Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
私は現在78才の岡山在住平賀秀夫と言います、私が7才と夏に岡山ニュー岡山ホテルの前で力道山を待って居たらホテルに帰って来た力道山は私を抱え上げて(ばんざーい)してくれて、メモ紙にサインしてくれました、父親は居ましたが肺🫁結核で私が3才の時から入院遠して居ましたので、高い高いをして貰った体験は此の力道山にして頂いたのが人生で❗️此の力道山にして頂いた一回のみです、私の気持ちい高い高いの想い出です。
力道山の奥様も元気でいらつしやる力道山は私たちの眼に鮮やかに蘇ります語りに優しさがあり語りが実にいいひきこまれます
力道山がヤクザに刃物で刺され死亡した事は遠い昔の事だが印象深く心痛みます。試合を終えサッサと妻の待つ家に帰り長生きすべきだった!
軽妙で説得力がある語り口がいい♪自分への過信とブライドの高さが命取りになったのかな…😢
🌴🌏🐎力道山さん幼い頃に白黒テレビ📺️で見た記憶が懐かしいですね📱
傍若無人に生きた人。ある意味、らしい最期だったのではないかな。
この人のエピソードは良くも悪くも今のコンプラがどうだと言うツマラン時代に生きてる自分からすればこの人の活躍した時代が羨ましいと思ってしまうツマラン時代にツマラン価値観で育った世代が社会で大きい力を持つようになった弊害
古き良き時代かもしれないが、暴力団が表社会で堂々と活動できていた恐ろしい時代。例えば、プロレスは山口組が仕切っていた。猪木や馬場も所属していた日本プロレス協会や日本プロレス興業は田岡三代目がトップ。
あの事件ごろ、私の母が知人と世間話をするとその都度必ず「怖い世の中ですね。ついこの間ケネディ大統領が殺されたと思ったら今度は力道山…」という会話になりました。他の人たちも似た話題の会話をあちこちでしていたと思います。
太く短い人生を送った男。もう少し自制することができたら刺されることも未然に防げたのかもしれない。力道山の死はそもそもそういう運命だったと感じる。
力道山の持って生れた性格からして 仮にその時に死ななかったとしても 多分長生きは出来なかったと思う。恐らく 誰かに殺されてたような気がする。
김신락~발을밝아스면~미안하다고~하면안죽어잔아
付き人だった「猪木」の証言と異なりますね。猪木曰く「1回目の手術は成功したが、力道山が手術後に飲食し、縫合部から食べ物が体内へ流出し腹膜炎。再手術で助かるが、医師の警告を無視して「鮨」を食べ、再度、腹膜炎。3回目の手術は助からなかった」。
食欲に勝てなかったんだな。
病室で猪木が居眠りしている隙に、鮨を食べたんだな。
@@伊藤秀一-y9w 差し入れの、折詰の鮨だから・・腐ってた可能性もあるな。
猪木は嬉しかったろうなぁ。クズがマヌケな理由で死んでくれて
出所が漫画の『プロレス・スーパースター列伝』なら原作者の梶原一騎による脚色が多分にある。
なつかしい。
力道山は北朝鮮ですよ
力道山が死んだ時、私は小学校3年生でした。同級生の女の子が、担任に「力道山はヤクザに殺されたの?」と訊くと女の先生は「いいえ、違うの力道山自体がヤクザなの」と、答えました。私は、その意味が解かるまで、15年程かかりました。 戦後、力道山ほどその死後、陰惨な性格が云々された人間も珍しい。殺したいほど、憎んでいた人間が100人はいたらしい。今の令和の時代にそんな人間がいるだろうか? 即、SNSで抹殺される筈である。あの、昭和の時代の産物でしかないのである。 全体的に、力道山礼賛の動画と思われる。何故ならば、あの巌流島の決戦と云われた、力道山対木村政彦が入って無いからである。あの汚い、力道山のブック破りを入れないと本当のプロレス史は語れない。あの1戦は、例の街頭テレビにより全国に生中継されたと、勘違いしている人が多い。実は当時の街頭テレビは、21時に終了となっていた。力道山は、弟子に命じ前座の試合をわざと遅らせ、自分の試合を21時以降に持ちこんだ。つまり、力道山は最初から「やる気」だったのである。台本通りに、演る様に見せかけ隙をみてセメントに持ち込む、その算段だった。試合前の木村が余裕の表情を見せていたのは、あくまで「プロレス」を演ると思っていたからであり、力道山の表情が固いのは木村の「返り討ち」を恐れていたからである。木村がその気になれば、自分の足一本、手一本へし折ること位訳ないことを、誰よりも力道山本人がしっていたからである。八百長ではない醜い「殺し合い」をまだ本当のスポーツだと信じている民度の低い日本人に、見せる訳にはいかなかった。 又、力道山が活躍した約10年間、連綿とプロレスブームが続いたと思っている人も多い。ある年の「後楽園シリーズ」と銘打った興業は、不入りが続き、プロレス最後の日と云われた。テコ入れを考えた力道山は、数年後に控えたオリンピックブームに目をつけ、世界中の強豪を集め巡業しようと考えた。命名はズバリ「プロレスオリンピック」だったが、これでは本家のIOCからクレームが来てしまう。代案として出されたのが「ワールドリーグ」で、これがヒットしプロレスは再び勢いを取り戻した。但しワールドといっても、国籍はほとんどアメリカ人。それらしき格好と名前を付け、リングに上げていた。 ネットもない時代、プロレスメディアは力道山の云うがままに報道するしかなかった。ある時、プロレス誌に在米の力道山から国際電話が入った。その内容は力道山がルー・テーズを破り「NWAインターナショナルチャンピオン」なるタイトルを、獲得したとのこと。これに、ある高名なスポーツジャーナリストが疑問をもった。友人の米国人から、本場アメリカではプロレスは試合でもなく、格闘技でもなく、只のお笑い草であると聞かされていたからである。つてを頼り、調べてみると確かにロスで対テーズ戦は行なわれていた。しかし、タイトルマッチでないどころかメインイベントでさえなかった。?の心を持ちつつ本人の帰国を待った。行なわれた、記者会見ではタイトル奪取(?)のフィルムが上映された。フィルムが回されると記者達は、唖然とした。普通、米国では日系人レスラーは悪役を演じる。しかし、画面の中の力道山はヒールではなかった。その代わり、倒されてもゆっくりと起きあがるネィティブアメリカンを、演じていた。かの日本の英雄は、その風貌からNAを名乗ることもあったらしい。その内、突然画像が砂嵐となった。砂嵐が消えると唐突に、力道山への勝利者インタビューが始まった。「おめでとう」「サンキュー」「おいおい、英語を喋るぞ」ーーー結局、何一つ明らかに成ったものはなかった。記者団はけむに巻かれた様に解散するしかなかった。今でも、真相は明らかにされていない。
木村政彦との試合を遅らせるよう命じたのは初見ですね。それを貴方はなんで知ってるんでしょうか?
@@MasazumiYamashitta 記憶が定かで無いので、ごめんなさい。確か3年位前のRUclipsで題名は「日本女子プロレス史」だったと思います。内容は、キャバレーから発祥した女子プロレスの歴史、小人プロレスの黎明期など多岐に渡り、その中に例の1戦の内幕も描かれていました。前座を務めたのは、力道山側からは吉之里で木村政彦側からの選手名は、失念いたしました。この試合は、第2の巌流島といわれ途中から吉之里は、セメントに転じた。張手を嫌と云うほど喰らった相手側は、確か1〜2ヶ月程の入院を与儀なくされた筈。 私の記憶違いと、他のソースとの混合も有るかも知れないので「日本女子プロレス史」で検索してみて下さい。 又、追記しておきますと、力道山対木村政彦戦は、例の街頭テレビでは放送されなかったのですが、当時まだ普及率が低かった一般家庭用のテレビでは放送されています。キー局は、日本テレビとNHK。NHKも当初はプロレスを本当に「プロ」の「レスリング」だと勘違いしていて、茶の間に流していた。その後、とんでもない胡散臭いものだと解り放送を打ち切ったらしいです。 この位の説明で、ご納得いただけましたでしょうか。
@@比嘉功-w4p さん。長文の説明ありがとうございました。プロレスが好きなのもよくわかります。試合は動画で拝見したことはあります。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場は、人気と人間性もよかったなぁ。
力道山若い頃いい男でしたね。韓ドラに出てもいい位でしたね。😂やはり韓国人は日本人より個性が有りますね。
実際力道山を刺したヤクザのかたがユーチューブ動画に出て有りました。その後娘さんも出演されてます。
村田はだいぶ後にまた殺人を犯してますね。
音声の方って、もしかして「猪木さん」を意識して語っているッ(笑)!?正直な所。真相は如何にですね!
この人舌っ足らずでナレーションは上手出ないけどモノマネは上手い
7:21ハロルド坂田
星野仙一
ナレーションの声やテンポがいいだけに、後ろで流れてるシンセサイザーのような音楽が鬱陶しくて勿体無い。
力道山出身,朝鮮咸鏡道,金氏
私は現在78才の岡山在住平賀秀夫と言います、私が7才と夏に岡山ニュー岡山ホテルの前で力道山を待って居たらホテルに帰って来た力道山は私を抱え上げて(ばんざーい)してくれて、メモ紙にサインしてくれました、父親は居ましたが肺🫁結核で私が3才の時から入院遠して居ましたので、高い高いをして貰った体験は此の力道山にして頂いたのが人生で❗️此の力道山にして頂いた一回のみです、
私の気持ちい高い高いの想い出です。
力道山の奥様も元気でいらつしやる
力道山は私たちの眼に鮮やかに蘇ります語りに優しさがあり語りが実にいいひきこまれます
力道山がヤクザに刃物で刺され死亡した事は遠い昔の事だが印象深く心痛みます。試合を終えサッサと妻の待つ家に帰り長生きすべきだった!
軽妙で説得力がある語り口がいい♪自分への過信とブライドの高さが命取りになったのかな…😢
🌴🌏🐎力道山さん幼い頃に白黒テレビ📺️で見た記憶が懐かしいですね📱
傍若無人に生きた人。
ある意味、らしい最期だったのではないかな。
この人のエピソードは良くも悪くも今のコンプラがどうだと言うツマラン時代に生きてる
自分からすればこの人の活躍した時代が羨ましいと思ってしまう
ツマラン時代にツマラン価値観で育った世代が社会で大きい力を持つようになった弊害
古き良き時代かもしれないが、暴力団が表社会で堂々と活動できていた恐ろしい時代。例えば、プロレスは山口組が仕切っていた。猪木や馬場も所属していた日本プロレス協会や日本プロレス興業は田岡三代目がトップ。
あの事件ごろ、私の母が知人と世間話をするとその都度必ず「怖い世の中ですね。ついこの間ケネディ大統領が殺されたと思ったら今度は力道山…」という会話になりました。
他の人たちも似た話題の会話をあちこちでしていたと思います。
太く短い人生を送った男。
もう少し自制することができたら刺されることも未然に防げたのかもしれない。
力道山の死はそもそもそういう運命だったと感じる。
力道山の持って生れた性格からして 仮にその時に死ななかったとしても 多分長生きは出来なかったと思う。恐らく 誰かに殺されてたような気がする。
김신락~발을밝아스면~미안하다고~하면안죽어잔아
付き人だった「猪木」の証言と異なりますね。猪木曰く「1回目の手術は成功したが、力道山が手術後に飲食し、縫合部から食べ物が体内へ流出し腹膜炎。再手術で助かるが、医師の警告を無視して「鮨」を食べ、再度、腹膜炎。3回目の手術は助からなかった」。
食欲に勝てなかったんだな。
病室で猪木が居眠りしている隙に、鮨を食べたんだな。
@@伊藤秀一-y9w 差し入れの、折詰の鮨だから・・腐ってた可能性もあるな。
猪木は嬉しかったろうなぁ。クズがマヌケな理由で死んでくれて
出所が漫画の『プロレス・スーパースター列伝』なら原作者の梶原一騎による脚色が多分にある。
なつかしい。
力道山は北朝鮮ですよ
力道山が死んだ時、私は小学校3年生でした。同級生の女の子が、担任に「力道山はヤクザに殺されたの?」と訊くと女の先生は「いいえ、違うの力道山自体がヤクザなの」と、答えました。私は、その意味が解かるまで、15年程かかりました。
戦後、力道山ほどその死後、陰惨な性格が云々された人間も珍しい。殺したいほど、憎んでいた人間が100人はいたらしい。今の令和の時代にそんな人間がいるだろうか? 即、SNSで抹殺される筈である。あの、昭和の時代の産物でしかないのである。
全体的に、力道山礼賛の動画と思われる。何故ならば、あの巌流島の決戦と云われた、力道山対木村政彦が入って無いからである。あの汚い、力道山のブック破りを入れないと本当のプロレス史は語れない。あの1戦は、例の街頭テレビにより全国に生中継されたと、勘違いしている人が多い。実は当時の街頭テレビは、21時に終了となっていた。力道山は、弟子に命じ前座の試合をわざと遅らせ、自分の試合を21時以降に持ちこんだ。つまり、力道山は最初から「やる気」だったのである。台本通りに、演る様に見せかけ隙をみてセメントに持ち込む、その算段だった。試合前の木村が余裕の表情を見せていたのは、あくまで「プロレス」を演ると思っていたからであり、力道山の表情が固いのは木村の「返り討ち」を恐れていたからである。木村がその気になれば、自分の足一本、手一本へし折ること位訳ないことを、誰よりも力道山本人がしっていたからである。八百長ではない醜い「殺し合い」をまだ本当のスポーツだと信じている民度の低い日本人に、見せる訳にはいかなかった。
又、力道山が活躍した約10年間、連綿とプロレスブームが続いたと思っている人も多い。ある年の「後楽園シリーズ」と銘打った興業は、不入りが続き、プロレス最後の日と云われた。テコ入れを考えた力道山は、数年後に控えたオリンピックブームに目をつけ、世界中の強豪を集め巡業しようと考えた。命名はズバリ「プロレスオリンピック」だったが、これでは本家のIOCからクレームが来てしまう。代案として出されたのが「ワールドリーグ」で、これがヒットしプロレスは再び勢いを取り戻した。但しワールドといっても、国籍はほとんどアメリカ人。それらしき格好と名前を付け、リングに上げていた。
ネットもない時代、プロレスメディアは力道山の云うがままに報道するしかなかった。ある時、プロレス誌に在米の力道山から国際電話が入った。その内容は力道山がルー・テーズを破り「NWAインターナショナルチャンピオン」なるタイトルを、獲得したとのこと。これに、ある高名なスポーツジャーナリストが疑問をもった。友人の米国人から、本場アメリカではプロレスは試合でもなく、格闘技でもなく、只のお笑い草であると聞かされていたからである。つてを頼り、調べてみると確かにロスで対テーズ戦は行なわれていた。しかし、タイトルマッチでないどころかメインイベントでさえなかった。?の心を持ちつつ本人の帰国を待った。行なわれた、記者会見ではタイトル奪取(?)のフィルムが上映された。フィルムが回されると記者達は、唖然とした。普通、米国では日系人レスラーは悪役を演じる。しかし、画面の中の力道山はヒールではなかった。その代わり、倒されてもゆっくりと起きあがるネィティブアメリカンを、演じていた。かの日本の英雄は、その風貌からNAを名乗ることもあったらしい。その内、突然画像が砂嵐となった。砂嵐が消えると唐突に、力道山への勝利者インタビューが始まった。「おめでとう」「サンキュー」「おいおい、英語を喋るぞ」ーーー結局、何一つ明らかに成ったものはなかった。記者団はけむに巻かれた様に解散するしかなかった。今でも、真相は明らかにされていない。
木村政彦との試合を遅らせるよう命じたのは初見ですね。それを貴方はなんで知ってるんでしょうか?
@@MasazumiYamashitta 記憶が定かで無いので、ごめんなさい。確か3年位前のRUclipsで題名は「日本女子プロレス史」だったと思います。内容は、キャバレーから発祥した女子プロレスの歴史、小人プロレスの黎明期など多岐に渡り、その中に例の1戦の内幕も描かれていました。前座を務めたのは、力道山側からは吉之里で木村政彦側からの選手名は、失念いたしました。この試合は、第2の巌流島といわれ途中から吉之里は、セメントに転じた。張手を嫌と云うほど喰らった相手側は、確か1〜2ヶ月程の入院を与儀なくされた筈。
私の記憶違いと、他のソースとの混合も有るかも知れないので「日本女子プロレス史」で検索してみて下さい。
又、追記しておきますと、力道山対木村政彦戦は、例の街頭テレビでは放送されなかったのですが、当時まだ普及率が低かった一般家庭用のテレビでは放送されています。キー局は、日本テレビとNHK。NHKも当初はプロレスを本当に「プロ」の「レスリング」だと勘違いしていて、茶の間に
流していた。その後、とんでもない胡散臭いものだと解り放送を打ち切ったらしいです。
この位の説明で、ご納得いただけましたでしょうか。
@@比嘉功-w4p さん。長文の説明ありがとうございました。プロレスが好きなのもよくわかります。試合は動画で拝見したことはあります。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場は、人気と人間性もよかったなぁ。
力道山若い頃いい男でしたね。韓ドラに出てもいい位でしたね。😂やはり韓国人は日本人より個性が有りますね。
実際力道山を刺したヤクザのかたがユーチューブ動画に出て有りました。その後娘さんも出演されてます。
村田はだいぶ後にまた殺人を犯してますね。
音声の方って、もしかして「猪木さん」を意識して語っているッ(笑)!?正直な所。真相は如何にですね!
この人舌っ足らずでナレーションは上手出ないけどモノマネは上手い
7:21ハロルド坂田
星野仙一
ナレーションの声やテンポがいいだけに、後ろで流れてるシンセサイザーのような音楽が鬱陶しくて勿体無い。
力道山出身,朝鮮咸鏡道,金氏