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以前と言ってもかなり昔TVで松平容保の孫?ひ孫?にあたる男の人が出ていたんですが晩年の容保の写真にそっくりでした。生き写しではなかろうかと言うほど…お若くはないけどけっこうなイケメンオジサンでしたよ。
以前にもここで書いたかもですが 男性の集合写真として日本一情報量が多い一枚では?偉い人に対して不遜ではありますがほろりともするドラマチックな絵ですね。
血筋はみんな水戸系。4兄弟の父義建も、容保の養父容敬も、みんな水戸の男系子孫なんだよね
松平容保の若い時の写真を見ると、かなりなイケメンですね。宮中に参内すると、女官たちがそわそわしだすと、なにかに書いてありました。
この時代の二大イケメンといえば、松平容保と土方歳三だと思う
時は下り昭和3年、松平容保の六男恒雄の長女つまり容保の孫娘松平勢津子が、昭和天皇の次弟秩父宮雍仁親王の妃となるのです...かつて朝敵であった旧会津藩士たちは大変喜んだそうですよ.....そして容保の曽孫松平恒孝が徳川宗家18代徳川恒孝として養子に入ったのも巡りめぐってスゴイ話ですよね
ありがとうございます!
お初です 別チャンネルの方にていつも拝見させてもらっていますとりあえずは些少ですが、挨拶代わりという事にて
いつも楽しみにしています。ずっと続けて下さい。
勉強になりました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
松平容保公といえば時代劇『白虎隊』で演じられた風間杜夫氏が一番しっくりきます📺
定敬の家老立見尚文は雷神隊を率いて戊辰戦争では連載連勝。後に西南戦争では西郷どんを討ち取り、日清日露戦争では常勝将軍と言われた。旧幕府幕府軍では唯一人の陸軍大将となった。という訳で立見尚文の将軍を取り上げて欲しいです。
再UPありがとうございます!ずっと待ってました! しかし徳川御三家のうち、尾張・水戸の二家がそろって尊皇家というね・・・
昔、子供時分に水戸黄門を見てたので、ずっと後、東京に進学して、ようやく安政の大獄や桜田門外の変の事実関係が、ちょっと分かったのを思い出します。田舎の僕の高校では、日本史の教師も江戸時代、幕末、明治維新のあたりは分かっていなかったと思いますが、日本史で受験しました。 おそろしい
江戸中期以降幕府を紀州系が壟断したと尾張も水戸も思っていたんだろうね...水戸を除けば尾張、紀州だけでなく御三卿も越前などの親藩にも悉く紀州吉宗系の血筋が入っていたからね.....11代家斉の「活躍」によるところは大きいですね.....
尾張藩の八雲村開墾の話を聞くと、やはり徳川義親の話も気になりますね
志がある殿さま達だな。悲哀も凄いし、この人達の決断によって運命が変わってしまった部下も多いから肯定ばかりする事は出来ないけど、立派な兄弟だと思う。
21:46 "萱野"じゃなかったですかね?桑名藩は五万石以上の領地が柏崎にあったのを小さい頃理解してなかったから、三重の殿様がいきなり江戸に行った後に実兄が居るとはいえ東北で戦えたのが不思議でした(笑)次回も楽しみにしてます!!
関連は無いのですが、西田敏行さんといえば、実写版「宇宙戦艦ヤマト」で「徳川」機関長役をされてましたね。
西田さんは西郷頼母もやってました。NHKは西郷隆盛をまたやって欲しかったが、「頼母をやらせて下さい」と断った。
容保公の事考えると乱世のトップは実に大変だよな。しかも名門の殿様だから任せられたら1人で責任を負わなければならない。他にやれる人も居なかったようだし。地理、地政学的な不幸もあった。
お疲れ様です。おじさまになった慶勝さんはパパそっくりですね。
歴史の侍、好きなのは高津三兄弟ですね❗
高須っていうとクリニックの方を思い出してしまい…
母の郷里がこのあたりです。当時の尾張に関わる南濃・西濃の武家はほとんどが敵味方に引き裂かれ(高須四兄弟のように養子のやりとりもあれば婚姻を通して複雑にオーバークロスもしており、それぞれ仕える主筋の立場も、直の主のそれぞれの家中での立ち位置も様々)たと聞きます。同じような事が、当時日本のあちこちで起きていたのでしょうね。祖父母は共に明治末の生まれですが、祖母の口癖は「昔の人は、忠義なねえ…」でした。感心とか、昔(の人)は良かったとかそんなシンプルなノスタルジーではなく、もっとせつなくやるせないニュアンスを、いつも感じていました。良いでもなく悪いでもなく、悲しいでもなく…維新は遠くになりにけり、だったはずの祖母の世代でも、まだそういう記憶は土地の人にとって鮮明だったのだろうなあ。
徳川宗睦というと、「殿様風来坊隠れ旅」で西岡徳馬さんが演じられた役でしたよね(^^;20世紀中の古い話でスイマセン💦
尾張藩の判断は何時も正しいな実際戦闘が起きた時の副作用を良く知っていたように見える殿様戦闘が起きてしまえば広域が突然北斗の拳状態になる。このモードでは無法がルールになるのはアメリカのイラクロシアのウクライナなど現代でも同じ。だから尾張公はぐう聖。
名古屋で近鉄党に勝てるわけないんだよなあ。京都守護職を受諾する時、君臣揃って涙を流して運命を受け入れたと言いますから、ある程度の事は分かっていたのでしょうね。萱野権兵衛「見てやるぞ、薩長のやつらがどんな国を作るのか、見てやるぞ。」でしたか。森繁久彌、里見浩太朗、丹波哲郎、西田敏行、佐藤慶が揃った会津藩が負けるとか薩長どんだけやねんって
ええ写真やなあ…
我が公容保きたー🎵(3回目)
デジャヴかな
やはり慶喜は許せない。
………御先祖様………。
ふむふむ
ふむ😃
4兄弟の中で唯一、尾張慶勝だけが徳川慶喜といとこになるのか。水戸斉昭の妹が高須義建の正室で、慶勝はその所生子だから。茂徳、容保、定敬の3人は側室所生子なので慶喜とは男系でしか繋がってないから、はとこだけど
もしかすると美用外科の高須院長は子孫?
明治に生きる徳川一門は薩長藩閥政治を見てどう思っていたんだろう。あの田舎の下級武士どもに政治ができるか!とか思ってたのかな
秋篠宮の妃に会津藩士の子孫、紀子さんが選ばれた時、会津が朝敵の汚名が濯がれた、と言われました。
朝敵の汚名が晴れた、というのは昭和三年の秩父宮殿下と松平容保の孫である勢津子妃の成婚時のお話では?
@@ctakabe 某人権団体のお話で、そう言われました。
@@佐東志音 そんな話は初耳です。その団体、かなり眉唾なのでは?
@@ctakabe 結構力のある団体です。また、将来の天皇を産んだので(天皇の継承の点に関しての議論は考えが色々で、紛糾するのでお許しください)
勢津子妃の喜久子妃の輿入れですね
会津藩士の子孫である紀子さんが秋篠宮と結婚して、会津の朝敵という汚名が濯がれた、と言われました。
その前に、秩父宮と結婚した容保の孫松平勢津子がいます。
大和民族への裏切り者
以前と言ってもかなり昔TVで松平容保の孫?ひ孫?にあたる男の人が出ていたんですが晩年の容保の写真にそっくりでした。
生き写しではなかろうかと言うほど…
お若くはないけどけっこうなイケメンオジサンでしたよ。
以前にもここで書いたかもですが
男性の集合写真として
日本一情報量が多い一枚では?
偉い人に対して不遜ではありますが
ほろりともするドラマチックな絵ですね。
血筋はみんな水戸系。4兄弟の父義建も、容保の養父容敬も、みんな水戸の男系子孫なんだよね
松平容保の若い時の写真を見ると、かなりなイケメンですね。宮中に参内すると、女官たちがそわそわしだすと、なにかに書いてありました。
この時代の二大イケメンといえば、松平容保と土方歳三だと思う
時は下り昭和3年、松平容保の六男恒雄の長女つまり容保の孫娘松平勢津子が、昭和天皇の次弟秩父宮雍仁親王の妃となるのです...かつて朝敵であった旧会津藩士たちは大変喜んだそうですよ.....そして容保の曽孫松平恒孝が徳川宗家18代徳川恒孝として養子に入ったのも巡りめぐってスゴイ話ですよね
ありがとうございます!
お初です
別チャンネルの方にていつも拝見させてもらっています
とりあえずは些少ですが、挨拶代わりという事にて
いつも楽しみにしています。ずっと続けて下さい。
勉強になりました。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
松平容保公といえば時代劇『白虎隊』で演じられた風間杜夫氏が一番しっくりきます📺
定敬の家老立見尚文は雷神隊を率いて戊辰戦争では連載連勝。
後に西南戦争では西郷どんを討ち取り、日清日露戦争では常勝将軍と言われた。旧幕府幕府軍では唯一人の陸軍大将となった。
という訳で立見尚文の将軍を取り上げて欲しいです。
再UPありがとうございます!ずっと待ってました! しかし徳川御三家のうち、尾張・水戸の二家がそろって尊皇家というね・・・
昔、子供時分に水戸黄門を見てたので、ずっと後、東京に進学して、ようやく安政の大獄や桜田門外の変の事実関係が、ちょっと分かったのを思い出します。
田舎の僕の高校では、日本史の教師も江戸時代、幕末、明治維新のあたりは分かっていなかったと思いますが、
日本史で受験しました。 おそろしい
江戸中期以降幕府を紀州系が壟断したと尾張も水戸も思っていたんだろうね...水戸を除けば尾張、紀州だけでなく御三卿も越前などの親藩にも悉く紀州吉宗系の血筋が入っていたからね.....11代家斉の「活躍」によるところは大きいですね.....
尾張藩の八雲村開墾の話を聞くと、やはり徳川義親の話も気になりますね
志
がある殿さま達だな。
悲哀も凄いし、この人達の決断によって
運命が変わってしまった部下も多いから
肯定ばかりする事は出来ないけど、
立派な兄弟だと思う。
21:46 "萱野"じゃなかったですかね?桑名藩は五万石以上の領地が柏崎にあったのを小さい頃理解してなかったから、三重の殿様がいきなり江戸に行った後に実兄が居るとはいえ東北で戦えたのが不思議でした(笑)
次回も楽しみにしてます!!
関連は無いのですが、西田敏行さんといえば、実写版「宇宙戦艦ヤマト」で「徳川」機関長役をされてましたね。
西田さんは西郷頼母もやってました。
NHKは西郷隆盛をまたやって欲しかったが、「頼母をやらせて下さい」と断った。
容保公の事考えると乱世のトップは実に
大変だよな。しかも名門の殿様だから任せられたら1人で責任を負わなければならない。他にやれる人も居なかったようだし。
地理、地政学的な不幸もあった。
お疲れ様です。おじさまになった慶勝さんはパパそっくりですね。
歴史の侍、好きなのは高津三兄弟ですね❗
高須っていうとクリニックの方を思い出してしまい…
母の郷里がこのあたりです。
当時の尾張に関わる南濃・西濃の武家はほとんどが敵味方に引き裂かれ(高須四兄弟のように養子のやりとりもあれば婚姻を通して複雑にオーバークロスもしており、それぞれ仕える主筋の立場も、直の主のそれぞれの家中での立ち位置も様々)たと聞きます。
同じような事が、当時日本のあちこちで起きていたのでしょうね。
祖父母は共に明治末の生まれですが、祖母の口癖は
「昔の人は、忠義なねえ…」
でした。
感心とか、昔(の人)は良かったとかそんなシンプルなノスタルジーではなく、もっとせつなくやるせないニュアンスを、いつも感じていました。
良いでもなく悪いでもなく、悲しいでもなく…
維新は遠くになりにけり、だったはずの祖母の世代でも、まだそういう記憶は土地の人にとって鮮明だったのだろうなあ。
徳川宗睦というと、「殿様風来坊隠れ旅」で西岡徳馬さんが演じられた役でしたよね(^^;
20世紀中の古い話でスイマセン💦
尾張藩の判断は何時も正しいな
実際戦闘が起きた時の副作用を
良く知っていたように見える殿様
戦闘が起きてしまえば広域が突然
北斗の拳状態になる。このモードでは
無法がルールになるのはアメリカのイラク
ロシアのウクライナなど現代でも同じ。
だから尾張公はぐう聖。
名古屋で近鉄党に勝てるわけないんだよなあ。
京都守護職を受諾する時、君臣揃って涙を流して運命を受け入れたと言いますから、ある程度の事は分かっていたのでしょうね。
萱野権兵衛「見てやるぞ、薩長のやつらがどんな国を作るのか、見てやるぞ。」でしたか。
森繁久彌、里見浩太朗、丹波哲郎、西田敏行、佐藤慶が揃った会津藩が負けるとか薩長どんだけやねんって
ええ写真やなあ…
我が公容保きたー🎵
(3回目)
デジャヴかな
やはり慶喜は許せない。
………御先祖様………。
ふむふむ
ふむ😃
4兄弟の中で唯一、尾張慶勝だけが徳川慶喜といとこになるのか。水戸斉昭の妹が高須義建の正室で、慶勝はその所生子だから。
茂徳、容保、定敬の3人は側室所生子なので慶喜とは男系でしか繋がってないから、はとこだけど
もしかすると美用外科の高須院長は子孫?
明治に生きる徳川一門は薩長藩閥政治を見てどう思っていたんだろう。あの田舎の下級武士どもに政治ができるか!とか思ってたのかな
秋篠宮の妃に会津藩士の子孫、紀子さんが選ばれた時、会津が朝敵の汚名が濯がれた、と言われました。
朝敵の汚名が晴れた、というのは昭和三年の秩父宮殿下と松平容保の孫である勢津子妃の成婚時のお話では?
@@ctakabe 某人権団体のお話で、そう言われました。
@@佐東志音
そんな話は初耳です。その団体、かなり眉唾なのでは?
@@ctakabe 結構力のある団体です。また、将来の天皇を産んだので(天皇の継承の点に関しての議論は考えが色々で、紛糾するのでお許しください)
勢津子妃の喜久子妃の輿入れですね
会津藩士の子孫である紀子さんが秋篠宮と結婚して、会津の朝敵という汚名が濯がれた、と言われました。
その前に、秩父宮と結婚した容保の孫松平勢津子がいます。
大和民族への裏切り者
ありがとうございます!