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職場での話ですが、周囲からみて、空気が読めなかったり 仕事の段取りが悪い人とか、ちょっと何か「ん?」てなった時に、あの人発達障害でもあるんじゃないか…みたいに話されてる時がありました。だからといって何かサポートをするとかでもなかったですし、相手を否定する言葉みたいな感じで発達障害ではないかと疑う感じが嫌でした。決めつけや否定ではなく、理解のために広がって欲しいなと思います。
とにかく皆余裕が無くてイライラしていますから…。イライラしているが故に他人の失敗に厳しくなってそれが自分にも返ってくるという悪循環が生まれている。こんな状況の中で発達障害、もしくはその傾向のある人間の居心地はますます悪くなっているのが現状。
X上でですが、発達障害のお子さんを持つ保護者の界隈が家族会に来た軽度の通級の母親の語りがうざかった、支援学校の重度の困り事とレベルが違うから同じ家族会にこないでほしいみたいな(重度障害の子の母親の)コメントがあって、発達児の親同士ですらこんなに判り合えないんだなって、世の中がしんどくなりました。
自称って、本物か偽物かっていう白黒思考から生まれる考えかなって思いました。実際にはグラデーションだし発達傾向がない人だって全く辛いことがないわけではないんだから、それを比べあって揶揄し合っても結局誰も得しないよなと思います。自称するからにはその人にとってそれ相応の辛さがあって、それは他人から見えるものではないし比べるのも難しいんだろうなと思う。診断の有無より何をするのが自分やその人にとって適合的か考えていきたいと思いました。
就職難で非正規での転職を繰り返した末に、発達障害診断を受け、障害枠て働いている友人がいます。彼いわく「本当は、発達障害か否かはどっちでもよく、障害枠でないと仕事の選択肢が無い」という事です。職場では地道な働きぶりが評価され、先日、勤続三周年を迎え皆でお祝いしました。(新卒後、四半世紀経って、三年続いたのは初めて)彼は「グレーゾーンなら診断された方が良い。症状を盛ってでも。どっちつかずは、自分も周りの人も辛い」とも語っていました。生きる為の術。だと。複雑な気持ちになりましたが、これも世の中の世知辛さを表しているなあと感じたものです。
ASD(診断済)です。自分が性格悪い自覚はしっかりあります 笑もういい大人なので礼儀正しくは振る舞えますけど、素の発想は意地悪だったり皮肉屋だったりひねくれてたり…って感じです(←それを一言で言うと『性格が悪い』)。それが特性由来なのか、それとも発達障害じゃなかったら全然違う性格だったのかは確かめようがないしこれは特性!これは性格!と医学科学で100%切り分けて立証するのも不可能でしょうから性格悪いのも特性故にめんどくせぇのもぜんぶ含めて私。ということで自分の性格(内面?)はそこそこ気に入ってます。でもその素の性格をTPO考えもせずにむき出しにしとくメリットが特に思い付かないので「可もなく不可もなく」程度で埋もれるための仮面は用意して生きてます。自分を押し殺すという意味じゃなくシンプルに打算、損得感情ゆえですね。いい人!素敵!と好かれる必要まではないけど他人を不快にさせる頻度が高いと自分が損するので。僅かにいるごく親しい友人や配偶者は「そういう性格悪いとこ好き」と面白がってくれてるから感謝してます。それ以外のその他大勢に素の性格を見せる必要は特にないよなーという感覚です。あと『素を見せられるのはかなり親しい人だけ』『コミュニティによって見せる面は違う』ということ自体は、健常者も性格いい人も大差ないんじゃないでしょうか。そのTPOや礼儀等のパターン学習が何らかの理由で難しい人、仮面の付け替えが著しく苦痛な人などはどうしても苦悩が強いのかなと想像します。
自称でも過剰診断でもとにかく働けているのが素晴らしいと思う。軽度のくせにとか自称のくせになんて思う余裕がない。異常にミスばかりだと冷遇されるし、だけれど発達だなんて言ったら雇って貰えないしクビになるなんで周りの人は出来るのに自分は出来ないんだろうとても辛いし不思議で仕方ない。なんで自分だけ?という気持ちが強いから自己中心的なマインドになっていくのかもしれない甘えと言われるのはとても怖いです
自称が増えても発達障害の認知度も広がり薬もある今は10年前よりずっと良いのではないでしょうか。高額な保険外の治療に騙されちゃだめだよと教えてくれる益田先生に感謝です。
自称の自閉症はいないのに自称のADHDは存在するなぜなんだろうか
ASD当事者です。視覚優位なので概要欄、とても助かりました。手帳持ち2級で働けませんが、本当は働きたいし、働くのが好きだけど、困ってることがうまく伝わらなくて、助けが必要と認識されず、いつも働けなくなります。自称でもなんでもいい、そういうびょうきがある、と周りが認知し、少しでも調べてみたり、知ってもらえれば、これからはスムーズに生きられる部分が増えるだろう、とポジティブに思いたい。新しい環境は皆障害なくても、苦手だと思う。わたしは、人の指示が理解できず、フリーズしてしまい、動けなくなる。周りが理解して動けてるのが羨ましくなる。もっと勉強して、周りみたいになりたい。その人が障害か否かではなく、"それなりにできる人"を私は目指している。興味深いテーマ、ありがとうございます。
分かります。不器用で出来ない人ほど一生懸命で、出来る時は全力で働いて、出来ない部分でつまづいて、理解されず「真面目な人だと思っていたのに、本性はやる気がない人だった」とレッテルを貼られるんじゃないかと・・・上司や同僚が持てあましているのが分かるんですよね「またやってるよ😮💨」って40才過ぎてやっと発達障害を診断されて、オープンにすることができるようになったし、障害者手帳もらえたので、ジョブコーチという支援を受けながら働こうと思っています。
「もっと辛い目に遭ってる人達はいっぱいいるんだから、その程度の事で苦しむな」っていうの出来ればやめてほしいな。
人それぞれだよね
昔言われた。この言葉、腹が立つよね。
出来ればじゃなくて、「死んでもそんな言葉を口にするな!」 11:42 って感じ(笑)
その手の言動は最大限無視するに限る。その手の言動する人は大抵話しても分からないから。
本当に。自分を納得させるために自分自身にそう言い聞かせるならともかく、なんもわからない他人に言われたらサツイ感じますよね…
ASDとADHD診断済みなんですがそれをいうと「誰でもあるよ」とか「自分もたぶんそうだよ」とか軽く言う人達が多いんだよね。発達障がい者の困り感を理解して言ってるならまだしもそうじゃないケースが多いのが違和感を覚えますね。
普通の人と程度がまるで全然違うよね。息を吸うように普通に出来ることができなかったりするから全然わかってないなって私も思う。でも普通の人達の「そんなの誰にでもあるよ」はそんなことないよ、とフォローしてくれようとしているみたいです。あなたも私も同じ人間だよと。こっちからするとそんなのいらないハッキリ言ってくれた方がマシって思うけどね。考え方がまるで違うから理解し合うって、難しいですよね。
先生がおっしゃっていたように、困っている弱い病気の人は心優しくて穏やかな人だと思っていましたが、就労支援事業所(障害者施設)に通うようになりいろんな障害者の方と接していく中で、ちっとも優しくなんかない、むしろ気が強くて少し意地悪な人が多いことを知りました。ずっと私は偏見を持ってたんですね、でもそのことを理解した上で皆さんとうまく仲良くするよう心がけてます😊
自分の欠点や弱さを全部自己責任にして自分を苦しめるよりは、遥かに精神的には楽ではある。
自分達と合わない人、ちょっと変わってる人を「発達じゃね?」「あ~」で済ませる傾向が一部あるように思います。発達障害の知識はなく。うつは「心の風邪」と同様に、認知度は高くなっていても、脳の病気であるとはなかなか理解が広まらないですね。様々な疾患について。
発達障害が亡霊のように実態が認知されないまま、普通と違う人=発達障害のステレオタイプとして広まってしまったんじゃないかな精神科医ですら一部の医者か診断できないレベルを素人が他人にレッテルを簡単に貼る本当に自分と合わない人、自分が苦手な人達を発達障害とラベリングして精神衛生はかってる人が多い気がするそして、自称する人は病院で診断されもしなければ行こうともせず、困ってる辛いアピールだけしてADHDだからといってしょうがないと自身にも他者にも開き直ったスタンスをするこんなのでADHDや発達障害が広まったと言えるの?健常者から理解されないでいいように悪用されてるように感じるけど
今の世の中、逃げ場がなさすぎるんだよな
日本人は自分を責めすぎだし、日本の周りの国の人達は、他人を責めすぎな感じはする。
その通りだ
いや、心療内科に気軽に行けるし、退職代行とか、不登校もありで逃げ場だらけだとおもうけど?
@@しゅう0524 それは言えてる
@@しゅう0524心療内科は気軽に行けないし、退職代行の値段みました?不登校も逃げ場ですか。その先の未来は?退職代行してやめた後は?仕事はそう簡単に見つかりますか?立派な経歴があればいいでしょう。不登校したらその後は?
苦しんでいる(いた)人に対して、パズルみたいに軽く言葉を当てはめて…それで思考放棄するのだけはやめてほしい。それはただの怠惰だと思うし、真剣に改善に取り組んでいる病気の最中の方たちや、向き合う精神科医さんたちに酷く失礼だと思う。
私は小学生の頃から過多月経で、毎月150枚ナプキン必要でしたが、貧血で倒れていると父に踏んづけられました。ひどさの度合いが見た目で分からない病気は、他人が理解するのは難しいですね。現状は健康な人がやはり有利ですが、医療の進歩で病気や障害を持つ人も増えているので、病気や障害の程度に合わせて働いたり社会参加したりできる社会になればいいなと思います。
以前よりも精神の事を語れるようになったと思います。自分より下の世代の方が絶望する事なく社会の制度を上手く使っているように感じます。
そもそも「自称」したい当事者がどういう心理で発達障がいを名乗りたいのかは単純に興味があります。勿論、発達障がい当事者の方々にとっては迷惑な話し以外何者でも無いですが、近年神経発達のワードも聞き馴染みのあるものになってきた今だからこそ、様々な方々の意見を発する場は必要かなと感じます。
診断済みの当事者からみた意見ですまず前提として診断されてなくても自分がADHDじゃないか?と本当に可能性があって医者に通院を考えてる人とはここでは除きます、それを踏まえて言うと自称発達障害、自称ADHDの人のほとんどが自称HSPと同じ心理で自称してると思いますADHDの言葉だけが広まった結果安易な表面上だけの情報だけが伝わりその結果障害の特性上あれやこれができない、社会で苦しんでる人が多いという情報以外偉人や世界的企業家、まぁ天才の中にADHDが多くいる、できない事がある代わりに何か特殊な能力が隠れ備わってる、ギフテッドとの何らかの関連性がある。と誤った情報が誤解したりする人が増えてきましたそこに障害の負の部分は免罪符として、そういったかつての人の功績や何か隠れた能力を障害を共通させてアインディティを形成しようとする人がいるのが多いんだと思いますよ自分は自称ADHDの正体の人達は実は自己愛生人格障害の人達だと推測してます。
心理ということなのであくまで一例として長いので飽きたら無視していただいていいです自分は30で発達障害の診断を受けましたそれまでは一般で働いてましたが社会にうまく適応できず、あらゆる精神疾患を経験し、また転職を繰り返していましたそもそも子供の頃から対人が苦手、相当の努力してやっと中くらいの学力、数名の会話の内容を一人だけ理解できてなかったりする、ゲームセンターのクイズゲームや脱出ゲームで一人だけついていけないなど、なんとなく頭の悪さや知的な問題があるんじゃないか思うようになりました30になるまでは健常者として生きてきましたが、家族には「多分、なにかしら障害がある」という旨の発言をしていたと思います診断を受ける前も受けてからも「健常者にしか見えない」と言われますなんせ周りからは普通に生きてるように見えてたみたいなので、友人や家族にあらゆるSOSを出してもまともに取り合ってもらえませんでした自分ではそのつもりはなかったけど、もしかしたら診断を受ける前の自分は傍からみたらファッション発達障害だったかもしれません今は診断がおりて自分のできる範囲の仕事をしていますが、一般で働いてた頃はどこで働いても上手くいかず死ぬことばかり考えていましたファッション発達障害に対して色々考えはあるかもしれませんが、もしかしたら自分みたいに本気で苦しんでて、それが冗談や言い訳に見えてしまう場合があるかもしれませんもちろん冗談で「自分は発達障害だ」という人もいるかもしれませんが、グレーゾーンや境界知能の方たちもいる中で、一括りにされるのもそれはそれで・・・という感じです
自称何とかやってける系発達障がいです。「ADHD 特徴」とかで調べてみて、当てはまってるものは多いけど診断はもらってないって感じです。「ADHD」のことを知るまではほとんど自覚が無かったものが、「ADHD」のことを知ったあとでは答え合わせのようになって、今までこんなに苦労してたんだって自覚するようになりました。それからは簡単に一言で自分を示せるものを得たと思って、ついつい「っぽいんだよね。」と言ってしまいます。例えば自分は左利きで26年間生きてきたんですけど、それがマイノリティだなって気になりだしたのはここ2、3年なんですよね。左利きのせいで仕事で躓くことがあって、それに気付いた瞬間に不便に思うことがどんどん出てくるようになりました。不思議ですよねw自分の場合はですけど、こんな感じの心理ですね。
自称発達障害という言葉を聞くと悪いイメージがありましたが、悪いことばかりではなくて、ブームが広まることで言いにくい人たちも言いやすくなるといういい部分もあることを知りました。私も嫉妬したり、余裕がなくて性格が悪くなってしまいます。でも、嫉妬するだけではなく、社会全体として考えることが大切なので嫉妬したら悪い部分だけではなく、良い部分も思い出して自分の感情をコントロールしていきたいです。本当に困っている人たち、届くべき人に届いてほしいと思いました。対立し合うのではなく、労り合ったり、助け合っていきたいです。思いやりを示していきたいです。
多いです!若い子みんな自分で言ってる子多いです。だから配慮して!って。いや、だから遅刻していいのか?なんでそれを配慮しなきゃいかんのじゃ?と思う事あります。診断されてる子すら遅刻は注意してるのに。💢本当に困ります。発達障がいあると許してもらえる、配慮してもらえると勘違いしてる。
自称系の悪いところですね。開き直って何でもしていいのはちがう。診断受けて障害者手帳もってる方が社会的適応しなければいけない所を工夫する。自称系ほど危険なものはないと思います。
そう。この動画は論点をずらしてる。自称○○なら犯罪でも何をしても文句言うなって主張を受け入れろって状態だから問題になっているわけで。ダメなものはダメ、病気なのなら対応策を一緒に考える努力は必須。それを全部ぶん投げて免罪符にしてやりたい放題する人のことを私は侮蔑と皮肉を込めて自称○○と呼んでいます。あと、大抵の自称○○はほぼ政治活動家・思想家で、バックに立憲・共産党等極左集団がパトロンしていることが多いです。もはや害悪でしかない。
あなたの投稿に精神的苦痛をうけました。若い子みんなってなんですか。みんないっているんですか?みんな?みんなですか?驚きました。私はリアルで発達障害を自称したことはないし、免罪符として自称している人をみかけたこともありません。SNSでみたんですか?
当事者から見ても、そういう自称系は本当に不快です。必死に、精神病みながら、何とか社会に適応しようと頑張っているのに、都合よく発達障害を使われていることに怒りしか湧きません。
すまんけど何度言われても出来ないから、そうやって自称して言い訳しなきゃいけないんや。いけないことをしてるのも、何故怒られてるのかも理解出来るけど、行動に移せない。言われて直せるような子は何の問題も無いんじゃないかな。自称する人が増えてるのは、「ADHD」が身近になって(まあネットで簡単に調べられるし)、それが一言で伝わるようになったからだと思う。引き合いに出して申し訳ないけど、LGBTの人も「LGBT」って言葉が認知されてからLGBTになったわけじゃないだろうしね。自分もそれまでは上手く説明出来なかったアレコレが、一言「自分ADHDっぽいんですよね。」って言うだけで示せるのが便利で使っちゃう。振り返ってみても、物心ついた時からとか社会に出てから特に性分が変わった覚えは無いし、多分生まれつき出来ないことがあるんだと思う。周りが赦してくれるから助かってるけど、社会の一部にはなれても会社の一員にはなれそうにないですね😅
発達障害って言葉がない頃に精神科に行って「他の人が鬱になると君みたいになるけど君は病気じゃないから薬もないし治らないよ」と言われましたが見分けて下手に治療もしなかったあの先生は慧眼だったと思ってます
大事なのは自分を知ること、特性をわかりやすく人に説明できること、その上で上手くやっていく方法を模索すること…かなーと思います。自他の負担のバランスが崩れなければ、関係性を持続できるし、トラブルも減らせるし、ストレスもなくなるかなーと。逆に、学校の先生や、会社の上司(という立場の人)などは、こういう特性の人たちがわりといる、ということを理解して、上手くつきあう方法を提案できるようになれば、人材活用がさらに上のレベルに行けるんじゃないかなあ。
発達障害に限らず、精神障害を抱える人はそのスペクトラムが黒に近づけば近づくほど、自分の努力や意志ではどうにもならず苦しんでいるけれど、それに対して「怠けだ」などと言う様に、周囲の人や社会が理解をせず優しさを向けないことが、さらにその人たちを苦しませる。そこに精神医学的な人間の捉え方を持ち込めば、「この人は○○障害(病)だからこうしてしまうんだ」という理解ができ、配慮や優しさを自然と向けられるようになるのが、社会全体的に人間のマインドを変える精神医学の存在意義だと思う。自称が増えるのも、過剰診断になっているのも、その存在意義を借りれば苦しみが少し和らぐのだから、自然な流れだとも思う。そうやって精神疾患に対する理解が広まっていくのは良い事だし、益田先生が仰ったように、人間の捉え方が社会的なレベルで変化していると常々感じる。一方で、病名があれば理解してもらえるということは、病名がなければ優しさや配慮を受けられないということでもあり、目に見えるものしか信じない、そんな社会はなんて不健康なんだろうかとも思う。自分も仲間内の対立、不幸比べ、自称なのかとかでモヤモヤしていたので、それは嫉妬心だと説明されてモヤモヤが晴れ良かったです。
正直自称発達の定型成功者とかインフルエンサーがほんとの発達障害のハードルを上げてるのが一番の問題だと思う
個人的な意見だけど、芸能人が売名的に発達って言葉使ってるとはらわた煮えくりかえる思いがする。幼い頃からずっと普通になりたくて、努力をして、それでも上手くいかないのに無駄な努力を色々な意味で辞めれない深い苦しみ、絶望感、孤独、成長できない頭。全てをコケにされて馬鹿にされてる気分になる。
診断済であれ自称であれ、大事なのは発達障害があるから何なのかってことだよね発達障害だから仕方ない、許してね!なのか、発達障害だからこういう傾向があるからこうしてみよう、こういうやり方を使ってみようなのか…
ただのアピールじゃなくて、最終的には障害あるなし関わらずお互いを理解しあう、助け合っていきたいっていうために開示することが理想的なのかなと思います。傷ついてる段階、相談できる相手を見つける段階、その先……って心の整理がついていけばいいんでしょうけど、知識や言葉が広まっていくと収拾つきにくいこともあるでしょうね。。
病院での診断はもちろん大切ですが、自己診断がなければ病院への導線が希薄になり、症状の悪い人ほど医療を受けづらくなる気がします。実際に、日常生活で支障をきたしていればそれ自体が社会的・本人的には問題となります。診療を受けて効果的な治療に向かうことが本当は良いのですが、ネットや本などメディアの情報を自分に当てはめている方もいらっしゃるかと思いますが、自覚があらゆる医療において治療の始まりになると思いました。そこのバランスも踏まえてのお話だと思いました。甘えの問題も、下手をすると精神的な自傷行為につながってしまうと思います。
自分はグレーゾーンです自分は自認はしていても自称することはない稼げてはいるから自称したときのデメリットが大きすぎる
ファッションASDは少ないと思う
自称ADHDは増えたと思うけど自称ASDっていない……ちょっと普通から外れて間違えたらすぐアスペアスペwってばかにされるし……発達障害という言葉が広がって、ASDに対する世間の差別意識が強くなったように感じます。いい方向に向かうならいいけど障害持ちな事で中傷されるならブームとかいらないならそっとしておいてくれ……て思う結婚4年目の旦那がいますが、未だにASDが何かわかってないし、平気で会社の人の事をあいつアスペかよwって言うし、発達障害という言葉が広がっても中身は知られず偏見ばかりが広がってる感じがします。私もネットで発達障害という言葉を知って大人になってから気づいた身ですので。生きづらさに気づいて診断受けられる人が増えるのはいい事と思うけど、偏見っていう困り事が増えた。
家族に、ADHDの者がいますが、常に新しい事(呼吸法とか運動など)を取り入れようと、一生懸命、動画や本から探して、実際、自分が良いと思った事は、家族にも、紹介して、しています。感心なくらいです。こんな感じでいいと、私達も思っています。😊
障害というと、絶対的な所見の基準があって、それにそぐわない場合に診断されるイメージがありました。しかし発達障害が診断が増える要因として、社会で求められる基準が高くなっているという所をお聞きして相対的で社会適応の障害でもあるのかなと思いました。社会が生み出している所もある様な気がしますし、今後より高度な社会になり、適応出来ない人の割合が多くなると、もはや障害との線引きが難しくなってしまうのではないかなとも思います。
きちんと診断ができる医師が少なすぎるというのが問題なのではないでしょうか?専門外来があっても初診の予約がなかなか取れないようですし、大人の発達障害は診察しないというクリニックもあります。発達障害について詳しい益田先生のクリニックも予約を取るのは困難ですよね。問題のある人がいるので、診察してくれる病院を教えてもらいたいです。
診断済みで人生ハードモードだった身からすると、自称は診断ウケてないのに免罪符みたいでお気楽でいいよなっていう苛立ちを誘うかも。あくまでお気持ちだけど。あくまでスペクトラムなので、グレーゾーンの人も症状強い人いるから、なんらかの医療処置は受けられた方がいいと思う。あと、ハッタショとかいう差別用語をネットで吐く人が結構散見されるので、何とかならないかなとは思う。
差別用語、わたしもよく「◯◯学級いけよ!」と小学生の頃言われた記憶が蘇ります。みんなに支援学級いってることがばれるのが怖くてその学校ではなく違う学校の支援学級にわざわざ通いました。医者行くのもすごく抵抗あって、予約してもキャンセルして繰り返してやっと1年前にいけたけど、医者に本当のこと伝えるのが怖いです。当たり障りなく自分の話ではなくまわりで起こった出来事だけたんたんと伝えています。
新しいものを受け入れるには自分の価値観を見直す過程を伴います。自分の大事にしてきたものを部分的に否定することが多いので一歩を踏み出し辛いのではと推察いたします
私は、有名人や政治家が発達障害を公表する時に世間が「うそをつくな」「いや、それはお前の性格が悪いだけだ」という攻撃的な目で見られ(私もそう思うことはある)、それらと同じ目で見られてるのでは?という被害妄想??があります。誤解への恐怖と益田先生の言う「嫉妬」が混ざった感情だと思います。
発達障害をカジュアルにするのは悪くないと思いますが、私は、診断される前、たまたま入った会社との相性が良く、仕事ができる人として働いていました。仕事を辞めた後に専業主婦になり、その生活が合わなかったようで精神を病み、通ったクリニックで発達障害と診断されましたが、もし就職前に診断されていたら、自信を失くしてあの会社には入っていなかったと思うので、発達障害を名乗ることで、どんなメリットがあるのか知りたいです。
自称する時点で何かしら困ってることはあるのだろうから(遅刻とか先延ばし癖とか)、何とも言えない…。もちろんそれを免罪符にしてるのはダメだけど、自責の念や自己否定感を、自称することによって軽くしてる人は多い気がする
困ってる人とそうでない人はわかるよ本当に困ってる人は自分がそうかも、、って思って、病院に行こうとする今は診断も受けずに病院に行こうともしないのに免罪符や承認欲求ツールでアピールしてくる人が多いから嫌がられてんだろう前者と後者は別物
発達障害を免罪符にしたい人こそ、積極的に受診して診断名をもらいたがるイメージがあるのだけど…そうでもないのかな受診もしないけど発達障害を自称する人ってどういう心理なんだろう
私は受診はしているけど診断はつけてないタイプですが…(一応精神科自体にはかかってはいます 双極での治療しかしてない)主治医に相談できれば1番いいのかもしれませんが、今何が一番困っているかの優先順位によって話をするので、私発達障害かもしれません 理由は○○なので…って言う話はしていないですね。感覚過敏でこういう音が苦手マルチタスクが苦手で超不器用こういうことが自分の中でわかってきても、診察時間の中では隠します笑(おそらく主治医にはバレてるかもですが)それよりも悩んでいることから先に伝えているので…精神科にかかってはいるけど、発達障害という診断はつけたくないタイプは私みたいな感じかもです。ちなみに双極性障害と診断はされていますが、障害手帳は持っていません(手帳を持ったら、いい面があることももちろん知っていますが、そのメリットよりもデメリットが大きい場合はわざと今は取得しない)困っていることがあるのにそもそも精神科に一回もかかったことのない人は精神科のマイナスイメージが大きい(世間の目や自分が精神科にかかるって…って思っている)場合が多いと思いますよ。
バイアスについて当事者の家族です。いつのまにか「発達障害はこういうもの」と知っている気になりがちで、気をつけないとなと思います。福祉関連の人と私と、間に発達障害の当事者(家族)をおいて、外からおたがい「これが本人の課題だろうな」とアタリをつけながら話す機会が多いです。当事者自身の行動や、当事者と社会の関わりについて、課題と思われることについて、共通のことについて話していても、おたがいに価値観や前提が全然違うために、話が噛み合っているようで全然噛み合わない。しかも本人を置き去りにしている。こういうことをずっとやってしまっているのではないか、とよく思います。
自称発達障害に対して「本当に困ってるならとっくに診察を受けに行ってるはずだ」と言う人が多いけども、自分から病院に電話をかけて予約を取って診察を受けに行くってのがそもそもハードルが高く感じて先延ばしや透明化をしちゃってる人も多いんじゃないかな 明らかに日常に支障があるのに「そこまででもない」と自分では思っちゃうとか、でも自己否定感はあってその逃げ道として発達障害を免罪符にしたい、でももし診断がおりなかったらその免罪符すら使えなくなる、そう思うとよりハードルが高くなる…みたいな具合ではないか
だとしてもやっぱり問題を解決するにはまず何より診てもらうしかないし、いつまでもクネクネその場足踏みしてたって何も変わらないんだけど自分も「俺ってそうかも」と思ってたくせに、実際に診察を決意するまで3年も4年もダラダラしてた身だからその手の人達を否定する気にはなれない
10:02 軽度発達障害で、過剰適応を起こしている場合、全く気づかれないし、周囲に「発達障害かも」と言ってもまず否定されます。自称を問題視した結果、こうした人が診断を受けにくくなるのは避けたいですね。
私も家族に言ったら「性格」といわれました。よく天然・不思議といわれます。そしていつも反射的にヘラヘラ笑うのでふざけていると思われてしまいがちです。
精神医学や心理学に興味があり、ここで勉強させて頂いています。"夫が朝行って来まーす"と玄関を出てもほぼ毎日忘れ物で戻ります。財布、ハンカチ、Suica、水筒、ボールペンなどです。書類の紛失でゴミ置き場まで探したり、外出先で財布を紛失して警察に届出るなどなど。もう結婚して30年以上経ちましたし、仕事ものめり込むタイプで頑張り屋さんですが、近くでみていてもしかして?と感じます。グレー🩶なのかな。まあ、支えますけど。海外出張の朝パスポートを忘れたと空港から電話があり私が車で空港に届けた時は、流石に...まあ、これからも色々とある事覚悟します。
広まるのは良いが悪用はされたくない。でも悪用されるくらい広まらないと認知されないというジレンマ…。気軽に自称できる今でさえ正しい知識を持ってる人、持とうと努力してる人はどの程度の割合か。
グレーゾーンとして診断されて日常生活で苦しんでるけど、最近本でも自称の人増えた気がするな。本読んでも作者はちゃんと医師から診断されたのか?何で薬飲んでないんだろう?って思うな。自称の人が本出版して発達障害でビジネスやるのもやめてほしいよ。
グレーゾーンて障害手帳貰えるの?
貰えないから普通の人と同じように就活して普通の人と混じって仕事してます。
未だに生活保護を受けて生活してる人への嫉妬や偏見のコメントを他で目にすると悲しくなりますねぇ
の精神科に通院していることを家族に打ち明けても、「特別支援学級に通う人」「知的障害のある人」といったイメージが先行してしまうようで、なかなか理解してもらえない状況です。社会的な認知が進んできたとはいえ、メンタルヘルスに興味関心があまりない人にとってはまだまだ差別や偏見があると感じます。動画の中で話されていた「疾病利得に甘える」という言語化が鋭い指摘だなと思いました。
最初は自称でもいいから病院に行ってほしいですね。甘えだと思って足掻きましたが結局時間を無駄にしました。症状を主張するのは大切です。
ネットで質問の回答者をしていますが、精神科や心療内科で診断された訳でもないのに、自己判断で○○障害と名乗る人が非常に多くなってきたなと感じています。本当に障害を抱えている人からすると、安易に障害者振られることで、間違った解釈や偏見、認知の歪みがうまれるので、タイトルのような「自称」というのは是非止めていただきたいと思っています。病気や障害って、そんな生ぬるいものではないので…。あの問題と同じです、「ファッションとしてのヘルプマーク止めて!」というやつね。
本来その障害じゃない人達が、障害を盾にして周囲や社会にあらゆる事を許容を求めたり障害を理由に開き直る事がいい事じゃないと思うそれをやられてる人は心理的にも嫌な気持ちになるし、公私共に被害を受けるでしょう本当に理解されてなく、ADHDで苦しんでたり、障害を隠して周囲に迷惑をかけないようにと努力してる人達からすると凄い複雑な気持ちになると思うADHDの言葉が広がる事と"adhd"がADHDじゃない人達から悪用される事は全く別の話しだと思うのですが、なんでここを混同する人が多いのでしょうそもそもADHDが認知されてきた。というが実はそうじゃなくて言葉だけが一人歩きしてて実際の概念は認知されてきておらず、それ故誤りや誤解した情報や偏見も広まっていますし特にパーソナリティ障害の人達をみて、パーソナリティ障害の名前は知らないから普通とは違う人は発達障害なんだというステレオタイプから発達障害と間違ってレッテル貼る人達も多くみられます自分は診断された医者からは精神科医でもADHDや発達障害をきちんと理解してるのは一部しかいないと言われました。そのくらい難しいジャンルだそうです本当の認知とか広まるとかはADHDについての正しい理解が社会に広まる事なのではないのでしょうか?ADHDの当事者より、、
障害は個性と考え批判する人には色んな人が居るからねぇと受け流す時代であって欲しい。完璧な人間はほぼ居ないと私は思っています。昭和時代は、お味噌の足りない子で済んでいたけど今は病気として扱われる。先生のおっしゃる通り個性に気付かない方が求められるレベルの高い所に身を置く状況が増えているのかもしれませんね。己をよく知り受け入れ身の丈に合った場所で咲けるような支援が必要と思います。
わいグレーゾーン診断なのである意味ファッションなのよね。ちゃんと診断おりれば薬飲んだり対策も取れるのに傾向だとどうしていいか分かんない。今かかってる先生が話し聞く限りADHD+ASD併発ぽいねって言ったのに心理検査で凸凹見られないから診断できないって躁鬱病方向に持っていこうとするから病院変えたいんだけど時間も金もかかるので結局こまねいてる(´;ω;`)益田先生のとこ行きたいのに初診予約取れないし。人気アイドルのライブ並みの即完売具合なんですけど(´;ω;`)ドウナッテンノ
辛いに差なんてないよ…みんな辛いよ…
そうか、私は性格悪いのか😢(ASD診断済)
ASDが性格を悪くしていると考えることはできても、自分自身が性格が悪いとは考えなくていいと思いますよ。
@@77ItaNK 様ありがとうございます😭障害の特性と自身の性格を分けて考えるのですねその発想はありませんでした大きな気づきを得ました🉐ありがとうございました😭
@@岩崎峰子-x1o こちらこそ返信をいただけて嬉しいです!
アベマの討論では詐欺や不安を煽る商法について警告されていましたが、概要欄を軽く見た感じ原因についてより詳しく知れそうなので楽しみです
自称する奴はなぜ病院に行かないのか本当に困ってる奴は病院に行って(もしくは連れて行かれて)診断を受けてる
私は知り合いに精神病院は恐ろしい場所だと教わりました。実際医師を目の前にすると緊張してしまいます。身体中に発疹ができて水膨れになった時も皮膚科に行かずに我慢しました。痒くて死にたいような日々を1ヶ月ほど過ごしたらだんだんとかさぶたになって治りました。医者は怖いです。特に看護師が怖いです。看護師に虐められた経験があります。自称する奴、困ってる奴、ってなんか悪者みたいな言い方ですね。犯罪者なのに何故刑務所にいれられないのか、みたいに言われてるように感じてしまいます。違ったらすみません。
人間には個人個人にキャバがあり、その範囲内で、当時の価値基準に合わせて努力して来て得たものがあるので、新しい物事を受け入れるためには「手放す行為」がセットになることから、手放す対象に努力が伴っていればいる程に、それがなかなか出来ないという気がしています。(逆に楽しんだプロセスを経て、手に入れた物事は、割と簡単に手放せちゃう、困った)
メンヘラもですがカジュアルに使われることで認識が広まるのは良いと思います。神経質にタブー扱いするよりオープンに話せる社会になれば、私も~と共感できることで楽になる人はいると思うんです。病み垢さんと繋がりたい、みたいなハッシュタグで繋がることで居場所を見つけてる人も増えてますし。大切なのは先生のおっしゃるように私の方がつらいなどと張り合わないことですね。張り合い落としあいをして共倒れになったりエスカレートしてしまいますから。
そういうもんじゃないよ。発達障害って知識もないのにカジュアルにファッション感覚で自称されると認識が広まるんじゃなくて本当の発達の誤解と偏見に繋がるそして、当事者達が本当に言いづらくなったら本末転倒になるし、なってる。発達障害の人も辛いとか張り合ってるわけではないけど、本当の苦しみ抱えるてる人が免罪符のように自称されてたらそりゃいい気持ちしないでしょうあと、精神科医の医者って実は全部の精神疾患やパーソナリティ障害、発達障害に精通してるわけじゃなくてこのジャンルは強いけどこのジャンルは弱いとかあって中でも発達障害って難しいジャンルで発達障害に詳しく理解してる医者って一部だったりするこの先生は盲信してる信者は受け入れたくないだろうけど、発達障害やADHDのジャンルについてはあまり詳しくなくて理解弱いよ当事者だけど発達やADHDの説明については頓珍漢な事言ったり、間違った情報言ってる事多い
最後に益田先生が宇宙の話をされていて、人間の存在自体を俯瞰的に見ることが出来ました
以前薬局に勤めていた際、薬剤師長から『貴方は発達障害を持っている』と何度も言われていました。私の仕事の遅さ、理解不足からそう言われていたのですが、相談しても主治医からは『貴方は発達障害ではない』と診断されています。社会からは発達障害だと言われ、かたや医療では違うと言われている現状に疲れ果ててきました。増田先生の動画で理解を深めていきたいです。
ネットによく書いてある発達障害セルフチェックと、医療が行っている発達障害診断は全然違いますからね。医療のは基準が結構厳しくて、自分も明らかに仕事できない等の発達障害的な困難があるのだけど医者の診断結果は白でした。かたや自分の知り合いは仕事バリバリできる人だけど黒の診断がでていました。しかしまあ人格的に酷い薬剤師長ですね。
【宿題】私自身 安定安心を好むタイプでしたので 変化を嫌いましたね。 何か普段と違う事をする事やいつも通りに動きたいのに 変化を好むタイプの上司になかなか付いて行けず、無理をして疲れ果てました。しかし 鬱になって 今は 変化はストレスって事を知りましたから それはそうなんだと素直に受け入れて それでも ある程度の変化を楽しむ自分に余裕のある考えができる様になる事の必要性 そうする事で 自分が楽になる事を学びました。 答えになったかどうかはわかりませんが、すみません😅
増えているって言う言葉に安心するのかどうかわかりませんが、、、個人的には適応範囲が広がっている、精神科の都合で「患者に入れても問題じゃなくなる」と言う感じがやはり見受けられるんですよ。精神科で「これだけ検査項目あるからそんな簡単には騙せない」というが、そう言う変な人はドクターショッピングを繰り返し、Yesという先生に辿り着こうとする行動にでますから。そんな人でも確実に弾けるんですか?多分答えはYesじゃないと思います。しかもそんなドクターショッピングする人すら、別の病名つけそうですし。医者がそんな人を突き放して「あんた仕事サボってるだけや」と言い切ることあるんですか?あるのならまだしも、私は無理だと思いますし、その仕事をサボってること自体に病名をつけていく医者、だから鬱や発達障害適応障害という診断が下った人、確実な原因があるのならまだしも、どこか苦しみながらも働いている人らからすると信用できないんです。
意地悪しないですよ。asdですけど、貧乏くじばかり引いて嫌なことも我慢して頑張ってやってましたよ。定型発達の方が息を吐くように意地悪できるなぁと感心しますよ。
曖昧で軽薄ならば、カジュアルに流行る意味がない。本当に苦しんでいる人を更に追い詰める。カジュアルな流行り方で病名をネタにする傾向がある。病気の理解が本質から外れてしまいます。何事も自称系は危険な方々です。ネットの自己診断で自称するのは本当にやめてほしい。
課題に対するコメントなのですが新しいものを受け入れるのがとても苦手です身近なものでは今まで知り合いとのやり取りはメールを使っていたのですが「LINEで話したほうが楽では?」と言われ使い始めるまで精神的に葛藤というか悩みがありました結果的にLINEを使い始めたのですが既読はついたのにすぐ返さないと失礼なのでは?こちらから送っても既読がついたのにすぐに返してくれないのでは?と精神的にはなんだか首輪をつけられた気分になってしまいました新しいものを受け入れると今までの自分のやり方を否定された気になったりする部分もあり本当に自分は面倒くさい人間なのだなと感じています。ただ全部を受け入れたくないのではなくやはり「受け入れれば(使いこなせば)楽になる部分もある」というものもあり越えるべきハードルがほかの人より高いのかもしれません
社会の変容、そして経済の発展は、違った種類の精神疾患の発生を呼び起こすと思います。私の予想・希望としては、社会的な全体的利益を考えて、そうした人たちを社会に適合させる研究が進んでいくのだと思います。結果、精神科医のサポート、技術の進展は益々必要になると思います。
仕事のマルチタスク化や学校で求められる平均レベルの増加によるものじゃないかな昔なら忘れ物が多い子 字が雑な子 運動が苦手な子 友達づくりが苦手な子 とかある意味個性の1つとして受け取られてたものに ASD ADHD DCD とか診断名がついてる気がする
自分も診断済みだけど、「これってみんなそうじゃないの……?」が多すぎて、自称が増えている、と聞くたびに私も医者にアピールして診断貰っただけの自称なんじゃないかってモヤモヤすることがあります😂でも薬がよく効いてて だいぶ楽になりました
私は発達障害当事者として「自称発達障害」が増えていることが不愉快です。その人たちに限ってASDやLDではなくADHDを自称することが多いことも不愉快です。益田先生の仰るコアな人たちだけではなくカジュアルな人たちも医療に繋がることが大事であるという指摘や、それによりコアな人たちへの理解が深まるという論理には同意できません。これからも私自身のために知識を深めていきたいです。
なぜ不愉快なのですか?診断されず、出口の見えないトンネルで踠いている人間としては、自称者の背景も思考も何も知らない人間がそういう人々の苦悩を「不愉快」と言い捨てる投稿を見て、精神的苦痛を受けました。この動画を見にきている人は私のような人も多いと思います。つまりあなた様は、そういう悩んでいる人たちに向けて「不愉快」という言葉を放っている、ということです。個人の感想は自由であると思いますが、ここでわざわざ投稿する行為に悪意を感じざるを得ません。追記私は子供の頃からADHDを周囲に疑われて過ごしてきました。検査をして結果は行政が握り隠蔽されたのですが、IQに関しては正常値よりやや高いと言われ、知的障害の心配はないと家族に知らされました。原因不明なまま支援級も通いつつ、自分はちゃんとできてるはずと思い、家族に引き取られた後は家族に「もう少し頑張れば、やればできるよ」と励ましてくれて、家族もアスペルガーの本を買って「当てはまらないからあなたに発達障害はないよね?」といって、その通りだと信じて生きてきました。大人になってから急に発達障害がトレンドになりました。そして過去を振り返った時に何故周りがわたしを蔑んだのか・悪意や敵意を持って接してきたのか・皆が当たり前に私だけうまくやれなかったのか・さまざまな失敗がADHDと結びつき精神科受診を考えました。何度も予約して取り消して繰り返しやっと受診できたのが1年前です。先生に「発達障害を診断することはできない。とりあえずうつの薬を飲んでダメだったら検査しよう。今検査はおすすめしない」と言われました。そして発達障害を診断されてしまえば、私は嘘をつけないので「発達障害があるか」ときかれたときに否と答えられないし言っても顔に出てしまうから怖いのです。これが逃げであることも分かっています。なぜ不愉快と思われるのか疑問です。診断されている人ですら、同質的な人間とは限らないと思います。未診断で悩む人間に対して何故、2回も「不愉快」と言うほどに憎しみを抱いたのか、経緯を知りたいと思いました。
先生は素晴らしいお人柄ですね。見ていてとても安心してしまいます。とても努力なさり修練を積んできたんだろうなと思います。苦しんでる人や困った人をただただ助ける慈善活動。ただただ尊敬いたします🙏ありがとうございます♪😊
自称強迫性障害(強迫神経症)も増えていると思う😵神経質とか潔癖とかとの境目が分かり難いこともあるのかなぁ?😢理解が深まるならいいけど…🥺
卑怯者が免罪符として悪用してるから本物の立場が悪化するんだよ
自称って単に逃げ目的で「優遇しろ」しか言わない人が多い。しかもそういう一部のヤバい人って何でもそのせいにして、本当に病気の人のイメージを下げる。本当に病気の人って、現実からは基本的に逃げれないはずなんだが…診断は重視してほしい。いわゆる「ただの自称」では終わらせないでほしいね。
自分は障害者手帳を外で出すのが恥ずかしいのに…。なんで自称が増えるのかと思う…。
自称が増えているのだとすれば、やはりそちらのほうが得、楽だと「なんとなくのぼやっとした印象」があるのではと考えてしまいます。もちろん「なんとなくぼやっと」なので、不勉強であったりの無知ゆえなのでしょうが、そういう思考に至ってしまうほどに「自分たちの人生そのものが苦痛」と感じている人が多いのではないでしょうか。もしかすると自称云々は発達障害に限った話ではなく、「どれだけ弱者性を獲得し有利に振舞うか」という意識が、うっすらとでもあるのではないのでしょうか。「日本にいれば、即座に衣食住には困らず銃社会でもない」と、いいところに目を向けようと思えばできるのでしょうが、今は(昔も?)「助けを必要とする弱者ですら、分かりやすい弱者であるほど助けられやすいため、弱者の中でも弱者性を競う競争が発生する。結果、声すら上げられず認知すらされない弱者は助けられない」というような意見もあります。このような意見を見るにつけ、度々言われる「誰一人取り残されない社会云々」というスローガンが、いかに空虚なものであるかと感じざるを得ません。実際、有形無形(おそらくは他人を思いやる心でさえも)のリソースは有限なので・・・。かと思えば、メディアやSNSを見渡せば特に苦痛もなく経済的、社会的に恵まれた(表面的にはそのように見える)人々のきらびやかな生活が嫌でも目に入る。「自分はなんて恵まれないんだ」「いくらなんでも格差が広がり過ぎじゃないか」「この社会はおかしい」嫉妬や偏見に基づいたものであったとしても、そういった意見が出ること自体は不思議ではないと感じます。先生のおっしゃるように我々は宇宙の真理を知りませんが、おそらく多くの人々は宇宙の真理以前に「明日の食べるもの、現実の苦痛を和らげるための目の前の快楽娯楽」なのでは・・・と、どうしても暗い方へ考えが及びます。
言える社会ってひとつ成熟したのでは…当事者(自分)はそこに甘えてアグラをかかない、でも周囲に期待しない、苦しみ過ぎず怠け過ぎず、バランス大事。学びによって自分自身の視野も少し広がりました。世界を変えてくれましたのはドクターです。
自分も自称発達障害かもなあ。発達障害というものの存在を認知し、近年急激に増えたと耳にして「これは潜在的なものが認知の広がりと検査技術の進歩で判明する様になったのだな」と考えた結果、人生を振り返り、若い頃の失敗の数々を「あれ? 俺もそうだったのか?」と思ってしまうのはあるあるだと思うのです。この場合、発達障害は特に否定的なニュアンスではなく「あんな失敗したけど、俺がガチ低能とか、不真面目だったんじゃなく、自分でも気付いてなかった病気の様なものだったんだから不可抗力だったよな」という「自分への言い訳」として機能する感じですね。既に人生を大過なく送った後だから言えることですが。
発達障害を自称することより、人間には能力に差や偏りがあることを皆が知る方が良いと思います……発達とかADHDだとか名前をつけるのがよくないです……カテゴリにはまって安心するんでしょうけど何でもかんでも努力不足問題もあるし周り見てると健常者と言われる人もほとんどの人が精神疾患か障害なんじゃないかと思っちゃいます自称が嫌な人は軽いと思われるのや、自称の人の自虐ネタのせいで怠けなど間違ったイメージがつくことに困っているんでしょうね自称の人からじゃなくてもよくADHDの人がそのくらい私もあるある〜って言われるの本当に困ってるしそれに自虐を聞いた人達は、それを侮蔑として他人にやりだしますお笑い芸人のいじりをテレビで見て周りにもしだす人と同じです……悪気がなくてもやってしまい広まります……そしてア◯ペとかガ◯ジとかそんな単語になります先生のいうように本人が思うことは悪くないけど、周りはこうなっちゃう話が結構ズレちゃうんですが自責ではなく他責の人の話をもっと聞いてみたいです悪く自分を愛しすぎてるなにをいっても響きません……
いつもありがとうございます。自分の兄弟が障害者なので、発達障害を含めたメンタル疾患の方も、困ったこともたくさんあるだろと思います。自分もメンタル疾患の当事者ですが、薬を処方され仕事が出来ていたのに、急に体調が悪化しても会社には信じてもらえなかったこと。主治医に相談すると休職しませんか?と言われ、どちらも戸惑いました。自分の葛藤と家庭の現状の間を取り、薬を多めに処方してもらい、もう少し仕事を続けたいとお願いしました。結局、それが職場の上司や仲間の印象を悪くしてしまい。身体にもそのストレスが出て働けなくなりました。2度目に主治医から、身体が限界だと言ってますので休職しましょう。その言葉にやっと休めると休職。職場は早く戻って欲しい、主治医はゆっくり休みましよう。その狭間で悩みましたが、一旦退職しませんか?と上司の助言もあって退職しました。仕事から離れて半年過ぎましたが、身体は少し楽になっても、心の傷は簡単ではないと思ってます。最初に休みませんか?と言われた時に休めていたら、心の傷は浅かったので、いま頃他の仕事なら出来てたかも知れません。また長文になり失礼しました。
そもそもの出発点として、「自称」発達障害って何だろうか...①診断された結果、自称する②診断されてないのに自己判断によって自称するこの2つのどちらを論じるかによって、話は大きく変わりそう😅(ちなみにどちらかと言うと、視聴者からすると先生に扱ってほしいのは②の問題だと思う...)
この解釈が正しいのかは分からないのですが、精神科医からの警告というのは誰に対しての警告なのかを考えました。私が思うに、発達障害についての周辺層ではなく、まさにコア層に対する警告なのだなと考えました。コア層が周辺層に対して、お前は本当に困ってないではないかと不平を言うのではなく、そもそも発達障害という今の枠組み自体を内破し、新たな枠組みへと作り変えるための準備を進めるべきなのだとコア層に訴えかけようとしたのだと考えました。
人は自尊心(プライド)が大切で、けれど厄介でそれゆえに傷つけられる場所から逃げようととすると。傷いたプライドは生きる意欲さえ失っていく恐怖を持っている。子供頃から挫折を繰り返し立ち上がった体験は、傷の擦り後に出来る瘡蓋ぐらいにしか思わないかもしれな。子供頃の過ごし方が物の見方を変えていた時代の通過点かもしれない。とはいえ若者の自殺が増している今、生きにくい社会の抱えている闇は大きい。
発達障害ADHDとASDです。よく、「話が通じない人」、「注意しないといかけない」イメージを直接言われて受け止めきれなくて苦しかったです。そのため、人間関係作りで長く続かないことに葛藤と悩みを抱いてます。益田ドクターが発達障害のことをオープンに周囲に話しても良いと話してくれて嬉しかったです。
人からの意見や考えを聞きたくない時は結構あります。本当にいいのかとか自分の場合は合わないんじゃないかとか自分の考えの方が正しいとか。でも自分だけがしたい事や自分だけの考えで生きてると視野がとても狭くなるのは最近分かってきてるし変化に適応出来ないと色々と大変というのも分かってるので日々なるべく柔軟にしたいとは思います。宿題と合ってなかったらすいません。自分には少し難しいですwww
診断を受けず通院もせずに「○○なんだよ~」って言われると、当事者として哀しくなる・・・
本当に迷惑ですよね。やめてほしいです。
発達障害のお墨付き欲しくて精神科行ったら、「そそっかしくて人とのコミュニケーションが苦手な境界性知能の持ち主」って診断されたスレ主を思い出すなぁ
人への攻撃やパワハラ、仕事の押し付けを正当化するために自称発達障害を主張する人が周りに増えていて怖い。
内容が濃くて良かったです新しい概念は語り継いでいくしかないのでは?ECTが未だに、そして今後も使われる手法であるように(ちょっと違うか)
益田先生はヘーゲル的に世界を捉えているんだなと感じることがしばしばあります。それこそいつかの動画でアウフヘーベンという言葉を使ったりしていましたし。でも、誰もが弁証法的に矛盾を超克できるほど柔軟な思考を持っているわけではないので、新しいモデルと言ったところで、本当にそれが広まるのかは難しいところだよなと思います。それこそ、人文系の分野で新しいモデルを提示した人がいないみたいな話をされてましたが、私はそんなことはないと思います。多くの哲学者が既存の枠組みから脱し、新しいモデルを提示するよう努めてきていると思いますが、そもそも人文系の学問そのものが軽視されているから全く認知もされないという印象です。新しいことに対する葛藤については、自分はもうそういう葛藤は起きてしまうものだと割り切っています。とにかく思考は絶やさず、いずれ気持ちが落ち着くのを待つようにしています。
自分が発達だと気がついたのは自閉症の子供いる元カノにあんた発達やでいわれてからそっから過去振り返ったり家族全員当てはまってた特に母が酷くASD,ADHD,LSDある一度父親が頭おかしかったので、精神科いきなしいいうたら癇癪おこしたことあるが、姉も頭おかしかったけど自分だけ精神ばっかりいわれててこの前カウンセリングうけて手帳までとった。発達の人って自分で気がつかないこと多い(他とズレテル感覚ない)だから自称してきて悪用しようときてる人いると本当に困ってる人が苦しい思いするからやめてほしいかもグレー言われてる知り合い自分の数倍アタマオカシイ診断基準など国はかえるべきだとおもう
元から100人に1人いる存在なので、レアキャラではなくありふれていると思ってもらえた方が当事者としてはとても楽です「ハズレくじ引いた」みたいな顔されるのはもう懲り懲りです。そこら中にいるのに
困ったことは起きない とか 大丈夫なんとかなる って自分を肯定することから始めれば良いと思いますよ それは当事者、家族、みんなに言えることで 生まれてきてしまったから受け入れるしかないんだよね どう解釈するかでものごとの見方って変わるから 自分を肯定すること 好きなことをやること 愛をもって常識や概念を自分に都合良く変えちゃう 愛を持つことがポイントかな
診断したいけど引きこもりだからいけない‥
ハッショを自称しても良いけど、当事者ですらやらかしの対策はするし、求められるからね。別に無制限に許されはしない、そこまで甘かないよ。また認定を取ったら福祉は受けられるが給与の上限も低く確定し、人生の多くを諦めざるを得ない。その覚悟ができるなら。
こないだカミさんがASDだADHDだっていうのがうるさい(診断済み)となってしまった。少なくとも、周りに負担かけてると自覚してるなら、発達を理由にしないでくれって怒鳴ってしまった。発達だから動かなくていい、やらなくていいって態度されるととてもキツい。支援する側も無限じゃないんだよなぁと、改めて実感しました。
言われてる事はわかりますが、失礼ながらも苦労する周りの人達がカサンドラ(診断の有無なしに)になるのも多いから難しいですね
グレーゾーンの枠を広げてあげれば良いと思います
ADHD当事者だけどCOして状況が好転した経験が一度もないから特に交流があったり仲良い人以外にわざわざ言う必要ないなと思ってる。
新しい事に挑戦すると、失敗するかもしれないという恐怖心があるんだろう
発達障害じゃなくて発達する環境じゃなかった障害じゃないの?って思ってしまう。
職場での話ですが、周囲からみて、空気が読めなかったり 仕事の段取りが悪い人とか、ちょっと何か「ん?」てなった時に、あの人発達障害でもあるんじゃないか…みたいに話されてる時がありました。
だからといって何かサポートをするとかでもなかったですし、相手を否定する言葉みたいな感じで発達障害ではないかと疑う感じが嫌でした。
決めつけや否定ではなく、理解のために広がって欲しいなと思います。
とにかく皆余裕が無くてイライラしていますから…。イライラしているが故に他人の失敗に厳しくなってそれが自分にも返ってくるという悪循環が生まれている。
こんな状況の中で発達障害、もしくはその傾向のある人間の居心地はますます悪くなっているのが現状。
X上でですが、発達障害のお子さんを持つ保護者の界隈が家族会に来た軽度の通級の母親の語りがうざかった、支援学校の重度の困り事とレベルが違うから同じ家族会にこないでほしいみたいな(重度障害の子の母親の)コメントがあって、発達児の親同士ですらこんなに判り合えないんだなって、世の中がしんどくなりました。
自称って、本物か偽物かっていう白黒思考から生まれる考えかなって思いました。
実際にはグラデーションだし発達傾向がない人だって全く辛いことがないわけではないんだから、それを比べあって揶揄し合っても結局誰も得しないよなと思います。
自称するからにはその人にとってそれ相応の辛さがあって、それは他人から見えるものではないし比べるのも難しいんだろうなと思う。
診断の有無より何をするのが自分やその人にとって適合的か考えていきたいと思いました。
就職難で非正規での転職を繰り返した末に、発達障害診断を受け、障害枠て働いている友人がいます。
彼いわく「本当は、発達障害か否かはどっちでもよく、
障害枠でないと仕事の選択肢が無い」という事です。
職場では地道な働きぶりが評価され、先日、勤続三周年を迎え皆でお祝いしました。
(新卒後、四半世紀経って、三年続いたのは初めて)
彼は「グレーゾーンなら
診断された方が良い。症状を盛ってでも。どっちつかずは、自分も周りの人も辛い」とも語っていました。
生きる為の術。だと。
複雑な気持ちになりましたが、これも世の中の世知辛さを表しているなあと感じたものです。
ASD(診断済)です。自分が性格悪い自覚はしっかりあります 笑
もういい大人なので礼儀正しくは振る舞えますけど、素の発想は意地悪だったり皮肉屋だったりひねくれてたり…って感じです(←それを一言で言うと『性格が悪い』)。
それが特性由来なのか、それとも発達障害じゃなかったら全然違う性格だったのかは確かめようがないし
これは特性!これは性格!と医学科学で100%切り分けて立証するのも不可能でしょうから
性格悪いのも特性故にめんどくせぇのもぜんぶ含めて私。ということで自分の性格(内面?)はそこそこ気に入ってます。
でもその素の性格をTPO考えもせずにむき出しにしとくメリットが特に思い付かないので
「可もなく不可もなく」程度で埋もれるための仮面は用意して生きてます。
自分を押し殺すという意味じゃなくシンプルに打算、損得感情ゆえですね。
いい人!素敵!と好かれる必要まではないけど他人を不快にさせる頻度が高いと自分が損するので。
僅かにいるごく親しい友人や配偶者は「そういう性格悪いとこ好き」と面白がってくれてるから感謝してます。
それ以外のその他大勢に素の性格を見せる必要は特にないよなーという感覚です。
あと『素を見せられるのはかなり親しい人だけ』『コミュニティによって見せる面は違う』ということ自体は、健常者も性格いい人も大差ないんじゃないでしょうか。
そのTPOや礼儀等のパターン学習が何らかの理由で難しい人、仮面の付け替えが著しく苦痛な人などは
どうしても苦悩が強いのかなと想像します。
自称でも過剰診断でもとにかく働けているのが素晴らしいと思う。
軽度のくせにとか自称のくせになんて思う余裕がない。
異常にミスばかりだと冷遇されるし、だけれど発達だなんて言ったら雇って貰えないしクビになる
なんで周りの人は出来るのに自分は出来ないんだろう
とても辛いし不思議で仕方ない。
なんで自分だけ?という気持ちが強いから自己中心的なマインドになっていくのかもしれない
甘えと言われるのはとても怖いです
自称が増えても発達障害の認知度も広がり薬もある今は10年前よりずっと良いのではないでしょうか。高額な保険外の治療に騙されちゃだめだよと教えてくれる益田先生に感謝です。
自称の自閉症はいないのに自称のADHDは存在する
なぜなんだろうか
ASD当事者です。
視覚優位なので概要欄、とても助かりました。手帳持ち2級で働けませんが、本当は働きたいし、働くのが好きだけど、困ってることがうまく伝わらなくて、助けが必要と認識されず、いつも働けなくなります。自称でもなんでもいい、そういうびょうきがある、と周りが認知し、少しでも調べてみたり、知ってもらえれば、これからはスムーズに生きられる部分が増えるだろう、とポジティブに思いたい。新しい環境は皆障害なくても、苦手だと思う。わたしは、人の指示が理解できず、フリーズしてしまい、動けなくなる。周りが理解して動けてるのが羨ましくなる。もっと勉強して、周りみたいになりたい。その人が障害か否かではなく、"それなりにできる人"を私は目指している。興味深いテーマ、ありがとうございます。
分かります。不器用で出来ない人ほど一生懸命で、出来る時は全力で働いて、出来ない部分でつまづいて、理解されず「真面目な人だと思っていたのに、本性はやる気がない人だった」とレッテルを貼られるんじゃないかと・・・
上司や同僚が持てあましているのが分かるんですよね「またやってるよ😮💨」って
40才過ぎてやっと発達障害を診断されて、オープンにすることができるようになったし、障害者手帳もらえたので、ジョブコーチという支援を受けながら働こうと思っています。
「もっと辛い目に遭ってる人達はいっぱいいるんだから、その程度の事で苦しむな」っていうの出来ればやめてほしいな。
人それぞれだよね
昔言われた。
この言葉、
腹が立つよね。
出来ればじゃなくて、「死んでもそんな言葉を口にするな!」 11:42 って感じ(笑)
その手の言動は最大限無視するに限る。
その手の言動する人は大抵話しても分からないから。
本当に。
自分を納得させるために自分自身にそう言い聞かせるならともかく、なんもわからない他人に言われたらサツイ感じますよね…
ASDとADHD診断済みなんですが
それをいうと
「誰でもあるよ」とか「自分もたぶんそうだよ」
とか
軽く言う人達が多いんだよね。
発達障がい者の困り感を理解して言ってるならまだしも
そうじゃないケースが多いのが違和感を覚えますね。
普通の人と程度がまるで全然違うよね。息を吸うように普通に出来ることができなかったりするから全然わかってないなって私も思う。
でも普通の人達の「そんなの誰にでもあるよ」はそんなことないよ、とフォローしてくれようとしているみたいです。
あなたも私も同じ人間だよと。
こっちからするとそんなのいらないハッキリ言ってくれた方がマシって思うけどね。考え方がまるで違うから理解し合うって、難しいですよね。
先生がおっしゃっていたように、困っている弱い病気の人は心優しくて穏やかな人だと思っていましたが、就労支援事業所(障害者施設)に通うようになりいろんな障害者の方と接していく中で、ちっとも優しくなんかない、むしろ気が強くて少し意地悪な人が多いことを知りました。ずっと私は偏見を持ってたんですね、でもそのことを理解した上で皆さんとうまく仲良くするよう心がけてます😊
自分の欠点や弱さを全部自己責任にして自分を苦しめるよりは、遥かに精神的には楽ではある。
自分達と合わない人、ちょっと変わってる人を「発達じゃね?」「あ~」で済ませる傾向が一部あるように思います。発達障害の知識はなく。
うつは「心の風邪」と同様に、認知度は高くなっていても、脳の病気であるとはなかなか理解が広まらないですね。様々な疾患について。
発達障害が亡霊のように実態が認知されないまま、普通と違う人=発達障害のステレオタイプとして広まってしまったんじゃないかな
精神科医ですら一部の医者か診断できないレベルを素人が他人にレッテルを簡単に貼る
本当に自分と合わない人、自分が苦手な人達を発達障害とラベリングして精神衛生はかってる人が多い気がする
そして、自称する人は病院で診断されもしなければ行こうともせず、困ってる辛いアピールだけしてADHDだからといってしょうがないと自身にも他者にも開き直ったスタンスをする
こんなのでADHDや発達障害が広まったと言えるの?
健常者から理解されないでいいように悪用されてるように感じるけど
今の世の中、逃げ場がなさすぎるんだよな
日本人は自分を責めすぎだし、日本の周りの国の人達は、他人を責めすぎな感じはする。
その通りだ
いや、心療内科に気軽に行けるし、退職代行とか、不登校もありで逃げ場だらけだとおもうけど?
@@しゅう0524 それは言えてる
@@しゅう0524心療内科は気軽に行けないし、退職代行の値段みました?不登校も逃げ場ですか。その先の未来は?退職代行してやめた後は?仕事はそう簡単に見つかりますか?立派な経歴があればいいでしょう。不登校したらその後は?
苦しんでいる(いた)人に対して、パズルみたいに軽く言葉を当てはめて…それで思考放棄するのだけはやめてほしい。
それはただの怠惰だと思うし、真剣に改善に取り組んでいる病気の最中の方たちや、向き合う精神科医さんたちに酷く失礼だと思う。
私は小学生の頃から過多月経で、毎月150枚ナプキン必要でしたが、貧血で倒れていると父に踏んづけられました。ひどさの度合いが見た目で分からない病気は、他人が理解するのは難しいですね。現状は健康な人がやはり有利ですが、医療の進歩で病気や障害を持つ人も増えているので、病気や障害の程度に合わせて働いたり社会参加したりできる社会になればいいなと思います。
以前よりも精神の事を語れるようになったと思います。自分より下の世代の方が絶望する事なく社会の制度を上手く使っているように感じます。
そもそも「自称」したい当事者がどういう
心理で発達障がいを名乗りたいのかは単純に興味があります。
勿論、発達障がい当事者の方々にとっては迷惑な話し以外何者でも無いですが、近年神経発達のワードも聞き馴染みのあるものになってきた今だからこそ、様々な方々の意見を発する場は必要かなと感じます。
診断済みの当事者からみた意見です
まず前提として診断されてなくても自分がADHDじゃないか?と本当に可能性があって医者に通院を考えてる人とはここでは除きます、それを踏まえて言うと
自称発達障害、自称ADHDの人のほとんどが自称HSPと同じ心理で自称してると思います
ADHDの言葉だけが広まった結果安易な表面上だけの情報だけが伝わりその結果
障害の特性上あれやこれができない、社会で苦しんでる人が多いという情報以外
偉人や世界的企業家、まぁ天才の中にADHDが多くいる、できない事がある代わりに何か特殊な能力が隠れ備わってる、ギフテッドとの何らかの関連性がある。と誤った情報が誤解したりする人が増えてきました
そこに障害の負の部分は免罪符として、そういったかつての人の功績や何か隠れた能力を障害を共通させてアインディティを形成しようとする人がいるのが多いんだと思いますよ
自分は自称ADHDの正体の人達は実は自己愛生人格障害の人達だと推測してます。
心理ということなのであくまで一例として
長いので飽きたら無視していただいていいです
自分は30で発達障害の診断を受けました
それまでは一般で働いてましたが社会にうまく適応できず、あらゆる精神疾患を経験し、また転職を繰り返していました
そもそも子供の頃から対人が苦手、相当の努力してやっと中くらいの学力、数名の会話の内容を一人だけ理解できてなかったりする、ゲームセンターのクイズゲームや脱出ゲームで一人だけついていけないなど、なんとなく頭の悪さや知的な問題があるんじゃないか思うようになりました
30になるまでは健常者として生きてきましたが、家族には「多分、なにかしら障害がある」という旨の発言をしていたと思います
診断を受ける前も受けてからも「健常者にしか見えない」と言われます
なんせ周りからは普通に生きてるように見えてたみたいなので、友人や家族にあらゆるSOSを出してもまともに取り合ってもらえませんでした
自分ではそのつもりはなかったけど、もしかしたら診断を受ける前の自分は傍からみたらファッション発達障害だったかもしれません
今は診断がおりて自分のできる範囲の仕事をしていますが、一般で働いてた頃はどこで働いても上手くいかず死ぬことばかり考えていました
ファッション発達障害に対して色々考えはあるかもしれませんが、もしかしたら自分みたいに本気で苦しんでて、それが冗談や言い訳に見えてしまう場合があるかもしれません
もちろん冗談で「自分は発達障害だ」という人もいるかもしれませんが、グレーゾーンや境界知能の方たちもいる中で、一括りにされるのもそれはそれで・・・という感じです
自称何とかやってける系発達障がいです。
「ADHD 特徴」とかで調べてみて、当てはまってるものは多いけど診断はもらってないって感じです。
「ADHD」のことを知るまではほとんど自覚が無かったものが、「ADHD」のことを知ったあとでは答え合わせのようになって、今までこんなに苦労してたんだって自覚するようになりました。
それからは簡単に一言で自分を示せるものを得たと思って、ついつい「っぽいんだよね。」と言ってしまいます。
例えば自分は左利きで26年間生きてきたんですけど、それがマイノリティだなって気になりだしたのはここ2、3年なんですよね。
左利きのせいで仕事で躓くことがあって、それに気付いた瞬間に不便に思うことがどんどん出てくるようになりました。
不思議ですよねw
自分の場合はですけど、こんな感じの心理ですね。
自称発達障害という言葉を聞くと悪いイメージがありましたが、悪いことばかりではなくて、ブームが広まることで言いにくい人たちも言いやすくなるといういい部分もあることを知りました。
私も嫉妬したり、余裕がなくて性格が悪くなってしまいます。でも、嫉妬するだけではなく、社会全体として考えることが大切なので嫉妬したら悪い部分だけではなく、良い部分も思い出して自分の感情をコントロールしていきたいです。本当に困っている人たち、届くべき人に届いてほしいと思いました。対立し合うのではなく、労り合ったり、助け合っていきたいです。思いやりを示していきたいです。
多いです!若い子みんな自分で言ってる子多いです。
だから配慮して!って。
いや、だから遅刻していいのか?
なんでそれを配慮しなきゃいかんのじゃ?と思う事あります。
診断されてる子すら遅刻は注意してるのに。💢
本当に困ります。発達障がいあると許してもらえる、配慮してもらえると勘違いしてる。
自称系の悪いところですね。開き直って何でもしていいのはちがう。診断受けて障害者手帳もってる方が社会的適応しなければいけない所を工夫する。自称系ほど危険なものはないと思います。
そう。この動画は論点をずらしてる。
自称○○なら犯罪でも何をしても文句言うなって主張を受け入れろって状態だから問題になっているわけで。
ダメなものはダメ、病気なのなら対応策を一緒に考える努力は必須。それを全部ぶん投げて免罪符にしてやりたい放題する人のことを私は侮蔑と皮肉を込めて自称○○と呼んでいます。
あと、大抵の自称○○はほぼ政治活動家・思想家で、バックに立憲・共産党等極左集団がパトロンしていることが多いです。もはや害悪でしかない。
あなたの投稿に精神的苦痛をうけました。
若い子みんなってなんですか。みんないっているんですか?みんな?みんなですか?驚きました。
私はリアルで発達障害を自称したことはないし、免罪符として自称している人をみかけたこともありません。SNSでみたんですか?
当事者から見ても、そういう自称系は本当に不快です。
必死に、精神病みながら、何とか社会に適応しようと頑張っているのに、都合よく発達障害を使われていることに怒りしか湧きません。
すまんけど何度言われても出来ないから、そうやって自称して言い訳しなきゃいけないんや。
いけないことをしてるのも、何故怒られてるのかも理解出来るけど、行動に移せない。
言われて直せるような子は何の問題も無いんじゃないかな。
自称する人が増えてるのは、「ADHD」が身近になって(まあネットで簡単に調べられるし)、それが一言で伝わるようになったからだと思う。
引き合いに出して申し訳ないけど、LGBTの人も「LGBT」って言葉が認知されてからLGBTになったわけじゃないだろうしね。
自分もそれまでは上手く説明出来なかったアレコレが、一言「自分ADHDっぽいんですよね。」って言うだけで示せるのが便利で使っちゃう。
振り返ってみても、物心ついた時からとか社会に出てから特に性分が変わった覚えは無いし、多分生まれつき出来ないことがあるんだと思う。
周りが赦してくれるから助かってるけど、社会の一部にはなれても会社の一員にはなれそうにないですね😅
発達障害って言葉がない頃に精神科に行って「他の人が鬱になると君みたいになるけど君は病気じゃないから薬もないし治らないよ」と言われましたが見分けて下手に治療もしなかったあの先生は慧眼だったと思ってます
大事なのは自分を知ること、特性をわかりやすく人に説明できること、その上で上手くやっていく方法を模索すること…かなーと思います。自他の負担のバランスが崩れなければ、関係性を持続できるし、トラブルも減らせるし、ストレスもなくなるかなーと。
逆に、学校の先生や、会社の上司(という立場の人)などは、こういう特性の人たちがわりといる、ということを理解して、上手くつきあう方法を提案できるようになれば、人材活用がさらに上のレベルに行けるんじゃないかなあ。
発達障害に限らず、精神障害を抱える人はそのスペクトラムが黒に近づけば近づくほど、自分の努力や意志ではどうにもならず苦しんでいるけれど、それに対して「怠けだ」などと言う様に、周囲の人や社会が理解をせず優しさを向けないことが、さらにその人たちを苦しませる。そこに精神医学的な人間の捉え方を持ち込めば、「この人は○○障害(病)だからこうしてしまうんだ」という理解ができ、配慮や優しさを自然と向けられるようになるのが、社会全体的に人間のマインドを変える精神医学の存在意義だと思う。自称が増えるのも、過剰診断になっているのも、その存在意義を借りれば苦しみが少し和らぐのだから、自然な流れだとも思う。
そうやって精神疾患に対する理解が広まっていくのは良い事だし、益田先生が仰ったように、人間の捉え方が社会的なレベルで変化していると常々感じる。一方で、病名があれば理解してもらえるということは、病名がなければ優しさや配慮を受けられないということでもあり、目に見えるものしか信じない、そんな社会はなんて不健康なんだろうかとも思う。
自分も仲間内の対立、不幸比べ、自称なのかとかでモヤモヤしていたので、それは嫉妬心だと説明されてモヤモヤが晴れ良かったです。
正直自称発達の定型成功者とかインフルエンサーがほんとの発達障害のハードルを上げてるのが一番の問題だと思う
個人的な意見だけど、芸能人が売名的に発達って言葉使ってるとはらわた煮えくりかえる思いがする。幼い頃からずっと普通になりたくて、努力をして、それでも上手くいかないのに無駄な努力を色々な意味で辞めれない深い苦しみ、絶望感、孤独、成長できない頭。全てをコケにされて馬鹿にされてる気分になる。
診断済であれ自称であれ、大事なのは発達障害があるから何なのかってことだよね
発達障害だから仕方ない、許してね!なのか、発達障害だからこういう傾向があるからこうしてみよう、こういうやり方を使ってみようなのか…
ただのアピールじゃなくて、最終的には障害あるなし関わらずお互いを理解しあう、助け合っていきたいっていうために開示することが理想的なのかなと思います。
傷ついてる段階、相談できる相手を見つける段階、その先……って心の整理がついていけばいいんでしょうけど、知識や言葉が広まっていくと収拾つきにくいこともあるでしょうね。。
病院での診断はもちろん大切ですが、自己診断がなければ病院への導線が希薄になり、症状の悪い人ほど医療を受けづらくなる気がします。実際に、日常生活で支障をきたしていればそれ自体が社会的・本人的には問題となります。診療を受けて効果的な治療に向かうことが本当は良いのですが、ネットや本などメディアの情報を自分に当てはめている方もいらっしゃるかと思いますが、自覚があらゆる医療において治療の始まりになると思いました。そこのバランスも踏まえてのお話だと思いました。甘えの問題も、下手をすると精神的な自傷行為につながってしまうと思います。
自分はグレーゾーンです
自分は自認はしていても自称することはない
稼げてはいるから自称したときのデメリットが大きすぎる
ファッションASDは少ないと思う
自称ADHDは増えたと思うけど自称ASDっていない……ちょっと普通から外れて間違えたらすぐアスペアスペwってばかにされるし……発達障害という言葉が広がって、ASDに対する世間の差別意識が強くなったように感じます。
いい方向に向かうならいいけど障害持ちな事で中傷されるならブームとかいらないならそっとしておいてくれ……て思う
結婚4年目の旦那がいますが、未だにASDが何かわかってないし、平気で会社の人の事をあいつアスペかよwって言うし、発達障害という言葉が広がっても中身は知られず偏見ばかりが広がってる感じがします。
私もネットで発達障害という言葉を知って大人になってから気づいた身ですので。生きづらさに気づいて診断受けられる人が増えるのはいい事と思うけど、偏見っていう困り事が増えた。
家族に、ADHDの者がいますが、常に新しい事(呼吸法とか運動など)を取り入れようと、一生懸命、動画や本から探して、実際、自分が良いと思った事は、家族にも、紹介して、しています。感心なくらいです。こんな感じでいいと、私達も思っています。😊
障害というと、絶対的な所見の基準があって、それにそぐわない場合に診断されるイメージがありました。
しかし発達障害が診断が増える要因として、
社会で求められる基準が高くなっているという所をお聞きして
相対的で社会適応の障害でもあるのかなと思いました。
社会が生み出している所もある様な気がしますし、
今後より高度な社会になり、適応出来ない人の割合が多くなると、もはや障害との線引きが難しくなってしまうのではないかなとも思います。
きちんと診断ができる医師が少なすぎるというのが問題なのではないでしょうか?専門外来があっても初診の予約がなかなか取れないようですし、大人の発達障害は診察しないというクリニックもあります。発達障害について詳しい益田先生のクリニックも予約を取るのは困難ですよね。
問題のある人がいるので、診察してくれる病院を教えてもらいたいです。
診断済みで人生ハードモードだった身からすると、自称は診断ウケてないのに免罪符みたいでお気楽でいいよなっていう苛立ちを誘うかも。あくまでお気持ちだけど。
あくまでスペクトラムなので、グレーゾーンの人も症状強い人いるから、なんらかの医療処置は受けられた方がいいと思う。
あと、ハッタショとかいう差別用語をネットで吐く人が結構散見されるので、何とかならないかなとは思う。
差別用語、わたしもよく「◯◯学級いけよ!」と小学生の頃言われた記憶が蘇ります。みんなに支援学級いってることがばれるのが怖くてその学校ではなく違う学校の支援学級にわざわざ通いました。
医者行くのもすごく抵抗あって、予約してもキャンセルして繰り返してやっと1年前にいけたけど、医者に本当のこと伝えるのが怖いです。当たり障りなく自分の話ではなくまわりで起こった出来事だけたんたんと伝えています。
新しいものを受け入れるには自分の価値観を見直す過程を伴います。自分の大事にしてきたものを部分的に否定することが多いので一歩を踏み出し辛いのではと推察いたします
私は、有名人や政治家が発達障害を公表する時に世間が「うそをつくな」「いや、それはお前の性格が悪いだけだ」という攻撃的な目で見られ(私もそう思うことはある)、それらと同じ目で見られてるのでは?という被害妄想??があります。誤解への恐怖と益田先生の言う「嫉妬」が混ざった感情だと思います。
発達障害をカジュアルにするのは悪くないと思いますが、私は、診断される前、たまたま入った会社との相性が良く、仕事ができる人として働いていました。仕事を辞めた後に専業主婦になり、その生活が合わなかったようで精神を病み、通ったクリニックで発達障害と診断されましたが、もし就職前に診断されていたら、自信を失くしてあの会社には入っていなかったと思うので、発達障害を名乗ることで、どんなメリットがあるのか知りたいです。
自称する時点で何かしら困ってることはあるのだろうから(遅刻とか先延ばし癖とか)、何とも言えない…。もちろんそれを免罪符にしてるのはダメだけど、自責の念や自己否定感を、自称することによって軽くしてる人は多い気がする
困ってる人とそうでない人はわかるよ
本当に困ってる人は自分がそうかも、、って思って、病院に行こうとする
今は診断も受けずに病院に行こうともしないのに免罪符や承認欲求ツールでアピールしてくる人が多いから嫌がられてんだろう
前者と後者は別物
発達障害を免罪符にしたい人こそ、積極的に受診して診断名をもらいたがるイメージがあるのだけど…そうでもないのかな
受診もしないけど発達障害を自称する人ってどういう心理なんだろう
私は受診はしているけど診断はつけてないタイプですが…(一応精神科自体にはかかってはいます 双極での治療しかしてない)
主治医に相談できれば1番いいのかもしれませんが、今何が一番困っているかの優先順位によって話をするので、私発達障害かもしれません 理由は○○なので…って言う話はしていないですね。
感覚過敏でこういう音が苦手
マルチタスクが苦手で超不器用
こういうことが自分の中でわかってきても、診察時間の中では隠します笑(おそらく主治医にはバレてるかもですが)
それよりも悩んでいることから先に伝えているので…
精神科にかかってはいるけど、発達障害という診断はつけたくないタイプは私みたいな感じかもです。
ちなみに双極性障害と診断はされていますが、障害手帳は持っていません(手帳を持ったら、いい面があることももちろん知っていますが、そのメリットよりもデメリットが大きい場合はわざと今は取得しない)
困っていることがあるのに
そもそも精神科に一回もかかったことのない人は精神科のマイナスイメージが大きい(世間の目や自分が精神科にかかるって…って思っている)場合が多いと思いますよ。
バイアスについて
当事者の家族です。いつのまにか「発達障害はこういうもの」と知っている気になりがちで、気をつけないとなと思います。
福祉関連の人と私と、間に発達障害の当事者(家族)をおいて、外からおたがい「これが本人の課題だろうな」とアタリをつけながら話す機会が多いです。
当事者自身の行動や、当事者と社会の関わりについて、課題と思われることについて、
共通のことについて話していても、
おたがいに価値観や前提が全然違うために、話が噛み合っているようで全然噛み合わない。
しかも本人を置き去りにしている。
こういうことをずっとやってしまっているのではないか、とよく思います。
自称発達障害に対して「本当に困ってるならとっくに診察を受けに行ってるはずだ」と言う人が多いけども、自分から病院に電話をかけて予約を取って診察を受けに行くってのがそもそもハードルが高く感じて先延ばしや透明化をしちゃってる人も多いんじゃないかな
明らかに日常に支障があるのに「そこまででもない」と自分では思っちゃうとか、でも自己否定感はあってその逃げ道として発達障害を免罪符にしたい、でももし診断がおりなかったらその免罪符すら使えなくなる、そう思うとよりハードルが高くなる…みたいな具合ではないか
だとしてもやっぱり問題を解決するにはまず何より診てもらうしかないし、いつまでもクネクネその場足踏みしてたって何も変わらないんだけど
自分も「俺ってそうかも」と思ってたくせに、実際に診察を決意するまで3年も4年もダラダラしてた身だからその手の人達を否定する気にはなれない
10:02 軽度発達障害で、過剰適応を起こしている場合、全く気づかれないし、周囲に「発達障害かも」と言ってもまず否定されます。自称を問題視した結果、こうした人が診断を受けにくくなるのは避けたいですね。
私も家族に言ったら「性格」といわれました。
よく天然・不思議といわれます。
そしていつも反射的にヘラヘラ笑うのでふざけていると思われてしまいがちです。
精神医学や心理学に興味があり、ここで勉強させて頂いています。"夫が朝行って来まーす"と玄関を出てもほぼ毎日忘れ物で戻ります。財布、ハンカチ、Suica、水筒、ボールペンなどです。書類の紛失でゴミ置き場まで探したり、外出先で財布を紛失して警察に届出るなどなど。もう結婚して30年以上経ちましたし、仕事ものめり込むタイプで頑張り屋さんですが、近くでみていてもしかして?と感じます。グレー🩶なのかな。まあ、支えますけど。海外出張の朝パスポートを忘れたと空港から電話があり私が車で空港に届けた時は、流石に...まあ、これからも色々とある事覚悟します。
広まるのは良いが悪用はされたくない。でも悪用されるくらい広まらないと認知されないというジレンマ…。気軽に自称できる今でさえ正しい知識を持ってる人、持とうと努力してる人はどの程度の割合か。
グレーゾーンとして診断されて日常生活で苦しんでるけど、最近本でも自称の人増えた気がするな。
本読んでも作者はちゃんと医師から診断されたのか?何で薬飲んでないんだろう?って思うな。
自称の人が本出版して発達障害でビジネスやるのもやめてほしいよ。
グレーゾーンて障害手帳貰えるの?
貰えないから普通の人と同じように就活して普通の人と混じって仕事してます。
未だに生活保護を受けて生活してる人への嫉妬や偏見のコメントを他で目にすると悲しくなりますねぇ
の精神科に通院していることを家族に打ち明けても、「特別支援学級に通う人」「知的障害のある人」といったイメージが先行してしまうようで、なかなか理解してもらえない状況です。社会的な認知が進んできたとはいえ、メンタルヘルスに興味関心があまりない人にとってはまだまだ差別や偏見があると感じます。動画の中で話されていた「疾病利得に甘える」という言語化が鋭い指摘だなと思いました。
最初は自称でもいいから病院に行ってほしいですね。甘えだと思って足掻きましたが結局時間を無駄にしました。症状を主張するのは大切です。
ネットで質問の回答者をしていますが、精神科や心療内科で診断された訳でもないのに、自己判断で○○障害と名乗る人が非常に多くなってきたなと感じています。
本当に障害を抱えている人からすると、安易に障害者振られることで、間違った解釈や偏見、認知の歪みがうまれるので、タイトルのような「自称」というのは是非止めていただきたいと思っています。
病気や障害って、そんな生ぬるいものではないので…。
あの問題と同じです、「ファッションとしてのヘルプマーク止めて!」というやつね。
本来その障害じゃない人達が、障害を盾にして周囲や社会にあらゆる事を許容を求めたり障害を理由に開き直る事がいい事じゃないと思う
それをやられてる人は心理的にも嫌な気持ちになるし、公私共に被害を受けるでしょう
本当に理解されてなく、ADHDで苦しんでたり、障害を隠して周囲に迷惑をかけないようにと努力してる人達からすると凄い複雑な気持ちになると思う
ADHDの言葉が広がる事と"adhd"がADHDじゃない人達から悪用される事は全く別の話しだと思うのですが、なんでここを混同する人が多いのでしょう
そもそもADHDが認知されてきた。というが実はそうじゃなくて言葉だけが一人歩きしてて実際の概念は認知されてきておらず、それ故誤りや誤解した情報や偏見も広まっていますし
特にパーソナリティ障害の人達をみて、パーソナリティ障害の名前は知らないから普通とは違う人は発達障害なんだというステレオタイプから発達障害と間違ってレッテル貼る人達も多くみられます
自分は診断された医者からは精神科医でもADHDや発達障害をきちんと理解してるのは一部しかいないと言われました。そのくらい難しいジャンルだそうです
本当の認知とか広まるとかはADHDについての正しい理解が社会に広まる事なのではないのでしょうか?
ADHDの当事者より、、
障害は個性と考え批判する人には色んな人が居るからねぇと受け流す時代であって欲しい。完璧な人間はほぼ居ないと私は思っています。昭和時代は、お味噌の足りない子で済んでいたけど今は病気として扱われる。先生のおっしゃる通り個性に気付かない方が求められるレベルの高い所に身を置く状況が増えているのかもしれませんね。己をよく知り受け入れ身の丈に合った場所で咲けるような支援が必要と思います。
わいグレーゾーン診断なのである意味ファッションなのよね。ちゃんと診断おりれば薬飲んだり対策も取れるのに傾向だとどうしていいか分かんない。
今かかってる先生が話し聞く限りADHD+ASD併発ぽいねって言ったのに心理検査で凸凹見られないから診断できないって躁鬱病方向に持っていこうとするから病院変えたいんだけど時間も金もかかるので結局こまねいてる(´;ω;`)
益田先生のとこ行きたいのに初診予約取れないし。人気アイドルのライブ並みの即完売具合なんですけど(´;ω;`)ドウナッテンノ
辛いに差なんてないよ…みんな辛いよ…
そうか、私は性格悪いのか😢
(ASD診断済)
ASDが性格を悪くしていると考えることはできても、自分自身が性格が悪いとは考えなくていいと思いますよ。
@@77ItaNK 様
ありがとうございます😭
障害の特性と自身の性格を分けて考えるのですね
その発想はありませんでした
大きな気づきを得ました🉐
ありがとうございました😭
@@岩崎峰子-x1o こちらこそ返信をいただけて嬉しいです!
アベマの討論では詐欺や不安を煽る商法について警告されていましたが、概要欄を軽く見た感じ原因についてより詳しく知れそうなので楽しみです
自称する奴はなぜ病院に行かないのか
本当に困ってる奴は病院に行って(もしくは連れて行かれて)診断を受けてる
私は知り合いに精神病院は恐ろしい場所だと教わりました。実際医師を目の前にすると緊張してしまいます。身体中に発疹ができて水膨れになった時も皮膚科に行かずに我慢しました。痒くて死にたいような日々を1ヶ月ほど過ごしたらだんだんとかさぶたになって治りました。医者は怖いです。特に看護師が怖いです。看護師に虐められた経験があります。
自称する奴、困ってる奴、ってなんか悪者みたいな言い方ですね。犯罪者なのに何故刑務所にいれられないのか、みたいに言われてるように感じてしまいます。違ったらすみません。
人間には個人個人にキャバがあり、その範囲内で、当時の価値基準に合わせて努力して来て得たものがあるので、新しい物事を受け入れるためには「手放す行為」がセットになることから、手放す対象に努力が伴っていればいる程に、それがなかなか出来ないという気がしています。(逆に楽しんだプロセスを経て、手に入れた物事は、割と簡単に手放せちゃう、困った)
メンヘラもですがカジュアルに使われることで認識が広まるのは良いと思います。神経質にタブー扱いするよりオープンに話せる社会になれば、私も~と共感できることで楽になる人はいると思うんです。病み垢さんと繋がりたい、みたいなハッシュタグで繋がることで居場所を見つけてる人も増えてますし。大切なのは先生のおっしゃるように私の方がつらいなどと張り合わないことですね。張り合い落としあいをして共倒れになったりエスカレートしてしまいますから。
そういうもんじゃないよ。発達障害って
知識もないのにカジュアルにファッション感覚で自称されると認識が広まるんじゃなくて本当の発達の誤解と偏見に繋がる
そして、当事者達が本当に言いづらくなったら本末転倒になるし、なってる。
発達障害の人も辛いとか張り合ってるわけではないけど、本当の苦しみ抱えるてる人が免罪符のように自称されてたらそりゃいい気持ちしないでしょう
あと、精神科医の医者って実は全部の精神疾患やパーソナリティ障害、発達障害に精通してるわけじゃなくてこのジャンルは強いけどこのジャンルは弱いとかあって
中でも発達障害って難しいジャンルで発達障害に詳しく理解してる医者って一部だったりする
この先生は盲信してる信者は受け入れたくないだろうけど、発達障害やADHDのジャンルについてはあまり詳しくなくて理解弱いよ
当事者だけど発達やADHDの説明については頓珍漢な事言ったり、間違った情報言ってる事多い
最後に益田先生が宇宙の話をされていて、人間の存在自体を俯瞰的に見ることが出来ました
以前薬局に勤めていた際、薬剤師長から『貴方は発達障害を持っている』と何度も言われていました。
私の仕事の遅さ、理解不足からそう言われていたのですが、相談しても主治医からは『貴方は発達障害ではない』と診断されています。
社会からは発達障害だと言われ、かたや医療では違うと言われている現状に疲れ果ててきました。
増田先生の動画で理解を深めていきたいです。
ネットによく書いてある発達障害セルフチェックと、医療が行っている発達障害診断は全然違いますからね。医療のは基準が結構厳しくて、自分も明らかに仕事できない等の発達障害的な困難があるのだけど医者の診断結果は白でした。かたや自分の知り合いは仕事バリバリできる人だけど黒の診断がでていました。しかしまあ人格的に酷い薬剤師長ですね。
【宿題】
私自身 安定安心を好むタイプでしたので 変化を嫌いましたね。 何か普段と違う事をする事やいつも通りに動きたいのに 変化を好むタイプの上司になかなか付いて行けず、無理をして疲れ果てました。
しかし 鬱になって 今は 変化はストレスって事を知りましたから それはそうなんだと素直に受け入れて それでも ある程度の変化を楽しむ自分に余裕のある考えができる様になる事の必要性 そうする事で 自分が楽になる事を学びました。 答えになったかどうかはわかりませんが、すみません😅
増えているって言う言葉に安心するのかどうかわかりませんが、、、個人的には適応範囲が広がっている、精神科の都合で「患者に入れても問題じゃなくなる」と言う感じがやはり見受けられるんですよ。
精神科で「これだけ検査項目あるからそんな簡単には騙せない」というが、そう言う変な人はドクターショッピングを繰り返し、Yesという先生に辿り着こうとする行動にでますから。そんな人でも確実に弾けるんですか?多分答えはYesじゃないと思います。しかもそんなドクターショッピングする人すら、別の病名つけそうですし。
医者がそんな人を突き放して「あんた仕事サボってるだけや」と言い切ることあるんですか?あるのならまだしも、私は無理だと思いますし、その仕事をサボってること自体に病名をつけていく医者、だから鬱や発達障害適応障害という診断が下った人、確実な原因があるのならまだしも、どこか苦しみながらも働いている人らからすると信用できないんです。
意地悪しないですよ。
asdですけど、貧乏くじばかり引いて嫌なことも我慢して頑張ってやってましたよ。
定型発達の方が息を吐くように意地悪できるなぁと感心しますよ。
曖昧で軽薄ならば、カジュアルに流行る意味がない。本当に苦しんでいる人を更に追い詰める。カジュアルな流行り方で病名をネタにする傾向がある。病気の理解が本質から外れてしまいます。何事も自称系は危険な方々です。ネットの自己診断で自称するのは本当にやめてほしい。
課題に対するコメントなのですが新しいものを受け入れるのがとても苦手です
身近なものでは今まで知り合いとのやり取りはメールを使っていたのですが「LINEで話したほうが楽では?」
と言われ使い始めるまで精神的に葛藤というか悩みがありました
結果的にLINEを使い始めたのですが既読はついたのにすぐ返さないと失礼なのでは?
こちらから送っても既読がついたのにすぐに返してくれないのでは?
と精神的にはなんだか首輪をつけられた気分になってしまいました
新しいものを受け入れると今までの自分のやり方を否定された気になったりする部分もあり本当に自分は面倒くさい人間なのだなと感じています。
ただ全部を受け入れたくないのではなくやはり「受け入れれば(使いこなせば)楽になる部分もある」
というものもあり越えるべきハードルがほかの人より高いのかもしれません
社会の変容、そして経済の発展は、違った種類の精神疾患の発生を呼び起こすと思います。私の予想・希望としては、社会的な全体的利益を考えて、そうした人たちを社会に適合させる研究が進んでいくのだと思います。結果、精神科医のサポート、技術の進展は益々必要になると思います。
仕事のマルチタスク化や学校で求められる平均レベルの増加によるものじゃないかな
昔なら忘れ物が多い子 字が雑な子 運動が苦手な子 友達づくりが苦手な子 とか
ある意味個性の1つとして受け取られてたものに ASD ADHD DCD とか診断名がついてる気がする
自分も診断済みだけど、「これってみんなそうじゃないの……?」が多すぎて、自称が増えている、と聞くたびに
私も医者にアピールして診断貰っただけの自称なんじゃないかってモヤモヤすることがあります😂
でも薬がよく効いてて だいぶ楽になりました
私は発達障害当事者として「自称発達障害」が増えていることが不愉快です。その人たちに限ってASDやLDではなくADHDを自称することが多いことも不愉快です。
益田先生の仰るコアな人たちだけではなくカジュアルな人たちも医療に繋がることが大事であるという指摘や、それによりコアな人たちへの理解が深まるという論理には同意できません。
これからも私自身のために知識を深めていきたいです。
なぜ不愉快なのですか?
診断されず、出口の見えないトンネルで踠いている人間としては、自称者の背景も思考も何も知らない人間がそういう人々の苦悩を「不愉快」と言い捨てる投稿を見て、精神的苦痛を受けました。
この動画を見にきている人は私のような人も多いと思います。
つまりあなた様は、そういう悩んでいる人たちに向けて「不愉快」という言葉を放っている、ということです。
個人の感想は自由であると思いますが、ここでわざわざ投稿する行為に悪意を感じざるを得ません。
追記
私は子供の頃からADHDを周囲に疑われて過ごしてきました。検査をして結果は行政が握り隠蔽されたのですが、IQに関しては正常値よりやや高いと言われ、知的障害の心配はないと家族に知らされました。
原因不明なまま支援級も通いつつ、自分はちゃんとできてるはずと思い、家族に引き取られた後は家族に「もう少し頑張れば、やればできるよ」と励ましてくれて、家族もアスペルガーの本を買って「当てはまらないからあなたに発達障害はないよね?」といって、その通りだと信じて生きてきました。
大人になってから急に発達障害がトレンドになりました。そして過去を振り返った時に何故周りがわたしを蔑んだのか・悪意や敵意を持って接してきたのか・皆が当たり前に私だけうまくやれなかったのか・さまざまな失敗がADHDと結びつき精神科受診を考えました。何度も予約して取り消して繰り返しやっと受診できたのが1年前です。
先生に「発達障害を診断することはできない。とりあえずうつの薬を飲んでダメだったら検査しよう。今検査はおすすめしない」と言われました。そして発達障害を診断されてしまえば、私は嘘をつけないので「発達障害があるか」ときかれたときに否と答えられないし言っても顔に出てしまうから怖いのです。これが逃げであることも分かっています。
なぜ不愉快と思われるのか疑問です。
診断されている人ですら、同質的な人間とは限らないと思います。
未診断で悩む人間に対して何故、2回も「不愉快」と言うほどに憎しみを抱いたのか、経緯を知りたいと思いました。
先生は素晴らしいお人柄ですね。
見ていてとても安心してしまいます。
とても努力なさり修練を積んできたんだろうなと思います。
苦しんでる人や困った人をただただ助ける
慈善活動。
ただただ尊敬いたします🙏
ありがとうございます♪😊
自称強迫性障害(強迫神経症)も増えていると思う😵
神経質とか潔癖とかとの境目が分かり難いこともあるのかなぁ?😢
理解が深まるならいいけど…🥺
卑怯者が免罪符として悪用してるから本物の立場が悪化するんだよ
自称って単に逃げ目的で「優遇しろ」しか言わない人が多い。しかもそういう一部のヤバい人って何でもそのせいにして、本当に病気の人のイメージを下げる。
本当に病気の人って、現実からは基本的に逃げれないはずなんだが…
診断は重視してほしい。いわゆる「ただの自称」では終わらせないでほしいね。
自分は障害者手帳を外で出すのが恥ずかしいのに…。なんで自称が増えるのかと思う…。
自称が増えているのだとすれば、やはりそちらのほうが得、楽だと「なんとなくのぼやっとした印象」があるのではと考えてしまいます。
もちろん「なんとなくぼやっと」なので、不勉強であったりの無知ゆえなのでしょうが、そういう思考に至ってしまうほどに「自分たちの人生そのものが苦痛」と感じている人が多いのではないでしょうか。
もしかすると自称云々は発達障害に限った話ではなく、「どれだけ弱者性を獲得し有利に振舞うか」という意識が、うっすらとでもあるのではないのでしょうか。
「日本にいれば、即座に衣食住には困らず銃社会でもない」と、いいところに目を向けようと思えばできるのでしょうが、今は(昔も?)「助けを必要とする弱者ですら、分かりやすい弱者であるほど助けられやすいため、弱者の中でも弱者性を競う競争が発生する。結果、声すら上げられず認知すらされない弱者は助けられない」というような意見もあります。
このような意見を見るにつけ、度々言われる「誰一人取り残されない社会云々」というスローガンが、いかに空虚なものであるかと感じざるを得ません。
実際、有形無形(おそらくは他人を思いやる心でさえも)のリソースは有限なので・・・。
かと思えば、メディアやSNSを見渡せば特に苦痛もなく経済的、社会的に恵まれた(表面的にはそのように見える)人々のきらびやかな生活が嫌でも目に入る。
「自分はなんて恵まれないんだ」「いくらなんでも格差が広がり過ぎじゃないか」「この社会はおかしい」
嫉妬や偏見に基づいたものであったとしても、そういった意見が出ること自体は不思議ではないと感じます。
先生のおっしゃるように我々は宇宙の真理を知りませんが、おそらく多くの人々は宇宙の真理以前に「明日の食べるもの、現実の苦痛を和らげるための目の前の快楽娯楽」なのでは・・・と、どうしても暗い方へ考えが及びます。
言える社会ってひとつ成熟したのでは…当事者(自分)はそこに甘えてアグラをかかない、でも周囲に期待しない、苦しみ過ぎず怠け過ぎず、バランス大事。学びによって自分自身の視野も少し広がりました。世界を変えてくれましたのはドクターです。
自分も自称発達障害かもなあ。
発達障害というものの存在を認知し、近年急激に増えたと耳にして「これは潜在的なものが認知の広がりと検査技術の進歩で判明する様になったのだな」と考えた結果、人生を振り返り、若い頃の失敗の数々を「あれ? 俺もそうだったのか?」と思ってしまうのはあるあるだと思うのです。
この場合、発達障害は特に否定的なニュアンスではなく「あんな失敗したけど、俺がガチ低能とか、不真面目だったんじゃなく、自分でも気付いてなかった病気の様なものだったんだから不可抗力だったよな」という「自分への言い訳」として機能する感じですね。既に人生を大過なく送った後だから言えることですが。
発達障害を自称することより、人間には能力に差や偏りがあることを皆が知る方が良いと思います……
発達とかADHDだとか名前をつけるのがよくないです……
カテゴリにはまって安心するんでしょうけど
何でもかんでも努力不足問題もあるし
周り見てると健常者と言われる人もほとんどの人が精神疾患か障害なんじゃないかと思っちゃいます
自称が嫌な人は軽いと思われるのや、自称の人の自虐ネタのせいで怠けなど間違ったイメージがつくことに困っているんでしょうね
自称の人からじゃなくてもよくADHDの人がそのくらい私もあるある〜って言われるの本当に困ってるし
それに自虐を聞いた人達は、それを侮蔑として他人にやりだします
お笑い芸人のいじりをテレビで見て周りにもしだす人と同じです……
悪気がなくてもやってしまい広まります……
そしてア◯ペとかガ◯ジとかそんな単語になります
先生のいうように本人が思うことは悪くないけど、周りはこうなっちゃう
話が結構ズレちゃうんですが
自責ではなく他責の人の話をもっと聞いてみたいです
悪く自分を愛しすぎてる
なにをいっても響きません……
いつもありがとうございます。
自分の兄弟が障害者なので、発達障害を含めたメンタル疾患の方も、困ったこともたくさんあるだろと思います。
自分もメンタル疾患の当事者ですが、薬を処方され仕事が出来ていたのに、急に体調が悪化しても会社には信じてもらえなかったこと。主治医に相談すると休職しませんか?と言われ、どちらも戸惑いました。自分の葛藤と家庭の現状の間を取り、薬を多めに処方してもらい、もう少し仕事を続けたいとお願いしました。
結局、それが職場の上司や仲間の印象を悪くしてしまい。身体にもそのストレスが出て働けなくなりました。
2度目に主治医から、身体が限界だと言ってますので休職しましょう。その言葉にやっと休めると休職。職場は早く戻って欲しい、主治医はゆっくり休みましよう。その狭間で悩みましたが、一旦退職しませんか?と上司の助言もあって退職しました。
仕事から離れて半年過ぎましたが、身体は少し楽になっても、心の傷は簡単ではないと思ってます。最初に休みませんか?と言われた時に休めていたら、心の傷は浅かったので、いま頃他の仕事なら出来てたかも知れません。また長文になり失礼しました。
そもそもの出発点として、「自称」発達障害って何だろうか...
①診断された結果、自称する
②診断されてないのに自己判断によって自称する
この2つのどちらを論じるかによって、話は大きく変わりそう😅
(ちなみにどちらかと言うと、視聴者からすると先生に扱ってほしいのは②の問題だと思う...)
この解釈が正しいのかは分からないのですが、精神科医からの警告というのは誰に対しての警告なのかを考えました。私が思うに、発達障害についての周辺層ではなく、まさにコア層に対する警告なのだなと考えました。
コア層が周辺層に対して、お前は本当に困ってないではないかと不平を言うのではなく、そもそも発達障害という今の枠組み自体を内破し、新たな枠組みへと作り変えるための準備を進めるべきなのだとコア層に訴えかけようとしたのだと考えました。
人は自尊心(プライド)が大切で、けれど厄介でそれゆえに傷つけられる場所から逃げようととすると。傷いたプライドは生きる意欲さえ失っていく恐怖を持っている。子供頃から挫折を繰り返し立ち上がった体験は、傷の擦り後に出来る瘡蓋ぐらいにしか思わないかもしれな。子供頃の過ごし方が物の見方を変えていた時代の通過点かもしれない。とはいえ若者の自殺が増している今、生きにくい社会の抱えている闇は大きい。
発達障害ADHDとASDです。よく、「話が通じない人」、「注意しないといかけない」イメージを直接言われて受け止めきれなくて苦しかったです。そのため、人間関係作りで長く続かないことに葛藤と悩みを抱いてます。益田ドクターが発達障害のことをオープンに周囲に話しても良いと話してくれて嬉しかったです。
人からの意見や考えを聞きたくない時は結構あります。
本当にいいのかとか自分の場合は合わないんじゃないかとか自分の考えの方が正しいとか。
でも自分だけがしたい事や自分だけの考えで生きてると視野がとても狭くなるのは最近分かってきてるし変化に適応出来ないと色々と大変というのも分かってるので日々なるべく柔軟にしたいとは思います。
宿題と合ってなかったらすいません。
自分には少し難しいですwww
診断を受けず通院もせずに「○○なんだよ~」って言われると、当事者として哀しくなる・・・
本当に迷惑ですよね。やめてほしいです。
発達障害のお墨付き欲しくて精神科行ったら、「そそっかしくて人とのコミュニケーションが苦手な境界性知能の持ち主」って診断されたスレ主を思い出すなぁ
人への攻撃やパワハラ、仕事の押し付けを正当化するために自称発達障害を主張する人が周りに増えていて怖い。
内容が濃くて良かったです
新しい概念は語り継いでいくしかないのでは?
ECTが未だに、そして今後も使われる手法であるように(ちょっと違うか)
益田先生はヘーゲル的に世界を捉えているんだなと感じることがしばしばあります。それこそいつかの動画でアウフヘーベンという言葉を使ったりしていましたし。でも、誰もが弁証法的に矛盾を超克できるほど柔軟な思考を持っているわけではないので、新しいモデルと言ったところで、本当にそれが広まるのかは難しいところだよなと思います。それこそ、人文系の分野で新しいモデルを提示した人がいないみたいな話をされてましたが、私はそんなことはないと思います。多くの哲学者が既存の枠組みから脱し、新しいモデルを提示するよう努めてきていると思いますが、そもそも人文系の学問そのものが軽視されているから全く認知もされないという印象です。
新しいことに対する葛藤については、自分はもうそういう葛藤は起きてしまうものだと割り切っています。とにかく思考は絶やさず、いずれ気持ちが落ち着くのを待つようにしています。
自分が発達だと気がついたのは
自閉症の子供いる元カノに
あんた発達やでいわれてから
そっから過去振り返ったり
家族全員当てはまってた
特に母が酷くASD,ADHD,LSDある
一度父親が頭おかしかったので、精神科いきなしいいうたら癇癪おこしたことあるが、
姉も頭おかしかったけど
自分だけ精神ばっかりいわれてて
この前カウンセリングうけて手帳までとった。
発達の人って自分で気がつかないこと多い(他とズレテル感覚ない)
だから自称してきて悪用しようときてる人いると本当に困ってる人が苦しい思いするからやめてほしいかも
グレー言われてる知り合い
自分の数倍アタマオカシイ
診断基準など国はかえるべきだとおもう
元から100人に1人いる存在なので、レアキャラではなくありふれていると思ってもらえた方が当事者としてはとても楽です
「ハズレくじ引いた」みたいな顔されるのはもう懲り懲りです。そこら中にいるのに
困ったことは起きない とか 大丈夫なんとかなる って自分を肯定することから始めれば良いと思いますよ それは当事者、家族、みんなに言えることで 生まれてきてしまったから受け入れるしかないんだよね どう解釈するかでものごとの見方って変わるから 自分を肯定すること 好きなことをやること 愛をもって常識や概念を自分に都合良く変えちゃう 愛を持つことがポイントかな
診断したいけど引きこもりだからいけない‥
ハッショを自称しても良いけど、当事者ですらやらかしの対策はするし、求められるからね。別に無制限に許されはしない、そこまで甘かないよ。
また認定を取ったら福祉は受けられるが給与の上限も低く確定し、人生の多くを諦めざるを得ない。その覚悟ができるなら。
こないだカミさんがASDだADHDだっていうのがうるさい(診断済み)となってしまった。
少なくとも、周りに負担かけてると自覚してるなら、発達を理由にしないでくれって怒鳴ってしまった。
発達だから動かなくていい、やらなくていいって態度されるととてもキツい。支援する側も無限じゃないんだよなぁと、改めて実感しました。
言われてる事はわかりますが、失礼ながらも苦労する周りの人達がカサンドラ(診断の有無なしに)になるのも多いから難しいですね
グレーゾーンの枠を広げてあげれば良いと思います
ADHD当事者だけどCOして状況が好転した経験が一度もないから
特に交流があったり仲良い人以外にわざわざ言う必要ないなと思ってる。
新しい事に挑戦すると、失敗するかもしれないという恐怖心があるんだろう
発達障害じゃなくて発達する環境じゃなかった障害じゃないの?って思ってしまう。