【セ・パ分裂】プロ野球の2リーグ制移行に関する雑学【1949年再編問題】【3分でゆるく解説】

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  • Опубликовано: 14 ноя 2024

Комментарии • 14

  • @tsubapyonnikthann8841
    @tsubapyonnikthann8841 13 часов назад +12

    怪我の功名!
    1つの争いが、
    野球をここまで盛り上げた。

  • @ketchy5484
    @ketchy5484 12 часов назад +14

    今じゃ考えられないけど、戦前の野球選手は現代風に言うと「野球という遊び(または学生のうちに卒業しておくべきもの)を職業と称して大人になっても続けてるクズニート共の集まり」って思われてたからな。
    そんな時代でもプロとして真摯に野球と向き合っていた人からすれば、戦後の娯楽が少ない時期に急激に人気の上がったプロ野球に「俺も混ぜて」と言って来るのは腹が立つという気持ちも分からんではない。

    • @しょう-f8m8o
      @しょう-f8m8o 11 часов назад +1

      確か、プロ野球黎明期の頃は職業野球選手でなくなっても食べるのに困らないようにと一般社会に出ても通用する職業教育的な事も並行してやっていたという話を聞いたことがあります

    • @三十三対四間堂
      @三十三対四間堂 5 часов назад

      一昔前までのプロゲーマーのような立ち位置と聞きました。
      学生の遊びを大人になってもやめられない人達という認識の人も多かったようです。
      本当にミスターはプロ野球を人気にしてくれたよ。

    • @デマ田ゴギ太郎
      @デマ田ゴギ太郎 Час назад

      ​@@しょう-f8m8oそれは、日本初のプロ野球チームと言われる日本運動協会の話ですね。
      当時、大学野球の高まりからスター選手が過剰にもてはやされ、人として横道に逸れるような選手が増えていたという問題がありました。
      これに早大OBの方が「学生の模範となる大人の球団を作ろう」と発案し、アメリカのプロチームを参考にしながら設立したのが日本運動協会でした。
      選手は学生の模範たりうる人間であることが求められ、募集の際には面接があったそうです。学業に関しても、大学生の模範になるという目的のために選手への教養教育が行われていました。
      要するに、大学生に舐められない大人を作り上げたかったわけですね。
      日本運動協会は後に経営難から阪急が引き取って宝塚運動協会となり、その後やはり経営難に陥って解散しますが、その際学んだ簿記などの教養を活かしてそのまま阪急に雇ってもらった選手が複数人おられたそうです。

  • @志生菜
    @志生菜 10 часов назад

    阪神はセリーグに残ったかわりに
    毎日に主力選手をとられその影響もあり初代日本一は毎日がなった

  • @owata13
    @owata13 13 часов назад +10

    やっぱりファンは巨人を目の敵にしてるけど球団としてはある意味相愛なのってここからなんやなと

  • @toramake1535
    @toramake1535 4 часа назад

    こう見ると、讀賣中日に毎日はるか後年だけどサンケイ、と大手新聞社のほとんどが球団を持ってきた中
    朝日が参入してこなかったのはどういった理由なんだろうか?(戦前の「朝日軍」は関係ないらしい)
    夏の高校野球のみで十分って考え方なのか?

  • @斉藤雄太-j4f
    @斉藤雄太-j4f 7 часов назад +1

    1リーグで一年だけでもまたやってみてもらいたいどんだ!戦いになるかみてみたい

  • @kaya_leo_lou
    @kaya_leo_lou 8 часов назад

    いや、読売の言う通りだよ

  • @山下功朗
    @山下功朗 11 часов назад +1

    こんばんは
    然し、毎日新聞がロッテに球団を身売りしたら阪神タイガースを贔屓してますからね。
    やはり毎日はセントラルが良かったのでは?😂

  • @kid22573
    @kid22573 10 часов назад

    今も昔も読売のやりたい放題w