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寡聞にしてチャンネルの存在を知りませんでした。個人的にですが日本人は最低でもセデックさんとタイヤルさんを学ぶ必要があると考えます。
コメントありがとうございます。日本在住の台湾原住民もたくさんいます。良い交流を続けていきたいですね。
興味深く拝見させていただきました。原住民の方々が事件を如何に受け止め、解釈しているのかを知ることができたいへん勉強になりました。実は私も昨年、霧社とマヘボ社跡を訪れたのですが、時間の関係上他の集落に行くことが出来なかったため、次は行ってみたいです。
コメントありがとうございます。私も、実際にセデック族の方にお話を伺い、感慨深かったです。また、実際に現地に行った事で土地勘も出来、理解が深まりました。蜂起に加わった人たちが強制移住させられた清流には、私もまだ行っていないので、今度機会をみて、行ってみたいです。
元々タクダヤ、トーダ、トルクで分裂させる目的で扱いを分けたのですかね…また、タイヤル系の中でも色々部族が別れていますが、タクダヤ、トーダなどは民族として認められていないのにタロコ族は一つの民族として認められているのが政治運動的な意図を感じます…
コメントありがとうございます。タクダヤ、トーダ、トルクはセデック族を方言によって分けたグループです。元々南投にいたトルク群で、花蓮に渡った人たちが、現在のタロコ族です。民族としては、セデック族とタロコ族に分かれましたが、セデック族のトルク群とタロコ族は言語が同じです。セデック族もタロコ族も、以前はタイヤル族とされていましたが、今では政府から正式にそれぞれセデック族、タロコ族という民族と認められています。
@@たにあTANYA 南投県のトルクも同系統なのにもかかわらず花蓮県のだけタロコ族として分離してて少し違和感を覚えました…
コメントありがとうございます。花蓮のタロコ族は、2004年に正式に原住民族と認められています。これはセデック族が2008年に承認されるより前です、タロコ族自身が、すでに自分たちを独立したひとつの民族と自認していたからです。
最初から最後まで固唾をのんで拝見しました。なぜこのようなことが起こったのか非常に疑問に思っていました。詳細な現地取材ありがとうございます。素晴らしい動画でした。
コメントありがとうございます。私は、モーナ・ルダオという人は、3丁目町内会長のようなものかと思っていましたが、現地に行って、こんなに広い範囲を統治していた頭目だという事を知りました。また、セデック族の子孫の方になぜ蜂起が起こったのか、という事を聞く事が出来たのは大きな収穫でした。
ショッキングです。第二次霧社事件は知ってましたが、日帝に利用され追い討ちをかけたのが同じセディック族の一派とは。日本人としては苦しいけれど日本人だからこそ知るべき事であり、たにあさんのインタビューと応じて事実を語ってくれた原住民のお二人に感謝します。
コメントありがとうございます。私もお話を聞いて、日本人がこんなにも原住民を追い詰め、酷い扱いをしていたのを初めて知りました。ところでコメント主さん(お名前はどうお呼びしたら良いでしょうか?)が以前、霧社の役所に行かれた時、日本人が来たのは初めてだと言われたと、おっしゃっていましたが、それはどこの役所でしたか。研究者を中心として、霧社を訪れる日本人はかなり多いので、少し不思議に思いました。また、8月の慰霊祭の件も、私は全く知らないのです。もし慰霊祭に行かれるようでしたら、またご報告頂けますと嬉しいです。
10年ほど前にこちらにお邪魔しました。親切にしていただき、いまも御恩は忘れませんまた機会があれば行きたいです
コメントありがとうございます。10年前に行かれたんですね。その時はまだ都達村は、平靜村という名前でしたね。動画に出演された、Kraw Hacuさんや、Awi Temuさんに会われましたか?
@たにあTANYA さん 地元の観光協会の役員をなさっている元駐在さんには大変お世話になりました
勉強になります
コメントありがとうございます。お役に立てて幸いです。
寡聞にしてチャンネルの存在を知りませんでした。
個人的にですが日本人は最低でも
セデックさんとタイヤルさんを学ぶ必要があると考えます。
コメントありがとうございます。日本在住の台湾原住民もたくさんいます。良い交流を続けていきたいですね。
興味深く拝見させていただきました。
原住民の方々が事件を如何に受け止め、解釈しているのかを知ることができたいへん勉強になりました。
実は私も昨年、霧社とマヘボ社跡を訪れたのですが、時間の関係上他の集落に行くことが出来なかったため、次は行ってみたいです。
コメントありがとうございます。私も、実際にセデック族の方にお話を伺い、感慨深かったです。また、実際に現地に行った事で土地勘も出来、理解が深まりました。蜂起に加わった人たちが強制移住させられた清流には、私もまだ行っていないので、今度機会をみて、行ってみたいです。
元々タクダヤ、トーダ、トルクで分裂させる目的で扱いを分けたのですかね…
また、タイヤル系の中でも色々部族が別れていますが、タクダヤ、トーダなどは民族として認められていないのにタロコ族は一つの民族として認められているのが政治運動的な意図を感じます…
コメントありがとうございます。タクダヤ、トーダ、トルクはセデック族を方言によって分けたグループです。元々南投にいたトルク群で、花蓮に渡った人たちが、現在のタロコ族です。民族としては、セデック族とタロコ族に分かれましたが、セデック族のトルク群とタロコ族は言語が同じです。セデック族もタロコ族も、以前はタイヤル族とされていましたが、今では政府から正式にそれぞれセデック族、タロコ族という民族と認められています。
@@たにあTANYA 南投県のトルクも同系統なのにもかかわらず花蓮県のだけタロコ族として分離してて少し違和感を覚えました…
コメントありがとうございます。花蓮のタロコ族は、2004年に正式に原住民族と認められています。これはセデック族が2008年に承認されるより前です、タロコ族自身が、すでに自分たちを独立したひとつの民族と自認していたからです。
最初から最後まで固唾をのんで拝見しました。
なぜこのようなことが起こったのか非常に疑問に思っていました。詳細な現地取材ありがとうございます。素晴らしい動画でした。
コメントありがとうございます。私は、モーナ・ルダオという人は、3丁目町内会長のようなものかと思っていましたが、現地に行って、こんなに広い範囲を統治していた頭目だという事を知りました。また、セデック族の子孫の方になぜ蜂起が起こったのか、という事を聞く事が出来たのは大きな収穫でした。
ショッキングです。第二次霧社事件は知ってましたが、日帝に利用され追い討ちをかけたのが同じセディック族の一派とは。
日本人としては苦しいけれど日本人だからこそ知るべき事であり、たにあさんのインタビューと応じて事実を語ってくれた原住民のお二人に感謝します。
コメントありがとうございます。私もお話を聞いて、日本人がこんなにも原住民を追い詰め、酷い扱いをしていたのを初めて知りました。ところでコメント主さん(お名前はどうお呼びしたら良いでしょうか?)が以前、霧社の役所に行かれた時、日本人が来たのは初めてだと言われたと、おっしゃっていましたが、それはどこの役所でしたか。研究者を中心として、霧社を訪れる日本人はかなり多いので、少し不思議に思いました。また、8月の慰霊祭の件も、私は全く知らないのです。もし慰霊祭に行かれるようでしたら、またご報告頂けますと嬉しいです。
10年ほど前にこちらにお邪魔しました。親切にしていただき、いまも御恩は忘れません
また機会があれば行きたいです
コメントありがとうございます。10年前に行かれたんですね。その時はまだ都達村は、平靜村という名前でしたね。動画に出演された、Kraw Hacuさんや、Awi Temuさんに会われましたか?
@たにあTANYA さん 地元の観光協会の役員をなさっている元駐在さんには大変お世話になりました
勉強になります
コメントありがとうございます。お役に立てて幸いです。