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一人で「もういいかい」のお話、悲しいのに声出して笑ってしまいました笑
毎回使われる素人の作品が秀逸すぎるすげえよ
ほんと色々解釈できて面白い。砂糖いっぱい入れる煮っころがし、、料理中に孤独死した、おばあちゃんのお話にも想像できる。
先生ちゃんと文豪なのに、芸人としてもちゃんとしてるのマジで凄いw
このコーナー嬉しくてニヤニヤしてるだまさん可愛い(笑)
毎回思う。いろんな解釈ができる文章って、作り手はそれを意識してるのか?何通りにも読めるような表現を意図的に散りばめているのか?作る過程を見てみたい。
自分だけでは咀嚼できない物語の世界を、万博先生の解釈から大きな広がりをもって感じさせてもらます。児玉さんの、万博先生の解釈に驚く様子に共感!
好きすぎるこのコーナー。深すぎて。
万博先生の解釈が素晴らしくて、読解力の乏しい自分には驚きの連続です‼️毎回楽しみに拝見しています。また児玉さんの合いの手がさすがで、楽しい❗️「悲しいです!」めちゃ笑いました🤣
いろんな解釈見てるだけで楽しい…作品も素敵…。毎回こんなふうに書けるのすごいな…とつくづく…。
最初の「転がるわたし」で、家の近くでひかれた子が地縛霊として家について、上から自分の部屋を眺めてる。自分の本が机の上に開いたまま置かれ、霊になってめくれない(から、続きが読めない)。家族が引っ越し出て行っても、自分はこの家から離れられない。他の家族が何度か引っ越し入り、出て行ってもずっと「るすばん(地縛)」し続けてる。「誰か帰ってこないかなあ」で、地縛霊を端的に表してる。その家になんと空き巣が入り、何年もめくれなかった本のページがめくれ、ドアノブがちゃがちゃしたから、トキメキながら、久しぶりに起き上がってドアも通り抜け、玄関を見に行ったら、もう車で逃げたあと。
ドアノブがちゃがちゃはカーテンが揺れた後なんですよね...時系列を考えるべきではないのかもしれませんが。考察楽しいですね(*´ω`*)
いつも楽しみにしてます。想像力湧いて目に浮かんで、クスッとするところもあって面白いです。
ちょうど3パターン目の解釈のように子供の頃留守番をしていたら知らない人の声が聞こえて怖くなり、机の下に隠れてるうちに眠ってしまい、その時強盗が入ってきた夢を見て現実と夢の界がわからなくなり起きた時パニックになったことを思い出しましたw現実は聞こえてた声は外の換気扇からで、部屋に強盗が入ってきたビジョンは夢で、自分からすると感覚も視覚も聴覚も全て現実だったので数年間夢だったことを認められなかったですw
楽しみにしてました!
初めにさらっと読んだ時は、なかなか帰って来ない家族を待つ、留守番してるペットの猫のつぶやきだと思ったわ
同じく。それなら「転がる私、上から見る部屋」はキャットタワー。「ドア通り抜け」はペット用窓と解釈できるんです。でも「(台詞)口に出す」が違和感あるんです。本人はそういったつもりで実は「にゃぁ」だったって解釈は強引すぎる気がして。
このコーナー最高ですね!待ってました^_^
毎回の解釈を聞いて「すごいなぁ」「よく思いつくなぁ」と思ってましたが、今回でその謎が解けました。この表現、自分ならどう使うかという着想なんですね!なれば、解釈が進めば進むほどに髑髏先生は文豪化していってるとも言えるのではないでしょうか。素晴らしいことです。後追いで見てますが、見てるだけで本を読んでいるように癒されます。どうか未来永劫なるべく長くこの動画群を見ていられますように。
本当に物語を読むことが楽しくなる優秀なコンテンツだと思う。かくれんぼの話、夕暮れひとりぼっちも私の大好きな作品です。
毎回読み取り方が本当に素晴らしいですね。解釈を公共に出すとの内容から、文学研究知性やテクスト論などの非個人的なスタンスが又吉さんから感じられとてもうれしく思います。これまで文章は、書き手と読み手、自身の文化だけで解釈される限界(中心主義)や既存の構文システムからの実験的脱却が試みられてきました。段落がないこと「。」だけで区切ること、または区切らないことなど、文脈を繋げるのではなく分断するための文章など、見解も今後聞いてみたいです。又吉さんの知性を今後も応援しております。
テールライト=別れの暗示っていうのが好きだな〜。私の家と我が家私と家で自分の家っていう同じことを表していてもニュアンスがちょっと変わってきているのがいい。つくりが上手で尊敬ですね。
こだまさんの反応が良い
毎回最初のやり取りが最高です!!笑
視点がコロコロ変わっているカーテンが揺れてページが捲れてるから、窓が開いていて風が吹き込んだ「わたし」や「私」がいっぱい居る
「誰か帰ってこないかなあ」から文章が始まってるんじゃないかな。ここから読んでみると、強盗に殺されて幽体になったのではと思ってしまう。「照らされる」が、「照らされた」という過去表現になったのも頷ける。これも一つの解釈です。
なるほど!!!!前と後ろの文章のかたまりを繋ぐ、「誰かかえってこないかなあ」に疑問をもっていたのでそういう解釈もありますね!
ひらがなのわたしは肉体を指して、漢字の私は幽体を指している感じがしますよね
文章を読み始めた瞬間に、『あ、これ乙一の夏と花火と私の死体みたいだ』って思ってめっちゃゾワゾワした。他の解釈が出てこなかったので②③の解釈が凄く興味深く面白かったです。
最初の解釈は1つ目だったなぁ後半に行くにつれて不穏を増してく感じがホラーっぽい雰囲気を感じて
何となくともったのは、家のベッドで死期が近い妙齢の女性。その女性が今まで自分の想いでの詰まった家の記憶を夢うつつの中で思い出している。だから上から家を見る俯瞰の視点なのかなぁと。妙齢であれば親は既に亡くなってるでしょうし、子供たちも自立しているでしょう。そうすると介護の方や誰かが来るまで基本的には自宅で一人動かない体でベッドに横たわる。この年齢の方の子供時代であれば芋の煮っころがしが大好物なりでもおかしくないように感じますし。そういう夕飯を待ちながら家でゴロゴロしている幼少期。夏の扇風機が回るところで首振りの微妙な風に捲れるようで捲れないページ。いくつか遠ざかるヘッドライトの中で、二個目のヘッドライトで父親の車が帰ってくる。テールランプが見えるのは自宅の駐車場で切り返しているそれをゴロゴロしながら感じ取る私。切り返しをしているのでヘッドライトの後に暗がりが来る。なので恐らくゴロゴロしている居間と駐車場はかなり近い位置なのかなと。ここで妙齢の女性のシーンに戻り、少し目覚めた女性は自宅に人の活気がないことを感じると。「誰か帰って来ないかなぁ」と夢の中の幼少期の自分と重ね合わせたセリフがベッドの上で出たのではないかなと。さらにここで女性が寝ているベッドの側の窓から風が入り、女性の読みかけの本は捲れます。この捲れるという描写が女性の天寿が尽きた表現なのかなと。訪問介護士が来て普段なら呼びかけに反応する女性の声が聞こえない。動いている雰囲気もない。心配になった介護士は女性家族へ電話をしながら何度もチャイムを鳴らす。こと切れた女性は力なく眠る体とは裏腹に魂が抜け、冒頭の幼少期の姿になり帰ってきた父親を迎えに行くように玄関へ通り抜けていきます。ですがそのテールライトは現実。生きていた自分の世界の比喩として自分を置いて遠ざかっていく。彼女のそんな亡くなるまでのひと時の話かなと解釈しました...
僕もこのコーナー大好きですよ!!
コメントからもだいぶ想像捗った。一人暮らしの老女が料理中に倒れて「誰か帰って来ないかなあ」これが最後の言葉になり死んでしまうが幽体になり「ゆっくりと起きる」。生前と同じように玄関に向かい外まで行くがドアを開ける必要がなかった事にはまだ気づかず、冒頭に戻り上から部屋を見て初めて自分が死んでしまったのを知る。カーテンと車は納得いく答えが出ない...
今敏さんのパプリカとかも夢と現実が曖昧になる感覚がうまく表現されてるような気がします
原作の筒井康隆版は大勢の夢と現実が混ざり会う様子が見事に表現されていますよ
俯瞰から私や部屋を見てるのと、主観的に寝転んだまま誰か帰ってこないかなぁ、と口に出すのが両方出てくる事で正体が分かりにくくなっている。前半はやたらと俯瞰から見てるイメージで、後半はやたらと主観的に読める。1人きりでいる時は色々俯瞰的に考える事が出来るのに、他者が1人いるだけで主観的になってしまう人を描いているのかも。前半の終わりが私と家(俯瞰)で後半の終わりが私(主観)になってる所もポイントだと思う。
最初に聞いたときはこの文章のどこが面白いんや?って思ってたけど、自分なりにどう解釈するかで面白さが決まるんやなって思いました
又吉の百の三でも「つまらないと感じるものを構成するその中に自分自身がいる」みたいなこと言ってたけどそれに近い?。どうだろう。あくまで興味深さの度合いってみる人とその対象の関係で決まるってことかなあ。でも逆に平坦で何も生まれない感じの文章とか読んで、その何も見出せない寂しい気持ちがなんかいいときもあるから、つまらなさもそれはそれで大事だとも思う。模試の小説とか読んで、問いに全然敵わなくて解説聞いた時にすごい深い解釈に感心するけど最初になんとなくで読んだ時に感じた別の面白さが壊されて無くなるときあるよね。バーっと書いてめちゃくちゃなコメント
いきなり21話スタートしたけどどっぷりはまりましたカッコ良いコメしようとして、やっぱりいつも通りな自分でも、これ見た後は成長した気がする(テッテレー
まさに一個目の解釈で読んでいたので、2個めの解釈を聞いて、とてもアハ体験のような感覚を得ました。 なるほど~~っと思いました。
3つ目の読み方してた☺️コメント欄にある沢山の人の色んな解釈も素敵だなあ。
マッタンの 髑髏先生の講義を聞いて余計、文章を読んで考察するのが好きになりました🙌😆
母親が買い物に行くと言ったきり帰って来ずずっと待っていた。結局帰ってこず娘はご飯もろくに食べれて無かったので死んでしまった幽霊になった今も母親を待ち続けている遠ざかる車はパトカーだったみたいな解釈をしました
私も同じ感じでしたね、、私は上から見る部屋と文字を追う、捲れないページで主人公が幽体であると思って、また転がったままという表現に対してどこに転がっているのかも気になったし、わたしはまだ生きている状態で私はもう死んでしまった状態なのかなとも考えました、、とにかくこういう風にいろんなこと考えるのは楽しいですよね
一番しっくり来ましたカーテンが揺れて風が入ってきたからページがめくれた、つまりネグレクトの捜査に来た警察と救急隊が、鍵が閉まっていて窓から入るしかなかったということで、鍵が閉まっていたから、何度もチャイムを鳴らしドアノブをがちゃがちゃと鳴らした。そして普通ならチャイムの音やドアノブの音はうるさいくらい大きな音なはずなのに、微かな音に聞こえてしまうほどに衰弱していた。そして、「ゆっくりと起きる」は幽体離脱を表していて、ドア通り抜け今通り抜け玄関へ行っている間に、救急隊が自分の身体を車に乗せて持っていってしまったから、ドアの向こうには誰もいないと考えると辻褄が合って怖かったです(汗)
私は1番目の解釈で、ぞわぞわしながら文章を聴いていました。
私も幽体の話だと思った。家の前で車に惹かれて、でも本人はその事に気付づかずに幽霊になって帰宅して早く誰か帰ってこないかな?と退屈してるんだと……んで、ドアをガチャガチャしてるのは、家の前で●んでる子を発見した近所の人が、家の人を呼ぼうと慌てて何回もチャイムを押したり開かないドアノブを回してるのかと……それ以外の解釈できる人すげー!!!!
一人で複数の解釈を持てるのがすごい。自分だったら一つの解釈に囚われてしまう。
いよいよ又吉先生は1物語につき幾つもの仮説や想像をめぐらせてくれてる。ありがとうございます。面白いです!「まーだーかなー」僕は何度も言う。「まあだかなぁ?」声のトーンを変えて、音のリズムを変えて、「まっだかな?」何度も何度も同じ言葉を繰り返しているうちに、「まだ、かな?」だんだんと腹ただしくなって来た。「まだなのかな?」寂しい言葉だからかもしれない。「まだ…」いつまで僕は、こうして独りで待つのだろうか。「…かな?」いったい僕は、誰に見つけてほしくて何を期待しているのだうろ。小一時間が経過しても、僕の言葉は帰って来ない。「まあだあかあなあ?」ぼくは、考える。暗闇に空いた光りの穴をじっと見たままぼくは、考える。『まだってなに?』『自分から行動しなくちゃ』僕は泣いた。大声で。暗闇に空いた穴はどんどん大きくなってやがて、そこから両の手がにょきりと伸びてきて、僕のからだをふわっと抱きあげた。「もういいよー」「あ。お母さん。」「もういいかい?」「もういいよぉ。」言葉って不思議。ひとり歩きをするくせに、本当は独りは好きじゃない。
だまさんって本当に少年だよね…
「もういいかい」の話ほんとに悲しくて草枯れた
幽体というのは考えたけど、強盗とまでは思わなかった。確かに、2回出てくる『暗がり』という表現に不気味さは感じていたけど。正直、難しいです。でも、万博さんの解釈も含めて面白いです。
単純に子供の留守番だと思いました。2階に自分の部屋があって、机の上で勉強しているけど捗らなくて、ぼーっと窓の外の車が行ったり来たりしてるのをみているみたいな。「通り抜けて」は誰か帰ってきて嬉しくて玄関まで駆けて行ってる。
若い女性が孤独死か自殺で亡くなってしまい異変を感じた知り合い等が訪問したけど結局気付かれず去ってしまったという文章に読みました。なんだか最後がおいてかれたように感じて。誰かに気づいてもらうまでるすばんしないといけないから。
色んな解釈ができて面白いです!
最後最高にわらいましたw
現役国語教師です。まさに、色々な読み方ができるように導いていくのはアクティブラーニングですね。このような場所に、多勢の学生さんが来てほしいです。これからもがんばってください。応援しています。
拙速ながら、ぼくも解釈しました。アニメの世界が本当にあって、そこでキャラクターが演技している世界があったら、その中のキャラクターの登場回数が少ないときなのかなー、と思った。ページが捲れないのは、その程度の作画しかしていないから。「暗がり」は、道の向こうの、絵が描かれていない場所までキャラクターが見てしまっているのを示している。このアニメのお話は、主人公の家の前が頻繁に登場する回で、この子がこの回で登場するのは、「早く帰ってこないかなあ」と言い、カーテンが揺れてページが捲れるところまで。それで実はもうこの子は今日はクランクアウトなんだけど、微かな、隣の家で起こってる出来事が気になってしまい、アニメーターが描いていないゆえに通り抜けられる、ドア、居間、ドアを通り抜け、でももうその時は撮影は終わっていて、テールライトだけ見えた。
まんま1個目のイメージでした!2個目も好き。
いろんな解釈あって面白いですわたしは留守番してるネコを想像しちゃいました
このシリーズ大好きです!楽しい!わたしはこの語り手は猫だと思いました😂
ネコ🐈の可能性がありますよね😊
家に縛られてる座敷童子の話にもみえました。
転がるわたし、上から見る部屋、ドア通り抜け・・。幽体や人間の子供ではなく、交通事故か病気で突然不在となった読書好き独居老人の愛猫目線ではと感じました。窓近くのキャットタワーから帰らぬ主人をじっと待つ猫。チャイムに反応し猫用出入口付きドアをくぐって出迎えに行く猫。
最後の万博先生の悲しいの好き。
オチが最高
文章の初めからこの子は無くなっていて「転がっている私(の体)」を幽体として見ているのかと思いました。そして、警察が駆けつけて、私の体を持っていくんだけれど、幽体の私はこれからも「るすばん」を続ける、という怖い話かと思いました。
なんとなく家にいる猫ちゃん視点の話かなーとかおもったり
夜中なのに小さな子が留守番してるのが気になりました。この子の親族の誰か、たとえば、ひいおばあちゃんが亡くなった日の回想だと取りました。これから夕ご飯というときに、家族があわただしく出ていった。まだ幼かった女の子は、事情を知らされず家でひとり留守番。あとでひいおばあちゃんが亡くなったと知って、ちょうどそのころ起こった何気ないできごと(ページがめくれた、とか、誰か来たけれど出てみると誰も居なかった)とか、テールライトが去っていく情景のもの寂しさが強く印象に刻まれた。ヘッドライトが一か所出てきますが、ひいおばあちゃんと過ごした楽しかった時間に繋がっているのかな、芋の煮っころがしは、ひいおばあちゃんから受け継がれた味付けかもしれない、と思いました。
これって3つ目のとらえ方なんですけど、なんで客観視点の情景が入ってるんだろうと考えてたら、2つ目も入れて、自分の記憶と、家と私に別れを告げに来たひいおばあちゃん視点でのイメージとが混じりあってできた心象風景ととらえることができることに気づきました。
「ひいおばあちゃん視点でのイメージ」っていうのは、あくまでこの子の頭の中で創られたものと考えていたんだけど、幽体的なイメージといってもいいのか。。。1つ目も入っちゃった。
逆から読んでも割と成立する
国語苦手でした。。。自分の解釈は、先生と合わずテストの点がとれなかった、、、こんな授業あったら、もっと国語楽しく勉強できたのに、、今日初めて見たので、これから他のも見ます。配信ありがたいです。
家を私が引き篭もってる部屋だとすると、親が何度も説得に来て、それでも私の期待する何かを求め続けて外に出ようとしない。重い腰を上げた時には、自分を支えてくれる人はもういない。と解釈しましたが、ひねくれすぎですね。
こだまさんの反応もいいのよ
こだまさんポンコツだなぁ。生徒としても芸人としても 笑
私が最初に読んだイメージだと、ネグレクトを受けてる少女が、昔母に教わった芋の煮っころがしを作って、帰りを待っている。母の帰りを待ち遠しく思う反面、帰って来なければいいのにというアンビバレントな気持ちを少女が持っているから、後半の不気味な表現なのかなと。実際に家を訪れたのは、例えば児相の人で少女を保護しようだとか、母親と面談しようとしたが、家が暗く、誰もいなそうなので帰った。「上から見る部屋」ってところで、解離状態かなと思ったので、それほどの精神的ダメージがあるのかもしれないと考えた。もしかしたら、実は少女ではなく、虐待を過去に受けていたことのある精神的に幼児化した大人の女性って可能性も?
最初読んだ時めっちゃ怖かった
おれも殺されたと思った。転がる自分を転がっていて動かない芋に例えてたりその静けさ、人間がいると思えないような静けさを淡々と表現しているのが強盗にあい殺されて死んだ主人公がずっと家で誰かに見つけてもらうのを待っているように見える
その為に「真っ黒クロスケ」が居ます。異世界への案内人。フリ「真っ黒クロスケ出ておいで」ここで記憶の過去が現在のリアルになる。ヤバいですよね。
テールライトに照らされるのは、私の家。ヘッドライトに照らされるのは、我が家。わたしと私は肉体と精神かなと。
最初読んだ時クソ怖かった
車は、霊柩車のように読めました。
自分の想像してた答えを2つ3つ簡単に飛び越して驚かせてくる読解力凄いなぁ…
ひとつ目と3つ目と同時に思えたなー
私も幽体だと思った💦普通ですみません😭
先生、季語のある俳句も出来るんですか!? しかも俳人に劣らない出来。小説、脚本、エッセイ、自由律俳句、俳句、漫才ネタ、本当に、あらゆる文芸を熟せるんですね。
自分は、少し賢い犬が退屈してて、飼い主の家族の帰りを待ち侘びてるのかなと解釈した
『るすばん』(カガヤさん,28歳アルバイト)①一人で留守番をしていた少女が強盗の被害に.②少女がおばあさんになるまでの話.③夢と現実の間で見た物をストレートに表現.
私は3番目の解釈でした、女の子が寝てるのか眠いのかの状態でうちの中を通り抜けて行ってる気がしました。
育児放棄された子が餓死して自分の体が救急車に運ばれてるのを最後に見てたのかなって思った
私も幽体か幽霊かの視点で見てましたが、他の二つの考え方も面白いしコメント欄の方々の解釈もすごく楽しい!
毎回作者たちが文豪すぎる!
毎回気にになること それはこだまさんのいる空間 その壁の緑これが私には気になってしょうがない 心地良い緑なんなん おれ?
コンビニの夜勤のことと妄想しました。
私も大好きこのコーナーってかまだこのシリーズしか見ていないけど🌞
遺棄児童が餓死しかけている。通報されて、警察がドアを開けようとしてる。自分は動けない。去っていったのはお母さんじゃないかなぁ。何回も見送る子供を想像すると泣ける。意識がもうろうとしているのをひらがなの「わたし」で表現しているのかな
ひぇ~…なんて悲しいの…😢
自分用 0:34
0:42
最初に読んだ時は1番目の解釈で読みましたが、髑髏先生の話を聞いて、成長する幽霊もいてもいいんじゃないかと思えてきました。
「テールライトに照らされた『私と家』。」から「テールライトに照らされる『私』。」に、照らされている対象が減ったことをどう解釈したらいいかわからない…。
自分が外に出て、道路に出たから家がなくなって私だけになったのかなと…そんなふうに僕は解釈してたけども…
まずタイトルが『るすばん』です。そして中盤「誰か帰って来ないかなぁ。」でっす。おかしくないですか?「誰か」とは不特定多数の方ですよね?その方が帰って来るのを『るすばん』しているわけですよね?….結論!…作者は中島みゆきのファンです☆…もっと言えば、中島みゆきのオールナイトニッポンのファンです。何故ならタイトルの『るすばん』が、ひらがなだからです。万博先生もおっしゃる通り、これは作者が『るすばん』をしていた時期が子供時代だった事を意味します。そして言うまでもなく、中島みゆきのオールナイトニッポンは深夜放送のラジオです。当時子供の僕は深夜にゲラゲラ笑ってしまい、よく親に怒られました。混沌とした少年時代特有の不安定な感情を、みゆきさんのラジオは、優しくかき混ぜてくれました。そして、布団の中で、いつか「何か」になりたいと思いつつ、ぐーすか寝てました☆….」つまり『るすばん』とは少女が未来の自分に対する問いかけです。いつか「誰か」迎えに来て…そして、いつか私も「誰か」になりたい….でも、この文章を書いている作者は28歳の女性。この文章を書く事によって、過去の自分に何か言えたのではないのでしょうか?「大丈夫だよ」って。….….蛇足ですが「誰か」とは「夢」や「希望」という言葉に置き換えることができると思います。彼女がもっと幼い頃に見ていた、様々な、とてもたくさんの。
家からみた話かと思ってた
インスタント小説の捜査開始~☺️
読んだ時点で1つ目の解釈しか出来なかったけど、それ以外の解釈も……いとおかし
すごいです先生
普通の小説が如何に読者の妄想解読を許さない描写かがこれを観てるとわかる。
育児放棄されて亡くなってしまった後で役所の人が来たけど助けられず帰っていったと感じました。悲しいけど
幽霊や
交通事故により体を自由に動かせない人が病院で寝たきりになっている状態を思い浮かべました。家はその人の脳内世界、窓の外、車は外界の来客、医者を
2つ目の解釈のほうが文学的でこのコンセプトにも合致していてしっくり来ますね人生は長いようで数行で終る程度なのかもしれませんねでも妄想は無限大
一人で「もういいかい」のお話、悲しいのに声出して笑ってしまいました笑
毎回使われる素人の作品が秀逸すぎる
すげえよ
ほんと色々解釈できて面白い。砂糖いっぱい入れる煮っころがし、、料理中に孤独死した、おばあちゃんのお話にも想像できる。
先生ちゃんと文豪なのに、芸人としてもちゃんとしてるのマジで凄いw
このコーナー嬉しくてニヤニヤしてるだまさん可愛い(笑)
毎回思う。いろんな解釈ができる文章って、作り手はそれを意識してるのか?何通りにも読めるような表現を意図的に散りばめているのか?作る過程を見てみたい。
自分だけでは咀嚼できない物語の世界を、万博先生の解釈から大きな広がりをもって感じさせてもらます。児玉さんの、万博先生の解釈に驚く様子に共感!
好きすぎるこのコーナー。
深すぎて。
万博先生の解釈が素晴らしくて、読解力の乏しい自分には驚きの連続です‼️毎回楽しみに拝見しています。また児玉さんの合いの手がさすがで、楽しい❗️「悲しいです!」めちゃ笑いました🤣
いろんな解釈見てるだけで楽しい…作品も素敵…。毎回こんなふうに書けるのすごいな…とつくづく…。
最初の「転がるわたし」で、家の近くでひかれた子が地縛霊として家について、上から自分の部屋を眺めてる。
自分の本が机の上に開いたまま置かれ、霊になってめくれない(から、続きが読めない)。
家族が引っ越し出て行っても、自分はこの家から離れられない。
他の家族が何度か引っ越し入り、出て行ってもずっと「るすばん(地縛)」し続けてる。
「誰か帰ってこないかなあ」で、地縛霊を端的に表してる。
その家になんと空き巣が入り、何年もめくれなかった本のページがめくれ、ドアノブがちゃがちゃしたから、
トキメキながら、久しぶりに起き上がってドアも通り抜け、玄関を見に行ったら、もう車で逃げたあと。
ドアノブがちゃがちゃはカーテンが揺れた後なんですよね...時系列を考えるべきではないのかもしれませんが。考察楽しいですね(*´ω`*)
いつも楽しみにしてます。
想像力湧いて目に浮かんで、クスッとするところもあって面白いです。
ちょうど3パターン目の解釈のように子供の頃留守番をしていたら知らない人の声が聞こえて怖くなり、机の下に隠れてるうちに眠ってしまい、その時強盗が入ってきた夢を見て現実と夢の界がわからなくなり起きた時パニックになったことを思い出しましたw
現実は聞こえてた声は外の換気扇からで、部屋に強盗が入ってきたビジョンは夢で、自分からすると感覚も視覚も聴覚も全て現実だったので数年間夢だったことを認められなかったですw
楽しみにしてました!
初めにさらっと読んだ時は、なかなか帰って来ない家族を待つ、留守番してるペットの猫のつぶやきだと思ったわ
同じく。それなら「転がる私、上から見る部屋」はキャットタワー。「ドア通り抜け」はペット用窓と解釈できるんです。
でも「(台詞)口に出す」が違和感あるんです。本人はそういったつもりで実は「にゃぁ」だったって解釈は強引すぎる気がして。
このコーナー最高ですね!待ってました^_^
毎回の解釈を聞いて「すごいなぁ」「よく思いつくなぁ」と思ってましたが、今回でその謎が解けました。この表現、自分ならどう使うかという着想なんですね!なれば、解釈が進めば進むほどに髑髏先生は文豪化していってるとも言えるのではないでしょうか。素晴らしいことです。後追いで見てますが、見てるだけで本を読んでいるように癒されます。どうか未来永劫なるべく長くこの動画群を見ていられますように。
本当に物語を読むことが楽しくなる優秀なコンテンツだと思う。
かくれんぼの話、
夕暮れひとりぼっちも私の大好きな作品です。
毎回読み取り方が本当に素晴らしいですね。
解釈を公共に出すとの内容から、文学研究知性やテクスト論などの非個人的なスタンスが又吉さんから感じられとてもうれしく思います。
これまで文章は、書き手と読み手、自身の文化だけで解釈される限界(中心主義)や既存の構文システムからの実験的脱却が試みられてきました。段落がないこと「。」だけで区切ること、または区切らないことなど、文脈を繋げるのではなく分断するための文章など、見解も今後聞いてみたいです。又吉さんの知性を今後も応援しております。
テールライト=別れの暗示
っていうのが好きだな〜。私の家と我が家私と家で自分の家っていう同じことを表していてもニュアンスがちょっと変わってきているのがいい。つくりが上手で尊敬ですね。
こだまさんの反応が良い
毎回最初のやり取りが最高です!!笑
視点がコロコロ変わっている
カーテンが揺れてページが捲れてるから、窓が開いていて風が吹き込んだ
「わたし」や「私」がいっぱい居る
「誰か帰ってこないかなあ」から文章が始まってるんじゃないかな。ここから読んでみると、強盗に殺されて幽体になったのではと思ってしまう。「照らされる」が、「照らされた」という過去表現になったのも頷ける。これも一つの解釈です。
なるほど!!!!前と後ろの文章のかたまりを繋ぐ、「誰かかえってこないかなあ」に疑問をもっていたので
そういう解釈もありますね!
ひらがなのわたしは肉体を指して、漢字の私は幽体を指している感じがしますよね
文章を読み始めた瞬間に、『あ、これ乙一の夏と花火と私の死体みたいだ』って思ってめっちゃゾワゾワした。
他の解釈が出てこなかったので②③の解釈が凄く興味深く面白かったです。
最初の解釈は1つ目だったなぁ
後半に行くにつれて不穏を増してく感じがホラーっぽい雰囲気を感じて
何となくともったのは、家のベッドで死期が近い妙齢の女性。その女性が今まで自分の想いでの詰まった家の記憶を夢うつつの中で思い出している。
だから上から家を見る俯瞰の視点なのかなぁと。
妙齢であれば親は既に亡くなってるでしょうし、子供たちも自立しているでしょう。
そうすると介護の方や誰かが来るまで基本的には自宅で一人動かない体でベッドに横たわる。
この年齢の方の子供時代であれば芋の煮っころがしが大好物なりでもおかしくないように感じますし。
そういう夕飯を待ちながら家でゴロゴロしている幼少期。夏の扇風機が回るところで首振りの微妙な風に捲れるようで捲れないページ。
いくつか遠ざかるヘッドライトの中で、二個目のヘッドライトで父親の車が帰ってくる。テールランプが見えるのは自宅の駐車場で切り返している
それをゴロゴロしながら感じ取る私。切り返しをしているのでヘッドライトの後に暗がりが来る。
なので恐らくゴロゴロしている居間と駐車場はかなり近い位置なのかなと。
ここで妙齢の女性のシーンに戻り、少し目覚めた女性は自宅に人の活気がないことを感じると。「誰か帰って来ないかなぁ」と夢の中の幼少期の自分と重ね合わせた
セリフがベッドの上で出たのではないかなと。
さらにここで女性が寝ているベッドの側の窓から風が入り、女性の読みかけの本は捲れます。
この捲れるという描写が女性の天寿が尽きた表現なのかなと。訪問介護士が来て普段なら呼びかけに反応する女性の声が聞こえない。動いている雰囲気もない。
心配になった介護士は女性家族へ電話をしながら何度もチャイムを鳴らす。
こと切れた女性は力なく眠る体とは裏腹に魂が抜け、冒頭の幼少期の姿になり帰ってきた父親を迎えに行くように玄関へ通り抜けていきます。
ですがそのテールライトは現実。生きていた自分の世界の比喩として自分を置いて遠ざかっていく。
彼女のそんな亡くなるまでのひと時の話かなと解釈しました...
僕もこのコーナー大好きですよ!!
コメントからもだいぶ想像捗った。
一人暮らしの老女が料理中に倒れて「誰か帰って来ないかなあ」これが最後の言葉になり死んでしまうが幽体になり「ゆっくりと起きる」。生前と同じように玄関に向かい外まで行くがドアを開ける必要がなかった事にはまだ気づかず、冒頭に戻り上から部屋を見て初めて自分が死んでしまったのを知る。カーテンと車は納得いく答えが出ない...
今敏さんのパプリカとかも夢と現実が曖昧になる感覚がうまく表現されてるような気がします
原作の筒井康隆版は大勢の夢と現実が混ざり会う様子が見事に表現されていますよ
俯瞰から私や部屋を見てるのと、主観的に寝転んだまま誰か帰ってこないかなぁ、と口に出すのが両方出てくる事で正体が分かりにくくなっている。
前半はやたらと俯瞰から見てるイメージで、後半はやたらと主観的に読める。
1人きりでいる時は色々俯瞰的に考える事が出来るのに、他者が1人いるだけで主観的になってしまう人を描いているのかも。
前半の終わりが私と家(俯瞰)で後半の終わりが私(主観)になってる所もポイントだと思う。
最初に聞いたときはこの文章のどこが面白いんや?って思ってたけど、自分なりにどう解釈するかで面白さが決まるんやなって思いました
又吉の百の三でも「つまらないと感じるものを構成するその中に自分自身がいる」みたいなこと言ってたけどそれに近い?。どうだろう。
あくまで興味深さの度合いってみる人とその対象の関係で決まるってことかなあ。
でも逆に平坦で何も生まれない感じの文章とか読んで、その何も見出せない寂しい気持ちが
なんかいいときもあるから、つまらなさもそれはそれで大事だとも思う。
模試の小説とか読んで、問いに全然敵わなくて
解説聞いた時にすごい深い解釈に感心するけど
最初になんとなくで読んだ時に感じた別の面白さが壊されて無くなるときあるよね。
バーっと書いてめちゃくちゃなコメント
いきなり21話スタートしたけど
どっぷりはまりました
カッコ良いコメしようとして、やっぱりいつも通りな自分でも、これ見た後は成長した気がする(テッテレー
まさに一個目の解釈で読んでいたので、2個めの解釈を聞いて、とてもアハ体験のような感覚を得ました。 なるほど~~っと思いました。
3つ目の読み方してた☺️
コメント欄にある沢山の人の色んな解釈も素敵だなあ。
マッタンの 髑髏先生の講義を聞いて余計、文章を読んで考察するのが好きになりました🙌😆
母親が買い物に行くと言ったきり帰って来ず
ずっと待っていた。結局帰ってこず娘はご飯もろくに食べれて無かったので死んでしまった
幽霊になった今も母親を待ち続けている
遠ざかる車はパトカーだったみたいな解釈をしました
私も同じ感じでしたね、、私は上から見る部屋と文字を追う、捲れないページで主人公が幽体であると思って、また転がったままという表現に対してどこに転がっているのかも気になったし、わたしはまだ生きている状態で私はもう死んでしまった状態なのかなとも考えました、、とにかくこういう風にいろんなこと考えるのは楽しいですよね
一番しっくり来ました
カーテンが揺れて風が入ってきたからページがめくれた、つまりネグレクトの捜査に来た警察と救急隊が、鍵が閉まっていて窓から入るしかなかったということで、
鍵が閉まっていたから、何度もチャイムを鳴らしドアノブをがちゃがちゃと鳴らした。そして普通ならチャイムの音やドアノブの音はうるさいくらい大きな音なはずなのに、微かな音に聞こえてしまうほどに衰弱していた。
そして、「ゆっくりと起きる」は幽体離脱を表していて、ドア通り抜け今通り抜け玄関へ行っている間に、救急隊が自分の身体を車に乗せて持っていってしまったから、ドアの向こうには誰もいない
と考えると辻褄が合って怖かったです(汗)
私は1番目の解釈で、ぞわぞわしながら文章を聴いていました。
私も幽体の話だと思った。
家の前で車に惹かれて、でも本人はその事に気付づかずに幽霊になって帰宅して早く誰か帰ってこないかな?と退屈してるんだと……
んで、ドアをガチャガチャしてるのは、家の前で●んでる子を発見した近所の人が、家の人を呼ぼうと慌てて何回もチャイムを押したり開かないドアノブを回してるのかと……
それ以外の解釈できる人すげー!!!!
一人で複数の解釈を持てるのがすごい。自分だったら一つの解釈に囚われてしまう。
いよいよ又吉先生は1物語につき幾つもの仮説や想像をめぐらせてくれてる。ありがとうございます。面白いです!
「まーだーかなー」
僕は何度も言う。
「まあだかなぁ?」
声のトーンを変えて、
音のリズムを変えて、
「まっだかな?」
何度も何度も同じ言葉を
繰り返しているうちに、
「まだ、かな?」
だんだんと腹ただしくなって来た。
「まだなのかな?」
寂しい言葉だからかもしれない。
「まだ…」
いつまで僕は、
こうして独りで
待つのだろうか。
「…かな?」
いったい僕は、
誰に見つけてほしくて
何を期待しているのだうろ。
小一時間が経過しても、
僕の言葉は帰って来ない。
「まあだあかあなあ?」
ぼくは、考える。
暗闇に空いた光りの穴を
じっと見たまま
ぼくは、考える。
『まだってなに?』
『自分から行動しなくちゃ』
僕は泣いた。大声で。
暗闇に空いた穴は
どんどん大きくなって
やがて、そこから両の手が
にょきりと伸びてきて、
僕のからだをふわっと
抱きあげた。
「もういいよー」
「あ。お母さん。」
「もういいかい?」
「もういいよぉ。」
言葉って不思議。ひとり歩きをするくせに、本当は独りは好きじゃない。
だまさんって本当に少年だよね…
「もういいかい」の話ほんとに悲しくて草枯れた
幽体というのは考えたけど、強盗とまでは思わなかった。
確かに、2回出てくる『暗がり』という表現に不気味さは感じていたけど。
正直、難しいです。でも、万博さんの解釈も含めて面白いです。
単純に子供の留守番だと思いました。
2階に自分の部屋があって、机の上で勉強しているけど捗らなくて、ぼーっと窓の外の車が行ったり来たりしてるのをみているみたいな。
「通り抜けて」は誰か帰ってきて嬉しくて玄関まで駆けて行ってる。
若い女性が孤独死か自殺で亡くなってしまい異変を感じた知り合い等が訪問したけど結局気付かれず去ってしまったという文章に読みました。
なんだか最後がおいてかれたように感じて。
誰かに気づいてもらうまでるすばんしないといけないから。
色んな解釈ができて面白いです!
最後最高にわらいましたw
現役国語教師です。
まさに、色々な読み方ができるように導いていくのはアクティブラーニングですね。
このような場所に、多勢の学生さんが来てほしいです。
これからもがんばってください。応援しています。
拙速ながら、ぼくも解釈しました。
アニメの世界が本当にあって、そこでキャラクターが演技している世界があったら、その中のキャラクターの登場回数が少ないときなのかなー、と思った。ページが捲れないのは、その程度の作画しかしていないから。「暗がり」は、道の向こうの、絵が描かれていない場所までキャラクターが見てしまっているのを示している。このアニメのお話は、主人公の家の前が頻繁に登場する回で、この子がこの回で登場するのは、「早く帰ってこないかなあ」と言い、カーテンが揺れてページが捲れるところまで。それで実はもうこの子は今日はクランクアウトなんだけど、微かな、隣の家で起こってる出来事が気になってしまい、アニメーターが描いていないゆえに通り抜けられる、ドア、居間、ドアを通り抜け、でももうその時は撮影は終わっていて、テールライトだけ見えた。
まんま1個目のイメージでした!
2個目も好き。
いろんな解釈あって面白いです
わたしは留守番してるネコを想像しちゃいました
このシリーズ大好きです!楽しい!
わたしはこの語り手は猫だと思いました😂
ネコ🐈の可能性がありますよね😊
家に縛られてる座敷童子の話にもみえました。
転がるわたし、上から見る部屋、ドア通り抜け・・。幽体や人間の子供ではなく、交通事故か病気で突然不在となった読書好き独居老人の愛猫目線ではと感じました。窓近くのキャットタワーから帰らぬ主人をじっと待つ猫。チャイムに反応し猫用出入口付きドアをくぐって出迎えに行く猫。
最後の万博先生の悲しいの好き。
オチが最高
文章の初めからこの子は無くなっていて「転がっている私(の体)」を幽体として見ているのかと思いました。そして、警察が駆けつけて、私の体を持っていくんだけれど、幽体の私はこれからも「るすばん」を続ける、という怖い話かと思いました。
なんとなく家にいる猫ちゃん視点の話かなーとかおもったり
夜中なのに小さな子が留守番してるのが気になりました。
この子の親族の誰か、たとえば、ひいおばあちゃんが亡くなった日の回想だと取りました。
これから夕ご飯というときに、家族があわただしく出ていった。
まだ幼かった女の子は、事情を知らされず家でひとり留守番。
あとでひいおばあちゃんが亡くなったと知って、ちょうどそのころ起こった何気ないできごと
(ページがめくれた、とか、誰か来たけれど出てみると誰も居なかった)とか、
テールライトが去っていく情景のもの寂しさが強く印象に刻まれた。
ヘッドライトが一か所出てきますが、ひいおばあちゃんと過ごした楽しかった時間に繋がっているのかな、
芋の煮っころがしは、ひいおばあちゃんから受け継がれた味付けかもしれない、と思いました。
これって3つ目のとらえ方なんですけど、なんで客観視点の情景が入ってるんだろうと考えてたら、2つ目も入れて、
自分の記憶と、家と私に別れを告げに来たひいおばあちゃん視点でのイメージとが混じりあってできた心象風景ととらえることができることに気づきました。
「ひいおばあちゃん視点でのイメージ」っていうのは、あくまでこの子の頭の中で創られたものと考えていたんだけど、
幽体的なイメージといってもいいのか。。。
1つ目も入っちゃった。
逆から読んでも割と成立する
国語苦手でした。。。
自分の解釈は、先生と合わずテストの点がとれなかった、、、こんな授業あったら、もっと国語楽しく勉強できたのに、、今日初めて見たので、これから他のも見ます。配信ありがたいです。
家を私が引き篭もってる部屋だとすると、親が何度も説得に来て、それでも私の期待する何かを求め続けて外に出ようとしない。重い腰を上げた時には、自分を支えてくれる人はもういない。と解釈しましたが、ひねくれすぎですね。
こだまさんの反応もいいのよ
こだまさんポンコツだなぁ。生徒としても芸人としても 笑
私が最初に読んだイメージだと、
ネグレクトを受けてる少女が、昔母に教わった芋の煮っころがしを作って、帰りを待っている。母の帰りを待ち遠しく思う反面、帰って来なければいいのにというアンビバレントな気持ちを少女が持っているから、後半の不気味な表現なのかなと。
実際に家を訪れたのは、例えば児相の人で少女を保護しようだとか、母親と面談しようとしたが、家が暗く、誰もいなそうなので帰った。
「上から見る部屋」ってところで、解離状態かなと思ったので、それほどの精神的ダメージがあるのかもしれないと考えた。
もしかしたら、実は少女ではなく、虐待を過去に受けていたことのある精神的に幼児化した大人の女性って可能性も?
最初読んだ時めっちゃ怖かった
おれも殺されたと思った。転がる自分を転がっていて動かない芋に例えてたりその静けさ、人間がいると思えないような静けさを淡々と表現しているのが強盗にあい殺されて死んだ主人公がずっと家で誰かに見つけてもらうのを待っているように見える
その為に「真っ黒クロスケ」が居ます。
異世界への案内人。
フリ「真っ黒クロスケ出ておいで」
ここで記憶の過去が現在の
リアルになる。
ヤバいですよね。
テールライトに照らされるのは、私の家。ヘッドライトに照らされるのは、我が家。わたしと私は肉体と精神かなと。
最初読んだ時クソ怖かった
車は、霊柩車のように読めました。
自分の想像してた答えを2つ3つ簡単に飛び越して驚かせてくる読解力凄いなぁ…
ひとつ目と3つ目と同時に思えたなー
私も幽体だと思った💦普通ですみません😭
先生、季語のある俳句も出来るんですか!? しかも俳人に劣らない出来。小説、脚本、エッセイ、自由律俳句、俳句、漫才ネタ、本当に、あらゆる文芸を熟せるんですね。
自分は、少し賢い犬が退屈してて、飼い主の家族の帰りを待ち侘びてるのかなと解釈した
『るすばん』(カガヤさん,28歳アルバイト)
①一人で留守番をしていた少女が強盗の被害に.
②少女がおばあさんになるまでの話.
③夢と現実の間で見た物をストレートに表現.
私は3番目の解釈でした、女の子が寝てるのか眠いのかの状態でうちの中を通り抜けて行ってる気がしました。
育児放棄された子が餓死して自分の体が救急車に運ばれてるのを最後に見てたのかなって思った
私も幽体か幽霊かの視点で見てましたが、他の二つの考え方も面白いしコメント欄の方々の解釈もすごく楽しい!
毎回作者たちが文豪すぎる!
毎回気にになること それはこだまさんのいる空間 その壁の緑
これが私には気になってしょうがない 心地良い緑
なんなん おれ?
コンビニの夜勤のことと妄想しました。
私も大好きこのコーナー
ってかまだこのシリーズしか見ていないけど🌞
遺棄児童が餓死しかけている。
通報されて、警察がドアを開けようとしてる。
自分は動けない。
去っていったのはお母さんじゃないかなぁ。何回も見送る子供を想像すると泣ける。
意識がもうろうとしているのをひらがなの「わたし」で表現しているのかな
ひぇ~…
なんて悲しいの…😢
自分用 0:34
0:42
最初に読んだ時は1番目の解釈で読みましたが、髑髏先生の話を聞いて、成長する幽霊もいてもいいんじゃないかと思えてきました。
「テールライトに照らされた『私と家』。」から「テールライトに照らされる『私』。」に、照らされている対象が減ったことをどう解釈したらいいかわからない…。
自分が外に出て、道路に出たから家がなくなって私だけになったのかなと…そんなふうに僕は解釈してたけども…
まずタイトルが『るすばん』です。そして中盤「誰か帰って来ないかなぁ。」でっす。おかしくないですか?「誰か」とは不特定多数の方ですよね?その方が帰って来るのを『るすばん』しているわけですよね?….結論!…作者は中島みゆきのファンです☆…もっと言えば、中島みゆきのオールナイトニッポンのファンです。何故ならタイトルの『るすばん』が、ひらがなだからです。万博先生もおっしゃる通り、これは作者が『るすばん』をしていた時期が子供時代だった事を意味します。そして言うまでもなく、中島みゆきのオールナイトニッポンは深夜放送のラジオです。当時子供の僕は深夜にゲラゲラ笑ってしまい、よく親に怒られました。混沌とした少年時代特有の不安定な感情を、みゆきさんのラジオは、優しくかき混ぜてくれました。そして、布団の中で、いつか「何か」になりたいと思いつつ、ぐーすか寝てました☆….」つまり『るすばん』とは少女が未来の自分に対する問いかけです。いつか「誰か」迎えに来て…そして、いつか私も「誰か」になりたい….でも、この文章を書いている作者は28歳の女性。この文章を書く事によって、過去の自分に何か言えたのではないのでしょうか?「大丈夫だよ」って。….….蛇足ですが「誰か」とは「夢」や「希望」という言葉に置き換えることができると思います。彼女がもっと幼い頃に見ていた、様々な、とてもたくさんの。
家からみた話かと思ってた
インスタント小説の捜査開始~☺️
読んだ時点で1つ目の解釈しか出来なかったけど、それ以外の解釈も……いとおかし
すごいです先生
普通の小説が如何に読者の妄想解読を許さない描写かがこれを観てるとわかる。
育児放棄されて亡くなってしまった後で役所の人が来たけど助けられず帰っていった
と感じました。悲しいけど
幽霊や
交通事故により体を自由に動かせない人が病院で寝たきりになっている状態を思い浮かべました。
家はその人の脳内世界、窓の外、車は外界の来客、医者を
2つ目の解釈のほうが
文学的でこのコンセプトにも合致していてしっくり来ますね
人生は長いようで
数行で終る程度なのかもしれませんね
でも妄想は無限大