Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
山田浅右衛門は日本版シャルル・サンソンみたいな感じですね。
本当に感動致しました。特に、吉田松陰先生の最後の立ち居振る舞いは、証言から想像されて目に浮かびました。また執行して帰宅したときのお話も、大変なお役目であったことが想像されます。このように動画にしていただき、本当に有り難く存じます。
なかなか他では知ることができない内容の紹介、ありがとうございます御様御用については詳しく知らなかったので、大変勉強になりました刑死者の内臓を薬として売っていたなんて驚きです‼️このようなdeepな江戸文化、とても勉強になりました😆
凄く良い内容ですね!歴史って人間そのものを学ぶ事なんですよね。成功や失敗、優しさや残酷さを歴史は教えてくれます。
私も下手ですが、試し斬りを稽古でやっています。まさか今の時代死体は斬りませんが、古畳を巻いた物を斬ります。普段の稽古では新聞紙を数枚重ねて丸めた物を斬っています。どちらも難しいですね!古畳でも材質によっては跳ね返された物もあります。刃筋が通らずに無理に斬ろうとすれば刀を曲げますし、剣速が遅ければ途中で止まってしまいますし大変です。その代わり勢い良く斬れた時は気持ちが良いです。まあ、その分"こんなに斬れるのか"と恐ろしい気分にもなりますが…
ほ〜り〜さんちょっと刺激的な内容でしたが!古の時代にこう言う事があった事を知るのも良いと思います。しかし「土壇場」の語源がそう言う事だったとは知りませんでした。知ると学ぶ事が出来ました。
動画、ありがとうございます😊外国人から、江戸時代の武士は気に入らない人がいたら斬り殺しても良かったんだって?って聞かれて、歴史をよく知らなかったので、何も言えませんでした、、、その後自分なりに調べたのですが、よくわからず、、、今回の動画の内容は、本当に知りたかった内容でした。ホーリーさん、これからもいろんな切り口からの江戸時代を教えて下さい⭐😊
時代劇『徳永吉宗』に栗塚旭さん演じる山田浅右衛門を思い出しました。
斬首刑になったここでは、吉田松陰がでてきて高橋お伝がでてきませんでしたねえ〜面白ろいですよ。
こんにちは!ホーリーさん今回は山田浅右衛門の話しですね。山田浅右衛門に関する動画は沢山のユーチーバーが取り上げていて、自分も興味が有り幾つかの動画を以前に見ました。成る程と思ったのが、刀剣の切れ味の違いは死体の数による、と言う部分で死体を二つ重ねて二つ切れるのが「二つ胴」三つが「三つ胴」最上の業物が「七つ胴」なんだそう、七体も切れるとは凄い腕と凄い切れ味ですね。内臓のエピソードも有りました、山田家では軒下に内臓を端から端までずらりと吊すんだそう、その内臓から夜中の間中にポタリポタリと血や体液のしたたる音がするんだとか、恐ろしい~人の首を切るとなると、度胸が有り凄い切れ味の業物で力任せに思いっきりエイッと振り下ろせば素人でも切れそうに思うのですが、実は根本から間違いなんだとか。本当の首切り作法は、首の皮一枚残して切るんそうで、後は頭の重みでゆっくりと首皮が切れ頭が落ちる様に切るのが作法なんだとか、罪人と言えども頭が激しく傷まない様にしたんですね。首皮一枚残して切るとは、恐るべし山田浅右衛門!松陰先生のエピソードは知っていました、昔は吉田松陰は打首の際に泣きわめいた、と言う歴史評論家もちらほらと居ましたよ、今では立派だったが定着しています、泣きわめいて見苦しいかったのは橋本左内と言われてますね。
今回はちょっと重くそれゆえ深い江戸の逸話でしたね。還暦過ぎの自分は、小池一夫氏の「首切り朝」を思い出しました。
山田浅右衛門、懐かしくて本棚から杉浦日向子さんの短編作品集「ニッポニア・ニッポン」を探して読み直してしまいました。山田浅右衛門、杉浦さんは山田朝右衛門と表記していますが、この人のことを知ったのが「ニッポニア・ニッポン」に収録された一編、「夢幻法師」でした。山田朝右衛門が最期に斬った刑死者、高橋阿伝の処刑と彼女の情人であった小川市太郎の話。その凄惨な描写が非常に印象的な作品です。
触れる機会が少ない、歴史的内容でしたが…実際にあった出来事や職業のありのままを知ることも、歴史を学ぶ上で大切のような気がいたしました
4:25 明治以降の話でしょうね 武士は寒くても懐に手を入れてはいけない くしゃみやあくび をしてはいけない それぐらい規律が厳しかった 容易に腰刀を抜けば処罰されるのは自分の方ですからそんな事は先ず有り得ないでしょうね
いつだったか、首切り朝を全巻読んだなあ。己が後世で大罪人として語り継がれる世の中であって欲しい、だとか、人が人を裁くことは果たしてよいことなのだろうか、如何なる理由があろうとも、人が人を殺めることはあってはならないことだ、という台詞が印象的だった。処刑人という重いテーマを取り上げた作中にあって、朝右衛門のそんな高潔な思想にどこか救いのようなものを見出せる名作だと今でも思う。
江戸時代前期には山野永久と呼ばれる試し斬りに長けた旗本がおり、生涯約6000人もの罪人処刑・試し斬りに携わったといいます。しかし孫の代になって、試し斬りの技量が受け継がれず御役御免となってしまいました。その後は山野家の弟子が御用を務めましたが、その中で山田浅右衛門貞武の据物の技術が非常に優れ、子の吉時にも引き継がれたことから、1736年幕府から正式に御試御用の役職を拝命しました。浅右衛門は幕府から役職を貰っているにもかかわらず身分は旗本でも御家人でもなく「浪人」でした。これは本業たる御試御用による給料だけでは山田家が日々生活することが難しく、副業してもいいようにしたためと言われています(公務員と同じく原則武士の副業は禁止)。副業とは、大名からの依頼で切腹する武士の介錯を務める、といったものが一般的です。武士に対する死罪は切腹と斬首の2つがありますが(99.9%が切腹)、切腹の場合は執行後遺体を清め、葬儀時に家族がショックを受けないよう「首の皮を一枚残す」必要がありました。そんな高度な技術を持ち合わせている侍なぞほとんどいませんから浅右衛門の技術は非常に重宝されました。ただ、ここで得られる収入はわずかな額でした。幕府からの斬首による費用は一回当たり二分(5~6万円ぐらい)。介錯・打ち首に用いた刀の砥代+αぐらいなので、経費を差し引くとプラスマイナスゼロといった感じ。浅右衛門には試し斬りごの死体を所有する権利が与えられていました。そのまま無縁仏のお寺で供養して終わりではありません。毎年処刑される死体に数には限りがあります。江戸時代を通して処刑された罪人の数は約20万人。かなりの数ですが、1日平均に直すと2~3人です。一方で刀の試し斬りに関する需要は普通の武士からもありましたので、死体の数は圧倒的に足りませんでした。そこで、浅右衛門は一度試し斬りした死体を縫い直して何度も使用していた他、自分で試し斬りをしたい武士に死体を売却してリソースを管理しておりました。
深いお話、ありがとうございますとても興味深かったです
昨今の湯桶読みの「ななだい」ではなく本来の「しちだい」といふところがさすがです
山田浅右衛門は非常に興味深い存在だと思います。取り上げていただき、ありがとうございます。フランスの処刑人サンソン家と比較して考えるのも面白いですよね。
戦国時代には人肝の買い付けに大陸から商人がやってきていたというし、漢方では最高の高貴薬。江戸においては出所の確実な人肝で作った薬と言ったら山田浅右衛門以外に無かったわけで、稼ぎという点では大変なものだったんでしょうね。
人の「死」にまつわる仕事だったので他に進んで手を挙げる家も、なかなか無かったことでしょうね。「表向き」の家柄・家格よりも、報酬や役得部分の「実利」が有ったので続けられたのでしょうね。 なかなか教科書やテレビなどでは取り上げられる事の無い”ディープ”な話で、本日もまた、大変に勉強になりました!!
ある日、浅右衛門の家に、いかにも罪を犯したような男が来て「金を貸してくれ」と言った。断ると「じゃあ俺の肝を買ってくれ。どうせお前さんに首を斬られるんだからその前金だ」と不気味な顔で笑ったという話がある。
岩波文庫の江戸百夜(昭和になってから書かれた本)で最後の山田浅右衛門へのインタビューが載ってます。明治維新直前の時には「斬りも斬ったし200人」だそうで…
山田浅右衛門の名は知ってはいたが死人の内臓を薬にして売っていたとは、小伝馬牢の跡地の十思国民学校に通っていた私としては知らないことばかりでした。
勉強になります。そうですよね。現代人の価値観で、当時の価値観の中生きていた過去の人達を裁くのは違うよなあと思います。
山田浅右衛門は好物なのでありがたいです😃
初めましてなんだけど、良いチャンネルです。滅多に聞けないハナシです。暴れん坊将軍にも山田浅右衛門が登場するので名前を聞いた事はあったけど確かに浪人なんですよね。フィクションの子づれ狼は公儀介錯人で幕臣の設定だった。
ホーリー師匠も苦手な部分もあったと思いますが、解説していただいてありがとうございます!
到る所青山在り、と言いますがなかなか含蓄のあるお話でした
「土壇場」の語源を知れてうれPです\(^o^)/ほーりー様ありがとうございます😭
今回のテーマは、確かにdeepですね😢首を切る自体とんでも無い事なのに、お役とは言え酷な仕事だ。「罪は得てして歴史が決めるもの」、上手い例えだと思います。本日も配信有難うございました。また、勉強になりました😮
堀口さんから山田浅右衛門の話を聞けるとは意外でした。血生臭い、たくさんのエピソードも、女性の目線で話してもらえると、少しはイメージが和らぐ部分もありますね。
そういえば最近仁丹見ないがあれは腎臓小さくちぎって丸めたのが元祖。
ほーりーお誕生日おめでとうございます🎂☆ ….まさかムーディー勝山さんと同じ誕生日とは💦….
魯迅の『薬』を思い浮かべさせる面白い内容ですね。
山田浅右衛門が売っていたヒト由来の生薬が気になってしまいました。「本草綱目」にも出ているというのは、驚きでした。
元々、刀は人斬り包丁!現代では美術品として、作刀や売買が行われているのですよね。
大江戸死体考で衝撃を受けたものです
栗塚旭と二合半のオヤジとめ組の半次郎。
栗塚旭 大好きでした
現代とは常識が違うとはいえ、首切りの家系では首や頭の事故・病死が多いとか?当時は無実の罪で刑に処された者も多かったと思います。人の恨みに時代は関係無いですよ。
さすがですね~僕もアニメ見て少し調べたんですが土壇場のお話とか初耳😳地獄楽解説是非ほーりーさんにして欲しかったのでありがとうございます
試し斬りした刀を将軍様が使うのは穢れてるのではないかなって思いますが、あんまり気にしなかったのですかね。やっぱり禁忌感の違いでしょうか。
何でしたっけ❓西洋の歴史上にも同様な家系がありしたな。
まあ、東西を問わず、かつては「残酷なこと」をしていたわけですが、今の価値観で断罪できるものでもない。
フランスにも似たような話が…
人の生き死にに向き合う、という点では、医者も死刑執行人も同じなんだろうなぁ。
堀口茉純さんからみた、幕末時の幕府要人を幕府側から見た新政府要人の評価など、是非、知りたいです
無限の住人に出てきた人だ!
職業柄、穢多同様の浅右衛門、まさか幕臣というわけにはいかないだろうな。諸侯から試し切りの依頼や、折紙料での収入に加え、内蔵販売での余禄を合わせればへたな旗本以上の暮らし、ちょうど穢多頭の浅草弾左衛門のようではないか。まぁ鎌倉時代に、罪人を使った試し切りも無かろうが、歌舞伎の「石切梶原」では名刀の試し切りで、罪人が真っ二つという場面がある。最後の浅右衛門は、高橋お伝の斬首にしくじって、三太刀目でやっと首を落としたという話しは有名だね。
『暴れん坊将軍』の準レギュラー首切り浅右衛門は実在していたんですね 本職は試し切りの人だったんですね 首切りはアルバイトだったのか
地獄楽には女性の山田浅右衛門が出てきますが、女性でも朝右衛門の職に就いていた人はいたのでしょうか?😅
パイのパイのパイはなんの歌でしょう。
拝一刀なら知っている。柳生烈堂との話も聞かせてほしい。
「CAST IN THE NAME OF GOD, YE NOT GUILTY」という文言を思い出しました。昔関わってたアニメに出てくる一節です。
「WE HAVE CAME TO TEAM BIG-O 」今でも大好きなアニメの一つです。
山田家以外にも複数あったというのは初めて聞きましたが、世襲だったのがなんともいえない。与力、同心などは「事実上」だとは聞きましたが、首切り朝の場合はどうだったのでしょう。ところで脳の方はどう処理したのでしょうね。プリオンとかありますからね。
実子が代を継ぐ事もありましたが、多くの弟子から 技量に優れた人を養子に迎えて技術を継承してますよ。
@@gakunishimoto354 レス、さんくすですw でもこの場合、弟子になりたい人がそうそういたのかどうかw
いつも気になったいるのですが、音量が低すぎると思います。料理のリュウジさんと同じくらいだと聴きやすいです。
エップ可愛い😍
50年ほど前に近所に浅右衛門の末裔と言うのが住んでいた 嘘かホントか知らんが・・・
でも冤罪も多かったんじゃない?
「子連れ狼」の拝一刀が死刑執行人だった記憶が...。
アレは公儀介錯人という架空の役職罪人ではなく取り潰された大名などが切腹する時に徳川家を代表して首を斬る役人ですね
Konkai no Video wa totemo taisetsu na benkyoo deshita. Metta-ni katararenu naiyoo nano-de, hijoo ni arigatai to kansha shimasu.
鬼役殿
辻斬りなんて怪談の噺🤭類が淵や四谷怪談や
時代劇の影響でたくさん切られたみたいに思ってるけど1年に1人居るかいないかなのに!TBSの水戸黄門やテレ朝の暴れん坊将軍のドラマが悪い!嘘捏造過ぎる
別に昔の話とは違うだろ?今でも古刀を買うと試し切りで何人分の胴体を重ねて切れた人切り証明書がついてくるだろ?
山田浅右衛門は日本版シャルル・サンソンみたいな感じですね。
本当に感動致しました。特に、吉田松陰先生の最後の立ち居振る舞いは、証言から想像されて目に浮かびました。また執行して帰宅したときのお話も、大変なお役目であったことが想像されます。このように動画にしていただき、本当に有り難く存じます。
なかなか他では知ることができない内容の紹介、ありがとうございます御様御用については詳しく知らなかったので、大変勉強になりました刑死者の内臓を薬として売っていたなんて驚きです‼️このようなdeepな江戸文化、とても勉強になりました😆
凄く良い内容ですね!歴史って人間そのものを学ぶ事なんですよね。成功や失敗、優しさや残酷さを歴史は教えてくれます。
私も下手ですが、試し斬りを
稽古でやっています。
まさか今の時代死体は斬りません
が、古畳を巻いた物を斬ります。
普段の稽古では新聞紙を数枚重ねて
丸めた物を斬っています。
どちらも難しいですね!
古畳でも材質によっては跳ね返された
物もあります。
刃筋が通らずに無理に斬ろうとすれば
刀を曲げますし、剣速が遅ければ
途中で止まってしまいますし大変です。
その代わり勢い良く斬れた時は
気持ちが良いです。まあ、その分
"こんなに斬れるのか"と
恐ろしい気分にもなりますが…
ほ〜り〜さん
ちょっと刺激的な内容でしたが!
古の時代にこう言う事があった事を知るのも良いと思います。
しかし「土壇場」の語源がそう言う事だったとは知りませんでした。
知ると学ぶ事が出来ました。
動画、ありがとうございます😊
外国人から、江戸時代の武士は気に入らない人がいたら斬り殺しても良かったんだって?って聞かれて、歴史をよく知らなかったので、何も言えませんでした、、、
その後自分なりに調べたのですが、よくわからず、、、
今回の動画の内容は、本当に知りたかった内容でした。
ホーリーさん、これからもいろんな切り口からの江戸時代を教えて下さい⭐😊
時代劇『徳永吉宗』に
栗塚旭さん演じる山田浅右衛門を思い出しました。
斬首刑になったここでは、吉田松陰がでてきて高橋お伝がでてきませんでしたねえ〜面白ろいですよ。
こんにちは!ホーリーさん
今回は山田浅右衛門の話しですね。
山田浅右衛門に関する動画は沢山のユーチーバーが取り上げていて、自分も興味が有り幾つかの動画を以前に見ました。成る程と思ったのが、刀剣の切れ味の違いは死体の数による、と言う部分で死体を二つ重ねて二つ切れるのが「二つ胴」三つが「三つ胴」最上の業物が「七つ胴」なんだそう、七体も切れるとは凄い腕と凄い切れ味ですね。
内臓のエピソードも有りました、山田家では軒下に内臓を端から端までずらりと吊すんだそう、その内臓から夜中の間中にポタリポタリと血や体液のしたたる音がするんだとか、恐ろしい~
人の首を切るとなると、度胸が有り凄い切れ味の業物で力任せに思いっきりエイッと振り下ろせば素人でも切れそうに思うのですが、実は根本から間違いなんだとか。
本当の首切り作法は、首の皮一枚残して切るんそうで、後は頭の重みでゆっくりと首皮が切れ頭が落ちる様に切るのが作法なんだとか、罪人と言えども頭が激しく傷まない様にしたんですね。
首皮一枚残して切るとは、恐るべし山田浅右衛門!
松陰先生のエピソードは知っていました、昔は吉田松陰は打首の際に泣きわめいた、と言う歴史評論家もちらほらと居ましたよ、今では立派だったが定着しています、泣きわめいて見苦しいかったのは橋本左内と言われてますね。
今回はちょっと重くそれゆえ深い江戸の逸話でしたね。
還暦過ぎの自分は、小池一夫氏の「首切り朝」を思い出しました。
山田浅右衛門、懐かしくて本棚から杉浦日向子さんの短編作品集「ニッポニア・ニッポン」を探して読み直してしまいました。
山田浅右衛門、杉浦さんは山田朝右衛門と表記していますが、この人のことを知ったのが「ニッポニア・ニッポン」に収録された一編、「夢幻法師」でした。
山田朝右衛門が最期に斬った刑死者、高橋阿伝の処刑と彼女の情人であった小川市太郎の話。
その凄惨な描写が非常に印象的な作品です。
触れる機会が少ない、歴史的内容でしたが…実際にあった出来事や職業のありのままを知ることも、歴史を学ぶ上で大切のような気がいたしました
4:25 明治以降の話でしょうね 武士は寒くても懐に手を入れてはいけない くしゃみやあくび をしてはいけない それぐらい規律が厳しかった 容易に腰刀を抜けば処罰されるのは自分の方ですからそんな事は先ず有り得ないでしょうね
いつだったか、首切り朝を全巻読んだなあ。
己が後世で大罪人として語り継がれる世の中であって欲しい、だとか、人が人を裁くことは果たしてよいことなのだろうか、如何なる理由があろうとも、人が人を殺めることはあってはならないことだ、という台詞が印象的だった。
処刑人という重いテーマを取り上げた作中にあって、朝右衛門のそんな高潔な思想にどこか救いのようなものを見出せる名作だと今でも思う。
江戸時代前期には山野永久と呼ばれる試し斬りに長けた旗本がおり、生涯約6000人もの罪人処刑・試し斬りに携わったといいます。しかし孫の代になって、試し斬りの技量が受け継がれず御役御免となってしまいました。その後は山野家の弟子が御用を務めましたが、その中で山田浅右衛門貞武の据物の技術が非常に優れ、子の吉時にも引き継がれたことから、1736年幕府から正式に御試御用の役職を拝命しました。浅右衛門は幕府から役職を貰っているにもかかわらず身分は旗本でも御家人でもなく「浪人」でした。これは本業たる御試御用による給料だけでは山田家が日々生活することが難しく、副業してもいいようにしたためと言われています(公務員と同じく原則武士の副業は禁止)。副業とは、大名からの依頼で切腹する武士の介錯を務める、といったものが一般的です。武士に対する死罪は切腹と斬首の2つがありますが(99.9%が切腹)、切腹の場合は執行後遺体を清め、葬儀時に家族がショックを受けないよう「首の皮を一枚残す」必要がありました。そんな高度な技術を持ち合わせている侍なぞほとんどいませんから浅右衛門の技術は非常に重宝されました。ただ、ここで得られる収入はわずかな額でした。幕府からの斬首による費用は一回当たり二分(5~6万円ぐらい)。介錯・打ち首に用いた刀の砥代+αぐらいなので、経費を差し引くとプラスマイナスゼロといった感じ。浅右衛門には試し斬りごの死体を所有する権利が与えられていました。そのまま無縁仏のお寺で供養して終わりではありません。毎年処刑される死体に数には限りがあります。江戸時代を通して処刑された罪人の数は約20万人。かなりの数ですが、1日平均に直すと2~3人です。一方で刀の試し斬りに関する需要は普通の武士からもありましたので、死体の数は圧倒的に足りませんでした。そこで、浅右衛門は一度試し斬りした死体を縫い直して何度も使用していた他、自分で試し斬りをしたい武士に死体を売却してリソースを管理しておりました。
深いお話、ありがとうございます
とても興味深かったです
昨今の湯桶読みの「ななだい」ではなく本来の「しちだい」といふところがさすがです
山田浅右衛門は非常に興味深い存在だと思います。取り上げていただき、ありがとうございます。フランスの処刑人サンソン家と比較して考えるのも面白いですよね。
戦国時代には人肝の買い付けに大陸から商人がやってきていたというし、漢方では最高の高貴薬。江戸においては出所の確実な人肝で作った薬と言ったら山田浅右衛門以外に無かったわけで、稼ぎという点では大変なものだったんでしょうね。
人の「死」にまつわる仕事だったので他に進んで手を挙げる家も、なかなか無かったことでしょうね。「表向き」の家柄・家格よりも、
報酬や役得部分の「実利」が有ったので続けられたのでしょうね。 なかなか教科書やテレビなどでは取り上げられる事の無い
”ディープ”な話で、本日もまた、大変に勉強になりました!!
ある日、浅右衛門の家に、いかにも罪を犯したような男が来て「金を貸してくれ」と言った。断ると「じゃあ俺の肝を買ってくれ。どうせお前さんに首を斬られるんだからその前金だ」と不気味な顔で笑ったという話がある。
岩波文庫の江戸百夜(昭和になってから書かれた本)で最後の山田浅右衛門へのインタビューが載ってます。明治維新直前の時には「斬りも斬ったし200人」だそうで…
山田浅右衛門の名は知ってはいたが死人の内臓を薬にして売っていたとは、小伝馬牢の跡地の十思国民学校に通っていた私としては知らないことばかりでした。
勉強になります。
そうですよね。現代人の価値観で、当時の価値観の中生きていた過去の人達を裁くのは違うよなあと思います。
山田浅右衛門は好物なのでありがたいです😃
初めましてなんだけど、良いチャンネルです。
滅多に聞けないハナシです。
暴れん坊将軍にも山田浅右衛門が登場するので名前を聞いた事はあったけど
確かに浪人なんですよね。
フィクションの子づれ狼は公儀介錯人で幕臣の設定だった。
ホーリー師匠も苦手な部分もあったと思いますが、解説していただいてありがとうございます!
到る所青山在り、と言いますがなかなか含蓄のあるお話でした
「土壇場」の語源を知れてうれPです\(^o^)/ほーりー様ありがとうございます😭
今回のテーマは、確かにdeepですね😢
首を切る自体とんでも無い事
なのに、お役とは言え酷な
仕事だ。
「罪は得てして歴史が決め
るもの」、上手い例えだと
思います。
本日も配信有難うございま
した。また、勉強になりました😮
堀口さんから山田浅右衛門の話を聞けるとは意外でした。
血生臭い、たくさんのエピソードも、女性の目線で話してもらえると、少しはイメージが和らぐ部分もありますね。
そういえば最近仁丹見ないがあれは腎臓小さくちぎって丸めたのが元祖。
ほーりーお誕生日おめでとうございます🎂☆ ….まさかムーディー勝山さんと同じ誕生日とは💦….
魯迅の『薬』を思い浮かべさせる面白い内容ですね。
山田浅右衛門が売っていたヒト由来の生薬が気になってしまいました。
「本草綱目」にも出ているというのは、驚きでした。
元々、刀は人斬り包丁!
現代では美術品として、作刀や売買が行われているのですよね。
大江戸死体考で衝撃を受けたものです
栗塚旭と二合半のオヤジとめ組の半次郎。
栗塚旭 大好きでした
現代とは常識が違うとはいえ、首切りの家系では首や頭の事故・病死が多いとか?
当時は無実の罪で刑に処された者も多かったと思います。
人の恨みに時代は関係無いですよ。
さすがですね~僕もアニメ見て少し調べたんですが土壇場のお話とか初耳😳地獄楽解説是非ほーりーさんにして欲しかったのでありがとうございます
試し斬りした刀を将軍様が使うのは穢れてるのではないかなって思いますが、あんまり気にしなかったのですかね。
やっぱり禁忌感の違いでしょうか。
何でしたっけ❓西洋の歴史上にも同様な家系がありしたな。
まあ、東西を問わず、かつては「残酷なこと」をしていたわけですが、今の価値観で断罪できるものでもない。
フランスにも似たような話が…
人の生き死にに向き合う、という点では、医者も死刑執行人も同じなんだろうなぁ。
堀口茉純さんからみた、幕末時の幕府要人を幕府側から見た新政府要人の評価など、是非、知りたいです
無限の住人に出てきた人だ!
職業柄、穢多同様の浅右衛門、まさか幕臣というわけにはいかないだろうな。諸侯から試し切りの依頼や、折紙料での収入に加え、内蔵販売での余禄を合わせればへたな旗本以上の暮らし、ちょうど穢多頭の浅草弾左衛門のようではないか。まぁ鎌倉時代に、罪人を使った試し切りも無かろうが、歌舞伎の「石切梶原」では名刀の試し切りで、罪人が真っ二つという場面がある。最後の浅右衛門は、高橋お伝の斬首にしくじって、三太刀目でやっと首を落としたという話しは有名だね。
『暴れん坊将軍』の準レギュラー首切り浅右衛門は実在していたんですね 本職は試し切りの人だったんですね 首切りはアルバイトだったのか
地獄楽には女性の山田浅右衛門が出てきますが、女性でも朝右衛門の職に就いていた人はいたのでしょうか?😅
パイのパイのパイはなんの歌でしょう。
拝一刀なら知っている。柳生烈堂との話も聞かせてほしい。
「CAST IN THE NAME OF GOD, YE NOT GUILTY」という文言を思い出しました。昔関わってたアニメに出てくる一節です。
「WE HAVE CAME TO TEAM BIG-O 」
今でも大好きなアニメの一つです。
山田家以外にも複数あったというのは初めて聞きましたが、世襲だったのがなんともいえない。
与力、同心などは「事実上」だとは聞きましたが、首切り朝の場合はどうだったのでしょう。
ところで脳の方はどう処理したのでしょうね。プリオンとかありますからね。
実子が代を継ぐ事もありましたが、多くの弟子から 技量に優れた人を養子に迎えて技術を継承してますよ。
@@gakunishimoto354 レス、さんくすですw でもこの場合、弟子になりたい人がそうそういたのかどうかw
いつも気になったいるのですが、音量が低すぎると思います。
料理のリュウジさんと同じくらいだと聴きやすいです。
エップ可愛い😍
50年ほど前に近所に浅右衛門の末裔と言うのが住んでいた 嘘かホントか知らんが・・・
でも冤罪も多かったんじゃない?
「子連れ狼」の拝一刀が死刑執行人だった記憶が...。
アレは公儀介錯人という架空の役職
罪人ではなく取り潰された大名などが切腹する時に徳川家を代表して首を斬る役人ですね
Konkai no Video wa totemo taisetsu na benkyoo deshita. Metta-ni katararenu naiyoo nano-de, hijoo ni arigatai to kansha shimasu.
鬼役殿
辻斬りなんて怪談の噺🤭類が淵や四谷怪談や
時代劇の影響でたくさん切られたみたいに思ってるけど1年に1人居るかいないかなのに!TBSの水戸黄門やテレ朝の暴れん坊将軍のドラマが悪い!嘘捏造過ぎる
別に昔の話とは違うだろ?
今でも古刀を買うと試し切りで何人分の胴体を重ねて切れた人切り証明書がついてくるだろ?