水道の話 11 江戸明治の上水 博士(工学) 増子敦

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  • Опубликовано: 18 окт 2024
  • 江戸から明治後半まで続いた東京の上水は、世界的に見ても大規模で、自然の流れを利用した優れた給水システムでした。今回はそのお話です。

Комментарии • 9

  • @nihon_taro
    @nihon_taro Год назад +3

    偶然に見かけて視聴させて頂きました。めっさ良い内容で、早く気がつかなかったことに悔いが。。

  • @アウトランダーウルフ
    @アウトランダーウルフ 2 года назад +2

    昨夜のブラタモリでも江戸上水を取り上げていました。水道の話を思い出しながら見てました。

  • @piokei8640
    @piokei8640 3 года назад +3

    江戸時代の水道インフラ興味がありとても興味深かったです。
    増子博士!!これからも楽しみにしてますよ。

  • @健久保田-x4k
    @健久保田-x4k 2 года назад +5

    檜って水に強かったんだ、どのぐらいの頻度で交換していたかが気になる。

  • @馬場仁利
    @馬場仁利 3 года назад +4

    水道システムの形態は、江戸の水道も現代の水道も同様なのだと知りました。送水管に類する神田上水や玉川上水、配水管網に類する木樋、各戸に引込む給水管、そして蛇口に当たる上水井戸で、水道の給配水システムとしては既に江戸時代に出来ていたんですね。
    自然流下だけで広い江戸の区域に給水出来た技術は大したものだと思います。

  • @auctiongold2424
    @auctiongold2424 Год назад +1

    凄い

  • @762forest_railway
    @762forest_railway 9 месяцев назад

    江戸時代の水道管が近年に掘り出される事はないのでしょうか?

  • @俊介岸野
    @俊介岸野 3 года назад +2

    東京の水道建設がやや遅れた一因として、明治初期の東京の人口減少も挙げられるのではないでしょうか。

  • @taroukuma7125
    @taroukuma7125 9 месяцев назад

    木樋が腐り寿命が短いのは問題になり、石造にすべきとの論が当然ありました。
    これが継続したのは政治的理由でした 大工が失業するからです。大井川に橋が架けられなかったのも似たような理由です、川越え人足が失業するからです。
    政治的配慮というか各業界から賄賂 働きかけがありました 今も昔も変わりません。