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後ろで色々ひっくりかえったりぶっ倒れたりする音がする中ひたすら必死に情報を届けようとし続ける気象予報士さんを心の底から尊敬します
まず忘れちゃいけないのはネット配信と言ってもウェザーニューズは民間の企業だということあの中で自分の危険をかえりみず放送を続けられた精神力と技術力には感服する
宇野沢さんアナウンサーじゃなくて気象予報士だよあの揺れの中冷静に情報発信されてすごいよ
最近の気象予報士はアナウンサー並みのアナウンス力を求められる。プロ中のプロ
周りからの大きな物音で揺れの激しさがどれほどか、プロ魂を感じました。ずっと揺れに耐えて情報を伝えて、凄い。
いやいや、プロならもうちょっと落ち着いて読んでほしいわ。慌てすぎ。これからは地震速報はマジでAIに任せたほうが良い。
@@list1893それやってろくに大丈夫だろうと安心した人の方が多かったから、緊張感を与えないと
当時東京にいたけど、それでも凄い揺れだったあれで「5強」なんだからそれより上が3つもあるとかヤバすぎる
もしビル内にいたのなら長周期地震動で大きく揺れた可能性もありますね
当時、東京にいる弟や知り合いと連絡がつかなくて、めちゃくちゃ焦りました。仕事終わりに家に帰ろうと、車に乗って、エンジンをかけると、画面に真っ赤に燃えている何かが映っていて、地震で千葉か東京のどこかの海岸が出火したって言うような放送してて焦りまくって電話をしたの覚えてます。どこにもつながらなくて、しばらく電話をかけながら、画面に見入ってたのを思い出しました。
自分震災の時小1で、下校中で、自分の住んでるところは6弱だったけど、あれはねぇ、体が吹っ飛ばされるよ…今でもカラーで震災の地震の記憶がカラーで蘇ってくるで…揺れに遭遇した場所が偶然小学校の近くだったもんで、自分含めてすぐに校庭に生徒や教師が避難できたけど、揺れが激しすぎて「津波」まで来ることに頭が回らなかったくらい激しい揺れだったよ、
震度7ってこの時初めて聞いた気がする。子どもだったから、最大でも6強だと思ってた。
@@らむだ-q8vはい。死ぬの覚悟しました。6強でした😅
あの時は凄い揺れでこのアナウンサーさん達のお陰で私達は難を逃れました…… 実家は津波に持って行かれ 両親は逃げたのにまた家が心配で戻り津波に飲み込まれ何とか命は助かりましたが その3年後津波を飲んだ影響で亡くなりました… テレビのアナウンサーの方々には本当に感謝です。 ありがとうございました
実況中にも地震が続く状況なんてかなり稀なんだろうな。とはいえ、その状況下でも各地の地震を伝えているアナウンサーはさすがプロだと思った。
ここのスタジオめちゃくちゃ揺れとるやないかい…こんな中しっかり報道してくれてたプロ根性すごいよ…
後ろの方でガタガタ物凄い音がしてるのが生々しくて、恐ろしいです😭😭思い出したくないですが、忘れてはいけませんね。
あれからそれなりの時間を経たのに、当時のこういう動画を見たり、振り返るとただ立ちすくみ、涙が溢れてきます。
当時東京のオフィスで働いてましたが椅子に座っていられないほど揺れましたので、この方がアナウンス続けられているのに驚きです。
正に現場は地獄だな。次々と上がっていく震度・マグニチュード、段々こわばる声、徐々に揺れてゆくスタジオ。職業柄、数字の大きさが被害の大きさを理解してても、言葉で伝えるしかない。修羅場の心境だったんだろう。
宇野澤さんが一瞬で緊張するのが生々しい
マグニチュード見て声が出なかったのでしょうね。一瞬で津波が来るとこれはやばいと
マグニチュードが上がったときに、「えっ?」って素が出ちゃってるのが怖い…
何だろうと思って再生したら…ただただ涙が出てきて、背中ぎざわざわします。13年経っても...怖いです。1ヶ月後にまた揺れて、知人の娘さんが亡くなりました。
この状況でパニックにならずプロ根性が素晴らしい
何気なくみたけど、気づいたら号泣してた
3.11関連の動画を見ると、いつも鳥肌が立つ。当時、あまりに長くて大きな初期微動で大きな地震が来るって思ったけど、違ったらどうしようと地震に備えた行動ができなかった。危ないと思ったら横揺れが来る前に動かないといけないんだよね。あの地震で学びました。
怖すぎ。絶対に忘れてはならない。
途中で震度7が右一覧に増えるの怖い
うちのおばあちゃんの家が震度7でした。家の中がぐちゃぐちゃになりましたが、幸い津波は来ない地域で無事でした。
誰もこの時あんな地震が起きた時恐ろしい程の引き波からの襲いかかる津波の映像と何もかもを飲み込む恐ろしさ予想なんてここまで出来なかったよなって今でも
いや、すぐにNHKで直近に放送された『メガクエイク』や『サイエンスゼロ』で取り上げてた貞観津波の再来と思いました。ただ今思うと当方も研究者の視点と一緒で、知的好奇心の対象であって防災には結び付いてなかったですね
この状況下でも全く早口になってないすごい
こちらの気象予報士さんを始め報道スタッフの皆さんの冷静な行動が視聴者に伝わっていると感じました。JR東日本常磐線三河島駅に停車中に東日本大震災に遭遇した乗車客が撮影した動画か公開されています。住まいの近隣の駅での当時の様子が分かり、よく車両が脱線転覆しなかったと感心しましたし、乗客の皆さんの冷静な行動から小学生の頃からの訓練の賜物と思いました。
ベテランの放映中なのが、幸いしたいと。
ホントですね。あの揺れの中、よく情報を伝えてくださいましたね。
揺れ始めには余裕があった声に、増していく緊張感と使命。自分が居た場所でも経験したことが無い強い揺れだった。あの時を思い出して涙が出そうになる。
だめだ、いまだに涙が出てくる
栃木の芳賀という地区に居ましたが、関東で唯一震度7を記録した地域でした。外に居たのですが、アスファルトは波打ち、車は跳ね上がり、シャッターはめくり上がり、土管から蓋が飛び上がるの揺れながら見てました。これはヤバイと思い、周りの人に建物から離れろと叫びながら伏せて居ました。本当に大変でした。
関東でも震度7あったんだ
関東での経験者ですが関東でも震度7あったの今まで知らなかったです。これを期に震度分布表とか見てみようかなと思います。貴重な話をありがとうございます。
当時九州の長崎に居たが、ルームメイトが『何か、おかしな地震を感じた…』と言っていた。私は『雲仙あるし、微震はいつものことだろ』と言って取り合わなかったが、彼は直ぐにパソコンで調べ始め大変な事態だと気付いていたのを思い出します…
同じ日同じ地域にいました仕事中で情報とかなかったから、地球が壊れたかと思いました
@@shunsakudochan HONDAやキャノンかな?
その当時岩手県沿岸の実家に居ました。辛い思い出ですが何年も経ってからおすすめにあがってくることで私は気持ちが引き締まります地元の消防の放送で「大津波がきます」と流れ耳を疑いました半信半疑で避難しましたがその後の目を疑うような光景が忘れられません関東ではこんな感じだったんですね
関東住みですが慌ててテレビをつけたくらい普段と違う揺れ方でした。電信柱がギシギシしていて近隣の瓦も割れてたはず。福島から嫁いできた祖母が実家の妹へ電話をかけようとするのを「今は回線が混んでるから明日にしよう」と止めたのをよく覚えています。幸い祖母の実家は山の上にあり無事でしたが裏の畑から見える街が丸ごと無くなっていて…本当につらい目に遭われましたね。
@@109ドル色々教えてくださりありがとうございます😊
関東でも電車がほぼ止まり、帰宅困難な人がたくさん、都心から、地元の埼玉県ら辺まで列をなして歩いておられました。私は23時頃にやっと回って来たタクシーで帰宅。
@@ファイロベカルのつま そーいえば歩いて帰っている映像を後に観ました!停電が4、5日で終わったのでテレビを付けてビックリたまげました!!それまでは目の届く範囲でしか状況がわからなかったので…電車は次の朝には動いていたのでしょうか?
@@MozukuGames東京は当日夜11時頃に地下鉄が復旧しました。当時自動車メーカーにいたので、社用車で自宅が近い人たちで分乗して帰宅しましたが、歩いている人と同じスピードのノロノロ運転でした。徒歩で帰る人が多すぎて、お祭りの出店を見ながら歩いている様なスピード感でした。後部座席に乗っていた女性陣は途中で復旧した電車に乗り換えたので、よく覚えています。15時頃会社を出て、帰宅したのは23時半でした。
これ揺れてるの耐えながらなんだよね
よく聞くと力入れてるのが分かるよね。後ろでガタガタ言ってるし。モニターも揺れてるから大変だったろうな。
いつ観ても涙出る
激しい音がしている中でアナウンサーの方がしっかり伝えている。命がけでしたね、、、
2年前の動画が急におすすめにあがってきたけど、311のときを思い出して怖い
当時小学生だったけど今でもあの全てが揺れた景色は忘れられない
東京で経験したけど、感じたことのない揺れ方だった。上下にガタガタっではなく、円形にかき混ぜるように揺れる気持ちの悪くなる揺れ方。数え切れないほど地震を経験したが、あんな揺れ方はこの時以外記憶にない
2:25 2:25 2:25 スタジオ揺れて落下音が激しい。 少しあとに山口さんも参加だが2人とも左右に体揺らしながら実況してたね。プロの鑑や。
ばっと初めに出た揺れの範囲が明らかおかしすぎるのと途中からアナウンサーさんが明らかに途切れ途切れになるのが全てを語ってる
ウェザーニュースのアナウンサーだから読み上げてる時から、震度がそんなもんじゃないだろと言うのには気づいてただろうな。
本当に辛く悲しいことだが、それでも忘れずに、心に刻んでこれからも生きようと思う。
揺れが大きいだけでなく、長い時間揺れていたのを思い出しました。忘れず、災害に備えることが大事ですね。
震災時、友達とカラオケ行ってて地震で外に飛び出しその後お店側から帰宅するよう言われました。取り敢えず歩いて駅まで行くことになりましたが、電車が全て止まってしまったため帰れなくなりました。駅構内のテレビでニュースを見て初めて東日本で大きな地震があったことを知り唖然としたのを今でも鮮明に覚えています。あの時感じた喪失感と恐怖はきっとどんなに時間が経っても忘れられないと思います。
気象予報士さん揺れに耐えて懸命に放送を繋いでおられる。ヤバい、あの日のあの瞬間を思い出して涙出る。宮城県北地域に居ました。緊急地震速報より前に凄い揺れ初めて、揺れが強すぎて身動き取れなくて、玄関開けてからは如何にして婆ちゃんを抱えて逃げるか、犬も落ち着かせなくちゃ、自分しか居ないと思って必死だったよ。家は地盤の強さもあって無事だった…。内陸だから津波は無かった。でも、あの恐怖は一生、忘れられない。数年前の深夜の震度6もヤバかった…😢
幸いに当時は全く揺れを感じないところにいたけど、このどんどん震度が上がっていってスタジオの混乱が聞こえてくるのゾッとして涙出てくるアナウンサーさんの声も冷静だけど必死で上ずってるしここにいたらこれ死ぬんかもって思うよ
このとき職場PCに緊急地震速報ソフトが入っていて警報音とともにP波とS波の二重の円が日本地図表示中拡大し続け各地の震度階級がすごくなり推定マグニチュードもガンガン上がったソフト導入後初の特級クラスの揺れだったため、マグニチュード表示が8くらいで上がらなくなって当時のソフトの想定表示の限界に達していて計算できなくなっていたすぐにテレビをつけたらマグニチュードは8.8と報道されていた(後で最終的補正でモーメントマグニチュード9.0になった)週刊誌記事の速報時点記事でもまだM8.8になっていて補正は後日だったNHKで漁港の水位を中継、水位がゆっくり上がっていき岸壁を超えたら陸の海水が急激に流れ始めたその後仙台平野のヘリ空撮に切り替わり大津波が仙台平野を覆っていく様、を映していたちょっと気になったのは高所にあった車道の車列が津波と平行に動いていて車にすぐ横に迫る大津波が押し寄せる深刻さがあまり伝わってないように感じた
当時次々津波に飲み込まれてく車を見て現実だと思えなかった…翌日以降になって色んな映像がテレビでやってて 凄い高さの津波が凄まじいスピードで街中を覆っていくのを見て ますます現実と思えなかった…あの頃大変な辛い思いした人達が どうか幸せに過ごしてて欲しいと思う
あの時、100を越える死体が海に浮かんでるという声にショックを受けていました。現実感が無く、テレビの映像はまるで異国のニュースを流しているんじゃないかと現実逃避までして。
当時6強の地域にいました。体感では5と6の間にはとてつもなく大きな差があると感じました。6強であれなら7とかもう信じられなくて。当時はニュースなんて見る余裕なかったけど、こうして後から見るといかにやばい地震だったか分かりますね…
スタジオが大変なことになってるのがよくわかるわ
阪神・淡路大震災の時は東京都内で働いてたので朝のニュースで知ってたけど普通に出社ランチに出た先で付いてたテレビで朝との差に愕然としたその後執務室でもテレビ付けて追ってたが、見る度に被害が増えてく事に味わったことの無い不安と恐怖に襲われたのを今も覚えてるそして東日本大震災の日この動画のように刻一刻と被害が広がる様子に阪神・淡路大震災の時の気持ちを思い出した当日はマンションに居たのだが大きな揺れの後にすぐ停電になってしまったなので大きな揺れには遭ったもののテレビのこのような伝え方はリアルタイムで見れなかった不安で外にでると、同じように出て来た人が何人もいた当時はまだガラケーワンセグ時代だったけど、ラジオもワンセグもなかなか電波を広えず皆で立ちすくむだけだった夕方過ぎようやく電気が復活したものの、テレビの中の惨状は速度を上げて増え続けたこの時の恐怖と絶望感は、PTSDにこそならなかったけどまだ強く覚えてる有事の際の正しい情報は非常に大切で、下手したら命に関わることそんな中、危険を顧みずプロに徹して情報発信してくれる事には大きな敬意と感謝を伝えたい
1:52NHKと違うのは、この日本地図ね。NHKは震度7が記録されたあとに結果を伝えてるが、ウェザーニュースは震度が次々と更新されて、どんどん上がっていくのを伝えてる。
いまでも胸がギュッて痛くなる、九州の自分がこの地震で精神的に少しおかしくなってしまったので
おかしくなりすぎやと思う
敏感な方なんだな。気にすんなよ、何がしんどいかなんて人それぞれだ
私も九州の大学にいて卒業間近だったが、学友が気仙沼の出身でな。あの地震以降、言葉を掛けられなかった自分の弱さを悔いているよ…
ニューヨークのいわゆる911の時も、リアルタイムでニュースを見ててパニック発作起こした人がいっぱい居たらしいからなんとなくわかる。調子が悪いときは情報から距離をおいてしばらくゆっくりして下さい。
とても分かります。今年の1・1も、こちらは少ししか揺れなかったですがTVで見て、本当に姪とやっていたゲームにも手がつけられなくなりました。
東京ですが、3歳にならない息子が怯えながら抱きついてきたのを覚えています。窓から、電信柱が揺れ、大縄のように動く電線が忘れられません。あれ以来、子どもと大縄で遊ぶのが苦手です。
宮城県在住です。当時内陸部で体験しました。この時点で停電、携帯の不通の為に速報や被害経過な情報が何も入らなくなりただただ不安を感じて探していました。しかし備蓄品と周りの方達との強力でとりあえず日々過ごすことだけはできていましたが、後日、沿岸部の大惨事を知り言葉を失ってしまいました。
マグニチュードの訂正が大きい。7.7が7.9になると力の大きさは倍になります。7.7が8に変わると2.8倍になります。ほんの少しに思えたけどけっこうな大きさで増えていってますね。
このプロ意識と責任感、尊敬に価するよ。メディアにはこういう面もあるんだよな。
もう13年も経つんですね…当時住んでたアパートの頃を思い出す
何度見ても慣れないし慣れちゃいけないんだろう宇野沢さんが揺れに耐えながらも刻々と変わる状況情報を必死に伝えてくれてて今NHKとかも必死に避難を呼びかける方針になってるけどあの時TVが同じくらいの伝え方していたら失われた命が少しは少なかったのかもしれない。
んなこたぁない、避難しない人は避難しなかった。戻った人も多かった。どうしようもなかったさ。だからこそ継がなければ。
「はえ~大変やな、まあ自分に被害はないやろ」って心理が人間にはあるからな馬鹿なわけでも悪いわけでもない、全員持ってる脳みそのシステムだからそういうのがあるって知るのと、どうやって安全確保するか平時に決めとくのが大事なんやね
TVを非難する人はうーんて思うわ正常性バイアスとかあるし、避難しない人は本当に避難しないよというかあれだけ揺れたんだからねあと、家の貴重品取りに帰って津波に呑まれた方もいるし大事なのは災害時のTVを貶すことではなく【いかのおすし】を徹底させたり、自然が本気を出したら人間なんて一捻りだということを教え続けること
当時は避難を強く呼び掛けるとおそらくクレーム電話が凄かった時代だと思う。『落ち着いて冷静に、状況を見ながら避難する』が尊ばれていたんじゃないかな。それに津波の現実的な恐怖についてぼんやりしていた当時なら、必死に避難を呼び掛けても「今回は本当に津波来そうだな!海見に行こうぜw」という人間がむしろ増えた可能性もある。実際当時も撮影に向かっていた若者達(その後の安否は不明)の話とかあるし。3.11の映像やデータがしっかりあるにもかかわらず、能登半島地震の時にはもう『うるさい不快』『北朝鮮のアナウンサーみたい』などと揶揄嘲笑があった。3.11前ならどれだけうるさいクレームになっていたか、推して知るべし。
アナウンサーの緊張が凄くて、ここから震度やマグニチュード上がるなと考えながら話してるなと感じる
アナウンサーさんの声が泣くのをこらえているように聞こえた…。聞いてて胸が締め付けられる。涙が出てきたよ。もう二度と経験したくないよね。
この時、茨城手前の埼玉の学校にいました5強でしたが経験した事ないほどのあまりにも大きな揺れに恐怖で大泣きしていましたが、先輩が強く抱きしめてくれてました凄まじい音と外の電線が大きく揺れていた光景は今でも覚えています、「ここで死ぬかも」と思いながら家族の身を心配してました絶えず避難を呼びかけ、情報を伝え続けてくださった予報士さんや周りのスタッフさんのお陰で助かった人も多いと思います
あん時上野公園に避難したんだけど、携帯のテレビ機能でニュース見てたら後ろから「俺の家のほうだ」って声がして振り向いたら、40くらいのサラリーマンっぽい人がワイの携帯覗いてた「すいません」って謝られたけどその後一緒に携帯見てたあの人は元気なんだろうか
2024.12.04 あの日を忘れないように観ています。
初手ニュースの段階で、揺れ予想の範囲広すぎるよ…自分は西の方の人間だけど、それでもめちゃくちゃ揺れたもんな
この放送時点では犠牲者の大半は生きてたんだろうなと思うと
逆に言うとこんなに早く『海岸から離れて』と言ってるのに呑気な人が多かったということですね。東京にいた私でさえ、一緒にいた母に『この大きさだと東北は数千人は亡くなるかもね』と話すほど、命の危険を感じた揺れだったのに。
@@高橋一生-q7t呑気というかこんなに津波の影響があるという発想が無かったのだと思います。実際ここまでの津波は東日本大震災で知ったようなもので、東日本前と後では津波への対応の切迫感が違うと感じられます。実際数千人には留まらず1万6千人弱が亡くなられている事から、お母様も勿論被災された方やその他殆どの人が発想に無かったのだと思います。
@@高橋一生-q7t 亡くなった人によう呑気なんて言いはりますわ逃げたくても逃げられなかった人、自分を犠牲に他人を生かした人、その人らの無念を分からん野蛮人は心から軽蔑しますわ
@@高橋一生-q7t地震発生から30分で津波が到達浸水範囲は海岸線から5km前後だぞ付近に高台や頑丈な建物が無い地域だってある舗装が割れていて車両は満足に走れず倒壊した建物の瓦礫もある中平時で時速4km程度の歩行者が30分で安全な場所に避難できると思うか?君はいつどこにいる時に地震が発生しても30分で避難が完了するのかね
でも逃げれば生きていた人も逃げずに歩いていたせいで流されたらしいけどね
さすがプロ。報道に命掛けてるね。
これ当時は何度も見ましたが、すごく緊張感が伝わってきました。普通にスポーツ動画を見ていて、何故か3.11関連に飛んだ。近日、南海トラフ関連の番組が放送予定なので、何か感じます。
テレビ、ラジオ聴ける場所に居なかったからなこんな事になってたなんて知らなかったみんな心配してくれてたんだな、いまさら泣けて来た
冷静な反応ありがとうございます。震度7の住民です。停電になってしまい、ニュースなど見れなかったので、こんな放送だったんですね。
この日、偶然にも確定申告に行くために有給取ってた。もう一つ、何故か朝早く起きてしまい午前中に確定申告終えて帰宅していた。もし普通に出社してたら、都内からウチまで何時間かかったんだろう。しかし、この後ろで流れてる揺れの音、激しいのが伝わってくる中、刻々と変わる状況を冷静に伝えているアナウンサーさんには感服するしかない。
M7.7、震度5強の段階でまず最初に津波の可能性からはじめていたのが、やはり情報と経験なんだろうなぁ。人が伝えるということの、優先順位が正しい
マグニチュード見た瞬間に宮城県沖の大規模地震が発生したと察したんでしょうね。
@naokikizuna795 そして「火を消せ」「身を守れ」より先に「津波の可能性があります」になったんですね(T_T)
後ろガタガタ言ってるのはここも揺れて物が落ちてるからか…😰
こういう放送を見ると、NHKの日頃の地震速報の訓練がどれだけ徹底してるかわかりますね
当時、学校にいた。いきなりすごい揺れが来て、皆大騒ぎしてて、先生が焦りの見え隠れする声で机の下に隠れろと言っていた。その後、ギャーギャー騒ぎながら、先生からは騒ぐなと怒られながら校庭に出た。助かったのは日頃の避難訓練と、先生が我々を逃がす為に必死になってくれたお陰。早めに帰ることが出来たんだけど、家の中はひどい状態だった。こういうのを見ると、染んでいった人たちも地震と津波が来なければ今も普通に暮らしてたんだろうな、と。
震災当時小2、当時の記憶を忘れないように定期的にこういう動画を見るが、子供ながらに『これはとんでもないことになるな』と感じたことは覚えている。
マグニチュードが最初7.7から7.9に上がっていますが、マグニチュードは桁が3つ上がると数値が2つ増えるという訳わからん設定になっているので、この時点で規模は2倍に修正されてます
常用対数を使っていますね。それを使わないと、数値がとんでもなく巨大になってしまいますから。
有識者のコメントありがてえ2倍ってすげぇや
恐らく世界的に見れば日本はこの短時間で地域を指定して大津波警報まで出せるだけでも凄いことなんじゃないかと思う
冒頭から揺れてる範囲が異常なんだよな
ほんとそれ。でも当時この放送リアルタイムで見てたら「最大震度4なのにえらい遠くまで揺れとるなぁw お、うちも揺れとるすっげぇw おもすれーww」と笑ってたかもしれんそしてスタジオの揺れる音を聞いて洒落にならない事態だとようやく気付く
東北在住で当時内陸部の家にいたけど、揺れ始めて少し経過した時点でテレビが停電で見れなくなった。必死の報道もこの時点で見れなくなっていた人がそこそこの数居たと思うと、やりきれない。防災無線とラジオでヤバイことになったってのはわかったけど実感がなくて、夜に発電機使ってテレビ見るまで事態を上手く把握できてなかった感じはあった。やっぱり映像で直感的に情報を獲られるってのはデカいね。
この津波の映像覚えてる。放送中の映画を観てた。津波の範囲がすごい広くて驚いたな。あんな風になるなんて思わなかった。
最初のお伝えします、からどんどん上がっていくのこわ
これ見る度に思うんですよ、日本の地震速報技術がこの10年ちょっとでとんでもなく上がったなと地震規模をこれほど過小評価する速報は最近見ませんしその後長野や胆振や熊本、能登で大きな地震が起きても、未だに「大震災」と言うと3.11を思い出す、本当に意識も体制も変えた地震でしたね
当時、私は関東に住んでいた学生でした。あの日は体調が悪くて休んでいましたが、回復して用事を済ませる為に外出して被災。あまりにも強い揺れに立っていられず、周囲の電柱や信号機がメトロノームのように揺れる姿に、恐怖で体が動かなかったです。地面の下で何かが暴れているような感覚は、今でも忘れられません。人は自然の前には無力なのだと、初めて思い知った日でした。今はこの経験が少しでも役に立てるよう、会社の防災についての話し合いに参加しています。
一瞬、早口になりそうなのを冷静にゆっくりシフトしていったのさすがプロ
あの時 最初はいつもの地震だと思っていた そろそろ揺れが収まってもいい頃だな思っていたら突然大きな地震になり 今まで経験したことがなかった大きな揺れ身動きができなかった 棚から色々なものが落ちてきて猫たちはパニックになって 1階と2階を行ったり来たりしていたこの動画を視聴して ちょっと忘れていた経験を思い出しました
自分が被災者だったら、これが流れてる中で、急いで荷物持って靴履いて海抜の高いところに走らないといけないわけよね。動画ありがとうございます。
今見ても鳥肌が立った最終的な震度は6強だった建物が揺れる音、物が落ちる音を心が覚えてるんだろう海なし県だから津波の被害も無かったし、住んでる地区は停電も無かった
あのとき、九州にいた中学2年生の私には、遠い世界の実感のない出来事だった。急におすすめに上がってきて何気なく見たけど震えと涙が止まらない。どうか一人でも助かれ、って思って放送してくれてたんだろうなと思うとますます、だめだ
仙台~海浜幕張間を2分か…生々しい速さだ
直線でも300kmを2分ですか。時速9000kmとは脅威ですね。………なわけはなく。仙台~海浜幕張間「で」2分「差」 が妥当な表現かと。
今見ても身体がゾワゾワする
神戸にいたけど目眩のような揺れがあった。マグニチュードがどんどん上がって行くのが怖い😖
リアルタイムでウェザーニュース見てたら生きた心地しないだろうな今年の元日もたまたまニュース見てて能登から揺れが段々と近づいてくるのを体感して死んだと思った
宮城ですが、元日の地震で緊急地震速報の範囲がどんどん広がるのを見て、東日本大震災を思い出し、真剣に恐怖しました…
仕事中だったから携帯電話の緊急地震速報以外に伝えるものは一切見たり聞いたりしてない状況で避難したけど、改めて見てみてだんだん日本地図に震度のグラデーションができて、しかもその範囲が広すぎて自分が体験したのに映画のワンシーンのように思ってしまう。
当時は横浜の精神科病棟で、まだ喫煙が可能な時期で患者さんが円を囲んでタバコを吸ってました。すぐに火を消すようにや、出入り口の鏡が危ないと広い場所へと逃げろと何度も言い聞かせてもまるで動かなかった。なんか揺れてね〜、やだ!まだ吸ってる!とか… そのような時、皆様なら瞬時にどのような行動をとられますか? 当時、小学生の息子がいた私は「やれる事はやった息子を置いて死ねない!」と逃げました
記録残してくれて感謝。アナウンサーさんと裏方の方々のプロ精神に脱帽
この第一報で全力で逃げれば助かってた人もいるんだろうな
阪神淡路大震災の時、5強で11階に住んでたけど建物倒れる!って瞬時に脳裏に浮かんだ。もし震度7だったら本当に終わってたかもしれん。
何度も見ていますがあの揺れと恐怖の中、感謝しかありません
え?揺れながら言ってる!?凄い😱
スタジオそれ自身も強震で揺れてる状態で凄いリアリティだ。強烈。
貴重な映像を残してくださりありがとうございました
本当にこの地震トラウマで、この地震が起きてから小さい揺れとかでも心臓バクバクして手足が震えるんだよな
何だろう、ただただ涙が出て来ました。もう大丈夫だと思ってたのに。
後ろで色々ひっくりかえったりぶっ倒れたりする音がする中ひたすら必死に情報を届けようとし続ける気象予報士さんを心の底から尊敬します
まず忘れちゃいけないのは
ネット配信と言ってもウェザーニューズは民間の企業だということ
あの中で自分の危険をかえりみず放送を続けられた精神力と技術力には感服する
宇野沢さんアナウンサーじゃなくて気象予報士だよ
あの揺れの中冷静に情報発信されてすごいよ
最近の気象予報士はアナウンサー並みのアナウンス力を求められる。プロ中のプロ
周りからの大きな物音で揺れの激しさがどれほどか、プロ魂を感じました。ずっと揺れに耐えて情報を伝えて、凄い。
いやいや、プロならもうちょっと落ち着いて読んでほしいわ。慌てすぎ。これからは地震速報はマジでAIに任せたほうが良い。
@@list1893それやってろくに大丈夫だろうと安心した人の方が多かったから、緊張感を与えないと
当時東京にいたけど、それでも凄い揺れだった
あれで「5強」なんだからそれより上が3つもあるとかヤバすぎる
もしビル内にいたのなら長周期地震動で大きく揺れた可能性もありますね
当時、東京にいる弟や知り合いと連絡がつかなくて、めちゃくちゃ焦りました。
仕事終わりに家に帰ろうと、車に乗って、エンジンをかけると、画面に真っ赤に燃えている何かが映っていて、
地震で千葉か東京のどこかの海岸が出火したって言うような放送してて焦りまくって電話をしたの覚えてます。
どこにもつながらなくて、しばらく電話をかけながら、画面に見入ってたのを思い出しました。
自分震災の時小1で、下校中で、自分の住んでるところは6弱だったけど、あれはねぇ、体が吹っ飛ばされるよ…
今でもカラーで震災の地震の記憶がカラーで蘇ってくるで…
揺れに遭遇した場所が偶然小学校の近くだったもんで、自分含めてすぐに校庭に生徒や教師が避難できたけど、揺れが激しすぎて「津波」まで来ることに頭が回らなかったくらい激しい揺れだったよ、
震度7ってこの時初めて聞いた気がする。子どもだったから、最大でも6強だと思ってた。
@@らむだ-q8vはい。死ぬの覚悟しました。6強でした😅
あの時は凄い揺れでこのアナウンサーさん達のお陰で私達は難を逃れました…… 実家は津波に持って行かれ 両親は逃げたのにまた家が心配で戻り津波に飲み込まれ何とか命は助かりましたが その3年後津波を飲んだ影響で亡くなりました… テレビのアナウンサーの方々には本当に感謝です。 ありがとうございました
実況中にも地震が続く状況なんてかなり稀なんだろうな。
とはいえ、その状況下でも各地の地震を伝えているアナウンサーはさすがプロだと思った。
ここのスタジオめちゃくちゃ揺れとるやないかい…
こんな中しっかり報道してくれてたプロ根性すごいよ…
後ろの方でガタガタ物凄い音がしてるのが生々しくて、恐ろしいです😭😭
思い出したくないですが、忘れてはいけませんね。
あれからそれなりの時間を経たのに、当時のこういう動画を見たり、振り返るとただ立ちすくみ、涙が溢れてきます。
当時東京のオフィスで働いてましたが椅子に座っていられないほど揺れましたので、この方がアナウンス続けられているのに驚きです。
正に現場は地獄だな。
次々と上がっていく震度・マグニチュード、段々こわばる声、徐々に揺れてゆくスタジオ。
職業柄、数字の大きさが被害の大きさを理解してても、言葉で伝えるしかない。
修羅場の心境だったんだろう。
宇野澤さんが一瞬で緊張するのが生々しい
マグニチュード見て声が出なかったのでしょうね。
一瞬で津波が来るとこれはやばいと
マグニチュードが上がったときに、「えっ?」って素が出ちゃってるのが怖い…
何だろうと思って再生したら…ただただ涙が出てきて、背中ぎざわざわします。13年経っても...怖いです。1ヶ月後にまた揺れて、知人の娘さんが亡くなりました。
この状況でパニックにならずプロ根性が素晴らしい
何気なくみたけど、気づいたら号泣してた
3.11関連の動画を見ると、いつも鳥肌が立つ。当時、あまりに長くて大きな初期微動で大きな地震が来るって思ったけど、違ったらどうしようと地震に備えた行動ができなかった。危ないと思ったら横揺れが来る前に動かないといけないんだよね。あの地震で学びました。
怖すぎ。絶対に忘れてはならない。
途中で震度7が右一覧に増えるの怖い
うちのおばあちゃんの家が震度7でした。家の中がぐちゃぐちゃになりましたが、幸い津波は来ない地域で無事でした。
誰もこの時あんな地震が起きた時
恐ろしい程の引き波からの襲いかかる津波の映像と何もかもを飲み込む恐ろしさ
予想なんてここまで出来なかったよなって今でも
いや、すぐにNHKで直近に放送された『メガクエイク』や『サイエンスゼロ』で取り上げてた貞観津波の再来と思いました。ただ今思うと当方も研究者の視点と一緒で、知的好奇心の対象であって防災には結び付いてなかったですね
この状況下でも全く早口になってない
すごい
こちらの気象予報士さんを始め報道スタッフの皆さんの冷静な行動が視聴者に伝わっていると感じました。JR東日本常磐線三河島駅に停車中に東日本大震災に遭遇した乗車客が撮影した動画か公開されています。住まいの近隣の駅での当時の様子が分かり、よく車両が脱線転覆しなかったと感心しましたし、乗客の皆さんの冷静な行動から小学生の頃からの訓練の賜物と思いました。
ベテランの放映中なのが、幸いしたいと。
ホントですね。あの揺れの中、よく情報を伝えてくださいましたね。
揺れ始めには余裕があった声に、増していく緊張感と使命。
自分が居た場所でも経験したことが無い強い揺れだった。
あの時を思い出して涙が出そうになる。
だめだ、いまだに涙が出てくる
栃木の芳賀という地区に居ましたが、関東で唯一震度7を記録した地域でした。
外に居たのですが、アスファルトは波打ち、車は跳ね上がり、シャッターはめくり上がり、土管から蓋が飛び上がるの揺れながら見てました。
これはヤバイと思い、周りの人に建物から離れろと叫びながら伏せて居ました。
本当に大変でした。
関東でも震度7あったんだ
関東での経験者ですが関東でも震度7あったの今まで知らなかったです。これを期に震度分布表とか見てみようかなと思います。貴重な話をありがとうございます。
当時九州の長崎に居たが、ルームメイトが『何か、おかしな地震を感じた…』と言っていた。私は『雲仙あるし、微震はいつものことだろ』と言って取り合わなかったが、彼は直ぐにパソコンで調べ始め大変な事態だと気付いていたのを思い出します…
同じ日同じ地域にいました
仕事中で情報とかなかったから、地球が壊れたかと思いました
@@shunsakudochan
HONDAやキャノンかな?
その当時岩手県沿岸の実家に居ました。
辛い思い出ですが何年も経ってからおすすめにあがってくることで私は気持ちが引き締まります
地元の消防の放送で「大津波がきます」と流れ耳を疑いました
半信半疑で避難しましたがその後の目を疑うような光景が忘れられません
関東ではこんな感じだったんですね
関東住みですが慌ててテレビをつけたくらい普段と違う揺れ方でした。電信柱がギシギシしていて近隣の瓦も割れてたはず。
福島から嫁いできた祖母が実家の妹へ電話をかけようとするのを「今は回線が混んでるから明日にしよう」と止めたのをよく覚えています。
幸い祖母の実家は山の上にあり無事でしたが裏の畑から見える街が丸ごと無くなっていて…本当につらい目に遭われましたね。
@@109ドル色々教えてくださりありがとうございます😊
関東でも電車がほぼ止まり、帰宅困難な人がたくさん、都心から、地元の埼玉県ら辺まで列をなして歩いておられました。私は23時頃にやっと回って来たタクシーで帰宅。
@@ファイロベカルのつま そーいえば歩いて帰っている映像を後に観ました!
停電が4、5日で終わったのでテレビを付けてビックリたまげました!!それまでは目の届く範囲でしか状況がわからなかったので…
電車は次の朝には動いていたのでしょうか?
@@MozukuGames
東京は当日夜11時頃に地下鉄が復旧しました。当時自動車メーカーにいたので、社用車で自宅が近い人たちで分乗して帰宅しましたが、歩いている人と同じスピードのノロノロ運転でした。徒歩で帰る人が多すぎて、お祭りの出店を見ながら歩いている様なスピード感でした。
後部座席に乗っていた女性陣は途中で復旧した電車に乗り換えたので、よく覚えています。
15時頃会社を出て、帰宅したのは23時半でした。
これ揺れてるの耐えながらなんだよね
よく聞くと力入れてるのが分かるよね。
後ろでガタガタ言ってるし。
モニターも揺れてるから大変だったろうな。
いつ観ても涙出る
激しい音がしている中で
アナウンサーの方がしっかり伝えている。
命がけでしたね、、、
2年前の動画が急におすすめにあがってきたけど、311のときを思い出して怖い
当時小学生だったけど今でもあの全てが揺れた景色は忘れられない
東京で経験したけど、感じたことのない揺れ方だった。上下にガタガタっではなく、円形にかき混ぜるように揺れる気持ちの悪くなる揺れ方。数え切れないほど地震を経験したが、あんな揺れ方はこの時以外記憶にない
2:25 2:25
2:25 スタジオ揺れて落下音が激しい。 少しあとに山口さんも参加だが2人とも左右に体揺らしながら実況してたね。
プロの鑑や。
ばっと初めに出た揺れの範囲が明らかおかしすぎるのと途中からアナウンサーさんが明らかに途切れ途切れになるのが全てを語ってる
ウェザーニュースのアナウンサーだから読み上げてる時から、震度がそんなもんじゃないだろと言うのには気づいてただろうな。
本当に辛く悲しいことだが、それでも忘れずに、心に刻んでこれからも生きようと思う。
揺れが大きいだけでなく、長い時間揺れていたのを思い出しました。
忘れず、災害に備えることが大事ですね。
震災時、友達とカラオケ行ってて地震で外に飛び出しその後お店側から帰宅するよう言われました。
取り敢えず歩いて駅まで行くことになりましたが、電車が全て止まってしまったため帰れなくなりました。駅構内のテレビでニュースを見て初めて東日本で大きな地震があったことを知り唖然としたのを今でも鮮明に覚えています。あの時感じた喪失感と恐怖はきっとどんなに時間が経っても忘れられないと思います。
気象予報士さん揺れに耐えて懸命に放送を繋いでおられる。
ヤバい、あの日のあの瞬間を思い出して涙出る。宮城県北地域に居ました。
緊急地震速報より前に凄い揺れ初めて、揺れが強すぎて身動き取れなくて、玄関開けてからは如何にして婆ちゃんを抱えて逃げるか、犬も落ち着かせなくちゃ、自分しか居ないと思って必死だったよ。家は地盤の強さもあって無事だった…。内陸だから津波は無かった。でも、あの恐怖は一生、忘れられない。数年前の深夜の震度6もヤバかった…😢
幸いに当時は全く揺れを感じないところにいたけど、このどんどん震度が上がっていってスタジオの混乱が聞こえてくるのゾッとして涙出てくる
アナウンサーさんの声も冷静だけど必死で上ずってるし
ここにいたらこれ死ぬんかもって思うよ
このとき職場PCに緊急地震速報ソフトが入っていて警報音とともにP波とS波の二重の円が日本地図表示中拡大し続け各地の震度階級がすごくなり推定マグニチュードもガンガン上がった
ソフト導入後初の特級クラスの揺れだったため、マグニチュード表示が8くらいで上がらなくなって当時のソフトの想定表示の限界に達していて計算できなくなっていた
すぐにテレビをつけたらマグニチュードは8.8と報道されていた(後で最終的補正でモーメントマグニチュード9.0になった)週刊誌記事の速報時点記事でもまだM8.8になっていて補正は後日だった
NHKで漁港の水位を中継、水位がゆっくり上がっていき岸壁を超えたら陸の海水が急激に流れ始めた
その後仙台平野のヘリ空撮に切り替わり大津波が仙台平野を覆っていく様、を映していた
ちょっと気になったのは高所にあった車道の車列が津波と平行に動いていて車にすぐ横に迫る大津波が押し寄せる深刻さがあまり伝わってないように感じた
当時次々津波に飲み込まれてく車を見て現実だと思えなかった…
翌日以降になって色んな映像がテレビでやってて 凄い高さの津波が凄まじいスピードで街中を覆っていくのを見て ますます現実と思えなかった…
あの頃大変な辛い思いした人達が どうか幸せに過ごしてて欲しいと思う
あの時、100を越える死体が海に浮かんでるという声にショックを受けていました。
現実感が無く、テレビの映像はまるで異国のニュースを流しているんじゃないかと現実逃避までして。
当時6強の地域にいました。体感では5と6の間にはとてつもなく大きな差があると感じました。6強であれなら7とかもう信じられなくて。当時はニュースなんて見る余裕なかったけど、こうして後から見るといかにやばい地震だったか分かりますね…
スタジオが大変なことになってるのがよくわかるわ
阪神・淡路大震災の時は東京都内で働いてたので朝のニュースで知ってたけど普通に出社
ランチに出た先で付いてたテレビで朝との差に愕然とした
その後執務室でもテレビ付けて追ってたが、見る度に被害が増えてく事に味わったことの無い不安と恐怖に襲われたのを今も覚えてる
そして東日本大震災の日
この動画のように刻一刻と被害が広がる様子に阪神・淡路大震災の時の気持ちを思い出した
当日はマンションに居たのだが大きな揺れの後にすぐ停電になってしまった
なので大きな揺れには遭ったもののテレビのこのような伝え方はリアルタイムで見れなかった
不安で外にでると、同じように出て来た人が何人もいた
当時はまだガラケーワンセグ時代だったけど、ラジオもワンセグもなかなか電波を広えず皆で立ちすくむだけだった
夕方過ぎようやく電気が復活したものの、テレビの中の惨状は速度を上げて増え続けた
この時の恐怖と絶望感は、PTSDにこそならなかったけどまだ強く覚えてる
有事の際の正しい情報は非常に大切で、下手したら命に関わること
そんな中、危険を顧みずプロに徹して情報発信してくれる事には大きな敬意と感謝を伝えたい
1:52
NHKと違うのは、この日本地図ね。
NHKは震度7が記録されたあとに結果を伝えてるが、ウェザーニュースは震度が次々と更新されて、どんどん上がっていくのを伝えてる。
いまでも胸がギュッて痛くなる、九州の自分がこの地震で精神的に少しおかしくなってしまったので
おかしくなりすぎやと思う
敏感な方なんだな。気にすんなよ、何がしんどいかなんて人それぞれだ
私も九州の大学にいて卒業間近だったが、学友が気仙沼の出身でな。あの地震以降、言葉を掛けられなかった自分の弱さを悔いているよ…
ニューヨークのいわゆる911の時も、リアルタイムでニュースを見ててパニック発作起こした人がいっぱい居たらしいからなんとなくわかる。
調子が悪いときは情報から距離をおいてしばらくゆっくりして下さい。
とても分かります。今年の1・1も、こちらは少ししか揺れなかったですがTVで見て、本当に姪とやっていたゲームにも手がつけられなくなりました。
東京ですが、3歳にならない息子が怯えながら抱きついてきたのを覚えています。
窓から、電信柱が揺れ、大縄のように動く電線が忘れられません。
あれ以来、子どもと大縄で遊ぶのが苦手です。
宮城県在住です。
当時内陸部で体験しました。
この時点で停電、携帯の不通の為に速報や被害経過な情報が何も入らなくなりただただ不安を感じて探していました。
しかし備蓄品と周りの方達との強力でとりあえず日々過ごすことだけはできていましたが、後日、沿岸部の大惨事を知り言葉を失ってしまいました。
マグニチュードの訂正が大きい。7.7が7.9になると力の大きさは倍になります。7.7が8に変わると2.8倍になります。
ほんの少しに思えたけどけっこうな大きさで増えていってますね。
このプロ意識と責任感、尊敬に価するよ。
メディアにはこういう面もあるんだよな。
もう13年も経つんですね…当時住んでたアパートの頃を思い出す
何度見ても慣れないし慣れちゃいけないんだろう
宇野沢さんが揺れに耐えながらも
刻々と変わる状況情報を必死に伝えてくれてて
今NHKとかも必死に避難を呼びかける方針になってるけど
あの時TVが同じくらいの伝え方していたら
失われた命が少しは少なかったのかもしれない。
んなこたぁない、避難しない人は避難しなかった。戻った人も多かった。
どうしようもなかったさ。
だからこそ継がなければ。
「はえ~大変やな、まあ自分に被害はないやろ」って心理が人間にはあるからな
馬鹿なわけでも悪いわけでもない、全員持ってる脳みそのシステム
だからそういうのがあるって知るのと、どうやって安全確保するか平時に決めとくのが大事なんやね
TVを非難する人はうーんて思うわ
正常性バイアスとかあるし、避難しない人は本当に避難しないよ
というかあれだけ揺れたんだからね
あと、家の貴重品取りに帰って津波に呑まれた方もいるし
大事なのは災害時のTVを貶すことではなく【いかのおすし】を徹底させたり、自然が本気を出したら人間なんて一捻りだということを教え続けること
当時は避難を強く呼び掛けるとおそらくクレーム電話が凄かった時代だと思う。『落ち着いて冷静に、状況を見ながら避難する』が尊ばれていたんじゃないかな。
それに津波の現実的な恐怖についてぼんやりしていた当時なら、必死に避難を呼び掛けても「今回は本当に津波来そうだな!海見に行こうぜw」という人間がむしろ増えた可能性もある。実際当時も撮影に向かっていた若者達(その後の安否は不明)の話とかあるし。
3.11の映像やデータがしっかりあるにもかかわらず、能登半島地震の時にはもう『うるさい不快』『北朝鮮のアナウンサーみたい』などと揶揄嘲笑があった。
3.11前ならどれだけうるさいクレームになっていたか、推して知るべし。
アナウンサーの緊張が凄くて、ここから震度や
マグニチュード上がるなと考えながら話してるなと
感じる
アナウンサーさんの声が泣くのをこらえているように聞こえた…。聞いてて胸が締め付けられる。涙が出てきたよ。もう二度と経験したくないよね。
この時、茨城手前の埼玉の学校にいました
5強でしたが経験した事ないほどのあまりにも大きな揺れに恐怖で大泣きしていましたが、先輩が強く抱きしめてくれてました
凄まじい音と外の電線が大きく揺れていた光景は今でも覚えています、「ここで死ぬかも」と思いながら家族の身を心配してました
絶えず避難を呼びかけ、情報を伝え続けてくださった予報士さんや周りのスタッフさんのお陰で助かった人も多いと思います
あん時上野公園に避難したんだけど、携帯のテレビ機能でニュース見てたら後ろから「俺の家のほうだ」って声がして振り向いたら、40くらいのサラリーマンっぽい人がワイの携帯覗いてた
「すいません」って謝られたけどその後一緒に携帯見てた
あの人は元気なんだろうか
2024.12.04 あの日を忘れないように観ています。
初手ニュースの段階で、揺れ予想の範囲広すぎるよ…
自分は西の方の人間だけど、それでもめちゃくちゃ揺れたもんな
この放送時点では犠牲者の大半は生きてたんだろうなと思うと
逆に言うとこんなに早く『海岸から離れて』と言ってるのに呑気な人が多かったということですね。東京にいた私でさえ、一緒にいた母に『この大きさだと東北は数千人は亡くなるかもね』と話すほど、命の危険を感じた揺れだったのに。
@@高橋一生-q7t呑気というかこんなに津波の影響があるという発想が無かったのだと思います。実際ここまでの津波は東日本大震災で知ったようなもので、東日本前と後では津波への対応の切迫感が違うと感じられます。
実際数千人には留まらず1万6千人弱が亡くなられている事から、お母様も勿論被災された方やその他殆どの人が発想に無かったのだと思います。
@@高橋一生-q7t 亡くなった人によう呑気なんて言いはりますわ
逃げたくても逃げられなかった人、自分を犠牲に他人を生かした人、その人らの無念を分からん野蛮人は心から軽蔑しますわ
@@高橋一生-q7t
地震発生から30分で津波が到達
浸水範囲は海岸線から5km前後だぞ
付近に高台や頑丈な建物が無い地域だってある
舗装が割れていて車両は満足に走れず
倒壊した建物の瓦礫もある中
平時で時速4km程度の歩行者が
30分で安全な場所に避難できると思うか?
君はいつどこにいる時に地震が発生しても
30分で避難が完了するのかね
でも逃げれば生きていた人も逃げずに歩いていたせいで流されたらしいけどね
さすがプロ。
報道に命掛けてるね。
これ当時は何度も見ましたが、すごく緊張感が伝わってきました。
普通にスポーツ動画を見ていて、何故か3.11関連に飛んだ。
近日、南海トラフ関連の番組が放送予定なので、何か感じます。
テレビ、ラジオ聴ける場所に居なかったからな
こんな事になってたなんて知らなかった
みんな心配してくれてたんだな、いまさら泣けて来た
冷静な反応ありがとうございます。震度7の住民です。停電になってしまい、ニュースなど見れなかったので、こんな放送だったんですね。
この日、偶然にも確定申告に行くために有給取ってた。
もう一つ、何故か朝早く起きてしまい午前中に確定申告終えて帰宅していた。
もし普通に出社してたら、都内からウチまで何時間かかったんだろう。
しかし、この後ろで流れてる揺れの音、激しいのが伝わってくる中、刻々と変わる状況を冷静に伝えているアナウンサーさんには感服するしかない。
M7.7、震度5強の段階でまず最初に津波の可能性からはじめていたのが、やはり情報と経験なんだろうなぁ。
人が伝えるということの、優先順位が正しい
マグニチュード見た瞬間に宮城県沖の大規模地震が発生したと察したんでしょうね。
@naokikizuna795 そして「火を消せ」「身を守れ」より先に「津波の可能性があります」になったんですね(T_T)
後ろガタガタ言ってるのはここも揺れて物が落ちてるからか…😰
こういう放送を見ると、NHKの日頃の地震速報の訓練がどれだけ徹底してるかわかりますね
当時、学校にいた。
いきなりすごい揺れが来て、皆大騒ぎしてて、先生が焦りの見え隠れする声で机の下に隠れろと言っていた。
その後、ギャーギャー騒ぎながら、先生からは騒ぐなと怒られながら校庭に出た。
助かったのは日頃の避難訓練と、先生が我々を逃がす為に必死になってくれたお陰。
早めに帰ることが出来たんだけど、家の中はひどい状態だった。
こういうのを見ると、染んでいった人たちも地震と津波が来なければ今も普通に暮らしてたんだろうな、と。
震災当時小2、当時の記憶を忘れないように定期的にこういう動画を見るが、子供ながらに『これはとんでもないことになるな』と感じたことは覚えている。
マグニチュードが最初7.7から7.9に上がっていますが、マグニチュードは桁が3つ上がると数値が2つ増えるという訳わからん設定になっているので、この時点で規模は2倍に修正されてます
常用対数を使っていますね。
それを使わないと、数値がとんでもなく巨大になってしまいますから。
有識者のコメントありがてえ
2倍ってすげぇや
恐らく世界的に見れば日本はこの短時間で地域を指定して大津波警報まで出せるだけでも凄いことなんじゃないかと思う
冒頭から揺れてる範囲が異常なんだよな
ほんとそれ。
でも当時この放送リアルタイムで見てたら「最大震度4なのにえらい遠くまで揺れとるなぁw お、うちも揺れとるすっげぇw おもすれーww」と笑ってたかもしれん
そしてスタジオの揺れる音を聞いて洒落にならない事態だとようやく気付く
東北在住で当時内陸部の家にいたけど、揺れ始めて少し経過した時点でテレビが停電で見れなくなった。必死の報道もこの時点で見れなくなっていた人がそこそこの数居たと思うと、やりきれない。
防災無線とラジオでヤバイことになったってのはわかったけど実感がなくて、夜に発電機使ってテレビ見るまで事態を上手く把握できてなかった感じはあった。やっぱり映像で直感的に情報を獲られるってのはデカいね。
この津波の映像覚えてる。放送中の映画を観てた。津波の範囲がすごい広くて驚いたな。あんな風になるなんて思わなかった。
最初のお伝えします、からどんどん上がっていくのこわ
これ見る度に思うんですよ、日本の地震速報技術がこの10年ちょっとでとんでもなく上がったなと
地震規模をこれほど過小評価する速報は最近見ませんし
その後長野や胆振や熊本、能登で大きな地震が起きても、未だに「大震災」と言うと3.11を思い出す、本当に意識も体制も変えた地震でしたね
当時、私は関東に住んでいた学生でした。
あの日は体調が悪くて休んでいましたが、回復して用事を済ませる為に外出して被災。
あまりにも強い揺れに立っていられず、周囲の電柱や信号機がメトロノームのように揺れる姿に、恐怖で体が動かなかったです。
地面の下で何かが暴れているような感覚は、今でも忘れられません。
人は自然の前には無力なのだと、初めて思い知った日でした。
今はこの経験が少しでも役に立てるよう、会社の防災についての話し合いに参加しています。
一瞬、早口になりそうなのを冷静にゆっくりシフトしていったのさすがプロ
あの時 最初はいつもの地震だと思っていた そろそろ揺れが収まってもいい頃だな思っていたら突然大きな地震になり 今まで経験したことがなかった大きな揺れ
身動きができなかった 棚から色々なものが落ちてきて
猫たちはパニックになって 1階と2階を行ったり来たりしていた
この動画を視聴して ちょっと忘れていた経験を思い出しました
自分が被災者だったら、これが流れてる中で、急いで荷物持って靴履いて海抜の高いところに走らないといけないわけよね。
動画ありがとうございます。
今見ても鳥肌が立った
最終的な震度は6強だった
建物が揺れる音、物が落ちる音を心が覚えてるんだろう
海なし県だから津波の被害も無かったし、住んでる地区は停電も無かった
あのとき、九州にいた中学2年生の私には、遠い世界の実感のない出来事だった。急におすすめに上がってきて何気なく見たけど震えと涙が止まらない。どうか一人でも助かれ、って思って放送してくれてたんだろうなと思うとますます、だめだ
仙台~海浜幕張間を2分か…生々しい速さだ
直線でも300kmを2分ですか。時速9000kmとは脅威ですね。
………なわけはなく。
仙台~海浜幕張間「で」2分「差」 が妥当な表現かと。
今見ても身体がゾワゾワする
神戸にいたけど目眩のような揺れがあった。マグニチュードがどんどん上がって行くのが怖い😖
リアルタイムでウェザーニュース見てたら生きた心地しないだろうな
今年の元日もたまたまニュース見てて能登から揺れが段々と近づいてくるのを体感して死んだと思った
宮城ですが、元日の地震で緊急地震速報の範囲がどんどん広がるのを見て、東日本大震災を思い出し、真剣に恐怖しました…
仕事中だったから携帯電話の緊急地震速報以外に伝えるものは一切見たり聞いたりしてない状況で避難したけど、改めて見てみてだんだん日本地図に震度のグラデーションができて、しかもその範囲が広すぎて自分が体験したのに映画のワンシーンのように思ってしまう。
当時は横浜の精神科病棟で、まだ喫煙が可能な時期で患者さんが円を囲んでタバコを吸ってました。すぐに火を消すようにや、出入り口の鏡が危ないと広い場所へと逃げろと何度も言い聞かせてもまるで動かなかった。なんか揺れてね〜、やだ!まだ吸ってる!とか… そのような時、皆様なら瞬時にどのような行動をとられますか? 当時、小学生の息子がいた私は「やれる事はやった息子を置いて死ねない!」と逃げました
記録残してくれて感謝。アナウンサーさんと裏方の方々のプロ精神に脱帽
この第一報で全力で逃げれば助かってた人もいるんだろうな
阪神淡路大震災の時、5強で11階に住んでたけど建物倒れる!って瞬時に脳裏に浮かんだ。もし震度7だったら本当に終わってたかもしれん。
何度も見ていますがあの揺れと恐怖の中、感謝しかありません
え?揺れながら言ってる!?凄い😱
スタジオそれ自身も強震で揺れてる状態で凄いリアリティだ。強烈。
貴重な映像を残してくださりありがとうございました
本当にこの地震トラウマで、この地震が起きてから小さい揺れとかでも心臓バクバクして手足が震えるんだよな
何だろう、ただただ涙が出て来ました。
もう大丈夫だと思ってたのに。