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当時得られる限りの情報を元に善処した校長の責任感が伝わってきました。案内人があればとか、雨の段階で生徒を叱りつけてでも引き換えしていればとか確かにあるけれど、まさかようやくたどり着いた山頂で小屋が崩れているなんて思いもしなかったことでしょう…
下見登山をしてなかったのが致命的でしたね最後まで責任感を持ち続けた校長を思うと辛い
だれも見捨てることはなかった。それだけが救いだ。
体罰当たり前の時代だろうけど、やっぱ責任感はどの先生も凄かったんだろうなあ
細かいことなんですが、こんなに大量のイラストを個別で動きを細かく変えながら編集するのは思っている何倍も手間のかかる作業ですよね。なのに一切手を抜かない編集すごいです…。そのとてつもない手間のおかげで実際の映像を見ているかのように当時の状況が分かります。本当にすごい。
おっしゃる通り、1個の動画を作るのにかなり時間がかかってしまっているので、とても嬉しいご感想です…😭😭ありがとうございます!
@@sonan-file これからも無理のない範囲で頑張ってください…!
自分もギリギリの中で生徒を背負って進む教師や校長は凄い責任感ですね。なかなか出来ない事と思います。
まぁそもそもそんな計画立てて実行した責任あるしな…
@@amazon8594 その責任を命懸けでとる事が凄いですよね。
@@amazon8594責任があるからといって命懸けでて助けようとできるかというとそうではないからなぁ…責任はあるとしてもとった行動からは生徒への想いを感じる
校長先生や他の先生が最後まで諦めずに弱った生徒をおぶって下山したり、生徒達に対する愛情深さを感じました。たらればになりますが、校長先生が最初に下山しようと言った時、下山していたらとか、山小屋が存在していたらとか思わずにはいられなかったです。今回も遭難する経緯が細かく、臨場感を感じました。100年も前の事故を詳細に調査してあり、感心しました。ナレーションもいつもながら、聞きやすい声で良かったです!次回もよろしくお願いします。
ありがとうございます😊
ハキハキしてて本当に聞き取りやすい声だな。100年以上も前の遭難事故、今とは全くもって状況が違うんだろうな。天気予報も大外れな上に、山小屋が無いとかさすがに絶望すぎて…。最後尾にいた校長と教員の正義感の強さはすごい。
校長の「俺一人だ」はもしかしたら背負ってた子がいなかったから、下山できたと思って安心したのかもしれないとも思った…ご冥福をお祈りします。
目の前で亡くなっている子供たちを見て、責任は自分にあるとずっと自分を責めていたと思う。だからやっぱり責任の所在の事を言ったんじゃないかな〜🤔と私は思います。推測ですけど😅
@@Tacoma1157どっちでもいいだろ😅わからないんだから
始まりの「登山計画」で何故か毎度動画に引き込まれます。
確実に遭難にじわじわ近づくことは頭では解っているのに、最初の軽快な登山計画、に切なさと不気味さを感じますな
全く登山とは無縁なのですが、動画の雰囲気がとても好きで全動画拝見しました…!!!これからもがんばってください!
ありがとうございます!頑張ります!
可哀想すぎて涙が出る…校長は事前に何度も天候を確認していたのに…大正時代の子供たちの楽しい登山になるはずだったのに…目の前で同級生が亡くなったのを見ればパニックになるよ…下見をするべきだった…
あれだけ校長先生が天候とか確認してて、生徒までおぶって助けようとして、でも出来なくて…っていう…最善を尽くしたけど どうにも出来なかったっていうのは悲しいですね…。
わーまたありがとうございます😭😭本当に悲しい遭難事故だったと、動画を作成しながら感じていました…。
突然オススメに上がってきたけどとんでもなく見易い素晴らしい編集
褒めていただきありがとうございます😊
私も25年前に中学2年の時に西駒に登りましたが、1ヶ月くらい前から辞書をたくさん詰めたリュックを背負って登校し体力作りをしていました。それでも、下山時は疲労で足がガクガク震えて頭がぼーっとする程でした。亡くなった生徒を思うと可哀想でなりません。本当によく頑張った。今の母校では選択式になり、希望した生徒のみが登山に参加します。
あなたの母校は時代の変化に対応できていて素晴らしいですね山なんて住んでいる人以外であれば、登ろうという意思が無い限り足を踏み入れるような場所でも無いですし、あえて全員が登山をする意味も無いですからね
その通り。登山家なんてヤクザか世捨て人。子供と一緒になんて、正気じゃない
体力作りなら毎日ランニングしろよw辞書担いで歩いたくらいじゃ変わらん
長野県民です。他のコメントにもありますが、長野県の生徒は中学には何故か割とハードな登山をさせられ、しかも登山前には、小説『聖職の碑』を映画化されたものを学校で見せられ(ご承知かもですが、救いようのないオチのない内容)、、映画鑑賞終了後はほんとに嫌な気分になった、トラウマ級の話だったことを思い出しました汗(今から40年近い昔の話です)たまたまお気に入り動画に出てきましたが、丁寧な動画作成に頭が下がります。これからも頑張ってくださいませね。
ありがとうございます!これからも頑張ります😊
@@sonan-file様お返事ありがとうございます😊引き続きご無理なく、丁寧な動画作成を何とぞよろしくお願いいたします🙏
こちらのチャンネルがおすすめにでてきて視聴したところ、とてもわかりやすい進行に一気に引き込まれて夢中で見てしまいました。近年の山岳遭難事故についても取り上げていただけると嬉しいです。
ありがとうございます😊近年の事故も織り交ぜながら更新していきたいと思ってます!
@@sonan-fileさんこの遭難からちょうど100年後、2013(平成15)年7月に、同じ中央アルプスの檜尾岳(ひのきおだけ)にて韓国から来た登山ツアー客が遭難し、4人が亡くなる事故が起きています。いつかこの遭難事故もアップしてください。
1913年というと教師の言うことは絶対だったと思ったら現代以上に言うこと聞かなかったの意外
でも登山する方に言うこと聞かなかったのは意外だった
先生「お前ら帰るんか!!?」生徒「帰りません!!進みます!わーーー!!!」みたいな感じを想像してました。
いい方は悪いけど、校長の意見を無視して先進んだ生徒は多分体力があるほうの人たちだと思うから、無視した生徒は生き残ってそっちじゃないほうがなくなってそうなのが後味が悪い
当時の時代と発展もだが田舎は教員より自信がある生徒が多かったんだろう。身勝手な生徒そして大人達と天候に安心していた生徒と自信満々だったが生徒をまとめる自信は天候の不安へ呆気に取られた大人達の組み合わせフラグは登山するには絶望的だっただろう。
ヒント 偏差値
12年後に発見もすごいな…
私は、遭難した人達と現在は名前が少し変わりましたが、同じ学校出身です。小学校に慰霊碑が建てられており、私が小学生の時には毎年、家からお花を持ってきて遭難したであろう日に、みんなでお花をお供えしていました。今も続いているのでしょうか。これからも彼らの事を忘れずにいてあげて欲しいです。
倒れた生徒たちを発見しながら下山した教師たちの絶望は如何程だっただろう。ご冥福をお祈りします。
昨日チャンネル登録し全動画観たところだったので、新作が観れて嬉しいです!天気予報が未発達だったり、中学生が登山を楽しむ描写などは時代背景も感じられて、最近の事故とは違う悲しさがありました。動画制作大変だと思いますが、次回も楽しみにしています!
全動画見ていただきありがとうございます!😊
南信地域に住んでいますが、この地域は、大きな山に囲まれているため、地元では「台風は木曽谷を超えられない」という迷信が信じられていますまた、山登り学習が今でも義務教育で採用されており、誰しもが学生時代に登山&山小屋での宿泊経験を持ちます悪く言えば、山岳遭難が多い地域であるにも関わらず、「小学生でも登れる」等の慢心した発言もよく聞きます登山経験もいいですが、地域での遭難事故の歴史や悲惨さを学ぶことも大切だと考えさせられます
諏訪地域だけど、台風は八ヶ岳と南アルプスに阻まれて諏訪地域の真上に来ないが、その中間に来たら悲惨だと聞いた事が(;´д`)
そんな風習は直ぐに廃止するべきですよね!プンスカ
このチャンネルの伸び率がすごかったので見てみたら、何故か引き込まれるマップで分かりやすのもあるけど、解説の言葉が単調で怖いというか事象はなんの躊躇もなく起こって進んでいく事を表しているかの様
は.
余計な内輪ネタの雑談やBGMが無く、内容のみがわかりやすくまとまってるからでしょうね。
@@abbey_aikawa4310あと、イラストで登場人物や状況を簡単だけどしっかり特徴を掴みやすい構成にしている事と、投稿主さんの意見や憶測と言った正確では無い情報を最小限にしている点がすごい分かりやすいですよね。
校長の「俺一人だ、あぁ嬉しい」は背負っていた子どもがいなかったから救助されたと勘違いしたんじゃないかと一瞬思った
@@ぎは-h2lその可能性もあるかも知れませんね。
子供が犠牲になるのは本当に辛い‥長野県民は中学二年になると何故か登山があるんですよね。当時は今のような便利な設備も装備もない上に情報等も入手困難だったから 余計に悲劇が訪れてしまったんですね‥現代では事故なく登山が行われてるのか気になるところです。
伊那出身の友人によると、この時の教訓を生かして事前の準備をしっかりして行なっているようです。さすが教育県ですね!
人ん家の子を連れて山や海、川、教育とはいえもうやめた方がいいうちは行かせない
@@ガブリエル-n7iおまえの家族を捕まえてやろうか?いやだろ?
@@ガブリエル-n7iじゃあ学校じゃなくて家庭教師雇え。
@@ガブリエル-n7iわたしも息子はまだ2歳ですが、その時が来たら休ませたくなります。過保護かも知れませんが、命がなくなってからでは遅いですよね
校長の救助されたとき言葉の解釈は、諸説あるとのことなので、私も校長と自分を重ねて考えてみますと、「俺1人だあ」 は意識を失う前に背負っていた生徒が、目を覚ますといないことに対する感想で、「ああ、嬉しい」は純粋に救助隊が来て命が助かると思ったことからきた安堵の言葉だったのではないでしょうか。人は極限状態から安堵すると、そのまま眠るように死亡してしまうという、安堵死というものがあるそうで(何故かググッても出てきませんが)、校長先生の最期はそれではないかと…
すごいですね伝えたい情報を最低限の装飾で簡潔にわかりやすくまとめた動画で、とても面白いです
着物に脚半に草履で登山ですかぁ…時代とはいえ大変だったでしょうね…亡くなった人達もさることながら命からがら生き残った教員や子供たち、ひいてはその家族たちのその後は一生苛まれたであろう事を思うと気の毒でなりません😢
母校の話がおすすめに出てきて驚きました。今でも木曽駒ヶ岳登山は行われていて、帰りには碑に手を合わせて下山します。
本当に見やすくて聞き取りやすいです。更新楽しみにしています。
登山について全然詳しくないけど、登山計画も分かりやすいし声も良いので見入ってしまいます🫢
動画内の度重なる悪運で困難な状況に置かれてしまった少年たちを思うと胸が痛かったです。。自分も登山にはよく出かけるので、しっかり計画・準備して、決して無理しないようにと思いました。
最後尾で生徒と岩陰に入り込んでいた教員が無事に下山できたことが凄すぎる、奇跡だ!!
映画では、小さい岩穴に生徒を入れて、教師は自分の背中で壁になり、生徒を風から守っていましたね。
新田次郎の小説「聖職の碑」で知った事件。「遭難記念碑」についての話や、それを踏まえてなのか「当時の資料にあたった」とあるとこも細かく丁寧で素晴らしかったです
100年以上も前の事件に今の常識を当てはめて酷い言葉を浴びせている人たちが信じられん…校長が事前に天気を確認していたことも、当時の技術では台風を予測することができなかったことも、動画内できちんと語られていると言うのに…
長野県民でしたが、中学2年の登山は楽しい反面怖かったのを覚えてます。山小屋の前に断崖絶壁を鎖を掴んで渡る鎖場があって本当に怖かったのを今だに覚えてます。山頂前で小雨がぱらつき始め、濡れた鎖を掴んで渡ってた時は怖かったです。
自分も学校登山に行きましたが山の怖さを知る良い機会だと思います。ブロッケン現象を体験できたのは良い思い出
最後尾の先生と生徒助かったの凄い、
オススメに出て来てなんとなく視聴していたのですが気付けばたくさん見てました!視覚情報も耳から入る情報もどれも本当に必要な情報だけ伝えてくださってるため分かりやすく、無理なく視聴できます!凄く面白いです!これからも頑張ってください!
とてもきちんとした事件の説明でした。ありがとうございます。
同校は昭和17年9月、修学旅行で訪れた直江津海岸で子供たちが荒波呑まれ、5名の死者を出した「もう一つの遭難」が、ほとんど忘れ去られているのは悲しく寂しい…。
またまた待ってました‼️アップの期間が早いと嬉しいです☺️
初めて聞きやすいやつに出会いました!有難うです!
こういう動画って本当に大事。登山の怖さって、なかなか分からないから
編集めちゃくちゃ手が込んでてびっくりする!どの動画も相当時間かかってると思うし、大抵の動画は作者の感想とかダラダラ続く印象だけど事実だけを淡々と話しててすごく見やすいし、声も聞き取りやすい。頑張ってください‼️
頑張ります!ありがとうございます!
@@sonan-file しかもこれって全て喋ってますか、、?すごすぎますこれからも楽しみにしてます🐻
子供の犠牲者のいる災害はより心が痛む。😢
子供の頃は、オトナの色々な機能性の高い装備など、自分はなかったので、今考えると、結構無謀なことやってたんだなあと思いました。自分、運動部ではなかったので、 八合目まで行きました。 引率する先生たちもご苦労されたのですね。とにかく、子供の犠牲など絶対出ないようにしたいものです。
やっぱり見やすい。更新大変だと思いますが次回のUPも楽しみにしております。山に登る趣味はないけど、、
ありがとうございます!
他の動画を拝見して身勝手な登山客も居るもんだと胸糞になってたけどこの事故は辛すぎる、先生達の気持ちを考えると……
癖がなくとても聞きやすい声です。
私自身南信出身で、30年ほど前にまさにこの西駒登山を中2で経験しました。1か月前くらいから登山リュックとかで登下校したり体力つけたりとした記憶。その中で映画の「聖職の碑」を体育館で観て、この出来事を知りました。登山当日、この避難記念碑の傍を通る時、突風にさらされてとても怖かったです。それでも、気を引き締めて全員で登頂することが出来たのは、この映画のおかげやなと思いました。
山小屋も屋根もなく雨風に一晩晒されて次の朝にまだ死者が1人も出ていなかったのは凄い。現代なら低体温症で何人もその場で亡くなってもおかしくないけど、当時の人の生命力の強さが窺える。
当時は当事者意識が高く父兄も率先して救護所に向かうのが今と違いますね。しかし、子どもが亡くなるのは本当になんとも言えなく哀しい
下手に父兄が救護に向かうと二次遭難に遭うので、救助のプロに任せるべき。登山の基本をできていない人なんて登山やってる人でも以外と居るし
@@toriaezunoakanto さん言葉が足りなかったかもしれませんが、、、本来はそうするべきだとは思います。自分が言いたかったのは現在は自分で対策はせず、何かあったら他人が悪い、社会が悪い。そういって自分たちは動こうとはしない。そういう人よりも昔は立派だな。ということです。政府かどうか知りませんが、損得勘定で物事を考える傾向に寄せられ、日本人の良さがどんどん失われていく気がします。
@@misonai1172 昔もそういう人は居ましたよ。というか昔の日本人でもかなり野蛮なエピソードもかなりありますが?今でも身を挺して人を助ける人もゲスい人も居るのは変わらない。
@@toriaezunoakanto昔は良かったと言う人は昔の悪かった所は見えずに良かった所だけしか見ていなく、逆に現代の良い所は見ずに悪い所だけ指摘するもんですよね。自分の会社の先輩に至ってはセクハラが問題にならなかったから昔は良かったなどと言います。
@@misonai1172適当な言葉の羅列
55年前.木曽駒ヶ岳に登る時に地元の方がボランティアで案内して下さいました100年前に悲しい遭難があったからなんですね100年前の中学二年生の方々の御冥福をお祈りします私達をボランティアで無事下山させてくださった方本当に有難うございます
長野県民ですが、中2の時に赤岳に登りました。今は先生が5〜6名で事前下見登山をしています。登山中はお喋りを楽しんだり、20分に一度休憩しチョコなどのおやつを食べ、景色もよく、とても楽しかった思い出です。それでも途中、ここ落ちたら死ぬなという狭い道や、死んだ人の慰霊碑などがあり、ちょっと怖かったとこもある。長野県は山に囲まれた県で、至る所に登山道の入り口があるので、子供時代に登山の楽しさと怖さを学べたことは良かったと思います。学校ではめちゃくちゃ準備をして登山に臨んだので、ふらっと山に入るなんてことはしないですからね。。
素晴らしいです、やはりこういうのは生身の人間の声が緊張感が伝わりますね。
校長の「俺一人だ」は連れていた生徒が先に行ったため、「今自分は一人でいる」という意味かと解釈したけど、それもあくまで推測でしかない。このチャンネルの別動画で責任逃れしているのを先に見たから、この校長の責任感に胸が締め付けられる。最近このチャンネルを知ったけど、もう全部見ちゃった。すごく聞き取りやすくて分かりやすい。
全く同じことを思いました周囲に生徒が残ってるかどうかを伝えたかったんじゃないかと…
地元の案内の方がいれば、これ程悲しい結果にならなかったと悔やまれます。自然は侮れません。
こーいう動画を本当に待ってた
周辺の住民が救助って、時代も感じるけど当時の人々がすごく善良なのを感じる
「鍛錬授業」って…凄い時代だよね〜…でも校長に逆らえる時代でもあった?…教員の静止も聞かず先走る子供達…校長、教員に罪はない…と言ってあげたい…
登山の内容厳しいな!?って思ったら、100年も前の話でびっくり…。未発見の生徒も12年かかったけど、全員見つかって良かった…。
忘れて居ましたが、昔読んだ、新田次郎の聖職の碑を思い出しました。良い動画ですね。
面白すぎて全部見ました!次の更新を待ってます!
この内容を面白い!と、はしゃげるんだ…😮
@@Chiiko-cu7nv日本語的にはfunnyとinterestingが曖昧やからしょうがない
もしかしたら背負っていた生徒が歩いていくのを見て『(死ぬのは)俺1人だ、(あの子が助かって)嬉しい』だったのかも……という気もして……。自分が生まれるよりずっと昔の話だけど、皆様のご冥福をお祈りします。
新田次郎 聖職の碑だな・・読んでいて寒くなる程、迫真に迫った作品だったな!
地元が長野です。小学校の頃から登山があり、中学校では2500〜3000m級の山に登ります。この話も先生から聞きました。。天気予報の精度が高くなったとはいえ、やはり山は怖いです。
聖職の碑の映画はこの登山をモデルにしています。昔地元紙で生存した生徒のお母さんは生徒の胸元に真綿を詰め込みました。その生徒はさんざん嫌がったそうです。でもお母さんの剣幕に押されて真綿を詰めて出発。生きて帰れたのはお母さんの第六感と愛情のおかげと言っていたそうです。
小学生の時分聖職の碑を見ましたが素晴らしい映画でした。忘れる事の出来ない映画でした。今でも心の中に生きています。
夏に真綿、直感と愛情、本当にその通りと思います
@@ポメラニイヤァン 人生お疲れ(笑)
やはりそうでしたか、「聖職の碑」は鶴田浩二さんが主演で映画「八甲田山」の大ヒットを受け、山岳遭難ものの第2弾として映画化されました。天候の急変により次々と死んでいく子供たちの姿が悲しみを誘いましたね。😢
100年経った今ではスマホ一つで高い精度の天気も調べられるし救助も呼べる…いい時代になったもんだ
我が家の息子の学校も夜からの登山🏔️を行ってます。私達家族は登山🏔️キャンプ⛺️大好きに育てたので、1人っ子ですから、逞しくなって欲しかったのです。この頃の先生はずごく愛情があったのですね。ご冥福をお祈りいたします🙏。
私は地元の生まれで今日この動画に行き当たり、そんなことがあったのを知らなかったのでびっくりしています。8月の夏の登山なのに天候の急変は怖いですね。山は殆ど3000mもあり高校生でも経験 のない子供を連れて行くのは無謀といえるでしょうね😢悲しい出来事でした。
この話知ってると思ったら、もう何十年も前の小学生時代にTVでやってた映画かドラマで見てものすごく怖かった思い出があったからだったと思い出しました。
伊那小屋はこの一行の前に到着していた心無い登山者によって放火され、この状態になっていた。もう死んでると思うけど、こいつらは絶対に許せない。地獄で永遠の責め苦を受けていると信じたい。
そんな経緯があったんですね。放火した人がいなければこんな悲惨なことにならなかったかもしれないと思うとやるせないですね。
当時の登山者のモラルは低く、小屋の木材を剥いで薪にしたりして破壊する事が横行していたそうですね。
それもう山賊やん…酷すぎるこのルートの長さなら途中にもう何ヶ所か山小屋あってもいいくらいなのに
この前の登山者以前から山小屋は壊されていて、この登山者は自分が壊したと思われたくないから何も言わなかったと言うのが新田次郎の見解だね。
その情報元はどこですか?
どうしてもっと低い山にしないんでしょうか私も中学時代は10キロ歩く遠足や1200メートルの山登りがあり、体力のない私は本当に辛かったです、倒れる子もいました、体育では必ず女子は千メートル、男子は1.5メートルの持久走があります、今も、体力は個人差が大きいのにどうしてみんなに同じことをやらせるんでしょうね、今も思います、自分の子どもの時も心配でしたし、時々事故も起きていますね、こんな苦しいことをやる意味があるんでしょうか?子どもは富士山でした
一面的な見方で物事を否定するべきじゃない。人の親ならば尚更
鍛錬授業の意味合いもあるって言ってたでしょこの話の先生達は最善を尽くしてたし、子供たちもやる気に溢れてるようだったから、責任が先生達にあるのは間違いないでも言葉にするのは難しいけど悪くはない気がするなぁ
事前に練習登山をしたり、走り込みをする。そこからペース配分を考えて無理のない工程を組む。それでも無理な時もあるから不測の事態に備える。そういった指導がきちんとできるかどうかは大事なんですが…リーダーになる人や引率者って、大体体力や運動神経に優れている人が多いので、できる人目線で計画しがちなんですよね…自分は体育全然ダメな文化系人間でしたけど、よい指導者に教わることができ山登りやマラソンを楽しめるようになりました。
修学旅行の行き先で、富士山か、富士急ハイランドか、どちらか選んで!と先生に言われ、富士急ハイランドに即決しました、、、。
申し訳ないんだけど1.5mで笑ってしまった
自分勝手に動く人間がいると事故が起きやすい。天候云々ではなくこの自分勝手に動く人間が多く出た時点で解散、中止、下山をすればよかったのに。
今回の動画も大変興味深かったです。100年前ともなると、現在の登山とは大きく状況が違うのでしょう。今なら確実に山小屋の崩壊は事前に知ることが出来たと思います。投稿者様に質問なのですが、参考にした資料などはどちらに明記してあるでしょうか?書籍やウェブサイトなど、参考にしたものは明記しておいた方が良いと思います。信憑性や参考元への敬意に関わると思います。何卒宜しくお願いします。
ありがとうございます!参考資料などは後ほど説明欄に記載いたします。少しお時間ください🙇♂️
@@sonan-file そうでしたか!申し訳ありません、早とちりでした。動画投稿頑張ってください!楽しみにしております。
時代的にこの時代は目上の人の言う事には絶対服従かと思ってたから意外…もし台風が接近してると事前に分かっていたならこの登山旅行もしなかっただろうに。今の時代に生まれた事に感謝。
事故と言うのは、想定外のことが起きるから事故になってしまう。想定内であれば事故にはならない。そして一番大事なのは危険に対する直感。何か変、小さな胸騒ぎ、これって本当に当たるもの。なぜかは分からないけど、一度判断ミスをすると、連鎖する。悪いほう悪い方へと進んでいくのが恐ろしい。
落ち度も確かにあったけど先生方は最後まで生徒の為に一生懸命でしたね😢
案内人を付けられなかったのならなおさら、下見登山をすべきだったよな。台風の中やっと目的地に到着したら小屋がないとか地獄絵図でしかない。
時代も時代ですけど雨が降った時点で帰らなかったので選択肢を間違えてますね…。同級生が亡くなっていくのは悲しすぎる😭
山の怖さが毎回凄く伝わってくる。熊なんて出たら、もう無理です。
当時の日本は家制度があり男子は将来家を支え相続する立場だったことを考えると、教員としての責任感だけでなくその後の村での生活を考えて男子を死なせるわけにはいかなかったんだろうな。他所の家の男子を大勢死なせたとして亡くなった校長の家族は葬儀もさせてもらえなかったようだし。生き残った教員とその家族の末路も悲惨だっただろう。田畑があり簡単に転居できない時代の村八分はきつい。
何年たっても山は怖いですね。
これは聖職の碑って映画の実話でしょうかこの子たちは、私のいのちだ。の校長の叫びが今も心に残ります。
中継地点に避難のための小屋でも作られたのかと思ったら記念碑なんだ…
もしも、助かるチャンスがあればラストチャンスは校長が帰ろうかと言った時だけだったこかもしれない…
ぞっとするような事件ですね、、、木曽駒ヶ岳は夏に自分も登りましたが残雪は確かにあり、地面も一部凍っていたためその脇には手すり代わりの鎖が張られていました。また昼間はともかく、朝夕は持ってきたシャボン玉が地面で凍るほど気温が下がりました。山小屋の内側は大丈夫という安心感が大きかったので、まさか山小屋が壊れていたとなると、絶望感は計り知れないです
いつも思うけど山深くに入るときは常に死の覚悟が必要。僕も昔鍛錬旅行と称して学校で登山連れて行かれたけどただただ辛かったし、こんなリスクまで抱えさせられてたと思うと本当に腹立たしい。
確かこのシリーズの別動画、慶応大学グループので夏場に山に入り道中に旗を立て備えた、あれも夏場の準備がなければ全員無事に帰れなかったかもしれない。この登山も山小屋の状況を事前に確認していれば結果は違っていたでしょう
5:08 頼みの綱の山小屋がこのザマ…これは絶望感しかなかっただろうねまさに負のスパイラル
なんて悲惨な…
こりゃまた古いの持ってきたな。大正2年だぞ。まだギリで徳川慶喜生きてた頃だぞ。ここまで古いと色々状況判断難しいなぁ。
鍛錬授業。まだ気合いと根性の時代ですね。校長先生、何とも無念です。
この小説を駒ケ岳登山の前に読みました。長野県の小学生時代。怖すぎたわ。
下伊那郡の田舎の中学2年生の時に学年全員で西駒ヶ岳に登った。それから10年後くらいに当時新人だった三浦友和も出演した「聖職の碑」が地元でも上演され近所の家の壁にもポスターが張ってあったのを覚えている。映画自体は観る機会がなかったけど。
自分は40年位前に諏訪郡の中学で八ヶ岳登山の前に体育館で映画を見せられました。 最後の犠牲者の白骨発見のシーンが印象的でした、学生登山再開の日に後輩の学生が発見するシーンが。
最初に引き返すかどうかを生徒の意見で決めたのが残念でした。
遭難系チャンネルで、初めてこれだー!というチャンネルみつけた💓早速登録しました☺️
私が小中学生の時に同じような登山遠足が毎年催されてたけど、全員バラバラに往復してたから事案がいつ発生してても不思議じゃなかったって思うわ。
心身をを鍛える意味合いの強い授業なのに、最初から遅れるわ、校長がやめようかといってるのに勝手に出発するわで…もぅグダグダ
通ってた高校の伝統行事で、「学年全員で穂高山連峰に登山する」ってのがありました。1クラス40名×17クラスあったので、生徒だけで680名 引率の先生を含めると700名位ですね。体力別でコース(目的地)が別れたものの、1パーティ50~100名位でしたかね…集団で動くので、小規模パーティ(2人から5人)と違い、無理せず登山するって感じではなく、”スケジュールありき”の登山だった記憶があります。(「どしゃ降りの雨のなか、高地順応登山をさせられた。」とか「休憩を思う様に取れなかった(そもそも大人数が休憩できる場所が無い)」とかの苦行の記憶しかないですね)そのうち、事故が起きるのでは?と思いますね…。 今でもやってるんだろうか…?
この町の出身です。小説で読んだ内容と違うことに驚き🎉ました。
義務教育で登山を何回か経験しましたが、毎回トラブルだらけで山が嫌いです😅一例を上げると、中学の時の林間学校で休火山?(硫黄の匂いはすごかったです)を登ったんですが登頂後に登山経験が豊富な生徒(両親が山岳部で月一家族で山登り)が山の天気が悪くなりそうって教師に訴えたのに早く下山せずキッチリ3時間も山頂にいて下山するときには雨が降り出して岩がゴロゴロあって滑ってしまうという状況と、生徒数が多いので(250人以上)岩が落ちてきて骨折者や捻挫、頭から血が出るなどかなりの負傷者が出た挙げ句、なんとか下山しても寒くてもジャージが濡れてて着替えがない・靴が濡れててますます体温が下がるなど散々で、救急車で運ばれた子も結構いましたお陰で二度と登山はしてません。正直生徒間でも空気がものすごく悪かったのと後日学校説明会でかなり揉めててその後教師との信頼関係も微妙でした😅
当時得られる限りの情報を元に善処した校長の責任感が伝わってきました。案内人があればとか、雨の段階で生徒を叱りつけてでも引き換えしていればとか確かにあるけれど、まさかようやくたどり着いた山頂で小屋が崩れているなんて思いもしなかったことでしょう…
下見登山をしてなかったのが致命的でしたね
最後まで責任感を持ち続けた校長を思うと辛い
だれも見捨てることはなかった。それだけが救いだ。
体罰当たり前の時代だろうけど、やっぱ責任感はどの先生も凄かったんだろうなあ
細かいことなんですが、こんなに大量のイラストを個別で動きを細かく変えながら編集するのは思っている何倍も手間のかかる作業ですよね。
なのに一切手を抜かない編集すごいです…。
そのとてつもない手間のおかげで実際の映像を見ているかのように当時の状況が分かります。
本当にすごい。
おっしゃる通り、1個の動画を作るのにかなり時間がかかってしまっているので、とても嬉しいご感想です…😭😭
ありがとうございます!
@@sonan-file これからも無理のない範囲で頑張ってください…!
自分もギリギリの中で生徒を背負って進む教師や校長は凄い責任感ですね。なかなか出来ない事と思います。
まぁそもそもそんな計画立てて実行した責任あるしな…
@@amazon8594 その責任を命懸けでとる事が凄いですよね。
@@amazon8594責任があるからといって命懸けでて助けようとできるかというとそうではないからなぁ…
責任はあるとしてもとった行動からは生徒への想いを感じる
校長先生や他の先生が最後まで諦めずに弱った生徒をおぶって下山したり、生徒達に対する愛情深さを感じました。
たらればになりますが、校長先生が最初に下山しようと言った時、下山していたらとか、山小屋が存在していたらとか思わずにはいられなかったです。
今回も遭難する経緯が細かく、臨場感を感じました。100年も前の事故を詳細に調査してあり、感心しました。
ナレーションもいつもながら、聞きやすい声で良かったです!
次回もよろしくお願いします。
ありがとうございます😊
ハキハキしてて本当に聞き取りやすい声だな。
100年以上も前の遭難事故、今とは全くもって状況が違うんだろうな。
天気予報も大外れな上に、山小屋が無いとかさすがに絶望すぎて…。
最後尾にいた校長と教員の正義感の強さはすごい。
校長の「俺一人だ」はもしかしたら背負ってた子がいなかったから、下山できたと思って安心したのかもしれないとも思った…ご冥福をお祈りします。
目の前で亡くなっている子供たちを見て、責任は自分にあるとずっと自分を責めていたと思う。
だからやっぱり責任の所在の事を言ったんじゃないかな〜🤔
と私は思います。
推測ですけど😅
@@Tacoma1157どっちでもいいだろ😅
わからないんだから
始まりの「登山計画」で何故か毎度動画に引き込まれます。
確実に遭難にじわじわ近づくことは頭では解っているのに、最初の軽快な登山計画、に切なさと不気味さを感じますな
全く登山とは無縁なのですが、動画の雰囲気がとても好きで全動画拝見しました…!!!これからもがんばってください!
ありがとうございます!頑張ります!
可哀想すぎて涙が出る…
校長は事前に何度も天候を確認していたのに…大正時代の子供たちの楽しい登山になるはずだったのに…目の前で同級生が亡くなったのを見ればパニックになるよ…
下見をするべきだった…
あれだけ校長先生が天候とか確認してて、生徒までおぶって助けようとして、でも出来なくて…っていう…最善を尽くしたけど どうにも出来なかったっていうのは悲しいですね…。
わーまたありがとうございます😭😭
本当に悲しい遭難事故だったと、動画を作成しながら感じていました…。
突然オススメに上がってきたけどとんでもなく見易い素晴らしい編集
褒めていただきありがとうございます😊
私も25年前に中学2年の時に西駒に登りましたが、1ヶ月くらい前から辞書をたくさん詰めたリュックを背負って登校し体力作りをしていました。それでも、下山時は疲労で足がガクガク震えて頭がぼーっとする程でした。
亡くなった生徒を思うと可哀想でなりません。本当によく頑張った。
今の母校では選択式になり、希望した生徒のみが登山に参加します。
あなたの母校は時代の変化に対応できていて素晴らしいですね
山なんて住んでいる人以外であれば、登ろうという意思が無い限り足を踏み入れるような場所でも無いですし、あえて全員が登山をする意味も無いですからね
その通り。登山家なんてヤクザか世捨て人。子供と一緒になんて、正気じゃない
体力作りなら毎日ランニングしろよw
辞書担いで歩いたくらいじゃ変わらん
長野県民です。
他のコメントにもありますが、長野県の生徒は中学には何故か割とハードな登山をさせられ、しかも登山前には、小説『聖職の碑』を映画化されたものを学校で見せられ(ご承知かもですが、救いようのないオチのない内容)、、映画鑑賞終了後はほんとに嫌な気分になった、トラウマ級の話だったことを思い出しました汗
(今から40年近い昔の話です)
たまたまお気に入り動画に出てきましたが、丁寧な動画作成に頭が下がります。
これからも頑張ってくださいませね。
ありがとうございます!
これからも頑張ります😊
@@sonan-file様
お返事ありがとうございます😊
引き続きご無理なく、丁寧な動画作成を何とぞよろしくお願いいたします🙏
こちらのチャンネルがおすすめにでてきて視聴したところ、とてもわかりやすい進行に一気に引き込まれて夢中で見てしまいました。近年の山岳遭難事故についても取り上げていただけると嬉しいです。
ありがとうございます😊
近年の事故も織り交ぜながら更新していきたいと思ってます!
@@sonan-fileさん
この遭難からちょうど100年後、2013(平成15)年7月に、同じ中央アルプスの檜尾岳(ひのきおだけ)にて韓国から来た登山ツアー客が遭難し、4人が亡くなる事故が起きています。いつかこの遭難事故もアップしてください。
1913年というと教師の言うことは絶対だったと思ったら現代以上に言うこと聞かなかったの意外
でも登山する方に言うこと聞かなかったのは意外だった
先生「お前ら帰るんか!!?」
生徒「帰りません!!進みます!わーーー!!!」
みたいな感じを想像してました。
いい方は悪いけど、校長の意見を無視して先進んだ生徒は多分体力があるほうの人たちだと思うから、無視した生徒は生き残ってそっちじゃないほうがなくなってそうなのが後味が悪い
当時の時代と発展もだが田舎は教員より自信がある生徒が多かったんだろう。身勝手な生徒そして大人達と天候に安心していた生徒と自信満々だったが生徒をまとめる自信は天候の不安へ呆気に取られた大人達の組み合わせフラグは登山するには絶望的だっただろう。
ヒント 偏差値
12年後に発見もすごいな…
私は、遭難した人達と
現在は名前が少し変わりましたが、
同じ学校出身です。
小学校に慰霊碑が建てられており、
私が小学生の時には
毎年、家からお花を持ってきて
遭難したであろう日に、
みんなでお花を
お供えしていました。
今も続いているのでしょうか。
これからも彼らの事を
忘れずに
いてあげて欲しいです。
倒れた生徒たちを発見しながら下山した教師たちの絶望は如何程だっただろう。
ご冥福をお祈りします。
昨日チャンネル登録し全動画観たところだったので、新作が観れて嬉しいです!
天気予報が未発達だったり、中学生が登山を楽しむ描写などは時代背景も感じられて、最近の事故とは違う悲しさがありました。
動画制作大変だと思いますが、次回も楽しみにしています!
全動画見ていただきありがとうございます!😊
南信地域に住んでいますが、この地域は、大きな山に囲まれているため、
地元では「台風は木曽谷を超えられない」という迷信が信じられています
また、山登り学習が今でも義務教育で採用されており、誰しもが学生時代に登山&山小屋での宿泊経験を持ちます
悪く言えば、山岳遭難が多い地域であるにも関わらず、「小学生でも登れる」等の慢心した発言もよく聞きます
登山経験もいいですが、地域での遭難事故の歴史や悲惨さを学ぶことも大切だと考えさせられます
諏訪地域だけど、台風は八ヶ岳と南アルプスに阻まれて諏訪地域の真上に来ないが、その中間に来たら悲惨だと聞いた事が(;´д`)
そんな風習は直ぐに廃止するべきですよね!プンスカ
このチャンネルの伸び率がすごかったので見てみたら、何故か引き込まれる
マップで分かりやすのもあるけど、解説の言葉が単調で怖いというか事象はなんの躊躇もなく起こって進んでいく事を表しているかの様
は.
余計な内輪ネタの雑談やBGMが無く、内容のみがわかりやすくまとまってるからでしょうね。
@@abbey_aikawa4310
あと、イラストで登場人物や状況を簡単だけどしっかり特徴を掴みやすい構成にしている事と、投稿主さんの意見や憶測と言った正確では無い情報を最小限にしている点がすごい分かりやすいですよね。
校長の「俺一人だ、あぁ嬉しい」は背負っていた子どもがいなかったから救助されたと勘違いしたんじゃないかと一瞬思った
@@ぎは-h2l
その可能性もあるかも知れませんね。
子供が犠牲になるのは本当に辛い‥
長野県民は中学二年になると何故か登山があるんですよね。
当時は今のような便利な設備も装備もない上に情報等も入手困難だったから 余計に悲劇が訪れてしまったんですね‥
現代では事故なく登山が行われてるのか気になるところです。
伊那出身の友人によると、この時の教訓を生かして事前の準備をしっかりして行なっているようです。
さすが教育県ですね!
人ん家の子を連れて山や海、川、教育とはいえもうやめた方がいい
うちは行かせない
@@ガブリエル-n7iおまえの家族を捕まえてやろうか?いやだろ?
@@ガブリエル-n7iじゃあ学校じゃなくて家庭教師雇え。
@@ガブリエル-n7iわたしも息子はまだ2歳ですが、その時が来たら休ませたくなります。過保護かも知れませんが、命がなくなってからでは遅いですよね
校長の救助されたとき言葉の解釈は、諸説あるとのことなので、私も校長と自分を重ねて考えてみますと、
「俺1人だあ」 は意識を失う前に背負っていた生徒が、目を覚ますといないことに対する感想で、
「ああ、嬉しい」は純粋に救助隊が来て命が助かると思ったことからきた安堵の言葉だったのではないでしょうか。
人は極限状態から安堵すると、そのまま眠るように死亡してしまうという、安堵死というものがあるそうで(何故かググッても出てきませんが)、校長先生の最期はそれではないかと…
すごいですね
伝えたい情報を最低限の装飾で簡潔にわかりやすくまとめた動画で、とても面白いです
ありがとうございます😊
着物に脚半に草履で登山ですかぁ…
時代とはいえ大変だったでしょうね…
亡くなった人達もさることながら
命からがら生き残った教員や子供たち、ひいてはその家族たちのその後は一生苛まれたであろう事を思うと気の毒でなりません😢
母校の話がおすすめに出てきて驚きました。
今でも木曽駒ヶ岳登山は行われていて、帰りには碑に手を合わせて下山します。
本当に見やすくて聞き取りやすいです。更新楽しみにしています。
登山について全然詳しくないけど、登山計画も分かりやすいし声も良いので見入ってしまいます🫢
動画内の度重なる悪運で困難な状況に置かれてしまった少年たちを思うと胸が痛かったです。。自分も登山にはよく出かけるので、しっかり計画・準備して、決して無理しないようにと思いました。
最後尾で生徒と岩陰に入り込んでいた教員が無事に下山できたことが凄すぎる、奇跡だ!!
映画では、小さい岩穴に生徒を入れて、教師は自分の背中で壁になり、生徒を風から守っていましたね。
新田次郎の小説「聖職の碑」で知った事件。「遭難記念碑」についての話や、それを踏まえてなのか「当時の資料にあたった」とあるとこも細かく丁寧で素晴らしかったです
100年以上も前の事件に今の常識を当てはめて酷い言葉を浴びせている人たちが信じられん…
校長が事前に天気を確認していたことも、当時の技術では台風を予測することができなかったことも、動画内できちんと語られていると言うのに…
長野県民でしたが、中学2年の登山は楽しい反面怖かったのを覚えてます。山小屋の前に断崖絶壁を鎖を掴んで渡る鎖場があって本当に怖かったのを今だに覚えてます。
山頂前で小雨がぱらつき始め、濡れた鎖を掴んで渡ってた時は怖かったです。
自分も学校登山に行きましたが山の怖さを知る良い機会だと思います。
ブロッケン現象を体験できたのは良い思い出
最後尾の先生と生徒助かったの凄い、
オススメに出て来てなんとなく視聴していたのですが気付けばたくさん見てました!
視覚情報も耳から入る情報もどれも本当に必要な情報だけ伝えてくださってるため分かりやすく、無理なく視聴できます!
凄く面白いです!これからも頑張ってください!
とてもきちんとした事件の説明でした。ありがとうございます。
同校は昭和17年9月、修学旅行で訪れた直江津海岸で子供たちが荒波呑まれ、5名の死者を出した「もう一つの遭難」が、ほとんど忘れ去られているのは悲しく寂しい…。
またまた待ってました‼️
アップの期間が早いと嬉しいです☺️
初めて聞きやすいやつに出会いました!有難うです!
こういう動画って本当に大事。登山の怖さって、なかなか分からないから
編集めちゃくちゃ手が込んでてびっくりする!どの動画も相当時間かかってると思うし、大抵の動画は作者の感想とかダラダラ続く印象だけど事実だけを淡々と話しててすごく見やすいし、声も聞き取りやすい。
頑張ってください‼️
頑張ります!ありがとうございます!
@@sonan-file しかもこれって全て喋ってますか、、?すごすぎます
これからも楽しみにしてます🐻
子供の犠牲者のいる災害はより心が痛む。😢
子供の頃は、オトナの色々な機能性の高い装備など、自分はなかったので、今考えると、結構無謀なことやってたんだなあと思いました。自分、運動部ではなかったので、 八合目まで行きました。
引率する先生たちもご苦労されたのですね。
とにかく、子供の犠牲など絶対出ないようにしたいものです。
やっぱり見やすい。更新大変だと思いますが次回のUPも楽しみにしております。山に登る趣味はないけど、、
ありがとうございます!
他の動画を拝見して身勝手な登山客も居るもんだと胸糞になってたけどこの事故は辛すぎる、先生達の気持ちを考えると……
癖がなくとても聞きやすい声です。
私自身南信出身で、30年ほど前にまさにこの西駒登山を中2で経験しました。1か月前くらいから登山リュックとかで登下校したり体力つけたりとした記憶。その中で映画の「聖職の碑」を体育館で観て、この出来事を知りました。
登山当日、この避難記念碑の傍を通る時、突風にさらされてとても怖かったです。
それでも、気を引き締めて全員で登頂することが出来たのは、この映画のおかげやなと思いました。
山小屋も屋根もなく雨風に一晩晒されて次の朝にまだ死者が1人も出ていなかったのは凄い。
現代なら低体温症で何人もその場で亡くなってもおかしくないけど、当時の人の生命力の強さが窺える。
当時は当事者意識が高く
父兄も率先して救護所に向かうのが今と違いますね。
しかし、子どもが亡くなるのは
本当になんとも言えなく哀しい
下手に父兄が救護に向かうと二次遭難に遭うので、救助のプロに任せるべき。登山の基本をできていない人なんて登山やってる人でも以外と居るし
@@toriaezunoakanto さん
言葉が足りなかったかもしれませんが、、、
本来はそうするべきだとは思います。
自分が言いたかったのは
現在は
自分で対策はせず、何かあったら
他人が悪い、社会が悪い。
そういって自分たちは動こうとはしない。
そういう人よりも昔は立派だな。
ということです。
政府かどうか知りませんが、
損得勘定で物事を考える傾向に寄せられ、
日本人の良さがどんどん失われていく
気がします。
@@misonai1172 昔もそういう人は居ましたよ。というか昔の日本人でもかなり野蛮なエピソードもかなりありますが?今でも身を挺して人を助ける人もゲスい人も居るのは変わらない。
@@toriaezunoakanto昔は良かったと言う人は昔の悪かった所は見えずに良かった所だけしか見ていなく、逆に現代の良い所は見ずに悪い所だけ指摘するもんですよね。
自分の会社の先輩に至ってはセクハラが問題にならなかったから昔は良かったなどと言います。
@@misonai1172
適当な言葉の羅列
55年前.木曽駒ヶ岳に登る時に地元の方がボランティアで案内して下さいました100年前に悲しい遭難があったからなんですね100年前の中学二年生の方々の御冥福をお祈りします私達をボランティアで無事下山させてくださった方本当に有難うございます
長野県民ですが、中2の時に赤岳に登りました。
今は先生が5〜6名で事前下見登山をしています。
登山中はお喋りを楽しんだり、20分に一度休憩しチョコなどのおやつを食べ、景色もよく、とても楽しかった思い出です。
それでも途中、ここ落ちたら死ぬなという狭い道や、死んだ人の慰霊碑などがあり、ちょっと怖かったとこもある。
長野県は山に囲まれた県で、至る所に登山道の入り口があるので、子供時代に登山の楽しさと怖さを学べたことは良かったと思います。
学校ではめちゃくちゃ準備をして登山に臨んだので、ふらっと山に入るなんてことはしないですからね。。
素晴らしいです、やはりこういうのは生身の人間の声が緊張感が伝わりますね。
校長の「俺一人だ」は連れていた生徒が先に行ったため、「今自分は一人でいる」という意味かと解釈したけど、それもあくまで推測でしかない。
このチャンネルの別動画で責任逃れしているのを先に見たから、この校長の責任感に胸が締め付けられる。
最近このチャンネルを知ったけど、もう全部見ちゃった。すごく聞き取りやすくて分かりやすい。
ありがとうございます!
全く同じことを思いました
周囲に生徒が残ってるかどうかを伝えたかったんじゃないかと…
地元の案内の方がいれば、これ程悲しい結果にならなかったと悔やまれます。
自然は侮れません。
こーいう動画を本当に待ってた
周辺の住民が救助って、時代も感じるけど当時の人々がすごく善良なのを感じる
「鍛錬授業」って…凄い時代だよね〜…でも校長に逆らえる時代でもあった?…教員の静止も聞かず先走る子供達…校長、教員に罪はない…と言ってあげたい…
登山の内容厳しいな!?って思ったら、100年も前の話でびっくり…。
未発見の生徒も12年かかったけど、全員見つかって良かった…。
忘れて居ましたが、昔読んだ、新田次郎の聖職の碑を思い出しました。良い動画ですね。
面白すぎて全部見ました!次の更新を待ってます!
この内容を
面白い!と、はしゃげるんだ…😮
@@Chiiko-cu7nv
日本語的にはfunnyとinterestingが曖昧やからしょうがない
もしかしたら背負っていた生徒が歩いていくのを見て『(死ぬのは)俺1人だ、(あの子が助かって)嬉しい』だったのかも……という気もして……。自分が生まれるよりずっと昔の話だけど、皆様のご冥福をお祈りします。
新田次郎 聖職の碑だな・・読んでいて寒くなる程、迫真に迫った作品だったな!
地元が長野です。
小学校の頃から登山があり、中学校では2500〜3000m級の山に登ります。
この話も先生から聞きました。。天気予報の精度が高くなったとはいえ、やはり山は怖いです。
聖職の碑の映画はこの登山をモデルにしています。昔地元紙で生存した生徒のお母さんは生徒の胸元に真綿を詰め込みました。その生徒はさんざん嫌がったそうです。でもお母さんの剣幕に押されて真綿を詰めて出発。生きて帰れたのはお母さんの第六感と愛情のおかげと言っていたそうです。
小学生の時分聖職の碑を見ましたが素晴らしい映画でした。忘れる事の出来ない映画でした。今でも心の中に生きています。
夏に真綿、直感と愛情、本当にその通りと思います
@@ポメラニイヤァン
人生お疲れ(笑)
やはりそうでしたか、「聖職の碑」は鶴田浩二さんが主演で映画「八甲田山」の大ヒットを受け、山岳遭難ものの第2弾として映画化されました。天候の急変により次々と死んでいく子供たちの姿が悲しみを誘いましたね。😢
100年経った今ではスマホ一つで高い精度の天気も調べられるし救助も呼べる…
いい時代になったもんだ
我が家の息子の学校も夜からの登山🏔️を行ってます。私達家族は登山🏔️キャンプ⛺️大好きに育てたので、1人っ子ですから、逞しくなって欲しかったのです。この頃の先生はずごく愛情があったのですね。ご冥福をお祈りいたします🙏。
私は地元の生まれで今日この動画に行き当たり、そんなことがあったのを知らなかったのでびっくりしています。
8月の夏の登山なのに天候の急変は怖いですね。山は殆ど3000mもあり高校生でも経験 のない子供を連れて行くのは無謀といえるでしょうね😢
悲しい出来事でした。
この話知ってると思ったら、もう何十年も前の小学生時代にTVでやってた映画かドラマで見てものすごく怖かった思い出があったからだったと思い出しました。
伊那小屋はこの一行の前に到着していた心無い登山者によって放火され、この状態になっていた。
もう死んでると思うけど、こいつらは絶対に許せない。
地獄で永遠の責め苦を受けていると信じたい。
そんな経緯があったんですね。
放火した人がいなければこんな悲惨なことにならなかったかもしれないと思うとやるせないですね。
当時の登山者のモラルは低く、小屋の木材を剥いで薪にしたりして破壊する事が横行していたそうですね。
それもう山賊やん…酷すぎる
このルートの長さなら途中にもう何ヶ所か山小屋あってもいいくらいなのに
この前の登山者以前から山小屋は壊されていて、この登山者は自分が壊したと思われたくないから何も言わなかったと言うのが新田次郎の見解だね。
その情報元はどこですか?
どうしてもっと低い山にしないんでしょうか
私も中学時代は10キロ歩く遠足や1200メートルの山登りがあり、体力のない私は本当に辛かったです、倒れる子もいました、体育では必ず女子は千メートル、男子は1.5メートルの持久走があります、今も、体力は個人差が大きいのにどうしてみんなに同じことをやらせるんでしょうね、今も思います、自分の子どもの時も心配でしたし、時々事故も起きていますね、こんな苦しいことをやる意味があるんでしょうか?子どもは富士山でした
一面的な見方で物事を否定するべきじゃない。人の親ならば尚更
鍛錬授業の意味合いもあるって言ってたでしょ
この話の先生達は最善を尽くしてたし、子供たちもやる気に溢れてるようだったから、責任が先生達にあるのは間違いない
でも言葉にするのは難しいけど悪くはない気がするなぁ
事前に練習登山をしたり、走り込みをする。そこからペース配分を考えて無理のない工程を組む。それでも無理な時もあるから不測の事態に備える。
そういった指導がきちんとできるかどうかは大事なんですが…
リーダーになる人や引率者って、大体体力や運動神経に優れている人が多いので、できる人目線で計画しがちなんですよね…
自分は体育全然ダメな文化系人間でしたけど、よい指導者に教わることができ山登りやマラソンを楽しめるようになりました。
修学旅行の行き先で、
富士山か、富士急ハイランドか、どちらか選んで!と先生に言われ、
富士急ハイランドに即決しました、、、。
申し訳ないんだけど1.5mで笑ってしまった
自分勝手に動く人間がいると事故が起きやすい。天候云々ではなくこの自分勝手に動く人間が多く出た時点で解散、中止、下山をすればよかったのに。
今回の動画も大変興味深かったです。
100年前ともなると、現在の登山とは大きく状況が違うのでしょう。今なら確実に山小屋の崩壊は事前に知ることが出来たと思います。
投稿者様に質問なのですが、参考にした資料などはどちらに明記してあるでしょうか?書籍やウェブサイトなど、参考にしたものは明記しておいた方が良いと思います。信憑性や参考元への敬意に関わると思います。
何卒宜しくお願いします。
ありがとうございます!
参考資料などは後ほど説明欄に記載いたします。
少しお時間ください🙇♂️
@@sonan-file そうでしたか!申し訳ありません、早とちりでした。動画投稿頑張ってください!楽しみにしております。
時代的にこの時代は目上の人の言う事には絶対服従かと思ってたから意外…もし台風が接近してると事前に分かっていたならこの登山旅行もしなかっただろうに。今の時代に生まれた事に感謝。
事故と言うのは、想定外のことが起きるから事故になってしまう。想定内であれば事故にはならない。
そして一番大事なのは危険に対する直感。何か変、小さな胸騒ぎ、これって本当に当たるもの。
なぜかは分からないけど、一度判断ミスをすると、連鎖する。悪いほう悪い方へと進んでいくのが恐ろしい。
落ち度も確かにあったけど先生方は最後まで生徒の為に一生懸命でしたね😢
案内人を付けられなかったのならなおさら、下見登山をすべきだったよな。
台風の中やっと目的地に到着したら小屋がないとか地獄絵図でしかない。
時代も時代ですけど雨が降った時点で帰らなかったので選択肢を間違えてますね…。
同級生が亡くなっていくのは悲しすぎる😭
山の怖さが毎回凄く伝わってくる。
熊なんて出たら、もう無理です。
当時の日本は家制度があり男子は将来家を支え相続する立場だったことを考えると、教員としての責任感だけでなくその後の村での生活を考えて男子を死なせるわけにはいかなかったんだろうな。他所の家の男子を大勢死なせたとして亡くなった校長の家族は葬儀もさせてもらえなかったようだし。生き残った教員とその家族の末路も悲惨だっただろう。田畑があり簡単に転居できない時代の村八分はきつい。
何年たっても山は怖いですね。
これは聖職の碑って映画の実話でしょうか
この子たちは、私のいのちだ。の校長の叫びが今も心に残ります。
中継地点に避難のための小屋でも作られたのかと思ったら記念碑なんだ…
もしも、助かるチャンスがあればラストチャンスは校長が帰ろうかと言った時だけだったこかもしれない…
ぞっとするような事件ですね、、、
木曽駒ヶ岳は夏に自分も登りましたが残雪は確かにあり、地面も一部凍っていたためその脇には手すり代わりの鎖が張られていました。また昼間はともかく、朝夕は持ってきたシャボン玉が地面で凍るほど気温が下がりました。山小屋の内側は大丈夫という安心感が大きかったので、まさか山小屋が壊れていたとなると、絶望感は計り知れないです
いつも思うけど山深くに入るときは常に死の覚悟が必要。
僕も昔鍛錬旅行と称して学校で登山連れて行かれたけどただただ辛かったし、こんなリスクまで抱えさせられてたと思うと本当に腹立たしい。
確かこのシリーズの別動画、慶応大学グループので夏場に山に入り道中に旗を立て備えた、あれも夏場の準備がなければ全員無事に帰れなかったかもしれない。この登山も山小屋の状況を事前に確認していれば結果は違っていたでしょう
5:08 頼みの綱の山小屋がこのザマ…これは絶望感しかなかっただろうね
まさに負のスパイラル
なんて悲惨な…
こりゃまた古いの持ってきたな。大正2年だぞ。まだギリで徳川慶喜生きてた頃だぞ。ここまで古いと色々状況判断難しいなぁ。
鍛錬授業。まだ気合いと根性の時代ですね。
校長先生、何とも無念です。
この小説を駒ケ岳登山の前に読みました。長野県の小学生時代。
怖すぎたわ。
下伊那郡の田舎の中学2年生の時に学年全員で西駒ヶ岳に登った。それから10年後くらいに当時新人だった三浦友和も出演した「聖職の碑」が地元でも上演され近所の家の壁にもポスターが張ってあったのを覚えている。映画自体は観る機会がなかったけど。
自分は40年位前に諏訪郡の中学で八ヶ岳登山の前に体育館で映画を見せられました。
最後の犠牲者の白骨発見のシーンが印象的でした、学生登山再開の日に後輩の学生が発見するシーンが。
最初に引き返すかどうかを生徒の意見で決めたのが残念でした。
遭難系チャンネルで、初めてこれだー!というチャンネルみつけた💓早速登録しました☺️
私が小中学生の時に同じような登山遠足が毎年催されてたけど、全員バラバラに往復してたから事案がいつ発生してても不思議じゃなかったって思うわ。
心身をを鍛える意味合いの強い授業なのに、最初から遅れるわ、校長がやめようかといってるのに勝手に出発するわで…もぅグダグダ
通ってた高校の伝統行事で、「学年全員で穂高山連峰に登山する」ってのがありました。
1クラス40名×17クラスあったので、生徒だけで680名 引率の先生を含めると700名位ですね。
体力別でコース(目的地)が別れたものの、1パーティ50~100名位でしたかね…
集団で動くので、小規模パーティ(2人から5人)と違い、無理せず登山するって感じではなく、
”スケジュールありき”の登山だった記憶があります。
(「どしゃ降りの雨のなか、高地順応登山をさせられた。」とか「休憩を思う様に取れなかった(そもそも大人数が休憩できる場所が無い)」とかの苦行の記憶しかないですね)
そのうち、事故が起きるのでは?と思いますね…。
今でもやってるんだろうか…?
この町の出身です。小説で読んだ内容と違うことに驚き🎉ました。
義務教育で登山を何回か経験しましたが、毎回トラブルだらけで山が嫌いです😅
一例を上げると、中学の時の林間学校で休火山?(硫黄の匂いはすごかったです)を登ったんですが登頂後に登山経験が豊富な生徒(両親が山岳部で月一家族で山登り)が山の天気が悪くなりそうって教師に訴えたのに早く下山せずキッチリ3時間も山頂にいて下山するときには雨が降り出して岩がゴロゴロあって滑ってしまうという状況と、生徒数が多いので(250人以上)岩が落ちてきて骨折者や捻挫、頭から血が出るなどかなりの負傷者が出た挙げ句、なんとか下山しても寒くてもジャージが濡れてて着替えがない・靴が濡れててますます体温が下がるなど散々で、救急車で運ばれた子も結構いました
お陰で二度と登山はしてません。正直生徒間でも空気がものすごく悪かったのと後日学校説明会でかなり揉めててその後教師との信頼関係も微妙でした😅