカーボール追い回してます🤗
トヨタカップのゴール(オフサイドではありましたが)は美しいゴールでした。トヨタ杯は欧州が南米に歯が立たず、プラティニが世界一奪取の任を託され見事に成し遂げました。実にエレガントで美しいサッカーをする選手でした。
86年大会のブラジルVSフランスの衝撃は今でも忘れられません。これに並ぶ試合は、昨年のW杯の決勝戦だけでしょう・・・。
プラティニとプロスト!!フランスが生んだ歴史上の人物ですね!!
プロストはレース運びが陰湿で、好きになれなかった
単純に上手い。全部が高次元やもんなぁ。
トヨタカップでの肩ひじついたレフェリーへの抗議もおしゃれだった。
あの時のプレーを見てサッカーの虜になりました。
@@native-em6ls 自分はその頃はサッカー少年でしたね。キャプテン翼がきっかけでしたがマラドーナやカレッカ、ファンバステンなど海外のプレイヤーをサッカーダイジェストという雑誌で見て憧れていましたね。。。
一番最初に好きになった選手
青春でした
ユベントス=青春(イタリア語)
プラティニはやはり凄い!
プラティニのころのフランス代表がパスワークを駆使したチームだったが、今のフランス代表はマッチョにボールを前に運ぶ感じだね
プラティニ特集だったけど、ジーコのスルーパスにメロメロ😂
バックパス禁止と一発レッドのおかげでサッカーが格段に面白くなったよな。
ピクシーが憧れて居た選手ですね☺️それと数少ないファンタジスタの1人。今でもピクシーと共に大好きな選手です。奥寺康彦に続いて今度は日本人をやって欲しいです😊釜本邦茂とか。
82年W杯の西ドイツ戦ほどの死闘はいまだに見たことがありません!凄い試合だった!
待ってました20代だから昔の名選手の知識がないからありがたいプラティニってユベントスのイメージが強いけど在籍期間が以外と短いんだね
いいともに出た時は感動しました
プラティニが、我が青春のクラブと呼んだナンシー時代のサッカーマガジンや、プラティニが緑の悪魔になったと銘打たれたサンティチェンヌ時代のサッカーマガジンは、未だに持っているwサンティチェンヌでは、ジェラール・ジャンピオンやドミニク・ロシュトーとチームメイトだったよね。
86年にブラジル戦でもプラティニのスルーパスから抜け出た選手をブラジルのキーパーが、体当たりしてもカードも出なかったね
僕はこの頃高校一年生のラガーマンでしたが、ブラジルとフランスの一戦はNHKで見てました。もの凄い熱い戦いでした。ジーコとプラティニってほんとカッコよかった。雑誌のナンバーもこの頃凄くカッコよかったなあ、表紙とか。
今でも世界最高のフットボーラーはプラティニだと思ってる。シャンパンフットボールはプラティニ無しでは語れないでしょう。
昔はなかなか海外サッカーを目にする事はなかったからトヨタカップで活躍した選手の印象は強烈に残るよね。そういう意味ではプラティニは日本でも話題だったよね。
一番凄いと思うのは。日本でサッカー選手なんか誰も知らない時でもプラティニと云う名前は知られてた事かな。釜本も凄いと思う。
今見ても異次元のうまさ
「プラティニがいる間に優勝できなければフランスはワールドカップ優勝できない」とか、98年のワールドカップ地元開催で強かった時代の復活を込めてユニフォームをプラティニ時代と同じにするとかの話が好きです。
1986 Wcup ハンガリー戦、PA左から右足アウトサイドでロシュトーにアシストしたシーンも超おしゃれだった。
プラティニに憧れサッカーにのめり込んだ学生時代、私にサッカーとゆう宝箱を与えてくれたのは間違いなくミッシェル プラティニ🎉
キャプテン翼の大空翼のモデルは、ミシェル・プラティニかな。。
84年のユーロはプラティニのプラティニによるプラティニの為の大会だった‼️5試合で9得点と言うありえない数字を叩き出した。それと、フランス国歌‼️「ラ・マルセイエーズ」について「国を愛する賛歌だったら私も積極的に歌うだろうが戦闘を奨励する歌は歌う事が出来ない‼️」、「フランスと言う国は愛しているが関係ない戦士の歌は歌いたくない‼️」、「サッカーの試合は友情を深める場所であり戦争を歌った歌詞はそぐわない‼️」と言う理由で反対してたそうです。
素敵な選手です。大好きでした、カッコいいし。
ちなみに84年ユーロでは、19歳のストイコビッチがユーゴ代表で出場しています。確か1ゴール決めてたような
得点力も半端じゃなかったが、ピッチのあちこちに顔を出してボールに絡む。繋ぎもサイドチェンジパスもリズムをつけるゲームメークもアタックにかけてのパスも。すげーオールラウンダーって感じ。
子供の頃、とにかく負けず嫌いだった。と、ずいぶん昔にRUclipsで見た。トランプゲームだったかな?近所の女の子に負けたのを認めたくなくて泣かしたってwそーいえば、純粋そうな表情を時折見せてた。
「サッカーに人種はないよ。下手な白人ほど黒人を差別する。」心ある人間には人が集まるよ。いいキャプテンでもありました。
プラティニといえばトヨタカップの幻のゴールですね。不服を示す横たわる態度も絵になりました。それも伝説になりました。今それをやったらイエローどころかレッドカードを食らうかも
ACミランにとってフォワードといえばファンバステンが記憶に残り続けるように、ユベントスの10番は永遠にプラティニのもの ストライプのユニフォームをパンツの外に出す着こなしと華麗なプレーはダイヤモンドサッカー世代には忘れられない
ユベントスってプラティニがいたからフランスのチームだと思っていた、遠い昔の話だけど。
プラティニは、少年時代の憧れであり、夢そのものでした。
プラティニが引退した年に生まれたのでリアルタイムで見られなくてとても残念でした。プラティニ→バッジョ→デルピエロとよく言いますが本当にその通りでした。プラティニがこんなに速い選手だなんて…本当に美しくプレイスピードや判断も速くてメッシ嫌いの87年組としては心踊る動画でした♡
「プラティ二」という言葉を、ふと呟きたくなるときがある。
めちゃくちゃかっこいい名前ですよね、わかりみが深いです
@@マルコファンバステン-v9s さんちょうどいま、「ふぅ・・・ミシェル・プラティニ・・・」と、呟いた所でした
マジで最高のチャンネルじゃん。。。次平成生まれの僕がサッカーっていう美しいスポーツ初めるキッカケになったリバウド特集してほしいです!!
プラティニ 名前がカッコいい
プラティニの思い出・ダイヤンモンドサッカー 84EURO 準決ポルトガル戦の熱戦でのティガナの粘りからの延長決勝ゴールの熱狂(サッカーにはまる)・徹夜で観に行った(夜食 ホープ軒)トヨタカップでの華麗なプレーの数々(当時はホープ軒おいしかったw)・86W杯 準々決ブラジルとの激戦勝利と準決西ドイツ戦のまさかの完敗 (完敗後しばらくいじけていたw)
こんな短い動画でこれ程中身の濃い内容のこのチャンネルが大好きです。とんねるずの木梨がボール蹴る時に「プラッティー二!」と絶叫していたのを思い出します。
私にとって、82年ワールドカップ準決勝、西ドイツ対フランスは永遠の試合。この時はゲルマン魂、ルンメニゲの鼓舞する姿が今でも目にやきついてます。しかしながら新旧の交代は誰が見ても証明された結果、特に、プラティニがユベントスでの得点数が増えたスタイルから、欧州選手権では西ドイツは完膚なき負け方となった!プラティニがユベントスで日本に来たプレーも目にやきついてます。
昨年(2022年)にスイスの法廷でFIFAでの詐欺汚職の疑いを晴らして無罪判決を勝ち取ったことを補足してもらいたかったですね。
プラティニはこんなに凄い人だったのかぁ‥叔父にこの動画見せたら内容は完璧だって言ってた
初めてテレビでプラティニを見たのは86年ワールドカップのメキシコ大会でした 私が14歳の時でしたね
全く異論なし!素晴らしい解説ありがとう!
トヨタカップでのあのシュートは衝撃でした❗️
カッコ良かったですね~。最初に大好きになったプレーヤーです。エレガントでスマートなプレイが印象的。32歳の引退は早いですが、ボロボロな姿を見せずに引退するのもプラティニらしいですね。
ブラジルのジーコ、アルゼンチンのマラドーナと並ぶ80年代最高レベルの選手の1人ですね。誰が一番かとサッカー好きな友達同士でよく論争になりました。セリエAで3年連続得点王になるなど得点感覚はプラティニが優れていたんじゃないかと個人的には思います
ストッキングを下ろしたくなるのはプラティニの影響だねw
栄光と悲劇、天国と地獄、両方を味わった将軍。
「その男がボールを持つ時、フィールドは緑のキャンバスに変わった」かつて私が描いたイラストのキャッチを、金子達仁氏が番組内で紹介したのは懐かしい思い出です。10番こそが花形だったあの時代、プラティニはディエゴとジーコに並び立つ存在でしたが、単にプレイや比類ない得点力だけでなく、試合中も怒ったり笑ったりおどけたり。豊かな表情で自然にチームを良い状態に導く姿は、キャプテンとしての理想像に見えました。
フットボール愛の伝わる素晴らしい動画ですね!サカつく5周年目玉はプラティニでした❗ロマーリオの動画見てさらにロマーリオも好きになりました😊
西ドイツの勝負強さは異常延長で2点リードされてひっくり返せるか普通
フィッシャーのオーバーヘッドで同点にされた瞬間、プラティニ、キレてました(笑)エトリに「フツー、追いつかれるか!!」とか、言ってたのかな。
ぜひジャイルジーニョについて取り上げてほしいです!
トヨタカップでヨーロッパ勢の初のチャンピオンに輝いたのがプラティニのいたユベントス あの胸トラップからの左足でのゴールはしびれたな〜オフサイドだっけど
プラティニ!将軍、好きだったー
謎のお兄さんが編集したとは思えない素晴らしいプラティニ特集でした!
私が魅せられた最初のスーパースター、プラティニ
ヘイゼルの悲劇でプラティニはサッカーに冷めてしまったらしいんです。試合前にあんな大惨事、選手はプレーするのは辛いはずだよね········
デシャンを代表で選んだのは彼ですよね。
当時中学生だった自分はパトリックのプラティニスーパーゴールドというスパイクが欲しくて親に無理いって買ってもらった記憶があります子供たちに与えた影響はマラドーナと遜色なかったと思いますね例の実況でいうとスーパーゴールのフレーズも入れてほしかったです
フリーキック1番うまいと思う!!ザ10番だね😮
イーフト新搭載でここにきました
「私は10番じゃなくて9.5番だ」本人は何よりもゴールをしたい選手でしたが、ゴールよりパスの方が魅力的だと知らしめた選手だった。ゲームを創るという事をまざまざと見せつけた選手だった。引退後、就く職の政治色が強くなる度、明らかに目の下のクマは深くなり、やつれた顔になっていくのが辛かった。
プラティニは正真正銘の10番。引退して後に、Rバッジョがユーヴェで大活躍しだしたころに、自分の正当後継者といえるかという話になった時、「彼(バッジョ)はむしろ9.5番だね」と答えた。まだまだ自分には及ばないという彼特有のユーモアだったのかも。
「ゴールをするのが好きなんだ。だから、10番というより9.5番かな」って、言ってましたね。確か当時、月刊誌だったマガジンかダイジェストかイレブンに掲載されていたインタビュー、憶えてます。
@@NanniniBenetton これは初めて聞きました バッジョの件は聞いた事あったけど、そうだとするとバッジョへの発言の意味も変わってくるかもね 自分の後継者として認めたということになる気がします
プラティニが自身を「9.5番」と評した話は現代サッカーでも話題になってるよ。ゲームメーカー(昔)とプレーメーカー(今)のポジションや動きに強く関連してるからな。特に欧州で。
@@武藤盛彦-i3i そういえばトッティが活躍してた頃、話題になっていたような。ゴール前に張り付いたセンターフォワードがいない戦術をとった時、1.5列目からトップ下がゴールを狙うってのが、目立ち始めたからだったかな。やたらとトップ下って単語を使っていたのを覚えてるわ。
6:55プラティニ ゴール!スーパーゴール!!ビューティフルゴール!!!
よりフランス人らしいのはプラティニ。
三笘のリバプール戦のゴールを見て、プラティニのトヨタカップの幻のゴールを思い出した。
将軍プラティニ
すごいね。
うわあトヨタカップテレビで生放送観てたー
82年ワールドカップでサッカーファンになった私にとってまさにどストライク。特に準決勝の対西ドイツ戦でのバチストンの負傷退場のエピソードが取り上げられていたのが良かったと思います。82年、86年のワールドカップではジレス、ティガナたちとリズミカルなパスワークを見せ、一時代を築いたプラティニとフランス代表、一生忘れません。
黄金のカルテット🎉
とにかく佇まい、プレー、発言全てがお洒落!トヨタカップのスーパーボレーは今でも色褪せないワンシーンです。
あれを超えるシュートはない。幻になったのがプラティニらしい。
プラティニは、プレースタイルがエレガントで、とにかくカッコ良かった。マラドーナの代わりにプラティニが86年を獲っていたら、もしかしたらプラティニはマラドーナレベルの評価を得ていたのかもしれませんね。プラティニはフィジカルが強くて、センターフォワード的なプレイも得意で、9.5番というのが彼に一番ふさわしい背番号だったんでしょうね。
82年のドイツ戦、86年のブラジル戦は、ワールドカップ歴史上のトップ10に入るような試合。それこそが、彼の真価を物語っているように思います。
82、84、86は素晴らしいフランスチームだった。
素晴らしいパスサッカーだった。
サッカーにてんで疎かった中1小娘の私は
イギリス戦のプラティニを見て、虜になってしまいました。
86年のブラジル戦は最高の試合。選手たちのトラップ、パスが実に見事。
80年年代のスーパスター最後の1人特集ありがとうございます
マラドーナ、ジーコ、プラティニこの3人は本当に凄かったです
個人的にはジダンよりもプラティニが好きですね
やはり10は点を取れる選手が着けてほしいから
ジダンのトラップとキープ力も凄いけどね
プレースタイルもピッチ外もとにかく粋な選手。この人以上にお洒落な男はまだ居ないでしょう。
ついに来た、僕のアイドル、プラティニ!
トリッキーさは無いのに取られないドリブル、急所を突くパス、意外にも強いヘディング、一撃必中のフリーキック、フィニッシュへのアイディア。全てに心を掴まれたものだ
トヨタカップの幻のゴールは当時のルールでは完全にオフサイドなんですけど、初見ではそこに気付かないほどあの一連のプレーに目を奪われるという…まさに宝石のような、そして魔法のような瞬間ですね😍💕
ちなみにプラティニが寝そべった時、映像では後ろの観客達が手をたたいて爆笑してたことまで覚えています😏✨
1985年の国立でのあの幻のスーパーゴール、まだ小学生でしたが現地観戦しました
当時のトヨタカップはヨーロッパ勢が負けまくってたのでユーヴェが勝って嬉しかったですね。自分にとって初めて世界の頂点を体感出来た試合で思い出深いです
それはまさに歴史の証人ですね。あのプラティ二の幻のスーパーゴールのあとの寝転ぶシーンをみんな真似しましたよ笑。この試合でデンマーク代表のミカエルラウドルップを見て完全にファンになりました。今でも自分の一番好きな試合はこの試合です。
@@ray2598 チケット取ってくれた親に感謝です笑
バルサ行く前の生ラウドルップ見られたのは今となっては貴重な体験出来たなと思います
当時の日本であんな素晴らしいゲームを見られたのは運が良かったですね😊
エレガント、アーティスト、クール、さり気なく決定的パスを出す。まさに将軍。
今でも強烈に残っている40年近く前のトヨタカップの記憶、自分を含め当時の日本のサッカー少年たちに与えた影響は計り知れない
自分もまだ小さい頃ですが、未だに記憶に刻まれてます!
私も初めて見た外国人の試合が、あのトヨタカップでした。
動画でも映っていた、オフサイドで寝そべる姿は強烈な印象で、目蓋に焼き付いています。
1985年12月、テレビで見たあのシュートは、今でもオフサイドではないと信じています。
皇帝ベッケンバウアー、キングペレ、ボンバー(爆撃機)ミューラー、魔術師ベスト、イタリアの若き太陽ジジ・リーバ、そして将軍プラティニ。1900年代のスーパースターたちには本当に感動させられました。個人的には1972年全盛期のネッツァーとハンガリーのフローリアン・アルベルトそしてジョージ・ベストの三人が好みの選手ですが、ポーランドのガドハやディナ、ロシアのブロヒンなども好きな選手です。今ではRUclipsでいろんな選手のプレーが見れて幸せです。
フィレンツェ・バロシュも、来日してましたよねw
ポーランドも、今や多くの選手が他の国の国籍を選んでしまってるのが悲しい。
1972年は、ラトーやルバンスキーらも居て、強かったのにな~。
@@エイチヒノモト-y8i ルバンスキーはポーランド史上最高の選手と言われていましたが、ワールドカップ予選のイングランド戦で悪質なファールを受けそれからはあまり活躍できなかったように思います。もし74年のワールドカップに彼が出れていたら、3位以上にはなっていたと思います。前線のガドハ、ラトー、ルバンスキー、中盤のディナ、キーパーもワールドクラスでしたね。ポーランド史上最強のチームだったと思います。
あの'86年のブラジルとの準々決勝はW杯史上最高の名勝負と言われています。'82年と'86年に西ドイツのしぶとさに屈してしまいましたが、その活躍は色あせることはありません。そして、なんといってもあの''85年のトヨタカップです。ユベントスが勝つまで欧州勢はなかなか勝てませんでした。あの幻のスーパーゴールを東京でやってくれたことは日本人として実にうれしかった。そして、この試合、デンマーク代表のMラウドルップのあまりのカッコよさに完全にファンになりました。あの試合はクラブチームの試合としては最高だったと思っています。
プラティ二が引退した後はフランス代表は暗黒の時代を迎えます。ジダンが主力となる母国開催の時まで低迷していきます。その間、Eカントナというプレーヤーも出てきましたが、救世主になるにはあまりにも破天荒すぎました笑。
プラティ二の存在はあの'80年代の欧州で本当に輝いていました。
はじめまして、小生51歳、中学高校時代はサッカー部。中1時は欧州選手権、中2時はトヨタカップ、中3時はメキシコW杯でありました。動画の後半80年代のコメントも含めて、泣きまくりでございます。素晴らしい編集にとても感謝しております、ありがとうございました。
中学時代サッカー部に所属していた自分のアイドルがプラティニでした。パトリックから当時出ていたスパイク プラティニスーパーがお気に入りだったのは良い思い出です!(笑)
82年W杯ドイツ戦は小3で見てなかったけどその後TVでやってたのを当時VHSに録画して何度も見返した。中高時代、公式戦前にこれとダイヤモンドサッカー総集編見てテンション爆上げさせるのがルーティンやったの思い出した、懐かしすぎる‼️😭
子供の頃 85年のトヨタカップ観に行けた事は今でも忘れられない思い出です
同じく!
@@マイルドキャット うらやましい!!いいなあ!!
ルンメニゲ、マラドーナ、プラティニ、毎週ダイヤモンドサッカー夢中で見てました。あのトヨタカップも
国立で観てました。プラティニのワンタッチ痺れたなぁ😊
昔WSDに連載していたジーコ、プラティニ、マラドーナとチームメイトだった選手の話だけど、プラティニとプレーしていると最終的にプラティニがシュート出来るようにパスしているように感じたとのこと
優雅さと抜群の得点力の融合
まさに天才の中の天才
懐かしい〜!!とにかく懐かしい〜!!
'82の時は中学生で'86の時は高校生。
どんどんこの様な動画を待っています😂
まってました!
よくシャツ出して真似しました笑笑
あの国立競技場最前列で観た、幻のゴールは今でも目に焼きついています。
ピッチで寝そべるプラティニの姿は忘れられません
私は、オフサイドライン上で観てました。
サッカー、フットボールを扱うyoutubeで一番好きです。かつてのダイヤモンドサッカー、footなどと同様、youtubeのなかでは上品で上質な番組と思っています。
いつも、素敵な内容をありがとうございます。
1986年のブラジル戦は史上最高の試合レベルと言えるほどでした。とても美しく創造的。マラドーナがこんな試合見たことがないと言った程です。ジーコもワールドカップには縁がなかったですが、プラティニと同じようにエレガントでセンスの塊、フリーキックが抜群に上手く、得点力があるプレーヤーでしたね。
初めて見たのはトヨタカップ。
まだ小学校の時かな?
幻のゴールは今でも忘れない😊
あの試合アルヘンチノスが先手取ったから余計に楽しかったですよね。
大好きな選手です!78年アルゼンチンワールドカップで若い世代に入れ代わり、82年スペインで花開き、84年ユーロでの活躍は凄まじかった!86年メキシコでは、かなり疲れが見えましたがそれでも美しく楽しいサッカーでした。トヨタ杯の素晴らしいゴール(オフサイド)今も思い出すことがあります。パスがポンポン通る楽しいサッカーは彼らの代名詞シャンパンサッカーでした。とにかく粋で華麗で楽しいと思うのは彼だけです。
将軍ミシェル・プラティニ
全てに憧れて何でも真似をした
プレースタイルも人物としても
エレガントでカッコイイ
唯一無二の存在
今でも自分の中ではダントツの
フットボーラーです!
8:41 名シーンをいれるあたり、さすがアジカンさん!わかってます笑
プラティニのユニフォームの着こなしは、本人は腰骨が張っているのがコンプレックスでそれを隠すためらしいですね。80年代のサッカーは本当に10番の時代ですね。
もう二度と戻らないのが切ない
小学生の時にトヨタカップを観に行きプラティニのプレーに魅了されました。
今でも自分の中では最高のサッカー選手です。
言わずと知れたフランスの将軍。欧州の選手のみが対象だった時代とはいえ、三年連続バロンドールは凄いとしか言い様がないですね。引退が早かった。ジダンが出てきた時に、プラティニの後継者が出てきたとサッカー雑誌に載っていた事を覚えています。
自分の中での10番はプラティニです!
関係ないが、UEFAかFIFAのポストについていた時に、エレベーターで来るの待ってたら、知らない男の人に声をかけられて
男「僕の事覚えてますか?」
プラティニ「申し訳ない。誰だかわからない…」
男「あの時の主審です(85年TOYOTAカップでオフサイド判定した審判)」
プラティニ「あっー、あの時の!」と言いながらたわいも無い話をしていたが、本心では、「首を絞めてやろうかと思ったw」って笑いながら話してたの記憶にあるわw
ちなみに、あの試合の線審をしてた方は、知り合いの父上です。
小学生の時、初めて好きになったプロ選手はユベントスのプラティニでした。
特集ありがとうございます❗
私もユニフォームの袖を出しソックスを下げたスタイルを真似た少年の一人でした❗
来年還暦迎えますが今もサッカーボール追い回してます🤗
トヨタカップのゴール(オフサイドではありましたが)は美しいゴールでした。
トヨタ杯は欧州が南米に歯が立たず、プラティニが世界一奪取の任を託され見事に成し遂げました。
実にエレガントで美しいサッカーをする選手でした。
86年大会のブラジルVSフランスの衝撃は今でも忘れられません。
これに並ぶ試合は、昨年のW杯の決勝戦だけでしょう・・・。
プラティニとプロスト!!フランスが生んだ歴史上の人物ですね!!
プロストはレース運びが陰湿で、好きになれなかった
単純に上手い。全部が高次元やもんなぁ。
トヨタカップでの肩ひじついたレフェリーへの抗議もおしゃれだった。
あの時のプレーを見てサッカーの虜になりました。
@@native-em6ls 自分はその頃はサッカー少年でしたね。キャプテン翼がきっかけでしたがマラドーナやカレッカ、ファンバステンなど海外のプレイヤーをサッカーダイジェストという雑誌で見て憧れていましたね。。。
一番最初に好きになった選手
青春でした
ユベントス=青春(イタリア語)
プラティニはやはり凄い!
プラティニのころのフランス代表がパスワークを駆使したチームだったが、今のフランス代表はマッチョにボールを前に運ぶ感じだね
プラティニ特集だったけど、ジーコのスルーパスにメロメロ😂
バックパス禁止と一発レッドのおかげでサッカーが格段に面白くなったよな。
ピクシーが憧れて居た選手ですね☺️
それと数少ないファンタジスタの1人。
今でもピクシーと共に大好きな選手です。
奥寺康彦に続いて今度は日本人をやって欲しいです😊釜本邦茂とか。
82年W杯の西ドイツ戦ほどの死闘はいまだに見たことがありません!凄い試合だった!
待ってました
20代だから昔の名選手の
知識がないからありがたい
プラティニってユベントスのイメージが
強いけど在籍期間が以外と短いんだね
いいともに出た時は感動しました
プラティニが、我が青春のクラブと呼んだナンシー時代のサッカーマガジンや、プラティニが緑の悪魔になったと銘打たれたサンティチェンヌ時代のサッカーマガジンは、未だに持っているw
サンティチェンヌでは、ジェラール・ジャンピオンやドミニク・ロシュトーとチームメイトだったよね。
86年にブラジル戦でも
プラティニのスルーパスから
抜け出た選手を
ブラジルのキーパーが、体当たりしてもカードも出なかったね
僕はこの頃高校一年生のラガーマンでしたが、ブラジルとフランスの一戦はNHKで見てました。もの凄い熱い戦いでした。ジーコとプラティニってほんとカッコよかった。雑誌のナンバーもこの頃凄くカッコよかったなあ、表紙とか。
今でも世界最高のフットボーラーはプラティニだと思ってる。
シャンパンフットボールはプラティニ無しでは語れないでしょう。
昔はなかなか海外サッカーを目にする事はなかったからトヨタカップで活躍した選手の印象は強烈に残るよね。そういう意味ではプラティニは日本でも話題だったよね。
一番凄いと思うのは。日本でサッカー選手なんか誰も知らない時でもプラティニと云う名前は知られてた事かな。釜本も凄いと思う。
今見ても異次元のうまさ
「プラティニがいる間に優勝できなければフランスはワールドカップ優勝できない」とか、98年のワールドカップ地元開催で強かった時代の復活を込めてユニフォームをプラティニ時代と同じにするとかの話が好きです。
1986 Wcup ハンガリー戦、PA左から右足アウトサイドでロシュトーにアシストしたシーンも超おしゃれだった。
プラティニに憧れサッカーにのめり込んだ学生時代、私にサッカーとゆう宝箱を与えてくれたのは間違いなくミッシェル プラティニ🎉
キャプテン翼の大空翼のモデルは、ミシェル・プラティニかな。。
84年のユーロはプラティニのプラティニによるプラティニの為の大会だった‼️
5試合で9得点と言うありえない数字を叩き出した。
それと、フランス国歌‼️「ラ・マルセイエーズ」について「国を愛する賛歌だったら私も積極的に歌うだろうが戦闘を奨励する歌は歌う事が出来ない‼️」、「フランスと言う国は愛しているが関係ない戦士の歌は歌いたくない‼️」、「サッカーの試合は友情を深める場所であり戦争を歌った歌詞はそぐわない‼️」と言う理由で反対してたそうです。
素敵な選手です。
大好きでした、カッコいいし。
ちなみに84年ユーロでは、19歳のストイコビッチがユーゴ代表で出場しています。確か1ゴール決めてたような
得点力も半端じゃなかったが、ピッチのあちこちに顔を出してボールに絡む。
繋ぎもサイドチェンジパスもリズムをつけるゲームメークもアタックにかけてのパスも。
すげーオールラウンダーって感じ。
子供の頃、とにかく負けず嫌いだった。と、ずいぶん昔にRUclipsで見た。
トランプゲームだったかな?近所の女の子に負けたのを認めたくなくて泣かしたってw
そーいえば、純粋そうな表情を時折見せてた。
「サッカーに人種はないよ。下手な白人ほど黒人を差別する。」
心ある人間には人が集まるよ。いいキャプテンでもありました。
プラティニといえばトヨタカップの幻のゴールですね。
不服を示す横たわる態度も絵になりました。
それも伝説になりました。今それをやったらイエローどころか
レッドカードを食らうかも
ACミランにとってフォワードといえばファンバステンが記憶に残り続けるように、ユベントスの10番は永遠にプラティニのもの ストライプのユニフォームをパンツの外に出す着こなしと華麗なプレーはダイヤモンドサッカー世代には忘れられない
ユベントスってプラティニがいたからフランスのチームだと思っていた、遠い昔の話だけど。
プラティニは、少年時代の憧れであり、夢そのものでした。
プラティニが引退した年に生まれたのでリアルタイムで見られなくてとても残念でした。プラティニ→バッジョ→デルピエロとよく言いますが本当にその通りでした。プラティニがこんなに速い選手だなんて…本当に美しくプレイスピードや判断も速くてメッシ嫌いの87年組としては心踊る動画でした♡
「プラティ二」という言葉を、ふと呟きたくなるときがある。
めちゃくちゃかっこいい名前ですよね、わかりみが深いです
@@マルコファンバステン-v9s さん
ちょうどいま、
「ふぅ・・・ミシェル・プラティニ・・・」
と、呟いた所でした
マジで最高のチャンネルじゃん。。。
次平成生まれの僕がサッカーっていう美しいスポーツ初めるキッカケになったリバウド特集してほしいです!!
プラティニ 名前がカッコいい
プラティニの思い出
・ダイヤンモンドサッカー 84EURO 準決ポルトガル戦の熱戦でのティガナの粘りからの延長決勝ゴールの熱狂(サッカーにはまる)
・徹夜で観に行った(夜食 ホープ軒)トヨタカップでの華麗なプレーの数々(当時はホープ軒おいしかったw)
・86W杯 準々決ブラジルとの激戦勝利と準決西ドイツ戦のまさかの完敗 (完敗後しばらくいじけていたw)
こんな短い動画でこれ程中身の濃い内容のこのチャンネルが大好きです。
とんねるずの木梨がボール蹴る時に「プラッティー二!」と絶叫していたのを思い出します。
私にとって、82年ワールドカップ準決勝、西ドイツ対フランスは永遠の試合。この時はゲルマン魂、ルンメニゲの鼓舞する姿が今でも目にやきついてます。しかしながら新旧の交代は誰が見ても証明された結果、特に、プラティニがユベントスでの得点数が増えたスタイルから、欧州選手権では西ドイツは完膚なき負け方となった!プラティニがユベントスで日本に来たプレーも目にやきついてます。
昨年(2022年)にスイスの法廷でFIFAでの詐欺汚職の疑いを晴らして無罪判決を勝ち取ったことを補足してもらいたかったですね。
プラティニはこんなに凄い人だったのかぁ‥叔父にこの動画見せたら内容は完璧だって言ってた
初めてテレビでプラティニを見たのは86年ワールドカップのメキシコ大会でした 私が14歳の時でしたね
全く異論なし!
素晴らしい解説ありがとう!
トヨタカップでのあのシュートは衝撃でした❗️
カッコ良かったですね~。最初に大好きになったプレーヤーです。エレガントでスマートなプレイが印象的。32歳の引退は早いですが、ボロボロな姿を見せずに引退するのもプラティニらしいですね。
ブラジルのジーコ、アルゼンチンのマラドーナと並ぶ80年代最高レベルの選手の1人ですね。誰が一番かとサッカー好きな友達同士でよく論争になりました。セリエAで3年連続得点王になるなど得点感覚はプラティニが優れていたんじゃないかと個人的には思います
ストッキングを下ろしたくなるのはプラティニの影響だねw
栄光と悲劇、天国と地獄、両方を味わった将軍。
「その男がボールを持つ時、フィールドは緑のキャンバスに変わった」
かつて私が描いたイラストのキャッチを、金子達仁氏が番組内で紹介したのは懐かしい思い出です。
10番こそが花形だったあの時代、プラティニはディエゴとジーコに並び立つ存在でしたが、単にプレイや比類ない得点力だけでなく、試合中も怒ったり笑ったりおどけたり。
豊かな表情で自然にチームを良い状態に導く姿は、キャプテンとしての理想像に見えました。
フットボール愛の伝わる素晴らしい動画ですね!サカつく5周年目玉はプラティニでした❗ロマーリオの動画見てさらにロマーリオも好きになりました😊
西ドイツの勝負強さは異常
延長で2点リードされてひっくり返せるか普通
フィッシャーのオーバーヘッドで同点にされた瞬間、
プラティニ、キレてました(笑)
エトリに「フツー、追いつかれるか!!」とか、言ってたのかな。
ぜひジャイルジーニョについて取り上げてほしいです!
トヨタカップでヨーロッパ勢の初のチャンピオンに輝いたのがプラティニのいたユベントス あの胸トラップからの左足でのゴールはしびれたな〜オフサイドだっけど
プラティニ!将軍、好きだったー
謎のお兄さんが編集したとは思えない素晴らしいプラティニ特集でした!
私が魅せられた最初のスーパースター、プラティニ
ヘイゼルの悲劇でプラティニはサッカーに冷めてしまったらしいんです。試合前にあんな大惨事、選手はプレーするのは辛いはずだよね········
デシャンを代表で選んだのは彼ですよね。
当時中学生だった自分はパトリックのプラティニスーパーゴールドというスパイクが
欲しくて親に無理いって買ってもらった記憶があります
子供たちに与えた影響はマラドーナと遜色なかったと思いますね
例の実況でいうとスーパーゴールのフレーズも入れてほしかったです
フリーキック1番うまいと思う!!ザ10番だね😮
イーフト新搭載でここにきました
「私は10番じゃなくて9.5番だ」本人は何よりもゴールをしたい選手でしたが、
ゴールよりパスの方が魅力的だと知らしめた選手だった。
ゲームを創るという事をまざまざと見せつけた選手だった。
引退後、就く職の政治色が強くなる度、明らかに目の下のクマは深くなり、やつれた顔になっていくのが辛かった。
プラティニは正真正銘の10番。引退して後に、Rバッジョがユーヴェで大活躍しだしたころに、自分の正当後継者といえるかという話になった時、「彼(バッジョ)はむしろ9.5番だね」と答えた。まだまだ自分には及ばないという彼特有のユーモアだったのかも。
「ゴールをするのが好きなんだ。だから、10番というより9.5番かな」って、言ってましたね。
確か当時、月刊誌だったマガジンかダイジェストかイレブンに掲載されていたインタビュー、憶えてます。
@@NanniniBenetton これは初めて聞きました バッジョの件は聞いた事あったけど、そうだとするとバッジョへの発言の意味も変わってくるかもね 自分の後継者として認めたということになる気がします
プラティニが自身を「9.5番」と評した話は現代サッカーでも話題になってるよ。
ゲームメーカー(昔)とプレーメーカー(今)のポジションや動きに強く関連してるからな。
特に欧州で。
@@武藤盛彦-i3i
そういえばトッティが活躍してた頃、話題になっていたような。
ゴール前に張り付いたセンターフォワードがいない戦術をとった時、1.5列目からトップ下がゴールを狙うってのが、目立ち始めたからだったかな。やたらとトップ下って単語を使っていたのを覚えてるわ。
6:55
プラティニ ゴール!
スーパーゴール!!
ビューティフルゴール!!!
よりフランス人らしいのはプラティニ。
三笘のリバプール戦のゴールを見て、プラティニのトヨタカップの幻のゴールを思い出した。
将軍プラティニ
すごいね。
うわあトヨタカップテレビで生放送観てたー