【睡眠用】ガチで眠れなくなる!日本史とキリスト教の謎!!【ゆっくり解説】
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- Опубликовано: 18 ноя 2022
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今回は日本史のなかにでてきたキリスト教です。
史実をベースとした
1つの説であることをご了承ください。
日本キリスト教史
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キリスト教と日本人
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世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史
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仁義なきキリスト教史
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語ることが許されない 封じられた日本史
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にっぽんぽんTwitter 【制作の裏話など】
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にっぽんぽんInstagram【偉人の名言】
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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願いします。
osigotoiraihakotira@gmail.com
#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
長崎 佐世保出身ですが1966年に中学校に入ったら 1人1人に 新訳聖書を貰ったけど 佐世保地区はキリスト教の人は1割位だったけど
秘密にしていた 本当の話しです
どこが配布していた新約聖書でしたか?
ドイツでは、街角や大学構内、駅などで、よくギデオン協会が新約聖書と詩編が入った小型の携帯版聖書を配布して布教しています。
ギデオン協会は、異教徒を主対象に布教活動を行う、かなり大きな組織のようです。
私は日本でキリスト教教育を受けてからドイツに来て37年目になるので、今更私に布教しても仕方がないのですが、東洋人だからということで、今までに何度もドイツ語の携帯版聖書を頂きました。
各国版聖書を使った布教もしているので、隠れキリシタンが多かった長崎なら、そうした組織がお金を出して、新中学生に聖書を無料配布していてもおかしくはありません。
一神教のキリスト教徒ならば当然異教を許さないわけで、逆にキリシタンによる寺社焼き討ちをやってるもんで迫害されても自業自得感がぬぐえないんですよねぇ。
寺社の焼き討ちなんて平安時代からやってるよ、日本の寺も腐敗しまくりだし。明治になったら政府が神社潰し始めたし、神道が普及し始める庶民も寺焼き討ちした。
そこに加えて、人身売買がありましたから、余計に自業自得感が強くなります。
「一神教のキリスト教徒ならば当然異教を許さない」
なぜ、そういう解釈になるのでしょう?
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聖書を読めば分かりますが、旧約聖書でヨセフがエジプトに売り飛ばされて大臣になり、もともと住んでいたカナンの地が飢饉に見舞われた際に、エジプトに穀物を買いに来た兄弟に告げて、親兄弟一族をエジプトに引き取る話がありますよね?
彼ら、つまりユダヤ人たちはエジプトで増え続けて、身売りされて大臣にまでなったヨセフの親族なのに、いつの間にかエジプトで奴隷として働かれるようになっていた。
ユダヤ人たちは自分たちの神ヤハウェに祈り、それを見たエジプト人達たちは、「暇だからそんな風に神に祈るのだ」と言って更にきつい労働を課す。
ユダヤ人たちは遂に、預言者モーセとあらんという兄弟を指導者に、エジプトを脱出し、父と三つの流れる血、華南を目指す。
有名な出エジプト記の話です。
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この話、よく読むと分かりますが、多神教を信仰するエジプト人を、一神教を信仰するユダヤ人たちは攻撃してはいませんよね?
逆にエジプト神たちが、ユダヤ人たちを迫害し、彼らが信じる神を信仰し、礼拝することを妨げています。
新約聖書では、イエスは更に異邦人たちにも寛容で、ほぼ分け隔てなく援けようとします。
その当時、キリスト教やイスラム教はまだ成立していず、ユダヤ人から観たい法人は、羽部から区多神教を信仰する民族であったにも拘わらす、です。
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ユダヤ教から分かれたイスラム教も、イスラム教徒が他の宗教に改宗することには厳しくても、他の様々な宗教を信仰している人達を、ただそれだけの理由で攻撃することはありません。攻撃する時には、必ず、他の政治的理由が絡んでいます。
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ですから、キリスト教が一神教だから、仏教や神道の存在を許せずに寺などを焼き討ちしたという話がもし真実なら、その真相はむしろ、一神教だから、多神教だからと拘っている日本人の側にあるように思います。
キリスト教徒が、多神教の信者をそれだけの理由で、憎んだり殺したりする例は、まず滅多にありません。
新約聖書にも、「この福音を地の果てまでも延べ伝えよ」とはありますが、」キリスト教に改宗しない人は殺せとか、他宗教の施設を破壊せよとは、一言も書かれてはいません。
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そして奇妙なことに、世界史を見ればわかる通り、キリスト教徒が最も激しく戦っている相手は、キリスト教徒同士、ないしはイスラム教徒、そして迫害している対象はユダヤ人で、皆一神教、しかも互いに兄弟宗教で、同じ神を信仰する経典の民同士なのです。
そうでなかった激しい戦いは、英国と清が戦ったアヘン戦争や、日露戦争、太平洋戦争時の日米、日ソの戦い位なのではないでしょうか?
「一神教のキリスト教徒ならば当然異教を許さない」と主張する人は、この事実をどう説明するのでしょうか?
糞寒い中、我先にご来光を見に出かけて手を合わせて拝むのが日本人。
それでいいんだと思うんですよね。
1:00:36 銀魂に登場したザビエルの幽霊はあの髪型が流行らなかったのを床屋のせいと逆恨みしていた。
日本人奴隷に激怒する秀吉様、素敵です
あの人朝鮮人殺して京都の方広寺ってとこにその朝鮮人の耳集めて耳塚作った人だぞ
一度しか見た事ないけど、「キリスト教式の地鎮祭」があるから、日本人は外国の食べ物でも製品でも、日本のオリジナルに魔改造するのが得意だと思う
あれはキリスト教式というより、日本の地鎮祭のような神道などとは関係ない地鎮祭という意味ね。
私が住んでいるドイツの村でも、村人たちが寄付を集めて、多目的ホールを備えたスポーツセンターを建設し、その地鎮祭というか、起工式を村人が大勢集まってやりました。
私はスポーツセンターのすぐ近くに住んでいながらいかなかったのですが、自治会法の写真に依れば、皆でスコップなどを持ってやったようです。
別に日本の地鎮祭が欧州の物の換骨奪胎なのではなく、世界中どこでも、似たようなものはあるものです。
お寺でも「もみの木祭り」と称してクリスマス祝っているけどね
昨日の夜から聞きながら寝てしまい😅今朝から聞き直しました。キリスト教布教については知っているつもりでしたが、さらに流れるような話し方と丁寧で分かりやすい説明も勉強になり古い記憶を思い返しました。とんずら。初めて知りました。ありがとうございました。
すみません。トンスラでした😭🙏
今やクリスマスも溶け込みすぎて、もはやキリスト教なのか習慣になっててわからんよね(笑)
元々 クリスマス は異教の祭りですから!
日本のは単なるイベントやな。
同性愛が禁止されてたヨーロッパでは同性婚が許されてて、
おおらかだった日本ではまだ認められてないって何か不思議だな。
そんなものいちいち認めなくても良い。やりたきゃ勝手にやれば良い。ただそれだけのこと。
そういうことが生理的にダメな人もいるのだから、そういう人たちの気持ちも考えるべきかと。
なんでもかんでも差別と捉えて国家が介入する、前時代的な平等主義はもう止めにして欲しい。
結婚てそもそも感情論ではない制度だから
種子島(鉄砲)は 平戸の資料館には
最初に 平戸に来たみたいだよ
関係ない人でもみんないい人になりいいところでありますように
踏み絵で 細川ってのには 笑った
天国って空から降ってきて、15歳以下の童貞しかは入れないんじゃ?
(旧約聖書基準)
エヴァンゲリオンで14歳なのは、それもある
36:00
なんとも物憂い顔で踏む伴天連町人のイラスト。やるせない面持ち。2015/02/21
原文見る分には大内義隆治世の山口におけるキリスト教布教は成功
宗教が起こった事で戦争が数多くおこつた。
でかなりの人が亡くなっている。
それで、この宗教が起こって無ければ今の地球上の人口が10億人程増えていたとの研究者が公表していたと聞いた事あります。
本当のキリスト教…キリスト教に限らずイエスもブッダも最早御本人の声を聞くことはできないし、教祖亡き後の独り歩きしたものにしか私達は接することが出来ないし自分が良いと感じる生き方しかできないんでは…?
信長・秀吉⏩日本⏩地球⏩世界進出
家康⏩日本⏩地球⏩俯瞰⏩日本の天下泰平
キリスト教の基本→最も重要な教えは「福音」。福音とは「キリストは、私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、3日目に復活して、使徒たちに現れたこと」で(聖書1コリント15:1~5,イザヤ53)、人はこれを信じるだけで救われる(ローマ1:16,エフェソ2:8~9)というもの。全ての人は罪の性質を持ち、そのままでは創造神に義と認められず、キリストの犠牲の死によって救われるということ→だからこそキリスト教のシンボルは十字架。
そーか、福音を呼びこまなあかんのか。
ま
馬鹿じゃね~のか
じゃあ、イエス様が拳銃で殺害されたら拳銃を掲げますか?
キリストが伝えた福音は
イエス様の肉を食べ血を飲む者は罪を許され善悪の実から続く死の支配から解かれて天国に帰ることができるということです。
過越祭の日にイエス様が
パンとブドウ酒に
肉と血の約束を込められて
この日を記念とし守るように言われた
イエス様と使徒たちの模範を
行うことが天国に帰る福音(福なる知らせ)です。
キリストの死によって我々の死罪を背負われ救いに与るというのは
正しいですが、その血の犠牲に預かってこそ救われます。
(ヨハネによる福音書6章53節〜54節)
信じるだけでは救われません。
行いが伴ってこそ救われます。
(マタイによる福音書7章21節)
鷹羽聖様へ返信 (マタイによる福音書7章21節)わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。
→すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」 (ヨハネ6:28~29)
聖書 新改訳2017
住んでいる所の関係なのか、たまにシスターを見かける事があります。すっかりお婆さんですが、とても清らかな感じがして、心が洗われる思いがします。
一神教っていうのが合わない。
日本にキリスト教が普及しなかった理由の一つとして識字率の高さが挙げられる。15世紀ではヨーロッパでの識字率は2〜5%前後で、読み書きが出来る宗教家や宣教師の役割は大きかった。日本人は武士なら勿論の事、商人でも読み書きそろばんはある程度出来たし、江戸時代には貸本屋が流行る程で、寺の庭先には和算で遊ぶ奇特な人々もいる程だった。日本人の勤勉さと好奇心旺盛さは、特異的であるとザビエルも報告した程。布教時に、商人や農民に何度も論破されて「この国もう嫌だ。マジで母国に返してクレメンス」「誰か僕より賢い交換要員よろ」って本国への報告書で何度も弱音吐いてた書簡が現存してる。
それはないでしょう。
だって欧州には古代ギリシャから、弁論術、修辞学の伝統があるもの。
これは識字率とは一応無関係で、今でもドイツでは、幼稚園児くらいの頃から、喧嘩をしたら、きちんと自分の言うべきことを言って相手を論破するように訓練しますよ。
だから、日本では、大学のゼミでも、学会の研究発表でも、皆が静まり返っていることが多いのに、ドイツでは、大学のゼミも、学会の研究発表も、喧々諤々で凄いもの。
一般論としては、日本人の方が論破する力が高いとは決して言えません。
尤も、古代ギリシャ・ローマ人やドイツ人と比べれば日本人の弁論術なんてお粗末なものだけれど、スペイン人やポルトガル人宣教師の弁論術や論破力がどの程度だったのかは知りませんけれど。
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ちなみに私は、生まれ育ちは日本ですが、母がアメリカ系ミッション大学で幼児教育、児童心理学を学んでいた影響もあるのか、幼稚園入園当初、園長先生以下、先生方全員を相手に堂々と論陣を張って反論したことがあります。
あの時には、先生たちが、自分たちが理事さんたちに叱られたからというので、私たち園児に理不尽な八つ当たりをして「あんたたちが悪いんでしょう、謝りなさい」と怒鳴ったので、他の子達が訳も分からずに泣きながら「ごめんなさい~」と言ったのに、私だけ、先生全員を相手に「いつもと同じことをしたのに、どうして今日だけ、私達だけ、叱られなければならないのですか? 私たちは悪くないのですから、私は謝りません。」と言ってやったのです。
そうしたら先生たちに、「幼稚園児のくせに生意気な子ね、素直に謝れるようになるまで廊下に座っていなさい」と言われて、その日一日、おやつもお弁当も食べさせてもらえず、友達とも遊べず、廊下にずっと正座していたことがあります。
いつもは親友と一緒に帰宅するのに、その日は私だけ、他の子達が帰ってから急いでお弁当を食べさせられて家に帰されたので、私が帰宅して母にそのことを話したら、母と私の親友のお母さまが烈火のごとく怒って、幼稚園に抗議に行きました。
母は保母資格、幼稚園教諭資格、小学校教諭資格の3つの資格を持っていて、結婚前は、都内の芸術幼稚園教諭としてずっと勤めていましたからね。幼稚園の先生たちのやり方がやるせなかったのでしょう。
その幼稚園、カトリックの幼稚園で、修道女の園長先生が「人間は死に際が肝心」とか分けの分からないことを言ったとかで、母がまた怒っていました。その園長先生、その直後にどこかの修道院長に移動させられていました。
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お蔭で私はその後、卒園まで、もう先生たちとは衝突しないように、何が起きても黙って、言いたいことも言わずに周囲に合わせていました。
でも、小学校に上がって、最初の授業でまたやらかしてしまって。
私は小学校入学前に、既に大人並みに読み書きができたので、国語の授業で「さくら、さくら、さくらがさいた」というひらがなを先生が黒板に書きながら教えるのを聴いていてつまらなかったので、買ったばかりの真新しいノートに一心不乱にページ数を振りながら、「何を書こうかなぁ?」といろいろ考えていたのです。
そうしたら、先生から突然、鋭い声が飛んできて、「〇〇さん、何をやっているんですか。ちゃんと先生の話を聴きなさい」と酷い怒られ方をされてしまいました。
私は幼稚園でのことがあったので、今度は争うのもバカバカしいや、と思い、「すみませんでした」と謝ってノートを閉じ、頬杖をついて窓の外を眺めながら、ノートに書きたかったいろいろなことを考えていたのですが、内心、怒りか納まらなくて。
それで帰宅して母にそのことを話し、「もう明日から学校なんて行かない」宣言。
そうしたら母が、「学校はね、授業を聴きに行くところじゃないのよ。お友達と遊んで、いろいろな活動を一緒にして、社会生活の訓練をしに行くところなの。だから、授業なんて詰まらなければ聴かなくていい。そのことはママが先生にちゃんと話しておいてあげるから、学校には行くだけ行きなさい」と。
で結局、卒業するまで、担任の先生と親の公認のもと、黒板とノートを使ったいわゆる座学の授業は完全無視して一切聴かずに通しました。
もちろん、体育、図工、音楽、家庭科のような実技系授業や、理科の実験や社会科のグループ学習などには参加。
それと母との約束で、「授業が詰まらないのなら聞かなくてもいいけれど、授業を聴かなかったから分からなかったというのはダメ。だから、テストはすべて満点を取ってくること」ということで、4月に教科書を貰ったら一応全教科ざっと目を通し、翌日学校に持って行って、机の中に放りこむ。
だから学校には教科書は持って行かない。持って行くのは、好きな本とノート。授業中は本を読んだり、詩やエッセイを書いたり、作曲をしたり。
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中高は私立のアメリカ系ミッションスクールに進学し、ほぼ全科目、教科書はほとんど使わず、中学1年の生物の時間にメンデルの法則を習うのに、最新の生物学会の研究報告がプリントで配られたり、新書版の遺伝学の本が参考図書としてして入れて読まされたりする学校だったので、退屈している暇はありませんでした。
でも間もなく私は音楽の勉強に夢中になって、毎日レッスンで飛び回り、深夜まで練習し、明け方まで専門書を読んで論文課題に取り組むような生活になり、4時過ぎに寝て7時に起きるのが辛くて、5分遅刻ということが多くなり、またまた先生に呼び出されてしかられましたけれど。
でも、私を呼び出したのは、私をとても可愛がって下さっていた現代国語の先生〈現代国語だけは、私は高校卒業まで成績は学年トップだった)で、幼稚園や小学校の先生たちとは違って、私を頭から叱りつけはしませんでした。
先生曰く、「あなたのような真面目な人が遅刻してくると、他の生徒に示しがつかなくて困るんだよ。お願いだから、好きなことのためにカリキュラムを無視するのは、大学に入ってからにしてくれない?」と。
これは私も思わず苦笑。
でも、私が母校の中高を選んだのは、関東大震災で母校の垢廉価の校舎が倒壊し、ネオゴシック調の新しい校舎とチャペルが米国改革派教会の寄付で建てられた際、篤志家の方が寄付して下さったというステンドグラスに私が一目惚れしてしまったから。
そのステンドグラスは、今ではもう制作できないという見事なもので、夕映えを背に、迷える子羊をキリストが抱き抱え、それを母羊が心配そうに見上げている、一度観たら忘れられないような、色合いも、キリストの優しいまなざしも素晴らしい物でした。
私は毎朝、どんなに眠くても、チャペルであのステンドグラスを眺めるのを楽しみにしていたので、8時25分に出血を確認する時には教室にはいなくても、8時30分の敬拝開始時刻らは、ちゃんとチャペルに入っていたのです。
ですから、尚のこと、先生のこと言葉には、返す言葉がありませんでした。
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(続く)
(続き)
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でもねぇ、そういういろいろなことを考えてみると、日本に来た宣教師団を日本人の子供たちが論破して困らせたというのがたとえ本当の話だったとしても、それは、日本人の方が宣教師団より論破する能力が高いとか、その要因のひとつは日本人の識字率の高さだとかいうことにはならないと私は思うのです。
だって私が一番激しく周りの大人たちを論破していたのは、相手の気持ちなど何も斟酌していなかった幼稚園児の頃だと思うもの。
幼稚園児の頃の私は、実際、先生も親も答えられないような宗教上の質問をよくして困らせていましたよ。でも母は、「答えのない問いもある。そういう問いに自分で答えを見つけることが、生きる目的なのかもしれない」と良く行っていました。
私がザビエルが来た当時に生きていたら、宣教師を困らせるような質問もしたかもしれませんが、周りの子がそういう質問をしていたら、逆に私が答えてあげていたかもしれません。
だって、その子の質問、私が先生や親たちにしていた質問より、遥かに単純だもの。なんとでも答えようがあるではありませんか。
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そもそもキリスト教では、福音を知らない異教徒は、福音を聴いて救われる可能性があるから、福音を聴いても信じなかった、ないしは間違った解釈をしている異端者よりははるかに良いとされるのだもの。
それに、亡くなった人の救いのために、生きている人が懺悔の祈りを捧げて、ミサをあげてあげることもできるしね。
それから、悪魔は、そもそも堕天使です。
世界は全だけで構成されているのてはなく、もともとは神に仕えていた天使が道に外れて堕天使になり、人間を試すのだと。
ですから、「主の祈り」にも、「我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」という一節があるではありませんか。
試練を乗り越えるというのは、クリスチャンにとって大切な修行の一つです。
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私はドイツの大学で一般修辞学も専攻しました。
古代ギリシャ以来の修辞学の歴史や技法を一通り学んだ私の結論は、相手を論破するためにやたらと弁論術や修辞学の技法を振り回すのは下手な人のやることだということ。
一歩間違えれば、それは詐欺師の詭弁術のようなものに堕してしまう。
そうならないためには、相手が使う弁論術、修辞学の技法、論法を余さず見抜きながら、自分自身はできるだけ変に技巧を弄さず、できるだけ単刀直入に、本質を突くようなことをスパッと言ってのけるのが一番いい。
いや、むしろ時と場合によっては、敢えて相手を論破しようとはせず、黙って争いを避けた方がよいこともある。
避けても避けきれなくなったら、考え抜いた決定的な言葉を一言、相手に投げつける。
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この時の宣教師団は、はたして日本人の子供の投げかけた疑問に、本当に答えられなかったのか?
だって、伊達政宗が遣欧使節団をスペインに送った医、既に日本がキリスト教禁令に傾いていたことを知っていたスペイン国王は、派手に歓迎はしなかったわけでしょう?
それでいて、遣欧使節団を教皇に会わせるためにローマに行かせて、そこで歓待させてやる。
なかなか大人の対応ではありませんか。
だからこの時の宣教師たちは、言葉の壁もあったにはせよ、子どもの素朴な疑問に、どこまで答えるべきか、周囲の政治用を見極めながら考えていたんじゃないのかな?
フランシスコ・カブラルの所の肖像画はスペイン国王のフェリペ2世の肖像画です。
少子化対策はどうすれば良いのか、ザビエルに聞いてみたいです。
ヨーロッパの変遷を見る限り、日本古来の神道が全てを証明している。
日本も日蓮宗、一向宗、創価学会みたいな、排他的で戦闘的な一神教的なものが流行った事はあるわけで、
キリスト教が入り込む余地がなかったからといって危うい時期はあったんじゃないかな
戦国時代から江戸時代にかけて政教分離が成し遂げられたことに感謝
・・・根本的には日本の自然風土が豊かさと恵みと厳しさの両面をもたらしてくれるから、唯一神に帰依し救済を求めるような宗教観がリアリティを持たないんだと思う
それと日本も貧しい時期はあったとは言え海外に比べれば階級格差が少なかったことも影響しているのだろう
そういう問題じゃなくて、日本人はキリスト教の背後にある西洋文明の恐ろしさを見抜いて、貿易による利益より、キリスト教と共に西洋文明、西洋的な価値観、考え方が一挙に入ってきたら日本が混乱すると直感して避けたのではないかな、という気がします。
信長は、天下統一に至らなかったから、まだそのことが見抜けなかった。
秀吉は、日本新も奴隷として売られているということより、日本に近いマニラまでスペインの植民地になっていて、そこから中国大陸、日本と攻めあがってくるのを恐れた。
実際に英国がマカオ、香港を占領しましたし。
家康は、貿易利益も、島津による琉球貿易などを除き、長崎の出島でのオランダ・中国を通じての貿易利益は、情報流入ともども、幕府が独占しようとした。
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幕末の慶喜も、下手に朝敵になってまで新政府軍と戦い続けると、島津を支援する英国と幕府を支援するフランスとの間の代理戦争になり、日本が二分されて自滅し、結果、欧米の植民地になってしまうことを恐れた。
明治維新後の開国で、日本は急速に近代化しましたが、常に、外国からの技術や情報の流入は外国人任せにするのではなく、ワンクッション措いて、日本人の目で情報や技術を取捨選択して取り入れ、日本人の生活を守ろうとしてきたように見えます。
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だから今でも日本は島国根性だし、ガラパゴス。
初期のパソコンでは、MS-DОSが日本語と英語で完全に分かれていたこと、ケータイもおサイフケータイ、SIMロックなど、世界標準ではない仕様が多い。
いいこともあるけれども、困ることもある。
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だから、キリスト教か日本で受け入れられにくい原因も、一神教云々より、日本人がどこかで西洋に染まり切りたくないせいなのかな、と。
本当は、ザビエルがキリスト教を伝えた後にも、明治維新時や戦後の米国占領期など、日本がキリスト教化しそうな時期は何度かあったのです。
標準日本語を定め、モーツァルトやシューベルトのリートに日本語の菓子を付けて小学唱歌を作るより、いっそ英語を国語とし、文化全般を西洋化すればよいという意見もでた。
終戦後は、昭和天皇が、天皇の罪を問わず、皇室も残すというのなら、自分自身がカトリックに改宗することも厭わないと仰ったなどという話も。
でもそんな話も立ち消えになり、結局、美智子さま、雅子さまと、カトリックの雙葉学園や聖心女子大に学んだり、帰国子女だったりする方を民間から皇太子妃に迎えるにとどまりました。
天国って空から降ってきて、15歳以下の童貞しかは入れないんじゃ?
(旧約聖書基準)
バージんから子供が産まれるわけねーべや
んだんだ
(´・∀・)カワイイ✨👶🏻✨
睡眠用待ってました(笑)
作業しながらみます。編集お疲れ様です(((o(*゚▽゚*)o)))
ありがとうございます!!
日本人は仏教的思考が坊主の説教で根付いていたんだな
子連れ狼 踏み絵のシーンで大吾郎が踏みつける場面はすごかった 多分この場面は今でカットされてるかも 今の時代は無理放送するのは
隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違い初めて知った
私は神道と仏教だから 70年クリスマスもハロウィンも祝った事はない‼️
日本は根底に諸教混淆の文化を持っているから、多くの人はクリスマスもハロウィンも楽しめるのだと思うな。
それが和なのかな?
ご立派。でもそもそも日本でクリスマスはともかく、ハロウィンをそんなに盛大に祝うなんて。(笑)
私の住むドイツでは、ハロウィンは時々カボチャを見掛けるくらいで、仮装はカーニバルの季節の方がよほど多いです。
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尚、私は幼少時からキリスト教教育しか受けていないので、我が家の両親は、子どもが生まれても、七五三でも、初詣なども、とにかく神社にお参りは絶対にしないのです。
両親の結婚式は無教会主義キリスト教集会に通っていた先の矢内原忠雄氏の司式で、妹の結婚式は、彼女がオーガニストギルドでオルガンを弾き、聖歌隊で歌っていたミッション大学のチャペルで、兄の結婚式と父の葬式は、父の学友である牧師の司式で。
ただ、日本だから、観光地に神社やお寺があれば詣でることはある。普通の日本人が欧州の教会を見学する感覚かな?
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何より問題なのは、両親とも金沢出身だから、両家の宗教も、元を辿れば浄土真宗なのですよね。
母方の親族は首都圏に集まっていて、祖父母の墓も首都圏の公園墓地にある。父のお墓も公園墓地に新しく造りました。
でも、父方の祖母の墓は、先祖代々の金沢の浄土真宗のお寺にあり、法要なども長男である父、父亡きあとはその長男である兄の務め。これはキリスト教改宗後も日本人としては外せない。
そして、欧州の新年は、花火を打ち上げ、シャンパンを空けて祝って終わりですが、日本では、神社に初詣はせずとも、年賀状、年始回り、それに門松や鏡餅を飾り……といろいろある。
私はクリスマスカードに新年のあいさつも書き添えてしまうことも多かったのですが、両親兄妹は、きちんと年賀状を書いていました。
それに私の実家でも、新年には小さな鏡餅を飾っていました。神棚ではなく、ピアノの上ですが。
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宗教とその他の文化は密接にかかわっているから、異文化の宗教に改宗したり、異文化を受容すれば、多少なりとも文化融合は避けられません。
江戸期でも日本全国の人口の10%くらいねキリシタンがいたんですよ。確かに長崎が中心ですが、驚き、桃の木、さんしょの木と来た、今の青森県の津軽半島にまでキリシタン集落がありました。さらに島原の乱の時、島原から津軽半島に使者が来た…と云う記録がありやす。
江戸時代に隠れキリシタンが人口の10%、今の日本のキリスト教徒は人口の1%というのは、恐らく数え方が大きく異なるからだと思います。
江戸時代の場合には、キリスト教会そのものが非公認だから、正式にどこかの教会に教会員として登録されているキリシタンもいないわけでしょう? だから、そういう意味ではゼロ。
ところが現代日本の統計では、なまじ教会があるから、そこの教会の教会員、その中でも、洗礼をまだ受けていない求道者を除き、洗礼を受けてクリスチャンになった人が何人いるかをかなり正確に数えることができる。
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ところが、例えば我が家の場合には、両親が矢内原忠雄の無教会主義キリスト教集会に通っていたから、そもそも最初から協会がなく、牧師も存在せず、洗礼式もない。
だから、いくら我々子供たちに聖句から名前を取ってつけようが、子供たちをカトリックの幼稚園やミッションスクール、ミッション大学に通わせようが、洗礼を受けたクリスチャンだ向け数えるのなら、セロにしかならないわけです。
宗教教育はすべてキリスト教、家でも讃美歌を歌い、結婚式もお葬式も、すべてキリスト教式なのに、です。
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無教会主義キリスト教集会に通っている人でなくても、ミッションスクールでは毎朝礼拝かあり、生徒はどこかの教会に登録して日曜日にはその教会の礼拝に出席し、泊りがけの修養会で聖書を連日学んだりもするから、かなり聖書を読み込んでいて、熱心に教会に通っている生徒や卒業生も多い。
それでも、洗礼を受けていなければ、統計ではクリスチャンの数には数えられない。
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ですから、現代でも、江戸時代の隠れクリスチャンのような形で、何らかの信仰を持っている人を数えたら、日本でも人口の10%くらいはいるはずですよ。
但し、ミッションスクールが集中しているのは、東京、横浜、神戸、京都、それに地方では長崎や仙台など、かなり限られている。湘南地域や北海道なども結構多いかな?
だからそれ以外の地域に住む人たちは、シスターやミッションスクールに通う生徒たちんなど見たこともないという人も出てくるのではありませんか?
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でもそれを言うなら、今の日本で、お寺の檀家になっている人、神社の氏子になっている人を数えたら、江戸時代などより遥かに数は減っているのては?
そして、キリスト教徒の場合には、教会で洗礼まで受けている人は、教会員になって真面目に日曜ごとに教会に通っている人が多いのでしょうか、今の日本で、お寺の檀家や神社の氏子になっている人の中には、仏教や神道について知識も信仰もない人が結構多そうな気がします。
43:07 いらすとやは本当になんでもあるな…。
日本の宗教はジャニーズではないのかと思うことがあります
沈黙の同じ時期に異端審問と魔女狩りで火あぶり刑しまくってたキリスト教が何を言うのか?
ザビエルはイケメン説があったはず
私も諸星大二郎がスゴく好きだ
星野之宣も大好きだ
バックグラウンドの音楽?が耳障り〜〜〜〜〜!
阿部寛が主役で映画化してましたね
12:30
プロテスタントが何か?って案外興味がないと知らない事をおしえてくれて
ありがとうw
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も信じている神さまは同じだが、教義が違うだけ。
簡単に論破されるって単にザビエルが無知無教養だったと言う事か。
お寺では酒の事を般若湯と言って造ったり売ったりしてたし住職も呑んでたな。
江戸時代には、オランダ交易が出来たので、カトリックは必要なくなったのでは?
キリシタン波川磯!でした。細川がラシャ藻、明智光秀藻、キリシタンかな、でも、信長さんは、キリシタンは、なかよかったしなー
聖書の中には
囲いに入っていない羊も導くと書いてあります。
福音を聞く機会が無く人生を閉じた者は、審判の前に宣教師の代わりに
キリストが直接福音を伝えに来ますのでチャンスは有ります。
まあ、本尊とか置くんだから宗教はほとんど全部似てるでしょうな。人の悩みは宗教には救えない。死後の気休めになるなら宗教は無意味ではないけど、お金かかりすぎて無理。払えん、上納金。
その点、政教分離原則に反すると批判されながら、ドイツが古い教会税を維持しているのにはメリットもある。
教会税そのものは、宗教宗派を申告すれば、税金の一部がその宗教宗派の団体に回されて資金となるし耳で、所得税同様、所得の多い人から多い比率で徴収する。だから、収入が少ない、或いは無きに等しい人はあまり払わなくてもよい。
それでいて、地域社会での出産祝い(洗礼式)、七五三的な聖地用祝い(堅信礼)、結婚式と結婚披露宴、葬式、それに婦人会や青年会の活動、遠くに派遣される人の送別会など、すべて教会や教会脇の信徒会館て、牧師への高い謝礼抜きで引き受けてもらえる。
俺が神だ
シャクレキリスタン
やっぱりロクでもない宗教だなキリスト教w
一神教よりも多神教の宗教の方が緩くて、他の文化や宗教にも寛容だと聞いた事があります。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教が一神教です。
金儲けの神さまはお稲荷さんらしい。
神は殺人を命じてます(聖書)
神が命じる殺人を遂行することは
悪者退治として正義の善行になるのです。
キリスト教の聖典である聖書の神自身が
殺人や戦争や略奪を命令するのですから、
キリスト教の
十字軍、異端狩り、魔女狩り、宗教戦争、侵略・植民地政策は、
聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。
夜勤明けに叩き起こされるのはこの聖人野郎のせいか
アメノミナカヌシ様ありがとうございます。ナムアミダブツ。都市部都心部で生きていると、いろんな人と出会う。オーラがとても穏やかで親切で優しい人が居て。老若男女問わずとうぜん「仲良し、お近づき」になるのだが、かならず訣別することになる。唯円親鸞が「異なる解釈をおそれ嘆いた」のもソレ。「本願ぼこり」というのがキリスト教。いちばん良くない考え方。ホントよ。
古今東西、宗教は権力と密接な関係があり、それが紛争に繋がっている。本来なら宗教は人の為にあるべきなのに、宗教の為に人が行動すると他宗教・他宗派で争ったりする。自分の信じる宗教こそが正義だと信じるのは傲りだと思う。
天皇陛下とキリスト教。
天皇陛下のことを調べて言ったらクリスチャンになりました。
ザビエル論破した日本人「先祖も天国連れて行け、悪い物作るな、人間強くしろ」って強欲過ぎないかw
につぽんぽんと付き合っていると
どんどん心が綺麗になる なんで?
まだまだ僕の心は広く深く汚いけどな
アメリカにおいては、カトリックは民主党。プロテスタントは共和党。
外人じゃなくて‘’外国人”ね
昨今の日本。あちこちで「パスワード」をポチポチッとする機会がいっぱいある。根っからの面倒くさがりのわたしは「自動入力」機能なども使うがそtrでも度々パスワード入力を求められ度に辟易している。あれって早い話「あなたはホントにご本人?」と度毎に「疑われてる」わけだろッ。手に取ったり前に座った「オレ」が機械や機器さまに、会う度に名乗らされ疑われているわけで。なりすまし事件が多いとか治安の悪い「アメリカ」社会独特の
悪弊文化だと断言したい。根底にキリスト教の「選民思想」があるのは確か。
腐るに決まってるだろ
六郎踊れ!
キリスト教みたいな一神教は排他性が強すぎますね。唯一絶対神で一つの神しか認めないということですから、八百万の神々のいる日本の風土には合わない。ですから、キリスト教の教会も日本では神社様式にすべきだと思います。キリスト教のGODも八百万の神の一つという扱いで良い。それならば、みんな自然に参拝に行くかと思います。元旦にはキリスト神社に赴き、GODを祭った神殿の前で賽銭箱にお金を投げ、手を合わせることでしょう。
統一教会問題など、そのもの。日本にほキリスト教が上陸できない。しないほうがお互いのため。
神なんか、居ない❗
bgm、入れるな!
腐乱死す故ザビエル
日本人は諸行無常が身に染みにしみている。地震、台風、洪水。自然は変化してかぎりがない。
奈良の大仏の手かたちは心配しなくてよい。必ず、救ってあげるからと、言っているときいたよ、