「日本人のせいで人生の歯車が狂いまくりだ」喜劇王チャップリンが日本で体験した真実とは…【ゆっくり解説】【海外の反応】
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- Опубликовано: 15 окт 2024
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皆さんがとても知識が多いことに驚いています。
チャップリンの作品はサイレントからトーキーまでみんな好きだけど、どれか一つとしたら、「独裁者」ですかね?
最後の演説が大好きです。
独裁者の、ヒトラーをコミカルに演じて皮肉った内容が好き!
あ〜好きな作品だわ、
地球儀ごと転がるは今で言う世界的ミーム
余談だがヒットラーに呼ばれた時、死刑に成りかけたのどう回避したか忘れちゃったな、
確かチャップリンは帰国後、天麩羅ロスになって日本で食べた味を再現しようと何人もの料理人に作らせたんだけど納得いく物が出来ず、困り果てて最終的に日本人の料理人を雇って、やっと納得のいく天麩羅を食べることが出来たって話を思い出した。それって17人の中にカウントされてるのかな?
戦後4度目の来日の時にも「てんぷらを食べるのも重要なスケジュールだ」とインタビューで行ったみたいだね。
徳川家康もビックリ⁉
ハッピーバースデイチャップリン(1889年4月16日生まれ)。
ヒトラー(1889年4月20日生まれ)
4日しか違わない誕生日ですが、これが二人の因縁のはじまりかもしれない…
@@hironobushi 「独裁者」でヒトラーのそっくりさんを演じるために、ヒトラーのニュースフィルムをたくさん鑑賞したチャップリン曰く「ヤツは役者だよ。俺なんか到底及びもつかんよ」(チャールズ・チャップリン・Jr.著「わが父チャップリン」恒文社刊より)。ヒトラーの身振り手振りが計算された演技だと見抜いていたんだろうね。
1889年生まれ。アラビアのロレンス。石原莞爾。マジ凄い。
「天ぷらが好きすぎて天つゆを自分で作ってたらしいよ」
街の灯が泣けた😂
小学生の頃に!!!道徳の時間に映画を観賞してたな!❤❤❤
お笑いの基礎はチャップリンで全てといっていいくらい。
チャップリンじゃないけど、日本人の使用人は、扱いに注意が必要だ。と、言われていたらしい。雇用しているとしていないと、どんな好条件を提示しても、辞めてしまう と。
例え、使用人でも、プライドがあるからね。多分、昔の話だろうと思うけど。
だけど、わざわざ日本人は…ということは、他の国の人はそうじゃなかったのかな?
他所の国は仕事は分業制で決まった仕事以外しないからな、たいして日本人は何でもしてくれるのでF1の世界でも日本人がきたらとりあえず雇ってれば後悔しないといわれてる。
・・・(チャップリンがイギリス人だと思ってたなんて言えない・・・)
イギリス人で合ってますよ〜
思わずググって確かめてしまった。Sir Charlie Chaplinは知っていたが、Sirって別に英国人でなくても貰える、は今知る。彼のBill Gatesも英国では Sir Bill Gates。98へぇ~!
・・・志村 ケンのギャグの原点。
五・一五事件の時のことで、自伝でも書いてますね。「もし襲撃されていたら、そのときになって犯人たちは、わたしがイギリス人だと知って、『あ、そうでしたか。これは誠に失礼』と言ったのではあるまいか」と。
チャップリンってそんな天ぷら好きだったのか、全然知らなかったよ。すごいなぁ
チャップリンの影の部分は小児性愛者ではないかと言われていることです。昔の女性は早婚だったでしょうが、さすがに12歳の少女と性的関係を持つのはまずいので正式に結婚したものの、金の亡者だった妻との離婚裁判で初めてフェラチオという言葉で彼の性癖が暴露され、その後の彼の財産やパブリックイメージに相当ダメージを与えたことは確かです。高野さんを雇ったのはこの裁判の後だったのかもしれませんね。
最初の訪日の時のことは、チャップリンの自伝でもかなり詳しく書いてあるのが嬉しい。歓迎ぶりもものすごかったことが書かれていた。皇居前に言ったエピソードは、漫画の「昭和天皇物語」(ビッグコミックオリジナル連載)でも描かれていたね。
チャップリンすか。
天才と言って良いでしょう。
年が経っても、人を笑わせ、感動をもたらす。個人的に、好きなのは、『ガラス売り』と、『ライムライト』が良いですね〜
タイトルは忘れましたが、真冬の雪山で遭難した彼が革靴を茹でて食べるシーンは忘れられない・・・・・・(・・)
「THE GOLD RUSH(黄金狂時代)」です。
『ガラス売り』という邦題の作品は聞いたことが有りませんが、もしかして『キッド』のガラス職人のエピソードでしょうかね。捨て子を拾って育てて、成長したその子がガラスを石を投げて割って回って、その後チャップリンがガラスを担いで通りかかって代金をもらって修繕する話。
@@ズンベさん これ、今はyoutubeでBGM付きの鮮明な画像のが見られて楽しいんですよね。
チャップリンが親日家だったなんてびっくりしたけど高野さんのようなずば抜けたスキルを持ってる日本人が昔から存在した事実にも驚愕しました
萩本欽一は番組の企画でチャップリンに会いにスイスの邸宅に行ったが使用人に何度も断られスケジュール最終日の4日目もう帰ろうとしたときにチャップリンが出てきて面会が叶ったという話があった。
キンちゃんはチャップリンをリスペクトしてるのが動きで分かるもんな
何かのインタビューで「尊敬する人は?」と聞かれて、「チャップリン」と答えたものの、実はそれまであまりチャップリンに興味が無くて、映画も2本しか見ていなかった(うち1本は「モダンタイムス」で映画自体はすごく面白かったそうな)ので、「本当に尊敬できる人か確かめよう」と思って訪ねたのだとか(ネットの「ほぼ日刊イトイ新聞」でもそういう話をしている)。テレビ番組として組まれて、タイトルは『拝啓チャップリン様 コント55号只今参上!』。坂上二郎も一緒に行ったけれど、スケジュールの都合で面会が叶う前に先に帰国してしまった(余談だけれど、坂上の誕生日はチャップリンと同じ4月16日)。チャップリン側のマネージャーが警戒して会わせようとしないのに業を煮やした萩本が「バカヤロー」とか大声でどなったら、それがチャップリンに聞こえて玄関に出てきてくれたんだよね。その後は親切に邸内を案内してくれて、萩本が首からカメラをぶら下げているのを見て「それ、ぶら下げているだけではもったいないよ」と言って、写真を撮るのを許可してくれた。ただ、テレビカメラで撮影することについては、「わたしもカメラを回す仕事をしていたので、人に撮られるのは気が進まない」と言って断ったのだそうで。以後、萩本はチャップリンを尊敬して映画もたくさん見たのだそうです。
高野秘書が出演したのは、「チャップリンの冒険(The Adventurer)」だね。今でもyoutubeで容易に見られる。でも出演したことを奥さんが知ると、「恥ずかしいことをしないでくれ」とすごく怒られたとかで、出演はそれっきりになったとか。
チャップリンは来日時、芸者を見るつもりだったが、三味線や太鼓やかっぽれまでこなす幇間みて、これは芸術だ!と感心したとか。
チャップリンが日本びいきになったのは、子供が庭師のおじいさんになついたからその流れで、かれを養育係にしたから。
それまで子供の養育係は、子供の顔色を窺って、卑屈な態度をとり金で右にも左にも動いたのに、その老人(仮にAさん)は間違ったことには金をちらつかせてもガンとして首を縦に振らないし、時には子供をぽかりと叩くこともあったとか。
試しにチャップリンは秘書のような仕事をさせたら、読み書き計算がスラスラ(当時はアメリカ人でも読み書きできない人多かった)。
実はAさんはもともとが薩摩藩士の家柄で、っていうのを昔、TVでやっていた。
小さいころチャップリンが大好きで、ちょうど上映中だった梅田の映画館につれていってもらった。
映画を観終わって席を立ったとき、館内のアナウンスで「本日チャップリンが亡くなりました」と告げられた。
それがショックで何を観に行ったのかいまだに思い出せない。
それは恐らく、チャップリンの伝記映画「放浪紳士チャーリー」ではないでしょうか。公開中にチャップリンが亡くなったんですよね。
確か雨が降ってきた時のデパート等でながれる曲ってチャップリンが雨の出演で使われた曲だった様な気がします(^_^;)
「本人の目の前でチャップリンの物まねしたの、僕だけよ」と言ってたのは淀川長治さんでしたかね?
チャップリンが来日(五・一五事件の時ではなく、二・二六事件の別の来日時)のときに、会ったんだよね。淀川さんが身振り手振り交じりでチャップリン映画を見たことを伝えたので気を良くして、船室に招き入れて数十分間話をしたとか。
晩年のレッド・パージで半ば強制的にアメリカを追放されたんだよね…。
あのレッド・パージで、アメリカで役職に就いている連中は、如何に傲慢で無責任な連中かと思った。
ですが庶民は、人種を問わず変人も多いが気の良い連中ばかりと思った。 白人・黒人・ヒスパニックに違いは無い。
その辺のことは、漫画の「赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD」の第3巻Vol.6「チャーリー」でも採り上げられていますね。当時は当局に睨まれた人物は、議会の非米活動委員会に召喚されて証言を強要されたんだけれど、チャップリンを召喚すると世論がチャップリンに味方をするんじゃないかと懸念した当局側が、チャップリンが「ライムライト」公開に合わせて英国に戻るためにアメリカへの再入国許可証をもらってから出国したら、途端に再入国を取り消す、という形でパージしたんだそうな。女優のメアリー・ピックフォードはこの処置に対して「これはちょっと、大アメリカの権威に相応しくないですね」と言ったそうな(チャールズ・チャップリン・Jr.著「わが父チャップリン」恒文社刊より)。
チャップリンの映画は長編も短編も色々見ました。「キッド」「黄金狂時代」「サーカス」「街の灯」「モダンタイムス」「独裁者」とか、どれも好きです。来日のエピソードもいろいろあって面白いかと。開店準備中の銭湯に立ち寄って中を見させてもらっていたら、それを知った近所の人たちが集まってきたので、大人にはビールを、子どもにはアイスクリームを奢ってあげたのだとか。
それから、「移民」という短編映画では、(結局カットされたけれど)折り紙の兜を折るシーンがあるそうで、きっと高野さんに教えてもらったんでしょう。
後に欽ちゃんこと萩本欽一がスイスの自宅を訪ねた時には、快く応対してあげたそうですし、気難しいところもあるけれど、気さくな一面もある人みたいですね。
一時期N〇〇で特集組んでたのでそれで見たことがある
チャップリンの竹の杖も日本から取り寄せたものじゃなかったっけ。
日本には、14世紀頃に確立した
デフォルメ喜劇の狂言というものがあってだな…
チャップリンが通ってた
天ぷら屋、美味しかったけど
店主が高齢で閉店してたね
チャップリンは両親の仕事(舞台役者)が原因で差別意識が低かったって話聞いた
アンドリューみたいな一部分だけしか見ないタイプの単細胞な外国人ってのは困ったモンだな
ご久し振りです、まだこの動画は見ていませんが期待通りに進んでいきます。このコメントを打っている間も期待通りに進んでいっています。動画投稿ありがとうございます
五・一五事件当時首相秘書官であった犬養健(犬養毅の三男)は、チャップリンに同行していた。
事件を知ったのは、相撲観戦中の事だったらしい…
もし、予定変更がなければ、犬養健も事件に巻き込まれ、後のエッセイストの安藤和津や女優の安藤サクラも、存在しなかった
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
あと五・一五事件の後、チャップリンは後任の斎藤実総理のところに弔問に訪れており、二人が並んで座っている写真も残っている。だけど数年後、また日本へ行こうと思っていた矢先に、今度は二・二六事件が起きて、斎藤(当時は内大臣)が殺害されてしまう。チャップリンはそれを知ってショックを受けたそうで、日本にはお忍びでの訪日となったとか。でも、チャップリンが経営に参加している映画配給会社のユナイテッド・アーティスツの日本支社に務めていた淀川長治さんは来日を知って会いに行き、会ってもらえたという。以上、淀川さんや大野裕之さんが言っていたことです。
エビフライって日本由来では。
今はもうそんなことないだろうけど、日本人って本質的に奉仕種族っぽさあるよなぁ
作り話… では無くて、いろいろ調べたんだろうけど、うまく書けてるね ウェブライター君