垂仁天皇〜ヤマトタケ。ホツマはなぜ書かれたか?/いときょう先生にホツマを学ぶ05

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  • Опубликовано: 15 янв 2025

Комментарии • 68

  • @オデコ-t8w
    @オデコ-t8w Год назад +14

    ミカサフミ、大宇宙との繋がり、、、縄文時代は奥が深くて凄いです。興味が尽きません。
    古文書を全て偽書だと片付けてしまっていては、何も知り得ない!愚かな事です。
    茂木先生、配信ありがとうございます。楽しい時間を頂いています。
    トの教え❣️が日本人の根幹にあり続けていると感じます。この国を誇りに思います。

  • @MrEmilyTK
    @MrEmilyTK Год назад +25

    今回が最後ですね。
    幅広い質問にスラスラと答えられる、いときょう先生は本当にすごいです。
    ホツマツタエを広く世に広められた功績を心から讃えたいです。
    いつも尊敬しております。
    茂木先生、この素晴らしいシリーズをありがとうございました!

    • @itokyo-hotsuma
      @itokyo-hotsuma Год назад +22

      いときょうです。茂木先生の古事記を通しての知識には驚かされました。

    • @maomao96363
      @maomao96363  Год назад +11

      もう一本あります。

  • @konetaro-v3n
    @konetaro-v3n Год назад +4

    ヤマトタケルは伊吹山から命からがら降りて、ヤマトの国に帰ろうとするが疲れ果て足は三重に折り曲がりもう一歩も動け無い、ヤマトタケルは最期を迎える前に、大和は、國のまほろば......の詩を謳い自身の御魂を故郷に還そうとしたヤマトタケルの故郷の想いが綴られた話を聴くと父親に愛されずに諸国へ闘いの日々に明け暮れ最後は故郷にも帰れないヤマトタケルの刹那さがぐっと心に刺さる思いですがホツマの話があって良かった😂!
    因みにヤマトタケルの足が動け無くなった場所に因んで三重県と呼ばれる様になったらしいですね!

  • @ダイダラボッチ-g9w
    @ダイダラボッチ-g9w Год назад +15

    いつも貴重な発信有難うございます。
    ホツマツタエの編纂にあたっては、当時も移民による日本の混乱があって、日本の文化伝統、アイデンティティが失われない様に残したんですね。
    現在にも通じるものがあって、感慨深いです。

  • @rikisatou2094
    @rikisatou2094 Год назад +7

    ホツマツタエ、益々興味深い、ずっと特にこのシリーズはくぎ付けになっています

  • @Naraaogaki
    @Naraaogaki Год назад +5

    とても學びの深い対話を有り難うございました。
    ご紹介いただいた狭穂姫伝承地が奈良の狭岡神社境内で今も人々に護られています。
    私はこうしたことに接するにつけ、我が国を誇りに思いますし、有難い、かたじけないと震える思いに駈られます。
    先生方有り難うございました。

  • @yukko8826
    @yukko8826 9 месяцев назад +3

    ホツマ面白いですね!
    いときょう先生茂木先生の緻密な解釈のお陰で、登場人物が活き活きと魅力的に感じられます。
    さほ姫さんが兄様のもとへ出奔出来てしまうというのも驚きです。即命を奪われる展開にならないのが、縄文スピリットを受け継ぐ日本人ならではという感じがしました。
    ありがとうございました。

  • @阿部徳雄-q5e
    @阿部徳雄-q5e Год назад +5

    それにしても、、、リアルだね〜😅😅😅😅😅‼️🥸

  • @konetaro-v3n
    @konetaro-v3n Год назад +7

    流離刑で家族と共にひっそりと暮らしていた素戔嗚尊が月夜見尊軍がネノクニ討伐に行く道中にこの二人の兄弟が出逢うシーンは感動的です素戔嗚尊のすっかり心を清められたこころのうたを聴いた月夜見尊が涙して弟を迎え共に力を合わせハタレ鎮圧に望みその活躍により素戔嗚尊は天孫族に復帰を果たす凄くジーンと来る良いお話しです!

  • @kosahi-m0135
    @kosahi-m0135 Год назад +5

    出ました〜。日岡神社様。身近の神社のことをお話し下さり、ありがとうございます😊
    私も生まれる時にお世話になりました。憶えてませんが。
    今度行かれる吉備国は、ウラ一族と関連深く、ももたろさん伝説のもと。お話しが盛りだくさんになると思います。古代史は、想像を掻き立てられましね。年取るのを忘れます😊

    • @maomao96363
      @maomao96363  Год назад +4

      日岡さん、明るい神社でした。

    • @kosahi-m0135
      @kosahi-m0135 Год назад +2

      @@maomao96363 様
      え~っ!!行かれたのですか?
      感激です✨

  • @kakochan8622
    @kakochan8622 Год назад +7

    ホツマツタエ、あまり関心を持って調べたことはなかったのですが、今回のお話を聞いて興味を持ちました。いろいろな古史古伝を比較することで見えてくるものがあるかもしれません。
    素晴らしいお話をありがとうございます😊

  • @JoonTarot
    @JoonTarot Год назад +2

    はじめまして。本を購入させて頂き勉強中です。
    ミカサフミ、占星術に繋がりそうでワクワクしますね!
    私は占い師なのですが、西洋占星術よりもっと遥か太古の占星術に重きを置いています。似て非なるものであったり、本当のところどうなの?のところで通ずるものがありますね。
    カバラ思想(神秘学)などもしかしたら手がかりがあるかもしれません。カバラも奥が深いですが、アレイスター・クロウリーがタロットをカバラに対応させて現代に分かりやすく残しています。
    カバラ思想の前は錬金術や思想、信仰が深く関わっているため、根元を辿ると同じかもしれません。賢者の石が有名ですね。時を制する者に権力があり、つまりは太陽と恒星です。
    カパラは魔女狩りの歴史があるため、やはり密かに残した感じがしますね。
    ですので日本の作品を色々調べてみるのもいいかもしれませんね!

  • @digiking0127
    @digiking0127 Год назад +3

    コメント失礼します。
    茂木先生。ありがとうございます。
    ヤマトタケノミコトがお喜びになってくださると思います。
    近々に三峰神社の奥の院に上がって視てください。きっと体感できる事があります。映像に捉えても良い様です。
    是非とも!
    *一番良いのは三峰神社の谷あいに降りた処にある清浄の滝で禊行をしてから参拝されると尚の事良いと思います。
    追伸:いときょう先生にマイクを付けて頂きたかったです。
    これからもホツマツタヱと記紀の考証を期待しております。
    ありがとうございました。

    • @itokyo-hotsuma
      @itokyo-hotsuma Год назад

      いときょうです。ごめんなさい。私の滑舌は良くないですね。反省しています。

  • @イナカッペ
    @イナカッペ 8 месяцев назад

    素人の私にはコメントもはばかりますが、紡いで来られた先生方に感謝です。ありがとうございます。

  • @hakubyakudan
    @hakubyakudan Год назад +2

    あー楽しかったぁ〜😊
    お昼休憩の楽しみです。🍱

  • @mariaanesan2
    @mariaanesan2 Год назад +7

    胎児が何週で回転するとか、回転次第で男女が分かるとか、内容がマジで凄いんですよぉ😅
    そして、ホツマは仲間で研鑽しながら研究するものだそうです。

  • @黒猫ごま-e7f
    @黒猫ごま-e7f Год назад +4

    ありがとうございました、家系図を見ながらお話をもう一度復習したいです。
    ーワケの名前は、領土拡大的な意味を持つ?自分の中で修正します。
    天日槍、神功皇后のご先祖でもありますね。海流も韓国慶尚道からだと北陸に着くようです。新羅は建国神話で倭人も出て来ますし、先日韓国の三国時代について「(新羅が)1000年王国」との記述を見つけまして、ふと秦氏の造った平安京が思い浮かびました。

  • @田中健三-x5p
    @田中健三-x5p Год назад +3

    とても勉強になったシリーズでした、覚えきれませんが

    • @maomao96363
      @maomao96363  Год назад +7

      テストはないので大丈夫。

    • @田中健三-x5p
      @田中健三-x5p Год назад

      @@maomao96363 御指導ありがとうございます!

  • @大阪吹田郎
    @大阪吹田郎 Год назад +6

    ヤマトタケの東征で現在の静岡県、神奈川県、千葉県、茨城県、福島県内の各地に、その時の故事にちなんだ地名が残されていて、特に印象に残るのは焼津、袖ケ浦、君津、木更津、勿来等です。

    • @digiking0127
      @digiking0127 Год назад +1

      是非とも横須賀市走水の走水神社に上がってください。ヤマトタケノミコトが吾妻と詞に詠ったほど愛されたオトタチバヒメノミコトを祀った神社で、ヤマトタケノミコトの海難を鎮めるために入水して神上がりされた時、走水の海岸に打ち上げられた冠を対岸の房総半島が見える高台にお祀りした歴史ある神社です。
      かの東郷平八郎元帥や乃木希典元帥も崇敬神社とされていた神社です。

  • @Y佐和美-v3c
    @Y佐和美-v3c Год назад +2

    ワクワクします。照らし合わせると面白いです。戦わずして手に入れるは、政略結婚が一番みたいな〜😅戦国時代後も同じようなことをしてますね、戦後も続いた政略結婚、お金持ちの話ですがね、日本をまとめるとは、次元が違いますね

  • @13ichirouyuukijun15
    @13ichirouyuukijun15 Год назад +7

    あまり関係ないですが、愛知県豊田市に大碓命をお祭りする猿投神社が鎮座されています。
    ここに、猿投古図と言う地図があるのですが、年魚市潟(あゆちがた)を表した図面で
    尾張地区が縄文海進により海だったと言う事が記された図面があるそうです。
    この図面で、熱田神宮は、熱田大地の半島の先端にあることが分かります。
    猿投神社には、左利きのための鎌を奉納します。大碓の命は、日本武の双子の兄です。
    この神社は、草薙剣をお祭りする熱田神宮と向かい合っていると言われています。

    • @maomao96363
      @maomao96363  Год назад +6

      猿投神社、リストに加えました。

    • @13ichirouyuukijun15
      @13ichirouyuukijun15 Год назад +3

      @@maomao96363 さま
      ご回答ありがとうございます。
      これはあくまでわたくしの私見ですが、
      猿投古図は、天平期後期から平安中期まで、
      日本が温暖化し、貞観熱帯密教文化、荘園制度、国風文化(藤原時代)
      の日本の温暖化により、濃尾平野が、海進により湿地帯化していた
      頃の伝説を後に地図おこしされた資料ではないかと思います。
      縄文海進ほど古い時代のことではないと予想しています。
      話しは変わって、年魚市潟(あゆちがた)は、愛知県の愛知の事です。

    • @13ichirouyuukijun15
      @13ichirouyuukijun15 Год назад

      @@maomao96363
      もう一つ別件ですが、愛知県知立市の国道1号線沿いに
      池鯉鮒神社(ちりゅうじんじゃ)が鎮座なされていますが、
      この社は、猿投神社の末社で、社伝では、第12代景行天皇の時に東国平定に赴いた日本武尊が
      当地で戦勝を祈願し、平定後の帰途に感謝して建国祖神四柱を祀ったのが創建という。
      後に、二柱追加され六柱。
      一方、第14代仲哀天皇元年の創建とする説も。
      なお、建国祖神の4柱は、
      鸕鶿草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと) - 主神。
      彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の父。
      玉依比売命 (たまよりびめのみこと) - 鸕鶿草葺不合尊の妻。
      神日本磐余彦尊 (かむやまといわれびこのみこと:初代神武天皇) - 鸕鶿草葺不合尊の子。
      青海首命 (あおみのおびとのみこと) - 碧海地方(三河西部は碧海郡)の開拓にあたったと伝える人物。
      聖徳太子
      の六柱です。
      鎮座については、日本武尊従者の大伴武日や吉備武彦とする説や、「チリュウ」の音から木花知流比売(このはなちるひめ)とする説があるそうです。
      また別追加で、知立八橋は、在原業平の伊勢物語でカキツバタから歌った「からころも きつつなりにし つましあらばはるばるきぬる たびをしぞおもふ」で有名な、三河八橋、業平寺、売茶翁で有名な無量寿院も現存します。

  • @megadoitu1
    @megadoitu1 Год назад +1

    お疲れさまです。
    神話やおとぎ話に良く出てくる「何かしている私を絶対見ては行けませんよ約束です」
    という約束は必ず破られます。
    これは神社のご神体や古文書を民衆が勝手に見る様になると
    国が治まらなくなる火種になりかねないと言うことなのかも。

  • @musashino_103hi
    @musashino_103hi Год назад +4

    ホツマは大物主系の人が書いたから、後の世に問題になって、古事記や日本書紀の編纂に繋がった可能性はありそうですね。
    支配層から問題だと思われた部分が気になります。

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Год назад +15

    わたしがホツマツタヱを読んで
    一番驚いたのは、
    今回説明していただいた
    【藤原・中臣】についてです。
    文章を記述する際、
    一番重要なことは、
    最初と最後にまとめます。
    巻頭は、
    オオタタネコの奏呈文と、
    ヲヲカシマの賛助文で始まります。
    そして最後も
    この二人が
    景行天皇に献上しますと
    書かれています。
    ホツマツタヱは、
    賀茂族が記したものですが、
    天君ニニキネからの統治体制を、
    左臣・春日系(中臣・藤原)
    右臣・大物主系(賀茂)
    の両輪で中心の天君を
    支えてゆくことが、
    ひとつの秩序として
    繰り返し繰り返し
    歌われているのです。
    それ以前では、
    武甕槌神など、
    藤原の祖先神が
    どれほど偉大であったか、
    称賛され、
    経津主命との関係も
    詳しく書かれています。
    これは藤原の書なのか…
    と勘違いするほどです。
    古事記には
    アメノコヤネが岩戸開きで
    祝詞を歌ったことは
    書いてありますが、
    ただそれだけであり
    武甕槌神も
    国譲りに登場するだけです。
    かなりフラットに描かれています。
    ホツマツタヱでは、
    藤原の祖先神たちの活躍や、
    その記述に
    とても思い入れがあるように感じました。
    しかし、
    ホツマツタヱの構成を見れば、
    オオタタネコと
    ヲヲカシマの二人が
    タッグを組んで書いているので、
    それは当然であろうと
    納得できました。
    よく、
    古事記は藤原不比等が
    都合よく改ざんしたのだ…
    と言われる方が多いのですが、
    わたしには
    藤原の都合の良いことなど、
    ほとんど見当たりません。
    むしろ、
    ホツマツタヱの方が
    【藤原アゲアゲ】だったことに
    びっくりしました。
    ホツマツタヱは
    クシミカタマと
    オオタタネコが記したとされていますが、
    賀茂族の偉大な
    二人のヒーローの名を語り、
    もう少し後世になって
    書かれた可能性も
    あるかも知れないな…
    という気はします。
    (これは単なる
    わたしの感想に過ぎませんが。)
    藤原氏が頭角を表し、
    権力を握るのは
    奈良時代です。
    賀茂と藤原は、
    平安時代には、
    ガッチリとペアを組み、
    天皇家を支えています。

    • @maomao96363
      @maomao96363  Год назад +5

      同感です。

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Год назад +1

      @@maomao96363
      茂木先生
      ご理解、ありがとうございます♪

  • @ことちゃん-j1v
    @ことちゃん-j1v Год назад +12

    ミカサフミ、すごい。なぜ宇宙の事が?

  • @Tanaka-Ichiro999
    @Tanaka-Ichiro999 Год назад +5

    播磨・吉備編楽しみです。
    天日槍(新羅の王)、但馬守→出石神社ですね。
    同じ兵庫県でも北に行くと雰囲気がガラッと変わります。(お顔も?)
    九鬼文書などとの整合性も面白そう。 ミカサフミ興味が湧きます。

    • @Tanaka-Ichiro999
      @Tanaka-Ichiro999 Год назад +1

      出石そばで有名?ですが調べると元は伊豆志。
      おおっ なんかありそう。

  • @yoshimatsu9985
    @yoshimatsu9985 Год назад +1

    この動画のコメントとして、相応しく無いですが、
    茂木先生、高島にある饗庭野という台地がどうやってできたのか不思議です。饗庭野は明治時代に旧陸軍の演習場となり、現在も陸自の演習場となっているので、立ち入りは難しいです。

  • @bamboo108
    @bamboo108 Год назад +1

    いつもいい話をありがとうございます。前後のブルーグラスっぽい音楽が今にもアメリカ人が歌い出しそうで違和感があります。

  • @世界の変化
    @世界の変化 9 месяцев назад

    出雲系の大和に仕えた人々が残した書、事代主さんがキーになっている感じですから、でも.かなり補足していると思います。他の文献も補足するものだったと思って来ました。
    ありがとうございます。先生方

  • @伊勢薫り縁
    @伊勢薫り縁 Год назад +2

    みかさふみ、何処にあるのでしょう〜
    今あるので終わりでないことがわかっているのも読めばわかるのかしら…
    先生方の考察が楽しみにしております。

  • @konetaro-v3n
    @konetaro-v3n Год назад +5

    息吹度主は瀬織津姫含む女神三柱と男神の四柱の祓戸大神の大物中の大物を無視したらそら怒られますわ、竹内文書によると武内宿禰命が景行天皇の側近の時にヤマトタケルを働かせ過ぎ、過労死させてしまったと言う話も?国を纏め上げる大事な時期にに武内宿禰命もかなり焦りがあったのかも?

  • @m58574
    @m58574 Год назад +3

    最近、他のチャンネルで「意富(オオ、オウ、オフ)氏」の存在を知りました。
    大田田根子は、古事記では「意富多多泥古命」
    伊邪那岐命が投げた桃の名「意富加牟豆美」は人名だった?
    意富国主、意富物主、意富山祇、意富山咋?

  • @プロトラの選挙分析チャンネル

    ホツマツタエは気になりますよね。
    昔CGSでも動画を見ました。

  • @kzn3720
    @kzn3720 Год назад +1

    天皇家の系図を見ると、物部氏の皇后輩出が孝元天皇から開始され、孝元、開化、崇神とまるで諡号に意味でもあるかの如く物部氏の姻戚関係が強化されている。崇神天皇の時代には物部氏が権力を掌握していたと思われる。物部氏は丹後に天降った天火明命の後裔であり、ここから垂仁、(景行)、成務、仲哀まで丹後勢力の影響力が強くなっている。歴史的に葦原中国に由緒のあった天火明後裔だが、神武(豊国経由で東征)から孝元、開化までは豊国勢力に政権を奪われており苦虫を噛んだ状態だったはずだ。崇神以降、まるで天火明王朝とでも表現でき、ハツクニシラススメラミコトと言われる所以と考える。
    景行天皇の息子ヤマトタケルは何故か意富氏•秦氏とリンクする。出生地の播磨しかり、彼が征伐した熊襲、出雲、焼津などは装飾古墳の分布地と一致する。また亡き後、白鳥となって飛んで行った地は大鳥神社であり大田田根子の出身地和泉国大鳥の陶邑にある。大鳥神社が言うには、大鳥とは白鳥ではないそうだ。秦氏のシンボルは鷹であるから当然である。では白鳥の白とは何か。当然、斯蘆のことである。彼ら一族からは、鷹、日鷲、金鵄、八咫烏、白鳥など鳥がちらつく。彼の最後の地は伊吹山であり息長氏の活動地であったが、この息長氏の出自もまた楯原神社および出雲口伝によれば出雲意宇郡の意富氏→意富富杼→息長氏という流れになっている。また彼は天叢雲剣(天火明系)から離れた行動をした為に死んでしまったとも読み取れる。彼は不幸な最期を遂げ皇位についていないが、後世に日本武尊という天皇と同等の尊称が与えられている。討伐したようで実は意富氏をまとめ上げただけのようにも見えるが、彼についてはもう少し検証が必要である。
    仲哀天皇の最期ならびに応神誕生の奇妙さは皆が知るところである。仲哀天皇は九州に至り、遠賀川の熊鰐および伊都国の五十迹手には歓迎された。始祖天火明命は伊都国出身なのだから当然である。一方、彼は熊襲討伐を目指したが、熊襲とは阿蘇界隈であり、ここはまさに意富氏の勢力範囲であった。仲哀が突然死し、応神天皇の誕生を知った仲哀の別の息子の押熊王が反乱を起こしている。押熊王は天火明命→崇神→仲哀の流れを汲む皇子だった。余談だが、海部氏はこの時始まっており、本家は尾張氏である。
    応神天皇は武内宿禰とともに気比神宮へいき、伊奢沙別命という神と謎の名前交換を行っているが、上記の流れを知れば何を意味するかもはや想像できる。伊奢沙別命も伊都国の支族(天火明は伊都国出身;伊都は磯の転訛)という意味なのだろう。武内宿禰はこの頃の暗躍ぶりをみると意富氏との関係が興味深い。
    応神直系の武烈天皇で、皇統が途切れようとしたとき、必死になって探しだした継体天皇だが、彼は諱が男大迹であり、意富富杼の末裔と想像できる。実際、系図も息長氏出身なのである。

    • @kzn3720
      @kzn3720 Год назад +1

      ハプロタイプの研究が進んでおり、新羅王族は日本出身である可能性が濃厚になっており日本と朝鮮両方に残る伝承を支持する結果になってきている。

    • @maomao96363
      @maomao96363  Год назад

      なるほど!

  • @縄文原人
    @縄文原人 Год назад +2

    大祓祝詞の神、根の国底の国に息吹放ちてむのイブキドヌシの神は月読系だったのか、というピンポイント情報

  • @youchany
    @youchany Год назад +1

    ふむふむ 次はミカサツタエ ウエツフミ 風土記でしょうか?

  • @13ichirouyuukijun15
    @13ichirouyuukijun15 Год назад +2

    やはりミカサフミに、月と太陽の関係が記述されているということに、
    天文学に詳しかった篤胤の影を感じざるを得ません。

  • @宇奈根うなぎ
    @宇奈根うなぎ Год назад +3

    アメノミナカヌシの事、ホツマでは、何か書かれてますかね?

    • @itokyo-hotsuma
      @itokyo-hotsuma Год назад +4

      ホツマツタヱではアメミナカヌシは人類の祖、アメミヲヤは宇宙創成の神です。

    • @宇奈根うなぎ
      @宇奈根うなぎ Год назад +1

      まさかご教授いただけますとは、有難うございます!アメノミナカヌシ様が、宇宙創成の神様かとおもっておりました。これからは、アメミヲヤ様にも感謝のお祈りをしたいと思います。ホツマツヱをもっと知りたくなりました。しかし…アメミヲヤ様とは一体…?@@itokyo-hotsuma

  • @asa01053
    @asa01053 4 месяца назад

    オオ・タタネコ?よね!みなさん太田さんに呼んでます。

  • @nkzks6976
    @nkzks6976 Год назад +1

    オオタタネコ著ということであれば、大神神社にヲシテ文字が残っているのかにゃ~?御守り開封(反則技)をしたら出てくるのかにゃー…イヤイヤ三輪の神様には怖くてできないわ((( ;゚Д゚)))。祓戸四神のもうお一方、気吹戸主らしきお方もヤマトタケルのご先祖として登場…。で、日本武尊が亡くなられた伊吹山も何気に怖いとこだよねぇ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル。ぅぅむ、やっぱり謎がさらに深まった(^^;。

  • @tibon0218
    @tibon0218 3 месяца назад

    ホツマタエを記紀の編纂者たちが参照したというということであればより粗雑になっているのはなんでなんですかね

  • @kikumi413
    @kikumi413 4 месяца назад

    池田満先生をお呼びいただけると、根本がわかります。

  • @幸男古郡
    @幸男古郡 Год назад +2

    ホツマツタヱについて昭和天皇と近衛文麿は普通に会話していたのでしょうか?

  • @森岩光
    @森岩光 Год назад

    系図上の
    神武、海(アマ)村雲命

    孝霊天皇、海(アマ)フトニ大王
    迄が
    大和王国の海王朝。
    九州の同祖(徐福)親戚の
    物部が大挙して大和に侵攻。
    海王朝の副王家、磯城の登美家(出雲神族)の河内の分家、
    (登美。又は向。)
    大田多根彦(大田田根子)が
    三代目タマテミ大王の即位に絡み、
    海大王家の王族、
    尾張家が大王継承権を持ち出して
    話を拗らせ、
    やがて内乱に発展
    (いわゆる、
    倭国大乱の火ぶたが切られ、その前哨戦が始まる)
    長らく続く大和(奈良盆地の内外)のダメダメな内乱に
    九州の物部が付け込んだ形。
    長らく続く不毛な内乱に飽々していた
    ↑大田多根彦が
    侵攻してきた物部を利用して
    海王朝の大王家や王家王族、豪族たちを
    大和(奈良盆地)から一掃させた。
    物部が↑を各個追撃に勤しむ最中に
    (火事場泥棒?ヨロシク)
    大田多根彦(大田田根子)は
    大和の三輪山方面に進出して
    ちゃっかり大王に即位した。
    三輪大王とよばれたらしい。
    前後関係からは
    いわゆる孝元天皇に相当。
    荒ぶる物部らを懐柔するために
    孝元天皇は
    物部王家の媛を大王后に迎えいれた。
    大和入りした物部らは
    従来、出雲族の幸の神信仰の御神体で
    シンボルと目された
    サナグ(いわゆる、銅鐸)を手当たり次第に破壊して回り、
    代わりに物部が信仰する道教に由来した
    神獣を彫刻した青銅製の丸鏡
    (東征に際して従来、大型の青銅製の鉾をシンボルとしてきた(多分、天逆鉾がそれ?)
    しかし軍旅には不向きな為、
    全て神獣鏡に改鋳したらしい)
    を拝礼する事(服従を意味)を強要した。
    ために、出雲族との関係は険悪となり
    宗教戦争に発展して
    混迷を究めた。
    (↑の宗教戦争を古事記は架空の崇神天皇の件で疫病にすり替え、民が疲弊して遊離した云々と誤魔化した。)
    この混迷する宗教戦争を
    仲介して見事に終息させたのが
    孝元天皇、三輪大王の姉で
    新登美王朝の
    初代姫巫女(日女(ひるめの)命)に就任した
    登美(向)の百襲日女命。
    激しく相争う勢力(『瀬』)を
    巧く仲介、和平案(この場合は、斬新かつ合理的な祭祀方法)を提示して
    争乱を終息させ
    平和をもたらした(織。折り合いを着けた)
    故に、百襲日女命を称えて
    瀬織津日女命。
    と奉る。
    天照大神荒魂。とも奉る。
    孝元天皇(八咫烏。大田田根子。三輪大王)
    からは
    出雲神族系の
    登美王朝に転換した。

  • @酒井結衣-p3y
    @酒井結衣-p3y Год назад

    誉田別って応神天皇じゃないんですかね??オオウスの嫁がご先祖ですw
    出雲武を殺した話が二つあるのどっちなんですかね?
    出雲振根が弟の出雲武の話。うーん、面白い。
    大田田根子から名前貰ったのかな・・・・八剣入彦根大根王。