3分でわかるオーブリー・ビアズリー(人から分かる3分美術史198)
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- Опубликовано: 7 фев 2025
- イギリスのアール・ヌーヴォーを代表するイラストレーターとして知られるオーブリー・ビアズリーを紹介します。
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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日はオーブリー・ビアズリーについて勉強していきましょう。
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー。1872年生まれ。イギリスのアール・ヌーヴォーを代表するイラストレーターとして知られます。
ビアズリーは、ヴィクトリア女王時代のイギリス、イングランド南部の街ブライトンに生まれました。
ビアズリーの父親は結核に侵され満足に働けず、職を転々をしていました。そのためビアズリーの少年時代は貧しく、母親の家族の支援のもとで学校に通ったと言われます。
ビアズリーは幼い頃より絵を描いて過ごし、ケイト・グリーナウェイやウォルター・クレインの影響を受けていました。
しかし金銭面から大学に進学できず、ロンドンに渡って保険会社で働くようになりました。
ロンドンでは、ホイッスラーとバーン=ジョーンズの作品に強く影響を受けたと言われます。そして1891年、19歳のビアズリーがバーン=ジョーンズのもとを訪ねると、バーン=ジョーンズはビアズリーを高く評価。ビアズリーはバーン=ジョーンズの紹介でウェストミンスター美術学校に通うことになりました。
ビアズリーの転機となったのは1893年、トマス・マロリー作『アーサー王の死』の挿絵を務めることになったことでした。当時、ウィリアム・モリスが発行していた挿絵付きの豪華本が人気を博しており、出版業者J・M・デントがそれに対抗する挿絵画家を探していました。そこでビアズリーが見出され、挿絵画家として本格的に活動するようになります。
ビアズリーの作品を見ていきましょう。
オスカー・ワイルド『サロメ』挿絵。1894年、ビアズリー22歳頃の作品です。
『ヴィーナスとタンホイザー』挿絵。1895年、ビアズリー23歳頃の作品です。
1898年、ビアズリーは肺結核により25歳で亡くなります。前年には雑誌『サヴォイ』の創刊に参加し、ますます人気を高めていきました矢先でありました。現在においても、イギリスのアール・ヌーヴォーを代表するイラストレーターとして知られています。
以上!