【ゆっくり解説】ヨーロッパで貴族になった男! 支倉常長の謎!!

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  • Опубликовано: 16 янв 2025

Комментарии • 23

  • @ms1541
    @ms1541 2 года назад +3

    リクエストした支倉常長が取り上げられて嬉しいです😆❤️
    この運気に乗って大河ドラマまで行ってほしいなぁ〜❤️✨👏

  • @辛味チキン-x7l
    @辛味チキン-x7l 2 года назад +4

    待ってました!!

  • @ごっちゃん-r5f
    @ごっちゃん-r5f 2 года назад +6

    今でもサン ファン バウティスタ号復元船が解体されてしまったのが残念でしょうがないです💦

  • @junichif17
    @junichif17 2 года назад +4

    遠藤周作の小説「侍」の元となった史実ですよね。小説の結末はこの動画の顛末とは異なっているけど、キリスト教への信仰の意味を問う名作です。未読の方は是非ご一読を。

  • @abbtk14
    @abbtk14 2 года назад +9

    昔の本では幕末の咸臨丸が最初に太平洋を渡った日本船のように書かれる事がありましたが、あくまで幕府の船という意味で、しかもオランダ製。解説されているように、サン・ファン・バウティスタ号が太平洋を横断した初の国産船なんですよね。航海日誌や建造の記録全てが闇に葬られてしまった事は本当に惜しいです…。

    • @arusuno99
      @arusuno99 2 года назад +2

      別の説は、あまりに短期間で洋式船を建造を建造しているので、座礁したサン・セバスチャン号を譲り受け修理してサン・ファン・バウティスタ号させたとされる説もある。座礁した船の名前を使うのを嫌った為に改名したと思われる。ですので「日本初」は認定されていない。「咸臨丸」の記録が一番確かな証拠となっている。

    • @yh6146
      @yh6146 2 года назад +3

      実は咸臨丸は世界初の太平洋横断した蒸気船。アメリカの捕鯨船が日本の近くに行ったけど全て帆船だし、ペリーも日本に来る時には太平洋横断していない。

  • @drill2949
    @drill2949 2 года назад +1

    舶来物の布を喜ぶ霊夢…舶来霊夢…はくらいれいむ…ってところまで思いついた。

  • @done-s
    @done-s 2 года назад +2

    先日亡くなった支倉常長の子孫、支倉常隆さんとは若い頃に夜の池袋で遊びまくってました😙

  • @yh6146
    @yh6146 2 года назад +1

    7:55 この洗礼名のロクエモンは常長の通称が六右衛門だから。ちなみに支倉常長は本当は支倉長経だったという説がある。

  • @sayaandmasa
    @sayaandmasa 2 года назад +1

    朱印船や探検船を東と南に向けて探検させていたら面白い歴史になっただろうな。
    カリフォルニア藩とかハワイ藩とかオーストラリア藩とかマリアナ藩とか

  • @やや白いあきちゃん
    @やや白いあきちゃん 2 года назад +3

    いずれ時代が進んで、さらに常長に関する記録が見つかれば…今よりもっともっとスゴい偉業として認知される日が来るのかもしれません。
    サン・ファン号の建造地や出航地も諸説あり確定しておらず、石巻市出身の仙台市民のオイラとしては、これも時代とともに解明されてくれたら嬉しいです。

  • @ふぐり-i8m
    @ふぐり-i8m 2 года назад +2

    祖先の日本人が海外でも堂々と振る舞っていた歴史、本当に誇れる

  • @イヌワシ好き
    @イヌワシ好き 2 года назад +2

    まさかの……自分が住む県の偉人出た(伊達政宗の配下では一番有名かも)。チョコレートを日本人で初めて食べた(かもしれない)人か。

  • @SATA-builders
    @SATA-builders 7 месяцев назад

    宮城県に支倉町がありますが
    小さい頃
    支倉常長六右衛門という人との関わりがある町と聞いていました。
    その事が詳しく知りたいです🙏🏻
    私のおばぁちゃんの家が支倉町にあるからです😊

  • @むちむちなとちじ
    @むちむちなとちじ 2 года назад +3

    支倉常長も凄いけど伊達政宗も凄いですね……。野心が。

    • @イヌワシ好き
      @イヌワシ好き 2 года назад +3

      一揆を何度か起こしたり(疑われたが、手紙に細工をして無罪放免されてる)、徳川家康を出し抜いて天下を取ろうとしたりしていたし。幼少期に自分の飛び出た右目を自ら進んで斬れと世話役に言ったり(自分でやったという異説ある)した話しは一番圧倒されたな。

    • @繁明徳原
      @繁明徳原 2 года назад +3

      伊達政宗は、出遅れ戦国武将と
      呼ばれる事がよくありますが、もし織田信長や豊臣秀吉、徳川家康と同世代に誕生していたら、日本の戦国時代は、どの様な世界になっていたのでしょうか?

  • @Ken-pp7dy
    @Ken-pp7dy Год назад

    支倉常長の家紋は、アーリア人の象徴であるハーケンクロイツである。
    だが、当時のヨーロッパ社会では、4世紀以来、キリスト教の影響で、ヨーロッパ社会における、アーリア的なものは忘れさられていた。
    ヨーロッパ人が、アーリア的なものに関心を抱くのは、キリスト教の影響力が低下する、19世紀になってからである。

  • @jardins-du-cosmos
    @jardins-du-cosmos 2 года назад +5

    フィリピンにもハポンと言う苗字が有るね
    支倉常長さん頑張って帰国したのに残念だっだ
    鑑真和上の苦労ぐらい凄いと思っているのだが