Thank you for posting this very interesting film with English subtitles. Also, I particularly enjoyed reading some of the more historical comments of the era. I am a 65 yr old American and first came to Japan in 1977 in the North and still visit two or three times a year now. Peace and good health to everyone.
Women in Tokyo came out the same year as Gone With The Wind, Max Fleischer’s animated adaptation Gulliver’s Travels, The Wizard of Oz, Mr. Smith Goes to Washington, and when Andy Panda made his debut in “Life Begins for Andy Panda”, a cartoon by Walter Lantz.
Great story, good film. The production value is excellent and the acting and portrayals are superb. This was a fascinating time in history. I find the comments to be very interesting and diverse as well. Thank you for uploading this. The subtitles are sufficient to follow the story so it's not an issue at all. Cheers to all.
生まれも育ちも東京の祖父が言ってた。「戦前についての大きなウソが2つある。1つは日本は貧しかったという誤解で、都市部に関してはそれなりに繁栄していた。もう1つは国民は政府や軍の被害者だという誤解で、実際は国民のほうがよっぽど好戦的だった」とのこと。祖父は仕事柄、各国の鉄鋼の生産量など経済統計に詳しく、アメリカにはどう考えても勝てないとわかってたらしい。でも公の場で戦争に反対したら周りからボコボコにされてしまったらしい。真珠湾のときも周囲は「ざまあみやがれアメリカ」「太平洋艦隊が壊滅したんだから、これでアメリカも折れるだろう」みたいな雰囲気だったらしい。ただ、農村部についてはやはり現実は厳しく、旅行でそれらの地域を訪れたら、まるで別の国に来たかのような錯覚を起こしたらしい。
それどころか、日本は無謀な大東亜戦争を米英に仕掛けたのではなく、世界一強かった日本をアングロサクソンとソ連の共産主義が結び付き、ルーズベルト政権下で日本に戦争を仕掛けたのです。
マスゴミもイケイケドンドンなんだよね。
だから怖いんですわ
マスコミが煽ったんでしょうね。煽れば売上上がるし。インターネットが皆使えるようになるまではマスコミが真実だった。
都市部と地方で温度差あったと思いよ。うちの祖父母は、地方出身で農家だったから、召集されるまでそこまで好戦的じゃなかった。ただ、1944年辺りから、普通にラジオで流れる情報が少し異質に感じたらしい。田舎だから、疎開児童も増えたし、服などを野菜と交換しにくる人があからさまに増えたから、勝ってるって思ってる人も少しずつ信じなくなってた。45年の5月ごろから本土決戦やるって勝ってないやろって空気になった
さらに昭和初期の豊かさを見たかったら「隣の八重ちゃん」(1934年)、貧しさを見たかったら「綴方教室」(1938年)、悲惨さを見たかったら「何が彼女をそうさせたか」(1930年)がおすすめです。
1930年代のトレンディドラマ。
車のデザインもファッションも、今と違って
本当の意味でオシャレで粋。
時代柄、肩パッドの入ったミリタリー風味のファッション。
建築も現代の大量生産のパーツで作られた安普請の物ではなく、
家屋も社屋も丁寧に作られている。
女優も今より100倍は綺麗。
今はさして美人でなくても美人美人って持ち上げる。
今の方が便利かも知れないけど、この時代は何もかもが贅沢だよね。
例えば、テーブルや椅子一つとっても。
大正生まれの父親が戦時中になる前にお洒落な戦前があったといっていましたが
この映画をみて納得しました
戦後の栄華より華やかカモ。常任理事国でしたからね。デモ戦争を起こしてしまった。学んでいない。
空襲前の大東京を知ることが出来まして貴重な映画でした。ビル内の建具など想像以上に洗練されていて見所十分。ありがとうございました。
この時代に女性の自立をテーマとした作品があることに感心してしまった。当時の反応はどのようなものだったのだろう。
原節子さんの若い頃に興味があって観始めたのだけれど、江波和子さんの現代風な美人ぶりに度肝を抜かれた。わずか27歳で亡くなったのが惜しまれる。
原節子さんは、1935年にドイツの国策映画のヒロインに抜擢され、ドイツやアメリカにも行っていますよね。
その際に見た女優がきちんと人間として尊重されている姿に感動し、帰国して訴えたのに聞き入れられなかったとのこと。
この映画は、もしかしたら自立した女性を演じたいという原節子さんの意向もあって製作されたのかもしれません。
でも結局、同時代の人が求める女性像とは合わず、お嫁に行く女性を演じ続けざるを得なかったのかも?
-
原さんの女優デビューのきっかけとなった監督業の義兄は、天さんのドイツ・アメリカ行きにも同行している。
ですから、帰国後の原さんが自立した女性を演じたいと思った際にもサポートがあったのかもしれません。
ちなみにその義兄の夫人、つまり原さんのお姉さまの出身校であるフェリスは、1870年に、日本に社会の指導者たりうる女性を育てるための女子高等教育機関として設立されている。
その69年後の1939年に原さんが演じたこの映画が、時代の先取りとして感じられるのは皮肉です。
江波和子さんは2018年にお亡くなりになられたのでは?
@@佐賀車火無宇
2018年に亡くなったのは江波和子さんの娘さんの江波杏子さんです。
この後に戦争に突き進むなんて映像から1mmも想像できないのが怖い
@tfroyal8143支那事変だぞ。実際はそこまで戦争に関しての教育はされてなかった模様。ソースはワイ。
@@youtubeunei89いくちゅでちゅか?
@@もっち-i7c ばぶ
日本から突き進んだというより米国がけしかけた中国に挑発されまくって引きずりこまれた。米国民主党政権は大恐慌対策が上手くいってなかったから、国民の目くらましに日本が悪用された。
もう戦争は始まっていたがな
この映画みて、ただただ一言……美しい言葉使い……見習いたいなぁ。今日から初めてみよう!
皆大人の女性で綺麗だなぁ。これぞ女優って感じ。
今は何か全体的に幼いね。
原節子が雨の夜の銀座を歩くシーンで様々なネオンが華やかに映ってますが、支那事変長期化の影響で昭和14年9月を以て日本国内のネオンサインは全て点灯禁止となり、10月31日に映画が公開された頃にはすでに過去の光景になっていたそうです…
原節子の魅力は永遠ですね😢
品の良さと大人な女性の雰囲気、そして聡明さ。
こんな女優さんは今の時代にはいません。
もう少し長く活躍して欲しかった。
素晴らしい作品をありがとうございました。当時の東京風景とともに、原節子さんの真価をうかがい知ることができました。大戦に突入する直前の日本人はどのような思いでこの映画をご覧になっておられたのでしょう。 この平和が長く続いてくれていたらと願わずにはいられませんでした。
昭和30年代の映像作品って言われても気が付かなさそう。思った以上にクオリティが高いですね。
お薦めに出てきたので視聴しましたが、脚本がよく出来ていてそれぞれの登場人物の心の移り変わりをよく表現していて純粋に映画に引き込まれ一気に見てしまいました。
原節子19歳か。ものすごい大人びている
As someone who has never been to Japan, I have to say, Tokyo during the 30s looks amazing. It's like another world.
東京ってこんな時代に気品があっておしゃれだったんだ…信じられない…戦後前なのに
1930年代は経済的には繁栄期です。この映画によく出てくる銀座も1920年代後半と1930年代後半では結構違います。前者は大正の雰囲気が残ってましたが、経済が拡大するにつれ三越、和光ビル、教文館などモダンなビルが次々と建設されました。
昭和後期、末期も活気があって明るい時代だったのは間違いないが、戦前もそれに勝るくらいに明るくて魅力的な時代だったんだよね。
実際、正和初期の時代はあまり人気がないため、関心を集めている。
戦争始まるあたりまではファッション雑誌みたいのも普通に出てたらしい。戦争中の数年で今の戦時中みたいな雰囲気になってしまった。現代の日本の平和な雰囲気も戦争が始まれば短期間で変わってしまうのかもしれない。
素晴らしい。
歴史ある映像をありがとうございます。戦前とは、もっと世の中が貧しく人々の考え方や生活も古いものを想像していましたが、様々な人間模様も今と変わらない感性だったとわかりました。
この時代、大好きです!!
おしゃれで品が良くて、戦前のこの雰囲気、とてもステキですね(*^^*)
この頃の原節子は見た目は大人っぽいが声がまだ幼くて可愛いね。
着てる洋服がオシャレ。今の人よりオシャレかも。
とはいえ、男に関しては、スーツ、ネクタイ姿で、アイテムの取り合わせ自体は 80年基本変わってないのは驚異的(三揃え率が違うか、ということはあるが)。この時代から 80年遡ると徳川時代だから完全に違っていたわけで
冒頭のショールームの乗用車は1938年型ビュイック。当時の梁瀬自動車はビウイクと表した。新車価格は9000円。最後に原節子が乗るのは1936年型横浜製フォード。4000円。
1939年でも勤め人の風景は今と同様なんだなあって思いました
それとこの映画からほんの5,6年後には東京は焼け野原になってしまうのだから
何というか感慨深いです・・・・・
やはり戦争は二度としてはいけないですね。
戦争で破壊される前の東京・・・
想像以上に発展していた
戦前の日本っていうのは、想像するよりはるかに豊かだったんだね。もちろん、映画として作られている部分もあるんだろうけど。
国際都市でしたからね。
建物、街並み、ファッションは当時そのままですよ。満州の街並みは東京より更に近代的。米国民主党政権から強く嫉妬を買うほどに。
原節子は本当に絵になるな~!
特に後半の男たちと奮闘するサラリーマン姿の彼女がとても美しい
これ何年も前にスカパーでやったのを録画できなくてずっと見たかったんです。ありがとう。
俳優さん達、美人とハンサムでびっくり。
何かびっくりしたの、いつの時代にも美しい人がいるじゃない?
白黒だから綺麗に見えるんでしょ
街の雰囲気は現代と似てますが、江戸末期を鮮明に覚えてる人達がまだそれなりに生き残ってる時代ですね。1939年だから最後の大名、林忠崇もまだ生きています。
江波和子すっげー美人!
もうこの時代の最上位サラリーマンの暮らしぶりは現代人とあまり変わらないですね
活動歴が1年しかない「幻の女優」さんですね。
それが数年後には動員服、もんぺ袴になり、学徒動員、特攻、集団自決
今の日本にも戦争の影は近寄って来ていますよ
戦前の映画とは思えない。
素晴らしい。
素晴らしい映画!節子さんの演技力が世界の大スターの女優のだれにも負けない一流です!
この時代ってもっと古風な感じだと思っていたら女性もキラキラしていてオシャレで勇気があって、とても素敵な日本だなぁと嬉しくなりました。
日本の国力の最盛期はこの翌年の昭和15年(1940)、紀元2600年の年で、東京オリンピックが行われる事になっていました。
ラスト近くの車を走らせるシーンのBGMがもろ「夜のプラットホーム」。
妹役の江波和子さんは江波杏子さんの母上。
ああ、そうか。どうもありがとう。
このような丁寧な言葉遣いの女性は今いない
男性も同じく。このくらい丁寧な言葉遣いは実際は上流層が多く、庶民の大半は結構意外に現在よりもくだけた言葉遣いだったようですね
その当時の1200円と云えばかなりの大金…東京都内(当時は東京市内)で30坪の土地付の家なら約1000円で購入出来た時代だ…昔の住宅は現在よりは簡素である事を鑑みると1200円は現在の600万円位に相当するであろう…(現在は1億円位するから土地+建物の値段は9000万円以上上がった事になる…😅)昔の日本は貧しかったのではなく貧富の格差がすごかった…例えば農家でも地主と小作人では全く違った…
義務教育卒業後、自分で戦前の文化を知るにつれ、
戦前=暗い、貧しい、というイメージとの実際のギャップに驚きました。
わたしの祖母も東京大空襲で焼け出されました。
戦火で破壊されなきゃどんだけの建物や文献が残ってたんでしょうね。
GHQの洗脳を脱出できたんですね。素晴らしい!!
검열이 일상화된 파시즘국가의 모든 매체는 체제 선전의 수단일 뿐입니다. 당신의 조상의 실제 삶은 당신의 할아버지 할머니에 물어보세요
そもそも自前で軍艦やら戦闘機やら造れる国が真にドン底暗黒であろうはずもなく
確かに都市部と農村とでは今日の中共よろしく大変な格差はあったろうが、それは当時の列強でもそれほど変わらない
きれいな日本語。きれいな言葉遣い。
ほっとする。
撮影時十九歳の原節子。既にして未来の大女優としての片鱗が光っている。
家の為、妹の為、自らの幸福を捨てた。しかし、本当の気持ちはどうだったのか。
結婚式を終えた二人を、満面の笑顔で見送った節子の表情の上に、のメロディーが切なくオーバーラップして流れる…。
この歌は、戦地に赴く夫を見送る新妻の心情を歌った歌とされる。この別れがになるかも知れない切迫した状況。(歌の中では)
゛さよなら、さよなら、何時又逢える…。”自分が心から愛した男。一人前の営業ウーマンになる為に、親身に及ばぬ愛を注いでくれた男。その男を妹に譲ってで二人を見送る私…。
主人公のを思えば、愛する男とのを前にして笑顔で車のハンドルを握る事等考えられない。せめて橋の上から列車上の二人を見送った後、ハンドルを握る節子の頬に大粒の涙が光って欲しかった!
三文オペラやメロドラマにしなかった,制作者の迷いもあるかと・・強い女を演じさせているのでは?車中の笑顔に変わったのが今判りました。あり得ない女性の生き様こそ創造の醍醐味だったのです,ね。
原節子さんはハリウッド女優のよう。江波和子さんは顔が小さくて脚が長くて、令和のアイドルグループにいても違和感なさそう
江波和子さんは江波杏子さんのお母さまです。
ゼネラルモーターズのネオンは京橋方面から銀座に入る場所にあった。他の映画で確認できるが、当時の銀座はネオンの光で溢れ返っていた。戦前、ドイツで活躍した女優、田中路子は「パリやベルリンでも銀座の夜景には勝てませんわ」と豪語していた。戦前の都市部の豊かさは過小評価されている。
パリやベルリンが抑制的でアメリカ的な派手派手しさが無かったと言うことですよ
Thank you for posting this very interesting film with English subtitles. Also, I particularly enjoyed reading some of the more historical comments of the era. I am a 65 yr old American and first came to Japan in 1977 in the North and still visit two or three times a year now. Peace and good health to everyone.
当時としてはかなりぶっ飛んだストーリー
戦前の映画にも拘らず、女性の自立をしっかり描いていて感動した。原節子のイメージが変わった。もしかしたらご本人に近いのではないかと感じた。
この映画は丹羽文雄の原作であり、彼は原節子の大ファンゆえに、彼女のためにつくった
小説であるのは有名な話です。それを映画化しています。女性が主体的に生きていくのは、戦前では困難であったと思いますが、それでも清々しい映画ですね。すでに、日中戦争が始まっているが、戦争という足音が感じられない。1960年に山本富士子でリメイク
していますが、少し年を取りすぎた感じがあります。珍しくフェミニズムの映画といってもよく、現代にも通じるように思います。当時は、先端をいっていたでしょうね。
こういうさっぱりというか、自己主張の激しい役柄は似合いますね。
バックに英会話スクールの文字が見えた。この頃にもあったんですねえ。
この時代の話し方が好き。古き良き日本の品格。鎌倉に住むお婆ちゃんたちはこんな話し方する人多い。
くだらない。過去を美化しすぎ
@@sunshinebgt2117このような東京に住む上流階級は本当に素晴らしい世界だったぞ。戦争の事何て関係ないからな。
品格のある日本人はいたが、当時はゴリゴリの格差社会で、みんながこうなれた訳じゃないんよね……
ガラの悪い貧困層もいた筈
イギリスなんかは階級社会で、現代でもエリート層と労働者階級で言葉が違いますよね
今のお前がクズなだけ。@@sunshinebgt2117
初めて全部通してみれました! ありがとうございます!
思ったより随分生々しくて、大変見ごたえがありました😮
昔の女性は背筋が凛として素晴らしいですね
原節子ってほんと美人やな
当時の日本人女性としては顔もスタイルも異次元だったと思う
引き際もカッコよい。
的外れなコメントイラネ
@@sunshinebgt2117 きっしょ
@@sunshinebgt2117俺にもその仕事を紹介してくれ金が欲しい
CNYは困るけど
Thanks for this. I love Setsuko Hara and haven't seen this one.
戦前で都市部で、それもこういうサラリーマンみたいな仕事していた人は少数
大半は都市部でもブルーカラーだったり地方農村に至っては江戸時代とさして変わらない生活を送ってたりする
高度成長期まで、農村山村は室町時代からさほど変わってないという見方ありますな
デマ書くなよ、バカ左翼
日華事変が起きて2年後で日本は戦争の泥沼にハマっているころに作られた映画なのに未だのんびりしたムードだったのですね。当時の東京の様子や人々の姿が映し出されていて興味深いシ-ンが沢山あります。女優さんたちの服装も「モダン」で見ていて楽しいです。車の運転は不注意で乱暴で危なっかしいですね。女性のセリフは思った以上に自由で放埓で何かホッとします。男のセールスマンもチャラ男っぽくて本当にこんなヤツ当時いたのかなと思ってしまいます。ちなみに当時の兵隊さんは皆丸刈りでしたよ。
日中戦泥沼説は左翼のデマ。緒戦以外は戦闘らしい戦闘無し
原節子さん、日本人離れの美人ですね。小津監督によって演戯もさらに輝いて見えます。小津監督との映画は素晴らしい。名画を楽しませて貰いました。
おすすめに出てきてびっくりした。聞き取れないって言う人いるけど音大きくすれば聞き取れるよ。今と話し方変わらないね、祖父母世代の話し方に似てる。
現在と、あまり変わらないね。それがいきなり戦争になるんだから、現在も’その点’、注意しなきゃな。
全く同じことを思いました。
立派なビルが立ち並び、クルマも電話も一応あって、ともすれば今とさほど遜色ない社会が、数年で戦火に見舞われて行くのだから、そんなに昔のことではないのではないかと思いました。
すでにミサイル打たれまくってるし、平和ではない
あの頃にはない憲法9条という無敵の盾があるから大丈夫ンゴ
@@名姓-p9m
日本にミサイルが着弾したことなど無い
そもそも北の発射は開発のための実験
ラストのシーン、服装も笑顔もとても素敵です。
それにしても男の嫉妬は見苦しい限りですなあ。
風と共に去りぬと同じ制作年、
おしゃれな映画ですね
原節子の役が現実と乖離してるという指摘があるが、セールスレディみたいのはあくまで少数派だったが存在はしてた。曽祖母は資生堂に勤めてたが、戦前の時点で化粧品のセールスレディをやってた。客が商品を持ってきて会計する、ではなくて、商品の性能とかをアピールする営業のような仕事。売上促進に貢献したので会社から表彰されている。色々と誤解が多い戦前の東京。
@@user-NoP11201 こんな美人になれるかもとお客さんは夢を見れたんでしょうか😊
今と違って誰も整形手術なし。
この会社の廊下の雰囲気は大阪府庁の廊下に似ている。松田優作の遺作「ブラック・レイン」で使われた建物だけど、耐震補強こそされているものの、戦前の建物独特の重厚感がたまらない。
この時代の日本語はすごい綺麗。
今のように 映像と音声を一度に 録画する 撮影方法でなければ 撮影した後の映像に セリフを付け加えている
マイクも 今より性能が悪く お腹から腹式呼吸で発生しないとマイクで マイクで声を拾ってくれない 戦前のラジオ放送が 選手宣誓のような喋り方はそのため 今のアナウンサーが 昔のマイクで喋ったら 何を言っているか マイが声を拾ってくれない ただ もこもこ 言ってるだけになってしまう
あの溌剌とした喋りはそうした理由からでしたか。たいへん勉強になりました。
当時の技術ではこれが限界だったと思うと
医学もそうですが凄まじく進歩したんですね。
映像の江波和子さんも肺結核で亡くなられましたが
今では完治して長生きできたかと思うと運命を感じてしまいます・・
1:19:08は有楽町だね。右側に少し映ってるのが日劇、左側のビルは公開前年に完成した東日天文館で屋上にプラネタリウムがあるのがわかる。
Women in Tokyo came out the same year as Gone With The Wind, Max Fleischer’s animated adaptation Gulliver’s Travels, The Wizard of Oz, Mr. Smith Goes to Washington, and when Andy Panda made his debut in “Life Begins for Andy Panda”, a cartoon by Walter Lantz.
現代と同じような景色の中から突然人身売買の話が飛び出すあたりに戦前のエグさを感じる
人身売買というか身請けですね。当時は日本だけの話ではないですよ。今での似たようなことは世界中であります。
昭和30-40年くらいとあまり変わらない感じがする
ビルとかの景色も女性の格好も
凄い
素晴らしい
ありがとうございます
😍オシャレ❗️ “the sting”や“borsalino”が大好きなんです❤️1930年代の日本映画が素晴らしい事実を知ることができました。感謝します。
髪型だけ見ると実写版サザエさん、というか、この時代の流行の髪型だったのね。
当時の生活のドキュメンタリーかと思ってみてたら完全フィクションの映画だったww
戦前の東京だよね。すごいなあ。
明治、大正生まれの人ってこういう話し方するんだー。ずいぶんハッキリした物言いだね。今の日本人とは全然違うね。
華やかな時代だなこの後モンペ一色になるなんて想像出来ない
昭和14年頃は日支事変が米国による傀儡軍を相手にし始めて長引くことを覚悟してきた頃だな。それでも日本人はずっと華やかだよ。ただ東京大空襲があって本土決戦が囁かれるようになってからは米国人が女をレイプして絞殺される、また人身売買される恐怖から2年間位はモンペ姿に変えたんだよ。
Great story, good film. The production value is excellent and the acting and portrayals are superb. This was a fascinating time in history. I find the comments to be very interesting and diverse as well. Thank you for uploading this. The subtitles are sufficient to follow the story so it's not an issue at all. Cheers to all.
当然かもしれないけれど、エレベーターがない。屋上とか階段で行くの、当時の女性もヒールだろうし、大変だったでしょう。
この時代ならばエレベータもエスカレータも既にあったのですが本当に一部の建物にしかなかったでしょうからね。
屋上の眺望から察するに3,4階しかない低層ビルではなさそうなので、さすがに当時でもエレベータがないということはないように思います。もしかしたら、ショールームのフロアの映像はセットか、別の建物を使っているのではないでしょうか。
9:50 85年前からすでにこんな現代っぽい会話してんだね😮
江戸時代の後半からは現代とそんなに変わらないみたいですよ。「マジで?」という言葉は江戸時代からありますし。
これが火垂るの墓の世界の6年前か 節子はまだ生まれてないんやな
出演は原節子だけれどね!
感謝您們的分享、好珍貴的電影(黑白)。
原節子さん…本当に美しく綺麗な人ですね…😆 こんな女神のような素敵な人にパワハラするなど役でも許せない…(笑)しかしこの当時は女性が自立する事は極めて難しかった…結局大きな代償をはらう事になった…😢
最高に 楽しめました‼️ありがとうございます♪ 戦前の 豊かな 日本 自動車関連の映画も 大好きです。 素晴らしい映画を 観せていただきでした。 まさかの 別れのプラットホーム♪も 原 節子 大好き💕
Looks more modern than today’s Japan
この映画はとても興味深く拝見しました。カラーで無くとも発見する事が多々有りました。
thank you
第一生命ビルをバックに
歩く若き日の原節子さん
今は亡き私の親父も一度
電車内でお見かけしたと
嬉しそうに話してました😂
如果有中文字幕就更好了,不懂日文的觀衆可以一同欣賞這部很不錯的電影!以1939年來講算是很前衛題材的戲,人物選角也很漂亮。
If you would like English subtitles, click the gear icon in the upper right corner and an automatic translation will appear.👆🏼
有啊,我這裡都有中文字幕選擇
한족인가?...
開戦前の東京。
日中戦争は開戦してましたね
開戦から2年、おそらく泥沼化してた頃だと思います
追記:他の方のコメだと制作は1937年らしいですね
すると開戦当時なので、まだまだイケイケの頃かもしれません
いい作品でしたね。戦前でも、ストーリー上、話す言葉は今の時代とほとんどそん色なく、「セールスマン」「ロッカー」、電光広告にもあった「英会話スクール」という横文字も当時から使われてたんですね。
国会図書館を探したら「井上英会話スクール出版部」と出てきました。今でいうNOVAみたいなもんですかね。東京は想像以上にモダンだったのかも。
「セールスマン」は差別用語ですね
@@sunshinebgt2117
どこが差別だ?職業の名称だろ。PCリベラル反日は大嫌い
これ、夜のプラットホームがながれてるんですよね!淡谷のり子さんが吹き込みまで済んでいたのに内務省の検閲で駄目になったらしいけど、伴奏だけは使われたんですね
こうやってコメント見たり資料見たりすると何が本当か分からないんだね、この時代って。
教科書も書籍も新聞もデマが溢れる時代だからね。当時のものが一番の証拠
原節子さんは山口淑子さんと同じ位の名女優でしたね。
亡くなる迄、謎に満ちた存在でしたよね。
こうやって在りし日の原節子さんが見れるのは素晴らしいですね。
84年前のこの時代にタイムマシーンで戻れたら普通に今の日本語で会話できるのが不思議な感じです。
原節子の美貌!凄いですね。
20歳前後ですね。目の覚めるような美人ですね
江戸時代から80年しか経過してないのに男性女性もスーツの着こなし方?いわゆるトラッドファッションが板に付いてるのがよく分かる。
一部の日本人はすでにイギリスやアメリカに負けないレベルでトラッドファッションを着こなしてて衝撃的。。
大正時代にはすでに相当オシャレでアバンギャルドなファッションも流行ったようだけど、開国していきなりアジアで唯一の先進国となれたのは、センスの良さと言うか、、カルチャーが相当発達していた事もある気がする。
明治41年生まれの父は帽子がなければ外を歩けないといっていましたし、父も叔父もみんなこんな格好をしてる写真がたくさんあります。既製品の服などない時代で服もコートも靴も仕立てる時代で大事にしました。なお戦後父の靴を磨くのは子ども(私の)仕事でした。
あの~
映画ですよこれ?
@@tksjp6676 映画だからと言うのはあまり関係ないと思います。
業界人がオシャレなのは今も同じです。
ファッション=カルチャーだと思いますので、一部の人でも着こなし方がとても板について、トラッドファッションをよく理解していると言う事はその国の文化レベルは高い
のだと思います。
当時はオーダー主流だと思いますので、当たり前ですが、プリーツ入りの程よいサイズ感のスラックス 、運動幅の取れたYシャツにセンスの良いネクタイなど、今見てもオシャレに感じます。
業界人だからスタイリストがついているかもしれませんが、だとしてもそのようなスタイリストを輩出する事が戦前の日本ではすでに当たり前のように出来てる事は驚きだと思います。
とにかく戦前の人達はおしゃれでしたね!
ファッション以外にも所作に粋が見られる。
というか、昔の人達をバカにしている現代人の方が古い人間だな!
大好きな作品です。アップロードに感謝せます。終盤の「別れのプラットホーム」の曲が流れ運転し列車を追いながらも吹っ切れる笑顔。本当に素晴らしいです。
24:30 この本の読み方美しい〜!
この時代にも、水代のようないわゆる「ぶりっ子」って存在したんだなーっと妙に感動をおぼえている。
というか、江並和子さんってオードリー・ヘプバーンにそっくりですね!😳
話の内容は…なんか大黒摩季の「夏が来る」を思い出しました。😅
ヘップバーンのほうが後だから。ヘップバーンが江波和子に似てたのですよ。
I am surprised how cosmopolitan Japan was in the 1930s
they had already invaded China in 1936. cosmopolitan but still barbarian.
@@johnnynephrite6147Nanjing massacure was a great entertaiment for us🤣🤣🤣
@@sunshinebgt2117 а Хиросимский массаж?
They were! They loved to travel occupying territories all over Asia, exploiting, trafficking, enslaving, torturing, and massacring the locals. 🤦🏻♀️
@@sunshinebgt2117KHAN의 후예인 저에게도 !