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天下人の秀吉も「自分に合わない職場を一回退職している」ここ現代人にも大事だから‼️
織田家からも独立という形で退職してる分もカウントすると2回ですね。
ホントそれ。人並み以上に体力や知識有ると分かれば、その職場が理不尽かとうかは分かる。あとは自分で判断。
逆に言うと、戦国時代と現代の日本で社会構造も人の心も大して変わっていないと言う事に驚かされる日本企業の根本モデルは織田家家風が一般化したものだという。
そもそも、転職は当たり前でなければ社会の活性化が鈍る。
@@秋山泰幸 江戸時代は安定化して他藩への再仕官も難しい世の中だったから、一家に仕えると言う土壌が出来た。
ちゃんと恩返ししてるの偉い👏
織田家に恩は返しましたか?
@@youyah7440嫡子の秀信は結構厚遇されてた高野山に送ってはやじにさせたのは家康
@@noha8350 そら素直に従ったからな。封地替え拒否した信雄は改易。秀頼の件は、信雄が改易が不服で兵を募って籠城した、という感じだろ。
おんな太閤記でも描かれていましたね。
偉いです☺
7:35こうなると松下家のようなイジメや嫌がらせも多く起きそうなもんだが、それを許さなかった信長の管理能力よ…
織田家の雰囲気は良かったのかもしれないよね。身分の低い時代でも前田利家とは奥さんともども仲が良かったというし。
イジメに走るような無能はすぐ淘汰される良い競争環境だったのかな?いまの日本に必要かも。
織田の家風はベンチャー気質と信長の確かな人事評価があったから妬みあい僻みあいが少なかったんだろうな。
秀吉ですら、生まれ変わったら上様(信長)の部下になりたくない、って言わせるくらい仕事量だったそうだから仕事できない人から見るとドン引きしてたかも。織田家は意外と出世したいと思う人は少ない家だったのかもしれない。
秀吉と同じく成り上がり者が多かったのと多分忙し過ぎてイジメなんてやってる暇なかったんでしょうね
ずっと農民からいきなり織田家に仕えたものだとばかり思ってました。人を見る目があって色々教えてくれた之綱様→能力のあるものはどんどん出世させる信長様と、秀吉さんスタート地点の出会いがSSRすぎるよ。
父親が蜂須賀に仕えてた縁で松下家から出た後に世話になってた時期もあったようでその伝で織田家に仕官したともいわれますね
秀吉は100パーの農民ではなかったからね
@@hita5991 そもそもこの時代は江戸時代のような農民は少なく、兵士兼業農家とかが基本
本当に出会いが良すぎます☺
静岡県袋井市の東名インターの近くに、秀吉によって大名にされた松下家の城跡が今でも残っています。
もしかしたら桶狭間で死んじゃったかなと思ったから大名に取り立てられてホッとしたいつの世も之綱のような人が報われる世の中であってほしい
之綱も人を見る目があったんですね☺
その松下家は関ヶ原で東軍に属して大阪の陣で活躍して加増されているという…
なおその後連座で改易に
@@子狸ぽんぽ 売る覚えだが、子孫は旗本で存続していた気がするので、ある意味旗本の給地が松下家の適正領土とも言えなくも^_^。
そして今日、松下洸平がお家再興を果たす
しょーがない時流だ鎌倉倒幕の主力が足利だったり、戊辰戦争で尾張や彦根が官軍に協力したようなもの御恩と現実は分けて考えるべき
松下之綱がいなければ豊臣秀吉はなかった…
15から18歳って数えだから中高生ぐらいですよね。多感な時期に良い君主と巡り会い教育を受けることが出来たというのは秀吉にとっては最大の幸運だったかも知れません。
本当に出会った時期がよかったと思います☺
松下之綱、秀吉と同じ年に生まれ、同じ年に他界しているね
だから松下之綱の父親に仕えてたという話も
運命共同体ですね☺
@@youyah7440 俺もそう聞いてたけど、この動画みたいに若い嫡子や当主が古参の家臣を抑えきれずって方が納得感があるな
再来年の大河ドラマ「豊臣兄弟」でようやく秀吉役発表されましたが、このエピソード大河ドラマ序盤で採用されるかな?
是非やってほしいですね☺
之綱様、凄い有能な人。千里走る馬の喩え話にあるように才能があっても、それを見抜く人がいなければ埋もれるのみ。秀吉が残した功績は大きく之綱がいなければ今の日本は無かった。あとのび太は楽しく過ごしているところ、いきなりお前のせいで未来の俺達は苦労してるんだ、あとお前の未来は真っ暗だからな、とドラえもんを押し付けてくるあたり、のび太が可哀想で仕方がない。しかし社長になるわ子沢山だわドラえもんがいなくてものび太は凄い。
大人になると解るけど、そこまで借金が出来る事自体が凄いんだよね。事業で金を借りるってハードルが結構高めにあるからそれだけ信用されたって事だし。
ドラえもん開始時、セワシ君は確か22世紀でお年玉が50円とか言っていたような……小学生の時に読んだ原作の記憶で曖昧ですまん💦
貨幣価値が変わるんですね… これから何があるんでしょ~か…💧🔔~🙏。 @@鈴木孝也-c1k
のび太くんも本当はすごい人です☺
@@小舟無水 なんか戦国ものの動画でそういう話聞くと、毛利隆元思い出すな・・・・w(隆元が死んだ途端に毛利家に商人たちが金貸してくれなくなって毛利家はめっちゃ金に困った)
もしも松下家の他の家臣からの嫌がらせがなかったら、秀吉はそのまま松下家に仕えて一生を終えてたのかもしれないのか
最悪の場合、桶狭間の戦いで戦死していた可能性があるね
@@kinnginnrimeiku それもあり得る
秀吉にとって結果的にはよかったのかもしれませんね☺
信長さまの偉大さが伝わります
何より信長様には人を見る目があるんだよな
@@braver6845 秀吉、光秀、滝川はじめ藤孝、黒田、松永と中途採用が幹部になってるもんな
日本一偉大です☺
身分に関係なく、人間を見抜いた信長様も凄いよ
戦国時代に身分が低くくても活躍できる環境をつくった信長さんがすごいです☺
6:46 👈秀吉はこういったキツい下積み経験があるので、自分が大将になってからは家臣の「褒美」を渡す際、「金粒をその場で手づかみ」して渡していた…(現在でいう「とっぱらい」「日払い」である)特に当時の「下っ端足軽」は、たとえ手柄を立てても戦後「論功行賞」の対象にならず、まったく褒美をもらえないケースも多々あった…(藤堂高虎はこれで浅井家を辞めている)「その場で銭をくれる秀吉様」は大変慕われ、「秀吉様ならついていく」という百姓足軽が続出したとか…
明日どうなるかもわからない時代だからこそ報酬は早くほしいですよね☺
松下さま、信長さま、あっての秀吉ですね。出世する者がねたまれるのは昔も今も変わりませんね。そして、それを良く思わず、救いの手を差しのべる人もいる。 ある意味、心温まるお話でした。
人は才能を活かせるところに行くのが大切ですよね☺
秀吉が松下を助けたのも、徳川が今川を助けたのも幼少期の恩が故ですかね。
確か秀吉も松下家を去る時 クビではなく路銀を渡して送り出してるんだもんな。立身出世の一歩の思ったら恩義に感じない訳ないよね。
家康は隣の家の孕石主水に虐められたから武田に鞍替えした孕石を捕虜にしたときは他の捕虜は除名したけどこいつだけ腹を切らせたという
情けは人のためならずですね☺
まさに、「人間万事塞翁が馬」ですね。松下家を離れていなければ、秀吉は天下人にはなれなかったかもしれません。また、秀吉の才能や努力もすごいと思いますが、それを評価した信長公や之綱様はまさに名伯楽と言えるでしょう。
人の能力を見極めるって上に立つのに一番必要な能力ですよね☺
ずんの飯尾和樹さんは若い頃に番組ADたちに優しく接していたから、そのADたちがその後出世し、番組ディレクターになり企画会議で「そうだ飯尾さん呼ぼうよ」となり、少しずつ仕事が増えて今がある…「情けは人の為ならず」人生キツい時に優しくしてくれた人を人間は、けっして忘れないものです… (´;ω;`)
そういえば、松下家は飯尾家の寄子だったはず、飯尾和樹とは関係ないだろうけど・・・
ヒロミ「ほんとそれ」
逆にADに嫌われてその後偉くなった彼らに干されてる人も…
品川「うむ」
それも間違ってはないんだろうけど、キャスティングされてる理由はあくまで飯尾さん本人の実力な気がするスベッてるところ見たことないし
偉人と称えられる人々は総じて、恩も敵も決して忘れない。
根にもつタイプが強いのかもしれません☺
信長「今川家を滅ぼしたのは、ワシじゃないぞ」秀吉「織田家は乗っ取っては、いないぞ」家康「わ、わしは・・・」
家康「信玄だ!今川を滅ぼしたのは信玄だ!ワシでもない!」秀吉「と信玄に攻めるように進言したという記録が残って…」信長 りん「審議中( ^ω^)・・・」
全部家康さんのせいにしましょう☺
昔見た偉人伝漫画みたいなので 農民の子供の秀吉が信長に拾われてたから信長は顔で才能が分かる天才なのかと思ってた
実は織田以前にも武家方向してたんです☺
大河の「おんな太閤記」でも天下人になった秀吉が恩人の松下之綱を大坂城に招き再会するシーンがありました秀吉「その節はお世話になりました、藤吉郎でございまする」こんな対面だったと記憶してます
再来年の大河ドラマでどう描かれるか楽しみですね☺
秀吉の子ども時代の逸話として、賭けに勝ったら刀を貰うって約束したが反故にされたが、盗みだすならOKと言われたなので雨の日に傘を差して音を出し、様子を見に来た一瞬のうちに盗み出した次の日は背丈に合わない刀を背中に差して、見せびらかしまくったってのがあるそうですね元から賢い少年だったようで
天下人になるくらいだから元々相当賢かったんでしょうね☺
いい話ですね😊
いい話です☺
このまま松下家に残っていたら、秀吉が家康の家臣になっていた可能性もあったわけか。それはそれで出世してそう
三方ヶ原の戦いで戦死していたかも知れませんよ
秀吉ならどこでも出世できそうです☺
武家奉公人って戦場に出て補給を担当したりもするし、人数的には武家よりも多いくらいなのに、地味だからエンタメでは全然描かれないなあ
やっぱり戦場で戦う人の方がエンタメになりやすいですね☺
かつての学問の師に恩返し...最高♡
秀吉の恩返しです☺
いつの時代でも嫉妬は醜く恐ろしいものだな…。
ほんまやね。嫉妬したっていい事は無いのに。
特に「男の嫉妬」は見苦しい…本当に全力で潰しに来る。「嫌がらせ」というレベルじゃない。他人を蹴落としても、自分が上にあがれるわけでもないのに…
@@jpqbn786潰さないと、自分達が潰される これが基本の世界ですからねぇ
この時代は元々の身分がまだモノを言う時代でしたからね…下克上にしてもそれまででよほど上位者がやらかしてなければ起こらないですし、起きても大抵はすぐに下克上を起こした方が討たれますから…
秀吉が嫌がらせに負けず成り上がれてよかったです☺
秀吉のいい話を聞けてほっこりしました。
秀吉のこういう話は意外に知られてないですよね☺
いい話すぎる次の大河で・・・やらないだろうなぁNHKだし
是非やってほしいです☺
草彅剛主演で「猿と呼ばれた男」というドラマがある。ユーチューブでも出てくる(完全じゃないけど) 違法アップロード? でもだいぶ前からあるから黙認されてるのか?
有難うございます、自分自身も生き抜く事をもっと考えないといけないと改めて気付かされました、生まれてきた限り勿体ないですよね。
どんな境遇でも一生懸命生きるのが大切ですね☺
りんさあああんコメントするの久しぶりです,,,リアル忙しくてなかなか動画見れませんでしたああ😭でも、久しぶりに見たら実家に帰ったかのような安心感()これからもりんさんの動画みて勉強させてもらいますね💜✨
ありがとうございます☺これからたくさん見てください☺
感動しました。
この松下さんはもう一人有名人と接点がある。柳生十兵衛のお爺さんなのだ。十兵衛の父、宗則にとって天下が徳川か豊臣か分からない時代、秀吉に個人的に近いが、政治的には遠い松下さんの娘を娶ることは最適解だった。
藤吉郎が後ろ向いて話すのがカワイイですね。ユキツナさんみたいに立派な人に育ったのは親の教育が良かったから?良いお話でした。ありがとうございます。
松下家の教育もよかったのかもしれませんね☺
秀吉の色々あっての話ももっと聞きたい😊教科書やお札でしか見たことないの偉人も苦労とか努力をしていたのですね…
みんなすごい苦労をして歴史に名を遺したんですね☺
木下藤吉郎の炭火奉行の基礎はここででき、更なる出世に繋がったと思うと、基礎学力の重要性わかる。、、、資格の勉強はじめます!
勉強は大切です☺
興味をそそる展開約8分と短い時間で話がまとまっていてしかもオチもあり笑える!「であるりん」天才!
ありがとうございます☺楽しく学べるチャンネル目指してます☺
秀吉が日本人で一番頭がいいってはっきりわかんだね。
ただし、ジジイになる前に限る
すごい天才です☺
歴史に詳しくないのでとても面白かったし勉強になりました!秀吉さん、才能あったのは当然ですが、いい縁に恵まれたんですね。ラッキーボーイだったのか(^^)いつの時代も人の嫉妬や嫌がらせはあるものですね。
この後、秀吉の能力を見抜いてうまく使った信長もすごいです☺
真実の歴史を日本中に広げましょう🎵
広げましょう☺
秀吉の若い頃は地元民の自分でも全然知らなかった!これは勉強に成ったけど、良くここまで細かく調べたのが凄いと思える動画ですね~(^^)/
ありがとうございます☺秀吉のこういう話は意外に知られてないですよね☺
今回も楽しかった♪幽霊で出演する武将と脚がある武将タイムマシンがあれば皆んな脚ありで、御出演出来る気はしますがそこがまた面白いと思います♪リンさん可愛いから何でも良いですが♪
リンが幽霊が憑依するためのマテリアルボディーを作ります☺
秀吉さんにとっては松下家での三年間は嫌な部分含めて戦国の松下政経塾って感じだったのでしょうね
あれとは一緒にしないでくれ。
高校生と同じ年の三年間ですから沢山の事を学んだんでしょうね☺
今はこの話が定説なのですね。昔は地侍という説もありました。
昔は江戸時代の創作が史実のように語られる事も多かったようですが、最近かなりその風潮が見直されていると思います☺
秀吉は松下家奉公前に行商人をしていたという説がありますね。天下取った後で肥前・名護屋において秀吉主宰の仮装大会が行われましたが、瓜売りに扮した秀吉は非常にリアルだったそうですから経験があるという可能性は大きいと思います。
松下之綱様か…秀吉の才能だけでなくしっかり陰日向のない働きぶりを評価した上で、てのがいい✨06:22てっきり秀吉の世渡りと思いきや…🤧イイハナシダナー! 松下様もてっきり滅ぼされたかと思いきや引き取り取り立ててもらえたとは…戦国の世には珍しい私の知らぬ仁徳のある偉人を教えていただきありがとうございました!
豊臣兄弟のキャスト発表に合わせての話かなねね役が浜辺美波だそうで
ねね役が(年季の入った)「浅野ゆう子」だった時はガッカリしたな… w
どんなねねになるか楽しみです☺
いうて秀吉は織田家にもちゃんと恩を返してるんだけどな①織田信雄…敵対、和解後に織田家の家督を認め、内大臣まで出世。信雄が関東移封を断って改易された後も、嫡男の秀雄は高貴な身分と扱われ、豊臣政権にぴては筆頭参議になる(ちなみにその上は五大老などの権中納言なので、大老に次ぐ扱いを受けている)②三法師 秀信…叔父が織田家の家督を継いだため、出世は少将でストップ。旧主を哀れに思った秀吉は、甥の小吉秀勝の跡継ぎとして秀信を扱い、織田秀信から「豊臣秀信」となり、五大老と同格の権中納言、岐阜城主の大大名に扱われる
信長の側室の坂氏や孫娘を処刑してるので怒られるかもしれません😢
ユキツナ様 とても良い方だったんですね😊ちゃんと恩を返した秀吉さんも素晴らしいと思います(人 •͈ᴗ•͈)
( ;∀;) イイハナシダナー秀吉の出世を見て、之綱も感無量だったろうな🙂
之綱も喜んだと思います☺
0:21 すっかりと「他人を信じやすいお人よしの信長公」のイメージが定着してしまった・・・
すぐ信じちゃいますからね😢
8:14秀信の領地安堵は織田家を乗っ取った事へのせめてもの罪滅ぼしだったのかもしれませんね💦
所詮は成り上がりですからね元主家の織田家を立てて家臣団に取り込むというのは秀吉政権を安定させるために必須条件だったと思いますよ
@@うそねこ-e4f 宗家の当主じゃない信雄や所詮身分の低い側室の子である信孝は明らかに秀信との差もありましたでしょうからね(信孝に直接切腹を命じたのは信雄だし)
どんな気持ちだったのでしょうか😢
信長公の覇業も秀吉軍団の働きによる所が大きかったと思っています。能力のある者を第一として起用できる信長公は、天下一。
さすが信長さんですね☺
秀吉は年老いて家族を亡くすまではほぼ文句の付け所がない完璧な天下人だった自分の死期を感じて狂っていった
精子が腐っててなかなか跡継ぎも出来なかったのも情緒不安定の原因かもな
秀吉は信長の下で働いていた方が幸せだったのかもしれません😢
徳川光圀(大河ドラマ)「秀吉公は天下人になりしみぎり主君信長公の係累を皆家来にしたではないか」と言っていたしな。そら、信長公が太閤殿下を「恩を仇で」とか言いたくもなるわな。
豊臣秀吉「光圀よ、家来にして家を残した分まだマシなのでは?家康はワシの子と孫を56して家を滅ぼしたぞ。それはどうなんだ?」徳川光圀「えっと、その・・・」
秀吉は信長の側室を処刑もしてますからね😢
大河では出自どういう風に描かれるのかな?こういった通説って”秀長”の存在で矛盾するんですよね。本当に農民出身だったら秀長はどうやって学問を身に着けたのか。大河では秀長も主人公クラスで描かれるだろうし、どう表現されるのかな?
大河でどう表現するか楽しみです☺
秀吉が一次史料に現れたのが京都奉行補佐という高位なので、元は遠江木下家という織田家の縁戚出身と言う説もありますね。
秀吉が一次史料で確認できる古いものは永禄8年の坪内利定に宛てた知行宛行状ですね☺信長に仕えて10年たつ頃にはそれなりの立場になっていた事がわかります☺
家臣の家臣の下っ端って低いと思ってたが、農民からスタートだったら、かなり大きな出世ですよね。
マジで万事塞翁が馬だよな、秀吉は松下家で同僚に貶められて松下家を辞めざる負えなくなったお陰で信長の家来になって天下人に成れた訳で、松下家辞めた時は大変だったけど結果そのお陰で天下人に成れたとも言えるし。
結果的によかったですね☺
松下家の若様良い人😭
いい人です☺
この話は聞いた事がありますが、実際のところ秀吉さんって何者だったのでしょう。本当に農民だったにしては織田家での出世スピードが異常ですよね。
針売りしてて、そのときの伝手が吉乃さんの実家とつながってて織田家に仕官できたとかどうとか、噂がありますね。どこまでほんとか知らんけど
@@i-d4l 実父の木下弥右衛門は織田軍の足軽、お母さんの再婚相手の竹阿弥は織田家同朋衆という二重のコネ
遠江国衆の天野氏の被官(の一族)だったのでは?という説も
川原者だったとか豪農の一族だったとかいろいろ言われてますね。
信長に仕えて10年立つ頃には秀吉の名前で知行宛行状を出せるようになっていたのですごいスピード出世です☺それだけ能力があったのでしょうね☺
羽柴は尾張守護、斯波氏を連想する。
名門の斯波氏も戦国の時代の波には勝てませんでしたね😢
2年後の大河が楽しみだな。なんせ、タイトルが「豊臣兄弟」ですから。
楽しみです☺
松下は色々秀吉の知られたくない過去も知ってそうだから口止め料代わりに領土を与えられたんじゃなんて説もあったような
敵に塩を送るが美談に改竄されているあたりあっても不思議じゃないね
当時の秀吉だったら滅ぼせそうです☺
確かに秀吉は有能で織田信長に再雇用されてからどんどん出世し、紆余曲折を経て天下人になったけど、その後息子の秀頼と妻の淀君の豊臣家は徳川家に滅ぼされてしまったことを考えると切ないな…
松下之綱は運も良かったのですね。戦国の世、生き延びたからこそ(後の)秀吉に引き立てられたと思います。
本当に運がよかったです☺
松下の下人を下野してから信長の草履とりになるまでの間秀吉の闇が形成された、ともいいますこの時代の事を秀吉自身、誰にも語らなかったとかきっと生きる為に語る事の出来ない、黒い事もしていたと予想してます
サル「だって目上の上司からパワハラされてワシの好きな御女を奪われたから」柴田夫妻「ふざけるな、サル」
秀吉の前歴が松下家との関わり以外で余り良く解ってないのは織田弾正忠家の間者を長らく務めていてそこで実績を上げたので家臣に正式に取り立てらたのではないかとも言われていますね
秀吉なら間者もうまくやれそうです☺
これ有名ですね🐵私が覚えているのは財布盗んだと難癖つけられたり殴られたりした話だったかな
戦国時代ですから実際はかなりひどいイジメだったのでしょうね😢
秀吉は、三条河原の件とかで冷徹な人間だと思ってたけど。こういうエピソードもあったんですね。
冷酷さと優しさ両方ないと戦国時代は勝ち上がれませんね☺
思うに秀吉は織田家に仕えていたと言うより織田信長個人に仕えていたという感覚だったのではないかな?だから信長なき織田家は必要ないとおもっていたと思います。せめて信忠が生きてれば織田家も存続したでしょうに。
秀吉と信長の関係が特別では無く、主君に取り立てた人物は主個人に仕える感覚が一般的なはず。
戦国時代では一般的な感覚ですからそうかもしれません☺
浜松市の頭陀寺町に頭陀寺という浜松最古のお寺がありますが、その南に頭陀寺第一公園があります。そこが松下屋敷跡です。頭陀寺の北東80mに白天神社という小さな神社があり、そこに豊臣秀吉鎌研の池跡があります。松下家奉公の際に藤吉郎はこの池で鎌を研いでいました。現在は池の水は干上がっています。そんな言い伝えがある位なので松下家で奉公していたのは史実かと思いますよ。ちなみに松下家は徳川四天王の井伊直政が井伊谷から逃れた後に幼少期に匿われて過ごした所でもあります。秀吉と直政は松下家に世話になったという意味では松下家の先輩と後輩ですので、なかなかのパワースポットかもしれません。
秀吉と直政のパワースポットいってみたいですね☺
そうなんだ。勉強になった^_^
ありがとうございます☺
下剋上の多い戦国期にあっても身分差というものは大きく百姓出(父親の竹阿弥織田家の足軽という話も)の若者が出世出来たのは信長のおかげ。まあ織田家中でも出世を妬んだり毛嫌いする武将がいたんだろうと思うけど利家という友や支えてくれる弟秀長、妻ねねなど周りに恵まれていたと思う。
すごい、知らなかった😊
人に歴史ありですね☺
之綱様が素晴らしくて尊敬します。
報われてよかったです☺
今川家の家臣、気位高くて氏真の家臣なんて家康虐めてたくらいだから、おさるさん良かったと思いますよ😂
2:36平机で全員前を向いての講義は明治以降じゃないかなあぁぁ
戦国時代からこういう学習のやり方はありました☺
「孔明の嫁」という漫画では、諸葛孔明の通ってた塾でもこういう形だったからw草彅剛のドラマでは旅館の銘銘膳みたいに座っていたな、そういえば。
現代ではなく江戸期に描かれた絵では見たことない
今で言うギフテッドだったのかな?大変な時代を生き抜いた方ですね。
天才だったのは間違いないですね☺
あとは後に秀吉の家臣になる「蜂須賀正勝」のお世話になったり、針師(針を売る商人)だったり、と下積みもしていた。実家は「出世して戻ってくる!」と言って家出同然で飛び出す。秀吉が出世して戻ってくるまでの間、秀長が頑張ってましたw 本当に秀長は木下・羽柴・豊臣家の「外付け制御回路」だな・・・
秀長あっての秀吉ですね☺
秀吉は松下家で勉強したからまだ解る。弟の秀長は二十代半ばまで百姓100%で、武将として何故あれだけの活躍が出来たのか・・・不思議であるりん。藤堂高虎を使いこなすなんて、信じられん。
高虎は何でもできるがコネがない。秀長は何もできないがコネは絶大。 ほかの家臣との兼ね合いからもこの二人が強く結びつくのは当然のことだろう。
真面目な話、私個人的には....木下藤吉郎は織田領と今川領の「境目」に位置していた「織田家に連なる者」かも知れないと思っています。「境目」に位置していたから、時には今川家に靡き、今川家に袂を分かてば織田家へと靡く...そんな状況によっては、どっちへ転ぶか分からない微妙な立場にいたのでは?と思う。末席であっても「織田家に連なる者」だからこそ、能力が信長の目に留まれば出世は早かったのだし、後に信長の実子を養子に迎えることが可能となったと思います。(いくら戦国の世であっても「身分」は厳然と存在するので、後世の人達がイメージする「百姓」とは言い難いんじゃないか?と考えてしまう)
遠江の名族だった木下氏の一門だったんじゃないかという説を聞いたことがあります(名前に藤の字がつく人が何人かいるそうで)
戦国時代の国境沿いに住む人にとっては両属は一般的でしたからね☺
松下家でのエピソードは昔の学研マンガでもありましたねーいつの世も僻んでイヤガラセしてくれる人間はいるのですねーw^^
どこでも優秀な人に嫉妬してイジメる人もいれば優しくする人がいるんですね☺
ちゃんと真面目に働いてる人が損するような世の中なの良くない😢政治家の裏金とか色々
優しく真面目な人が報われる社会になるといいですね☺
嫌がらせをしていた松下家の元上司たちは、秀吉が出世後にどういう目にあったか知りたいですね。
高天神城追い出されて、長篠の戦いで秀吉と再会してるんで結構劇的な再会
ドラマにできそうです☺
秀吉が一介の農民だったかどうかはさておき、下っ端から天下人にまで上り詰めたのは事実ですからねぇ。昭和の首相でも義務教育しか学んでいなかった田中角栄が秀吉に喩えられたのもそれゆえだろうなぁ…
田中角栄もすごい人ですよね☺
おんな太閤記でこの話ありましたね。寧々殿がやけに感謝していたのを思い出す。
感謝は大切です☺
秀吉公は若い頃は苦労されてるんですね😢
ちなみに松下之綱の義弟は松下清景といい、井伊直政の養父だった人。こんなところに繋がりがある。面白いものだ。
人のつながりは面白いですね☺
何にしても人たらしなのは間違いない。晩年は怖いけど、中年の時分の秀吉さんとはおしゃべりしてみたいです
いったいどんな中年だったのでしょうか☺
2025の大河が豊臣兄弟らしいですね楽しみです
2026年ですよ
であるりんさんの動画に、弟の秀長は登場するのだろうか?
どうでしょう☺
問題は尾張から遠江の松下家にどうやって潜り込めたか、だと思う。身元の保証をしてくれる人間なしでも雇われていたのか?住み込みならある程度の身元引き受け人がいないと怖いでしょ。そう考えると、遠江の木下氏の縁戚じゃないかと思うんだけどなぁ。
松下家にどんな経緯で仕えたかはわかりませんけど、わからないところにロマンがありますね☺
秀吉のバック(サンカかな)がかなり使い物になった?から信長も重宝したのだろう。でもやはり信長は天才の社長肌。信長が信玄を恐れていた?→信玄の実態を調べてさすがの信長も感服したのだろう。三方ヶ原以降にそのまま攻め込まれたらやばかったかな。
秀吉の能力を見抜いてうまく使った信長もすごいです☺
秀吉公はよく水飲み百姓の生まれと言われているようですが商人の間で相場の情報を教えている情報屋の仕事をしていたようです。「太閤立志伝」というゲームでは算術レベルはそこそこ高かった記憶があります。...情報屋の仕事をしていた為か本能寺の変直後に行動に移せたのもネットワークをいかしてのおかげかもしれません🧐
流石に水呑み百姓は無さそうと思うんだよね。弟もかなり有能だったし。
秀吉の賢さは幼少期に仕事で培ったのかもしれませんね☺
織田家は信長が旗揚げした時に、全国から浪人が集まったから、実力主義の環境が藤吉郎には合ったんですね!
実力主義のせいで明智光秀まで出世してしまいました😢
之綱さまのような人格者だからといって必ずしも戦国で出世するわけではないのが興味深いね。
之綱様は運がよかったです☺
天下人の秀吉も「自分に合わない職場を一回退職している」ここ現代人にも大事だから‼️
織田家からも独立という形で退職してる分もカウントすると2回ですね。
ホントそれ。人並み以上に体力や知識有ると分かれば、その職場が理不尽かとうかは分かる。あとは自分で判断。
逆に言うと、戦国時代と現代の日本で社会構造も人の心も大して変わっていないと言う事に驚かされる
日本企業の根本モデルは織田家家風が一般化したものだという。
そもそも、転職は当たり前でなければ社会の活性化が鈍る。
@@秋山泰幸
江戸時代は安定化して他藩への再仕官も難しい世の中だったから、一家に仕えると言う土壌が出来た。
ちゃんと恩返ししてるの偉い👏
織田家に恩は返しましたか?
@@youyah7440
嫡子の秀信は結構厚遇されてた
高野山に送ってはやじにさせたのは家康
@@noha8350
そら素直に従ったからな。
封地替え拒否した信雄は改易。
秀頼の件は、信雄が改易が不服で兵を募って籠城した、という感じだろ。
おんな太閤記でも描かれていましたね。
偉いです☺
7:35こうなると松下家のようなイジメや嫌がらせも多く起きそうなもんだが、それを許さなかった信長の管理能力よ…
織田家の雰囲気は良かったのかもしれないよね。
身分の低い時代でも前田利家とは奥さんともども仲が良かったというし。
イジメに走るような無能はすぐ淘汰される良い競争環境だったのかな?いまの日本に必要かも。
織田の家風はベンチャー気質と信長の確かな人事評価があったから妬みあい僻みあいが少なかったんだろうな。
秀吉ですら、生まれ変わったら上様(信長)の部下になりたくない、って言わせるくらい仕事量だったそうだから
仕事できない人から見るとドン引きしてたかも。
織田家は意外と出世したいと思う人は少ない家だったのかもしれない。
秀吉と同じく成り上がり者が多かったのと多分忙し過ぎてイジメなんてやってる暇なかったんでしょうね
ずっと農民からいきなり織田家に仕えたものだとばかり思ってました。
人を見る目があって色々教えてくれた之綱様→能力のあるものはどんどん出世させる信長様と、秀吉さんスタート地点の出会いがSSRすぎるよ。
父親が蜂須賀に仕えてた縁で松下家から出た後に世話になってた時期もあったようでその伝で織田家に仕官したともいわれますね
秀吉は100パーの農民ではなかったからね
@@hita5991
そもそもこの時代は江戸時代のような農民は少なく、兵士兼業農家とかが基本
本当に出会いが良すぎます☺
静岡県袋井市の東名インターの近くに、秀吉によって大名にされた松下家の城跡が今でも残っています。
もしかしたら桶狭間で死んじゃったかなと思ったから大名に取り立てられてホッとした
いつの世も之綱のような人が報われる世の中であってほしい
之綱も人を見る目があったんですね☺
その松下家は関ヶ原で東軍に属して大阪の陣で活躍して加増されているという…
なおその後連座で改易に
@@子狸ぽんぽ
売る覚えだが、子孫は旗本で存続していた気がするので、ある意味旗本の給地が松下家の適正領土とも言えなくも^_^。
そして今日、松下洸平がお家再興を果たす
しょーがない
時流だ
鎌倉倒幕の主力が足利だったり、戊辰戦争で尾張や彦根が官軍に協力したようなもの
御恩と現実は分けて考えるべき
松下之綱がいなければ豊臣秀吉はなかった…
15から18歳って数えだから中高生ぐらいですよね。多感な時期に良い君主と巡り会い教育を受けることが出来たというのは秀吉にとっては最大の幸運だったかも知れません。
本当に出会った時期がよかったと思います☺
松下之綱、秀吉と同じ年に生まれ、同じ年に他界しているね
だから松下之綱の父親に仕えてたという話も
運命共同体ですね☺
@@youyah7440 俺もそう聞いてたけど、この動画みたいに若い嫡子や当主が古参の家臣を抑えきれずって方が納得感があるな
再来年の大河ドラマ「豊臣兄弟」でようやく秀吉役発表されましたが、このエピソード大河ドラマ序盤で採用されるかな?
是非やってほしいですね☺
之綱様、凄い有能な人。
千里走る馬の喩え話にあるように才能があっても、それを見抜く人がいなければ埋もれるのみ。秀吉が残した功績は大きく之綱がいなければ今の日本は無かった。
あとのび太は楽しく過ごしているところ、いきなりお前のせいで未来の俺達は苦労してるんだ、あとお前の未来は真っ暗だからな、とドラえもんを押し付けてくるあたり、のび太が可哀想で仕方がない。しかし社長になるわ子沢山だわドラえもんがいなくてものび太は凄い。
大人になると解るけど、そこまで借金が出来る事自体が凄いんだよね。
事業で金を借りるってハードルが結構高めにあるからそれだけ信用されたって事だし。
ドラえもん開始時、セワシ君は確か22世紀でお年玉が50円とか言っていたような……小学生の時に読んだ原作の記憶で曖昧ですまん💦
貨幣価値が変わるんですね…
これから何があるんでしょ~か…💧🔔~🙏。 @@鈴木孝也-c1k
のび太くんも本当はすごい人です☺
@@小舟無水 なんか戦国ものの動画でそういう話聞くと、毛利隆元思い出すな・・・・w
(隆元が死んだ途端に毛利家に商人たちが金貸してくれなくなって毛利家はめっちゃ金に困った)
もしも松下家の他の家臣からの嫌がらせがなかったら、秀吉はそのまま松下家に仕えて一生を終えてたのかもしれないのか
最悪の場合、桶狭間の戦いで戦死していた可能性があるね
@@kinnginnrimeiku それもあり得る
秀吉にとって結果的にはよかったのかもしれませんね☺
信長さまの偉大さが伝わります
何より信長様には人を見る目があるんだよな
@@braver6845
秀吉、光秀、滝川はじめ藤孝、黒田、松永と中途採用が幹部になってるもんな
日本一偉大です☺
身分に関係なく、人間を見抜いた信長様も凄いよ
戦国時代に身分が低くくても活躍できる環境をつくった信長さんがすごいです☺
6:46 👈
秀吉はこういったキツい下積み経験があるので、
自分が大将になってからは
家臣の「褒美」を渡す際、
「金粒をその場で手づかみ」して渡していた…
(現在でいう「とっぱらい」「日払い」である)
特に当時の「下っ端足軽」は、
たとえ手柄を立てても戦後「論功行賞」の対象にならず、
まったく褒美をもらえないケースも多々あった…
(藤堂高虎はこれで浅井家を辞めている)
「その場で銭をくれる秀吉様」は大変慕われ、
「秀吉様ならついていく」という百姓足軽が続出したとか…
明日どうなるかもわからない時代だからこそ報酬は早くほしいですよね☺
松下さま、信長さま、あっての秀吉ですね。出世する者がねたまれるのは昔も今も変わりませんね。そして、それを良く思わず、救いの手を差しのべる人もいる。 ある意味、心温まるお話でした。
人は才能を活かせるところに行くのが大切ですよね☺
秀吉が松下を助けたのも、徳川が今川を
助けたのも幼少期の恩が故ですかね。
確か秀吉も松下家を去る時 クビではなく路銀を渡して送り出してるんだもんな。立身出世の一歩の思ったら恩義に感じない訳ないよね。
家康は隣の家の孕石主水に虐められたから武田に鞍替えした孕石を捕虜にしたときは他の捕虜は除名したけどこいつだけ腹を切らせたという
情けは人のためならずですね☺
まさに、「人間万事塞翁が馬」ですね。
松下家を離れていなければ、秀吉は天下人にはなれなかったかもしれません。
また、秀吉の才能や努力もすごいと思いますが、
それを評価した信長公や之綱様はまさに名伯楽と言えるでしょう。
人の能力を見極めるって上に立つのに一番必要な能力ですよね☺
ずんの飯尾和樹さんは
若い頃に番組ADたちに優しく接していたから、
そのADたちがその後出世し、番組ディレクターになり
企画会議で「そうだ飯尾さん呼ぼうよ」となり、少しずつ仕事が増えて今がある…
「情けは人の為ならず」
人生キツい時に優しくしてくれた人を
人間は、けっして忘れないものです… (´;ω;`)
そういえば、松下家は飯尾家の寄子だったはず、飯尾和樹とは関係ないだろうけど・・・
ヒロミ「ほんとそれ」
逆にADに嫌われてその後偉くなった彼らに干されてる人も…
品川「うむ」
それも間違ってはないんだろうけど、キャスティングされてる理由はあくまで飯尾さん本人の実力な気がする
スベッてるところ見たことないし
偉人と称えられる人々は総じて、恩も敵も決して忘れない。
根にもつタイプが強いのかもしれません☺
信長「今川家を滅ぼしたのは、ワシじゃないぞ」秀吉「織田家は乗っ取っては、いないぞ」家康「わ、わしは・・・」
家康
「信玄だ!今川を滅ぼしたのは信玄だ!ワシでもない!」
秀吉
「と信玄に攻めるように進言したという記録が残って…」
信長 りん
「審議中( ^ω^)・・・」
全部家康さんのせいにしましょう☺
昔見た偉人伝漫画みたいなので 農民の子供の秀吉が信長に拾われてたから
信長は顔で才能が分かる天才なのかと思ってた
実は織田以前にも武家方向してたんです☺
大河の「おんな太閤記」でも天下人になった秀吉が恩人の松下之綱を大坂城に招き再会するシーンがありました
秀吉「その節はお世話になりました、藤吉郎でございまする」
こんな対面だったと記憶してます
再来年の大河ドラマでどう描かれるか楽しみですね☺
秀吉の子ども時代の逸話として、賭けに勝ったら刀を貰うって約束したが反故にされたが、盗みだすならOKと言われた
なので雨の日に傘を差して音を出し、様子を見に来た一瞬のうちに盗み出した
次の日は背丈に合わない刀を背中に差して、見せびらかしまくったってのがあるそうですね
元から賢い少年だったようで
天下人になるくらいだから元々相当賢かったんでしょうね☺
いい話ですね😊
いい話です☺
このまま松下家に残っていたら、秀吉が家康の家臣になっていた可能性もあったわけか。それはそれで出世してそう
三方ヶ原の戦いで戦死していたかも知れませんよ
秀吉ならどこでも出世できそうです☺
武家奉公人って戦場に出て補給を担当したりもするし、人数的には武家よりも多いくらいなのに、地味だからエンタメでは全然描かれないなあ
やっぱり戦場で戦う人の方がエンタメになりやすいですね☺
かつての学問の師に恩返し...最高♡
秀吉の恩返しです☺
いつの時代でも嫉妬は醜く恐ろしいものだな…。
ほんまやね。
嫉妬したっていい事は無いのに。
特に「男の嫉妬」は見苦しい…
本当に全力で潰しに来る。
「嫌がらせ」というレベルじゃない。
他人を蹴落としても、自分が上にあがれるわけでもないのに…
@@jpqbn786
潰さないと、自分達が潰される
これが基本の世界ですからねぇ
この時代は元々の身分がまだモノを言う時代でしたからね…
下克上にしてもそれまででよほど上位者がやらかしてなければ起こらないですし、起きても大抵はすぐに下克上を起こした方が討たれますから…
秀吉が嫌がらせに負けず成り上がれてよかったです☺
秀吉のいい話を聞けてほっこりしました。
秀吉のこういう話は意外に知られてないですよね☺
いい話すぎる
次の大河で・・・やらないだろうなぁNHKだし
是非やってほしいです☺
草彅剛主演で「猿と呼ばれた男」というドラマがある。ユーチューブでも出てくる(完全じゃないけど)
違法アップロード? でもだいぶ前からあるから黙認されてるのか?
有難うございます、自分自身も生き抜く事をもっと考えないといけないと改めて気付かされました、生まれてきた限り勿体ないですよね。
どんな境遇でも一生懸命生きるのが大切ですね☺
りんさあああん
コメントするの久しぶりです,,,
リアル忙しくてなかなか動画見れませんでしたああ😭でも、久しぶりに見たら実家に帰ったかのような安心感()
これからもりんさんの動画みて勉強させてもらいますね💜✨
ありがとうございます☺
これからたくさん見てください☺
感動しました。
この松下さんはもう一人有名人と接点がある。柳生十兵衛のお爺さんなのだ。
十兵衛の父、宗則にとって天下が徳川か豊臣か分からない時代、秀吉に個人的に近いが、政治的には遠い松下さんの娘を娶ることは最適解だった。
藤吉郎が後ろ向いて話すのがカワイイですね。ユキツナさんみたいに立派な人に育ったのは親の教育が良かったから?良いお話でした。ありがとうございます。
松下家の教育もよかったのかもしれませんね☺
秀吉の色々あっての話ももっと聞きたい😊教科書やお札でしか見たことないの偉人も苦労とか努力をしていたのですね…
みんなすごい苦労をして歴史に名を遺したんですね☺
木下藤吉郎の炭火奉行の基礎はここででき、更なる出世に繋がったと思うと、基礎学力の重要性わかる。、、、資格の勉強はじめます!
勉強は大切です☺
興味をそそる展開
約8分と短い時間で話がまとまっていて
しかもオチもあり笑える!「であるりん」天才!
ありがとうございます☺
楽しく学べるチャンネル目指してます☺
秀吉が日本人で一番頭がいいってはっきりわかんだね。
ただし、ジジイになる前に限る
すごい天才です☺
歴史に詳しくないのでとても面白かったし勉強になりました!
秀吉さん、才能あったのは当然ですが、いい縁に恵まれたんですね。
ラッキーボーイだったのか(^^)
いつの時代も人の嫉妬や嫌がらせはあるものですね。
この後、秀吉の能力を見抜いてうまく使った信長もすごいです☺
真実の歴史を日本中に広げましょう🎵
広げましょう☺
秀吉の若い頃は地元民の自分でも全然知らなかった!
これは勉強に成ったけど、良くここまで細かく調べたのが凄いと思える動画ですね~(^^)/
ありがとうございます☺
秀吉のこういう話は意外に知られてないですよね☺
今回も楽しかった♪
幽霊で出演する武将と
脚がある武将
タイムマシンがあれば皆んな脚ありで、御出演出来る気はしますが
そこがまた面白いと思います♪
リンさん可愛いから何でも良いですが♪
リンが幽霊が憑依するためのマテリアルボディーを作ります☺
秀吉さんにとっては松下家での三年間は嫌な部分含めて戦国の松下政経塾って感じだったのでしょうね
あれとは一緒にしないでくれ。
高校生と同じ年の三年間ですから沢山の事を学んだんでしょうね☺
今はこの話が定説なのですね。
昔は地侍という説もありました。
昔は江戸時代の創作が史実のように語られる事も多かったようですが、最近かなりその風潮が見直されていると思います☺
秀吉は松下家奉公前に行商人をしていたという説がありますね。天下取った後で肥前・名護屋において秀吉主宰の仮装大会が行われましたが、瓜売りに扮した秀吉は非常にリアルだったそうですから経験があるという可能性は大きいと思います。
松下之綱様か…秀吉の才能だけでなくしっかり陰日向のない働きぶりを評価した上で、てのがいい✨
06:22てっきり秀吉の世渡りと思いきや…
🤧イイハナシダナー! 松下様もてっきり滅ぼされたかと思いきや引き取り取り立ててもらえたとは…
戦国の世には珍しい私の知らぬ仁徳のある偉人を教えていただきありがとうございました!
秀吉のこういう話は意外に知られてないですよね☺
豊臣兄弟のキャスト発表に合わせての話かな
ねね役が浜辺美波だそうで
ねね役が(年季の入った)「浅野ゆう子」だった時はガッカリしたな… w
どんなねねになるか楽しみです☺
いうて秀吉は織田家にもちゃんと恩を返してるんだけどな
①織田信雄…敵対、和解後に織田家の家督を認め、内大臣まで出世。信雄が関東移封を断って改易された後も、嫡男の秀雄は高貴な身分と扱われ、豊臣政権にぴては筆頭参議になる(ちなみにその上は五大老などの権中納言なので、大老に次ぐ扱いを受けている)
②三法師 秀信…叔父が織田家の家督を継いだため、出世は少将でストップ。旧主を哀れに思った秀吉は、甥の小吉秀勝の跡継ぎとして秀信を扱い、織田秀信から「豊臣秀信」となり、五大老と同格の権中納言、岐阜城主の大大名に扱われる
信長の側室の坂氏や孫娘を処刑してるので怒られるかもしれません😢
ユキツナ様 とても良い方だったんですね😊
ちゃんと恩を返した秀吉さんも素晴らしいと思います(人 •͈ᴗ•͈)
秀吉のこういう話は意外に知られてないですよね☺
( ;∀;) イイハナシダナー
秀吉の出世を見て、之綱も感無量だったろうな🙂
之綱も喜んだと思います☺
0:21 すっかりと「他人を信じやすいお人よしの信長公」のイメージが定着してしまった・・・
すぐ信じちゃいますからね😢
8:14秀信の領地安堵は織田家を乗っ取った事へのせめてもの罪滅ぼしだったのかもしれませんね💦
所詮は成り上がりですからね
元主家の織田家を立てて家臣団に取り込むというのは秀吉政権を安定させるために必須条件だったと思いますよ
@@うそねこ-e4f
宗家の当主じゃない信雄や所詮身分の低い側室の子である信孝は明らかに秀信との差もありましたでしょうからね(信孝に直接切腹を命じたのは信雄だし)
どんな気持ちだったのでしょうか😢
信長公の覇業も秀吉軍団の働きによる所が大きかったと思っています。
能力のある者を第一として起用できる信長公は、天下一。
さすが信長さんですね☺
秀吉は年老いて家族を亡くすまではほぼ文句の付け所がない完璧な天下人だった
自分の死期を感じて狂っていった
精子が腐っててなかなか跡継ぎも出来なかったのも情緒不安定の原因かもな
秀吉は信長の下で働いていた方が幸せだったのかもしれません😢
徳川光圀(大河ドラマ)「秀吉公は天下人になりしみぎり主君信長公の係累を皆家来にしたではないか」と言っていたしな。
そら、信長公が太閤殿下を「恩を仇で」とか言いたくもなるわな。
豊臣秀吉「光圀よ、家来にして家を残した分まだマシなのでは?
家康はワシの子と孫を56して家を滅ぼしたぞ。それはどうなんだ?」
徳川光圀「えっと、その・・・」
秀吉は信長の側室を処刑もしてますからね😢
大河では出自どういう風に描かれるのかな?こういった通説って”秀長”の存在で矛盾するんですよね。本当に農民出身だったら秀長はどうやって学問を身に着けたのか。大河では秀長も主人公クラスで描かれるだろうし、どう表現されるのかな?
大河でどう表現するか楽しみです☺
秀吉が一次史料に現れたのが京都奉行補佐という高位なので、元は遠江木下家という織田家の縁戚出身と言う説もありますね。
秀吉が一次史料で確認できる古いものは永禄8年の坪内利定に宛てた知行宛行状ですね☺
信長に仕えて10年たつ頃にはそれなりの立場になっていた事がわかります☺
家臣の家臣の下っ端って低いと思ってたが、農民からスタートだったら、かなり大きな出世ですよね。
マジで万事塞翁が馬だよな、秀吉は松下家で同僚に貶められて松下家を辞めざる負えなくなったお陰で信長の家来になって天下人に成れた訳で、松下家辞めた時は大変だったけど結果そのお陰で天下人に成れたとも言えるし。
結果的によかったですね☺
松下家の若様良い人😭
いい人です☺
この話は聞いた事がありますが、実際のところ秀吉さんって何者だったのでしょう。
本当に農民だったにしては織田家での出世スピードが異常ですよね。
針売りしてて、そのときの伝手が吉乃さんの実家とつながってて織田家に仕官できたとかどうとか、噂がありますね。どこまでほんとか知らんけど
@@i-d4l 実父の木下弥右衛門は織田軍の足軽、お母さんの再婚相手の竹阿弥は織田家同朋衆という二重のコネ
遠江国衆の天野氏の被官(の一族)だったのでは?という説も
川原者だったとか豪農の一族だったとかいろいろ言われてますね。
信長に仕えて10年立つ頃には秀吉の名前で知行宛行状を出せるようになっていたのですごいスピード出世です☺
それだけ能力があったのでしょうね☺
羽柴は尾張守護、斯波氏を連想する。
名門の斯波氏も戦国の時代の波には勝てませんでしたね😢
2年後の大河が楽しみだな。なんせ、タイトルが「豊臣兄弟」ですから。
楽しみです☺
松下は色々秀吉の知られたくない過去も知ってそうだから口止め料代わりに領土を与えられたんじゃなんて説もあったような
敵に塩を送るが美談に改竄されているあたりあっても不思議じゃないね
当時の秀吉だったら滅ぼせそうです☺
確かに秀吉は有能で織田信長に再雇用されてからどんどん出世し、紆余曲折を経て天下人になったけど、その後息子の秀頼と妻の淀君の豊臣家は徳川家に滅ぼされてしまったことを考えると切ないな…
秀吉は信長の下で働いていた方が幸せだったのかもしれません😢
松下之綱は運も良かったのですね。
戦国の世、生き延びたからこそ(後の)秀吉に引き立てられたと思います。
本当に運がよかったです☺
松下の下人を下野してから信長の草履とりになるまでの間秀吉の闇が形成された、ともいいます
この時代の事を秀吉自身、誰にも語らなかったとか
きっと生きる為に語る事の出来ない、黒い事もしていたと予想してます
サル「だって目上の上司からパワハラされてワシの好きな御女を奪われたから」
柴田夫妻「ふざけるな、サル」
秀吉の前歴が松下家との関わり以外で余り良く解ってないのは織田弾正忠家の間者を長らく務めていてそこで実績を上げたので家臣に正式に取り立てらたのではないかとも言われていますね
秀吉なら間者もうまくやれそうです☺
これ有名ですね🐵
私が覚えているのは財布盗んだと難癖つけられたり殴られたりした話だったかな
戦国時代ですから実際はかなりひどいイジメだったのでしょうね😢
秀吉は、三条河原の件とかで冷徹な人間だと思ってたけど。
こういうエピソードもあったんですね。
冷酷さと優しさ両方ないと戦国時代は勝ち上がれませんね☺
思うに秀吉は織田家に仕えていたと言うより織田信長個人に仕えていたという感覚だったのではないかな?
だから信長なき織田家は必要ないとおもっていたと思います。
せめて信忠が生きてれば織田家も存続したでしょうに。
秀吉と信長の関係が特別では無く、主君に取り立てた人物は主個人に仕える感覚が一般的なはず。
戦国時代では一般的な感覚ですからそうかもしれません☺
浜松市の頭陀寺町に頭陀寺という浜松最古のお寺がありますが、その南に頭陀寺第一公園があります。そこが松下屋敷跡です。頭陀寺の北東80mに白天神社という小さな神社があり、そこに豊臣秀吉鎌研の池跡があります。松下家奉公の際に藤吉郎はこの池で鎌を研いでいました。現在は池の水は干上がっています。
そんな言い伝えがある位なので松下家で奉公していたのは史実かと思いますよ。ちなみに松下家は徳川四天王の井伊直政が井伊谷から逃れた後に幼少期に匿われて過ごした所でもあります。秀吉と直政は松下家に世話になったという意味では松下家の先輩と後輩ですので、なかなかのパワースポットかもしれません。
秀吉と直政のパワースポットいってみたいですね☺
そうなんだ。勉強になった^_^
ありがとうございます☺
下剋上の多い戦国期にあっても身分差というものは大きく百姓出(父親の竹阿弥織田家の足軽という話も)の若者が出世出来たのは信長のおかげ。まあ織田家中でも出世を妬んだり毛嫌いする武将がいたんだろうと思うけど利家という友や支えてくれる弟秀長、妻ねねなど周りに恵まれていたと思う。
すごい、知らなかった😊
人に歴史ありですね☺
之綱様が素晴らしくて尊敬します。
報われてよかったです☺
今川家の家臣、気位高くて氏真の家臣なんて家康虐めてたくらいだから、おさるさん良かったと思いますよ😂
2:36
平机で全員前を向いての講義は明治以降じゃないかなあぁぁ
戦国時代からこういう学習のやり方はありました☺
「孔明の嫁」という漫画では、諸葛孔明の通ってた塾でもこういう形だったからw
草彅剛のドラマでは旅館の銘銘膳みたいに座っていたな、そういえば。
現代ではなく江戸期に描かれた絵では見たことない
今で言うギフテッドだったのかな?大変な時代を生き抜いた方ですね。
天才だったのは間違いないですね☺
あとは後に秀吉の家臣になる「蜂須賀正勝」のお世話になったり、針師(針を売る商人)だったり、と下積みもしていた。
実家は「出世して戻ってくる!」と言って家出同然で飛び出す。
秀吉が出世して戻ってくるまでの間、秀長が頑張ってましたw 本当に秀長は木下・羽柴・豊臣家の「外付け制御回路」だな・・・
秀長あっての秀吉ですね☺
秀吉は松下家で勉強したからまだ解る。弟の秀長は二十代半ばまで百姓100%で、武将として何故あれだけの活躍が出来たのか・・・
不思議であるりん。
藤堂高虎を使いこなすなんて、信じられん。
高虎は何でもできるがコネがない。秀長は何もできないがコネは絶大。
ほかの家臣との兼ね合いからもこの二人が強く結びつくのは当然のことだろう。
真面目な話、私個人的には....木下藤吉郎は織田領と今川領の「境目」に位置していた「織田家に連なる者」かも知れないと思っています。「境目」に位置していたから、時には今川家に靡き、今川家に袂を分かてば織田家へと靡く...そんな状況によっては、どっちへ転ぶか分からない微妙な立場にいたのでは?と思う。
末席であっても「織田家に連なる者」だからこそ、能力が信長の目に留まれば出世は早かったのだし、後に信長の実子を養子に迎えることが可能となったと思います。
(いくら戦国の世であっても「身分」は厳然と存在するので、後世の人達がイメージする「百姓」とは言い難いんじゃないか?と考えてしまう)
遠江の名族だった木下氏の一門だったんじゃないかという説を聞いたことがあります(名前に藤の字がつく人が何人かいるそうで)
戦国時代の国境沿いに住む人にとっては両属は一般的でしたからね☺
松下家でのエピソードは昔の学研マンガでもありましたねー
いつの世も僻んでイヤガラセしてくれる人間はいるのですねーw^^
どこでも優秀な人に嫉妬してイジメる人もいれば優しくする人がいるんですね☺
ちゃんと真面目に
働いてる人が損するような
世の中なの良くない😢
政治家の裏金とか色々
優しく真面目な人が報われる社会になるといいですね☺
嫌がらせをしていた松下家の元上司たちは、秀吉が出世後にどういう目にあったか知りたいですね。
高天神城追い出されて、長篠の戦いで秀吉と再会してるんで結構劇的な再会
ドラマにできそうです☺
秀吉が一介の農民だったかどうかはさておき、下っ端から天下人にまで上り詰めたのは事実ですからねぇ。
昭和の首相でも義務教育しか学んでいなかった田中角栄が秀吉に喩えられたのもそれゆえだろうなぁ…
田中角栄もすごい人ですよね☺
おんな太閤記でこの話ありましたね。
寧々殿がやけに感謝していたのを思い出す。
感謝は大切です☺
秀吉公は若い頃は苦労されてるんですね😢
人に歴史ありですね☺
ちなみに松下之綱の義弟は松下清景といい、井伊直政の養父だった人。こんなところに繋がりがある。面白いものだ。
人のつながりは面白いですね☺
何にしても人たらしなのは間違いない。晩年は怖いけど、中年の時分の秀吉さんとはおしゃべりしてみたいです
いったいどんな中年だったのでしょうか☺
2025の大河が豊臣兄弟らしいですね
楽しみです
2026年ですよ
楽しみです☺
であるりんさんの動画に、弟の秀長は登場するのだろうか?
どうでしょう☺
問題は尾張から遠江の松下家にどうやって潜り込めたか、だと思う。
身元の保証をしてくれる人間なしでも雇われていたのか?住み込みならある程度の身元引き受け人がいないと怖いでしょ。
そう考えると、遠江の木下氏の縁戚じゃないかと思うんだけどなぁ。
松下家にどんな経緯で仕えたかはわかりませんけど、わからないところにロマンがありますね☺
秀吉のバック(サンカかな)がかなり使い物になった?から信長も重宝したのだろう。でもやはり信長は天才の社長肌。信長が信玄を恐れていた?→信玄の実態を調べてさすがの信長も感服したのだろう。三方ヶ原以降にそのまま攻め込まれたらやばかったかな。
秀吉の能力を見抜いてうまく使った信長もすごいです☺
秀吉公はよく水飲み百姓の生まれと言われているようですが商人の間で相場の情報を教えている情報屋の仕事をしていたようです。「太閤立志伝」というゲームでは算術レベルはそこそこ高かった記憶があります。
...情報屋の仕事をしていた為か本能寺の変直後に行動に移せたのもネットワークをいかしてのおかげかもしれません🧐
流石に水呑み百姓は無さそうと思うんだよね。
弟もかなり有能だったし。
秀吉の賢さは幼少期に仕事で培ったのかもしれませんね☺
織田家は信長が旗揚げした時に、全国から浪人が集まったから、
実力主義の環境が藤吉郎には合ったんですね!
実力主義のせいで明智光秀まで出世してしまいました😢
之綱さまのような人格者だからといって必ずしも戦国で出世するわけではないのが興味深いね。
之綱様は運がよかったです☺