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当時の生活の息づかいが感じられるような写真ばかりで感動しました。すごくよかったです。
昭和40年初期に北檜山高校に在学していたのでこの沿線は思い出がいっぱいです。
お初です お邪魔します 過去に瀬棚線にC11が走ってたのを知りました スズラン号やニセコ号 大沼号 湿原号辺りしか知りませんでした 貴重な動画 ありがとうございます😂
懐かしい画像をありがとうございます。私自身は瀬棚線に行ったことはないのですが、今から思えば同じような時代に、蒸気機関車を求めて北海道に行っていたのに、このように機関車がすべてではなく、人や、風景や、街などの写真を撮っておけばよかったと思いました。
昭和40年代の終わり頃、当時出版されていた蒸気機関車という本を見て北海道のSLに憧れていました。その中で目に留まったのが小さな機関車が数両の貨車を引いて走る冬の瀬棚線でした。まだ中学生でしたが何か引き付けられるものがあり、是非とも訪ねたいと思っていましたが、当時の自分にとっては海外旅行なみの遠いところ。結局、日本からSLが消える最後の昭和50年3月に何とか夢を実現させました。関西から新幹線~急行くずりゅう~急行しらゆき~連絡船~急行ニセコを乗継ぎ北海道に渡りましたが、瀬棚線のC11は前年にすでに姿を消していました。しかしまだ数カ所にSLが活躍していたので、8泊9日であちこち回りました。当時の動画もアップしています。この8ミリフィルムも長らく押入れに埋もれていて廃棄される直前でした。最後の蒸気機関車を記録できたことは今となっては私の宝物となりました。若かりし頃の記憶を蘇らせていただいた動画に感謝です。ありがとうございました(;´∀`)
初めまして。車輛のみならず子供や動物まで入った写真のセンスに敬意を表します。私個人はこういう写真に心が和みますし、鉄道が生活の一部に入り込んだ素敵な写真かと思います。C11171とC11207が今も生き長らえている運命は何という偶然なんでしょうか。
徹トオルさんのスライドの動画を見ていると、当時『蒸気機関車』を見た写真みたいだなと思ったのがまさかの『蒸気機関車』に写真出てた人だとは思いもしませんでした。あの時のカメラはニコンS2の50ミリF2とペンタプリズムがない、アサヒフレックス1AをM42に改造されたものとアダプター付きの国産一眼レフの第一号の交換レンズと、M42になったマウントのタクマー135ミリF3.5の当時新品で父が購入したカメラとレンズもあり、二重の意味でため息付いていたのを思い出します。ニコンS2は一眼レフでもないのに、交換レンズがあると言われてビックリしたのも思い出します。なぜニコンS2の交換レンズ買わなかったのか質問したら、お前恐ろしい事言うな、と答えられたのも思い出します。この頃のニッコールは中古でも高価なのも思い出します。鉄道写真で望遠レンズを使った写真を撮った組み合わせは、カメラはキヤノン4Sbとニッコール135ミリF3.5。父はこのキヤノンが欲しかったようです。自分のカメラを買った後、カラー用に一台そろえたのでモノクロ用の補完用にニコンS2用のレンズそろえた事もあり、中判の購入を検討したら写真学校卒業の叔父さんからマミヤC33
瀬棚線(正式には国縫から)は長万部から60Km弱の短いローカル線でしたが、茶屋川から美利河、花石にかけての急勾配が難所で、機関士の技量が試された路線でした。雨降りや落ち葉などで車輪が空転し、結局は峠を上りきれずに国縫まで引き返し、貨車を数両切り離して漸く瀬棚迄行った貨物列車も珍しくはなかったようです。当然、機関士としての評価は下る訳ですが、致し方なかったと言う事になるのでしょう。気動車も落ち葉でスリップし、国縫へ戻った事も有ったそうです。又、秋の収穫期には貨物列車を線路上に停めて、直接畑から玉ねぎやニンジン、カボチャ等を列車に積み込んだりもしたそうです。(万機区、万車区の乗務員OBから聞いた話)今は昔、もう二度と見られない風景です。
瀬棚線の写真は鉄道趣味誌で、見ました。瀬棚駅を捉えた捉えた写真でした。人々の移動も乗用車、学生と高齢者が乗るバス。貨物もトラック輸送に代わって、廃線の流れでしょうか。少子高齢化で様々な現場で、人手不足。地方だけでなく、都会ほど深刻。この頃は親が持っていたカメラを手にため息しかでなかった時代です。
御高覧ありがとうございます。この写真は、おっしゃる通り、雑誌「蒸気機関車」(キネマ旬報社)の「終着駅」、「レイル・マガジン」{ネコ・パブリッシング}の”瀬棚線・2つ目のC11”に発表したものを、まとめたものです。この頃は、支線の瀬棚線ですら、貨物が2往復あった時代でした。今は,諸般の社会情勢で、函館本線すら廃止になる時代になり、驚きです。
いずれも素敵な写真です。中でも美利河駅が立派な駅であったことに驚きました。昭和の末期は小さな三角屋根の駅舎があるだけの簡素な無人駅でした。旧集落も美利河湖の湖底に沈み、風景は大きく変わりました。瀬棚駅も当時は活気があったのですね。
小さい頃母親と瀬棚のおじいちゃんの所に行く時、機関車ではないけど良く乗ってたな
2021年8月27日 令和3年㊗️207カニ目再開記念🚂昨日、🚂SL大樹記録撮影の旅📹️を満喫しまして、ようやく悲願の🚂C11207カニ目に半年ぶりに再開📹️しまして、 ようやく大桑での🚂記録C11325とC11207のすれ違いシーンを初めて撮影🔰📹️することができ、超レアな体験を味わえ、瀬棚線の栄光も味わえました。🚂C11207カニ目は栃木の日光・鬼怒川⛰️にて🚂🌺元真岡鐵道C11325と元はまなすドリームカー、そしてDE10北斗星色・国鉄色🚂🌠と共に🦠💪コロナにめげずにSL大樹として現役バリバリ🚂⛰️です。SL大樹の他にも、いろんな東武の電車たちが盛りだくさんで👍️最高な鉄分補給🚂になりました。
すげーーーー超レア駅、丹羽駅が見たかった。廃線までの5年くらい小樽から長万部、乗り継いで乗ったな〜会津藩士の丹羽五郎さん開祖の町
撮られた方は、この時代にあって、かなりの鉄道写真センスをお持ちの方ですね。(プロの方でしたら失礼)古い時代の山からの下ろしの写真はあまり無いですし、写真やネガも整理して保管されているようにも見受けられます。
これぞ 真に生きてるc11の姿ですねスロープラウ ライトを上から撮るその情熱が伝わってきました
一緒に写っていたC11 180は現在道南とは全く縁もゆかりもない京都府宇治市の山城総合運動公園に保存されています。あとキハ20 0番台とキハ21の見分け方ですが、プレスされたドアの下に小窓があるのがキハ20、無いのがキハ21です(初コメなのに長々すみません😢⤵️⤵️)...
貴重な写真ありがとうございます。
追伸SL大樹ですが、今年(2021年)7月末から毎日運行開始と同時にC11207カニ目が半年ぶりに運用復帰して、さらに今月(2021年8月)、おかげさまでSL大樹運行開始4周年を迎えました。元真岡鐵道C11325と元北海道C11207、いかにも大井川鐵道のような存在で、今後の東武日光・鬼怒川線は大井川鐵道のような路線になりつつあり、今後のSL大樹の予定は、元雄別鉄道・江若鉄道C11123が今年(2021年)の冬には復元作業が完了して、おそらくは来年(2022年)デビューすると思われます。さらに、JR四国から東武に譲渡された元ムーンライト高知12系が展望車に魔改造しているらしく、どのような客車になるか気になります。そして、同じく東武に譲渡した元JR四国14系が茶色に塗装していて、今後、14系茶色編成ができる予定とのことです。
こんばんは。1983年3月に美利河まで乗りました。長万部で乗り遅れて旅程の関係で終点まで行けず、美利河で折り返してきました。SL時代は広い構内だったのですね。初めて知りました。貴重な写真をありがとうございました。写真も編集もお上手ですね。
見入ってしまいました。
まだ転車台の名残りは有るのだろうか?
母親の実家です(˙︶˙)
当時の生活の息づかいが感じられるような写真ばかりで感動しました。すごくよかったです。
昭和40年初期に北檜山高校に在学していたので
この沿線は思い出がいっぱいです。
お初です お邪魔します 過去に瀬棚線にC11が走ってたのを知りました スズラン号やニセコ号 大沼号 湿原号辺りしか知りませんでした 貴重な動画 ありがとうございます😂
懐かしい画像をありがとうございます。私自身は瀬棚線に行ったことはないのですが、今から思えば同じような時代に、蒸気機関車を求めて北海道に行っていたのに、このように機関車がすべてではなく、人や、風景や、街などの写真を撮っておけばよかったと思いました。
昭和40年代の終わり頃、当時出版されていた蒸気機関車という本を見て北海道のSLに憧れていました。その中で目に留まったのが小さな機関車が数両の貨車を引いて走る冬の瀬棚線でした。まだ中学生でしたが何か引き付けられるものがあり、是非とも訪ねたいと思っていましたが、当時の自分にとっては海外旅行なみの遠いところ。結局、日本からSLが消える最後の昭和50年3月に何とか夢を実現させました。関西から新幹線~急行くずりゅう~急行しらゆき~連絡船~急行ニセコを乗継ぎ北海道に渡りましたが、瀬棚線のC11は前年にすでに姿を消していました。しかしまだ数カ所にSLが活躍していたので、8泊9日であちこち回りました。当時の動画もアップしています。この8ミリフィルムも長らく押入れに埋もれていて廃棄される直前でした。最後の蒸気機関車を記録できたことは今となっては私の宝物となりました。若かりし頃の記憶を蘇らせていただいた動画に感謝です。ありがとうございました(;´∀`)
初めまして。
車輛のみならず子供や動物まで入った写真のセンスに敬意を表します。
私個人はこういう写真に心が和みますし、鉄道が生活の一部に入り込んだ素敵な写真かと思います。
C11171とC11207が今も生き長らえている運命は何という偶然なんでしょうか。
徹トオルさんのスライドの動画を見ていると、当時『蒸気機関車』を見た写真みたいだなと思ったのがまさかの『蒸気機関車』に写真出てた人だとは思いもしませんでした。
あの時のカメラはニコンS2の50ミリF2とペンタプリズムがない、アサヒフレックス1AをM42に改造されたものとアダプター付きの国産一眼レフの第一号の交換レンズと、M42になったマウントのタクマー135ミリF3
.5の当時新品で父が購入したカメラとレンズもあり、二重の意味でため息付いていたのを思い出します。ニコンS2は一眼レフでもないのに、交換レンズがあると言われてビックリしたのも思い出します。なぜニコンS2の交換レンズ買わなかったのか質問したら、お前恐ろしい事言うな、と答えられたのも思い出します。
この頃のニッコールは中古でも高価なのも思い出します。
鉄道写真で望遠レンズを使った写真を撮った組み合わせは、カメラはキヤノン4Sbとニッコール135ミリF3.5。父はこのキヤノンが欲しかったようです。自分のカメラを買った後、カラー用に一台そろえたのでモノクロ用の補完用にニコンS2用のレンズそろえた事もあり、中判の購入を検討したら写真学校卒業の叔父さんからマミヤC33
瀬棚線(正式には国縫から)は長万部から60Km弱の短いローカル線でしたが、茶屋川から美利河、花石にかけての急勾配が難所で、機関士の技量が試された路線でした。雨降りや落ち葉などで車輪が空転し、結局は峠を上りきれずに国縫まで引き返し、貨車を数両切り離して漸く瀬棚迄行った貨物列車も珍しくはなかったようです。当然、機関士としての評価は下る訳ですが、致し方なかったと言う事になるのでしょう。気動車も落ち葉でスリップし、国縫へ戻った事も有ったそうです。又、秋の収穫期には貨物列車を線路上に停めて、直接畑から玉ねぎやニンジン、カボチャ等を列車に積み込んだりもしたそうです。(万機区、万車区の乗務員OBから聞いた話)
今は昔、もう二度と見られない風景です。
瀬棚線の写真は鉄道趣味誌で、見ました。瀬棚駅を捉えた捉えた写真でした。
人々の移動も乗用車、学生と高齢者が乗るバス。
貨物もトラック輸送に代わって、廃線の流れでしょうか。
少子高齢化で様々な現場で、人手不足。地方だけでなく、都会ほど深刻。
この頃は親が持っていたカメラを手にため息しかでなかった時代です。
御高覧ありがとうございます。この写真は、おっしゃる通り、雑誌「蒸気機関車」(キネマ旬報社)の「終着駅」、「レイル・マガジン」{ネコ・パブリッシング}の”瀬棚線・2つ目のC11”に発表したものを、まとめたものです。この頃は、支線の瀬棚線ですら、貨物が2往復あった時代でした。今は,諸般の社会情勢で、函館本線すら廃止になる時代になり、驚きです。
いずれも素敵な写真です。中でも美利河駅が立派な駅であったことに驚きました。昭和の末期は小さな三角屋根の駅舎があるだけの簡素な無人駅でした。旧集落も美利河湖の湖底に沈み、風景は大きく変わりました。瀬棚駅も当時は活気があったのですね。
小さい頃母親と瀬棚のおじいちゃんの所に行く時、機関車ではないけど良く乗ってたな
2021年8月27日 令和3年
㊗️207カニ目再開記念🚂
昨日、🚂SL大樹記録撮影の旅📹️を満喫しまして、ようやく悲願の🚂C11207カニ目に半年ぶりに再開📹️しまして、 ようやく大桑での🚂記録C11325とC11207のすれ違いシーンを初めて撮影🔰📹️することができ、超レアな体験を味わえ、瀬棚線の栄光も味わえました。🚂C11207カニ目は栃木の日光・鬼怒川⛰️にて🚂🌺元真岡鐵道C11325と元はまなすドリームカー、そしてDE10北斗星色・国鉄色🚂🌠と共に🦠💪コロナにめげずにSL大樹として現役バリバリ🚂⛰️です。SL大樹の他にも、いろんな東武の電車たちが盛りだくさんで👍️最高な鉄分補給🚂になりました。
すげーーーー
超レア駅、丹羽駅が見たかった。
廃線までの5年くらい小樽から長万部、乗り継いで乗ったな〜
会津藩士の丹羽五郎さん開祖の町
撮られた方は、この時代にあって、かなりの鉄道写真センスをお持ちの方ですね。(プロの方でしたら失礼)
古い時代の山からの下ろしの写真はあまり無いですし、写真やネガも整理して保管されているようにも見受けられます。
これぞ 真に生きてるc11の姿ですね
スロープラウ ライトを上から撮る
その情熱が伝わってきました
一緒に写っていたC11 180は現在道南とは全く縁もゆかりもない京都府宇治市の山城総合運動公園に保存されています。
あとキハ20 0番台とキハ21の見分け方ですが、プレスされたドアの下に小窓があるのがキハ20、無いのがキハ21です(初コメなのに長々すみません😢⤵️⤵️)...
貴重な写真ありがとうございます。
追伸
SL大樹ですが、今年(2021年)7月末から毎日運行開始と同時にC11207カニ目が半年ぶりに運用復帰して、さらに今月(2021年8月)、おかげさまでSL大樹運行開始4周年を迎えました。元真岡鐵道C11325と元北海道C11207、いかにも大井川鐵道のような存在で、今後の東武日光・鬼怒川線は大井川鐵道のような路線になりつつあり、今後のSL大樹の予定は、元雄別鉄道・江若鉄道C11123が今年(2021年)の冬には復元作業が完了して、おそらくは来年(2022年)デビューすると思われます。さらに、JR四国から東武に譲渡された元ムーンライト高知12系が展望車に魔改造しているらしく、どのような客車になるか気になります。そして、同じく東武に譲渡した元JR四国14系が茶色に塗装していて、今後、14系茶色編成ができる予定とのことです。
こんばんは。1983年3月に美利河まで乗りました。長万部で乗り遅れて旅程の関係で終点まで行けず、美利河で折り返してきました。SL時代は広い構内だったのですね。初めて知りました。貴重な写真をありがとうございました。写真も編集もお上手ですね。
見入ってしまいました。
まだ転車台の名残りは有るのだろうか?
母親の実家です(˙︶˙)