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デストラーデは今でも西武のイベントに参加してくれてるし今でも西武ファンに愛されてる。
デストラーデと清原は今も仲が良いみたいです。清原はデストラーデが帰国する際、毎年空港に見送りに行くほど仲が良いから冗談を言ってるだけで嫉妬しているわけではないみたい。例えば金本が新井は死体蹴りが得意で勝負が決まった後に打つ。2005年は狭い市民球場の新井に本塁打王を取られたけど、本当は甲子園で40本塁打を打った僕の方が凄いと言ったのと同じように仲が良いから憎まれ口をたたいるのだと思う。
こないだのレジェンドマッチでもメヒアと和気あいあいだったもんな
それは凄い!ええ話や
デストラーデは一度は監督になって欲しいですね😊
絵でしかしてdb
92年の日本シリーズは個人的歴代No.1です。あれほど手に汗握る熱線を見せてくれた両チームに感謝。
そのころ、イチローさんは下積み生活...
初戦が杉浦の満塁サヨナラホームラン。2戦目は荒木が奮投も清原が4番の仕事で沈めて、3,4戦目も西武がとって、5戦目、6戦目は終盤で池山、秦が決めるドラマチックな展開で・・・。と今でも覚えていますが。肝心の7戦目で予備校に行ってしまったのですよね。あの名勝負見るために予備校はサボった方が良かったと後悔していますわ。
80〜90年代は毎年、西武球場の日本シリーズの記憶しか無いですね。当時は昼からの日本シリーズ、秋の澄み渡る空、秋の夕暮れが似合う球場でした。
乱闘した平沼は最近清原とテレビで共演して当時のことを懐かしそうに話していました。激しい乱闘も時間が経てばお互いに笑い話に出来るんだなと感じました。平沼はあの乱闘で野球選手としては記録に残らなかった自分を野球ファンの記憶に残してくれた。若い野球ファンは自分の事はほほ知らないが、清原と乱闘した投手と言ったらわかってくれるので、今はキヨに感謝していると言ってました。
昨年TVでナベQが秋山幸二と清原はライオンズの歴史を語る上で欠かせない存在。いつかは西武球団に戻ってきて欲しいと思っているから、フロントと二人が復帰する具体的な役職や復帰時期を交渉してると言ってました。お二人がライオンズに戻って来てくれたら嬉しいです。
秋山さんが殿堂入りした際のスピーチで、西武時代を振り返りキヨは自分が盗塁をしやすいように、初球は必ず打たなかったり、自分のスタートが悪いとわざとファールを打ち自分の盗塁王をアシストしてくれたと感謝してたのを憶えてます。森さんが清原のタイトルは黄金期に4番を務めたことだと言ってたけど、本当にその通りだと思うとも言ってたし、秋山と清原は互いを尊敬していたんだなと感じました。
主力の野手、投手がほとんど戦線離脱しないの本当にズルい(褒め言葉)
こういう献身的なバッティングであの成績はズル
AKD砲はデストラーデが5番に据えられていたのが最も大きいな⚾!
清原を立てる秋山の人徳が伝わる発言だと思います。
@@mistta610 まぁ確かに…
亡くなる直前に野村克也さんが、清原が潜在能力のわりに本塁打数を伸ばせなかったのは努力を怠ったからではなく、彼が流し打ちを得意とする広角打法だったことや、黄金期の西武のチーム方針で右打ちを求められる環境だったことが大きい。強い打球を効率よく飛ばすためにはフルスイングする必要があり、王や松井など歴代のホームランバッターはほとんどプルヒッターなので、フルスイング出来る環境だったら清原はもっと本塁打を量産出来たのではと週刊ベースボール誌の連載で述べてました。清原が練習をしなかったから無冠だったというのは誤りだと思ってます。
栄光の終焉が野村ヤクルトとの92~93日本シリーズという二年連続同じカード、2年連続7戦目までもつれるという伝説の戦いというのもかっこいいね
92~93のシリーズは本当に見応えありましたね。
子どもの頃、毎年西武が優勝していた。千代の富士もいつも優勝していた。時は流れ、間もなく49歳になる。
本当にあの時の日本はほぼ全てが地球最強でとても楽しく暮らす事が出来ていた…。しかし今はすっかり弱り果ててしまったなぁ…。
@@GravityFallsRyukyu自民党に緊張感を与える野党が存在しなかったら…
わぁ 同い年ですか‼️僕もこの森ライオンズのファンのまま現在に至ります✌️
少し先輩の方々ですね。でも、私も西武黄金時代が小学校という世代で、個人的にチームは阪神ファンなれど最強球団=西武、という事は私も他チームファンの友達も皆が認めるところでしたね。
@@racing_high 阪神ファンは(当時で言えば"トラキチ")西武がヤクルトに負けるまでは「西武に勝ったのは阪神だけやん😘」なんて自慢していたんですよね😁
この西武の黄金時代をリアルタイムで見ていた今年43歳のおっさんです。このときのライオンズは冗談抜きで鬼畜の如き強さでしたね😅本当に「実力のパ・リーグ」の強さの象徴だったと思います。もしこの当時の助っ人外国人選手枠が今みたいに4人ぐらいまで増えてバークレオがスタメンで入ってたらさらに恐ろしい打線だったでしょうね😅
中日ファンですが87年の日本シリーズは今でも忘れられない。選手だけでなくスコアラーも隙がなかった。88年の中日との日本シリーズは西武の完勝だった。それを知っているだけに今の西武を見ると悲しくなる。
秋山さん5月に絶好調でミスターメイと呼ばれてましたね。ホームランが美しかった。日本シリーズのバク宙ホームインは最高でした。
根本監督から広岡監督初期の頃の西武ライオンズを描いたがんばれタブチくんが面白くて好きだったな
森監督はオフシーズンのテレビ出演やインタビューでも自己主張をせず、淡々と、落ち着いて答える姿が印象的でしたね。
確かに森祇晶さんや広岡さんが監督してた頃は毎年優勝してたね。東尾修さん松沼兄弟、工藤公康さん、バッターとしては秋山さん清原和博さんデストラーデさん石毛宏典さん伊東勤さん、平野さん田尾安志さんと凄かったね。その後潮崎哲也さんに巨人から来た鹿取さんが抑えで大活躍でしたね。今じゃ打てない打線打たれるピッチャー抑えのいないんじゃ勝てないよね。
清原はチームプレーを大切にする選手だったと長嶋監督や森監督が称賛してました。選手の全打席を記録をしていた伊原コーチも清原は無冠だったが、得点圏では基本的にセンター返し、追い込まれたらバットを短く持って逆方向に進塁打を打つなど個人記録を犠牲にしてまでチームプレーに徹していたので首脳陣からの評価は高かったと言ってたな。
森監督の野球は玄人好みの野球をしてましたね。ランナーが出たら進塁打やバントでランナーを進めて、犠牲フライや内野ゴロでランナーを返す。勝ち越したら鉄壁の守備と投手陣で守り切るような野球だったから山賊打線みたいに派手さはなかった印象です。
辻さんが黄金期時代の選手は首脳陣が出したサインを忠実に実行する駒の役に過ぎなかったから試合に勝っても、負けてもあまり嬉しくも悔しくもなかったと著書に記載してた。バントだけでも三塁線、一塁線のバント、セーフティーバント、送りバントなど複数のサインがあり、カウントごとに別のサインが出るから大変だったらしい。
ふーん、そうだとすると、ではなぜ30歳という最も充実した年齢の時に巨人にいって32本しか打てなかったのさ?
清原が巨人に行かずに あのスリムなまま 現役続けていたらもっと結果できてたんだろうなぁーそんな世界線も見てみたかった。清原は巨人に行って夢が叶ってしまったからなー 😢けど一番好きな選手なのは変わりません。 西武時代清原 本当にかっこよかったし本当に森 西武強かった
すぐに足が痛くなって、ほとんど働かない……そんな身体になってしまいました2001年の121打点はすごかったですけどね……自身初の100打点以上(←意外にも)で、あの松井秀喜よりも高い!けど、ペタジーニに打点王を持って行かれてしまった
清原が潜在能力のわりに、本塁打数を伸ばせなかったのは努力を怠ったからではなく、清原が流し打ちを得意とする広角打法だったことや黄金期の西武のチーム方針で右打ちを求められる環境だったことも大きいと思う。強い打球を効率よく飛ばすためにはフルスイングする必要があり、歴代のホームランバッターはほとんどプルヒッターなので、フルスイング出来る環境だったらもっと本塁打を量産出来たんだろう。
近鉄だったらどうなってただろうか?
88年清原の発言に漢気を感じた仰木さんが清原の引退の花道を作ったのは有名ですね。敵ながら漢と漢達の戦い。古き良きパリーグですね
清原の義理堅く情に厚い一面を表したエピソードですね。
清原はopsや最高出塁率のリーグ一位を複数回取っているし、本塁打や打点の通算成績は歴代でも5本の指に入るほどの成績なので充分大成したと思う。 また清原はかなり四球を選ぶ待球型の打者なので打数が少ない。四球を選ぶまで待たず、積極的に打ちにいくタイプだったら、本塁打や打点はもっと伸びたと思う。出塁率4割超なんて誰も注目しなかった時代にそういうプレーをしているということは、自分の成績だけを追い求めてプレーしていたのではなく、黄金期西武のチーム至上主義の野球を体現していたプレイヤーだったと思います。
清原は本塁打王は獲ってないけど、彼より本塁打を放った選手は歴代で4人しかいないし安定して成績を残せたことは凄い。トラウトは主要タイトルは打点王を一度しか取ったことがないけど、安定したopsの高さから世界一の打者と評価されていたのと同様に、清原も通算opsが9を超えるほど出塁率や長打率の高さが長所の選手なので超一流選手だったことは間違いない.。
本塁打王取ってないのホンマに凄いよな天才
森西武の時に現役で後に監督になった選手東尾、森繁、伊東、秋山、工藤、渡辺久、大久保、田辺、石毛、辻やっぱり野村、森両監督は凄い人材を育てたな。
@@鳥羽莉姫 中日ドラゴンズに人材をほとんど残せず、ドラゴンズを再起不能の焼け畑にしてしまった、「名将面している」落合博満氏とは対照的ですね(爆笑)
郭泰源も台湾で監督になってますよね!
こんばんは。なかなか面白い事に気づきましたね!移籍選手ですが、田尾選手も該当しますね。
やっぱり種蒔き時期って大事ですね!今後のライオンズも強くなってほしい👌
清原さんは最近プロ野球のキャンプで臨時コーチを任されたり、プロ野球ニュースに出演するなど野球界に復帰出来て良かった。現在は社会人チームや大学の野球部でコーチを任されていると聞くけど、これからも自分の技術や経験を若い選手に伝えることで球界に貢献して欲しい。
黄金時代の司令塔、伊東勤が25年連続Aクラスに入るくらいには強かったなやっぱり根本さんは寝業師だな… 今だったら絶対できないけど生き馬の目を抜くしあっと驚くやり方で選手集めしてるのは凄いな
巨人ファンですが、森監督時代の西武に巨人は全く勝てなく、オープン戦ですら巨人には負けは絶対許さない、という西武側の空気を感じていました。恐らく常勝球団と呼ばれるチームは、当時の西武を最後にもう現れないかもしれませんね。
87年は王監督が、ダメ。90年は藤田監督が、屈辱の4連敗。やっと西武にシリーズで勝ったのは94年の長嶋監督でした。
1989年は燃え尽き症候群ではなく、伊東捕手が怪我で開幕に間に合わなかったことが大きく影響して低迷。徐々に順位を上げていくが、抑えが決まっていなかったことが大きく響き優勝を逃しました。
翌年、抑えを、鹿取と潮崎で、強化しました。
西武=このブルーのユニフォームですよね😊今のユニフォーム何年経っても違和感ある😂かっとばせキヨハラくん面白かったなぁ
やはり世代交代継ぎ足し継ぎ足しと車懸りの陣が如く選手を入れ替えないとたとえ常勝軍団といえども危ういというのが理解できました。
廣岡監督時代の管理野球。と言われてます。なにも私生活のみではなくて練習の厳しさもありましたね。工藤公康さんの著書で、この頃の練習が記されてますがまぁーーーー読んでるこっちが気分悪くなるほどの練習量です😅コーチ陣が廣岡監督に「このままでは選手が壊れます!」って進言しても廣岡監督「大丈夫だ。選手は壊れない」と返したそうです。実際。ケガ人はほとんど出なかったとのこと。緊張感がそうさせたのか、みんなでなんとか乗り切った、とのことでした。ちなみに工藤投手のエピですが内野ゲッツー等な連携練習で「セカンドベースを見ないで、足でベースを擦らせて、他のベースに投げる」という練習があり「出来るわけねーじゃん!!💢」って思ったらしいのですが身体がベースの位置を無意識帯で感知できるようになり、日本超最速の内野連携が出来るまでになったそうです。一つ一つのプレーの最難関を徹底的にやらせ、体得して試合に勝ち続ける。走攻守全てが高いレベルと、それを実現して行く、ものすごい体力を持ち合わせた選手達と、それを最高に指揮することできる名将ががいた。それが西武ライオンズ。
黄金期初期の田淵さん、山崎さん、太田卓さん、片平さん、スティーブ、テリー。低迷期の中、これらの選手を揃えた根本さんと厳しく指導し能力を最大限引き出した広岡さん。今の西武でも、フロントと指導者が本気でチーム強化を目指せば、来シーズン日本一だって可能なのです。
よくこの後暗黒時代にならずに、松井稼頭央や鈴木健、西口文也、マルティネスなどが出てきて、保ったのもあっぱれ
監督になった時は折り合いが良くなかった広岡氏にディスられたけど、7年もやって一度もBクラスにならなかった東尾氏も普通に有能でしたね。最後に日本シリーズに出場したのはもう16年も前である今から見ると尚更・・・・・・でもありますが・・・・・・・・・
西武のスカウト力や編成力はとにかくずば抜けていた。だから主力が多く抜けても、すぐ後釜を添えられる体制が整っていた。恐らく、当時の堤オーナーの資本力やプレッシャーも大きく影響していただろうな。堤オーナーがいなくなり、西武グループの力が弱まるのと比例してライオンズも弱くなっていった…
@@shob9448 堤義明みたいな人は令和には絶対に合わないでしょうね。だって「定休日がほしい管理職はいりません」って言葉を残しているし、ミスしようもんなら、めちゃくちゃ怒鳴られるらしい。今なら訴えられて、辞任でしょうね
@@com579216年前!?今でも覚えてるよ…あの平尾のセンター前タイムリー…
2024年時点で「最も日本シリーズから遠ざかった」球団となってしまいました。(涙)
この時西武は強すぎました。
秋山や清原などがいても、打率がリーグ最下位が信じられませんでした。
これだけ一つのことを上手くまとめた動画は見たことない。素晴らしい!
つまらんミスとかもなくて、まさにプロっていう、ほんと惚れ惚れするチームだったなぁ。
西武黄金時代は川上さんのV9野球と似てました。ドジャース戦法を取り入れて、守りかつ野球。ONの巨人は脇役に柴田、高田、土井らがいました。西武はAK砲を支えていた石毛、辻、伊東がいました。その後西武黄金時代を経験したかなりの数の選手が監督経験しています。川上さんのそつのない野球は永遠に不滅です。
強かった頃の西武って何故か静岡県の三嶋大社に優勝祈願のお詣りを森監督はじめチーム全員が毎年来てたんだよな。地元民からするともっと全国的にメジャーな神社に行くものだと思って不思議だったなぁ。
松坂もそこで結婚式を挙げましたね
黄金時代だったころ、印象に残ったのは、清原vs近鉄野茂、ロッテ伊良部との名勝負だったなぁ。
秋山清原デストラーデがいた時代が一番好きだったなあ😊
1982〜2006までの25年間全てAクラスは驚異的すぎる
常勝軍団過ぎる
根本さんは宝石の原石の発見、発掘する能力がずば抜けていましたね。広岡さんは宝石の原石を宝石に磨き上げる能力がすごかったです。森さんはその宝石を指輪やネックレスや王冠などイロイロ活かす能力がありましたね!
今のスカウトが再現してほしい。
こんな黄金時代の西武に対し唯一リーグ優勝阻止したのは89年の近鉄バッファローズだけです。もし近鉄の優勝が無ければ、85年から94年まで10年連続リーグ優勝の新記録でした。
@@古橋洋光-u5s 89年は抑え不在が響き、V逸。90年は鹿取と潮崎が抑えに定着しV奪回。
圧倒的な投手陣と鉄壁の守備30年以上野球を見てるが、1番野球のレベルが高いチームだと思うそれに対抗したヤクルトも頭を使った野球で凄かったし、あの激戦を超える戦いはなかなかない
イチローさんが言うには、プロ入団して1軍に呼ばれた頃に(おそらく1992年)、西武は緊張感があって本当に隙が無い野球をやっていたと。
ホント西武黄金時代のユニフォームはカッコ良いな!特にビジター用のライトブルーは斬新だけど超カッコ良過ぎる🚊⚾︎🦁
今は西武も低迷期に入ってますけど、まずユニフォームを黄金期のライトブルーに戻したらどうでしょうか? 🦁🩵
@@佐藤孝一-h2zユニフォームだけ黄金期に戻しても、主力選手が次々とFA宣言して、チームを出て行ってしまう様では…
AKB砲が好きでした。
ホントにカッコいいですっ!
やはり西武の強さを象徴するのは、90年の日本シリーズではないだろうか。当初は巨人が有利と言われていたが、走攻守全てにおいてレベルが違いすぎた。自分は西武、巨人のファンではないが、西武の4戦4勝、全ての試合において完勝、あまりの強さに愕然とした記憶がある。
この時代の西武ライオンズ黄金時代は球団を所沢に移転してからあまりにも全てが上手く行き過ぎてるぐらい黄金時代を引っ張るスター達、名将が揃って行く。
秋山や工藤は常に殺伐としていた黄金時代の西武のロッカールームの雰囲気しか知らなかったので、ロッカールームで将棋を指している選手が居たりと緊張感が無くユルユルなダイエーの雰囲気に愕然としたとか。なお、その将棋を指していた選手はソフトバンクの前任の監督という噂が…
辻平野秋山清原デストラーデ石毛〇〇伊東田辺という7番レフト以外、ガッチリ固まってたオーダー好きだった☺️
あの頃の西武は他球団からしたら絶望感しかないくらい強さがあったが、最強の面子がそのまま現代にワープしても流石に30年以上の年月が経っているからソフトバンクはおろか中日と互角くらいなんかな
@@渡邊よしひろ-n9j いやいや今のプロ野球チーム達相手でも毎年ずっと普通に優勝争い出来る程にやっぱり強いよ。特にこの最強時代の西武の選手達のフィジカルは今の選手達にも見習って欲しい程にバケモノだから…。だって夜遊びや女遊びや深酒🍶やタバコ🚬やっていても普通に高いパフォーマンス出して優勝し続けていたんだぜ…、それはバケモノだろうよ…。
ソフトバンク全盛期は外人4人デスパイネグラシアルモイネロサファテのうち2人マイナス条件
もし外国人選手枠が今みたいにもっと増えてレフトにバークレオが入っていたらもっと恐ろしい打線だろう😅
@@石山和幸-n9vさん。バークレオが6番レフトならば(背番号ごと)7番石毛。日本シリーズのセ・リーグ本拠地では、サード清原ショート石毛で対応する最強フォーメーション完成。
西武黄金時代にブライアントの4発でパ・リーグ10連覇を阻止した近鉄凄すぎ
対ヤクルトスワローズとの、2年連続での日本シリーズのころ、本当に面白かった。本当に頭脳派の野球ファンがもっともしびれた2年間だったと思う。
秋山のコンバート、平野の加入で当時の「史上最強の右中間」が出来たんですね。
秋山幸二選手を、三塁手から中堅手へコンバート平野謙外野手を、小野和幸投手との交換トレードで、中日ドラゴンズから獲得。
まさに「鉄壁」という言葉が本当に当てはまる2人でしたね。😊
ちなみに工藤公康氏と秋山幸二氏はソフト🦉監督として強すぎた西武🦁みたいな黄金時代作り上げた
ライオンズの黄金時代は親会社の西武グループのそれと同じ、プリンスホテル、スキー場ゴルフ場大盛況。現在の低調がそれを現してる。
@@harushi440428 堤義明社長の「国土計画株式会社(後の株式会社コクド/堤義明氏が失脚した後に、プリンスホテルに合併されて消滅)」
@@harushi440428 「国土計画株式会社(後の株式会社コクド/堤義明氏が失脚した後に、プリンスホテルへ吸収合併)」
壮大な歴史絵巻のようなナレーションや編集で最後まで観てしまった😳
清原和博の全盛期は改めて見てやはり凄いと思う今でもNPB史上落合博満と二人しかいないとされる逆方向への狙って打ちまくれるホームランは浪漫の塊
広岡監督時代にテリーにスティーブ森監督にデストラーデの前にブコビッチとバークレオと懐かしい気持ちになる😊昭和から平成に時代が変わって貧乏弱小球団の南海をスーパーのダイエーに売却し福岡移転した成金球団が本拠地移転10年後リーグ制覇.日本シリーズ制覇、西武を強くし福岡移転後のホークスを常勝球団にし人気薄のパ.リーグを変えた根本陸夫さんはパ.リーグのオーナー達の経営意識を変えパ.リーグに革命を起こした功労者やと思う。(大阪の巨人ファン)
1989年はデストラーデがもっと早く加入またはダイエー戦で大量リードしていたのを大逆転負けされてなければ、僅差でリーグ優勝できてたのが残念だった森さんもあのダイエー戦を逆転負けされたことを後のインタビューやイベントで語ってますし、勝ててれば85-94のパ・リーグ10連覇していたのが見てみたかったです
3位といっても、首位と0.5差だもんね。
あの時のブライアントは神だったから仕方ない。
ブライアントの4連発より、その前のダイエー戦での大逆転負けを悔やんでましたね。
@@Ys-xb4oq 3回で8-0(だったかな?)をひっくり返されたヤツですね。
@@glm795crp3dt 失礼ですが、当時のダイエーやロッテは優勝争いとは無縁のチ-ムだったので痛恨の逆転負けです。しかし、首位と0.5差届かないのが、西武時代の森監督の最低成績、というのは凄いですね。
森監督は好きだったなー森監督の本を買うくらい好きだったなー
私の親父は、森祗晶と広岡達朗はガチガチの管理野球とブツブツ陰湿に批判して人を貶すのが嫌で嫌いだと言っていました…。(後、暗いからと言う理由で権藤博氏も…。)
~覇道 心に刃をのせて~森祇晶氏の著書ですね!西武黄金時代の屋台骨を支えた当時の選手たちの写真も掲載されているしたまに読み返しています。
今の成績を根本さんが見たら「40年前に逆戻りや」と嘆いてるんじゃないだろうか。
ちょうど黄金期に応援団にいましたホントこの頃は凄かったですねチームだけじゃなくて応援団もイケイケでした福岡だったけど元いた球団なだけあって人気はありましたこの当時一番思い出に残るのは日本シリーズの時の清原の涙かな
89年は正捕手伊東がケガで開幕アウトだったことが大きいし、新人王森山の故障、工藤とバークレオが不振だったことが大きく、『燃え尽き症候群』ではないことは声を大にして訴えたい。そもそもそうなるチームは連覇自体できない
それでも僅差での3位フィニッシュ、それもブライアントのあの奇跡の猛打超爆誕が無ければ西武10ゲーム差からの大逆転優勝だったんだぜ…、それは憎い程に強かったハズだよ…。
発足から西武ライオンズファン「ガンバレ!タブチくん」がきっかけだけど幼稚園の年少だった小学校で一人、西武の帽子で浮いていたなぁ巨人に日本シリーズで勝ってからは学生時代に嫌な思いないずうっと勝ってたとにかく強くて強くてバント論争あったが、野球を知ったのはすべて西武ライオンズだった本当にありがとうとしか言えない
根本→廣岡→森ラインは永久に讃えられる実績。ソフトバンクですらこれを超えていない
@@gato_5ch 王→秋山→工藤→藤本→小久保
初見です、平成前期の西武は強いってイメージがあります、黄金時代が終わった後の97年98年もリーグ連覇、02年04年も優勝したので、改めて西武ってすごい球団だと思いました
高木大成の時代とカブレラの時代。
パリーグのベスト9がそのまま西武のレギュラーだった時代。適材適所で打順もポジションもピタッとハマってたな。
88年にバークレオがいたときは、AKB砲でしたからね。
当時のパ・リーグは「西武とそれ以外」正にそんな状態だった
たまーーーに近鉄との一騎打ちになるくらいでしたね
オリックスがそこに割って入る。
最後の年に、イチローさんが...!!
誰かが言ってた。「西武と仰木監督」って。調べてみたら1985年~1998年までの間、パ・リーグ優勝は西武か仰木監督が率いた近鉄、オリックスやった。
西武ライオンズ黄金時代のオーダー1.二 辻発彦2.右 平野謙3.中 秋山幸二4.一 清原和博5.指 オレステス・デストラーデ6.三 石毛宏典7.左 阿部理(吉竹春樹)8.捕 伊東勤9.遊 田辺徳雄(清家政和)
当時の近鉄も大石・新井・ブライアント・石井の1番から4番までなら西武のそれと比べてそう劣るものでもなかったが、5番以下の面子の差がでかかった。安部や田辺にはいいところでやられた印象がある。
石毛は一番のイメージが強い
@@澤満知子-b6n このオーダー(1988年)の方ですね。1.三 石毛宏典2.右 平野謙3.中 秋山幸二4.一 清原和博5.左 安部理6.指 タイラー・リー・バン・バークレオ7.捕 伊東勤8.遊 清家政和9.二 辻発彦
90年の日本シリーズはいまだにトラウマ正に野球感が変わった
ホークスファンです。デストラーデさんが西武ライオンズのユニフォームを着て指導者になったらマジで嬉しい🎵😍🎵です。
まさにこの頃からの西武ファンです😊今年は最強西武の面影はどこへやら、最下位を独走中ですが…😂栗山、中村が頑張るうちは応援し続けますけどね🫡
西武黄金時代を知らない世代やからめちゃくちゃ勉強になった
90年代のパ・リーグは西武黄金時代でした。森祇晶監督時代は毎年日本シリーズに進出していた印象が強いです。秋山、清原、デストラーデのクリーンナップは脅威でした。ちなC
私が小中高生と西武の黄金期でした。西武が負けた翌日は「調子悪リ」~と言っていました。高校生の時は、間寛平さんが言っていた「誰がじゃなぜじゃどうしてじゃ」と言っていました。昨日2024年(令和6年)6月26日(水)県営大宮球場の西武🆚日本ハム戦を観にいってきました。延長12回、2🆚2の引き分けでした。
この黄金時代って女子人気もすごくて、それほど野球に興味ない小学生の女子でさえライオンズの帽子欲しがってた
クールな選手が多かったのもあるかも。渡辺久信や秋山幸二とか。
個人的には森監督時代の方が印象的。西武がはじめて優勝した小学生低学年だったけど、高校卒業するまで毎年のように優勝してたので、もう西武が優勝・日本一になるのが当たり前だった。86年~88年の三連覇と90年からの連覇があるが、最強という意味では後者の方か。でも見てて面白かったのは80年代の方だったかな。デストラーデやリリーフが整備された90年代の方は圧倒的すぎるぐらい強かった。もし今のようにCSがあったら優勝を逃した89年も日本シリーズに出てたと思う。
1:001951-1972年 西鉄ライオンズ1973-76年 太平洋クラブライオンズ1977-78年 クラウンライターライオンズ※1973-78年の球団運営会社は、中村長芳社長(球団オーナー)の福岡野球株式会社でした。太平洋クラブとクラウン(ガス)ライターの両社はライオンズの親会社ではなく、福岡野球株式会社とスポンサー契約を結んでいました。ライオンズ低迷の要因としては、西日本鉄道(西鉄)がライオンズを手放すキッカケとなった、「黒い霧事件」の影響でしょうね。
森さん、優秀なんだな。
横浜ベイスターズでは最下位にもなってるから、森監督が優秀というよりは、西武の選手達が優秀やったって感じかな。
@@Hana_Katsuo 単に横浜のチームカラー(ファンも含め)と森監督の野球が合わなかっただけな気がします。あれだけ西武をリーグ制覇&日本一に導いた監督を優秀ではないとしたら優秀と呼べる監督は皆無になるでしょう
西武のショートの系譜が凄いよ思うわ時期
強い。
強くなる為の土台を築いたのは、間違い無く広岡さんだと思います😌。
早稲田の後輩の金森さんをドンちゃん、工藤さんを坊やとかあだ名つけてかわいがっていましたね。
本当にこの頃のライオンズがきっかけで野球をライオンズを大好きになり、今でもライオンズ愛を持ち応援しています。堤は最悪なオーナーでしたが、チームは最高でした!😏ライオンズファンの為の動画をつくってくださり、ありがとうございます。最後に言われていたようにもう一度強いライオンズ復活すればパ・リーグの野球は面白くなる事間違いないですね😆
堤義明とウォルトディズニーって似ているよなぁ、人格最悪だけど手腕は敏腕な所が…。
西武になってから今が最大の低迷期に見えますあのときのメンツの控えだけでもいま居たらなあ
西武の黄金時代の時はファン😮でした
秋山清原デストラーデのクリーンナップ、エグないですか
デストラーデ前のバークレオと組んでいたAKB砲も、相当な破壊力があった。
リクエストっす!阪急黄金時代お願いします🙇
5:01広岡達朗氏が、西武ライオンズの監督に就任して早々の選手への挨拶がこれでした。
ありがとうございます!
こちらこそ、有難うございます!!
森監督は日本シリーズにも負け追い出されたにも拘らず退職金Ⅰ億円を貰ってた珍しいケース。
伊東勤やデストラーデが2桁盗塁するズルさ
俺の小学校時代(1989年~1994年)はほとんど西武ライオンズの優勝やった。
私の小学校時代(V9時代)は、プロ野球の優勝は巨人に決まっているものだと思っていた…
1989年は近鉄バファローズが優勝していましたので
@@山下敦士 ん?知ってますよ。だから俺の小学校時代“ずっと”ではなく“ほとんど”って書いてますよ。1989年~1994年が小学生で、そのうち1990年~1994年の5年間は西武の優勝ですからね。“ほとんど”西武優勝であってますよね?
@@Hana_Katsuo全くの同学年世代がいて驚き…今や40代のいい年したオッサンになっちまったが。
@@mrcitihunter2879 現役プロ野球選手は中日・中島ぐらいかな?あと誰か居ましたっけ?
今は囲い込み戦略が使えなくなりましたからこのような黄金時代の再現は難しくなりましたね。
それは今だったらコンプライアンス違反とかで大バッシングされますよ…。
巨人のV9だってレギュラーの大半はドラフトが無い時代いい選手は巨人が取り放題だった時代の賜物ですからね。
@@SHINOSHINTAROU1965年からドラフト会議が始まりました。甲府商業高校から巨人軍へ入団された堀内恒夫投手が、その一期生になります。
間違いなく歴代最強
伝説の常勝西武ライオンズ!秋山、清原、デストラーデの主砲工藤、渡辺、東尾、郭の守りが印象に残ってます、マジで強すぎた。後ライオンズが優勝すると両親が西武デパートに買い物に連れて行ってくれたな。
西武黄金時代はマジお世話になったぜ!!
現代において、このような弱点の一切存在しない黄金時代を築けるチームは必要だと思います。西武が強いのみならず、その牙城を崩しにかかった近鉄やオリックス・弱くても終盤の重要な試合で憎まれ役を演じたダイエーやロッテがいたからこそパ・リーグの繁栄や西武黄金時代に繋がったのではないでしょうか。確かに今現在は優勝チームがほぼ毎年変わり戦国時代のようになり「一つのチームだけ強過ぎて詰まらない」という事はなくなりました。しかし、昔みたく①不動の最強軍団②牙城を崩しにかかるライバル③最高の憎まれ役という構造があるからプロ野球界はより大いに盛り上がると感じます。つまり記録ではなく記憶に鮮明に残る世界となって欲しいのです。
日ハムの存在感が……😂
オリックスが三連覇したのに、まだこの西武になりきれないんだよな・・・・
87年の正遊撃手は清家選手です。
いつから何故レギュラーを外れたの?
@@Yankee-Tiffany さんなんか知らん間にいなくなった。
オーナーは金さえ出して口を出さないいのがチームをつよくする。オーナーや上層部がうるさいチームは勝て無い。
西武ライオンズ黄金時代でも、ヤクルトスワローズ次ぐ苦戦を強いられたセ・リーグのチームがあった。それは、広島東洋カープであった。西武は1986・1991年に広島東洋カープとの日本シリーズで大苦戦を強いられながらも、日本シリーズ制覇しました。😅
山崎裕之さん、懐かしいですね。母が小中とずっと同じ学校だったので異常なまでの運動能力と中学生の頃から毎日スカウトが来ていたという話をよく聞きました。当時の西武は本当に強くて、セパの11球団がいかに西武を倒すかという流れが楽しかったですね。後に西武系の選手が多く監督になるソフトバンクが強かった時代も同じ流れを感じましたね……
山崎裕之氏埼玉県上尾市出身の強打の二塁手埼玉県立上尾高校→東京オリオンズ・ロッテオリオンズ→西武ライオンズ
根本さんの作った基礎の優秀さがライオンズからホークスに移っているのは寂しい。球団の補強費も昔とは違うけどね。
昔の西武は反則それでもその西武に食らいついていけた近鉄も何気にエグい西武いなかったら近鉄が黄金期だったのかと思う
デストラーデは今でも西武のイベントに参加してくれてるし今でも西武ファンに愛されてる。
デストラーデと清原は今も仲が良いみたいです。
清原はデストラーデが帰国する際、毎年空港に見送りに行くほど仲が良いから冗談を言ってるだけで嫉妬しているわけではないみたい。
例えば金本が新井は死体蹴りが得意で勝負が決まった後に打つ。2005年は狭い市民球場の新井に本塁打王を取られたけど、本当は甲子園で40本塁打を打った僕の方が凄いと言ったのと同じように仲が良いから憎まれ口をたたいるのだと思う。
こないだのレジェンドマッチでもメヒアと和気あいあいだったもんな
それは凄い!ええ話や
デストラーデは一度は監督になって欲しいですね😊
絵でしかしてdb
92年の日本シリーズは個人的歴代No.1です。あれほど手に汗握る熱線を見せてくれた両チームに感謝。
そのころ、イチローさんは下積み生活...
初戦が杉浦の満塁サヨナラホームラン。2戦目は荒木が奮投も清原が4番の仕事で沈めて、3,4戦目も西武がとって、5戦目、6戦目は終盤で池山、秦が決めるドラマチックな展開で・・・。と今でも覚えていますが。肝心の7戦目で予備校に行ってしまったのですよね。あの名勝負見るために予備校はサボった方が良かったと後悔していますわ。
80〜90年代は毎年、西武球場の日本シリーズの記憶しか無いですね。当時は昼からの日本シリーズ、秋の澄み渡る空、秋の夕暮れが似合う球場でした。
乱闘した平沼は最近清原とテレビで共演して当時のことを懐かしそうに話していました。激しい乱闘も時間が経てばお互いに笑い話に出来るんだなと感じました。
平沼はあの乱闘で野球選手としては記録に残らなかった
自分を野球ファンの記憶に残してくれた。若い野球ファンは自分の事はほほ知らないが、清原と乱闘した投手と言ったらわかってくれるので、今はキヨに感謝していると言ってました。
昨年TVでナベQが秋山幸二と清原はライオンズの歴史を語る上で欠かせない存在。いつかは西武球団に戻ってきて欲しいと思っているから、フロントと二人が復帰する具体的な役職や復帰時期を交渉してると言ってました。
お二人がライオンズに戻って来てくれたら嬉しいです。
秋山さんが殿堂入りした際のスピーチで、西武時代を振り返りキヨは自分が盗塁をしやすいように、初球は必ず打たなかったり、自分のスタートが悪いとわざとファールを打ち自分の盗塁王をアシストしてくれたと感謝してたのを憶えてます。
森さんが清原のタイトルは黄金期に4番を務めたことだと言ってたけど、本当にその通りだと思うとも言ってたし、秋山と清原は互いを尊敬していたんだなと感じました。
主力の野手、投手がほとんど戦線離脱しないの本当にズルい(褒め言葉)
こういう献身的なバッティングで
あの成績はズル
AKD砲はデストラーデが5番に据えられていたのが最も大きいな⚾!
清原を立てる秋山の人徳が伝わる発言だと思います。
@@mistta610 まぁ確かに…
亡くなる直前に野村克也さんが、清原が潜在能力のわりに本塁打数を伸ばせなかったのは
努力を怠ったからではなく、彼が流し打ちを得意とする広角打法だったことや、黄金期の西武のチーム方針で右打ちを求められる環境だったことが大きい。
強い打球を効率よく飛ばすためにはフルスイングする必要があり、王や松井など歴代のホームランバッターはほとんどプルヒッターなので、フルスイング出来る環境だったら清原はもっと本塁打を量産出来たのではと週刊ベースボール誌の連載で述べてました。
清原が練習をしなかったから無冠だったというのは誤りだと思ってます。
栄光の終焉が野村ヤクルトとの92~93日本シリーズという二年連続同じカード、2年連続7戦目までもつれるという伝説の戦いというのもかっこいいね
92~93のシリーズは本当に見応えありましたね。
子どもの頃、毎年西武が優勝していた。
千代の富士もいつも優勝していた。
時は流れ、間もなく49歳になる。
本当にあの時の日本はほぼ全てが地球最強でとても楽しく暮らす事が出来ていた…。
しかし今はすっかり弱り果ててしまったなぁ…。
@@GravityFallsRyukyu
自民党に緊張感を与える野党が存在しなかったら…
わぁ 同い年ですか‼️
僕もこの森ライオンズのファンのまま
現在に至ります✌️
少し先輩の方々ですね。
でも、私も西武黄金時代が小学校という世代で、個人的にチームは阪神ファンなれど最強球団=西武、という事は私も他チームファンの友達も皆が認めるところでしたね。
@@racing_high
阪神ファンは(当時で言えば"トラキチ")西武がヤクルトに負けるまでは「西武に勝ったのは阪神だけやん😘」なんて自慢していたんですよね😁
この西武の黄金時代をリアルタイムで見ていた今年43歳のおっさんです。
このときのライオンズは冗談抜きで鬼畜の如き強さでしたね😅
本当に「実力のパ・リーグ」の強さの象徴だったと思います。
もしこの当時の助っ人外国人選手枠が今みたいに4人ぐらいまで増えてバークレオがスタメンで入ってたらさらに恐ろしい打線だったでしょうね😅
中日ファンですが87年の日本シリーズは今でも忘れられない。
選手だけでなくスコアラーも隙がなかった。
88年の中日との日本シリーズは西武の完勝だった。
それを知っているだけに今の西武を見ると悲しくなる。
秋山さん5月に絶好調でミスターメイと呼ばれてましたね。ホームランが美しかった。日本シリーズのバク宙ホームインは最高でした。
根本監督から広岡監督初期の頃の西武ライオンズを描いたがんばれタブチくんが面白くて好きだったな
森監督はオフシーズンのテレビ出演やインタビューでも自己主張をせず、淡々と、落ち着いて答える姿が印象的でしたね。
確かに森祇晶さんや広岡さんが監督してた頃は毎年優勝してたね。東尾修さん松沼兄弟、工藤公康さん、バッターとしては秋山さん清原和博さんデストラーデさん石毛宏典さん伊東勤さん、平野さん田尾安志さんと凄かったね。その後潮崎哲也さんに巨人から来た鹿取さんが抑えで大活躍でしたね。今じゃ打てない打線打たれるピッチャー抑えのいないんじゃ勝てないよね。
清原はチームプレーを大切にする選手だったと長嶋監督や森監督が称賛してました。
選手の全打席を記録をしていた伊原コーチも清原は無冠だったが、得点圏では基本的にセンター返し、追い込まれたらバットを短く持って逆方向に進塁打を打つなど個人記録を犠牲にしてまでチームプレーに徹していたので首脳陣からの評価は高かったと言ってたな。
森監督の野球は玄人好みの野球をしてましたね。
ランナーが出たら進塁打やバントでランナーを進めて、犠牲フライや内野ゴロでランナーを返す。勝ち越したら鉄壁の守備と投手陣で守り切るような野球だったから山賊打線みたいに派手さはなかった印象です。
辻さんが黄金期時代の選手は首脳陣が出したサインを忠実に実行する駒の役に過ぎなかったから試合に勝っても、負けてもあまり嬉しくも悔しくもなかったと著書に記載してた。バントだけでも三塁線、一塁線のバント、セーフティーバント、送りバントなど複数のサインがあり、カウントごとに別のサインが出るから大変だったらしい。
ふーん、そうだとすると、ではなぜ30歳という最も充実した年齢の時に巨人にいって32本しか打てなかったのさ?
清原が巨人に行かずに あのスリムなまま 現役続けていたら
もっと結果できてたんだろうなぁーそんな世界線も見てみたかった。
清原は巨人に行って夢が叶ってしまったからなー 😢
けど一番好きな選手なのは変わりません。 西武時代清原 本当にかっこよかったし
本当に森 西武強かった
すぐに足が痛くなって、ほとんど働かない……そんな身体になってしまいました
2001年の121打点はすごかったですけどね……自身初の100打点以上(←意外にも)で、あの松井秀喜よりも高い!
けど、ペタジーニに打点王を持って行かれてしまった
清原が潜在能力のわりに、本塁打数を伸ばせなかったのは努力を怠ったからではなく、清原が流し打ちを得意とする広角打法だったことや黄金期の西武のチーム方針で右打ちを求められる環境だったことも大きいと思う。
強い打球を効率よく飛ばすためにはフルスイングする必要があり、歴代のホームランバッターはほとんどプルヒッターなので、フルスイング出来る環境だったらもっと本塁打を量産出来たんだろう。
近鉄だったらどうなってただろうか?
88年清原の発言に漢気を感じた仰木さんが清原の引退の花道を作ったのは有名ですね。敵ながら漢と漢達の戦い。古き良きパリーグですね
清原の義理堅く情に厚い一面を表したエピソードですね。
清原はopsや最高出塁率のリーグ一位を複数回取っているし、本塁打や打点の通算成績は歴代でも5本の指に入るほどの成績なので充分大成したと思う。 また清原はかなり四球を選ぶ待球型の打者なので打数が少ない。
四球を選ぶまで待たず、積極的に打ちにいくタイプだったら、本塁打や打点はもっと伸びたと思う。
出塁率4割超なんて誰も注目しなかった時代にそういうプレーをしているということは、自分の成績だけを追い求めてプレーしていたのではなく、黄金期西武のチーム至上主義の野球を体現していたプレイヤーだったと思います。
清原は本塁打王は獲ってないけど、彼より本塁打を放った選手は歴代で4人しかいないし安定して成績を残せたことは凄い。
トラウトは主要タイトルは打点王を一度しか取ったことがないけど、安定したopsの高さから世界一の打者と評価されていたのと同様に、清原も通算opsが9を超えるほど出塁率や長打率の高さが長所の選手なので超一流選手だったことは間違いない.。
本塁打王取ってないのホンマに凄いよな
天才
森西武の時に現役で後に監督になった選手
東尾、森繁、伊東、秋山、工藤、渡辺久、大久保、田辺、石毛、辻
やっぱり野村、森両監督は凄い人材を育てたな。
@@鳥羽莉姫
中日ドラゴンズに人材をほとんど残せず、ドラゴンズを再起不能の焼け畑にしてしまった、「名将面している」落合博満氏とは対照的ですね(爆笑)
郭泰源も台湾で監督になってますよね!
こんばんは。なかなか面白い事に気づきましたね!移籍選手ですが、田尾選手も該当しますね。
やっぱり種蒔き時期って大事ですね!今後のライオンズも強くなってほしい👌
清原さんは最近プロ野球のキャンプで臨時コーチを任されたり、プロ野球ニュースに出演するなど野球界に復帰出来て良かった。
現在は社会人チームや大学の野球部でコーチを任されていると聞くけど、これからも自分の技術や経験を若い選手に伝えることで球界に貢献して欲しい。
黄金時代の司令塔、伊東勤が25年連続Aクラスに入るくらいには強かったな
やっぱり根本さんは寝業師だな… 今だったら絶対できないけど生き馬の目を抜くしあっと驚くやり方で選手集めしてるのは凄いな
巨人ファンですが、森監督時代の西武に巨人は全く勝てなく、オープン戦ですら巨人には負けは絶対許さない、という西武側の空気を感じていました。
恐らく常勝球団と呼ばれるチームは、当時の西武を最後にもう現れないかもしれませんね。
87年は王監督が、ダメ。90年は藤田監督が、屈辱の4連敗。やっと西武にシリーズで勝ったのは94年の長嶋監督でした。
1989年は燃え尽き症候群ではなく、伊東捕手が怪我で開幕に間に合わなかったことが大きく影響して低迷。
徐々に順位を上げていくが、抑えが決まっていなかったことが大きく響き優勝を逃しました。
翌年、抑えを、鹿取と潮崎で、強化しました。
西武=このブルーのユニフォームですよね😊今のユニフォーム何年経っても違和感ある😂
かっとばせキヨハラくん面白かったなぁ
やはり
世代交代
継ぎ足し継ぎ足しと
車懸りの陣が如く
選手を入れ替えないと
たとえ常勝軍団といえども危うい
というのが理解できました。
廣岡監督時代の管理野球。と言われてます。
なにも私生活のみではなくて練習の厳しさもありましたね。
工藤公康さんの著書で、この頃の練習が記されてますが
まぁーーーー
読んでるこっちが気分悪くなるほどの練習量です😅
コーチ陣が廣岡監督に「このままでは選手が壊れます!」って進言しても
廣岡監督「大丈夫だ。選手は壊れない」と返したそうです。
実際。ケガ人はほとんど出なかったとのこと。
緊張感がそうさせたのか、みんなでなんとか乗り切った、とのことでした。
ちなみに工藤投手のエピですが
内野ゲッツー等な連携練習で
「セカンドベースを見ないで、足でベースを擦らせて、他のベースに投げる」という練習があり
「出来るわけねーじゃん!!💢」って思ったらしいのですが
身体がベースの位置を無意識帯で感知できるようになり、日本超最速の内野連携が出来るまでになったそうです。
一つ一つのプレーの最難関を徹底的にやらせ、体得して試合に勝ち続ける。
走攻守全てが高いレベルと、それを実現して行く、ものすごい体力を持ち合わせた選手達と、それを最高に指揮することできる名将ががいた。それが西武ライオンズ。
黄金期初期の田淵さん、山崎さん、太田卓さん、片平さん、スティーブ、テリー。
低迷期の中、これらの選手を揃えた根本さんと厳しく指導し能力を最大限引き出した広岡さん。今の西武でも、フロントと指導者が本気でチーム強化を目指せば、来シーズン日本一だって可能なのです。
よくこの後暗黒時代にならずに、松井稼頭央や鈴木健、西口文也、マルティネスなどが出てきて、保ったのもあっぱれ
監督になった時は折り合いが良くなかった広岡氏にディスられたけど、7年もやって一度もBクラスにならなかった東尾氏も普通に有能でしたね。最後に日本シリーズに出場したのはもう16年も前である今から見ると尚更・・・・・・でもありますが・・・・・・・・・
西武のスカウト力や編成力はとにかくずば抜けていた。だから主力が多く抜けても、すぐ後釜を添えられる体制が整っていた。恐らく、当時の堤オーナーの資本力やプレッシャーも大きく影響していただろうな。
堤オーナーがいなくなり、西武グループの力が弱まるのと比例してライオンズも弱くなっていった…
@@shob9448 堤義明みたいな人は令和には絶対に合わないでしょうね。だって「定休日がほしい管理職はいりません」って言葉を残しているし、ミスしようもんなら、めちゃくちゃ怒鳴られるらしい。今なら訴えられて、辞任でしょうね
@@com579216年前!?今でも覚えてるよ…あの平尾のセンター前タイムリー…
2024年時点で「最も日本シリーズから遠ざかった」球団となってしまいました。(涙)
この時西武は強すぎました。
秋山や清原などがいても、打率がリーグ最下位が信じられませんでした。
これだけ一つのことを上手くまとめた動画は見たことない。
素晴らしい!
つまらんミスとかもなくて、
まさにプロっていう、ほんと惚れ惚れするチームだったなぁ。
西武黄金時代は川上さんのV9野球と似てました。ドジャース戦法を取り入れて、守りかつ野球。ONの巨人は脇役に柴田、高田、土井らがいました。西武はAK砲を支えていた石毛、辻、伊東がいました。その後西武黄金時代を経験したかなりの数の選手が監督経験しています。川上さんのそつのない野球は永遠に不滅です。
強かった頃の西武って何故か静岡県の三嶋大社に優勝祈願のお詣りを森監督はじめチーム全員が毎年来てたんだよな。地元民からするともっと全国的にメジャーな神社に行くものだと思って不思議だったなぁ。
松坂もそこで結婚式を挙げましたね
黄金時代だったころ、印象に残ったのは、清原vs近鉄野茂、ロッテ伊良部との名勝負だったなぁ。
秋山清原デストラーデがいた時代が一番好きだったなあ😊
1982〜2006までの25年間全てAクラスは驚異的すぎる
常勝軍団過ぎる
根本さんは宝石の原石の発見、発掘する能力がずば抜けていましたね。広岡さんは宝石の原石を宝石に磨き上げる能力がすごかったです。森さんはその宝石を指輪やネックレスや王冠などイロイロ活かす能力がありましたね!
今のスカウトが再現してほしい。
こんな黄金時代の西武に対し唯一リーグ優勝阻止したのは89年の近鉄バッファローズだけです。
もし近鉄の優勝が無ければ、85年から94年まで10年連続リーグ優勝の新記録でした。
@@古橋洋光-u5s 89年は抑え不在が響き、V逸。90年は鹿取と潮崎が抑えに定着しV奪回。
圧倒的な投手陣と鉄壁の守備
30年以上野球を見てるが、1番野球のレベルが高いチームだと思う
それに対抗したヤクルトも頭を使った野球で凄かったし、あの激戦を超える戦いはなかなかない
イチローさんが言うには、プロ入団して1軍に呼ばれた頃に(おそらく1992年)、西武は緊張感があって本当に隙が無い野球をやっていたと。
ホント西武黄金時代のユニフォームはカッコ良いな!特にビジター用のライトブルーは斬新だけど超カッコ良過ぎる🚊⚾︎🦁
今は西武も低迷期に入ってますけど、まずユニフォームを黄金期のライトブルーに戻したらどうでしょうか? 🦁🩵
@@佐藤孝一-h2z
ユニフォームだけ黄金期に戻しても、主力選手が次々とFA宣言して、チームを出て行ってしまう様では…
AKB砲が好きでした。
ホントにカッコいいですっ!
やはり西武の強さを象徴するのは、90年の日本シリーズではないだろうか。
当初は巨人が有利と言われていたが、走攻守全てにおいてレベルが違いすぎた。
自分は西武、巨人のファンではないが、西武の4戦4勝、全ての試合において完勝、あまりの強さに愕然とした記憶がある。
この時代の西武ライオンズ黄金時代は
球団を所沢に移転してからあまりにも全てが上手く行き過ぎてるぐらい黄金時代を引っ張るスター達、名将が揃って行く。
秋山や工藤は常に殺伐としていた黄金時代の西武のロッカールームの雰囲気しか知らなかったので、ロッカールームで将棋を指している選手が居たりと緊張感が無くユルユルなダイエーの雰囲気に愕然としたとか。
なお、その将棋を指していた選手はソフトバンクの前任の監督という噂が…
辻平野秋山清原デストラーデ石毛〇〇伊東田辺
という7番レフト以外、ガッチリ固まってたオーダー好きだった☺️
あの頃の西武は他球団からしたら絶望感しかないくらい強さがあったが、最強の面子がそのまま現代にワープしても流石に30年以上の年月が経っているからソフトバンクはおろか中日と互角くらいなんかな
@@渡邊よしひろ-n9j いやいや今のプロ野球チーム達相手でも毎年ずっと普通に優勝争い出来る程にやっぱり強いよ。特にこの最強時代の西武の選手達のフィジカルは今の選手達にも見習って欲しい程にバケモノだから…。だって夜遊びや女遊びや深酒🍶やタバコ🚬やっていても普通に高いパフォーマンス出して優勝し続けていたんだぜ…、それはバケモノだろうよ…。
ソフトバンク全盛期は外人4人デスパイネグラシアルモイネロサファテのうち2人マイナス条件
もし外国人選手枠が今みたいにもっと増えてレフトにバークレオが入っていたらもっと恐ろしい打線だろう😅
@@石山和幸-n9vさん。
バークレオが6番レフトならば(背番号ごと)7番石毛。日本シリーズのセ・リーグ本拠地では、サード清原ショート石毛で対応する最強フォーメーション完成。
西武黄金時代にブライアントの4発でパ・リーグ10連覇を阻止した近鉄凄すぎ
対ヤクルトスワローズとの、2年連続での日本シリーズのころ、本当に面白かった。
本当に頭脳派の野球ファンがもっともしびれた2年間だったと思う。
秋山のコンバート、平野の加入で
当時の「史上最強の右中間」が出来たんですね。
秋山幸二選手を、三塁手から中堅手へコンバート
平野謙外野手を、小野和幸投手との交換トレードで、中日ドラゴンズから獲得。
まさに「鉄壁」という言葉が本当に当てはまる2人でしたね。😊
ちなみに工藤公康氏と秋山幸二氏はソフト🦉監督として強すぎた西武🦁みたいな黄金時代作り上げた
ライオンズの黄金時代は親会社の西武グループのそれと同じ、プリンスホテル、スキー場ゴルフ場大盛況。現在の低調がそれを現してる。
@@harushi440428
堤義明社長の「国土計画株式会社(後の株式会社コクド/堤義明氏が失脚した後に、プリンスホテルに合併されて消滅)」
@@harushi440428
「国土計画株式会社(後の株式会社コクド/堤義明氏が失脚した後に、プリンスホテルへ吸収合併)」
壮大な歴史絵巻のようなナレーションや編集で最後まで観てしまった😳
清原和博の全盛期は改めて見てやはり凄いと思う
今でもNPB史上落合博満と二人しかいないとされる
逆方向への狙って打ちまくれるホームランは浪漫の塊
広岡監督時代にテリーにスティーブ森監督にデストラーデの前にブコビッチとバークレオと懐かしい気持ちになる😊昭和から平成に時代が変わって貧乏弱小球団の南海をスーパーのダイエーに売却し福岡移転した成金球団が本拠地移転10年後リーグ制覇.日本シリーズ制覇、西武を強くし福岡移転後のホークスを常勝球団にし人気薄のパ.リーグを変えた根本陸夫さんはパ.リーグのオーナー達の経営意識を変えパ.リーグに革命を起こした功労者やと思う。(大阪の巨人ファン)
1989年はデストラーデがもっと早く加入またはダイエー戦で大量リードしていたのを大逆転負けされてなければ、僅差でリーグ優勝できてたのが残念だった
森さんもあのダイエー戦を逆転負けされたことを後のインタビューやイベントで語ってますし、勝ててれば85-94のパ・リーグ10連覇していたのが見てみたかったです
3位といっても、首位と0.5差だもんね。
あの時のブライアントは神だったから仕方ない。
ブライアントの4連発より、その前のダイエー戦での大逆転負けを悔やんでましたね。
@@Ys-xb4oq 3回で8-0(だったかな?)をひっくり返されたヤツですね。
@@glm795crp3dt 失礼ですが、当時のダイエーやロッテは優勝争いとは無縁のチ-ムだったので痛恨の逆転負けです。
しかし、首位と0.5差届かないのが、西武時代の森監督の最低成績、というのは凄いですね。
森監督は好きだったなー
森監督の本を買うくらい好きだったなー
私の親父は、森祗晶と広岡達朗はガチガチの管理野球とブツブツ陰湿に批判して人を貶すのが嫌で嫌いだと言っていました…。(後、暗いからと言う理由で権藤博氏も…。)
~覇道 心に刃をのせて~
森祇晶氏の著書ですね!
西武黄金時代の屋台骨を
支えた当時の選手たちの
写真も掲載されているし
たまに読み返しています。
今の成績を根本さんが見たら「40年前に逆戻りや」と嘆いてるんじゃないだろうか。
ちょうど黄金期に応援団にいました
ホントこの頃は凄かったですね
チームだけじゃなくて応援団もイケイケでした
福岡だったけど
元いた球団なだけあって人気はありました
この当時一番思い出に残るのは
日本シリーズの時の清原の涙かな
89年は正捕手伊東がケガで開幕アウトだったことが大きいし、新人王森山の故障、工藤とバークレオが不振だったことが大きく、『燃え尽き症候群』ではないことは声を大にして訴えたい。
そもそもそうなるチームは連覇自体できない
それでも僅差での3位フィニッシュ、それもブライアントのあの奇跡の猛打超爆誕が無ければ西武10ゲーム差からの大逆転優勝だったんだぜ…、それは憎い程に強かったハズだよ…。
発足から西武ライオンズファン
「ガンバレ!タブチくん」がきっかけだけど
幼稚園の年少だった
小学校で一人、西武の帽子で浮いていたなぁ
巨人に日本シリーズで勝ってからは学生時代に嫌な思いない
ずうっと勝ってた
とにかく強くて強くて
バント論争あったが、野球を知ったのはすべて西武ライオンズだった
本当にありがとうとしか言えない
根本→廣岡→森ラインは永久に讃えられる実績。ソフトバンクですらこれを超えていない
@@gato_5ch
王→秋山→工藤→藤本→小久保
初見です、平成前期の西武は強いってイメージがあります、黄金時代が終わった後の97年98年もリーグ連覇、02年04年も優勝したので、改めて西武ってすごい球団だと思いました
高木大成の時代とカブレラの時代。
パリーグのベスト9がそのまま西武のレギュラーだった時代。
適材適所で打順もポジションもピタッとハマってたな。
88年にバークレオがいたときは、AKB砲でしたからね。
当時のパ・リーグは「西武とそれ以外」正にそんな状態だった
たまーーーに近鉄との一騎打ちになるくらいでしたね
オリックスがそこに割って入る。
最後の年に、イチローさんが...!!
誰かが言ってた。「西武と仰木監督」って。
調べてみたら1985年~1998年までの間、パ・リーグ優勝は西武か仰木監督が率いた近鉄、オリックスやった。
西武ライオンズ黄金時代のオーダー
1.二 辻発彦
2.右 平野謙
3.中 秋山幸二
4.一 清原和博
5.指 オレステス・デストラーデ
6.三 石毛宏典
7.左 阿部理(吉竹春樹)
8.捕 伊東勤
9.遊 田辺徳雄(清家政和)
当時の近鉄も大石・新井・ブライアント・石井の1番から4番までなら
西武のそれと比べてそう劣るものでもなかったが、5番以下の面子の差がでかかった。
安部や田辺にはいいところでやられた印象がある。
石毛は一番のイメージが強い
@@澤満知子-b6n
このオーダー(1988年)の方ですね。
1.三 石毛宏典
2.右 平野謙
3.中 秋山幸二
4.一 清原和博
5.左 安部理
6.指 タイラー・リー・バン・バークレオ
7.捕 伊東勤
8.遊 清家政和
9.二 辻発彦
90年の日本シリーズはいまだにトラウマ
正に野球感が変わった
ホークスファンです。デストラーデさんが西武ライオンズのユニフォームを着て指導者になったらマジで嬉しい🎵😍🎵です。
まさにこの頃からの西武ファンです😊
今年は最強西武の面影はどこへやら、最下位を独走中ですが…😂
栗山、中村が頑張るうちは応援し続けますけどね🫡
西武黄金時代を知らない世代やからめちゃくちゃ勉強になった
90年代のパ・リーグは西武黄金時代でした。森祇晶監督時代は毎年日本シリーズに進出していた印象が強いです。秋山、清原、デストラーデのクリーンナップは脅威でした。ちなC
私が小中高生と西武の黄金期でした。西武が負けた翌日は「調子悪リ」~と言っていました。高校生の時は、間寛平さんが言っていた「誰がじゃなぜじゃどうしてじゃ」と言っていました。昨日2024年(令和6年)6月26日(水)県営大宮球場の西武🆚日本ハム戦を観にいってきました。延長12回、2🆚2の引き分けでした。
この黄金時代って女子人気もすごくて、それほど野球に興味ない小学生の女子でさえライオンズの帽子欲しがってた
クールな選手が多かったのもあるかも。
渡辺久信や秋山幸二とか。
個人的には森監督時代の方が印象的。
西武がはじめて優勝した小学生低学年だったけど、高校卒業するまで毎年のように優勝してたので、もう西武が優勝・日本一になるのが当たり前だった。
86年~88年の三連覇と90年からの連覇があるが、最強という意味では後者の方か。
でも見てて面白かったのは80年代の方だったかな。
デストラーデやリリーフが整備された90年代の方は圧倒的すぎるぐらい強かった。
もし今のようにCSがあったら優勝を逃した89年も日本シリーズに出てたと思う。
1:00
1951-1972年 西鉄ライオンズ
1973-76年 太平洋クラブライオンズ
1977-78年 クラウンライターライオンズ
※1973-78年の球団運営会社は、中村長芳社長(球団オーナー)の福岡野球株式会社でした。
太平洋クラブとクラウン(ガス)ライターの両社はライオンズの親会社ではなく、福岡野球株式会社とスポンサー契約を結んでいました。
ライオンズ低迷の要因としては、西日本鉄道(西鉄)がライオンズを手放すキッカケとなった、「黒い霧事件」の影響でしょうね。
森さん、優秀なんだな。
横浜ベイスターズでは最下位にもなってるから、森監督が優秀というよりは、西武の選手達が優秀やったって感じかな。
@@Hana_Katsuo 単に横浜のチームカラー(ファンも含め)と森監督の野球が合わなかっただけな気がします。あれだけ西武をリーグ制覇&日本一に導いた監督を優秀ではないとしたら優秀と呼べる監督は皆無になるでしょう
西武のショートの系譜が凄いよ思うわ時期
強い。
強くなる為の土台を築いたのは、間違い無く広岡さんだと思います😌。
早稲田の後輩の金森さんをドンちゃん、工藤さんを坊やとかあだ名つけてかわいがっていましたね。
本当にこの頃のライオンズがきっかけで野球をライオンズを大好きになり、今でもライオンズ愛を持ち応援しています。堤は最悪なオーナーでしたが、チームは最高でした!😏
ライオンズファンの為の動画をつくってくださり、ありがとうございます。最後に言われていたようにもう一度強いライオンズ復活すればパ・リーグの野球は面白くなる事間違いないですね😆
堤義明とウォルトディズニーって似ているよなぁ、人格最悪だけど手腕は敏腕な所が…。
西武になってから今が最大の低迷期に見えます
あのときのメンツの控えだけでもいま居たらなあ
西武の黄金時代の時はファン😮でした
秋山清原デストラーデのクリーンナップ、エグないですか
デストラーデ前のバークレオと組んでいたAKB砲も、相当な破壊力があった。
リクエストっす!阪急黄金時代お願いします🙇
5:01
広岡達朗氏が、西武ライオンズの監督に就任して早々の選手への挨拶がこれでした。
ありがとうございます!
こちらこそ、有難うございます!!
森監督は日本シリーズにも負け追い出されたにも拘らず退職金Ⅰ億円を貰ってた珍しいケース。
伊東勤やデストラーデが2桁盗塁するズルさ
俺の小学校時代(1989年~1994年)はほとんど西武ライオンズの優勝やった。
私の小学校時代(V9時代)は、プロ野球の優勝は巨人に決まっているものだと思っていた…
1989年は近鉄バファローズが優勝していましたので
@@山下敦士
ん?知ってますよ。だから俺の小学校時代“ずっと”ではなく“ほとんど”って書いてますよ。1989年~1994年が小学生で、そのうち1990年~1994年の5年間は西武の優勝ですからね。“ほとんど”西武優勝であってますよね?
@@Hana_Katsuo全くの同学年世代がいて驚き…今や40代のいい年したオッサンになっちまったが。
@@mrcitihunter2879
現役プロ野球選手は中日・中島ぐらいかな?あと誰か居ましたっけ?
今は囲い込み戦略が使えなくなりましたからこのような黄金時代の再現は難しくなりましたね。
それは今だったらコンプライアンス違反とかで大バッシングされますよ…。
巨人のV9だってレギュラーの大半はドラフトが無い時代いい選手は巨人が取り放題だった時代の賜物ですからね。
@@SHINOSHINTAROU
1965年からドラフト会議が始まりました。
甲府商業高校から巨人軍へ入団された堀内恒夫投手が、その一期生になります。
間違いなく歴代最強
伝説の常勝西武ライオンズ!
秋山、清原、デストラーデの主砲
工藤、渡辺、東尾、郭の守り
が印象に残ってます、マジで強すぎた。
後ライオンズが優勝すると両親が西武デパートに買い物に連れて行ってくれたな。
西武黄金時代はマジお世話になったぜ!!
現代において、このような弱点の一切存在しない黄金時代を築けるチームは必要だと思います。
西武が強いのみならず、その牙城を崩しにかかった近鉄やオリックス・弱くても終盤の重要な試合で憎まれ役を演じたダイエーやロッテがいたからこそパ・リーグの繁栄や西武黄金時代に繋がったのではないでしょうか。
確かに今現在は優勝チームがほぼ毎年変わり戦国時代のようになり「一つのチームだけ強過ぎて詰まらない」という事はなくなりました。
しかし、昔みたく①不動の最強軍団②牙城を崩しにかかるライバル③最高の憎まれ役という構造があるからプロ野球界はより大いに盛り上がると感じます。
つまり記録ではなく記憶に鮮明に残る世界となって欲しいのです。
日ハムの存在感が……😂
オリックスが三連覇したのに、まだこの西武になりきれないんだよな・・・・
87年の正遊撃手は清家選手です。
いつから何故レギュラーを外れたの?
@@Yankee-Tiffany さん
なんか知らん間にいなくなった。
オーナーは金さえ出して口を出さないいのがチームをつよくする。オーナーや上層部がうるさいチームは勝て無い。
西武ライオンズ黄金時代でも、ヤクルトスワローズ次ぐ苦戦を強いられたセ・リーグのチームがあった。
それは、広島東洋カープであった。
西武は1986・1991年に広島東洋カープとの日本シリーズで大苦戦を強いられながらも、日本シリーズ制覇しました。😅
山崎裕之さん、懐かしいですね。母が小中とずっと同じ学校だったので
異常なまでの運動能力と中学生の頃から毎日スカウトが来ていたという話をよく聞きました。
当時の西武は本当に強くて、セパの11球団がいかに西武を倒すかという流れが楽しかったですね。
後に西武系の選手が多く監督になるソフトバンクが強かった時代も同じ流れを感じましたね……
山崎裕之氏
埼玉県上尾市出身の強打の二塁手
埼玉県立上尾高校→東京オリオンズ・ロッテオリオンズ→西武ライオンズ
根本さんの作った基礎の優秀さがライオンズからホークスに移っているのは寂しい。球団の補強費も昔とは違うけどね。
昔の西武は反則
それでもその西武に食らいついていけた近鉄も何気にエグい
西武いなかったら近鉄が黄金期だったのかと思う