Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
クイズ100人に聞きましたが好きだったなー、「あるあるある!ねーのかよ!」とTV見ながら家族と盛り上がってたわ。
クイズハンター、大阪ではサンテレビで遅れ放送でしたなぁ、神奈川へ出てきた時に会社休んで初めて見たかな
なるほどザ・ワールドやハウマッチ100万円クイズハンター世界一周双六ゲームは特に好きだったな~😆✨👍
夏休み、冬休みに観るのを楽しみにしていた、正午のTBSにあったベルトクイズQ&Qもない。
ウルトラクイズは出たかった!で、兄のアメリカ勤務時の旅行先がニューヨークだと知って、うらやましかった。
ドレミファドン!は今も、不定期で放送されてるよな。
春の祭典スペシャル!
地味だけどNHKの「連想ゲーム」「面白ゼミナール」も面白かったなぁ。
「面白ゼミナール」の鈴木健二アナは勉強家らしく良い内容だったなあ。
@@johnduegombei 番組が大学のゼミを模している設定で、鈴木アナは主任教授というキャラクター設定のため、敢えて命令的な口調を使っていたとの事。
面白ゼミナールで番組冒頭に鈴木アナが話す「知るは楽しみなり」って言葉は、オッサンになってから実感する。
16:13 『ふくとめいさお』さんじゃなくて『ふくとめのりお』さんが正しいですね
アメリカ横断ウルトラクイズは今まで見てきたテレビ番組で最高でした。当時学生でしたが、放送当日はウルトラクイズで頭がいっぱい、授業は聞いてませんでしたね。
@@johnduegombei 北海道でも、本放送の数ヶ月後に土曜の昼(13:00からだったかな?)から再放送してました。土曜は授業が午前中で終わったから、当時我が家にビデオデッキが無かったので全力ダッシュで帰宅してました。
土曜の夜は7時~「まんが日本昔ばなし」→「クイズダービー」→「8時だョ!全員集合」でしたね!😊
水曜日はヤマカン第六感→うる星やつら♪
裏番組がオレたちひょうきん族。
全員集合の後半でひょうきん族に切り替えてた我が家
当方が住む青森県では、土曜夕方6時から「サザエさん」(遅れネット)でしたので、サザエさんから全員集合まで、テッパンでしたね。
9時からのGメン75も
世界まるごとハウマッチは今RUclipsでみるとたけしと巨泉のやりとりが面白い。 たけしがあんたがごちゃごちゃいうから間違えたんだとか。
愛川欽也さんが司会をしていた人生ゲーム ハイ&ローも好きでした。この番組で初めて会社の役職というものを知りました
@@johnduegombei その辺りは纏めて「重役」かなんかで表現してましたからねw たしかに理解できない
@@hikaru00100重役でスペードマスを引くと、大体定年とかになって脱落だったな(他に、2回の破産などでも脱落)脱落により、生き残りプレイヤーが一人になると強制的に社長昇進(ゴール)なので逆転も多かったりした
後に玉置浩司会の貴方も社長ハイ&ロー も放送された。
@@大坂孝幸 愛川欽也さんが司会を担当した「人生ゲームハイ&ロー」終了後、枠を変更して当時TBSアナウンサーだった小島一慶さんの司会による「社長ゲームハイ&ロー」が放送された。また、玉置宏(浩ではない)さん司会の「貴女も社長ハイ&ロー」の後に、湯原昌幸さん司会の「社長かヒラか!ハイ&ロー」も放送された。
うちにボードゲームがあった😆😆人生ゲームみたいなやつ!小さかったから番組自体はイマイチ覚えてないんだけど、「上か下か?」って訊かれて選ぶと当たりとハズレの商品があったような…(当たり「ハワイ旅行」ハズレ「レイ(花のネックレス)」みたいな感じの)
アメリカ横断ウルトラクイズは夢を与える番組なので令和の今に一度だけ復活して欲しいですね‼️😁
「ニューヨークに行きたいか~!」の掛け声に、思わずテレビの前で「お~!」と言いそうになったことあるw
クイズダービーはクイズと言いながら実はトークショーなんだよな。答えの見せ方とか大橋巨泉と回答者のやり取りが面白い
井森美幸の解答はたまにぶっ飛んでて大笑いした記憶がありますね。あれには巨泉氏も惚れ込んだとか。
昭和のクイズ番組まだまだあるけど、「クイズ年の差なんて!」って言う番組もあったような気がする⁉️懐かしいです。
桂三枝(当時)と山田の邦ちゃんが司会だった😢懐かしい
答えたらマイナスポイントになる「NGワード」の要素があったりね。
3時代にまたがって放送してるパネルクイズアタック25
景気が良いと贅沢な内容が出来るので良いです。
やっぱり日テレ系の木曜スペシャルのアメリカ横断ウルトラクイズですかねぇ〜!福留功男さんが第1回〜第14回で、第15回から福澤朗アナウンサーにバトンされたとか!
クイズダービー、毎週楽しみに見ていたよ。
裏番組のタイムボカンシリーズ(イタダキマン)にとどめを刺しました。
@@pastelpureakgjze5791 様へ なるほど、イタダキマンの記憶は無いです。
わくわく動物ランドとクイズ100人に聞きましたが好きでした
わくわく動物ランド懐かしい!
榊原郁恵さんが回答者でした。飯島真理さんという方のEDも好きでした…
OPにうつってた天才クイズはCBCローカル
100万円クイズハンター見たさに学校を休んだの、良き思い出😊
東海地区限定だと思うが、天才クイズを毎週見てたな
1:01 オープニングに一瞬だけ写真が出てますね。しかも天才博士が顔だけの時代(笑)
昨年に続いて、今年も8月に特番がオンエアされますね。
出だしから懐かしいwパープリンなんて言葉何十年ぶりに聞いたんだろw
霊感ヤマ勘第六感もありましたね❗
アメリカ横断ウルトラクイズも壮大なクイズ番組だった。
特に罰ゲームはハンパなかった。一般人でもあるチャレンジャーが容赦なく体当たりして、罰ゲームを受けるものだから、当時の小学生の私にとってはトラウマでした❗️
ウルトラクイズは伝説のクイズ番組と言われる程スケールがデカかったな。特に広大な敷地で行ったバラマキクイズは名物だったな。
第1回の放送を見た時から本気で参加したいと思って、実際に参加した唯一のクイズ番組ですね。ちょうど留さんが一度引退した第15回から復帰した17回まで参加しました。一時期クイズ王を決める番組が乱立してた事ありましたけど、そこでの予選は筆記試験からなんで、普通の人達はまず太刀打ち出来ないです。しかし、ウルトラクイズは運で予選突破出来る可能性があった分、夢があったと思います。今は同時多発テロの影響で飛行機の搭乗者を事前に伝えないといけなくなった事で、金銭面以前にやろうにもやれなくなってしまいましたが。
@@technonm1うらやましいです。やっと出場できる歳になったと思ったら終わってしまった。
@@johnduegombei 「コレをなんと読むッ!?」って文面を見た瞬間に留さんの声とあのSEが脳内再生されました。
ここには紹介してませんが、昭和末期の逸見政孝氏が司会の「クイズ世界はshowbyショーバイ」も面白かったです。逸見氏と山城新伍氏とのやりとりや、野沢直子氏の珍回答、それに普段はあまりテレビには出ないジャイアント馬場氏等と内容が魅力的でした。個人的には高田純次氏のテキトー!?すぎる回り芸が印象的でした。
逸見氏が病気とはいえ若くして亡くなったのは残念でならない。
馬場さんの赤ベコが伝説✨
ジャイアント馬場が唐竹割で解答者席を破壊してやはり馬場のチョップは凄いんだと思った(笑)
〇|ー+ー |
いっつみーの嘘つき4択ってありましたよね?
クイズ100人に聞きました。懐かしいですね🤗。
TBSテレビの土曜7:30のクイズダービー。8:00の8時だよ❗全員集合、9時のTHEサスペンスが昭和のハマリ番組。のちに、日立製作所提供世界ふしぎ発見‼️に繋がった。
青森テレビでは、18時「サザエさん」(6日遅れネット)⇒(JNNニュースコープ・ATVニュースをはさみ)19時「まんが日本むかしばなし」⇒19時30分「クイズダービー」⇒20時「8時だョ!全員集合」とテッパンでした。裏番組(当時はNHKと青森放送のみ)を視るなんてあり得ませんでしたね。
@@johnduegombei 当方が中学生の時は、土曜日14時から放送されてました。ただ、Wikipediaを見ると、末期は平日のゴールデンタイム(TBSテレビでのローカルセールス枠)で放送されてた様です。
やっぱりアメリカ横断ウルトラクイズが印象に残ってますね毎年楽しみにしてました福留さんも未だにウルトラクイズのイメージが強いです
最初の目的地でタラップから降りるときに失格者は「ビーッ」とブザーが鳴ったらそのまま飛行機に逆戻りで帰国というのを見たときはとても悲しかった思い出…
@@西島浩-n8q 機内での500問(初期は1000問)筆記クイズで成績が悪いとこうなる。
16:13 福留イサオと間違えられた当時の福留功男なら当たり前の鉄拳制裁👊
世界まるごとHOWマッチは、世界の色々な国の通貨単位を覚えるのに最適でした。その時に得た知識が今の仕事に役立ってます。
今のネット社会では個人輸入が普通になったので海外の通貨単位覚える意味でも復活して欲しいなあ。
ハンマッチは巨泉が石坂とたけし出演指定してたりスケジュールも巨泉に会わせたたけしがスケジュールにぼやいたと公式に発言したからなぁ~
今でこそEU圏はユーロで統一されてるけど、昔はペソとかリラとか色んな通貨がありましたからね。あとクローネとかズロチとかありましたね。
母はアンチたけし軍団(ドリフ贔屓)だったので「世界まるごとHOWマッチ」は見せてくれない場合もありました!
あれは関西局毎日放送の制作だったんだね収録は都内でやっていた
ウルトラクイズ、出たかったのに18歳になる前に終わってしまった・・・。
深夜でもいいから再放送してほしいけど、権利絡み(BGMの著作権の所在が不明等)で色々と難しい、って聞いた事があります。残念。
クイズ研がウルトラクイズとかつぶしたんぢゃないのか
クイズハンターのハンターチャンスはエグかったあんまり高級品ばかり持っていると絶対横取りされるもんね一度、海外旅行を横取りされた女性が次のクイズを正解し、「さっき盗られたヤツ、返して下さい」と言ったのが笑えた
わくわく動物ランドも好きだったなぁ
全部子供の頃に観てた懐かしいクイズ番組。今回紹介されてなかったけど三枝の国盗りゲームってクイズ番組もなんか好きでした。あと昭和のクイズ番組の司会者の軽妙洒脱なトークが印象に残ってます
桂文枝(桂三枝)師匠の煽り司会が強い印象。
当時は小学生で問題は判らなかったけど、トークや司会術が面白くて毎週見ていた番組も多かった。
(^-^)私も国盗りゲーム好きでした〜♡
タイムショックとアタック25も好きだったなぁ😊
アタック25のオープニングの曲を聴くと、今でも心が癒されますが、タイムリミットが近づいた時に流れた「ピポンピポン」というチャイムが怖く感じた思い出…
@@johnduegombei ちなみに、ドレミファドンのテーマ曲は、元フジテレビの社員だった すぎやまこういち氏が作曲。
関口宏のクイズ百人に聞きましたもハマリ番組。
あれはアメリカの番組を真似たものです。ハワイで元の番組を見ましたが、そのままでした(笑)
フジテレビの平日帯クイズ番組「クイズ・グランプリ」。
全て懐かしくて面白い番組でしたが、NH◯で放送されていた『連想ゲーム』も好きだったなあ。
クイズグランプリは、月曜~土曜までやっていたのが、幼少時代の私には驚きでした。TVにかじりついて視てました!時代を経て、テーマ曲が細野晴臣さんの「北京ダック」のアレンジに気が付いてビックリ😱☀️
あの真剣勝負が好きだった。お互いにしがらみのない者同士だからガチンコになる。見応えあったなあ。
「ホニャララ」とか「チョメチョメ」とか「ニン!」とか流行った記憶があります。
ウルトラクイズといえば、今回の動画には出てこなかったですが、やはりジャンケンで負けた人がピコピコハンマーで徳光和夫さんに叩くシーンが笑えました。特に徳さんと敗者の会話が楽しかったなぁ。😂
勝者が乗った飛行機に向かって叫ぶシュプレヒコールが好きだった。今なら放送しづらいネタも叫んでた記憶が。
@@johnduegombei 「お前たちの行き先は北朝鮮だ!」もありましたよね?
そして「世界ふしぎ発見!」だけが残った……これが地上波テレビの真実です🙁
2024年3月で終了するのが決定しましたね>世界ふしぎ発見!
@@yos0914 37年半でレギュラーに幕、はい◎
50代男性ですが、すべての番組見てましたね😄懐かしい😢
仲間がいた♪😆👍️
わくわく動物ランドが好きだった
昔のクイズ番組、というか番組全般に言えるんだけどすごくテンポが良かった。ウルトラクイズなんかは準決勝の通せんぼクイズとかずっと釘付けになる緊迫感もあった。今のテレビ番組は引っ張りすぎだし巻き戻しも多すぎて見るのに耐えられない
クイズダービーなんて5人の回答者と合計6人のベッター全員にしっかり話を振って、ゲスト回答者には宣伝もさせて、クイズ7問やってを30分で収めるんだから恐ろしくテンポが良い。
CS無料の日に、二十何年ぶりに「クイズダービー」を見たら、生放送(*編集ナシ)か?と思える程にテンポが速く無駄が無い、それなのにトークや笑いもちゃんと入ってる。改めて大橋巨泉氏の司会術の上手さを感じましたね。
そう本当に無駄がない。今やったら一時間で収まらない内容を30分番組で収めてるから。ヒントでピントなんか、『象印クイズヒントでピント』って言った直後に1問目始めるからね
今なんてクイズの合間に関係ないゲストのトークとか挟んで時間をダラダラ引き伸ばしてます。こんなのは視聴者は求めてません。
@@平-f8f ほんとに30分弱で収録していたらしいですね。あの世代の人たちはテレビが生放送しかできなかった時期からかかわっていた人達だから、それぐらいは余裕だったのでしょうね。
ウルトラクイズは、日本テレビのバラエティー班ではなく、ドキュメンタリー班が制作しているので、他のクイズ番組とはコンセプトが全く違っていたのが、面白かったです😀
「クイズひらめきパスワード」、「クイズ地球まるかじり!」が面白かったです。
クイズ所変われば⁉️もあった。
愛川欽也は声優で1番出世した人。なるほどザワールドで野沢雅子のアナウンスは感動した。 風大座衛門とニャンコ先生の共演。
「大左衛門」だ。
なるほどザワールドもハマったクイズ番組。愛川欽也と楠田絵里子のコンビ。
当時閉ざされていたソ連にも取材に行ったのは凄いの一言
ひょうきん由美こと増田由美アナウンサーの体当たり取材はすごかった。
恒例の恋人選びで予想外の人が選ばれることが度々ありました(アチラの人は日本人と価値観が違うのでこうなる)。
@@pastelpureakgjze5791 まさかの大曇天返し。
@@prc148mbitr 北朝鮮にもロケに行った事も、今考えたら驚き。
今でこそプライバシー保護を目的に多用される映像の「モザイク処理」は、「象印クイズ ヒントでピント」で初めて使われたとのこと。当時の最新の映像処理技術を駆使した番組でしたね。
番組ではモザイクではなく、テクニカルと表現していた。
7:48 この写真はおそらくヒントでピントではなくスーパーダイスQだと思う。スーパーダイスQも好きな番組だったなぁ。特に後期は運の要素も強くてウルトラ一発100万円が出そうな時はワクワクしながら見てました。
HOWマッチはクイズの内容より巨泉と たけしの掛け合いが面白かったので、録画して何度も見返して笑った。
両親が嫌ったのは夜遅いだけでなくたけし氏の存在が遠因だったのでしょう。
巨泉さんが間違えて『石坂たけしさん』と言ってしまったこともありましたね
@@johnduegombei 番組のオファーが巨泉さんに来た当時、巨泉さんは引退するつもりだったのだけど、「ビートたけしと石坂浩二が出るならやる」って言って本当に実現しちゃったんすよね。
クイズ100人に聞きましたは元々は家族対抗クイズ合戦というタイトルで日曜日の14時頃からやってたのが、ゴールデンタイムに移行したんです。クイズ番組はウルトラクイズ以上のものはたぶんないです。最高のクイズ番組でした。
クイズタイムショック芸能人大会で象印クイズヒントでピントの司会者の土居まさるさんが、全問正解していた
世界まるごとハウマッチで何回かホールインワンしたことあるぞwww
ちびまる子ちゃんでの「おじいちゃんがQ&Qに出演する」の回は平成レーワ世代には意味不明だったろうね。
アタック25や連想ゲームも楽しかった。
「アップダウンクイズ」「アタック25」「世界一周双六ゲーム」「霊感ヤマカン第六感」など、当時は関西の放送局が制作した全国放送のクイズ番組が多かった。
霊感ヤマカン第六感とアップダウンクイズは、1975年の「腸捻転」で関東での放映局が変わった。
@@johnduegombei放映局とスポンサーをそのままに、制作局が変わった(毎日放送→朝日放送)パターン
三枝の国盗りゲーム もABC制作…でしたかね?
@@johnduegombei さんご回答ありがとうございます‼️アップダウンクイズはよく観ていました。あのころ、ロート製薬一社提供番組がけっこうありましたね。鳩が集団で空を飛んでいると友達で「ロートロートロート~♪」と合唱したものです😆
世界中で一番楽しい番組、今週の目玉商品、霊感ヤマカン第六感、司会のフランキー堺です!😮
ウルトラクイズやクイズ100人に聞きましたは問題集が本になったのを見たことがあるし、100人に聞きましたは実際に買ってイベントや宴会のネタでクイズで出題したのを思い出すな。
「100人に聞きました」のナレーターは橋本テツヤさんよ?
昭和のクイズ番組は、テンポが良くてアッという間な感じだった。最近は解答者に対し「凄いなぁ…」って感心する。好みはあろうが、自分は昭和派。
@@johnduegombei さん他は…関口宏・土居まさる・柳生博・久米宏・高島忠夫・福留功男・福澤朗・フランキー堺・桂三枝・桂文珍・鈴木健二・田宮二郎等々…基本尺が30分~1時間単位だから、見やすかったのもありますかねぇ。何時でも『合体3時間SP』とかでは…
昭和の名物番組(クイズ以外も含めて)の司会者は本当に“司会”をしてたよね。彼らと比べたら、昨今の司会者は台本どおりに進めるだけの進行係にしか見えない。
昭和のレギュラー番組はは30分が多かった。現在は二時間以上の番組も多いが、コストカットなのかな?
全部リアルタイムで観た事あるわコメント欄見ると第2弾必至だな
リアルタイム視聴体験世代のコメントだけで動画が作れそうだね。
HOWマッチでの小倉さんの吹き替えが好きだった
俺の好きな「クイズタイム小学生」が無い・・・。
トランプマンのマジックは面白いな
伊東四朗さん司会のナウゲッタチャンスが面白かった。伊東四朗さんのニンは、よかった。会場に来ていた人が参加できる凄い番組でした。
ザ・チャンスですね。番組内での伊東さんの掛け声がナウゲッタチャンスでした。
ピンクレディーしか思い出さない…
@@prc148mbitr ザ・チャンスは、ピンクレディーがスタート当時のMCでしたが、渡米してレコーディングするというので伊東四朗さんに交代したそうです。賞品が新車とか海外旅行など、とにかく豪華でした。そのためか、観覧は18禁となっておりました。
オリジナルの「The Price is Right」はお膝元のアメリカ版(1972~)の他、イギリス・イタリア・フランス・アルゼンチン・オーストラリアetcでもフォーマットセールス版が放送中。
6:17 クイスダービーのパロディ(再現もの)で、朝の情報バラエティーのラヴィット(TBS)で、ラヴィットダービーを放送してた時もあったけど…(盛り上がりすぎて予定時間よりオーバーして本編が翌週へと繰り下げになったことも…)11:09 ドレミファドンは今でもドラマの改編期にスペシャル番組として放送してるよ。
ドレミファドンの最後の問題で間違えると葬送行進曲(米国製ブロック崩しゲーム「サーカス」から流用)が流れるのが印象的でした。
クイズダービーは金スマとか特番内で何度かリメイクされてるけど、同じフォーマットでも司会が違うと別物になっちゃうだよね
ドレミのピラニアマン
クイズ世界はsyow by ショーバイが結構好きだったけど、逸見政孝さんが亡くなった時は本当にショックでした。
昭和のクイズ番組は楽しかったな。スポンサーも今はなくなった企業ばかりだけど、本当に懐かしすぎる
「いつ象印が潰れた?」って焦ったよw
クイズハンターの解答者がJリーグのサポーターやBリーグのブ―スターだったらどうなっていた?
後クイズなるほどゼミナールが好きです🎉
それは「クイズ面白ゼミナール」ではないのか?
なるほど・ザ・ワールドと面白ゼミナールを混ぜないでーw
鈴木健二アナが世界各地の問題を出す光景を想像して、絶対に見たいと思った。
何れの番組も司会者と個性的な回答者との掛け合いが最高に面白かったですね。今のクイズ番組はそれが少ないですね。
霊感ヤマカン第六感はオープニングの歌と提供クレジットの大阪ガスのロゴマークが子供ながらに怖かった思い出w
おいらはジョーカーのイラストが苦手でした。
@@johnduegombei その音楽は同じ朝日放送制作の「プロポーズ大作戦」でのカップル不成立時に流れる音楽の流用。
子供のころからウルトラクイズにあこがれていて東京までの旅費を貯めて16回大会に出たのはいい思い出です。スマホとかの携行できる情報機器が増えちゃったから同じ形式のクイズ番組はもうできないでしょうね…。クイズ番組は80年代後半から大学などのクイズ研究会が台頭して一気にアスリート化してしまい、一般人が置いてけぼりになった感があります。
益田由美さん大好きでした~‼️彼女が出てる時は大体神回だった気がする😁
ひょうきん由美懐かしい
楠田枝里子は「くすだえりこ」じゃなくて「くすたえりこ」な
アタック25は現在はBSジャパネクストで放送中2025年初頭からチャンネルがBS10に変わるらしいよ
ショーバイ・マジカルの日テレ2強を見て育った民です(´・ω・`)
アップダウンクイズ、がない…
昭和の視聴者参加番組、いい番組が多かったです。特に「アップダウンクイズ」「クイズタイムショック」「クイズグランプリ」「パネルクイズアタック25」の4番組を全て優勝した人はグランドスラムと呼ばれたほどいいクイズ番組でした。比較的ルールもシンプルで(この4つの中ではアタック25が複雑かも)見ていて飽きないし、子供だった当時でも家族で見ていました。
クイズダービーにギャンブラーとしてゲスト出演した、とんねるずが一問目からはらたいらさんに全部賭けようとして司会の大橋巨泉から怒られていましたね笑
若山富三郎「たけしくんに全部!!」
クイズ100人に聞きましたは毎週視ていた、回答者が答えると、お決まりの音と観客席からの、あるあるある~の歓声がいまだに耳に残っている、
一回変な回答したお爺さんがいて「ないないない!」これは本当です。
7:00クイズダービーで晩年の大橋巨泉さんが「金スマ」で復刻版をしていました。その時、正解率の高いはらたいらさんが既にお亡くなりになり、巨泉さん曰く「はらたいらに匹敵出来る回答者」でやくみつるさんをはらたいらさんの枠に抜擢されました。結果は6勝2敗で、面目は保ちました。
アメリカ横断ウルトラクイズの司会をしていた福留さんは、ズームイン朝も担当していた。ズームインは福留さん不在の1か月、各地の系列局をメインに放送していた。
違う。系列局のキャスターがメインを代行してたってこと。
全て知ってます。懐かしい!!特にウルトラクイズは大好きでした。あの頃は13回の及川さんや、15回チャンピオンの能勢さんのファンでした。あと、アップダウンクイズとか見てました
ヒントでピント…象印クイズダービー、アップダウン…ロートなるほどザワールド…旭化成1社提供も多かった。
今放送中の世界ふしぎ発見も日立提供です。
アタック25も東レでしたね。高校生クイズはライオンでしたっけ?クイズ番組は1社提供が多いのは意味あるのかな?ロート製薬のロートロートロート♪が懐かしい。
東リでしたね。間違えてました。
ベルトクイズQ&Q (ベルトクイズ キューアンドキュー) 1969年6月30日から1980年2月29日までTBS系列局で放送。 月曜から金曜の週5日間、毎日正午から放送されていたベルト番組(帯番組)であることが番組名の由来。 7月中旬から8月末までは「夏休み子供大会」、12月下旬から1月上旬までは「冬休み子供大会」が設定され、小中学生の出場があった。 出題は『クイズタイムショック』(NETテレビ → テレビ朝日)の出題者でもある矢島正明が担当、「コンピューター性格診断」のコンピューターの声は、声優の井上瑤が担当していた。 漫画家・さくらももこさんの祖父・友蔵さんが出場したことがあり、アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ)の「おじいちゃんベルトクイズに出る😂」(1991年5月19日放送分)にて当時のエピソードが描かれている。この回はTBSの協力の下で製作され、押阪忍氏が司会者役の声優として特別出演した。なお、アニメのストーリーでは友蔵氏は2人勝ち抜いた後にミリオンステージに移動、50万円の問題に正解したものの次に挑戦した100万円の問題で誤答、結果27万円(2人勝ち抜き+50万の半額)を獲得した。
司会は押阪忍さんだったか…?
@@あげしま さんへ司会は当初、増田貴光が務めていたが、1971年7月末に番組の収録中に体調不良を訴えて突然降板。そのため、 その後しばらくはアシスタントの円木紀久美が単独で司会も兼任していた。 そして同年9月からは椎名勝己が、1972年5月からは押阪忍が司会を務めていた。 ┅だそうです。自分は押坂忍さんの頃しか印象にありません。
この回のEDクレジットに「資料提供:TBS」と出ていましたね、出題の声はTBSのアーカイブを使ってました、他局同士のコラボという珍しい回でした。
個人的には後番組の『スーパーダイスQ』の方が思い出深い
「なるほど・ザ・ワールド」は当時日本と国交のなかった国やかの「北」にまで行ったというパワーが溢れてた。私が今も忘れられないのが1985年8月13日放映で、坂本九さんがゲスト出演していて番組のラストに前日夜に起こった日航機墜落事故の乗客に坂本九さんがいた事で「坂本さんのご無事を心からお祈り申し上げます、この放送は8月7日に収録したものです」というテロップが出た事です。(黙祷)
坂本九氏は、その後遺体で見つかった。
何時も綺麗な竹下景子さんに3000点
はらたいらに全部!
倍率どん!さらに倍。
篠沢教授に5,000点!
残りは井森さんにもう投げやり
@@prc148mbitr はらたいらは鉄板ですよね😊
ベルトクイズQ&Qって覚えている方いらっしゃいますか?
この動画、見応えがあった。ヒントでピント家族で見ていたなぁー。16分割問題で正解した時はドヤ顔をしていたわ。
「象印クイズヒントでピント」 の、PART5の問題でチームに3人不正解者が出た際には、当該チームの回答者は全員起立させられ、相手チームに回答権が回っていた。尚、勝利チームの得点で副賞が異なり、60点以上は象印賞、80点以上は海外旅行 (ハワイ旅行) が贈呈された。
ちょっと言いにくいけど、「100人に聞きました」って実はアメリカCBSの番組「FAMILY_FEUD」のライセンス許可取ってないパロディなんだよな。オリジナルは300点先取勝抜け制(5連勝まで)、FastMoney(100人のトラベルチャンスに該当)はルールが大きく違うし。
昭和のクイズ番組は、豪華賞品だし、名司会者だし楽しかったです。今度はクイズ王特集もお願いします😊
視聴者参加が多くて、芸能人対抗でも今みたいにワーワー騒いでなかったし、紳士的だった…
クイズダービーは、実質的に24分で8問。問題が出、大橋巨泉が一般客に賭け先を聞き、解答者の誤答を弄り、正解出した解答者の発表、背景情報を15秒くらいで補足。それらを8問終えた後、エンディング迎えて一般客と解答席をもうひと弄り。大橋巨泉の仕切りの妙技を標準にしていたら、現在のクイズバラエティーが薄味に感じるわけで……。
「クイズダービー」 の前身番組は 「お笑い頭の体操」 で、落語家の月の家円鏡 (橘家円蔵) 師匠がレギュラー出演されていた。メガネ👓️がトレードマーク。本業の落語家の活動のみならず、タレント業でもセンスを発揮。平成27年10月に逝去、鬼籍に入られた。
クイズ100人に聞きましたが好きだったなー、「あるあるある!ねーのかよ!」とTV見ながら家族と盛り上がってたわ。
クイズハンター、大阪ではサンテレビで遅れ放送でしたなぁ、神奈川へ出てきた時に会社休んで初めて見たかな
なるほどザ・ワールドやハウマッチ100万円クイズハンター世界一周双六ゲームは特に好きだったな~😆✨👍
夏休み、冬休みに観るのを楽しみにしていた、正午のTBSにあったベルトクイズQ&Qもない。
ウルトラクイズは出たかった!で、兄のアメリカ勤務時の旅行先がニューヨークだと知って、うらやましかった。
ドレミファドン!は今も、不定期で放送されてるよな。
春の祭典スペシャル!
地味だけどNHKの「連想ゲーム」「面白ゼミナール」も面白かったなぁ。
「面白ゼミナール」の鈴木健二アナは勉強家らしく良い内容だったなあ。
@@johnduegombei 番組が大学のゼミを模している設定で、鈴木アナは主任教授というキャラクター設定のため、敢えて命令的な口調を使っていたとの事。
面白ゼミナールで番組冒頭に鈴木アナが話す「知るは楽しみなり」って言葉は、オッサンになってから実感する。
16:13 『ふくとめいさお』さんじゃなくて『ふくとめのりお』さんが正しいですね
アメリカ横断ウルトラクイズは今まで見てきたテレビ番組で最高でした。
当時学生でしたが、放送当日はウルトラクイズで頭がいっぱい、授業は聞いてませんでしたね。
@@johnduegombei
北海道でも、本放送の数ヶ月後に土曜の昼(13:00からだったかな?)から再放送してました。
土曜は授業が午前中で終わったから、当時我が家にビデオデッキが無かったので全力ダッシュで帰宅してました。
土曜の夜は7時~「まんが日本昔ばなし」→「クイズダービー」→「8時だョ!全員集合」でしたね!😊
水曜日はヤマカン第六感→うる星やつら♪
裏番組がオレたちひょうきん族。
全員集合の後半でひょうきん族に切り替えてた我が家
当方が住む青森県では、土曜夕方6時から「サザエさん」(遅れネット)でしたので、サザエさんから全員集合まで、テッパンでしたね。
9時からのGメン75も
世界まるごとハウマッチは今RUclipsでみるとたけしと巨泉のやりとりが面白い。
たけしがあんたがごちゃごちゃいうから間違えたんだとか。
愛川欽也さんが司会をしていた人生ゲーム ハイ&ローも好きでした。
この番組で初めて会社の役職というものを知りました
@@johnduegombei その辺りは纏めて「重役」かなんかで表現してましたからねw たしかに理解できない
@@hikaru00100重役でスペードマスを引くと、大体定年とかになって脱落だったな
(他に、2回の破産などでも脱落)
脱落により、生き残りプレイヤーが一人になると強制的に社長昇進(ゴール)なので逆転も多かったりした
後に玉置浩司会の貴方も社長ハイ&ロー も放送された。
@@大坂孝幸 愛川欽也さんが司会を担当した「人生ゲームハイ&ロー」終了後、枠を変更して当時TBSアナウンサーだった小島一慶さんの司会による「社長ゲームハイ&ロー」が放送された。
また、玉置宏(浩ではない)さん司会の「貴女も社長ハイ&ロー」の後に、湯原昌幸さん司会の「社長かヒラか!ハイ&ロー」も放送された。
うちにボードゲームがあった😆😆
人生ゲームみたいなやつ!
小さかったから番組自体はイマイチ覚えてないんだけど、「上か下か?」って訊かれて選ぶと当たりとハズレの商品があったような…(当たり「ハワイ旅行」ハズレ「レイ(花のネックレス)」みたいな感じの)
アメリカ横断ウルトラクイズは夢を与える番組なので令和の今に一度だけ復活して欲しいですね‼️😁
「ニューヨークに行きたいか~!」の掛け声に、思わずテレビの前で「お~!」と言いそうになったことあるw
クイズダービーはクイズと言いながら実はトークショーなんだよな。
答えの見せ方とか大橋巨泉と回答者のやり取りが面白い
井森美幸の解答はたまに
ぶっ飛んでて大笑いした記憶がありますね。あれには巨泉氏も惚れ込んだとか。
昭和のクイズ番組まだまだあるけど、
「クイズ年の差なんて!」って言う番組もあったような気がする⁉️
懐かしいです。
桂三枝(当時)と山田の邦ちゃんが司会だった😢懐かしい
答えたらマイナスポイントになる「NGワード」の要素があったりね。
3時代にまたがって放送してるパネルクイズアタック25
景気が良いと贅沢な内容が出来るので良いです。
やっぱり日テレ系の木曜スペシャルのアメリカ横断ウルトラクイズですかねぇ〜!福留功男さんが第1回〜第14回で、第15回から福澤朗アナウンサーにバトンされたとか!
クイズダービー、毎週楽しみに見ていたよ。
裏番組のタイムボカンシリーズ(イタダキマン)にとどめを刺しました。
@@pastelpureakgjze5791 様へ なるほど、イタダキマンの記憶は無いです。
わくわく動物ランドとクイズ100人に聞きましたが好きでした
わくわく動物ランド懐かしい!
榊原郁恵さんが回答者でした。飯島真理さんという方のEDも好きでした…
OPにうつってた天才クイズはCBCローカル
100万円クイズハンター見たさに学校を休んだの、良き思い出😊
東海地区限定だと思うが、天才クイズを毎週見てたな
1:01 オープニングに一瞬だけ写真が出てますね。しかも天才博士が顔だけの時代(笑)
昨年に続いて、今年も8月に特番がオンエアされますね。
出だしから懐かしいwパープリンなんて言葉何十年ぶりに聞いたんだろw
霊感ヤマ勘第六感もありましたね❗
アメリカ横断ウルトラクイズも壮大なクイズ番組だった。
特に罰ゲームはハンパなかった。一般人でもあるチャレンジャーが容赦なく体当たりして、罰ゲームを受けるものだから、当時の小学生の私にとってはトラウマでした❗️
ウルトラクイズは伝説のクイズ番組と言われる程スケールがデカかったな。
特に広大な敷地で行ったバラマキクイズは名物だったな。
第1回の放送を見た時から本気で参加したいと思って、実際に参加した唯一のクイズ番組ですね。
ちょうど留さんが一度引退した第15回から復帰した17回まで参加しました。
一時期クイズ王を決める番組が乱立してた事ありましたけど、そこでの予選は筆記試験からなんで、普通の人達はまず太刀打ち出来ないです。
しかし、ウルトラクイズは運で予選突破出来る可能性があった分、夢があったと思います。
今は同時多発テロの影響で飛行機の搭乗者を事前に伝えないといけなくなった事で、金銭面以前にやろうにもやれなくなってしまいましたが。
@@technonm1うらやましいです。やっと出場できる歳になったと思ったら終わってしまった。
@@johnduegombei
「コレをなんと読むッ!?」
って文面を見た瞬間に留さんの声とあのSEが脳内再生されました。
ここには紹介してませんが、昭和末期の逸見政孝氏が司会の「クイズ世界はshowbyショーバイ」も面白かったです。逸見氏と山城新伍氏とのやりとりや、野沢直子氏の珍回答、それに普段はあまりテレビには出ないジャイアント馬場氏等と内容が魅力的でした。個人的には高田純次氏のテキトー!?すぎる回り芸が印象的でした。
逸見氏が病気とはいえ若くして亡くなったのは残念でならない。
馬場さんの赤ベコが伝説✨
ジャイアント馬場が唐竹割で解答者席を破壊して
やはり馬場のチョップは凄いんだと思った(笑)
〇|
ー+ー
|
いっつみーの嘘つき4択ってありましたよね?
クイズ100人に聞きました。懐かしいですね🤗。
TBSテレビの土曜7:30のクイズダービー。8:00の8時だよ❗全員集合、9時のTHEサスペンスが昭和のハマリ番組。
のちに、日立製作所提供世界ふしぎ発見‼️に繋がった。
青森テレビでは、18時「サザエさん」(6日遅れネット)⇒(JNNニュースコープ・ATVニュースをはさみ)19時「まんが日本むかしばなし」⇒19時30分「クイズダービー」⇒20時「8時だョ!全員集合」とテッパンでした。裏番組(当時はNHKと青森放送のみ)を視るなんてあり得ませんでしたね。
@@johnduegombei 当方が中学生の時は、土曜日14時から放送されてました。ただ、Wikipediaを見ると、末期は平日のゴールデンタイム(TBSテレビでのローカルセールス枠)で放送されてた様です。
やっぱりアメリカ横断ウルトラクイズが印象に残ってますね
毎年楽しみにしてました
福留さんも未だにウルトラクイズのイメージが強いです
最初の目的地でタラップから降りるときに失格者は「ビーッ」とブザーが鳴ったらそのまま飛行機に逆戻りで帰国というのを見たときはとても悲しかった思い出…
@@西島浩-n8q 機内での500問(初期は1000問)筆記クイズで成績が悪いとこうなる。
16:13 福留イサオと間違えられた当時の福留功男なら当たり前の鉄拳制裁👊
世界まるごとHOWマッチは、世界の色々な国の通貨単位を覚えるのに最適でした。その時に得た知識が今の仕事に役立ってます。
今のネット社会では個人輸入が普通になったので海外の通貨単位覚える意味でも復活して欲しいなあ。
ハンマッチは巨泉が石坂とたけし出演指定してたりスケジュールも巨泉に会わせたたけしがスケジュールにぼやいたと公式に発言したからなぁ~
今でこそEU圏はユーロで統一されてるけど、昔はペソとかリラとか色んな通貨がありましたからね。あとクローネとかズロチとかありましたね。
母はアンチたけし軍団(ドリフ贔屓)だったので「世界まるごとHOWマッチ」は見せてくれない場合もありました!
あれは関西局毎日放送の制作だったんだね収録は都内でやっていた
ウルトラクイズ、出たかったのに18歳になる前に終わってしまった・・・。
深夜でもいいから再放送してほしいけど、権利絡み(BGMの著作権の所在が不明等)で色々と難しい、って聞いた事があります。残念。
クイズ研がウルトラクイズとかつぶしたんぢゃないのか
クイズハンターのハンターチャンスはエグかった
あんまり高級品ばかり持っていると絶対横取りされるもんね
一度、海外旅行を横取りされた女性が次のクイズを正解し、「さっき盗られたヤツ、返して下さい」と言ったのが笑えた
わくわく動物ランドも好きだったなぁ
全部子供の頃に観てた懐かしいクイズ番組。
今回紹介されてなかったけど三枝の国盗りゲームってクイズ番組もなんか好きでした。
あと昭和のクイズ番組の司会者の軽妙洒脱なトークが印象に残ってます
桂文枝(桂三枝)師匠の煽り司会が強い印象。
当時は小学生で問題は判らなかったけど、トークや司会術が面白くて毎週見ていた番組も多かった。
(^-^)
私も国盗りゲーム好きでした〜♡
タイムショックとアタック25も好きだったなぁ😊
アタック25のオープニングの曲を聴くと、今でも心が癒されますが、タイムリミットが近づいた時に流れた「ピポンピポン」というチャイムが怖く感じた思い出…
@@johnduegombei ちなみに、ドレミファドンのテーマ曲は、元フジテレビの社員だった すぎやまこういち氏が作曲。
関口宏のクイズ百人に聞きましたもハマリ番組。
あれはアメリカの番組を真似たものです。ハワイで元の番組を見ましたが、そのままでした(笑)
フジテレビの平日帯クイズ番組「クイズ・グランプリ」。
全て懐かしくて面白い番組でしたが、NH◯で放送されていた『連想ゲーム』も好きだったなあ。
クイズグランプリは、月曜~土曜までやっていたのが、幼少時代の私には驚きでした。TVにかじりついて視てました!
時代を経て、テーマ曲が細野晴臣さんの「北京ダック」のアレンジに気が付いてビックリ😱☀️
あの真剣勝負が好きだった。
お互いにしがらみのない者同士だからガチンコになる。
見応えあったなあ。
「ホニャララ」とか「チョメチョメ」とか「ニン!」とか流行った記憶があります。
ウルトラクイズといえば、今回の動画には出てこなかったですが、やはりジャンケンで負けた人がピコピコハンマーで徳光和夫さんに叩くシーンが笑えました。
特に徳さんと敗者の会話が楽しかったなぁ。😂
勝者が乗った飛行機に向かって叫ぶシュプレヒコールが好きだった。
今なら放送しづらいネタも叫んでた記憶が。
@@johnduegombei
「お前たちの行き先は北朝鮮だ!」もありましたよね?
そして「世界ふしぎ発見!」だけが残った……これが地上波テレビの真実です🙁
2024年3月で終了するのが決定しましたね>世界ふしぎ発見!
@@yos0914 37年半でレギュラーに幕、はい◎
50代男性ですが、すべての番組見てましたね😄懐かしい😢
仲間がいた♪😆👍️
わくわく動物ランドが好きだった
昔のクイズ番組、というか番組全般に言えるんだけど
すごくテンポが良かった。
ウルトラクイズなんかは準決勝の通せんぼクイズとかずっと釘付けになる緊迫感もあった。
今のテレビ番組は引っ張りすぎだし巻き戻しも多すぎて見るのに耐えられない
クイズダービーなんて5人の回答者と合計6人のベッター全員にしっかり話を振って、ゲスト回答者には宣伝もさせて、クイズ7問やってを30分で収めるんだから恐ろしくテンポが良い。
CS無料の日に、二十何年ぶりに「クイズダービー」を見たら、生放送(*編集ナシ)か?と思える程にテンポが速く無駄が無い、それなのにトークや笑いもちゃんと入ってる。
改めて大橋巨泉氏の司会術の上手さを感じましたね。
そう本当に無駄がない。
今やったら一時間で収まらない内容を30分番組で収めてるから。
ヒントでピントなんか、『象印クイズヒントでピント』って言った直後に1問目始めるからね
今なんてクイズの合間に関係ないゲストのトークとか挟んで時間をダラダラ引き伸ばしてます。
こんなのは視聴者は求めてません。
@@平-f8f
ほんとに30分弱で収録していたらしいですね。
あの世代の人たちはテレビが生放送しかできなかった時期からかかわっていた人達だから、それぐらいは余裕だったのでしょうね。
ウルトラクイズは、日本テレビのバラエティー班ではなく、ドキュメンタリー班が制作しているので、他のクイズ番組とはコンセプトが全く違っていたのが、面白かったです😀
「クイズひらめきパスワード」、「クイズ地球まるかじり!」が面白かったです。
クイズ所変われば⁉️もあった。
愛川欽也は声優で1番出世した人。なるほどザワールドで野沢雅子のアナウンスは感動した。
風大座衛門とニャンコ先生の共演。
「大左衛門」だ。
なるほどザワールドもハマったクイズ番組。愛川欽也と楠田絵里子のコンビ。
当時閉ざされていたソ連にも取材に行ったのは凄いの一言
ひょうきん由美こと増田由美アナウンサーの体当たり取材はすごかった。
恒例の恋人選びで予想外の人が選ばれることが度々ありました(アチラの人は日本人と価値観が違うのでこうなる)。
@@pastelpureakgjze5791 まさかの大曇天返し。
@@prc148mbitr 北朝鮮にもロケに行った事も、今考えたら驚き。
今でこそプライバシー保護を目的に多用される映像の「モザイク処理」は、「象印クイズ ヒントでピント」で初めて使われたとのこと。当時の最新の映像処理技術を駆使した番組でしたね。
番組ではモザイクではなく、テクニカルと表現していた。
7:48 この写真はおそらくヒントでピントではなくスーパーダイスQだと思う。スーパーダイスQも好きな番組だったなぁ。特に後期は運の要素も強くてウルトラ一発100万円が出そうな時はワクワクしながら見てました。
HOWマッチはクイズの内容より巨泉と たけしの掛け合いが面白かったので、
録画して何度も見返して笑った。
両親が嫌ったのは夜遅いだけでなくたけし氏の存在が遠因だったのでしょう。
巨泉さんが間違えて『石坂たけしさん』と言ってしまったこともありましたね
@@johnduegombei 番組のオファーが巨泉さんに来た当時、巨泉さんは引退するつもりだったのだけど、「ビートたけしと石坂浩二が出るならやる」って言って本当に実現しちゃったんすよね。
クイズ100人に聞きましたは元々は家族対抗クイズ合戦というタイトルで日曜日の14時頃からやってたのが、ゴールデンタイムに移行したんです。
クイズ番組はウルトラクイズ以上のものはたぶんないです。
最高のクイズ番組でした。
クイズタイムショック芸能人大会で象印クイズヒントでピントの司会者の土居まさるさんが、全問正解していた
世界まるごとハウマッチで何回かホールインワンしたことあるぞwww
ちびまる子ちゃんでの「おじいちゃんがQ&Qに出演する」の回は平成レーワ世代には意味不明だったろうね。
アタック25や連想ゲームも楽しかった。
「アップダウンクイズ」「アタック25」「世界一周双六ゲーム」「霊感ヤマカン第六感」など、当時は関西の放送局が制作した全国放送のクイズ番組が多かった。
霊感ヤマカン第六感とアップダウンクイズは、1975年の「腸捻転」で関東での放映局が変わった。
@@johnduegombei放映局とスポンサーをそのままに、制作局が変わった(毎日放送→朝日放送)パターン
三枝の国盗りゲーム もABC制作…でしたかね?
@@johnduegombei さん
ご回答ありがとうございます‼️
アップダウンクイズはよく観ていました。あのころ、ロート製薬一社提供番組がけっこうありましたね。鳩が集団で空を飛んでいると友達で「ロートロートロート~♪」と合唱したものです😆
世界中で一番楽しい番組、今週の目玉商品、霊感ヤマカン第六感、司会のフランキー堺です!😮
ウルトラクイズやクイズ100人に聞きましたは問題集が本になったのを見たことがあるし、100人に聞きましたは実際に買ってイベントや宴会のネタでクイズで出題したのを思い出すな。
「100人に聞きました」のナレーターは橋本テツヤさんよ?
昭和のクイズ番組は、テンポが良くてアッという間な感じだった。
最近は解答者に対し「凄いなぁ…」って感心する。
好みはあろうが、自分は昭和派。
@@johnduegombei さん
他は…
関口宏・土居まさる・柳生博・久米宏・高島忠夫・福留功男・福澤朗・フランキー堺・桂三枝・桂文珍・鈴木健二・田宮二郎等々…
基本尺が30分~1時間単位だから、見やすかったのもありますかねぇ。
何時でも『合体3時間SP』とかでは…
昭和の名物番組(クイズ以外も含めて)の司会者は本当に“司会”をしてたよね。
彼らと比べたら、昨今の司会者は台本どおりに進めるだけの進行係にしか見えない。
昭和のレギュラー番組はは30分が多かった。現在は二時間以上の番組も多いが、コストカットなのかな?
全部リアルタイムで観た事あるわ
コメント欄見ると第2弾必至だな
リアルタイム視聴体験世代のコメントだけで動画が作れそうだね。
HOWマッチでの小倉さんの吹き替えが好きだった
俺の好きな「クイズタイム小学生」が無い・・・。
トランプマンのマジックは面白いな
伊東四朗さん司会のナウゲッタチャンスが面白かった。伊東四朗さんのニンは、よかった。会場に来ていた人が参加できる凄い番組でした。
ザ・チャンスですね。
番組内での伊東さんの掛け声がナウゲッタチャンスでした。
ピンクレディーしか思い出さない
…
@@prc148mbitr ザ・チャンスは、ピンクレディーがスタート当時のMCでしたが、渡米してレコーディングするというので伊東四朗さんに交代したそうです。賞品が新車とか海外旅行など、とにかく豪華でした。そのためか、観覧は18禁となっておりました。
オリジナルの「The Price is Right」はお膝元のアメリカ版(1972~)の他、イギリス・イタリア・フランス・アルゼンチン・オーストラリアetcでもフォーマットセールス版が放送中。
6:17 クイスダービーのパロディ(再現もの)で、朝の情報バラエティーのラヴィット(TBS)で、ラヴィットダービーを放送してた時もあったけど…(盛り上がりすぎて予定時間よりオーバーして本編が翌週へと繰り下げになったことも…)
11:09 ドレミファドンは今でもドラマの改編期にスペシャル番組として放送してるよ。
ドレミファドンの最後の問題で間違えると葬送行進曲(米国製ブロック崩しゲーム「サーカス」から流用)が流れるのが印象的でした。
クイズダービーは金スマとか特番内で何度かリメイクされてるけど、同じフォーマットでも司会が違うと別物になっちゃうだよね
ドレミのピラニアマン
クイズ世界はsyow by ショーバイが結構好きだったけど、逸見政孝さんが亡くなった時は本当にショックでした。
昭和のクイズ番組は楽しかったな。スポンサーも今はなくなった企業ばかりだけど、本当に懐かしすぎる
「いつ象印が潰れた?」って焦ったよw
クイズハンターの解答者がJリーグのサポーターやBリーグのブ―スターだったらどうなっていた?
後クイズなるほどゼミナールが好きです🎉
それは「クイズ面白ゼミナール」ではないのか?
なるほど・ザ・ワールドと面白ゼミナールを混ぜないでーw
鈴木健二アナが世界各地の問題を出す光景を想像して、絶対に見たいと思った。
何れの番組も司会者と個性的な回答者との掛け合いが最高に面白かったですね。今のクイズ番組はそれが少ないですね。
霊感ヤマカン第六感はオープニングの歌と提供クレジットの大阪ガスのロゴマークが子供ながらに怖かった思い出w
おいらはジョーカーのイラストが苦手でした。
@@johnduegombei その音楽は同じ朝日放送制作の「プロポーズ大作戦」でのカップル不成立時に流れる音楽の流用。
子供のころからウルトラクイズにあこがれていて東京までの旅費を貯めて16回大会に出たのはいい思い出です。
スマホとかの携行できる情報機器が増えちゃったから同じ形式のクイズ番組はもうできないでしょうね…。
クイズ番組は80年代後半から大学などのクイズ研究会が台頭して一気にアスリート化してしまい、一般人が
置いてけぼりになった感があります。
益田由美さん大好きでした~‼️
彼女が出てる時は大体神回だった気がする😁
ひょうきん由美懐かしい
楠田枝里子は「くすだえりこ」じゃなくて「くすたえりこ」な
アタック25は現在はBSジャパネクストで放送中2025年初頭からチャンネルがBS10に変わるらしいよ
ショーバイ・マジカルの日テレ2強を見て育った民です(´・ω・`)
アップダウンクイズ、がない…
昭和の視聴者参加番組、いい番組が多かったです。
特に「アップダウンクイズ」「クイズタイムショック」「クイズグランプリ」「パネルクイズアタック25」の4番組を全て優勝した人はグランドスラムと呼ばれたほどいいクイズ番組でした。
比較的ルールもシンプルで(この4つの中ではアタック25が複雑かも)見ていて飽きないし、子供だった当時でも家族で見ていました。
クイズダービーにギャンブラーとしてゲスト出演した、とんねるずが一問目からはらたいらさんに全部賭けようとして司会の大橋巨泉から怒られていましたね笑
若山富三郎「たけしくんに全部!!」
クイズ100人に聞きましたは毎週視ていた、回答者が答えると、お決まりの音と観客席からの、あるあるある~の
歓声がいまだに耳に残っている、
一回変な回答したお爺さんがいて
「ないないない!」
これは本当です。
7:00
クイズダービーで晩年の大橋巨泉さんが「金スマ」で復刻版をしていました。
その時、正解率の高いはらたいらさんが既にお亡くなりになり、巨泉さん曰く「はらたいらに匹敵出来る回答者」でやくみつるさんをはらたいらさんの枠に抜擢されました。
結果は6勝2敗で、面目は保ちました。
アメリカ横断ウルトラクイズの司会をしていた福留さんは、ズームイン朝も担当していた。
ズームインは福留さん不在の1か月、各地の系列局をメインに放送していた。
違う。系列局のキャスターがメインを代行してたってこと。
全て知ってます。懐かしい!!
特にウルトラクイズは大好きでした。あの頃は13回の及川さんや、15回チャンピオンの能勢さんのファンでした。
あと、アップダウンクイズとか見てました
ヒントでピント…象印
クイズダービー、アップダウン…ロート
なるほどザワールド…旭化成
1社提供も多かった。
今放送中の世界ふしぎ発見も日立提供です。
アタック25も東レでしたね。
高校生クイズはライオンでしたっけ?
クイズ番組は1社提供が多いのは意味あるのかな?
ロート製薬のロートロートロート♪が懐かしい。
東リでしたね。間違えてました。
ベルトクイズQ&Q
(ベルトクイズ キューアンドキュー)
1969年6月30日から1980年2月29日までTBS系列局で放送。
月曜から金曜の週5日間、毎日正午から放送されていたベルト番組(帯番組)であることが番組名の由来。
7月中旬から8月末までは「夏休み子供大会」、12月下旬から1月上旬までは「冬休み子供大会」が設定され、小中学生の出場があった。
出題は『クイズタイムショック』(NETテレビ → テレビ朝日)の出題者でもある矢島正明が担当、「コンピューター性格診断」のコンピューターの声は、声優の井上瑤が担当していた。
漫画家・さくらももこさんの祖父・友蔵さんが出場したことがあり、アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ)の「おじいちゃんベルトクイズに出る😂」(1991年5月19日放送分)にて当時のエピソードが描かれている。この回はTBSの協力の下で製作され、押阪忍氏が司会者役の声優として特別出演した。なお、アニメのストーリーでは友蔵氏は2人勝ち抜いた後にミリオンステージに移動、50万円の問題に正解したものの次に挑戦した100万円の問題で誤答、結果27万円(2人勝ち抜き+50万の半額)を獲得した。
司会は
押阪忍さん
だったか…?
@@あげしま さんへ
司会は当初、増田貴光が務めていたが、1971年7月末に番組の収録中に体調不良を訴えて突然降板。そのため、
その後しばらくはアシスタントの円木紀久美が単独で司会も兼任していた。
そして同年9月からは椎名勝己が、1972年5月からは押阪忍が司会を務めていた。
┅だそうです。自分は押坂忍さんの頃しか印象にありません。
この回のEDクレジットに「資料提供:TBS」と出ていましたね、
出題の声はTBSのアーカイブを使ってました、他局同士のコラボという珍しい回でした。
個人的には後番組の『スーパーダイスQ』の方が思い出深い
「なるほど・ザ・ワールド」は当時日本と国交のなかった国やかの「北」にまで行ったというパワーが溢れてた。
私が今も忘れられないのが1985年8月13日放映で、坂本九さんがゲスト出演していて番組のラストに前日夜に
起こった日航機墜落事故の乗客に坂本九さんがいた事で「坂本さんのご無事を心からお祈り申し上げます、
この放送は8月7日に収録したものです」というテロップが出た事です。(黙祷)
坂本九氏は、その後遺体で見つかった。
何時も綺麗な竹下景子さんに3000点
はらたいらに全部!
倍率どん!さらに倍。
篠沢教授に5,000点!
残りは井森さんに
もう投げやり
@@prc148mbitr
はらたいらは鉄板ですよね😊
ベルトクイズQ&Q
って覚えている方
いらっしゃいますか?
この動画、見応えがあった。
ヒントでピント家族で見ていたなぁー。
16分割問題で正解した時はドヤ顔をしていたわ。
「象印クイズヒントでピント」 の、PART5の問題でチームに3人不正解者が出た際には、当該チームの回答者は全員起立させられ、相手チームに回答権が回っていた。尚、勝利チームの得点で副賞が異なり、60点以上は象印賞、80点以上は海外旅行 (ハワイ旅行) が贈呈された。
ちょっと言いにくいけど、「100人に聞きました」って実はアメリカCBSの番組「FAMILY_FEUD」のライセンス許可取ってないパロディなんだよな。オリジナルは300点先取勝抜け制(5連勝まで)、FastMoney(100人のトラベルチャンスに該当)はルールが大きく違うし。
昭和のクイズ番組は、豪華賞品だし、名司会者だし楽しかったです。
今度はクイズ王特集もお願いします😊
視聴者参加が多くて、芸能人対抗でも今みたいにワーワー騒いでなかったし、紳士的だった…
クイズダービーは、実質的に24分で8問。問題が出、大橋巨泉が一般客に賭け先を聞き、解答者の誤答を弄り、正解出した解答者の発表、背景情報を15秒くらいで補足。それらを8問終えた後、エンディング迎えて一般客と解答席をもうひと弄り。大橋巨泉の仕切りの妙技を標準にしていたら、現在のクイズバラエティーが薄味に感じるわけで……。
「クイズダービー」 の前身番組は 「お笑い頭の体操」 で、落語家の月の家円鏡 (橘家円蔵) 師匠がレギュラー出演されていた。メガネ👓️がトレードマーク。本業の落語家の活動のみならず、タレント業でもセンスを発揮。平成27年10月に逝去、鬼籍に入られた。