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どこの職場でも抑うつ状態に陥り出社困難→転職を繰り返していました。今年、障害者手帳を申請し、精神障害者として生きる決意をしました。今年金申請の準備もしています。毒親かつ精神障害に偏見がある家族だったので身内には相談できる人はいませんでしたが、病院の先生や行政の方と相談やご助言、サポートをいただいて決断できました。本当に葛藤しましたが、「困っている時に助けてもらうのが福祉というもの」という助言に後押ししてもらいました。こんな自分でもできることは何か、考え中ですが、まずはボランティア(ゴミ拾いとか、草取りとか)をして些細なことでも誰かの役に立つことから始めたいと思っています。
うちも偏見すごくて、近所での就労も禁じられたので、非常に厳しい中、安全を確保して進みました。まあ、危なっかしいですけど。
本当に人との出会いは奇跡。こういう人って本当に存在するんだって思うくらいすばらしい人と出会えたのは私の財産。自分の力だけでは自分を許せなかったと思う。感謝。
私は統合失調症なのですが、なかなか自分の病気を受容することができず、ちゃんとした通院にもいたっていませんでした。病気で苦しかった時ふと父親のことを思い出すことがあり、自分の病気を見つめ直すきっかけとなりました。それは、私の両親は私が幼い頃離婚しているのですが、実は父はうつ病を患っていたんです。いろんな事情があり離婚したんですが、その後父とは生き別れのようになり、ほとんど交流することなく私が24才の時、亡くなりました。私が精神疾患にかかったのも遺伝的要素があるなと気付いたんです。父のことをあまり深く思いやった事はなかったけれど、私の病気を考える時には必ず父の存在を感じるようになり、通院もし始め自分を大切に生きようと少し生まれ変わったような心持ちになりました。以上です。最後に、先生、益田式治療メソッドの本の一般販売お願いします🙇
自分の弱さを受け入れて自分が得意なこと楽しいこと好きなことをして生きるのが良いよね強者たちは一生競争しとけって思いながらテキトーに生きていきます
「自分が決めればいい」が「そんなレベルじゃないんだよね」って部分に「これを理解してくれる先生ってすごい⤴」と感動しました。全くその通りなんです。決めるのも億劫なのに「自分で決めれば」って言われると「それが出来ないから苦労してるんだけど…」ってモヤモヤしてました。きっと定型の人には分からない部分なんだろうな。とかフツーはフツーはって「じゃあ自分はフツーじゃないんだ」って下手なアドバイスには傷付きます。先生こんなにも理解してくれるなんて感動しました💕
学会の家庭で育ちました。父親に激しく虐待され、家族全員に私が責められました。母は怒鳴りつけおさえつけた後優しくする。妹はおさえつけ、支配して来る。私は軍人のように戦い、家の中は戦争のようでした。三人とも無共感でした。 肯定して貰った事は殆ど無く、優しくして貰った事殆どもありません。 子供の頃はおもちゃも買って貰えず、何処か連れて行って貰う事も年一度あったかなというぐらいです。 今でも気持ちをずらして共感せず、全て私が悪いと私の責任にします。一人の人間として人権を持たせて貰えた事はありません。 知能をおとすのも策略の一つだったようです。 力を持ってここから出て行くには、何が必要で何処に行ったら人の人生を持てますか?
優秀な人ほど意外と親が毒親と・・・ひろゆき情報ですけど、聞いたことがあります。文章力もあるし、自信を持ってください。って簡単にできないですよね(;´・ω・)福祉は生活保護とってでも離れたほうがいいといいますが、百戦錬磨の役人さんが、自己のタイミングでしたいようにとおっしゃっておりました。全部自分の生はつらいですね。うちは成績表が出る前後は裁判と収監って感じでした。じき、姉が激しく反抗し、家族崩壊です。地域活動支援センターなどは無料なので、そこに通って家族と距離を置くのもよさそうですね。稼ぎたいなら作業所かな。
今の自分にとって必要な動画でした。益田先生の動画はいつも勉強になるし心が救われる気がします。出会えてよかったです。心から感謝してます。ありがとうございます。
定期的に繰り返してくれるの有難いな
まだ自分の現実を受け止めることさえ出来ていません。医師でさえ、自分のことが理解されているという感覚がなく、周りにも考えすぎ、悩みすぎと言われ、社会にも不適合なので、とても孤独です。ひとりきりで自分の人生を、必死で手探りで学んでいこうとしている感覚です。自分とはなにか、どのように生きていけばいいか、など当然わかりません。瞑想5分も私には難しいので、自分なりのスタイルを確立させるのはまだまだ先かもしれませんが、とりあえず生きていければ良しかな、と今は思います。
若い頃は自分の家庭も含めて、日本そのものに絶望して、幻滅していた。海外に理想を求めていた頃がある。だから、精神分析とか、メンタルのケアにたどり着いたところがある。ただ、治療中、色々迷走して海外に行ってみたり、治療を通して、どこにも理想郷などないと気づいた。どの国にも特有の問題がある。日本の良いところも見えてきた。治療を通して出会った医師や支援員のおかげで、人間不信も和らいだ。自分の障害も、無理に無くそうと思わなくなった。今はなんだかんだ充足している。
いつもありがとうございます。宿題📔受容と創作治療のステップ1.休養2.マインドフルネス、学びと向き合う3.目標、行動、修正(2〜3の繰り返し)自分にとってマインドフルネス、自分との向き合い方を学べたことが大きな収穫です。ありがとうございます。自分のできるペースで自分と向き合い、あやまちを修正することを繰り返しています。心が少しずつ軽くなっているのを感じてます。長く無理を続けてしまったため、時々休養もはさみながら進めてます。1年後には心身共に軽くなって、また働けるようになるといいなと思ってます。
苦しかった10代の頃にこの動画見たかったですね。今見れてる若い方は恵まれていますよ。
この一瞬々にも精神疾患に初めて罹患する人たちがいます。増田先生が繰り返し動画を上げてくれることで、その瞬間救われる人が必ずいると思います。私は家族ですが、「心=脳」に救われました。最初に出会った動画にまたわかって来たことがプラスされていて学びになります。ぜひ繰り返しやってください。いつもありがとうございます。お身体大切に活躍してください!
情けない自分の受容は苦しいですが、そこから創作していく力は結構あるのでは?と思います。「諦めない」で表現していく勇気をいただいています。ありがとうございます。
【宿題】 鬱の診断を受けて治療を受けていく中 認知行動療法も始まり 自分自身が完璧主義者であったこと まったく気が付きませんでした。 今でも自分は結構いい加減だと思っていますし、柔軟に物事を捉えることは苦手ですがしんどい考え方に偏っていることに気が付き始めました。 家のこと子供のことに手を抜くことが苦手ですが 子供も大ききなっているので 子供に任せるや 助けてもらえば良いんだとだんだん思えるようになってきました。自分のことは気付きにくいものですね。
ひとまず、理解してもらうのはあきらめます。普通の人になるのもあきらめます。傷ついた人たちにやさしくして生きていきたいかなあと思いました。また変わるかもしれませんが。
【受容と創作】利他的に生きてきた自身の受容をし、創作の真っ最中です。(他人と自分の境界線を持ち、自分の出来る範囲で行動を決定していく) 他人に心をくだく自分がいるけど、(自分の出来る範囲外のことは)やらないを選択し、やらないを実行します。ざわざわしますが、マインドフルネスや、自分の体力では身を崩す!私が動かなくても大丈夫!と、言い聞かせてしのぎます。その反面、私がいなくても成立する世界に孤独感を感じたりしますが、そういう時は自分、疲労マックスなんだなと休むことを努力します。なかなか完成しない創作ですが、過去の自分との差異を褒めてジリジリと創作し続けていきます。寿命がきたら、あー頑張ったと自分を褒めて逝きたいです。
こんばんは🌙本日も動画ありがとうございます。【宿題】「受容と創作」というテーマで考えたこと→発達障害、適応障害、複雑性PTSD…障害や疾患を受け入れる事は簡単でした。自分自身に違和感を感じていたし、「なんで自分はこんなに傷つきやすいのか?」「何に傷付いているのか?」等先生の動画をきっかけに自己探求するようになり、精神分析や自己探求等色々と考えるのが好きなのだと知るきっかけにもなりました。以前の質問ライブで「アイデンティティ」についてご相談した件で、それについてはまだ考えが及んでいません。最近ようやく、現在、私に課せられていた課題が一段落ついたのでこれからになるかと思います。質問ライブで先生がくださった「未来について考えてみる」そして自身のアイデンティティが見えてくるのでは?というアドバイスを参考に探求していくと主観2.0が見えてくるんだと考えてます。
4年前に鬱と言われましたが、子供が幼く休む暇がなく、本を読んだり生活改善とマインドフルネスで今日まで来ました。マインドフルネスでしか得られない心の平安を体感してから、心がザワザワすると5分でもいいから自分のためにマインドフルネスをしてきました。今は、ご飯を美味しく食べ、ぐっすり寝て、楽しければ笑い、悲しければ泣き、日々過ごしています。今の私の夢はマインドフルネスインストラクターになる事です。先生の動画で学ぶ事は、私にとってマインドフルネスと同じ効果があります。いつも、ありがとうございます。これからも先生もお体を大切にして頂いて、さらに知識を与えて頂ければと思います。
双極性障害治療歴15年です。最初はかなりあがきましたが今は受容し、波を小さくする努力をしています。息子が18歳で高二で学校に行けなくなり、心療内科に通院しています。息子の心境は手にとるほどわかりますが、毒親の私が何を言っても息子に届かないと思い、ただただみまもってます。自分より心配だし不安でしかありません。
いつも勉強になります。 認識と 概念について なんとなく解る気が致します。 言語化の 能力にいつも感心させられます。 抽象的概念を適切に表現して伝えるのは 難しいです。 デッサン型の脳みそなので 今回のお話しは大変参考になりました。 ありがとうございます。
おつかれさまです😊ありがとうございます♪
私は幼少期から極端な性質で当時は診断名もつかず生きにくさにいつも希死念慮のある辛い人生でした。それでも最愛のパートナーと出会い支えてもらいながら自営でそれなりに成功し生きれた時期もありましたが、彼への絶対的信頼が崩壊する出来事で 最愛の人の支えとお金を失い 喪失感を受け入れることが出来なく苦しんでいます。彼といた時間が長く世界全部がトラウマのトリガーで毎日が地獄でした。不都合な事実を図説したりマインドフルネスを再開したりまだ長い道のりですが 受容や俯瞰の成長をしたいともがいています。Drいつもありがとうございます。
瞑想するに際して、人体のトップエネルギースポットである頭頂に茶碗などを載せてやると楽で効果的であると本から学んで実際にやってみると実感はありました。もう何十年前のことですが。思考の中枢は、デカルトも指摘した通り眉間の奥の松果体、松果腺あたりだと思います。瞑想はくつろいで何かを行っているとき、自然に同時に行われているときも多いと感じます。座禅を組んでやるとなると、心身の鍛錬 のような気がします。
客観視からの創作の段階は、やはりパズル能力のようなものが求められる気がしますね。冷蔵庫にあるありあわせの材料だけで何を作るか?に似ているかと。ただ、休日の昼食ならそれでしのげますが、一度きりの人生となると「アレが人並みすらない自分が許せない!」とまた前の段階に戻ってしまう……。「炒飯にするならハム買っときゃよかった!」みたいな、いや、もっと深刻かもしれません。とはいえ、誰の名言かは忘れましたが、ありあわせのものでやっていくしかない、というのは真実かもしれませんね。
新しい世界観を作るならまずは一般社会から離脱しないと厳しいなと感じますね。今は離脱してますが、元々は洗脳的に社会人の多数派の考えが全てという風に私も周りも思っていたと思います。一部の生まれ持った自我の強さがある人でなきゃ同じ世界で生きながら多数派からの脱却は厳しいと思います。新しい価値観を創造するなら、益田のRUclipsを毎日一日中見たり、宗教に入るしかないですね。いずれにしろ、中途半端に価値観を書き換えようとしても焼石に水なのが現実だと思います。
自分の価値観が壊れるまで、真剣に自分が見てる世界が皆が見てる世界だと疑う事なく信じてました。それに気がついたのは本当に最近です。で、いつもの様に落ち込みました。でも、その落ち込みのパターンもいつもと同じじゃない?と問われまたまた「そうだ!同じパターンだ!」と思いました。そこで同じ落ち込むのなら前向きに落ち込もうって決めてしまうと落ちる時間が段々短くなってきてる様に思います。全て自分の古い慣れ親しんだパターンなんだと思いました。そしてそれくらいからかなんとなく私はこうなりたいなーと思う気持ちが出てきました。何回も何回もこの主観2、0もトラウマメガネで社会を見てるとか聞いてたのだけど本当の意味で解るまでは相当時間がかかりました。自分の見てる世界が当たり前の世界だと真剣に信じてたからです。こういう事は解ってる人は解ってるのでしょうが…それからは人は人、私は私と認識出来るように色々やってます。なんか絡んでたグチャグチャの糸がほどけた感じというか、なんというか…これからは自分を大切に扱いたいと思います。ずーっと自分の感情とかを自分が無視してきたのだから。まずは自分にごめんね。と今まできつかったけどこれからは仲良くしようね❤と自分と約束しました。だってよく聞く言葉ですが死ぬ時まで一緒なのは自分だと。自分の事を自分が見方でいてあげてもいいじゃないか!世間ではほんとに精神疾患と言うと前よりは少しましですが、いや、まだましと言ってもほんの少しかな。やはりおかしい人みたいに見られます。確かにおかしいかもしれないけど、ここまで頑張って生きてきた事はせめて受け入れて欲しい…これも期待になるのでしょうが。だから自助会は大切だと思います😀
家族のかたちにこだわって、凄く悩みました。今は離婚していないけれどバラバラに住んでいます。もうそういう家族でもいいかなと思えるよえになってきたところです。
「受容と創作」受容とは正しく現実を描写すること、創作とは受容した要素を組み合わせてモデル化すること、かなあとおもいました。私の場合は発達障害とうつ病が原因で社会に不適合を起こしていたということを受容しました。発達障害とうつ病を受け入れることで、私が苦手なことがどちらに分類されるか、どのように解決できるかをモデル化してぼちぼち社会に戻ることができました。
人の為に生きたい。尽くしたい。これが私の私が見つけた正解でしたし、正解にしたいと思います。先月夫が病気で倒れ、一命を取り留め、手術の末助かりました。その中で自然とその考えの元生きている事に気付かされました。先生ありがとうございます!
同じテーマだとしても、先生が進化してるので違う内容になるかと思います何回でもバンバン話してください☺️
完治しないと言われるADHD&ASDに陥っている現状、いろんな意味で暴力的な力を持っている人でないと舐められる現実社会からの偏見などなど、受け入れ難い現実を受容した結果、自分は弱者男性という立場から逃れられないという新たな認知(=主観2.0)が生まれました。どっちにしろ、根本的に力のない私にとって、現実世界は困難しかなさそうです。
治療に興味がありまして拝見しました。マインドフルネスをして勉強みたいな感じの流れなんですね。前もおっしゃっていましたね。受容した上であらたな価値観を創作…分かったような、分からないような?自分は病気になって友達も離れ孤独になってしまったけれども、一人でも楽しめる物を見つけるみたいな感じなのでしょうか。中々、受容は難しいですが、対処みたいな感じでやれば、ほんの少しはできるかもしれませんが、その気持ちも折れるかもしれないですね。根本的には、もっと、行政などに助けてもらいたい気持ちもあります。実際、何も補助を受けていませんし。有料でも良いから、そういうサービスがあれば、もっと受容とかできるのではないかと思います。ほかの人も行政の補助的なそういった事が全然足りていないのでは、と思ったりします。女性は行政サービスを受けやすいとおっしゃっていたような気がしますが、全然サービスを受けれていないですね…
この視点ありませんでした。大変参考になりました。有難うございます。
深いですね。宇宙ごと、すべてはわからないことだらけだということが私には一番腑に落ちました。まずはそこからかなと。
【受容と創作】考え出すと難しいテーマですが、自分が居てもよいと感じられる場所を自分の言葉で理解することになるかと思います。受容とはなんとなく自分を許す(または認知する)行動の過程で、創作とは自分の言葉と感覚でなんとなく納得した世界観かもしれません。曖昧な感じになるのですが、幅を持たせつつ一つずつ良くなっていけばよいと思うのです。
はじめはやはり自分の強みと弱みを知ることからでしたよね、進学も就職も起業も営業もそこから始まる。で、他者や他社と差別化を諮って諮られて…という流れでしたよね、平成までは。今はわかりませんが。そのうえで、収入の仕組みを作るとか、売り物を育てるとか、資格を取るとか…が創作なのかなと思いました。で、また新たに悩んでいくという。
弱い自分が嫌になります。
確かに、不安は消えるものではないですね。混乱もしますね。
覚えて居る限りの幼少に立ち戻って今までの親子関係兄弟姉妹関係自分はどんな子供だったかから思い出してやっぱり今の自分があるのかなと思います
ASD、双極性障害です。仕事も、家庭も何とかこなしています。受容はとても、難しくそれでも、他者に理解されたいと必死で溶け込もうと努力していた中、差別という壁があることを知り諦めることを新しい価値観として取り入れていきたいです。想像力も苦手でマインドフルネスを続けて、家庭も仕事ももう少し生きやすい環境に身を置きたいです。
自分の出した答えは前例が無くて世間から応援してもらえないことかもしれないけど、勇気を振り絞ってやってみる…いつもこのパターンで変わり者扱いされますが、突き進んで良いのかな。
先生 。私は小さい頃から、あんたは入れてあげないって仲間外れの態度をよくされてきました。今でもママさんの中であります。大人しい私に原因があるのだと思います。私なりに改善してきましたが、全くダメです。もう諦めてますが思い出すとつらくなります。
私はADHDですが、その特性のために生きにくさをいつも感じています。自分の弱さを受け入れることができません。ついつい頑張りすぎてしまいます。脳や心のアップデートが常に必要だと感じています。深呼吸を5分することが私にはできません。この動画を見る限りでは今は休んだ方がいいように思いました。自己受容ができない、できていないように思いました。
幼少の頃から両親をも私の顔が生意気と無視、暴言、暴力をふるうのも致し方が無かったことです。その後の人生も顔が生意気と煙たがれることも致し方が無かったことで、第一印象で排除されることも致し方が無いことなのです。唯一自身を1人の人間として愛してくれている家族のために生きます。主婦という選択肢があって心底安堵しています。😮
どんどん仕事やプライベートが悪くなって、自身の精神の事を考える事を拒んでいた。自分の思うそういったニュアンスを含む本やネットの記事を見る事で補っていた。でも、結局足りない!って想いに行きつき、何か行動して、更に追い詰められてた。行動に着目したくもないし、休んでも休まらなくて、辛かった。
不眠症で病院に行ったら、うつ病ですと言われたのが15年前で、その時は、自分がうつ病になるなんて思ってもいなくて、うつ病の友達に「元気なのに何故働かないの?」と、うつ病の事を全く理解していなかったのでショックでした。それからは、うつ病の友達と電話したり会ったりして、「あんな時とかに、こんな感情になるよね?」とか「レジやATMで並んでいる時に汗が大量に出るよね?」とかうつ病を受け入れるようになって、不眠だけはつづいてましたが、仕事復帰もできたけど3年後の夏に、朝目覚めた瞬間に「辛い…」って感情が湧いてきて、忙しい時期でもあったので、身体が疲れているのかな?と、3ヶ月くらい毎日続いていく度に、その辛さが増して、辛いから、後10分寝たい、30分寝たいと、ベッドから起き上がる時間も遅くなり、最後は出勤時間、家を出る時間の5分前に起きて、顔を洗い、寝癖は水で濡らした手で整えて、歯磨きする時間もなく、水を口に含んでクチュクチュするだけで、仕事を辞めないとまた壊れてしまうと思いながらも、人手不足で辞めるにやめれず、最後はとうとう壊れてしまって、無断で職場を出て自宅に帰って行ってしまいました。それから同じ職場に何度かパートという形で働けていましたが、時間には余裕があるのに、今日の仕事の初めにやることから、その後にやる事を考えていると焦るようになって、頭の中がぐちゃぐちゃになった感じで、また辞めてしまい、それでも数ヶ月安定してきたら、忙しい時期だけパートで働いてを繰り返して、「やっぱり仕事が無理なんだ」と分かって、生活保護を申請して、家にずっと居るだけの生活になり、掃除もしなくなり、ゴミ屋敷まで行きませんが、直ぐに誰かを家に招く事が出来ない状態で、たまたま多頭飼育していた人から子猫2匹を引き取ったのが6年前で、この子達の命を見守る為にも生きていかなきゃならい!と思うようになって、先に死ねない、不自由に育てたくない!とネコのトイレや餌やお水は常に綺麗にしてあげて生活しているとネガティブな考えもなくなり、パーソナルスペースは少しは狭くなったけれど、汗をかく事はまだあり、不眠だけは治らず、3日くらいお薬がないまま寝ようとしても一睡も出来ず3日間寝てないと、身体のあちこちに痙攣がおきたり、交感神経が乱れているので、暑すぎると思い、ストーブの温度を下げた数分後には寒くて寒くてストーブの温度を上げ、また数分後に暑過ぎるような事の繰り返しで、暑いのか寒いのかも交感神経の調整出来なくなるので、睡眠薬だけは手放せないので、真冬の吹雪の中でも、土砂降りの雨の日でも、必ず病院に行ってます。私の唯一の親友も理解してくれて、私のタイミングに合わせてくれたり、何度も仕事復帰させてくれた社長にも感謝しかなく、実家に帰省した時に父親にも理解して貰っていて、何よりも、ネコを飼っている精神科のお医者さんにも出逢えて、毎月診察した最後に「ネコちゃんは元気ですか?」って、話が長くなってしまっても、私が話している事に全て応えてくれる優しいお医者さんで良かったと思ってます。ただ兄貴だけは、年末年始の帰省時に、なんだかんだ言われた最後に、「税金泥棒」と言われて、それがショックで悔して、泣きながら「働いてた時には俺だって税金払ってたから生活保護をうける権利はある!」と、自分でもなんでこんなに泣くんだろ?ってくらい泣いて訴えました。最後に兄貴から「言い過ぎたごめん」と言われましたが、それから14年も兄貴が帰省する年末年始を避けて帰省しているので会っていません。洗濯機が壊れても買えないのでコインランドリーを使用したり、スマホが壊れても高いのは買えないけど、中国製の格安スマホで、殆ど1年くらいで壊れてしまいますが、それでも何とか、ご近所のお婆さんとも挨拶を交わしたり、社会から孤立せずに生きていますので、今とても苦しい状態の人が、私のコメント読んで「何とか生きていけるんだ?」って思ってくれたら幸いです。長文失礼致しました🙇♀️
私は長年、双極2型と診断されてきましたが、どうやら誤診ではないかと、本質はアタッチメント、アダルトチルドレンの治療が必要ではないかと思うようになり、最近転院しました。日本社会の閉塞感、他者の許容の狭さ、自分が健常者と思っている人の方が狂気に満ちていて、病んでいると思うからです。いずれ、近いうちに精神科医療が天動説がひっくり返るようになる日がくると確信しています。精神科に行くようになったのには、優し過ぎたから、家族のゆがみを背負ったからだと思います。今だから、病気に分類させられたと思います。だから受容しなくてもいいのです。自分のまま笑っていられる環境を探そうと思います。益田先生のyoutubeは、自己理解に役に立っています。感謝しています
現在、受容と創作に苦しんでいる真っ最中です
マインドフルネスしようとするだけで不安にかられる…。まだまだ道のりが長いようです。宿題までたどり着けてませんでした。これ見るのはまだ早いのかな?自分の状態、状況が客観的に捉えられてないようです。
ざっくりと、分かりました。人はあまりにも小さいということが分かりました。私も、目的に到達できず、老いて死にゆくと…思いました。でも、それだけでもないんですよね…😢。
配信をありがとうございます!治療ステップ。。鬼滅の刃の炭治郎たちですね!!
宿題:受容は全くできてないですねなぜ受容ができないのかもよく分からないやりたくないのかできないのか創作もできないですね他の人と全く違う創作のせいなのか不完全で完成しないのが自分の創作なのかも?自分でもこんな不完全な物は嫌いですこんなヘンテコなものは愛せない
宿題:「受容と創作」は定型の人には分からない部分をどう表現していくかで、私の場合相手にないものが自分にあるからしんどくなったり、逆に「なんで出来るの?」と驚かれたりします。無意識にフツー(こちらのフツーは定型とは違う)にやってる事で驚かれる(私の場合はアートと農業)ので表現の仕方には個性と捉え伸ばしていってあげた先に見えてくるのかと思います。
①エフォートフルコントロール②マインドフルネス※エフォートフルコントロールの状態をそのまま味わう。という順番もありかも😊。
私も、精神科通院してますが、薬ないと、寝れないです。今は、多様性らしいですけど、差別は、よくないですよね😭
手帳と年金などもらうにつれ、障がい者になっていく、という感じでした。実は、落ちていく、という感じもあったのですが、だからこそある感性でいろいろ面白くなってると40代時点で思えたので、どん底を知ってた方が面白いぞとリベンジしている感じですね。僕は楽しんでうまくやる方なので。疾患特性を指摘されたときの怒りや絶望感は決して楽しいとは言えませんね。受容できていなく、「障碍者」という隠れ蓑に隠れているのかもしれません。
ちょっと難しく感じました😢短く まとめるのは大変なんだなぁと思いました。 お疲れ様ですm(_ _)m
入院をしていないけれど、重症に近いレベルのうつ病の時の、心がけ・できることなどを解説してくれると嬉しいです。
今までの学校や仕事の普通というものにとらわれないで自分に合った新しい価値観や主観2.0に達するというのは難しいこともありますよね、スピリチュアル(モノによりけりですが)に流れてしまうとかオウム真理教みたいなこともあるし、周りがお金教で流されてしまうとか、オンライン自助会に僕は入っているのですが他の自助会でもマイノリティのコミュニティに参加できれば周りに受容され、こんな自分があってもいいんだと思えたり新しい価値観は持ちやすいかも知れませんね。
自分は適応障害からうつ病へと2回経験しました。弱い自分を受け入れようと試みましたが、今いる職場は男は強くてなんぼという価値観の職場であり、自分には合ってないのかもしれませんので、転職を視野に入れて行動しています。弱い自分を受け入れながら、自分のペースで生活できるようになるのが今の目標ですね😊
改めて見ると確かに足りない部分があるなと思いました🗒_φ(・_・
私は自分の心のケアばかり得意になってしまって、他人に相談することができないことが悩みです。
ゆっくり自己紹介すればいいのに。早口で言うからわからなくなるんだよ😂😂😂
オルテガ 大衆の反逆世人→妥協→妥当→充当 現存 受容肯定ーーーーーーーーーーーー表象 表裏一体固有本来在りようで味わう 存在 創作☘️テーマ ありがとうございました😊
俯瞰的な自分への視点の養成がマインドフルネスを通して得たい実感である、と思うのですが・・・。
治療後、健康な人と同じ立場には立たせて貰えないんですか?治療で、強制人間改造を受けるんですか?
世界は残酷だけど、美しいみたいな?
どこの職場でも抑うつ状態に陥り出社困難→転職を繰り返していました。今年、障害者手帳を申請し、精神障害者として生きる決意をしました。今年金申請の準備もしています。
毒親かつ精神障害に偏見がある家族だったので身内には相談できる人はいませんでしたが、病院の先生や行政の方と相談やご助言、サポートをいただいて決断できました。
本当に葛藤しましたが、「困っている時に助けてもらうのが福祉というもの」という助言に後押ししてもらいました。
こんな自分でもできることは何か、考え中ですが、まずはボランティア(ゴミ拾いとか、草取りとか)をして些細なことでも誰かの役に立つことから始めたいと思っています。
うちも偏見すごくて、近所での就労も禁じられたので、非常に厳しい中、安全を確保して進みました。まあ、危なっかしいですけど。
本当に人との出会いは奇跡。こういう人って本当に存在するんだって思うくらいすばらしい人と出会えたのは私の財産。自分の力だけでは自分を許せなかったと思う。感謝。
私は統合失調症なのですが、なかなか自分の病気を受容することができず、ちゃんとした通院にもいたっていませんでした。病気で苦しかった時ふと父親のことを思い出すことがあり、自分の病気を見つめ直すきっかけとなりました。それは、私の両親は私が幼い頃離婚しているのですが、実は父はうつ病を患っていたんです。いろんな事情があり離婚したんですが、その後父とは生き別れのようになり、ほとんど交流することなく私が24才の時、亡くなりました。私が精神疾患にかかったのも遺伝的要素があるなと気付いたんです。父のことをあまり深く思いやった事はなかったけれど、私の病気を考える時には必ず父の存在を感じるようになり、通院もし始め自分を大切に生きようと少し生まれ変わったような心持ちになりました。以上です。最後に、先生、益田式治療メソッドの本の一般販売お願いします🙇
自分の弱さを受け入れて自分が得意なこと楽しいこと好きなことをして生きるのが良いよね
強者たちは一生競争しとけって思いながらテキトーに生きていきます
「自分が決めればいい」が「そんなレベルじゃないんだよね」って部分に「これを理解してくれる先生ってすごい⤴」と感動しました。全くその通りなんです。決めるのも億劫なのに「自分で決めれば」って言われると「それが出来ないから苦労してるんだけど…」ってモヤモヤしてました。きっと定型の人には分からない部分なんだろうな。とかフツーはフツーはって「じゃあ自分はフツーじゃないんだ」って下手なアドバイスには傷付きます。先生こんなにも理解してくれるなんて感動しました💕
学会の家庭で育ちました。父親に激しく虐待され、家族全員に私が責められました。母は怒鳴りつけおさえつけた後優しくする。妹はおさえつけ、支配して来る。私は軍人のように戦い、家の中は戦争のようでした。三人とも無共感でした。
肯定して貰った事は殆ど無く、優しくして貰った事殆どもありません。
子供の頃はおもちゃも買って貰えず、何処か連れて行って貰う事も年一度あったかなというぐらいです。
今でも気持ちをずらして共感せず、全て私が悪いと私の責任にします。
一人の人間として人権を持たせて貰えた事はありません。
知能をおとすのも策略の一つだったようです。
力を持ってここから出て行くには、何が必要で何処に行ったら人の人生を持てますか?
優秀な人ほど意外と親が毒親と・・・ひろゆき情報ですけど、聞いたことがあります。文章力もあるし、自信を持ってください。って簡単にできないですよね(;´・ω・)福祉は生活保護とってでも離れたほうがいいといいますが、
百戦錬磨の役人さんが、自己のタイミングでしたいようにとおっしゃっておりました。
全部自分の生はつらいですね。
うちは成績表が出る前後は裁判と収監って感じでした。
じき、姉が激しく反抗し、家族崩壊です。
地域活動支援センターなどは無料なので、そこに通って家族と距離を置くのもよさそうですね。
稼ぎたいなら作業所かな。
今の自分にとって必要な動画でした。
益田先生の動画はいつも勉強になるし心が救われる気がします。
出会えてよかったです。
心から感謝してます。ありがとうございます。
定期的に繰り返してくれるの有難いな
まだ自分の現実を受け止めることさえ出来ていません。
医師でさえ、自分のことが理解されているという感覚がなく、周りにも考えすぎ、悩みすぎと言われ、社会にも不適合なので、とても孤独です。
ひとりきりで自分の人生を、必死で手探りで学んでいこうとしている感覚です。
自分とはなにか、どのように生きていけばいいか、など当然わかりません。
瞑想5分も私には難しいので、自分なりのスタイルを確立させるのはまだまだ先かもしれませんが、
とりあえず生きていければ良しかな、と今は思います。
若い頃は自分の家庭も含めて、日本そのものに絶望して、幻滅していた。
海外に理想を求めていた頃がある。
だから、精神分析とか、メンタルのケアにたどり着いたところがある。
ただ、治療中、色々迷走して海外に行ってみたり、治療を通して、
どこにも理想郷などないと気づいた。
どの国にも特有の問題がある。
日本の良いところも見えてきた。
治療を通して出会った医師や支援員のおかげで、人間不信も和らいだ。
自分の障害も、無理に無くそうと思わなくなった。
今はなんだかんだ充足している。
いつもありがとうございます。
宿題📔受容と創作
治療のステップ
1.休養
2.マインドフルネス、学びと向き合う
3.目標、行動、修正(2〜3の繰り返し)
自分にとってマインドフルネス、自分との向き合い方を学べたことが大きな収穫です。ありがとうございます。自分のできるペースで自分と向き合い、あやまちを修正することを繰り返しています。心が少しずつ軽くなっているのを感じてます。長く無理を続けてしまったため、時々休養もはさみながら進めてます。1年後には心身共に軽くなって、また働けるようになるといいなと思ってます。
苦しかった10代の頃にこの動画見たかったですね。今見れてる若い方は恵まれていますよ。
この一瞬々にも精神疾患に初めて罹患する人たちがいます。
増田先生が繰り返し動画を上げてくれることで、その瞬間救われる人が必ずいると思います。
私は家族ですが、「心=脳」に救われました。
最初に出会った動画にまたわかって来たことがプラスされていて学びになります。
ぜひ繰り返しやってください。
いつもありがとうございます。
お身体大切に活躍してください!
情けない自分の受容は苦しいですが、そこから創作していく力は結構あるのでは?と思います。「諦めない」で表現していく勇気をいただいています。ありがとうございます。
【宿題】 鬱の診断を受けて治療を受けていく中 認知行動療法も始まり 自分自身が完璧主義者であったこと まったく気が付きませんでした。 今でも自分は結構いい加減だと思っていますし、柔軟に物事を捉えることは苦手ですが
しんどい考え方に偏っていることに気が付き始めました。 家のこと子供のことに手を抜くことが苦手ですが 子供も大ききなっているので 子供に任せるや 助けてもらえば良いんだとだんだん思えるようになってきました。自分のことは気付きにくいものですね。
ひとまず、理解してもらうのはあきらめます。普通の人になるのもあきらめます。傷ついた人たちにやさしくして生きていきたいかなあと思いました。また変わるかもしれませんが。
【受容と創作】
利他的に生きてきた自身の受容をし、創作の真っ最中です。
(他人と自分の境界線を持ち、自分の出来る範囲で行動を決定していく)
他人に心をくだく自分がいるけど、(自分の出来る範囲外のことは)やらないを選択し、やらないを実行します。
ざわざわしますが、マインドフルネスや、自分の体力では身を崩す!私が動かなくても大丈夫!と、言い聞かせてしのぎます。
その反面、私がいなくても成立する世界に孤独感を感じたりしますが、そういう時は自分、疲労マックスなんだなと休むことを努力します。
なかなか完成しない創作ですが、過去の自分との差異を褒めてジリジリと創作し続けていきます。
寿命がきたら、あー頑張ったと自分を褒めて逝きたいです。
こんばんは🌙本日も動画ありがとうございます。
【宿題】「受容と創作」というテーマで考えたこと
→発達障害、適応障害、複雑性PTSD…障害や疾患を受け入れる事は簡単でした。
自分自身に違和感を感じていたし、「なんで自分はこんなに傷つきやすいのか?」「何に傷付いているのか?」等先生の動画をきっかけに自己探求するようになり、精神分析や自己探求等色々と考えるのが好きなのだと知るきっかけにもなりました。
以前の質問ライブで「アイデンティティ」についてご相談した件で、それについてはまだ考えが及んでいません。
最近ようやく、現在、私に課せられていた課題が一段落ついたのでこれからになるかと思います。
質問ライブで先生がくださった「未来について考えてみる」そして自身のアイデンティティが見えてくるのでは?というアドバイスを参考に探求していくと主観2.0が見えてくるんだと考えてます。
4年前に鬱と言われましたが、子供が幼く休む暇がなく、本を読んだり生活改善とマインドフルネスで今日まで来ました。
マインドフルネスでしか得られない心の平安を体感してから、心がザワザワすると5分でもいいから自分のためにマインドフルネスをしてきました。
今は、ご飯を美味しく食べ、ぐっすり寝て、楽しければ笑い、悲しければ泣き、日々過ごしています。
今の私の夢はマインドフルネスインストラクターになる事です。
先生の動画で学ぶ事は、私にとってマインドフルネスと同じ効果があります。
いつも、ありがとうございます。
これからも先生もお体を大切にして頂いて、さらに知識を与えて頂ければと思います。
双極性障害治療歴15年です。最初はかなりあがきましたが今は受容し、波を小さくする努力をしています。
息子が18歳で高二で学校に行けなくなり、心療内科に通院しています。息子の心境は手にとるほどわかりますが、毒親の私が何を言っても息子に届かないと思い、ただただみまもってます。自分より心配だし不安でしかありません。
いつも勉強になります。
認識と 概念について なんとなく解る気が致します。
言語化の 能力にいつも感心させられます。
抽象的概念を適切に表現して伝えるのは 難しいです。
デッサン型の脳みそなので
今回のお話しは大変参考になりました。
ありがとうございます。
おつかれさまです😊
ありがとうございます♪
私は幼少期から極端な性質で当時は診断名もつかず生きにくさにいつも希死念慮のある辛い人生でした。それでも最愛のパートナーと出会い支えてもらいながら自営でそれなりに成功し生きれた時期もありましたが、彼への絶対的信頼が崩壊する出来事で 最愛の人の支えとお金を失い 喪失感を受け入れることが出来なく苦しんでいます。彼といた時間が長く世界全部がトラウマのトリガーで毎日が地獄でした。不都合な事実を図説したりマインドフルネスを再開したりまだ長い道のりですが 受容や俯瞰の成長をしたいともがいています。Drいつもありがとうございます。
瞑想するに際して、人体のトップエネルギースポットである頭頂に茶碗などを載せてやると楽で効果的であると本から学んで実際にやってみると実感はありました。もう何十年前のことですが。思考の中枢は、デカルトも指摘した通り眉間の奥の松果体、松果腺あたりだと思います。
瞑想はくつろいで何かを行っているとき、自然に同時に行われているときも多いと感じます。座禅を組んでやるとなると、心身の鍛錬 のような気がします。
客観視からの創作の段階は、やはりパズル能力のようなものが求められる気がしますね。冷蔵庫にあるありあわせの材料だけで何を作るか?に似ているかと。ただ、休日の昼食ならそれでしのげますが、一度きりの人生となると「アレが人並みすらない自分が許せない!」とまた前の段階に戻ってしまう……。「炒飯にするならハム買っときゃよかった!」みたいな、いや、もっと深刻かもしれません。とはいえ、誰の名言かは忘れましたが、ありあわせのものでやっていくしかない、というのは真実かもしれませんね。
新しい世界観を作るならまずは一般社会から離脱しないと厳しいなと感じますね。今は離脱してますが、元々は洗脳的に社会人の多数派の考えが全てという風に私も周りも思っていたと思います。一部の生まれ持った自我の強さがある人でなきゃ同じ世界で生きながら多数派からの脱却は厳しいと思います。新しい価値観を創造するなら、益田のRUclipsを毎日一日中見たり、宗教に入るしかないですね。いずれにしろ、中途半端に価値観を書き換えようとしても焼石に水なのが現実だと思います。
自分の価値観が壊れるまで、真剣に自分が見てる世界が皆が見てる世界だと疑う事なく信じてました。それに気がついたのは本当に最近です。で、いつもの様に落ち込みました。でも、その落ち込みのパターンもいつもと同じじゃない?と問われまたまた「そうだ!同じパターンだ!」と思いました。そこで同じ落ち込むのなら前向きに落ち込もうって決めてしまうと落ちる時間が段々短くなってきてる様に思います。全て自分の古い慣れ親しんだパターンなんだと思いました。そしてそれくらいからかなんとなく私はこうなりたいなーと思う気持ちが出てきました。何回も何回もこの主観2、0もトラウマメガネで社会を見てるとか聞いてたのだけど本当の意味で解るまでは相当時間がかかりました。自分の見てる世界が当たり前の世界だと真剣に信じてたからです。こういう事は解ってる人は解ってるのでしょうが…それからは人は人、私は私と認識出来るように色々やってます。なんか絡んでたグチャグチャの糸がほどけた感じというか、なんというか…これからは自分を大切に扱いたいと思います。ずーっと自分の感情とかを自分が無視してきたのだから。まずは自分にごめんね。と今まできつかったけどこれからは仲良くしようね❤と自分と約束しました。だってよく聞く言葉ですが死ぬ時まで一緒なのは自分だと。自分の事を自分が見方でいてあげてもいいじゃないか!世間ではほんとに精神疾患と言うと前よりは少しましですが、いや、まだましと言ってもほんの少しかな。やはりおかしい人みたいに見られます。確かにおかしいかもしれないけど、ここまで頑張って生きてきた事はせめて受け入れて欲しい…これも期待になるのでしょうが。だから自助会は大切だと思います😀
家族のかたちにこだわって、凄く悩みました。今は離婚していないけれどバラバラに住んでいます。もうそういう家族でもいいかなと思えるよえになってきたところです。
「受容と創作」受容とは正しく現実を描写すること、創作とは受容した要素を組み合わせてモデル化すること、かなあとおもいました。私の場合は発達障害とうつ病が原因で社会に不適合を起こしていたということを受容しました。発達障害とうつ病を受け入れることで、私が苦手なことがどちらに分類されるか、どのように解決できるかをモデル化してぼちぼち社会に戻ることができました。
人の為に生きたい。尽くしたい。これが私の私が見つけた正解でしたし、正解にしたいと思います。先月夫が病気で倒れ、一命を取り留め、手術の末助かりました。その中で自然とその考えの元生きている事に気付かされました。先生ありがとうございます!
同じテーマだとしても、先生が進化してるので違う内容になるかと思います
何回でもバンバン話してください☺️
完治しないと言われるADHD&ASDに陥っている現状、いろんな意味で暴力的な力を持っている人でないと舐められる現実社会からの偏見などなど、受け入れ難い現実を受容した結果、自分は弱者男性という立場から逃れられないという新たな認知(=主観2.0)が生まれました。どっちにしろ、根本的に力のない私にとって、現実世界は困難しかなさそうです。
治療に興味がありまして拝見しました。マインドフルネスをして勉強みたいな感じの流れなんですね。前もおっしゃっていましたね。受容した上であらたな価値観を創作…分かったような、分からないような?自分は病気になって友達も離れ孤独になってしまったけれども、一人でも楽しめる物を見つけるみたいな感じなのでしょうか。中々、受容は難しいですが、対処みたいな感じでやれば、ほんの少しはできるかもしれませんが、その気持ちも折れるかもしれないですね。
根本的には、もっと、行政などに助けてもらいたい気持ちもあります。実際、何も補助を受けていませんし。有料でも良いから、そういうサービスがあれば、もっと受容とかできるのではないかと思います。ほかの人も行政の補助的なそういった事が全然足りていないのでは、と思ったりします。女性は行政サービスを受けやすいとおっしゃっていたような気がしますが、全然サービスを受けれていないですね…
この視点ありませんでした。大変参考になりました。有難うございます。
深いですね。
宇宙ごと、すべてはわからないことだらけだということが私には一番腑に落ちました。
まずはそこからかなと。
【受容と創作】考え出すと難しいテーマですが、自分が居てもよいと感じられる場所を自分の言葉で理解することになるかと思います。受容とはなんとなく自分を許す(または認知する)行動の過程で、創作とは自分の言葉と感覚でなんとなく納得した世界観かもしれません。曖昧な感じになるのですが、幅を持たせつつ一つずつ良くなっていけばよいと思うのです。
はじめはやはり自分の強みと弱みを知ることからでしたよね、進学も就職も起業も営業もそこから始まる。で、他者や他社と差別化を諮って諮られて…という流れでしたよね、平成までは。今はわかりませんが。
そのうえで、収入の仕組みを作るとか、売り物を育てるとか、資格を取るとか…が創作なのかなと思いました。で、また新たに悩んでいくという。
弱い自分が嫌になります。
確かに、不安は消えるものではないですね。混乱もしますね。
覚えて居る限りの幼少に立ち戻って今までの親子関係兄弟姉妹関係自分はどんな子供だったかから思い出してやっぱり今の自分があるのかなと思います
ASD、双極性障害です。
仕事も、家庭も何とかこなしています。
受容はとても、難しくそれでも、他者に理解されたいと必死で溶け込もうと努力していた中、差別という壁があることを知り諦めることを新しい価値観として取り入れていきたいです。
想像力も苦手でマインドフルネスを続けて、家庭も仕事ももう少し生きやすい環境に身を置きたいです。
自分の出した答えは前例が無くて世間から応援してもらえないことかもしれないけど、勇気を振り絞ってやってみる…いつもこのパターンで変わり者扱いされますが、突き進んで良いのかな。
先生 。
私は小さい頃から、あんたは入れてあげないって仲間外れの態度をよくされてきました。
今でもママさんの中であります。大人しい私に原因があるのだと思います。
私なりに改善してきましたが、全くダメです。もう諦めてますが
思い出すとつらくなります。
私はADHDですが、その特性のために生きにくさをいつも感じています。自分の弱さを受け入れることができません。ついつい頑張りすぎてしまいます。脳や心のアップデートが常に必要だと感じています。深呼吸を5分することが私にはできません。この動画を見る限りでは今は休んだ方がいいように思いました。自己受容ができない、できていないように思いました。
幼少の頃から両親をも私の顔が生意気と無視、暴言、暴力をふるうのも致し方が無かったことです。その後の人生も顔が生意気と煙たがれることも致し方が無かったことで、第一印象で排除されることも致し方が無いことなのです。唯一自身を1人の人間として愛してくれている家族のために生きます。主婦という選択肢があって心底安堵しています。😮
どんどん仕事やプライベートが悪くなって、自身の精神の事を考える事を拒んでいた。
自分の思うそういったニュアンスを含む本やネットの記事を見る事で補っていた。
でも、結局足りない!って想いに行きつき、何か行動して、更に追い詰められてた。
行動に着目したくもないし、休んでも休まらなくて、辛かった。
不眠症で病院に行ったら、うつ病ですと言われたのが15年前で、その時は、自分がうつ病になるなんて思ってもいなくて、うつ病の友達に「元気なのに何故働かないの?」と、
うつ病の事を全く理解していなかったのでショックでした。
それからは、うつ病の友達と電話したり会ったりして、「あんな時とかに、こんな感情になるよね?」とか「レジやATMで並んでいる時に汗が大量に出るよね?」とかうつ病を受け入れるようになって、不眠だけはつづいてましたが、仕事復帰もできたけど3年後の夏に、朝目覚めた瞬間に「辛い…」って感情が湧いてきて、忙しい時期でもあったので、身体が疲れているのかな?と、3ヶ月くらい毎日続いていく度に、その辛さが増して、辛いから、後10分寝たい、30分寝たいと、ベッドから起き上がる時間も遅くなり、最後は出勤時間、家を出る時間の5分前に起きて、顔を洗い、寝癖は水で濡らした手で整えて、歯磨きする時間もなく、水を口に含んでクチュクチュするだけで、仕事を辞めないとまた壊れてしまうと思いながらも、人手不足で辞めるにやめれず、最後はとうとう壊れてしまって、無断で職場を出て自宅に帰って行ってしまいました。
それから同じ職場に何度かパートという形で働けていましたが、時間には余裕があるのに、今日の仕事の初めにやることから、その後にやる事を考えていると焦るようになって、頭の中がぐちゃぐちゃになった感じで、また辞めてしまい、
それでも数ヶ月安定してきたら、忙しい時期だけパートで働いてを繰り返して、「やっぱり仕事が無理なんだ」と分かって、生活保護を申請して、家にずっと居るだけの生活になり、掃除もしなくなり、ゴミ屋敷まで行きませんが、直ぐに誰かを家に招く事が出来ない状態で、たまたま多頭飼育していた人から子猫2匹を引き取ったのが6年前で、この子達の命を見守る為にも生きていかなきゃならい!と思うようになって、先に死ねない、不自由に育てたくない!
とネコのトイレや餌やお水は常に綺麗にしてあげて生活しているとネガティブな考えもなくなり、パーソナルスペースは少しは狭くなったけれど、汗をかく事はまだあり、不眠だけは治らず、3日くらいお薬がないまま寝ようとしても一睡も出来ず3日間寝てないと、身体のあちこちに痙攣がおきたり、交感神経が乱れているので、暑すぎると思い、ストーブの温度を下げた数分後には寒くて寒くてストーブの温度を上げ、また数分後に暑過ぎるような事の繰り返しで、暑いのか寒いのかも交感神経の調整出来なくなるので、睡眠薬だけは手放せないので、真冬の吹雪の中でも、土砂降りの雨の日でも、
必ず病院に行ってます。
私の唯一の親友も理解してくれて、私のタイミングに合わせてくれたり、何度も仕事復帰させてくれた社長にも感謝しかなく、実家に帰省した時に父親にも理解して貰っていて、何よりも、ネコを飼っている精神科のお医者さんにも出逢えて、
毎月診察した最後に「ネコちゃんは元気ですか?」って、話が長くなってしまっても、私が話している事に全て応えてくれる優しいお医者さんで良かったと思ってます。
ただ兄貴だけは、年末年始の帰省時に、なんだかんだ言われた最後に、「税金泥棒」と言われて、それがショックで悔して、泣きながら「働いてた時には俺だって税金払ってたから生活保護をうける権利はある!」と、自分でもなんでこんなに泣くんだろ?ってくらい泣いて訴えました。
最後に兄貴から「言い過ぎたごめん」と言われましたが、それから14年も兄貴が帰省する年末年始を避けて帰省しているので会っていません。
洗濯機が壊れても買えないのでコインランドリーを使用したり、
スマホが壊れても高いのは買えないけど、
中国製の格安スマホで、殆ど1年くらいで壊れてしまいますが、
それでも何とか、ご近所のお婆さんとも挨拶を交わしたり、社会から孤立せずに生きていますので、今とても苦しい状態の人が、私のコメント読んで
「何とか生きていけるんだ?」って思ってくれたら幸いです。
長文失礼致しました🙇♀️
私は長年、双極2型と診断されてきましたが、どうやら誤診ではないかと、本質はアタッチメント、アダルトチルドレンの治療が必要ではないかと思うようになり、最近転院しました。
日本社会の閉塞感、他者の許容の狭さ、自分が健常者と思っている人の方が狂気に満ちていて、病んでいると思うからです。
いずれ、近いうちに精神科医療が天動説がひっくり返るようになる日がくると確信しています。
精神科に行くようになったのには、優し過ぎたから、家族のゆがみを背負ったからだと思います。
今だから、病気に分類させられたと思います。だから受容しなくてもいいのです。自分のまま笑っていられる環境を探そうと思います。益田先生のyoutubeは、自己理解に役に立っています。感謝しています
現在、受容と創作に苦しんでいる真っ最中です
マインドフルネスしようとするだけで不安にかられる…。まだまだ道のりが長いようです。宿題までたどり着けてませんでした。これ見るのはまだ早いのかな?自分の状態、状況が客観的に捉えられてないようです。
ざっくりと、分かりました。人はあまりにも小さいということが分かりました。私も、目的に到達できず、老いて死にゆくと…思いました。でも、それだけでもないんですよね…😢。
配信をありがとうございます!
治療ステップ。。鬼滅の刃の炭治郎たちですね!!
宿題:受容は全くできてないですね
なぜ受容ができないのかもよく分からない
やりたくないのかできないのか
創作もできないですね
他の人と全く違う創作のせいなのか
不完全で完成しないのが自分の創作なのかも?
自分でもこんな不完全な物は嫌いです
こんなヘンテコなものは愛せない
宿題:「受容と創作」
は定型の人には分からない部分をどう表現していくかで、私の場合相手にないものが自分にあるからしんどくなったり、逆に「なんで出来るの?」と驚かれたりします。無意識にフツー(こちらのフツーは定型とは違う)にやってる事で驚かれる(私の場合はアートと農業)ので表現の仕方には個性と捉え伸ばしていってあげた先に見えてくるのかと思います。
①エフォートフルコントロール
②マインドフルネス
※エフォートフルコントロールの状態をそのまま味わう。
という順番もありかも😊。
私も、精神科通院してますが、薬ないと、寝れないです。今は、多様性らしいですけど、差別は、よくないですよね😭
手帳と年金などもらうにつれ、障がい者になっていく、という感じでした。
実は、落ちていく、という感じもあったのですが、
だからこそある感性でいろいろ面白くなってると40代時点で思えたので、
どん底を知ってた方が面白いぞとリベンジしている感じですね。
僕は楽しんでうまくやる方なので。
疾患特性を指摘されたときの怒りや絶望感は決して楽しいとは言えませんね。
受容できていなく、「障碍者」という隠れ蓑に隠れているのかもしれません。
ちょっと難しく感じました😢
短く まとめるのは大変なんだなぁと思いました。
お疲れ様ですm(_ _)m
入院をしていないけれど、重症に近いレベルのうつ病の時の、心がけ・できることなどを解説してくれると嬉しいです。
今までの学校や仕事の普通というものにとらわれないで自分に合った新しい価値観や主観2.0に達するというのは難しいこともありますよね、スピリチュアル(モノによりけりですが)に流れてしまうとかオウム真理教みたいなこともあるし、周りがお金教で流されてしまうとか、オンライン自助会に僕は入っているのですが他の自助会でもマイノリティのコミュニティに参加できれば周りに受容され、こんな自分があってもいいんだと思えたり新しい価値観は持ちやすいかも知れませんね。
自分は適応障害からうつ病へと2回経験しました。弱い自分を受け入れようと試みましたが、今いる職場は男は強くてなんぼという価値観の職場であり、自分には合ってないのかもしれませんので、転職を視野に入れて行動しています。
弱い自分を受け入れながら、自分のペースで生活できるようになるのが今の目標ですね😊
改めて見ると確かに足りない部分があるなと思いました🗒_φ(・_・
私は自分の心のケアばかり得意になってしまって、他人に相談することができないことが悩みです。
ゆっくり自己紹介すればいいのに。早口で言うからわからなくなるんだよ😂😂😂
オルテガ 大衆の反逆
世人→妥協→妥当→充当 現存 受容肯定
ーーーーーーーーーーーー表象 表裏一体
固有本来在りようで味わう 存在 創作
☘️テーマ ありがとうございました😊
俯瞰的な自分への視点の養成がマインドフルネスを通して得たい実感である、と思うのですが・・・。
治療後、健康な人と同じ立場には立たせて貰えないんですか?
治療で、強制人間改造を受けるんですか?
世界は残酷だけど、美しいみたいな?