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ものすごく濃い動画です。よほどのマニアでないとこれだけの作品は出てこないしそれぞれの資料写真が揃っているのも驚異的です。
このチャンネルで、吾妻先生を取り上げて頂けて、とても嬉しいです。吾妻先生の作品が、後世に読みつがれることを願ってやみません。
この人は本物の天才だと信じているガチ勢です。著書の8割程しか集められなかったですが、大切なコレクションたちです。特にお気に入りのものは本ではないのですが、「不条理日記」に一コマだけ登場する「知らない人」(モンスターにしか見えませんが)のフィギュアです。当時のファンの方の手作りで、今も私を見守ってくれています。先生のご冥福をお祈りいたします。
チャンピオン時代鴨川つばめの影に隠れた感はあるけどたしかに際立った存在だったね
OUT誌購読してました。吾妻ひでお先生はわが青春の貴重な一部であり、おたく史の巨大な柱ですね。ご冥福をお祈りいたします
OUTの「ロリコントランプ」はいまも机の上にあります
この先生の描く女の子は、可愛かったしHな描写大好きだったなぁ~😊
コロコロポロンとななこSOSを土曜日の夕方6時に放送していたおおらかな時代が懐かしいです
私の住んでる関西では、土曜日の朝7:30ぐらいに放送されてました。ポロンの歌はOPもEDも大好きでした。
東海地方では午後4時半にやっていましたね。当時は家にはビデオデッキもなく、ラジカセの自動録音を使って聞いたりしていました。懐かしい思い出です。
関東なので同じ時間帯です。当時、土曜の夕方の番組表はアニメ・特撮の本放映がぎっしりでビデオがなかったので大変でした平日夕方はアニメ再放送たくさんやってましたね、娯楽も少なくて子供がテレビにくぎ付けになる時代でした
@@えすま-j5q さん特にコロコロポロンは18時30分からのイッパツマンと共に音楽が山本正之さんでしたね。イッパツマンでは主題歌も声の出演(2-3)も担当した山本正之さん、コロコロポロンでも主題歌のコーラスや挿入歌も歌ってました。その雰囲気もあって吾妻ひでおさんの作風とは違ったギャグテイストも楽しかった。評判良かったこともあり、両作品共に数話延長に。
@@yoshiboo-t2l 関西では土曜日の朝8:00の放送ですよ。私は8:10に登校のため家を出ないといけなくて、毎回途中までしか見れなかった・・・(当時は土曜も学校があった)ななこSOSの最終回、どうしても見たくて生まれて初めて仮病で学校を休みましたよ。
吾妻ひでおがいなかったら現在のアニメ業界の様相も変わっていたのではないかと思います。「萌え」という概念が一般化したのはこの人の功績が大きいはず。一度引退した時期にガス業者をやってたというのが泣かせる。
まさにまさに。手塚チックなころころとした可愛い絵でエッをやるという大革命w
引退したんじゃなくて、原稿描けなくなって失踪した時に、ガス会社に手配師?に誘われて入ったんですよ!(引用:失踪日記より)😅
あじま先生は「萌えって何じゃ、わしゃそんな気持ち悪い言葉知らん。」と言っておられましたよね😅
ミニスカ・ナマ足・ルーズソックスの三点セットは実際に流行るより先にこの人が描いている。
@@淳浅野-w5h 「ずるっ」だよねwルーズソックスが流行った時は「あぁ!?JKがあじましでお化した!?」とおかしくてしゃあなかったw
小学生の頃友達の家で二日酔いダンディを中学の時は貸本でふたりと5人、高校の部活室で やけくそ、不条理、大学でコロコロポロンのアニメとななこ、社会人になってから失踪、アル中など先生の作品を多く拝読いたしました。この動画でその時々の事、懐かしく思い出しました。
よくぞ先生を取り上げてくださいました!しかも単体で。感謝しかありません!保存させていただきました。
絵のタッチが、昭和ならではのとても良い味を出している!!
紙資料の画像だけで、とんでもなく価値ある動画です・・・すごいなぁ・・・ありがとうございます
「チョッキン」の連載時は小学生でしたが、何となくな感じで読んでいました。大人になり「ひでおと素子の交換日記」で再会し、やがて亡くなった事を知りましたが、こんなにも凄い方だったのですね。ホームレスの時、発見された切っ掛けが警察官に先生のファンが居て、と言うのには笑ってしまいました
吾妻ひでおが居なかったら、今のおたくが見ている景色はまったく違う物になっていたでしょうね。もっと評価されていても良い気がします。去年、なぜか、ななこ SOS 音楽編のリマスタリングCDが発売されてて驚きました。あ、僕は、スクラップ学園が好きです。
スクラップ学園いいげすよねぇ、ミャアちゃん。やけくそ天使の素子もやさぐれで好きでした。吾妻先生の二大美少女スターでしたね。
スクラップ学園は名作ですよね大好きです
いや~、ふたりと5人は大好きでした!!吾妻先生の作品は、どれもタイトルがユニークでしたね!これだけの知識と情報をお持ちとなると、アップ主様もすごい!また読みたくなっちゃった♪ 勉強になりました。
私と姉二人、吾妻ひでおのファンでした。15:32 の「陽射し」も家にあったのですが、表紙だけを見て絵本と勘違いした母が中身を読んで仰天してたのもいい思い出(笑)
吾妻先生の漫画は失踪日記とアル中病棟だけ持ってます 何度も読める名作だと思いますしかし吾妻先生は重度のアル中だったのに死ぬまで断酒できたのは凄いと思いました
アル中に関してはやっぱり赤塚不二夫先生の影響が大きいのかな?
依存症患者には2種類います。飲んだ挙げ句に死ぬ者と、死ぬまで断酒を続ける者です。むしろその2種類以外は知りませんし、有り得ません。
@@APW_Manbowなるほど~
この時代で女の子描くのはずば抜けて上手かったね。
これは…只の後追い紹介動画ではない、同時代を生きた者だけが出せる愛ある紹介動画だ!
自分の高校時代の友人の隣の家が吾妻ひでお宅(当時は大泉学園在住だった御様子)でした。当時の友人曰く、どう見ても何をやってるのか解らないフツーのおじさんだったそうですw
吾妻ひでおを取り上げるたことで、「いいね」つける。
作品群、ご本人ともに何か不思議な雰囲気を纏っていて感性の高い人たちを虜にしてしまう魅力がありました
知らない作品が多くあり驚きました。結構見てた筈なのですが。 懐かしいですね。ペンタッチに愛嬌があり好きでした。絵柄を見るだけで当時の風景が蘇ります。吾妻ひでおさんのご冥福をお祈り致します🙏
私も若いころすごくファンで先生の絵を模写して喜んでいました。サインをもらったことがあります。娘さんがまだ幼少で、娘さんのサインも貰いましたw
サイン、めちゃくちゃ羨ましいです! 同郷ですがいつか東京に行って、先生にお会いしてサインを頂くのが夢でしたが願い叶わずご逝去されてしまいました
吾妻ひでお先生は神でした。「陽射し」と「海から来た機械」は今でも隠し持っております。
シベールwwそんな超お宝、状態良かったら、一体いくら値がつくんだかわからんなあ
「陽射し」と「海から来た機械」は傑作ですね 個人的に「ぶつぶつ冒険記」も傑作です
二人と5人が今でも好きだな。ご本人は納得いかないのも分かるけど好きw
初めて見たのは月刊に出てた「吸血鬼ちゃん」、それから絵の特徴から見つければ読む。この人ロリ、エロからSFを突き抜けて虚無に行ってしまいそれらの混合が不気味を醸して他に無い味わいとなった。短編も上手で最も好きなのは三ページの作品、題忘れた、寿司屋に這入る奴。
ここでは紹介されていませんでしたが、角川の「バラエティー」誌に連載されていた新井素子さんとの共作の「愛の交換日記」が印象に残りますまた平井和正さんの「幻魔大戦」のパロディマンガとかも描かれていて、SF作家との交流も豊富でしたね
「どんでんを引っくり返した」の絵が描きづらい!ってので爆笑した思い出🤣
シッポが無いとかナハハとか不気味君とか個性的なキャラが多かったですね、お亡くなりになったのが残念でなりません。合掌……
あと三蔵ですね
吾妻先生の描くプティ・アンジェ、最高でした。
チャンピオン全盛期のチョッキンと2人と5人はリアルタイムで見ていて好きでした 失踪日記には本当に驚かされました
美少女✕SF✕不条理が最高でした😆✨何気にお弁当の絵が美味しそうだったなあ〜😋
レモンピープルの頃、内山亜紀と千之ナイフが我々の業界の頂点に君臨するのが吾妻ひでお先生と言ってた。ロリコン漫画業界の黎明期を創った1人であるのは 確か。
ガンダムZZのエルピー・プルの元ネタですね
40年くらい前だったと思うがFMで吾妻先生の声を聴いた。たまたまラジオ聞いていたら”今日のゲストは漫画家の吾妻ひでお先生です”みたいな紹介があり、驚いて固まってしまった。そんな事あるのか?聞き間違いか?と半信半疑だった。局も番組名も何も覚えていないがボソボソと話していたのは覚えている。
吾妻ひでおは少年チャンピオンの「ふたりと5人」からで、吾妻先生の作品のファンになりいろいろな作品を読みました。しばらく見ないと思っておたらいきなりの新作が「失踪日記」これは冷静に読むとかなり悲惨な状況なのに、吾妻先生の目を通すとほのぼのギャグマンガになるから不思議です。
コロコロのポロンの挿入歌「明るい明るい根が明るい!」と歌う歌が大好きでした。
アウト読者はアウシタン、ふぁんろ〜ど読者はろーでぃすとと言われてました。アウトはセイラさんのヌードピンナップが衝撃でアニパロが売りでした。ふぁんろ〜どは面白ければなんでもありで、マンガ、アニメ、プロレス、戦隊モノ、一休さん、少女のポートレート、マイコンとまとまりがない雑誌。83年以降は普通のマンガアニメオタク向けになりましたが、最初に表紙を見た81年頃は児童向け雑誌かと。あとは主にマンガ、それも当時勢いがあった少女マンガに多く焦点を当てていたぱふ。このあたりは購読していました。
吾妻ひでおさんと言えば高校の時にふと気まぐれに年賀状をマイアニメ(当時連載を持ってた)の編集気付で送ったら翌年に先生から年賀状が届いた思い出が。で、米沢嘉博記念図書館でサイン会があったときにはその年賀状を持って行って見てもらいました。(サインはミャアちゃん官能写真集にしてもらいました)いちおう市販のコミックスはほぼそろっているのが自慢です。
漫画が好きになったのはチャンピオン黄金期に巡り会えたからで、そこで吾妻ひでおを知りましたほとんどのコミックスを集めたのですが家の建て替えのときに捨てられちゃいましたね。 残念ですスクラップ学園のミャアちゃんは私の性癖に突き刺さってます素晴らしい動画ありがとうございます
この人の絵は今見ても古臭さを感させないし女の子が可愛らしいですね
作品の総数からもわかりますが多才な人だったのでしょうね。失踪日記とアル中病棟は心に残る作品でした。あの悲惨な心理状況を面白可笑しく表現できるのは唯一無二の才能です。お亡くなりになったのを知った時は悲しいけど先生らしいなと妙に納得しました。
不条理日記やオリンポスのポロンは好きで本を買ったりアニメを見てました。50年くらい前は「イヤらしいマンガ」だと読んではならないマンガとされてました。令和の時代、改めて光をあてて本を再発行して欲しいものです。
吾妻先生と江口先生の対談は面白かった!女の子を可愛く描ける漫画家の先生の最初の方でしたね。みなもと太郎先生もコミケで頑張った素晴らしい方です!❤
吾妻ひでお、その名はホントにすっげぇ🤣🤣🤣なんたって、「魔法使いチャッピー」の漫画版を手がけてたからね。
濃ゆい解説ありがとうございました。吾妻ひでお先生、大好きだったんだけど結婚した時にコレクションを日和って処分しちゃった。ほとんど電子書籍されないから後悔してます。スキャンしとけば良かった、、、。
私もアルコール依存だったので、よく理解できます。特に「 失踪日記 」に深い共感を覚えます。何かから逃げる感覚。
もう、題名だけで高評価、ふたりと五人、大大大好きでした。その後のシュール路線はちょっと分からないところがあったけど、吾妻先生の各キャラは可愛くて大好きでしたね。若い頃の私、不気味先生に身長体重容姿が似ていた。とファンから言われて、嬉しかった。(化学屋なので、白衣は普通)
まさか、この動画で吾妻ひでお先生の解説を見ることができるとは…。本当に感慨深いです。吾妻先生のイメージとしては不条理ギャグが有名な漫画家さんですが、やはり、私としては「ななこSOS」のイメージが強いです。(当時、初めて番組をラジカセで録音して聴いていたのは懐かしい思い出)思えば、吾妻先生はその作風とは異なり、かなり繊細な感覚を持った方だったのでしょうね。このような独特な雰囲気のある漫画家さんは、今後まず出てこないと思います。今回の動画は吾妻先生の足跡を知ることができるとても貴重かつ有意義な動画でした。また次回の動画も楽しみにしていますよ。
地元ではななこSOSとポロンが放送しなかったが他市に住む海岸に近い知人は東京の局を受信して見れたのでラジカセに録音してもらい音声だけ聞いてましたよw
少年漫画をガンガン描いていた頃よりOUTでアニパロマンガやレモンピープルでロリ漫画を描いていた頃の方が輝いていた感じですね。やはり漫画家は描きたいものを好きに描いていないと心を病んでしまうのかも。まあ、描けなくなるともっと病んでしまうわけですが…。
同人誌のシベールの少し後ですかな。まあ、アレは吾妻氏より当時アシスタントだった沖氏が中心かな?懐かしい話。(≧∇≦)b
これは最高の特集番組をやってくれた!😆
ふたりと5人で先生を知り、やけくそ天使やスクラップ学園.不条理日記等でハマり怒涛のごとくその世界に浸かりまくって、、、、 いつの間にか失踪していて、それでも戻ってきてくれて最後まで作品を描き続けて下さった先生。今はただ安らかにお休み下さいと祈るばかりです。
板井れんたろうさんのアシスタントをされていたことから、板井さんの絵柄の影響がかなり見てとれます。私が最初に覚えているのはチャンピオンのふたりと5人でした。既に不条理変態漫画でしたが、絵柄がかわいい系なのでスッと入ってきました。オリンポスのポロンは少女誌プリンセスだったので変態は抑え気味でしたが、不条理ではありましたね。これも可愛い絵柄のおかげで嫌らしくありませんでした。
板井れんたろう先生!小学館の小学4年生、5年生だったか、『ちびちびカーマン』『ラブタッチ先生キャンディ』少しエロで好きだったな。画質、確かに似ている。
ドタマジン太には吾妻先生がモデルのキャラも出ていたでも吾妻先生がメジャーになってから板井先生の事とかほとんど語らなかった
「オリンポスのポロン」は凄いよ。ギリシャ神話の本来の変態性をそのまんま描いてる。あれ読んだら原典に当たる必要ないくらい。
ロリ、不条理ギャグ、ファンタジー、SFから失踪、日記漫画、妙に薄暗く異様なのにリアリティーを感じる「魚シリーズ」などジャンルの枠を越えた吾妻ひでおさんは私の読マン歴と常にともに有り、そしてアイドルとともに昭和を特徴付けるサブカルの大きな柱だったと思います。出版元が散らばっていたり倒産したりで全作品集を見ることは無いと思いますがこんな異才が居たことを語り継ぎ読み付いていきたいですね。ありがとうございます!!
吾妻ひでお氏はだれの真似でもない孤高の個性を築き上げ、最終的には天才といっていい領域にまで到達した稀有なマンガ家だと思います。この動画に紹介された「ぱふ」とか「色っぷる」とかも持ってます。SFもエロ系も狂気やシュール系もすべてすばらしい。こんなマンガ家ほかにはいません。
本人は好きじゃなかったかもしれないけど、ふたりと5人は面白かったよ。最近藤田和日郎と島本和彦が紙面を通してプロレスやってるけど、そういうのの元祖が吾妻ひでおといしかわじゅんだったよね。
オリンポスのポロンは敬愛する山本正之先生が主題歌を担当しているのでOEだけは知っていました。ななこSOSの主題歌も山本先生のコメントによると、「頼まれて制作したが見てみたら違う曲が流れてた」との事。この2つの作品が同じ作者とは知りませんでした。それを知れただけでも良かったです、ありがとうございます。
山本正之先生版「ななこSOS」、吾妻ワールドにふさわしいとてもいい曲ですよね。アニメ放送初日に「オレンジのダンシング」を耳にして、愕然とした覚えが………主題歌に採用されなかったのは、B面(ED候補?)が流石に放送できないとされちゃったのかな?
ななこSOS好きでした!
かわいい女性、コミカルな男性キャラ、ポンポンテンポ良く飛び出すギャグ、はちゃめちゃな結末。とても面白かった。
10代後半から20代にかけて、まあまあコアな吾妻先生のファンでした。海外のSF小説を好んで読んでた時期と被ります。九州出身なので、「でれっき」が何なのか、のちの解説本を読むまで知りませんでした。一番好きだったのは『やけくそ天使』の不条理な主人公だったかも。阿素湖素子は美人で超人的でカッコよく、憧れのおねーさんでした。こうして動画を観ていると、秋田書店の雑誌掲載が多いですね。最初に先生の作品を意識したのも少年チャンピオンで、次号予告に『幸せを売るセールスマン』という先生の作品が紹介されていて、キャラ絵と「彼が行くところ不幸が訪れる」みたいなコピーが書かれていて、妙に惹かれて期待して待っていました。が、実際に掲載されたのは『荒野の純喫茶』という作品で、予告の主人公は客としてわずかに登場しただけでした。個人的には失望したものの、そのせいで先生の作品を意識し、『ふたりと5人』の連載が始まったときには少し嬉しかったものです。他に類を見ない才能を持つ漫画家さんだったと思います。晩年の作品は読んでいませんでしたが、なくなったと知ったときにはショックでした。故人のご冥福をお祈りします。
やけ天の阿蘇湖素子は永遠のアイドルです😤
素子のセリフで一番笑ったのが「体位が限定されてしまうのよ」どんなシチュなのかはお買い求めの上ご確認下さい(確か文庫版の5巻にあった)
吾妻先生の作品大好きでした。今は復刻版が高価な値段で売られています。いつか揃えたいですね。
私も自宅にほぼ吾妻先生作品あります。この動画の作品紹介リストは なかなかですね。特に興味深いのは単行本化されていな男性誌で掲載された内容に当時の時代風俗 流行を感じる1973-1978年ころのショート作品。。。
吾妻先生の絶頂期の作品をリアルタイムで読めた幸運に感謝いたします。多くの傑作がありますが、毎回4頁の「美美」は本当に楽しかった。今からでもアニメ化してほしいものです。
吾妻作品大好きです、中でもちびママちゃんですね~当時喫茶店でよく読んでた、懐かしくいっぱいタイトル思い出しました。有難うございます🤩
後年の半自叙伝「失踪日記」読みました。 いろいろやるせないです ...
「ふたりと5人」の哲学的センパイが好きでした。百円ライターで作った熱線銃とか。「不条理日記」はSF小説をチョイスする際に大いに参考にさせていただきました。「コロコロポロン」の動画を、当時原画をやっていた友人のツテでちょっとだけ手伝ったこともあります。高橋葉介先生も吾妻ひでお作品で知りました。吾妻ひでおは、私のヲタクのコアだと思います。たもっ!
たぁ~もぉ〜
ふたりと5人にハマったなぁ。翔べ跳べドンキーとか、不条理日記とか。
「やけくそ天使」通称「やけ天」を取り上げないとは、プンプン。私は吾妻ひでお氏のSF作品がすきだなー。単行本になった「吾妻ひでお作品集①メチル・メタフィジーク」「パラレル狂室」「ぱるぷちゃんの大冒険」「スクラップ学園」等々すきだなー。とにかく天才でした。萌えマンガの大御所だけではなく、シュールなSFはずば抜けていた。同人誌で作品掲載していたのは、雑誌編集者の介入なしに、好きなものを書きたいという欲求のための創作活動だったと、何かに書いてあったなあ。吾妻ファンが作った『大日本吾妻漫画振興会「吾妻ひでおに花束を」虎馬書房』 買いましたよ。わかるかなー。冊子タイトルがSF「アルジャーノンに花束を」のパロディーで、吾妻先生を「壊れていく天才」になぞらえている。すごい冊子でした。
悪いことして何が悪い!!
それは筒井康隆の作に出てくるセリフ?
@@木倉谷哲也 やけ天のどこかで素子さんがしんやくんに向かって言ったセリフ(完全に記憶頼りですが)
@@Pegira-Balgon そのセリフ、わからなかった。小学生ながら常識人の進也くんに、素子さんが居直って語るセリフ。という感じかなあ。
最終回「終わりだけど終わらない」。素子と進也くんのHシーン。じゃまが入る。素子「やらせろよ最終回なんだからさ」吾妻「初めて明かす創作ノート」「たとえ連載が終わった作品であろうとも、わたしは人知れずノートに描き続けている」素子は、最終回に抵抗して・・・・素子「このまま終わる阿素湖と思うな。また会おう諸君」進也くん「消えた!おねーちゃんが」、吾妻「てれぽてーしょん」進也くん「いったいどこへ行ったんだろう」、吾妻「わ、悪い予感が・・・」進也くん「おねーちゃーん」、吾妻「おそろしいキャラを作ってしもうた」
これはすごい資料ですね。知らない作品だらけだ。
「失踪日記」「アル中病棟」はとてつもなくリアルな内容です。後を追って2011年の入院中にレモンピープル以来の吾妻氏が先輩であった事を知って仰天。それにしても先輩の時代は病棟内でタバコ吸い放題だったとは羨ましい限り。2019年に亡くなった時には悼みましたが、病歴を考えると決して短命とは言えない堂々たる生き様だと思います。
FCだった「しっぽがない」の会員でした先生のキャラにはモデルが実在する場合が多いのですが、一番凄いのが坊主頭でガタイの良いキャラ「ななこSOS」で”第二新聞部のきよし君”とかですモデルのご本人を知ってますが、ご本人も凄い人でしたあとアシスタントだった田中雅人先生が回想記を書いてます
「しっぽがない」札幌支部で入会希望の連絡をし、先輩会員方がいっぱい来てくれる旨の待ち合わせ約束のお返事を頂いたのに、当時中坊だった私は当日びびってしまいスルーした事が苦い思い出です。悪い事を致しました。本当にすみませんでした。
吾妻ひでおは絵が上手くて好きだった。一種の天才。
昔は作者の自画像から勝手に飄々とした人だと思い込んでいたんだけど後に作品を色々読んだり本人さんを知るとかなり繊細な人だとわかってびっくりしました女の子の線がとても魅力的ですね
コロコロポロン、何故か昭和末期か平成初期にテレ東の朝に再放送してて自分それで覚えています。この頃テレ東の朝や夕方、他局で数年前にやってたアニメの再放送しまくってたんですよね。
岩下の新生姜ミュージアムにサイン色紙が有って何だか知らないけど気分が良くなった😂
ほう、それは知りませんでした。行ってみようかな?岩下の新生姜ミュージアム。
優しい画風のタッチがすきで「ふたりと5人」ではお世話になりました(・ω・`)「チョッキン」も好きでした。
『月刊OUT』の、板橋しゅうほう先生のアメコミ風SF漫画「ペイルココーン」が大好きだった事を、数十年ぶりで思い出しました。もちろん、吾妻ひでお先生も、ぼくの世代にとっては忘れることが出来ない漫画家でした。あんなかわいらしい画風の漫画家さんが、のちに路上生活者、アルコール依存に苦しまれていたことは、つい最近知りました。ご冥福を祈ります。
熱中ジアーラも板橋先生でしたよね。
いつもに増して熱量が。お好きなんですね。
小学生の頃から吾妻ひでおの名前は知っていた。チャンピオンのメインではない影の作家でいまひとつだなぁと子供心に思っていた。でも息が長い作家で美大受験の友達が吾妻ひでおを熱く語っていた。プー太郎だった頃寝っ転がりながらオリンポスのポロンをTVで見ていて無茶苦茶だけど面白い凄い作品だとはじめて思った。そのあと失踪日記を読んでなぜか涙が出るほど感動した。でまんだらけで吾妻作品を買い漁る事になる。
1ヶ月前に北海道へ旅行に行ったのですが長万部で途中下車したのは、ななこSOSのあのキャラクターを覚えていたから。あの作品はそれ以外にもほぼ全員駅名から付けた名前で鉄ヲタ兼アニヲタにも結構刺さった。
昔のキャラ、可愛いなぁw
昔、谷山浩子さんのラジオでよく取り上げられていたかな?「ななこSOS」とかマンガ買ってました。
ロリータの歌、スゴかった!
@@佐藤昌二山本まさゆき作詞作曲・歌の『愛のロリータ』ですね…『ななこSOS』のカップリング曲でしたね…谷山浩子のオールナイトニッポン(水曜日2部)の「真夜中のベストテン」コーナーで5週連続第1位獲得して殿堂入りしたんでしたっけ?
@@今里露夢 そうでした!ありがとうございます。
そうでした!谷山さんの二部、漫画家さんの事をたくさん取り上げてくれて大好きだった!さっそく「愛のロリータ」聴きます!
知らない作品ばかりでしたが、楽しめました😂OUTは、読んだ覚えがありますね📖😄又動画楽しみにしてます😄✋
元々アニメ好きがアニメファン化したのがアウトだったなマクロス辺りが丁度中学生で一気にのめり込んだ。アニメにアニパロに読者の投稿がバランスよく一冊で楽しめた。2042年まであと少し。頑張ろう。
先生がポッケに手を入れてバダッと転んだあとにポッケの手を抜かずに立ち上がり何事もなく歩き出したエピソードは聞いた時に先生らしいなと感心しました。
毎回思うのが知識が深いところもすごいけど動画を作るたの資料を集める労力もかなりのもんだと思うので完全にプロの仕事っすね
中高生の時やけくそ天使の話しを友達としていて、同級生の女の子に貸してと言われたけどさすがに貸せませんでした。
新井素子先生と一緒に連載していた「ひでおと素子の愛の交換日記」は、本を買ってた記憶があるな。
月刊OUTはなぁ。堀井雄二先生もこれで知ったし、芦田豊雄先生も楽しかった。アニメ雑誌はすべて買っていた。ミンキーモモが表紙のOUTや、アニメージュは今だに取ってある。95年5月に廃刊したから、あと半年頑張って95年10月のエヴァンゲリオンまで持てば持ち直したと思うけどなぁ。
吾妻先生の不条理ギャグが大好きなんです!
ミュアちゃん官能写真集PART3を今手にしながらこのコメントを書いてる。PART1は同人。PART2はない。OUTはまだあるが、実家に置いといたら、半分捨てられてた。岡田斗司夫氏がよく分かるゼネプロ講座という記事を書いてるのを見つけた。ゆうきまさみ氏のアニパロがたのしみでしたね。
ふたりと5人の哲学的先輩とタバコオバケが好きでした。
「ぶらっとバニー」は名作だと思う。
確かに!!
ぶらっとバニーが忘れられずに出てくるところが凄いですね。間違いなく名作だと思います。
竹本泉先生が影響うけた偉大な漫画家さんなんですよね♪🙂この人の画風はこの時代ではハイセンスだと感じます。
「スクラップ学園」が大好きでした。文庫になってから読んだので「みあちゃん官能写真集」の現物は見たことがありません。実在したのでしょうか。あと「ミニティー夜夢」のためにマイアニメを連載期間中だけ買いました。「失踪日記」でオタク趣味な警官との会話シーンがありますが、あの警官の気持ちが良くわかります。
電子書籍が全然ないのが残念絵柄がかわいいのも当然なんですがギャグとか不条理なシーンが独特の味わいがあってすごい好きです
キャラがカワイイので子供の頃好きだった。内山亜紀さんも別の意味で好きだった。
アル中漫画で吾妻ひでおを知ったので少年誌時代の詳しい解説動画凄く助かります🙇🏻♀️⸒⸒
吾妻先生が失踪後発見された埼玉県入間市の林って家のすぐ近所で家の目の前の駅でシケモク拾ってたらしいけどその当時見かけたホームレスがもしかしたら。。。。。って今でも思ってる
吾妻ひでお先生と言えば元祖ロリコン漫画家として有名だけど、結婚された時に奥様があまりに童顔で、中学生と結婚したなんて騒がれたくらい。
初期の「ざ・色っぷる」は、ささやななえ先生からファンレターが来たそうですが、手塚治虫先生も「美美」は面白いと絶賛していましたね。マンガ家にうけるマンガ家だ。
見覚えのある雑誌の表紙がいっぱい出て来て嬉しいなぁ😊月間OUT はアニメ雑誌として始まったんじゃないんだよね。かなりアバンギャルドで攻めた雑誌だったけど、創刊何号目かで「宇宙戦艦ヤマト」を特集したところ、アニメ好きが食いついた(当時はまだ「オタク」どころか「アニメファン」という言葉すらなかったね)。日本のアニメブームが始まったきっかけの一つだと思う。当時OUT が吾妻先生を取り上げてくれたのはとても嬉しかった。そういうところに手を出すのは OUT ぐらいのものだったし、つまらない作者論みたいなのも出さなくて、「この人好きだから取り上げたい」というスタンスだった。あれをみて、吾妻作品がさらに好きになったね。吾妻先生としても嬉しかったんじゃないだろうか。
「ヤマト」を採り上げたのはまさに創刊2号。キャラクターが全員フンドシ姿で描かれてたのが笑撃w また78年8月号の吾妻ひでお特集で吾妻ひでお論を書いてたのは阿島俊、他ならぬ米澤嘉博氏!多分だけど、米澤さんにとって吾妻ひでお作品は漫画の理想だったのだと思う。
「ヤマト」は創刊2号 !? 記憶はあてにならないなぁ😅5号ぐらいだと思ってた
ものすごく濃い動画です。よほどのマニアでないとこれだけの作品は出てこないしそれぞれの資料写真が揃っているのも驚異的です。
このチャンネルで、吾妻先生を取り上げて頂けて、とても嬉しいです。
吾妻先生の作品が、後世に読みつがれることを願ってやみません。
この人は本物の天才だと信じているガチ勢です。著書の8割程しか集められなかったですが、
大切なコレクションたちです。
特にお気に入りのものは本ではないのですが、「不条理日記」に一コマだけ登場する「知らない人」(モンスターにしか見えませんが)のフィギュアです。
当時のファンの方の手作りで、今も私を見守ってくれています。
先生のご冥福をお祈りいたします。
チャンピオン時代鴨川つばめの影に隠れた感はあるけどたしかに際立った存在だったね
OUT誌購読してました。吾妻ひでお先生はわが青春の貴重な一部であり、おたく史の巨大な柱ですね。
ご冥福をお祈りいたします
OUTの「ロリコントランプ」はいまも机の上にあります
この先生の描く女の子は、可愛かったしHな描写大好きだったなぁ~😊
コロコロポロンとななこSOSを土曜日の夕方6時に放送していたおおらかな時代が懐かしいです
私の住んでる関西では、土曜日の朝7:30ぐらいに放送されてました。ポロンの歌はOPもEDも大好きでした。
東海地方では午後4時半にやっていましたね。
当時は家にはビデオデッキもなく、ラジカセの自動録音を使って聞いたりしていました。
懐かしい思い出です。
関東なので同じ時間帯です。当時、土曜の夕方の番組表はアニメ・特撮の本放映がぎっしりでビデオがなかったので大変でした
平日夕方はアニメ再放送たくさんやってましたね、娯楽も少なくて子供がテレビにくぎ付けになる時代でした
@@えすま-j5q さん
特にコロコロポロンは18時30分からのイッパツマンと共に音楽が山本正之さんでしたね。
イッパツマンでは主題歌も声の出演(2-3)も担当した山本正之さん、
コロコロポロンでも主題歌のコーラスや挿入歌も歌ってました。
その雰囲気もあって吾妻ひでおさんの作風とは違ったギャグテイストも楽しかった。
評判良かったこともあり、両作品共に数話延長に。
@@yoshiboo-t2l
関西では土曜日の朝8:00の放送ですよ。
私は8:10に登校のため家を出ないといけなくて、毎回途中までしか見れなかった・・・(当時は土曜も学校があった)
ななこSOSの最終回、どうしても見たくて生まれて初めて仮病で学校を休みましたよ。
吾妻ひでおがいなかったら現在のアニメ業界の様相も変わっていたのではないかと思います。「萌え」という概念が一般化したのはこの人の功績が大きいはず。一度引退した時期にガス業者をやってたというのが泣かせる。
まさにまさに。手塚チックなころころとした可愛い絵でエッをやるという大革命w
引退したんじゃなくて、原稿描けなくなって失踪した時に、ガス会社に手配師?に誘われて入ったんですよ!(引用:失踪日記より)😅
あじま先生は「萌えって何じゃ、わしゃそんな気持ち悪い言葉知らん。」と言っておられましたよね😅
ミニスカ・ナマ足・ルーズソックスの三点セットは実際に流行るより先にこの人が描いている。
@@淳浅野-w5h 「ずるっ」だよねw
ルーズソックスが流行った時は「あぁ!?JKがあじましでお化した!?」とおかしくてしゃあなかったw
小学生の頃友達の家で二日酔いダンディを中学の時は貸本でふたりと5人、高校の部活室で やけくそ、不条理、大学でコロコロポロンのアニメとななこ、社会人になってから失踪、アル中など先生の作品を多く拝読いたしました。この動画でその時々の事、懐かしく思い出しました。
よくぞ先生を取り上げてくださいました!
しかも単体で。
感謝しかありません!
保存させていただきました。
絵のタッチが、昭和ならではのとても良い味を出している!!
紙資料の画像だけで、とんでもなく価値ある動画です・・・すごいなぁ・・・ありがとうございます
「チョッキン」の連載時は小学生でしたが、何となくな感じで読んでいました。大人になり「ひでおと素子の交換日記」で再会し、やがて亡くなった事を知りましたが、こんなにも凄い方だったのですね。ホームレスの時、発見された切っ掛けが警察官に先生のファンが居て、と言うのには笑ってしまいました
吾妻ひでおが居なかったら、今のおたくが見ている景色はまったく違う物になっていたでしょうね。もっと評価されていても良い気がします。
去年、なぜか、ななこ SOS 音楽編のリマスタリングCDが発売されてて驚きました。
あ、僕は、スクラップ学園が好きです。
スクラップ学園いいげすよねぇ、ミャアちゃん。やけくそ天使の素子もやさぐれで好きでした。
吾妻先生の二大美少女スターでしたね。
スクラップ学園は名作ですよね大好きです
いや~、ふたりと5人は大好きでした!!
吾妻先生の作品は、どれもタイトルがユニークでしたね!
これだけの知識と情報をお持ちとなると、アップ主様もすごい!
また読みたくなっちゃった♪ 勉強になりました。
私と姉二人、吾妻ひでおのファンでした。15:32 の「陽射し」も家にあったのですが、表紙だけを見て絵本と勘違いした母が中身を読んで仰天してたのもいい思い出(笑)
吾妻先生の漫画は失踪日記とアル中病棟だけ持ってます 何度も読める名作だと思います
しかし吾妻先生は重度のアル中だったのに死ぬまで断酒できたのは凄いと思いました
アル中に関してはやっぱり赤塚不二夫先生の影響が大きいのかな?
依存症患者には2種類います。
飲んだ挙げ句に死ぬ者と、死ぬまで断酒を続ける者です。
むしろその2種類以外は知りませんし、有り得ません。
@@APW_Manbowなるほど~
この時代で女の子描くのはずば抜けて上手かったね。
これは…只の後追い紹介動画ではない、同時代を生きた者だけが出せる愛ある紹介動画だ!
自分の高校時代の友人の隣の家が吾妻ひでお宅(当時は大泉学園在住だった御様子)でした。
当時の友人曰く、どう見ても何をやってるのか解らないフツーのおじさんだったそうですw
吾妻ひでおを取り上げるたことで、「いいね」つける。
作品群、ご本人ともに何か不思議な雰囲気を纏っていて
感性の高い人たちを虜にしてしまう魅力がありました
知らない作品が多くあり驚きました。結構見てた筈なのですが。
懐かしいですね。ペンタッチに愛嬌があり好きでした。
絵柄を見るだけで当時の風景が蘇ります。
吾妻ひでおさんのご冥福をお祈り致します🙏
私も若いころすごくファンで先生の絵を模写して喜んでいました。サインをもらったことがあります。娘さんがまだ幼少で、娘さんのサインも貰いましたw
サイン、めちゃくちゃ羨ましいです! 同郷ですがいつか東京に行って、
先生にお会いしてサインを頂くのが夢でしたが願い叶わずご逝去されてしまいました
吾妻ひでお先生は神でした。
「陽射し」と「海から来た機械」は今でも隠し持っております。
シベールww
そんな超お宝、状態良かったら、一体いくら値がつくんだかわからんなあ
「陽射し」と「海から来た機械」は傑作ですね 個人的に「ぶつぶつ冒険記」も傑作です
二人と5人が今でも好きだな。ご本人は納得いかないのも分かるけど好きw
初めて見たのは月刊に出てた「吸血鬼ちゃん」、それから絵の特徴から見つければ読む。この人ロリ、エロからSFを突き抜けて虚無に行ってしまいそれらの混合が不気味を醸して他に無い味わいとなった。短編も上手で最も好きなのは三ページの作品、題忘れた、寿司屋に這入る奴。
ここでは紹介されていませんでしたが、角川の「バラエティー」誌に連載されていた新井素子さんとの共作の「愛の交換日記」が印象に残ります
また平井和正さんの「幻魔大戦」のパロディマンガとかも描かれていて、SF作家との交流も豊富でしたね
「どんでんを引っくり返した」の絵が描きづらい!ってので爆笑した思い出🤣
シッポが無いとかナハハとか不気味君とか個性的なキャラが多かったですね、お亡くなりになったのが残念でなりません。合掌……
あと三蔵ですね
吾妻先生の描くプティ・アンジェ、最高でした。
チャンピオン全盛期のチョッキンと
2人と5人はリアルタイムで見ていて好きでした 失踪日記には本当に驚かされました
美少女✕SF✕不条理が最高でした😆✨
何気にお弁当の絵が美味しそうだったなあ〜😋
レモンピープルの頃、内山亜紀と千之ナイフが我々の業界の頂点に君臨するのが吾妻ひでお先生と言ってた。ロリコン漫画業界の黎明期を創った1人であるのは 確か。
ガンダムZZのエルピー・プルの元ネタですね
40年くらい前だったと思うがFMで吾妻先生の声を聴いた。たまたまラジオ聞いていたら”今日のゲストは漫画家の吾妻ひでお先生です”みたいな紹介があり、驚いて固まってしまった。そんな事あるのか?聞き間違いか?と半信半疑だった。局も番組名も何も覚えていないがボソボソと話していたのは覚えている。
吾妻ひでおは少年チャンピオンの「ふたりと5人」からで、吾妻先生の作品のファンになり
いろいろな作品を読みました。しばらく見ないと思っておたらいきなりの新作が
「失踪日記」これは冷静に読むとかなり悲惨な状況なのに、吾妻先生の目を通すと
ほのぼのギャグマンガになるから不思議です。
コロコロのポロンの挿入歌「明るい明るい根が明るい!」と歌う歌が大好きでした。
アウト読者はアウシタン、ふぁんろ〜ど読者はろーでぃすとと言われてました。アウトはセイラさんのヌードピンナップが衝撃でアニパロが売りでした。
ふぁんろ〜どは面白ければなんでもありで、マンガ、アニメ、プロレス、戦隊モノ、一休さん、少女のポートレート、マイコンとまとまりがない雑誌。83年以降は普通のマンガアニメオタク向けになりましたが、最初に表紙を見た81年頃は児童向け雑誌かと。
あとは主にマンガ、それも当時勢いがあった少女マンガに多く焦点を当てていたぱふ。
このあたりは購読していました。
吾妻ひでおさんと言えば高校の時にふと気まぐれに年賀状をマイアニメ(当時連載を持ってた)の編集気付で送ったら翌年に先生から年賀状が届いた思い出が。
で、米沢嘉博記念図書館でサイン会があったときにはその年賀状を持って行って見てもらいました。
(サインはミャアちゃん官能写真集にしてもらいました)
いちおう市販のコミックスはほぼそろっているのが自慢です。
漫画が好きになったのはチャンピオン黄金期に巡り会えたからで、そこで吾妻ひでおを知りました
ほとんどのコミックスを集めたのですが家の建て替えのときに捨てられちゃいましたね。 残念です
スクラップ学園のミャアちゃんは私の性癖に突き刺さってます
素晴らしい動画ありがとうございます
この人の絵は今見ても古臭さを感させないし女の子が可愛らしいですね
作品の総数からもわかりますが多才な人だったのでしょうね。
失踪日記とアル中病棟は心に残る作品でした。あの悲惨な心理状況を面白可笑しく表現できるのは唯一無二の才能です。
お亡くなりになったのを知った時は悲しいけど先生らしいなと妙に納得しました。
不条理日記やオリンポスのポロンは好きで本を買ったりアニメを見てました。
50年くらい前は「イヤらしいマンガ」だと読んではならないマンガとされてました。
令和の時代、改めて光をあてて本を再発行して欲しいものです。
吾妻先生と江口先生の対談は面白かった!女の子を可愛く描ける漫画家の先生の最初の方でしたね。みなもと太郎先生もコミケで頑張った素晴らしい方です!❤
吾妻ひでお、その名はホントにすっげぇ🤣🤣🤣
なんたって、「魔法使いチャッピー」の漫画版を手がけてたからね。
濃ゆい解説ありがとうございました。吾妻ひでお先生、大好きだったんだけど結婚した時にコレクションを日和って処分しちゃった。ほとんど電子書籍されないから後悔してます。スキャンしとけば良かった、、、。
私もアルコール依存だったので、よく理解できます。
特に「 失踪日記 」に深い共感を覚えます。
何かから逃げる感覚。
もう、題名だけで高評価、ふたりと五人、大大大好きでした。その後のシュール路線はちょっと分からないところがあったけど、吾妻先生の各キャラは可愛くて大好きでしたね。若い頃の私、不気味先生に身長体重容姿が似ていた。とファンから言われて、嬉しかった。(化学屋なので、白衣は普通)
まさか、この動画で吾妻ひでお先生の解説を見ることができるとは…。本当に感慨深いです。
吾妻先生のイメージとしては不条理ギャグが有名な漫画家さんですが、やはり、私としては「ななこSOS」のイメージが強いです。(当時、初めて番組をラジカセで録音して聴いていたのは懐かしい思い出)
思えば、吾妻先生はその作風とは異なり、かなり繊細な感覚を持った方だったのでしょうね。
このような独特な雰囲気のある漫画家さんは、今後まず出てこないと思います。
今回の動画は吾妻先生の足跡を知ることができるとても貴重かつ有意義な動画でした。
また次回の動画も楽しみにしていますよ。
地元ではななこSOSとポロンが放送しなかったが
他市に住む海岸に近い知人は東京の局を受信して見れたので
ラジカセに録音してもらい音声だけ聞いてましたよw
少年漫画をガンガン描いていた頃よりOUTでアニパロマンガやレモンピープルでロリ漫画を描いていた頃の方が輝いていた感じですね。やはり漫画家は描きたいものを好きに描いていないと心を病んでしまうのかも。まあ、描けなくなるともっと病んでしまうわけですが…。
同人誌のシベールの少し後ですかな。まあ、アレは吾妻氏より当時アシスタントだった沖氏が中心かな?懐かしい話。(≧∇≦)b
これは最高の特集番組をやってくれた!😆
ふたりと5人で先生を知り、やけくそ天使やスクラップ学園.不条理日記等でハマり怒涛のごとくその世界に浸かりまくって、
、、、
いつの間にか失踪していて、それでも戻ってきてくれて最後まで作品を描き続けて下さった先生。
今はただ安らかにお休み下さいと祈るばかりです。
板井れんたろうさんのアシスタントをされていたことから、板井さんの絵柄の影響がかなり見てとれます。
私が最初に覚えているのはチャンピオンのふたりと5人でした。既に不条理変態漫画でしたが、絵柄がかわいい系なのでスッと入ってきました。
オリンポスのポロンは少女誌プリンセスだったので変態は抑え気味でしたが、不条理ではありましたね。これも可愛い絵柄のおかげで嫌らしくありませんでした。
板井れんたろう先生!小学館の小学4年生、5年生だったか、『ちびちびカーマン』『ラブタッチ先生キャンディ』少しエロで好きだったな。画質、確かに似ている。
ドタマジン太には吾妻先生がモデルのキャラも出ていた
でも吾妻先生がメジャーになってから板井先生の事とかほとんど語らなかった
「オリンポスのポロン」は凄いよ。ギリシャ神話の本来の変態性をそのまんま描いてる。あれ読んだら原典に当たる必要ないくらい。
ロリ、不条理ギャグ、ファンタジー、SFから失踪、日記漫画、妙に薄暗く異様なのにリアリティーを感じる「魚シリーズ」などジャンルの枠を越えた吾妻ひでおさんは私の読マン歴と常にともに有り、そしてアイドルとともに昭和を特徴付けるサブカルの大きな柱だったと思います。出版元が散らばっていたり倒産したりで全作品集を見ることは無いと思いますがこんな異才が居たことを語り継ぎ読み付いていきたいですね。ありがとうございます!!
吾妻ひでお氏はだれの真似でもない孤高の個性を築き上げ、最終的には天才といっていい領域にまで到達した稀有なマンガ家だと思います。この動画に紹介された「ぱふ」とか「色っぷる」とかも持ってます。SFもエロ系も狂気やシュール系もすべてすばらしい。こんなマンガ家ほかにはいません。
本人は好きじゃなかったかもしれないけど、ふたりと5人は面白かったよ。
最近藤田和日郎と島本和彦が紙面を通してプロレスやってるけど、
そういうのの元祖が吾妻ひでおといしかわじゅんだったよね。
オリンポスのポロンは敬愛する山本正之先生が主題歌を担当しているのでOEだけは知っていました。ななこSOSの主題歌も山本先生のコメントによると、「頼まれて制作したが見てみたら違う曲が流れてた」との事。この2つの作品が同じ作者とは知りませんでした。それを知れただけでも良かったです、ありがとうございます。
山本正之先生版「ななこSOS」、吾妻ワールドにふさわしいとてもいい曲ですよね。
アニメ放送初日に「オレンジのダンシング」を耳にして、愕然とした覚えが………
主題歌に採用されなかったのは、B面(ED候補?)が流石に放送できないとされちゃったのかな?
ななこSOS好きでした!
かわいい女性、コミカルな男性キャラ、ポンポンテンポ良く飛び出すギャグ、はちゃめちゃな結末。とても面白かった。
10代後半から20代にかけて、まあまあコアな吾妻先生のファンでした。海外のSF小説を好んで読んでた時期と被ります。九州出身なので、「でれっき」が何なのか、のちの解説本を読むまで知りませんでした。
一番好きだったのは『やけくそ天使』の不条理な主人公だったかも。阿素湖素子は美人で超人的でカッコよく、憧れのおねーさんでした。
こうして動画を観ていると、秋田書店の雑誌掲載が多いですね。最初に先生の作品を意識したのも少年チャンピオンで、次号予告に『幸せを売るセールスマン』という先生の作品が紹介されていて、キャラ絵と「彼が行くところ不幸が訪れる」みたいなコピーが書かれていて、妙に惹かれて期待して待っていました。が、実際に掲載されたのは『荒野の純喫茶』という作品で、予告の主人公は客としてわずかに登場しただけでした。個人的には失望したものの、そのせいで先生の作品を意識し、『ふたりと5人』の連載が始まったときには少し嬉しかったものです。
他に類を見ない才能を持つ漫画家さんだったと思います。晩年の作品は読んでいませんでしたが、なくなったと知ったときにはショックでした。故人のご冥福をお祈りします。
やけ天の阿蘇湖素子は永遠のアイドルです😤
素子のセリフで一番笑ったのが「体位が限定されてしまうのよ」
どんなシチュなのかはお買い求めの上ご確認下さい(確か文庫版の5巻にあった)
吾妻先生の作品大好きでした。
今は復刻版が高価な値段で売られています。いつか揃えたいですね。
私も自宅にほぼ吾妻先生作品あります。
この動画の作品紹介リストは なかなかですね。
特に興味深いのは単行本化されていな男性誌で掲載された
内容に当時の時代風俗 流行を感じる1973-1978年ころのショート作品。。。
吾妻先生の絶頂期の作品をリアルタイムで読めた幸運に感謝いたします。
多くの傑作がありますが、毎回4頁の「美美」は本当に楽しかった。今からでもアニメ化してほしいものです。
吾妻作品大好きです、中でもちびママちゃんですね~当時喫茶店でよく読んでた、懐かしくいっぱいタイトル思い出しました。有難うございます🤩
後年の半自叙伝「失踪日記」読みました。 いろいろやるせないです ...
「ふたりと5人」の哲学的センパイが好きでした。百円ライターで作った熱線銃とか。
「不条理日記」はSF小説をチョイスする際に大いに参考にさせていただきました。
「コロコロポロン」の動画を、当時原画をやっていた友人のツテでちょっとだけ手伝ったこともあります。
高橋葉介先生も吾妻ひでお作品で知りました。
吾妻ひでおは、私のヲタクのコアだと思います。
たもっ!
たぁ~もぉ〜
ふたりと5人にハマったなぁ。翔べ跳べドンキーとか、不条理日記とか。
「やけくそ天使」通称「やけ天」を取り上げないとは、プンプン。私は吾妻ひでお氏のSF作品がすきだなー。単行本になった「吾妻ひでお作品集①メチル・メタフィジーク」「パラレル狂室」「ぱるぷちゃんの大冒険」「スクラップ学園」等々すきだなー。とにかく天才でした。萌えマンガの大御所だけではなく、シュールなSFはずば抜けていた。
同人誌で作品掲載していたのは、雑誌編集者の介入なしに、好きなものを書きたいという欲求のための創作活動だったと、何かに書いてあったなあ。
吾妻ファンが作った『大日本吾妻漫画振興会「吾妻ひでおに花束を」虎馬書房』 買いましたよ。わかるかなー。
冊子タイトルがSF「アルジャーノンに花束を」のパロディーで、吾妻先生を「壊れていく天才」になぞらえている。すごい冊子でした。
悪いことして何が悪い!!
それは筒井康隆の作に出てくるセリフ?
@@木倉谷哲也
やけ天のどこかで素子さんがしんやくんに向かって言ったセリフ(完全に記憶頼りですが)
@@Pegira-Balgon そのセリフ、わからなかった。小学生ながら常識人の進也くんに、素子さんが居直って語るセリフ。という感じかなあ。
最終回「終わりだけど終わらない」。素子と進也くんのHシーン。じゃまが入る。素子「やらせろよ最終回なんだからさ」
吾妻「初めて明かす創作ノート」「たとえ連載が終わった作品であろうとも、わたしは人知れずノートに描き続けている」
素子は、最終回に抵抗して・・・・素子「このまま終わる阿素湖と思うな。また会おう諸君」
進也くん「消えた!おねーちゃんが」、吾妻「てれぽてーしょん」
進也くん「いったいどこへ行ったんだろう」、吾妻「わ、悪い予感が・・・」
進也くん「おねーちゃーん」、吾妻「おそろしいキャラを作ってしもうた」
これはすごい資料ですね。知らない作品だらけだ。
「失踪日記」「アル中病棟」はとてつもなくリアルな内容です。
後を追って2011年の入院中にレモンピープル以来の吾妻氏が先輩であった事を知って仰天。
それにしても先輩の時代は病棟内でタバコ吸い放題だったとは羨ましい限り。
2019年に亡くなった時には悼みましたが、病歴を考えると決して短命とは言えない堂々たる生き様だと思います。
FCだった「しっぽがない」の会員でした
先生のキャラにはモデルが実在する場合が多いのですが、
一番凄いのが坊主頭でガタイの良いキャラ
「ななこSOS」で”第二新聞部のきよし君”とかです
モデルのご本人を知ってますが、ご本人も凄い人でした
あとアシスタントだった田中雅人先生が回想記を書いてます
「しっぽがない」札幌支部で入会希望の連絡をし、先輩会員方がいっぱい来てくれる旨の待ち合わせ約束の
お返事を頂いたのに、当時中坊だった私は当日びびってしまいスルーした事が苦い思い出です。
悪い事を致しました。本当にすみませんでした。
吾妻ひでおは絵が上手くて好きだった。一種の天才。
昔は作者の自画像から勝手に飄々とした人だと思い込んでいたんだけど
後に作品を色々読んだり本人さんを知るとかなり繊細な人だとわかってびっくりしました
女の子の線がとても魅力的ですね
コロコロポロン、何故か昭和末期か平成初期にテレ東の朝に再放送してて自分それで覚えています。この頃テレ東の朝や夕方、他局で数年前にやってたアニメの再放送しまくってたんですよね。
岩下の新生姜ミュージアムにサイン色紙が有って何だか知らないけど気分が良くなった😂
ほう、それは知りませんでした。行ってみようかな?岩下の新生姜ミュージアム。
優しい画風のタッチがすきで「ふたりと5人」ではお世話になりました(・ω・`)
「チョッキン」も好きでした。
『月刊OUT』の、板橋しゅうほう先生のアメコミ風SF漫画「ペイルココーン」が大好きだった事を、数十年ぶりで思い出しました。もちろん、吾妻ひでお先生も、ぼくの世代にとっては忘れることが出来ない漫画家でした。あんなかわいらしい画風の漫画家さんが、のちに路上生活者、アルコール依存に苦しまれていたことは、つい最近知りました。ご冥福を祈ります。
熱中ジアーラも板橋先生でしたよね。
いつもに増して熱量が。お好きなんですね。
小学生の頃から吾妻ひでおの名前は知っていた。チャンピオンのメインではない影の作家でいまひとつだなぁと子供心に思っていた。でも息が長い作家で美大受験の友達が吾妻ひでおを熱く語っていた。プー太郎だった頃寝っ転がりながらオリンポスのポロンをTVで見ていて無茶苦茶だけど面白い凄い作品だとはじめて思った。そのあと失踪日記を読んでなぜか涙が出るほど感動した。でまんだらけで吾妻作品を買い漁る事になる。
1ヶ月前に北海道へ旅行に行ったのですが長万部で途中下車したのは、ななこSOSのあのキャラクターを覚えていたから。
あの作品はそれ以外にもほぼ全員駅名から付けた名前で鉄ヲタ兼アニヲタにも結構刺さった。
昔のキャラ、可愛いなぁw
昔、谷山浩子さんのラジオでよく取り上げられていたかな?「ななこSOS」とかマンガ買ってました。
ロリータの歌、スゴかった!
@@佐藤昌二山本まさゆき作詞作曲・歌の『愛のロリータ』ですね…『ななこSOS』のカップリング曲でしたね…谷山浩子のオールナイトニッポン(水曜日2部)の「真夜中のベストテン」コーナーで5週連続第1位獲得して殿堂入りしたんでしたっけ?
@@今里露夢 そうでした!ありがとうございます。
そうでした!谷山さんの二部、漫画家さんの事をたくさん取り上げてくれて大好きだった!さっそく「愛のロリータ」聴きます!
知らない作品ばかりでしたが、楽しめました😂OUTは、読んだ覚えがありますね📖😄又動画楽しみにしてます😄✋
元々アニメ好きがアニメファン化したのがアウトだったなマクロス辺りが丁度中学生で一気にのめり込んだ。アニメにアニパロに読者の投稿がバランスよく一冊で楽しめた。2042年まであと少し。頑張ろう。
先生がポッケに手を入れてバダッと転んだあとにポッケの手を抜かずに立ち上がり何事もなく歩き出したエピソードは聞いた時に先生らしいなと感心しました。
毎回思うのが知識が深いところもすごいけど動画を作るたの資料を集める労力もかなりのもんだと思うので完全にプロの仕事っすね
中高生の時やけくそ天使の話しを友達としていて、同級生の女の子に貸してと言われたけどさすがに貸せませんでした。
新井素子先生と一緒に連載していた「ひでおと素子の愛の交換日記」は、本を買ってた記憶があるな。
月刊OUTはなぁ。堀井雄二先生もこれで知ったし、芦田豊雄先生も楽しかった。アニメ雑誌はすべて買っていた。ミンキーモモが表紙のOUTや、アニメージュは今だに取ってある。95年5月に廃刊したから、あと半年頑張って95年10月のエヴァンゲリオンまで持てば持ち直したと思うけどなぁ。
吾妻先生の不条理ギャグが大好きなんです!
ミュアちゃん官能写真集PART3を今手にしながらこのコメントを書いてる。PART1は同人。PART2はない。OUTはまだあるが、実家に置いといたら、半分捨てられてた。岡田斗司夫氏がよく分かるゼネプロ講座という記事を書いてるのを見つけた。ゆうきまさみ氏のアニパロがたのしみでしたね。
ふたりと5人の哲学的先輩とタバコオバケが好きでした。
「ぶらっとバニー」は名作だと思う。
確かに!!
ぶらっとバニーが忘れられずに出てくるところが凄いですね。間違いなく名作だと思います。
竹本泉先生が影響うけた偉大な漫画家さんなんですよね♪🙂この人の画風はこの時代ではハイセンスだと感じます。
「スクラップ学園」が大好きでした。文庫になってから読んだので「みあちゃん官能写真集」の現物は見たことがありません。実在したのでしょうか。あと「ミニティー夜夢」のためにマイアニメを連載期間中だけ買いました。「失踪日記」でオタク趣味な警官との会話シーンがありますが、あの警官の気持ちが良くわかります。
電子書籍が全然ないのが残念
絵柄がかわいいのも当然なんですがギャグとか不条理なシーンが独特の味わいがあってすごい好きです
キャラがカワイイので子供の頃好きだった。
内山亜紀さんも別の意味で好きだった。
アル中漫画で吾妻ひでおを知ったので少年誌時代の詳しい解説動画凄く助かります🙇🏻♀️⸒⸒
吾妻先生が失踪後発見された
埼玉県入間市の林って家のすぐ近所で
家の目の前の駅でシケモク拾ってたらしいけど
その当時見かけたホームレスがもしかしたら。。。。。
って今でも思ってる
吾妻ひでお先生と言えば元祖ロリコン漫画家として有名だけど、結婚された時に奥様があまりに童顔で、中学生と結婚したなんて騒がれたくらい。
初期の「ざ・色っぷる」は、ささやななえ先生からファンレターが来たそうですが、手塚治虫先生も「美美」は面白いと絶賛していましたね。マンガ家にうけるマンガ家だ。
見覚えのある雑誌の表紙がいっぱい出て来て嬉しいなぁ😊
月間OUT はアニメ雑誌として始まったんじゃないんだよね。かなりアバンギャルドで攻めた雑誌だったけど、創刊何号目かで「宇宙戦艦ヤマト」を特集したところ、アニメ好きが食いついた(当時はまだ「オタク」どころか「アニメファン」という言葉すらなかったね)。日本のアニメブームが始まったきっかけの一つだと思う。
当時OUT が吾妻先生を取り上げてくれたのはとても嬉しかった。そういうところに手を出すのは OUT ぐらいのものだったし、つまらない作者論みたいなのも出さなくて、「この人好きだから取り上げたい」というスタンスだった。あれをみて、吾妻作品がさらに好きになったね。吾妻先生としても嬉しかったんじゃないだろうか。
「ヤマト」を採り上げたのはまさに創刊2号。キャラクターが全員フンドシ姿で描かれてたのが笑撃w また78年8月号の吾妻ひでお特集で吾妻ひでお論を書いてたのは阿島俊、他ならぬ米澤嘉博氏!多分だけど、米澤さんにとって吾妻ひでお作品は漫画の理想だったのだと思う。
「ヤマト」は創刊2号 !? 記憶はあてにならないなぁ😅5号ぐらいだと思ってた