法華経の全体像の解説🪷【妙法蓮華経】法華経は何を説いているのか。

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 1 фев 2025

Комментарии • 22

  • @大滝弘義
    @大滝弘義 2 дня назад

    有難うございます。妙法蓮華経は、最高の経典です。世尊様有難うございます。感謝申し上げます。

  • @yas6632
    @yas6632 6 месяцев назад +4

    法華経を4つに分けて文字で表されているので理解しやすく、全体の構造を頭に置いて学べそうです。
    ありがとうございました♬

  • @wagamamafestvol2
    @wagamamafestvol2 5 месяцев назад

    ありがとうございます🙏🏻✨
    小宮先生の動画でも繋がっていないので解りづらいと仰ってましたが、大変解りやすい内容でとても有難いです😊
    内容を踏まえ、新たに読み、腑に落としたいと思います💡

  • @yuki-kalavinka5009
    @yuki-kalavinka5009 6 месяцев назад +2

    ありがとう
    ございます🙏🙏

  • @amitabha.monjushri.hukuko
    @amitabha.monjushri.hukuko 6 месяцев назад +1

    XやFBでシェアさせていただきました!
    ありがとうございます!✨
    聖徳太子の書かれた本の題名がわかって、よかったです。
    ずっと知りたかったのでした。😊🙏

    • @Kochibutu2022
      @Kochibutu2022  6 месяцев назад +2

      ありがとうございます🙏

  • @ななしのこんすけ-u2i
    @ななしのこんすけ-u2i 6 месяцев назад +1

    ありがとうございました🎉🎉🎉🎉

  • @Big_Bang_Channel
    @Big_Bang_Channel 5 месяцев назад

    ありがとうございます😊

  • @Miroku-MrsDolphin369
    @Miroku-MrsDolphin369 6 месяцев назад +1

    🙏

  • @user-pl4bh6we8igpt
    @user-pl4bh6we8igpt Месяц назад

    動画配信ありがとうございます。
    斯法華経 為深智説
    浅識聞之 迷惑不解
    一切声聞 及辟支仏
    於此経中 力所不及
    諸善男子。如来所演経典。
    皆為度脱衆生。
    仏説一解脱義。我等亦得此法。到於涅槃。

    • @Kochibutu2022
      @Kochibutu2022  Месяц назад

      授記を授け終わり入滅した全ての仏の心。オーン🙏

  • @一人法師
    @一人法師 6 месяцев назад +1

    ありがとうございます。私は小宮さんと出会い4年になります
    もっと勉強していこうと思います。
    一つお伺いしたいのですが小宮さんは如来といっていますが
    今この世に小宮如来以外に如来はいないのでしょうか?
    それとも何人もいるのでしょうか?

    • @Kochibutu2022
      @Kochibutu2022  6 месяцев назад +1

      正法の如来とは別に山林僧(維摩詰のような如来)が二、三人いるかもしれませんね。曖昧な記憶ですが、プレマサイババも如来とおっしゃっていたかもしれません…

    • @一人法師
      @一人法師 6 месяцев назад +1

      @@Kochibutu2022 ありがとうございます。ほぼほぼ小宮世尊一人 いても2.3人
      ですね。

    • @矢神信一
      @矢神信一 5 месяцев назад

      @@一人法師 様
      ここの教義は、オオムの教義に似ています。
      仏を特別視して、超能力者の様に扱い敬う。
      そして、難解な言葉を用いて、人々を惑わせ理解出来ないと、修行が足りないと言い煙に巻く。
      本物の教義は、解りやすく実践しやすいものです。
      ましてや、末法の衆生に於いて、ここで唱える修行などは困難を極めます、。
      仏とは、あなた自身の生命の中に存在するのです。
      衆生の生命の中には、簡単に言えば地獄もあり、餓鬼もあり畜生の生命もあります。
      それと同時に仏の生命も存在します。
      その生命を顕在化さす為に、末法の御本仏である日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経 を本尊として唱題する事で
      自分の中に存在する仏性を顕在化させる修行を確立したのです。
      仏が仏になった本因が、妙法蓮華経であり、それに帰命するのが南無妙法蓮華経です。
      末法の修行は唱題行に励む事であり、他の修行法をすべきでは無いのです。
      そして、日蓮大聖人の仏法では、自分自身の生命の変革、境涯の革命を教えています。
      この事は、大聖人の仏法を実際やってみないと、実感できないでしょね。
      要するに、仏法とは観念では無く、実際の行動であり、その行動を成すのが、自分自身の生命力です。
      生命力をつけ、顕在化させていくのが大事なのです。

  • @マーシャル-j1r
    @マーシャル-j1r 3 месяца назад

    法華経の観音品に、この経は1回読めば十分というようなことが書かれていたと記憶していますが、何度も読んだり、写経して意味があるのでしょうか?生まれつき凡そのことが解っている人のためのお経なのではないかと思えてしまいます。

    • @Kochibutu2022
      @Kochibutu2022  3 месяца назад

      観音経に限らず、法師品や如来寿量品などで、「一偈でも聞く者は悟りに至る」や「この経を聞いて一度でも悟りを求める心を起こす者は悟りに至る」など説かれていますが、その後には続いて「この経を受持し読誦し書写し解説し記憶する者は言うまでもない」と続きます。
      法華経は菩薩のための教えで、過去世で誓いを立てて生まれ変わってきた菩薩が、法華経を暗記して理解して、お釈迦様が主催されてる虚空会に参加することで、誕生維持消滅と自分の全身(多宝如来)を見る事ができるようになります。
      またシャーリプトラの授記で、過去世の菩薩としての誓願を忘れてしまっているとありましたが、声聞が自身が菩薩であったことを思い出すものが法華経でもあります。

  • @マーシャル-j1r
    @マーシャル-j1r 5 месяцев назад

    釈尊は、法華経の初めに、いくつかの高い境涯の人の例を挙げ、それ以外の人に説くなとおっしゃっています。この、高い境涯以外の人に説くことによる弊害は何なのでしょうか?また、現在、法華経を多くの人々に説いても良くなった根拠とは、何なのでしょうか?

    • @Kochibutu2022
      @Kochibutu2022  5 месяцев назад +1

      法華経の方便品で、
      頑固な人々や、高慢な人々や、正しい修行をしない人々に、お前はこれを説いてはならない。修養のない愚か者たちは常に愛欲に酔いしれていて無知であるから、説かれたこの教えをあしざまに言うであろう。
      しかしながら、過去世に幾コーティという多くの仏陀たちに会った人々、そして、そこで無量の善根を植えた人々、また仏陀の道へ向かう意欲の堅固な人々、そのような人々に対して、お前はこの最高の真理を説け。
      善友に仕え、また悪友を避ける人たち、そのような仏陀の息子たちに会うならば、お前は彼らにこの経を説き明かせ。
      この経典を求め、それを得たのちは頭にいただいて受持するもの、このような人に対して、お前は彼ら愚か者を避けて、この経典を説き明かせ。
      と説かれています。
      高い境涯というより、過去世で善根を植えずに、仏種が焼焦げてしまった一闡提に話すと、むしろ怒り出したりして攻撃してくるかもしれないから説かない方がいいですね。
      イエス様も「神聖なものを犬に与えてはならず、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」とおっしゃってます。
      あと、悪い考えを持つ人に話すと変な教えに悪用したり、自分の都合のいいようにウソの教えを語り出して人を違う道に進めたりするからそういう人には、教えが汚れるので説といてはいけませんね。
      存在しているものは全て仏の過去世なので、全ての人のための教えですが、教えを汚すような人達には説くなと。善根を植えて仏縁を持った人が近付いて来たら教えてあげなさいとおっしゃってます。

    • @マーシャル-j1r
      @マーシャル-j1r 5 месяцев назад

      ​​​​​@@Kochibutu2022丁寧なご回答、ありがとうございます。こう伺うと、日蓮信仰者に、法華経を説くべきでない人が結構居そうですね。一方で「法華経とは畏れ多い」と謙虚に感じている念仏信者の中に、法華経を説くべき人が居そうに思えます。