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父方の祖父母がこの島で医者と看護婦をしていました。二人ともだいぶ前に亡くなってしまいましたが、私が中学生の時に祖父が亡くなって、分骨をするためにこの島を家族で訪れました。その時、ハンセン病の患者さんたちが祖父の死を悲しんで声を出して泣いてくれていたのを覚えています。この納骨堂には分骨した祖父の骨も眠っています。私の父は幼少期をこの島で過ごしているので、この動画を一緒に観てこの島について話を聞いてみようと思います。この島を取り上げていただきよいきっかけができました。ありがとうございます。
23年前まで同園の職員をしておりました。見学に来園される方々を連れて園内の至るところに存在する建物や記念碑、廃墟の跡地などを説明して回っていたことが懐かしく思い出されます。当時から同園入居者の高齢化による将来構想が問題になっておりましたが、今後どうなっていくのだろうか。。忘れてはならない歴史の足跡を後世に伝え、語り継がれることを切に願ってやみません。
🎉🎉🎉😂
まわわ
悲しすぎます🙏🙏😭😭😭
たちたたててたちゃんがたてたたたてたたたたたてたてててたててたててちてたたたてててたてたたてちてたててたててたてちたたてかてたてててたてたてた😢ツテタ絶ててちてててちてててたつてててたてたてた 40:てたつてち蔦たてさちててたつたて 40:08 ちてかち😢つてたてたててててち😢 40:08 08 たてたちてさてたたたたててた😢つたてつてたてたたてたてて 40:08 てたたちたて 40:08 40:0つたちたちてちてちつたててたたてたつちててさてててててててたてつたたてさたちててたなてさかててててけたちててててたかたててちて😢つてててたたてたちてちてたつたかてててててたたてたすたてなたてちてててたてた😢ち 40:08 40:08 40:0つてたてたてとててたちさてたたちてたてちてたちてたかさたてててててちたてたててた😢てた絶ててちてててさて鉄てたててたてたてたてたてたててたてたてててちたててつてつてててたてち 40:08 てちてたててたててた 40:08 てて 40:08 40:08 40:08 8 40:08 40:08 ててたつたててたつたたててつてかててたてててたてたかててた 40:08 てたさてつてたかてたててたてたたてちてたつてかてちたててた 40:08 4てたてた 40:08 ててたてたてさつててててててちつてたたてたちちつて 40:08 たててた知多てたてたたてちたててたてたつさたつ 40:08 知多て他ちつてつてたたた😢ちかたてて😅つかあたたさちかた😢てさてちたたけたつちててちてちかつてたて 40:08 てさちててたてちて4つて 40:08 40:0たさつッたててた😅😢たて地鉄筒千佐多々筒手々たちてたかて知多ててたつたさたてって 40:08 娧たてちた😢 40:08 つさちてて 40:08 たちてちてかさたてたてかたてててち 40:08 てたててちてたつててたてちてちた😢てかつててたたたてちちてさかたてたさ😢つててたかサテ😢たたさたてたてててつつてたちたちてさちててちたさてたててててててたてすさちたたてさつた😅哲テトラ武津さたてちたたてちててつツタ地鉄と 40:08 て😅てしてち 40:08 てさたてちた🎉つち🎉娧ちつてた鯖江市た😢てつてた堅田サテ絶てててたテトラてたてた😢てつつてた😢テトラとさてて 40:08 娧たてち😢ててち😅😅 40:08 40:08 40:08 40:08 40:08 40:0かかたてち 40:08 さちつ😢8 😅 40:08 😢 40:08 😢8 😅 40:08 てたつてたてたさたてたさ😮てさつてちてててたたてたつたちさ 40:08 40:08 8 40:08 40:0🎉なたたたてちてたてた 40:08 8 @@宮本晴香-q2w
聞きやすい声、字幕もあるから助かります。映像もコロコロ変わらないから目も疲れない。
ほんと♪勉強になるのに見やすいしこんな長さの動画すぐ飽きちゃうんだけどこれは見ることができます🥰
滑舌も良いです。
小学生の頃に見学に行かせて頂き、貴重なお話をたくさん聞かせて頂きました。その際に辛かったと言われている方ももちろんたくさんおられましたが、自分の病気のせいで家族が差別されることもあったのでここに連れて来てもらえて国に感謝していると仰られていた方もいらっしゃいました。もう何十年も前になりますが、今も忘れられない思い出です。
本人がそう話せば、客観的に見ても幸せなのですか?匿名のコメント欄で同園の所有者でも無いあなた様がなぜわざわざこちらの動画の趣旨を否定するようなコメントを残されるのかわかりませんが、少なくともDVなら本人が幸せだと言っているは通りません。
コメ主さんのコメントの何処に『幸せだ』なんて書かれているのかな?ただ、実際に体験した出来事を書かれているだけなのに。それに勝手な憶測を付け加えて批判しちゃう人が居るのが怖いな。
看護学生の時に授業の一環で訪れました。悲しい歴史に反して、島からの景色が美しかったことが印象に残っています。座学の後、居住者のお宅に直接お話を聞く為にお邪魔し、棒アイスをもらって食べました。優しい雰囲気の穏やかで普通のおじいさんでした。貴重な体験だったなと今更ながらに感じます。
私は高校生の頃に行きました。とても明るい方で、私もアイスをご馳走になりました。
ハンセン病に関しては書籍を読んだことがありましたが、このような映像と分かりやすい解説のおかげで一層、理解が深まりました。感謝致します。
恥ずかしながら、ハンセン病を、ここまで深く考えた事はありませんでした。説明も本当に丁寧で分かりやすいです。ありがとうございます。
失敗を美化したりごまかしたりせず、失敗としてそのまま伝えるのは大事ですね
私の叔父はハンセン病でした。物心ついた頃から言われていた事。絶対に秘密。誰にも話してはダメ。年2回父に連れられ面会に行っていました。叔父は自分は人間に在らずだ!と言っていた事を思い出します。深くは語らずとも重みのある言葉です。最後の願いは、小さい頃に離れた故郷のお墓に入る事。しっかり父が叶えてあげました。人間とは愚かで無知で残酷な生き物です。そして過ちを繰り返す。
最近ですと、エイズがその過ちの繰り返しでしたね。不思議に思いませんか、戦後、抗生物質が開発されるまで不治の病だった梅毒はずっと野放しで、ハンセン病は厳重隔離、おかしくないですか。性産業を潰す訳に行かなかったんでしょうね、政治家、国家にとっても巨大な利権ですから。ハンセン病は極めて政治色の強い、日本の医学会の最大の汚点です。
平成生まれの関東住みなんですが、小学校低学年の時に焼肉食べに行った時に後ろの卓からずっとズーズー子どもがストローで無くなった飲み物をずっと吸い続けてるみたいな音が聞こえて気になっていました。食べ終わるタイミングが同じで会計するときに初めてその音の正体がハンセン病の患者さんだと気がつきました。目が一つしかなく鼻もなく口も小さいビー玉くらいの穴くらいで耳もなかったのでその当時小学生だった私は正直のっぺらぼうだと思ってとても怖くトラウマになってしまいました。びっくりして動けなくなってお店のドア開けたままボーとしてたらドア開けてくれてありがとう優しいねって付き添いの方に言われました😢この動画を作ってくださってありがとうございます。知らないことを知れて勉強になりました。
小学生の時に見た映画「砂の器」で初めてハンセン病を知りました。主演は加藤剛さん、丹波哲郎さん森田健作さん。最高傑作の映画だと今でも思っています。なので小学生の頃からハンセン病に偏見はありませんでしたが、こんなに詳しく分かりやすい動画を見た事がなかった為、改めて勉強になりました。有難うございました。
人類は未知の病に対する恐怖はいつまでも変わってないと思いましたコロナも最初の頃はなっただけで周りからの非難が怖かったですよね知らないと恐怖を感じ遠ざける事で安心感を得ようとしてしまうんですよね日本人は特に恥の文化が根強いので本人も家族も忘れてしまいたいと思うのが悲しいですね今回も心打つ動画ありがとうございました
ハンセン病の団体客がホテル宿泊拒否された出来事が数十年前にありましたよね。テレビではハンセン病訴訟などハンセン病の事がとにかく報道されてた時期、差別なんてしたら凄い批判される事が分かってるだろうにそれでも宿泊拒否した事が凄く意外でした。それだけ想像もできない根深いものがあるんでしょうね。
地元なのでいつか行こうと思っていましたが、心の準備が出来ず行けていませんでした。分かりやすく動画にしてくださってありがとうございます。長島が舞台ではないと思いますが、映画「あん」もハンセン病を題材とされていてとても考えさせられる作品でした。現代も生きづらい世の中ですが、ここまであからさまな差別の少ない今に生きられて感謝しないといけないなと思いました。
すごくすごく小さい頃 高齢の親戚達がヒソヒソ「⚪︎い」と繰り返し話していて、母に聞いたら「こんな話しちゃダメよ」とか言いながら「気の毒な人」の話を聞きました。幼児の私でさえ大人たちが使っていた言葉は差別用語だとわかったし、大人達はヒソヒソ話に興じている様に見えました。明らかに差別していて彼らは大人達にとって「不浄な人達」でした。高校生くらいの時ハンセン病の方々の裁判事件が騒がれた時、あの大人達が話していた病気がハンセン病だと知りました。あの時噂話に興じていた大人は自分たちの行動などコロッと忘れてハンセン病の方々に同情し政府を責めていました。人間がいかに愚かな生物だと思い知った瞬間でした。
初めてコメントさせて頂きます。私は大学に入るときに北条民雄の「いのちの初夜」を読みました。当時はハンセン病と言う名前ではなく「癩病(らいびょう)」と呼ばれており、そういった方が書かれる作品を「癩文学」といいます。「いのちの初夜」とは、主人公が癩病に罹って、園に入る前に死んでしまおうとしても死に切れずに、泣く泣く入所したところから始まり、園の中で過ごす初めての夜のことを強烈に描いた作品になります。作中でハンセン病で身体が崩れてしまった方を「人間ではなく、いのちそのものである」と表現されていて、当時18歳だった私はこれに大変な衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。読んだ後、なかなか立ち直れずに、ずっと「癩病とは何か」「生きるとは何か」「命とは何か」を考えていました。あれから7年ほど経った今でも各地のハンセン病の施設に出向いて、たくさんのハンセン病を克服された方とお話しして考え続けています。「いのちの初夜」は青空文庫などで無料で読むことが出来ます。また青空文庫も無料でアプリを落とせますので、ぜひ色んな方に「癩文学」というもの、「ハンセン病」という存在がが、広がっていけばいいと心から願っています。荒井さんの動画はいつも大変勉強になり、欠かさず見ています。勉強が足りず、知識も乏しいそんな私ですら見終わったあとに要点をすらすら言えてしまう程に、ここまで分かりやすい説明をさせる方に初めて出会いました。それからずっと荒井さんの動画を追いかけています。そんな荒井さんに今回ハンセン病を取り上げて頂き、またこれ程に詳しく噛み砕いてご説明して頂きたことにより、まだまだ知らないことが沢山ある事に気づけた上に、より深く理解することが出来て、本当に勉強になりました。これからも陰ながら応援させて頂ければと思います。乱文な上に長々と自分語りをしてしまって申し訳ありませんでした。
ユウチューブのくだらない動画が蔓延してる中で、アナタ様の動画は、本当に社会性があって、人間性に溢れた、とてもいい動画です。メディアがもっと取り上げないといけない問題に、真っ向から斬り込まれていて、頭が下がる思いです。
ドント・テル・ミー荒井です。ありがとうございます。これからも頑張ります。宜しくお願い致します😊
ハンセン病について知ることができました。何も悪いことしてないのに、なりたくてなってるわけじゃないのに切な過ぎます😢
先日、東村山のハンセン病資料館に行ったけど、それに負けず劣らず分かりやすい内容ですね!
戦後産まれの高齢者です。恥ずかしながらここまで深くハンセン病の事を知らず生きてきました。こんな重いテ-マの動画を作るのは取材するだけで、とても心情的に辛くなる事と思います。ありがとうございます。最近気になり他の動画も観ていました。チャネル登録させていただきました。これからも勉強したいと思います。
本当にいつも現地まで行って、分かりやすくおはなししてくださったり編集してくださってありがとうございます!とても勉強になりますし、様々な事が知れてありがたいです。今度も動画拝見させていただきます🙏🙏
とても解り易い解説ですね。ハンセン病患者や家族の辛い気持ちが伝わりました。…と同時に、ハンセン病ではない人々が抱いた恐怖心も、否が応でも解ってしまう自分が居る。色んな気持ちが湧き、しっかり考えさせられました。コロナ禍での共通点もすごく多いですね。
コロナ患者に対しても、『東京には来るな!』とか、『Stayーhome!』 を合言葉に逆差別を行っていたことを忘れてはなりません。
なんて苛烈な差別と思う反面、コロナ禍の当初は未知の病の到来で殆んどパニック状態で地域に感染者がでると警戒感がいや増しました。人権意識を大切に少しでも知識を得て正しく対処する事を心掛けないと今後未知の病魔に又襲われると姿を変えて同じ様な人権侵害が罷り通りますよね😰
殺人鬼10人の人権、命を重んじて野放しにすれば、一年後に10人による犠牲者が1000人になる。よね。後に後悔しない選択というのが、正義の決断と一致しないっ事も忘れるなよ。
@@LoveLove-sm5exどちらかと言うと、東京や大阪でもらって来る人間が多かったけどねw差別される側が差別してたなんて知らなかったわw
毎回勉強になります。そして、子をもつ身として涙が出ます。どんな境遇の方も尊厳をもって生きられる世の中になることを切に願います。
子供の待遇についてはメンバーシップ限定動画でも詳しく話しています。よかったらみてみて欲しいです!
家族から引き離された幼い子供たちのことを思うと、胸が痛みます。
なぜこんな酷いことをしたんだ、というのは簡単だけど、今回の世界規模のコロナ騒動を見ていたら、人の心理的に、特に当時は今ほど感染症の知識が乏しかった事を思うと、誰にでもこういう心理状態に陥ってしまう可能性はあるんだと思う。こうならない為に、正確な知識、情報をいかに共有していくかという所が課題だと思います。
マスク信者の多さを見ると、日本人の精神は成長していないとよく分かります。
😢😢
コロナ騒動で、時代が変わってもこれは変わらないと痛感しました。冷たい言い方になってしまうけど、偏見はいけない事だと解っていても、未知の病気への恐怖は時代とは関係なく、大事な人を守る為には自分も犠牲になるわけにはいけないという意識を否定する事もできないです。
6年ほど前、東村山の全生園というハンセン病施設でハンセン病講座を受けました。荒井さんが仰る事とほぼ同じ内容の授業で、よく調べられてるなと。実際、患者さんの方とお話したり、握手させて頂きました。辛い思いをされたのに、とても明るく全国を周り精力的に公演をされてるそうです。もっと多くの人にハンセン病を知って欲しい。
僕は東京住んでた時に、全生園の売店に商品をおろしてました。もう27年前の話です。
@@サダヲ-i8g さん そうなんですね!今は売店併設のレストランが出来て患者さんや、外部の人の集いの場になっている様です。皆さん楽しそうに寛がれていました。
@@chami78 様、今はオープンになっているのですね。僕は、おばあちゃん子だったので売店に来られるおばあちゃんと会話するのが楽しかった思い出があります。
松本清張の「砂の器」のモチーフもハンセン病ですね
知らなかった事もいっぱいあった。ありがとうございます。若い方々にも知っていただいて、今後の日本のあり方に繋げていけたら良いですね。
映画などでも取り上げられていて差別問題は認識していましたが、病気の根拠まで深堀した内容はとても感銘を受けました。
身内の不幸などがあって、地元の漁師の船などに乗せてもらい、家に帰ったあと、やはりそこにいると迷惑がかかってしまうと、脱走したあとに自ら島に戻る人もいたそうです。そして監房に入れられる。本当に悲しいです
ドンテルさん本当にわかりやすくて面白い動画たくさんありがとうございます!最近見始めましたが応援してます🔥
見学できるんですね!こないだ、こういう島だとは知らずにドライブ中にふらっと行きましたが、妙な雰囲気だったのですぐに引き返しました。おかげで勉強できたので、かつての患者さん達を弔う為にあらためて行きたいと思います。こんな事があったと後世の人に語り伝えたいと思います。本当に有難うございます!
大人教養TVさんが取り上げて下さるテーマは、いつもほか😂では見られない素晴らしいものが多くて内容にいつも感動させられています。ロケ地での取材ご苦労様でした。
色んな国の時代劇みたいな昔を描いたドラマを観るとよく疫病、感染症などが出てくると、村ごと焼きはらったり、魔女狩りが始まったりで、昔から人間はよく分からない事が広がると怖がって本当に酷い事をしますよね・・コロナでも初めの方にかかった方は、田舎の人だと物凄く噂が広まり酷い扱い受けて自殺した人もいましたね・・道徳の授業で差別の問題とか学んでもなかなか無くならないので、大人になってからも、こういう動画で改めて学ぶのは良いですね😊
東京の多摩全生園にハンセン病資料館があって、いろいろ学べます。資料館には親子の遍路像があるのですが、四国八十八ヶ所の遍路をすると、お接待と言ってお米とか芋とか貰えるので、そういうのを頼りに生きながらえていた人も結構いたようです。日本各地で酷い差別を受けて、四国に逃げてきて、親子で遍路… 想像すると、涙が出そうになりますよ。
帝国海軍士官だったうちの親父が部下を連れてハンセン病隔離施設の島を慰問したら大歓迎されたという話を思い出しました。長島ではないかと思うのですが、若い頃は親父の戦時中の話に興味がなかったのでうろ覚えです。もっといろいろ聞いておけばよかったと後悔しています
静岡には軍人さん中心のらい病の施設が有った様です 文献で読んだ記憶が
正しく理解しないといけない闇の歴史ですよね。めちゃめちゃ勉強になる動画です。歴史の勉強で教材として使うべきです。ありがとうございます。
以前に東村山市の某施設に出入り業者としてよくお邪魔してました。皆さんお話しすると屈託なく明るい印象の方が多かったですね。なので余計に経験されたであろう境遇とのギャップが悲しく感じた記憶があります。
ハンセン病の歴史について初めて詳しく知ることができましたいつもためになる番組をありがとうございます
こちらこそいつもありがとうございます😭とっても嬉しいです、現地まで行って頑張って撮影してきた甲斐がありました!次の動画もお楽しみに✨
草津にある重監房資料館を訪れたことがあります。ハンセン病を巡る偏見や差別、人を人として扱わない暗く重いテーマを持った資料館でした。今回の動画を拝見し、繰り返してはならない悪い歴史と、私達はこのような悲しい過去を知る必要があると改めて感じました。
令和にハンセン病を取り上げるとはさすが大人の教養。新種の病はこれからも表れるかもなわけで、その時同じことを繰り返さないためにも知っておくべきことですね
とても分かりやすいです。学校の教材に使いたいくらいですね。ブラジル移民のお話しとか国鉄分割民営化の悲哀などぜひ作ってほしいです。
昔の結核の隔離もかなりエグかったのでやって欲しいです
但し結核は、今の癌以上に致死率の高い、怖い伝染病でしたね。
50年以上前に学生の救ライ活動のいっかんで訪問したことがあります。髙松の大島青松園も船でしか行かれませんでしたね。映画の[砂の器]をもう一度ご覧になると戦前のハンセン氏病の患者や家族の置かれた悲惨な境遇がリアルに描かれていて、加藤嘉さんの演ずる癩病に罹って故郷を追われ、お遍路旅を続ける姿や療養所での迫真の演技を忘れる事ができません。今一度若い方達に見て頂きたいと思います。
確かもののけ姫でエボシ様が匿っていた方たちですよね。地元にも患者さんたちが匿われていた施設が残っているので一応認識はしていましたが、隔離された島があったとは驚きです。興味深い動画をありがとうございます。
もののけ姫って実は、あのたたらばそのものが、ハンセン病隔離施設を参考にしてあるんだよね。男と女が別々で暮らして,,子供がいっさいでてこない。でも夫婦関係はある。ハンセン病隔離施設も、子供は作らせなかったし、夫婦も男女別々で暮らした。
現在、クレゾール石鹸は消毒でも農薬ではなく、ウジ殺しなどに他の薬と混合して使用されています。園内通貨は消毒する目的もありました。海外でも同様の制度がありましたが、園内通貨から菌が発見されなかったので日本に先がけて廃止されています。
僕は岡山市なんですが橋が架かってすぐに行きました。お爺さんとお話して大変なご苦労をされたようです。酷い話です。
ハンセン病の疑いで隔離されていた人のインタビュー観たことあります。そんな昔の事ではないから信じられないことを国はしていたんですよね。
初めてこのチャンネルの動画を観たけど、本当に詳しく説明されているし、キレイにまとめられていて素晴らしい動画だと思いました!よくあるまとめ系動画よりボリュームがあって良いですね!他の動画も興味をそそる内容なのでチャンネル登録しました!😊
チャンネル登録ありがとうございます!今後もクオリティの高い動画を頑張って制作しますので、ぜひご視聴ください!
4年前に職場研修で長島に行きました。職員の方に説明していただいた内容の中で1番印象的だったことは、暗い内容だけではなく、「楽しみもあった」ということだったように思います。消毒風呂や隔離のことを考えるともちろん私達には想像できないような辛さはあったと思いますが、この施設の中には学校などもあり、子供達の勉学もしっかり行われていて、お祭りなどの行事も勢力的に行われていたと知り驚きました。あってはいけないことは前提ですが、「可哀想」とだけ思うのは違うんだなと思いました。しかし、投稿者さんもおっしゃっていますが、裏を返せば「普通の生活ができたのに隔離した」ということなんですよね。。桟橋を見学したのですが、家族がそこで永遠の別れをする桟橋でした。周囲はとてもキレイな海で、なんだがとても切なかったです。こちらの施設の入居者さんたちの高齢化も課題になっていると聞きましたが、現在はこの島にある看護学校だったかと思うのですが、そこの学生さんと入居者さん達のふれ合いもあるようです。この歴史を語り継いでいくことはとても大切だと思いますが、職員の方も少なく大変だと言っていました。この動画があることで、現地に行けなくても歴史を知ることができるし、今後施設の運営が厳しくなったとしても貴重な資料として後世に残すことができると思いました。見学で聞いた内容をまた振り返りたいと思うこともあったのですが、この動画で改めて学ぶことができて良かったです。ありがとうございました。
「砂の器」の当時のバックグラウンドを知れてよかった。清張は明治41年だかの生まれなので、きっとお遍路さんの父子の姿を実見していたに違いない。それでああいう名作が生まれたんだと思う。また小説を再読したくなった。
群馬県にある重監房資料館もハンセン病の方を隔離している施設で日本のアウシュヴィッツと言われているというのを思い出しました。昔は天罰病等とも呼ばれていて隔離された患者さんの手記等が残されていてかなり衝撃的な内容が展示されている施設をこの動画を観て思い出しました。日本の負の歴史ですが今でもそこで暮らされている方がいるのでこの様な動画で少しでも認知度が広がれば良いと思いました。
コロナを経験した私たちには少しハンセン病にまつわる状況が理解できますね。とはいえこの時は医学などがまだ進んでいなかった時代…非人道的な扱いに言葉もありません…。難しい問題ですが、最低限、人としての敬意を忘れてはいけないし尊厳を奪うようなことはあってはならないですね。現地まで赴きわかり易く解説してくださってありがとうございます!
難しいバランスですよね…
ロケ動画大変見応えがありました!いつもタメになるお話しありがとうございます😊今後とも応援させていただきます🎉
なんか国とかのひとごとみたいに捉えてる人もいますが、病気の人や家族は国民からも苦痛を受けていたと思いますそして根拠のない噂で確かめもせず人を貶めるような人は現代でも沢山います知らないどこかの話ではなく、自分に置き換えて考えるのが大事だと思いました
いつも良く調べらてますね。とても勉強になります。ありがとうございます。
看護学校の授業でハンセン病を習ったのですが、文字だけのプリントからは全くわかりませんでした。けど、この動画で理解度がわかりました!ありがとうございます♫
清瀬と久米川の間にある施設、多摩全生園内の国立ハンセン病資料館にて資料展示が行なわれていますのでお近くの方は一度立ち寄られると良いかと思います。施設内も居住者の迷惑にならない程度に見学することは可能です勉強になる所が多い施設です。
二重構造の湯呑みは普通に健常者にとっても便利そうです。
「私が捨てた女」という小説からハンセン病は知ってはいましたが、こうして現実に隔離された場所などは全く知らず、このチャンネルで初めて目の当たりにしました。「無知こそ罪」を思い知らされます。当時の方達の思いを考えただけでも胸が締め付けられました。動画にして下さり、ありがとうございました。
17:56 逃げ辛くさせる為に結婚推奨って、やってることは北朝鮮が拉致被害者にしてることと同じやん。。見てて本当に辛くなったわ。
出張の帰り寄ったことあるけど静かな綺麗な島だったなあ 凄い過去があるとこだけど
同じ事を繰り返さない為にも悲しい歴史を知ることは勉強になります、ありがとうございました
ハンセン病の問題はとても大事な問題だと思います。島だけでなく、都内に多磨全生園というところもあり、資料館も併設されています。こちらで取り上げられれば多くの人に訪れていただ蹴るのではないかと思いぜひ取り上げていただければと思います。島という特異な場所だけではなく、こういったことが全国で行われていた過去があることを多くの人に知ってもらえればと思います。
私の地域にもハンセン病施設があり生活されている方がいます。ハンセン病ではなくても国は未だ同じようなことをしています。国民が一刻も早く気づくことを祈ります。
22年ほど前にフィールドワークで見学させてもらいました。事前勉強会ですでに衝撃を受けましたが、後日、実際に見学に伺った際は、まさに百聞は一見にしかずでした。入居者さまが普通に暮らしていらっしゃるところに出会うと皆様凄く温厚で笑顔が素敵なイメージでした。昔は本当に大変だったけど、もう乗り越えた、という前向きなお言葉にびっくりしました。すごく丁寧に見学案内をしてくださった方と、しばらくメールでやりとりをさせていただいた記憶があります。働かれている医師でさえ差別に合い結婚しなかったと聞いた記憶があるのですが、定かではありませんが、働かれている医師も戻れなかったこともあったのでしょうか。ハンセン病としては治ったあとも、日頃から内科などの医師は必要ですし、人生を捧げるくらい献身的に働かれているイメージがありました。笑顔も素敵でとても朗らかな方でした。
1970年代の後半に私は岡山市に住んでいました。まだ中高生でしたが、当時ハンセン病を“ライ病”と通っていたキリスト教会の牧師様より教えてもらいました。更にその病気は感染力はほとんど無く、普通に一緒に生活していても感染ることはないと言う事も教えていただきました。その教会では長島の光明園の療養所敷地内にある日本基督教団光明園家族教会と交流を持っていたこともあったので、一度慰問交流のプログラムにも参加したことがあります。当時はまだ橋も無く、対岸の虫明桟橋に車を停め、そこから小さな船で船頭さんが長島への滞在時間を決めて、帰りの時間には又船で迎えに来ると言うやり方で島に渡りました。驚いたのは、教会の人達が決して“患者”だといった雰囲気が全く無く、年寄りばかりでしたが、皆さん全て温かい人達ばかりでした。長島の教会の患者さんたちは総出で私たちを迎えに来てくださり、又帰りの時間になると総出で桟橋まで見送りに来て下さった事を覚えています。この経験は貴重な経験でした。聖書(マタイの福音書7章1-3節)の中にも皮膚の腐る病気に罹り(実際はハンセン病とは別の病気だと言われていますが)ユダヤ人のコミュニティから村八分にされた人がイエス様のところに来て癒しの奇跡を受けた話があります。イエス様は手を患部に触れて癒されていますが、この病気に対して恐れる必要はない事を、触っても感染しない事を教えておられると思います。ハワイでハンセン病患者の為に献身的に尽力を尽くし、自らもハンセン病に感染して帰天したベルギーの修道士神父、ダミアン(ヨセフ・デ・ヴーステル)神父の話しも有名です。彼はカトリック教会で聖人に列席されていますね。
瀬戸内は牛窓の前島もそうですね。そこは未だに渡し船なのが不思議でした。小泉総理が元患者らの国に対しての訴えを上告しないと決断した時は、英断だと思いました。
ハンセン氏病と聞くと「砂の器」を思い出します。松本清張の小説ですね。
人間尊厳の橋の話で思ったのは、尊厳を失ったのは、ハンセン病にかかった人たちを島に追いやった人たち。無自覚のまま人間の尊厳を失っていた。恐ろしいのは、誰でもそのようになり得ることだろうと思いました。
ハンセン病に切り込むとは、さすが荒井さん。明治以降の差別の起点ですね。昭和時代にもハンセン病には差別がありました。本当に勉強になります。ありがとうございます。
評価してくださるのが何より嬉しいです
本当に壮絶な扱いですね。何とも言えない気持ちになります。
事実:対岸の虫明には入所希望のハンセン病患者が野宿して入所待ちしていた。ハンセン病患者自ら『入所したい』と言っても『満杯』というのが実情だった。ww2では誰も徴兵されず平和に暮らした。避妊政策前は毎日乱痴気騒ぎで、女性患者が誰が父親か判らないままバンバン妊娠出産し、職員が養子で引き取って育てた。
岡山の人間ですが、40代の私は微妙に長島の話題を学校教育で習わない歳でした。親の仕事柄長島に出入りしていた業者さんと知り合いでお話を聞いてたくらい。数十年前と今とでは技術も知識も変わったとはいえ、人間の本質は変わらないですね。コロナと被る所が確かに多い。差別と排除の感覚はどうしたって人の出入りが少ない田舎の方が強いので、帰れなかった気持ちもわかります。
15年ほど前ですが仕事でお邪魔することがありました必要があって入所者のリストを預ったのですが、声掛けする際にはそのお名前では呼ばないでくださいと園の方に言われましたなぜなら、入所者の中には本名を隠して通名で暮らしている人も多いからと隔離当時の話ではなく、平成も半ばの話でした
コロナ初期もこれと似たような動きだったのがなんとも悲しいです。
人権を無視し過ぎて本当に胸糞が悪くなります。本来は直ぐに見直されるはずの法律が96年に廃止されるまでの90年間もの間続いてしまった、本当に忌まわしき歴史。
すぐに見直されるはずって国民全員が思ってたら即見直されていました何を持っての判断とするかが難しいですよね…
いつも勉強になります香川にも同じ様な島でも隔離されていた所ありますね私の住んでいる四国には色々な島独特の風習や四国遍路も世界遺産のお話もありますので是非四国も取り上げてください
四国遍路の「負の歴史」なんかにも触れて欲しいですね
大島ですねあそこは未だに船でしか行けないですしね
@@isa-jj2emしかも、平時は関係者しか入れない島ですよね。瀬戸内国際芸術祭とかやってる時期なら誰でも入れるけど。
初めて観たんですけど他のRUclipsよりも分かりやすい説明でした!1つ気になったのですが、首痛いんですか?
これが国の政策でやっていたんだから、補償するのは当たり前。ましてや、つい最近の96年まで法律があったと云うのがまた異常。当時の医師もまともな人間はいなかったということになんだろうね。酷い話だね。
父親がハンセン病だった林力氏の講演を聴かせていただいたことがあります。同氏は同和運動もされておられましたが、父親がハンセン病であり、父親も大変な思いをし、自身もその事をひた隠して生きてこられた方なので、熱心に人権問題に取り組んでいたのだと思います。同氏は既に引退されていると思いますが、講演を聴いた私には、特効薬が出来たにも関わらず隔離政策を転換しなかった政府に対する同氏の怒りは相当に強いように感じられました。
リアルな声はまた違いますよね
急におすすめ欄に出てきてなんとなく見てみたら衝撃的な内容ハンセン病って言葉しか知らなかったしこういったこと学ぶ機会がなく自分はまだまだ知らないといけないことがたくさんあるなぁと思えました
長島が遠い方は、どうぞ東京都東村山市にあるハンセン病資料館にいらしてください。今もまだ家族に迷惑をかけぬよう偽名を使っている方もおられます。なにくそと明るく強く生きている方もおられます。歴史としてではなく、時代のせいではなく、自分ごととして、頭の中だけではなく心の奥で感じ考えることが大切。人の尊厳とは?自由に生きることとは何なのか。なぜつい最近までこの隔離が続いていたのか。同じ過ちをおかさないためにも。きっかけとなる動画をあげてくださってありがとうございました。
時代と共に解明される病気で現代の人々からすると酷い時代だなとしか思わなくなってきちゃってます。コロナも同じく昔なら隔離しまくって他のかもしれない。カメラの角度が悪いのか話し手の首の傾きが気になっちゃいました。
日本の闇がよく解る動画でした。知る事ができ良かったと思います。悲しい出来事ですが、しっかり受け止めたいと思います。ありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました!
ハンセン病の問題、ずっと以前から時折耳にしたりテレビ等て見たりしていましたが、良く知ることのないままいました。私たちが自由を「普通に」享受して生活してきた世界の隣りに、こんな理不尽に尊厳を踏みにじられた人々の生活があったこと、その人たちの気持ちに思いを巡らせるきっかけを作っていただけたと思います。国が優生保護という名のもとに一部の人たちにこんな残酷な扱いをしてきたのは許されることではないと思うと同時に、国に舵を切られたら簡単に方向転換などできないという恐ろしさも感じました。現地からのロケだったからこそ伝わるものがありました。冷静な語り口の中からもこの問題に対する荒井さんやスタッフの皆さんの思いが伝わってきました。渾身の動画でした。どうもありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました。また自由について深く考えられる動画を出すのでお楽しみに✨
岡山長島の日本の闇のお話とても勉強になります。ぜひ次は岡山の岡田厚生館事件についても特集を組んでくれる事を期待しています。
ハワイモロカイ島のカラウパパにも同じような歴史があります。海外と日本の比較も興味があります!
沖縄にも沖縄愛楽園というハンセン病療養所があります。患者自身に掘らした早田壕という壕があり、周辺も多くの壕が残っています。仰るように末梢神経障害で傷を気づきにくく、不衛生の環境下で傷が悪化し多くのお方が亡くなりました。戦時中は米軍は規則正しく並んだ建物を日本軍の兵舎と勘違いし多くの砲弾を撃ち込み、現在でもハチの巣のような弾痕の残る水タンクが残っています。ハンセン病の歴史は、悲しい人権侵害の歴史ですよね。
部落差別(同和問題)についても是非、取り上げて頂ければ幸いです。悲しい事ですが、今でも田舎になればなるほど根強く残っている問題の一つです。
ハンセン病、亡くなりましたが、いつも、ニコニコして、料理も、上手でした、普通に、家庭を持ち、子供、孫もでき、ポロツト、家族で、守りぬいた、天使👼の顔で、言ったの、思い出しました。❤❤❤❤❤😊
小学校の頃に人権問題としてハンセン病について学習したことを思い出しました。実際に東京にあるハンセン病施設にも行かせていただき小学生ながらとても衝撃を受けたことを思い出させてもらいました。もっと日本のハンセン病患者に対する対応を皆さんにもこの動画を通して知っていただけるのではないかと思いました。ハンセン病施設にいらっしゃった方々が今は幸せでありますように願うばかりです。いつも学びを提供していただいております。動画を作成・配信していただきありがとうございます。
この病気の感染力はそれほど強くないと言われているのに外見が変わるので差別されたのでしょうね。誰も病気になりたくてなっている人などいないのに。北欧にも隔離病院がありました。
これってそもそも病気への不確かな理解の為に起きた差別の為に隔離されたんですよね
昔のことですしね😢
偽名を使って家族に迷惑をかけない様に別人として生きて、そのまま死んでいく。思いを馳せるとほんとに涙が出ますね。いつもわかりやすい動画ありがとうございます
むかしはよかったって言われますがこういう事例とかあると今のほうがいいかなと思います。
本当にそう思います
アルカトラズ刑務所をサナトリウムにした感じですね。世界各地にハンセン病や結核患者の療養としてサナトリウムが建設されてきました。時代は20世紀初頭ですがフィンランドにあるパイミオのサナトリウムもそのうちひとつです。伝染病に関する施設は東村山と清瀬の方にも施設があり資料館があります。
昔,中学の夏休みの宿題で「バラの心は海を渡った」とかいう課題図書でハンセン病患者を救った人の話があったのだが…その本はつまらない書き方で暗く感想文書くのもうんざりだった。ついでに読んだ親までが「書き方がつまらないねぇ」と言ってた。荒井さんの動画はすごくわかりやすく、つりこまれるように見てしまい学びになりました。
私の素祖父は大阪西淀川区に住んでいて病気のことは伝え聞いています。西淀川区大阪湾地区には隔離病棟がありましたが台風で流され多くの人が亡くなり記念碑があります😭
ぜひ、多磨全生園もいらしてください。ハンセン病資料館もあります、忘れてはいけない歴史です!
日本の歴史上の偉人とか戦争の出来事を誇張したり美談化するだけではないところが他の同系チャンネルとは一線を画している様に思います。個人的には現場ロケの方がより臨場感が伝わってきます。
こういう差別の歴史を知るたびに、他者に対する理解と寛容が無い社会は恐ろしいと思う。自分が同じ処遇に遭ったらどう思うか。よく子供のころにお母さんや先生に言われた、「自分がやられたら嫌なことは友達にもやったら駄目」は真理です。
父方の祖父母がこの島で医者と看護婦をしていました。二人ともだいぶ前に亡くなってしまいましたが、私が中学生の時に祖父が亡くなって、分骨をするためにこの島を家族で訪れました。その時、ハンセン病の患者さんたちが祖父の死を悲しんで声を出して泣いてくれていたのを覚えています。この納骨堂には分骨した祖父の骨も眠っています。私の父は幼少期をこの島で過ごしているので、この動画を一緒に観てこの島について話を聞いてみようと思います。この島を取り上げていただきよいきっかけができました。ありがとうございます。
23年前まで同園の職員をしておりました。見学に来園される方々を連れて園内の至るところに存在する建物や記念碑、廃墟の跡地などを説明して回っていたことが懐かしく思い出されます。当時から同園入居者の高齢化による将来構想が問題になっておりましたが、今後どうなっていくのだろうか。。忘れてはならない歴史の足跡を後世に伝え、語り継がれることを切に願ってやみません。
🎉🎉🎉😂
まわわ
悲しすぎます🙏🙏😭😭😭
たちたたててたちゃんがたてたたたてたたたたたてたてててたててたててちてたたたてててたてたたてちてたててたててたてちたたてかてたてててたてたてた😢ツテタ絶ててちてててちてててたつてててたてたてた 40:てたつてち蔦たてさちててたつたて 40:08 ちてかち😢つてたてたててててち😢 40:08 08 たてたちてさてたたたたててた😢つたてつてたてたたてたてて 40:08 てたたちたて 40:08 40:0つたちたちてちてちつたててたたてたつちててさてててててててたてつたたてさたちててたなてさかててててけたちててててたかたててちて😢つてててたたてたちてちてたつたかてててててたたてたすたてなたてちてててたてた😢ち 40:08 40:08 40:0つてたてたてとててたちさてたたちてたてちてたちてたかさたてててててちたてたててた😢てた絶ててちてててさて鉄てたててたてたてたてたてたててたてたてててちたててつてつてててたてち 40:08 てちてたててたててた 40:08 てて 40:08 40:08 40:08 8 40:08 40:08 ててたつたててたつたたててつてかててたてててたてたかててた 40:08 てたさてつてたかてたててたてたたてちてたつてかてちたててた 40:08 4てたてた 40:08 ててたてたてさつててててててちつてたたてたちちつて 40:08 たててた知多てたてたたてちたててたてたつさたつ 40:08 知多て他ちつてつてたたた😢ちかたてて😅つかあたたさちかた😢てさてちたたけたつちててちてちかつてたて 40:08 てさちててたてちて4つて 40:08 40:0たさつッたててた😅😢たて地鉄筒千佐多々筒手々たちてたかて知多ててたつたさたてって 40:08 娧たてちた😢 40:08 つさちてて 40:08 たちてちてかさたてたてかたてててち 40:08 てたててちてたつててたてちてちた😢てかつててたたたてちちてさかたてたさ😢つててたかサテ😢たたさたてたてててつつてたちたちてさちててちたさてたててててててたてすさちたたてさつた😅哲テトラ武津さたてちたたてちててつツタ地鉄と 40:08 て😅てしてち 40:08 てさたてちた🎉つち🎉娧ちつてた鯖江市た😢てつてた堅田サテ絶てててたテトラてたてた😢てつつてた😢テトラとさてて 40:08 娧たてち😢ててち😅😅 40:08 40:08 40:08 40:08 40:08 40:0かかたてち 40:08 さちつ😢8 😅 40:08 😢 40:08 😢8 😅 40:08 てたつてたてたさたてたさ😮てさつてちてててたたてたつたちさ 40:08 40:08 8 40:08 40:0🎉なたたたてちてたてた 40:08 8 @@宮本晴香-q2w
聞きやすい声、字幕もあるから助かります。映像もコロコロ変わらないから目も疲れない。
ほんと♪勉強になるのに見やすいしこんな長さの動画すぐ飽きちゃうんだけどこれは見ることができます🥰
滑舌も良いです。
小学生の頃に見学に行かせて頂き、
貴重なお話をたくさん聞かせて頂きました。
その際に辛かったと言われている方も
もちろんたくさんおられましたが、
自分の病気のせいで家族が差別されることもあったので
ここに連れて来てもらえて
国に感謝していると仰られていた方も
いらっしゃいました。
もう何十年も前になりますが、
今も忘れられない思い出です。
本人がそう話せば、
客観的に見ても幸せなのですか?
匿名のコメント欄で同園の所有者でも無いあなた様がなぜわざわざこちらの動画の趣旨を否定するようなコメントを残されるのかわかりませんが、
少なくともDVなら本人が幸せだと言っているは通りません。
コメ主さんのコメントの何処に『幸せだ』なんて書かれているのかな?
ただ、実際に体験した出来事を書かれているだけなのに。
それに勝手な憶測を付け加えて批判しちゃう人が居るのが怖いな。
看護学生の時に授業の一環で訪れました。悲しい歴史に反して、島からの景色が美しかったことが印象に残っています。
座学の後、居住者のお宅に直接お話を聞く為にお邪魔し、棒アイスをもらって食べました。優しい雰囲気の穏やかで普通のおじいさんでした。貴重な体験だったなと今更ながらに感じます。
私は高校生の頃に行きました。
とても明るい方で、私もアイスをご馳走になりました。
ハンセン病に関しては書籍を読んだことがありましたが、このような映像と分かりやすい解説のおかげで一層、理解が深まりました。感謝致します。
恥ずかしながら、ハンセン病を、ここまで深く考えた事はありませんでした。
説明も本当に丁寧で分かりやすいです。
ありがとうございます。
失敗を美化したりごまかしたりせず、失敗としてそのまま伝えるのは大事ですね
私の叔父はハンセン病でした。
物心ついた頃から言われていた事。
絶対に秘密。
誰にも話してはダメ。
年2回父に連れられ面会に行っていました。
叔父は自分は人間に在らずだ!と言っていた事を思い出します。
深くは語らずとも重みのある言葉です。
最後の願いは、
小さい頃に離れた故郷のお墓に入る事。
しっかり父が叶えてあげました。
人間とは愚かで無知で残酷な生き物です。
そして過ちを繰り返す。
最近ですと、エイズがその過ちの繰り返しでしたね。不思議に思いませんか、戦後、抗生物質が開発されるまで不治の病だった梅毒はずっと野放しで、ハンセン病は厳重隔離、おかしくないですか。性産業を潰す訳に行かなかったんでしょうね、政治家、国家にとっても巨大な利権ですから。ハンセン病は極めて政治色の強い、日本の医学会の最大の汚点です。
平成生まれの関東住みなんですが、小学校低学年の時に焼肉食べに行った時に後ろの卓からずっとズーズー子どもがストローで無くなった飲み物をずっと吸い続けてるみたいな音が聞こえて気になっていました。食べ終わるタイミングが同じで会計するときに初めてその音の正体がハンセン病の患者さんだと気がつきました。目が一つしかなく鼻もなく口も小さいビー玉くらいの穴くらいで耳もなかったのでその当時小学生だった私は正直のっぺらぼうだと思ってとても怖くトラウマになってしまいました。びっくりして動けなくなってお店のドア開けたままボーとしてたらドア開けてくれてありがとう優しいねって付き添いの方に言われました😢
この動画を作ってくださってありがとうございます。知らないことを知れて勉強になりました。
小学生の時に見た映画「砂の器」で初めてハンセン病を知りました。
主演は加藤剛さん、丹波哲郎さん
森田健作さん。最高傑作の映画だと今でも思っています。なので
小学生の頃からハンセン病に偏見はありませんでしたが、こんなに詳しく分かりやすい動画を見た事がなかった為、改めて勉強になりました。有難うございました。
人類は未知の病に対する恐怖はいつまでも変わってないと思いました
コロナも最初の頃はなっただけで周りからの非難が怖かったですよね
知らないと恐怖を感じ遠ざける事で
安心感を得ようとしてしまうんですよね
日本人は特に恥の文化が根強いので
本人も家族も忘れてしまいたいと思うのが悲しいですね
今回も心打つ動画ありがとうございました
ハンセン病の団体客がホテル宿泊拒否された出来事が数十年前にありましたよね。テレビではハンセン病訴訟などハンセン病の事がとにかく報道されてた時期、差別なんてしたら凄い批判される事が分かってるだろうにそれでも宿泊拒否した事が凄く意外でした。それだけ想像もできない根深いものがあるんでしょうね。
地元なのでいつか行こうと思っていましたが、心の準備が出来ず行けていませんでした。分かりやすく動画にしてくださってありがとうございます。長島が舞台ではないと思いますが、映画「あん」もハンセン病を題材とされていてとても考えさせられる作品でした。現代も生きづらい世の中ですが、ここまであからさまな差別の少ない今に生きられて感謝しないといけないなと思いました。
すごくすごく小さい頃 高齢の親戚達がヒソヒソ「⚪︎い」と繰り返し話していて、母に聞いたら「こんな話しちゃダメよ」とか言いながら「気の毒な人」の話を聞きました。
幼児の私でさえ大人たちが使っていた言葉は差別用語だとわかったし、大人達はヒソヒソ話に興じている様に見えました。
明らかに差別していて彼らは大人達にとって「不浄な人達」でした。
高校生くらいの時ハンセン病の方々の裁判事件が騒がれた時、あの大人達が話していた病気がハンセン病だと知りました。
あの時噂話に興じていた大人は自分たちの行動などコロッと忘れてハンセン病の方々に同情し政府を責めていました。
人間がいかに愚かな生物だと思い知った瞬間でした。
初めてコメントさせて頂きます。
私は大学に入るときに北条民雄の「いのちの初夜」を読みました。当時はハンセン病と言う名前ではなく「癩病(らいびょう)」と呼ばれており、そういった方が書かれる作品を「癩文学」といいます。「いのちの初夜」とは、主人公が癩病に罹って、園に入る前に死んでしまおうとしても死に切れずに、泣く泣く入所したところから始まり、園の中で過ごす初めての夜のことを強烈に描いた作品になります。作中でハンセン病で身体が崩れてしまった方を「人間ではなく、いのちそのものである」と表現されていて、当時18歳だった私はこれに大変な衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。読んだ後、なかなか立ち直れずに、ずっと「癩病とは何か」「生きるとは何か」「命とは何か」を考えていました。あれから7年ほど経った今でも各地のハンセン病の施設に出向いて、たくさんのハンセン病を克服された方とお話しして考え続けています。「いのちの初夜」は青空文庫などで無料で読むことが出来ます。また青空文庫も無料でアプリを落とせますので、ぜひ色んな方に「癩文学」というもの、「ハンセン病」という存在がが、広がっていけばいいと心から願っています。
荒井さんの動画はいつも大変勉強になり、欠かさず見ています。勉強が足りず、知識も乏しいそんな私ですら見終わったあとに要点をすらすら言えてしまう程に、ここまで分かりやすい説明をさせる方に初めて出会いました。それからずっと荒井さんの動画を追いかけています。そんな荒井さんに今回ハンセン病を取り上げて頂き、またこれ程に詳しく噛み砕いてご説明して頂きたことにより、まだまだ知らないことが沢山ある事に気づけた上に、より深く理解することが出来て、本当に勉強になりました。これからも陰ながら応援させて頂ければと思います。
乱文な上に長々と自分語りをしてしまって申し訳ありませんでした。
ユウチューブのくだらない動画が蔓延してる中で、アナタ様の動画は、本当に社会性があって、人間性に溢れた、とてもいい動画です。メディアがもっと取り上げないといけない問題に、真っ向から斬り込まれていて、頭が下がる思いです。
ドント・テル・ミー荒井です。
ありがとうございます。
これからも頑張ります。
宜しくお願い致します😊
ハンセン病について知ることができました。
何も悪いことしてないのに、なりたくてなってるわけじゃないのに切な過ぎます😢
先日、東村山のハンセン病資料館に行ったけど、それに負けず劣らず分かりやすい内容ですね!
戦後産まれの高齢者です。恥ずかしながらここまで深くハンセン病の事を知らず生きてきました。こんな重いテ-マの動画を作るのは取材するだけで、とても心情的に辛くなる事と思います。
ありがとうございます。最近気になり他の動画も観ていました。チャネル登録させていただきました。これからも勉強したいと思います。
本当にいつも現地まで行って、分かりやすくおはなししてくださったり編集してくださってありがとうございます!
とても勉強になりますし、様々な事が知れてありがたいです。今度も動画拝見させていただきます🙏🙏
とても解り易い解説ですね。ハンセン病患者や家族の辛い気持ちが伝わりました。…と同時に、ハンセン病ではない人々が抱いた恐怖心も、否が応でも解ってしまう自分が居る。色んな気持ちが湧き、しっかり考えさせられました。
コロナ禍での共通点もすごく多いですね。
コロナ患者に対しても、『東京には来るな!』とか、『Stayーhome!』 を合言葉に逆差別を行っていたことを忘れてはなりません。
なんて苛烈な差別と思う反面、コロナ禍の当初は未知の病の到来で殆んどパニック状態で地域に感染者がでると警戒感がいや増しました。人権意識を大切に少しでも知識を得て正しく対処する事を心掛けないと今後未知の病魔に又襲われると姿を変えて同じ様な人権侵害が罷り通りますよね😰
殺人鬼10人の人権、命を重んじて野放しにすれば、一年後に10人による犠牲者が1000人になる。
よね。後に後悔しない選択というのが、正義の決断と一致しないっ事も忘れるなよ。
@@LoveLove-sm5exどちらかと言うと、東京や大阪でもらって来る人間が多かったけどねw差別される側が差別してたなんて知らなかったわw
毎回勉強になります。そして、子をもつ身として涙が出ます。どんな境遇の方も尊厳をもって生きられる世の中になることを切に願います。
子供の待遇についてはメンバーシップ限定動画でも詳しく話しています。よかったらみてみて欲しいです!
家族から引き離された幼い子供たちのことを思うと、胸が痛みます。
なぜこんな酷いことをしたんだ、というのは簡単だけど、今回の世界規模のコロナ騒動を見ていたら、人の心理的に、特に当時は今ほど感染症の知識が乏しかった事を思うと、誰にでもこういう心理状態に陥ってしまう可能性はあるんだと思う。
こうならない為に、正確な知識、情報をいかに共有していくかという所が課題だと思います。
マスク信者の多さを見ると、日本人の精神は成長していないとよく分かります。
😢😢
コロナ騒動で、時代が変わってもこれは変わらないと痛感しました。
冷たい言い方になってしまうけど、偏見はいけない事だと解っていても、未知の病気への恐怖は時代とは関係なく、大事な人を守る為には自分も犠牲になるわけにはいけないという意識を否定する事もできないです。
6年ほど前、東村山の全生園というハンセン病施設でハンセン病講座を受けました。荒井さんが仰る事とほぼ同じ内容の授業で、よく調べられてるなと。実際、患者さんの方とお話したり、握手させて頂きました。
辛い思いをされたのに、とても明るく全国を周り精力的に公演をされてるそうです。もっと多くの人にハンセン病を知って欲しい。
僕は東京住んでた時に、全生園の売店に商品をおろしてました。もう27年前の話です。
@@サダヲ-i8g さん そうなんですね!今は売店併設のレストランが出来て患者さんや、外部の人の集いの場になっている様です。皆さん楽しそうに寛がれていました。
@@chami78 様、今はオープンになっているのですね。僕は、おばあちゃん子だったので売店に来られるおばあちゃんと会話するのが楽しかった思い出があります。
松本清張の「砂の器」のモチーフもハンセン病ですね
知らなかった事もいっぱいあった。ありがとうございます。若い方々にも知っていただいて、今後の日本のあり方に繋げていけたら良いですね。
映画などでも取り上げられていて差別問題は認識していましたが、病気の根拠まで深堀した内容はとても感銘を受けました。
身内の不幸などがあって、地元の漁師の船などに乗せてもらい、家に帰ったあと、やはりそこにいると迷惑がかかってしまうと、脱走したあとに自ら島に戻る人もいたそうです。そして監房に入れられる。
本当に悲しいです
ドンテルさん本当にわかりやすくて面白い動画たくさんありがとうございます!
最近見始めましたが応援してます🔥
見学できるんですね!
こないだ、こういう島だとは知らずにドライブ中にふらっと行きましたが、妙な雰囲気だったのですぐに引き返しました。
おかげで勉強できたので、かつての患者さん達を弔う為にあらためて行きたいと思います。こんな事があったと後世の人に語り伝えたいと思います。本当に有難うございます!
大人教養TVさんが取り上げて下さるテーマは、いつもほか😂では見られない素晴らしいものが多くて内容にいつも感動させられています。ロケ地での取材ご苦労様でした。
色んな国の時代劇みたいな昔を描いたドラマを観るとよく疫病、感染症などが出てくると、
村ごと焼きはらったり、魔女狩りが始まったりで、昔から人間はよく分からない事が広がると怖がって本当に酷い事をしますよね・・
コロナでも初めの方にかかった方は、田舎の人だと物凄く噂が広まり酷い扱い受けて自殺した人もいましたね・・
道徳の授業で差別の問題とか学んでもなかなか無くならないので、大人になってからも、こういう動画で改めて学ぶのは良いですね😊
東京の多摩全生園にハンセン病資料館があって、いろいろ学べます。
資料館には親子の遍路像があるのですが、四国八十八ヶ所の遍路をすると、お接待と言ってお米とか芋とか貰えるので、そういうのを頼りに生きながらえていた人も結構いたようです。
日本各地で酷い差別を受けて、四国に逃げてきて、親子で遍路… 想像すると、涙が出そうになりますよ。
帝国海軍士官だったうちの親父が部下を連れてハンセン病隔離施設の島を慰問したら大歓迎されたという話を思い出しました。長島ではないかと思うのですが、若い頃は親父の戦時中の話に興味がなかったのでうろ覚えです。もっといろいろ聞いておけばよかったと後悔しています
静岡には軍人さん中心のらい病の施設が有った様です 文献で読んだ記憶が
正しく理解しないといけない闇の歴史ですよね。めちゃめちゃ勉強になる動画です。歴史の勉強で教材として使うべきです。ありがとうございます。
以前に東村山市の某施設に出入り業者としてよくお邪魔してました。
皆さんお話しすると屈託なく明るい印象の方が多かったですね。
なので余計に経験されたであろう境遇とのギャップが悲しく感じた記憶があります。
ハンセン病の歴史について初めて詳しく知ることができました
いつもためになる番組をありがとうございます
こちらこそいつもありがとうございます😭
とっても嬉しいです、現地まで行って頑張って撮影してきた甲斐がありました!次の動画もお楽しみに✨
草津にある重監房資料館を訪れたことがあります。ハンセン病を巡る偏見や差別、人を人として扱わない暗く重いテーマを持った資料館でした。今回の動画を拝見し、繰り返してはならない悪い歴史と、私達はこのような悲しい過去を知る必要があると改めて感じました。
令和にハンセン病を取り上げるとはさすが大人の教養。新種の病はこれからも表れるかもなわけで、その時同じことを繰り返さないためにも知っておくべきことですね
とても分かりやすいです。学校の教材に使いたいくらいですね。ブラジル移民のお話しとか国鉄分割民営化の悲哀などぜひ作ってほしいです。
昔の結核の隔離もかなりエグかったのでやって欲しいです
但し結核は、今の癌以上に致死率の高い、怖い伝染病でしたね。
50年以上前に学生の救ライ活動のいっかんで訪問したことがあります。髙松の大島青松園も船でしか行かれませんでしたね。映画の[砂の器]をもう一度ご覧になると戦前のハンセン氏病の患者や家族の置かれた悲惨な境遇がリアルに描かれていて、加藤嘉さんの演ずる癩病に罹って故郷を追われ、お遍路旅を続ける姿や療養所での迫真の演技を忘れる事ができません。今一度若い方達に見て頂きたいと思います。
確かもののけ姫でエボシ様が匿っていた方たちですよね。
地元にも患者さんたちが匿われていた施設が残っているので一応認識はしていましたが、隔離された島があったとは驚きです。
興味深い動画をありがとうございます。
もののけ姫って実は、あのたたらばそのものが、ハンセン病隔離施設を参考にしてあるんだよね。男と女が別々で暮らして,,子供がいっさいでてこない。でも夫婦関係はある。ハンセン病隔離施設も、子供は作らせなかったし、夫婦も男女別々で暮らした。
現在、クレゾール石鹸は消毒でも農薬ではなく、ウジ殺しなどに他の薬と混合して使用されています。
園内通貨は消毒する目的もありました。海外でも同様の制度がありましたが、園内通貨から菌が発見されなかったので日本に先がけて廃止されています。
僕は岡山市なんですが橋が架かってすぐに行きました。
お爺さんとお話して大変なご苦労をされたようです。
酷い話です。
ハンセン病の疑いで隔離されていた人のインタビュー観たことあります。そんな昔の事ではないから信じられないことを国はしていたんですよね。
初めてこのチャンネルの動画を観たけど、本当に詳しく説明されているし、キレイにまとめられていて素晴らしい動画だと思いました!
よくあるまとめ系動画よりボリュームがあって良いですね!
他の動画も興味をそそる内容なのでチャンネル登録しました!😊
チャンネル登録ありがとうございます!今後もクオリティの高い動画を頑張って制作しますので、ぜひご視聴ください!
4年前に職場研修で長島に行きました。
職員の方に説明していただいた内容の中で1番印象的だったことは、暗い内容だけではなく、「楽しみもあった」ということだったように思います。
消毒風呂や隔離のことを考えるともちろん私達には想像できないような辛さはあったと思いますが、
この施設の中には学校などもあり、子供達の勉学もしっかり行われていて、お祭りなどの行事も勢力的に行われていたと知り驚きました。
あってはいけないことは前提ですが、「可哀想」とだけ思うのは違うんだなと思いました。
しかし、投稿者さんもおっしゃっていますが、裏を返せば「普通の生活ができたのに隔離した」ということなんですよね。。
桟橋を見学したのですが、家族がそこで永遠の別れをする桟橋でした。
周囲はとてもキレイな海で、なんだがとても切なかったです。
こちらの施設の入居者さんたちの高齢化も課題になっていると聞きましたが、現在はこの島にある看護学校だったかと思うのですが、そこの学生さんと入居者さん達のふれ合いもあるようです。
この歴史を語り継いでいくことはとても大切だと思いますが、職員の方も少なく大変だと言っていました。
この動画があることで、現地に行けなくても歴史を知ることができるし、今後施設の運営が厳しくなったとしても貴重な資料として後世に残すことができると思いました。
見学で聞いた内容をまた振り返りたいと思うこともあったのですが、この動画で改めて学ぶことができて良かったです。
ありがとうございました。
「砂の器」の当時のバックグラウンドを知れてよかった。清張は明治41年だかの生まれなので、きっとお遍路さんの父子の姿を実見していたに違いない。それでああいう名作が生まれたんだと思う。また小説を再読したくなった。
群馬県にある重監房資料館もハンセン病の方を隔離している施設で日本のアウシュヴィッツと言われているというのを思い出しました。
昔は天罰病等とも呼ばれていて隔離された患者さんの手記等が残されていてかなり衝撃的な内容が展示されている施設をこの動画を観て思い出しました。
日本の負の歴史ですが今でもそこで暮らされている方がいるのでこの様な動画で少しでも認知度が広がれば良いと思いました。
コロナを経験した私たちには少しハンセン病にまつわる状況が理解できますね。
とはいえこの時は医学などがまだ進んでいなかった時代…非人道的な扱いに言葉もありません…。
難しい問題ですが、最低限、人としての敬意を忘れてはいけないし尊厳を奪うようなことはあってはならないですね。現地まで赴きわかり易く解説してくださってありがとうございます!
難しいバランスですよね…
ロケ動画大変見応えがありました!いつもタメになるお話しありがとうございます😊
今後とも応援させていただきます🎉
なんか国とかのひとごとみたいに捉えてる人もいますが、病気の人や家族は国民からも苦痛を受けていたと思います
そして根拠のない噂で確かめもせず人を貶めるような人は現代でも沢山います
知らないどこかの話ではなく、自分に置き換えて考えるのが大事だと思いました
いつも良く調べらてますね。
とても勉強になります。
ありがとうございます。
看護学校の授業でハンセン病を習ったのですが、文字だけのプリントからは全くわかりませんでした。けど、この動画で理解度がわかりました!ありがとうございます♫
清瀬と久米川の間にある施設、多摩全生園内の国立ハンセン病資料館にて資料展示が行なわれていますのでお近くの方は一度立ち寄られると良いかと思います。施設内も居住者の迷惑にならない程度に見学することは可能です勉強になる所が多い施設です。
二重構造の湯呑みは普通に健常者にとっても便利そうです。
「私が捨てた女」という小説からハンセン病は知ってはいましたが、こうして現実に隔離された場所などは全く知らず、このチャンネルで初めて目の当たりにしました。「無知こそ罪」を思い知らされます。当時の方達の思いを考えただけでも胸が締め付けられました。動画にして下さり、ありがとうございました。
17:56 逃げ辛くさせる為に結婚推奨って、やってることは北朝鮮が拉致被害者にしてることと同じやん。。
見てて本当に辛くなったわ。
出張の帰り寄ったことあるけど静かな綺麗な島だったなあ 凄い過去があるとこだけど
同じ事を繰り返さない為にも悲しい歴史を知ることは勉強になります、
ありがとうございました
ハンセン病の問題はとても大事な問題だと思います。
島だけでなく、都内に多磨全生園というところもあり、資料館も併設されています。
こちらで取り上げられれば多くの人に訪れていただ蹴るのではないかと思いぜひ取り上げていただければと思います。
島という特異な場所だけではなく、こういったことが全国で行われていた過去があることを多くの人に知ってもらえればと思います。
私の地域にもハンセン病施設があり生活されている方がいます。
ハンセン病ではなくても国は未だ同じようなことをしています。
国民が一刻も早く気づくことを祈ります。
22年ほど前にフィールドワークで見学させてもらいました。事前勉強会ですでに衝撃を受けましたが、後日、実際に見学に伺った際は、まさに百聞は一見にしかずでした。入居者さまが普通に暮らしていらっしゃるところに出会うと皆様凄く温厚で笑顔が素敵なイメージでした。昔は本当に大変だったけど、もう乗り越えた、という前向きなお言葉にびっくりしました。
すごく丁寧に見学案内をしてくださった方と、しばらくメールでやりとりをさせていただいた記憶があります。
働かれている医師でさえ差別に合い結婚しなかったと聞いた記憶があるのですが、定かではありませんが、働かれている医師も戻れなかったこともあったのでしょうか。
ハンセン病としては治ったあとも、日頃から内科などの医師は必要ですし、人生を捧げるくらい献身的に働かれているイメージがありました。
笑顔も素敵でとても朗らかな方でした。
1970年代の後半に私は岡山市に住んでいました。まだ中高生でしたが、当時ハンセン病を“ライ病”と通っていたキリスト教会の牧師様より教えてもらいました。更にその病気は感染力はほとんど無く、普通に一緒に生活していても感染ることはないと言う事も教えていただきました。その教会では長島の光明園の療養所敷地内にある日本基督教団光明園家族教会と交流を持っていたこともあったので、一度慰問交流のプログラムにも参加したことがあります。当時はまだ橋も無く、対岸の虫明桟橋に車を停め、そこから小さな船で船頭さんが長島への滞在時間を決めて、帰りの時間には又船で迎えに来ると言うやり方で島に渡りました。驚いたのは、教会の人達が決して“患者”だといった雰囲気が全く無く、年寄りばかりでしたが、皆さん全て温かい人達ばかりでした。長島の教会の患者さんたちは総出で私たちを迎えに来てくださり、又帰りの時間になると総出で桟橋まで見送りに来て下さった事を覚えています。この経験は貴重な経験でした。聖書(マタイの福音書7章1-3節)の中にも皮膚の腐る病気に罹り(実際はハンセン病とは別の病気だと言われていますが)ユダヤ人のコミュニティから村八分にされた人がイエス様のところに来て癒しの奇跡を受けた話があります。イエス様は手を患部に触れて癒されていますが、この病気に対して恐れる必要はない事を、触っても感染しない事を教えておられると思います。ハワイでハンセン病患者の為に献身的に尽力を尽くし、自らもハンセン病に感染して帰天したベルギーの修道士神父、ダミアン(ヨセフ・デ・ヴーステル)神父の話しも有名です。彼はカトリック教会で聖人に列席されていますね。
瀬戸内は牛窓の前島もそうですね。そこは未だに渡し船なのが不思議でした。小泉総理が元患者らの国に対しての訴えを上告しないと決断した時は、英断だと思いました。
ハンセン氏病と聞くと「砂の器」を思い出します。
松本清張の小説ですね。
人間尊厳の橋の話で思ったのは、尊厳を失ったのは、ハンセン病にかかった人たちを島に追いやった人たち。
無自覚のまま人間の尊厳を失っていた。恐ろしいのは、誰でもそのようになり得ることだろうと思いました。
ハンセン病に切り込むとは、さすが荒井さん。明治以降の差別の起点ですね。昭和時代にもハンセン病には差別がありました。本当に勉強になります。ありがとうございます。
評価してくださるのが何より嬉しいです
本当に壮絶な扱いですね。何とも言えない気持ちになります。
事実:
対岸の虫明には入所希望のハンセン病患者が野宿して入所待ちしていた。ハンセン病患者自ら『入所したい』と言っても『満杯』というのが実情だった。
ww2では誰も徴兵されず平和に暮らした。
避妊政策前は毎日乱痴気騒ぎで、女性患者が誰が父親か判らないままバンバン妊娠出産し、職員が養子で引き取って育てた。
岡山の人間ですが、40代の私は微妙に長島の話題を学校教育で習わない歳でした。
親の仕事柄長島に出入りしていた業者さんと知り合いでお話を聞いてたくらい。
数十年前と今とでは技術も知識も変わったとはいえ、人間の本質は変わらないですね。コロナと被る所が確かに多い。
差別と排除の感覚はどうしたって人の出入りが少ない田舎の方が強いので、帰れなかった気持ちもわかります。
15年ほど前ですが仕事でお邪魔することがありました
必要があって入所者のリストを預ったのですが、声掛けする際にはそのお名前では呼ばないでくださいと園の方に言われました
なぜなら、入所者の中には本名を隠して通名で暮らしている人も多いからと
隔離当時の話ではなく、平成も半ばの話でした
コロナ初期もこれと似たような動きだったのがなんとも悲しいです。
人権を無視し過ぎて本当に胸糞が悪くなります。
本来は直ぐに見直されるはずの法律が96年に廃止されるまでの90年間もの間続いてしまった、本当に忌まわしき歴史。
すぐに見直されるはずって国民全員が思ってたら即見直されていました
何を持っての判断とするかが難しいですよね…
いつも勉強になります
香川にも同じ様な島でも隔離されていた所ありますね
私の住んでいる四国には色々な島独特の風習や四国遍路も世界遺産のお話もありますので是非四国も取り上げてください
四国遍路の「負の歴史」なんかにも触れて欲しいですね
大島ですね
あそこは未だに船でしか行けないですしね
@@isa-jj2emしかも、平時は関係者しか入れない島ですよね。瀬戸内国際芸術祭とかやってる時期なら誰でも入れるけど。
初めて観たんですけど他のRUclipsよりも分かりやすい説明でした!
1つ気になったのですが、首痛いんですか?
これが国の政策でやっていたんだから、補償するのは当たり前。ましてや、つい最近の96年まで法律があったと云うのがまた異常。当時の医師もまともな人間はいなかったということになんだろうね。酷い話だね。
父親がハンセン病だった林力氏の講演を聴かせていただいたことがあります。同氏は同和運動もされておられましたが、父親がハンセン病であり、父親も大変な思いをし、自身もその事をひた隠して生きてこられた方なので、熱心に人権問題に取り組んでいたのだと思います。
同氏は既に引退されていると思いますが、講演を聴いた私には、特効薬が出来たにも関わらず隔離政策を転換しなかった政府に対する同氏の怒りは相当に強いように感じられました。
リアルな声はまた違いますよね
急におすすめ欄に出てきてなんとなく見てみたら衝撃的な内容
ハンセン病って言葉しか知らなかったしこういったこと学ぶ機会がなく
自分はまだまだ知らないといけないことがたくさんあるなぁと思えました
長島が遠い方は、どうぞ東京都東村山市にあるハンセン病資料館にいらしてください。今もまだ家族に迷惑をかけぬよう偽名を使っている方もおられます。なにくそと明るく強く生きている方もおられます。歴史としてではなく、時代のせいではなく、自分ごととして、頭の中だけではなく心の奥で感じ考えることが大切。
人の尊厳とは?自由に生きることとは何なのか。なぜつい最近までこの隔離が続いていたのか。同じ過ちをおかさないためにも。
きっかけとなる動画をあげてくださってありがとうございました。
時代と共に解明される病気で現代の人々からすると酷い時代だなとしか思わなくなってきちゃってます。
コロナも同じく昔なら隔離しまくって他のかもしれない。
カメラの角度が悪いのか話し手の首の傾きが気になっちゃいました。
日本の闇がよく解る動画でした。知る事ができ良かったと思います。悲しい出来事ですが、しっかり受け止めたいと思います。
ありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました!
ハンセン病の問題、ずっと以前から時折耳にしたりテレビ等て見たりしていましたが、良く知ることのないままいました。
私たちが自由を「普通に」享受して生活してきた世界の隣りに、こんな理不尽に尊厳を踏みにじられた人々の生活があったこと、その人たちの気持ちに思いを巡らせるきっかけを作っていただけたと思います。
国が優生保護という名のもとに一部の人たちにこんな残酷な扱いをしてきたのは許されることではないと思うと同時に、国に舵を切られたら簡単に方向転換などできないという恐ろしさも感じました。
現地からのロケだったからこそ伝わるものがありました。冷静な語り口の中からもこの問題に対する荒井さんやスタッフの皆さんの思いが伝わってきました。渾身の動画でした。どうもありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました。また自由について深く考えられる動画を出すのでお楽しみに✨
岡山長島の日本の闇のお話とても勉強になります。
ぜひ次は岡山の岡田厚生館事件についても特集を組んでくれる事を期待しています。
ハワイモロカイ島のカラウパパにも同じような歴史があります。海外と日本の比較も興味があります!
沖縄にも沖縄愛楽園というハンセン病療養所があります。
患者自身に掘らした早田壕という壕があり、周辺も多くの壕が残っています。仰るように末梢神経障害で傷を気づきにくく、不衛生の環境下で傷が悪化し多くのお方が亡くなりました。戦時中は米軍は規則正しく並んだ建物を日本軍の兵舎と勘違いし多くの砲弾を撃ち込み、現在でもハチの巣のような弾痕の残る水タンクが残っています。
ハンセン病の歴史は、悲しい人権侵害の歴史ですよね。
部落差別(同和問題)についても是非、取り上げて頂ければ幸いです。悲しい事ですが、今でも田舎になればなるほど根強く残っている問題の一つです。
ハンセン病、亡くなりましたが、いつも、ニコニコして、料理も、上手でした、普通に、家庭を持ち、子供、孫もでき、ポロツト、家族で、守りぬいた、天使👼の顔で、言ったの、思い出しました。❤❤❤❤❤😊
小学校の頃に人権問題としてハンセン病について学習したことを思い出しました。実際に東京にあるハンセン病施設にも行かせていただき小学生ながらとても衝撃を受けたことを思い出させてもらいました。もっと日本のハンセン病患者に対する対応を皆さんにもこの動画を通して知っていただけるのではないかと思いました。ハンセン病施設にいらっしゃった方々が今は幸せでありますように願うばかりです。いつも学びを提供していただいております。動画を作成・配信していただきありがとうございます。
この病気の感染力はそれほど強くないと言われているのに外見が変わるので差別されたのでしょうね。誰も病気になりたくてなっている人などいないのに。北欧にも隔離病院がありました。
これってそもそも病気への不確かな理解の為に起きた差別の為に隔離されたんですよね
昔のことですしね😢
偽名を使って家族に迷惑をかけない様に別人として生きて、そのまま死んでいく。
思いを馳せるとほんとに涙が出ますね。
いつもわかりやすい動画ありがとうございます
むかしはよかったって言われますがこういう事例とかあると今のほうがいいかなと思います。
本当にそう思います
アルカトラズ刑務所をサナトリウムにした感じですね。
世界各地にハンセン病や結核患者の療養としてサナトリウムが建設されてきました。
時代は20世紀初頭ですがフィンランドにあるパイミオのサナトリウムもそのうちひとつです。
伝染病に関する施設は東村山と清瀬の方にも施設があり資料館があります。
昔,中学の夏休みの宿題で「バラの心は海を渡った」とかいう課題図書でハンセン病患者を救った人の話があったのだが…その本はつまらない書き方で暗く感想文書くのもうんざりだった。ついでに読んだ親までが「書き方がつまらないねぇ」と言ってた。荒井さんの動画はすごくわかりやすく、つりこまれるように見てしまい学びになりました。
私の素祖父は大阪西淀川区に住んでいて病気のことは伝え聞いています。
西淀川区大阪湾地区には隔離病棟がありましたが台風で流され多くの人が亡くなり記念碑があります😭
ぜひ、多磨全生園もいらしてください。
ハンセン病資料館もあります、忘れてはいけない歴史です!
日本の歴史上の偉人とか戦争の出来事を誇張したり美談化するだけではないところが他の同系チャンネルとは一線を画している様に思います。
個人的には現場ロケの方がより臨場感が伝わってきます。
こういう差別の歴史を知るたびに、他者に対する理解と寛容が無い社会は恐ろしいと思う。自分が同じ処遇に遭ったらどう思うか。よく子供のころにお母さんや先生に言われた、「自分がやられたら嫌なことは友達にもやったら駄目」は真理です。