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よく分かりやすい! ありがとう
オリラジあっちゃんのチャンネルにはまり色んな方の歴史チャンネル見させてもらってますが、かなりわかりやすかったです。信長編5本1日で楽しませて頂きました^_^
本能寺の変に行く時に通った明智峠に1回行ってみたけど結構キツイ道だったわ
0:48 信長が朝倉を攻略したのは1573年、武田信玄が死んだ直後ではないでしょうか?
歴史は真実がわからないからこそ、面白いのでは?でも…本能寺の変だけは、本当に不思議
光秀は、いくつも謀反の要因を抱えていながら、「やれるならやってみろ」の慢心だろうね。早めに遠ざけていたとしても、いずれは反乱を起こしていたかもしれない。
背後関係無しの突発的な怒りからの反乱のような気がする。変以降の段取りが無計画過ぎる
4年前なのに怨恨・恐怖とかいらんわ。黒幕もおらんよ。暴走信長を止める為だよ。四国を和をもって纏めようとしたのを信長が反古にしたからな。信長さん、敵を殺しすぎやねんな。
黒幕は朝廷では?秀吉・・・関白、太閤、家康・・・幕府(征夷大将軍)と朝廷、天皇制は必要しかし、信長はヨーロッパの王権神授の考え方を学んだため、自分自身が皇帝になてる可能性に気づいた。それを知った朝廷は「官位を送れぬ者は敵」と判断して光秀に暗殺させたのでは?
本質は「商売人」で、革命思想の強い織田信長さんが、これ以上強くなると危険であると察した公家の勢力が明智さんに談合、協力もあり本能寺の変に至ったと思います。変の現地、京都では明智さんを門を開けて、変の協力をした公家の方々もいたと、お話になる公家の末裔の方もいらっしゃいますね。当時の公家の方々の本音からすると、神社の神主の子孫の身分で冠位をいらないとか言う信長さんは世を乱し、国の在り様(国体)が良くない形になると感じたのかもしれません。(強い人が国王になる。という事になれば中国の様に永遠に殺し合いが終わらない) 織田信長さんに革命思想がなければ、本能寺の変は起こらなかったかもしれません。後の豊臣ノ秀吉さん、徳川家康さんは織田信長さんの失敗を見れたので成功した面はあったと感じます。 余談ですが、信長さんが武田家を滅ぼした後に強引に素早く、事を進めたのは、武田信玄さんなら家臣が変に至る事はないと思いますが、孫子の兵法だと武家の頂点に達するまで寿命がいくらあっても足りないから遅くてダメだ。というのは信長さんは感じていたのかもしれません。
よく分かりやすい! ありがとう
オリラジあっちゃんのチャンネルにはまり色んな方の歴史チャンネル見させてもらってますが、かなりわかりやすかったです。信長編5本1日で楽しませて頂きました^_^
本能寺の変に行く時に通った明智峠に1回行ってみたけど結構キツイ道だったわ
0:48 信長が朝倉を攻略したのは1573年、武田信玄が死んだ直後ではないでしょうか?
歴史は真実がわからないからこそ、面白いのでは?
でも…
本能寺の変だけは、本当に不思議
光秀は、いくつも謀反の要因を抱えていながら、「やれるならやってみろ」の慢心だろうね。早めに遠ざけていたとしても、いずれは反乱を起こしていたかもしれない。
背後関係無しの突発的な怒りからの反乱のような気がする。
変以降の段取りが無計画過ぎる
4年前なのに怨恨・恐怖とかいらんわ。
黒幕もおらんよ。
暴走信長を止める為だよ。
四国を和をもって纏めようとしたのを信長が反古にしたからな。
信長さん、敵を殺しすぎやねんな。
黒幕は朝廷では?
秀吉・・・関白、太閤、家康・・・幕府(征夷大将軍)と朝廷、天皇制は必要
しかし、信長はヨーロッパの王権神授の考え方を学んだため、自分自身が皇帝になてる可能性に気づいた。
それを知った朝廷は「官位を送れぬ者は敵」と判断して光秀に暗殺させたのでは?
本質は「商売人」で、革命思想の強い織田信長さんが、これ以上強くなると危険であると察した公家の勢力が明智さんに談合、協力もあり本能寺の変に至ったと思います。変の現地、京都では明智さんを門を開けて、変の協力をした公家の方々もいたと、お話になる公家の末裔の方もいらっしゃいますね。当時の公家の方々の本音からすると、神社の神主の子孫の身分で冠位をいらないとか言う信長さんは世を乱し、国の在り様(国体)が良くない形になると感じたのかもしれません。(強い人が国王になる。という事になれば中国の様に永遠に殺し合いが終わらない)
織田信長さんに革命思想がなければ、本能寺の変は起こらなかったかもしれません。後の豊臣ノ秀吉さん、徳川家康さんは織田信長さんの失敗を見れたので成功した面はあったと感じます。
余談ですが、信長さんが武田家を滅ぼした後に強引に素早く、事を進めたのは、武田信玄さんなら家臣が変に至る事はないと思いますが、孫子の兵法だと武家の頂点に達するまで寿命がいくらあっても足りないから遅くてダメだ。というのは信長さんは感じていたのかもしれません。