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近年まで、公式な文書にも「分立」じゃなく「分裂」と書かれていましたからね。そんな喧嘩別れ状態で、よく初年度から日本シリーズ(当時は日本ワールドシリーズ)を開催できたものだ(オールスターは2年目からだったが)。
当時、社会人野球の強豪チームとして知られていた大洋漁業(現マルハニチロ)は毎日に戸倉勝城ら主力選手を引き抜かれた事からプロ野球参入を決断した。因みにこの時、設立されたプロ球団(まるは。1950年から大洋ホエールズ)に入れなかった選手達の救済策として全下関という球団が設立され1951年まで活動していた。
今じゃ考えられないけど、戦前の野球選手は現代風に言うと「野球という遊び(または学生のうちに卒業しておくべきもの)を職業と称して大人になっても続けてるクズニート共の集まり」って思われてたからな。そんな時代でもプロとして真摯に野球と向き合っていた人からすれば、戦後の娯楽が少ない時期に急激に人気の上がったプロ野球に「俺も混ぜて」と言って来るのは腹が立つという気持ちも分からんではない。
確か、プロ野球黎明期の頃は職業野球選手でなくなっても食べるのに困らないようにと一般社会に出ても通用する職業教育的な事も並行してやっていたという話を聞いたことがあります
一昔前までのプロゲーマーのような立ち位置と聞きました。学生の遊びを大人になってもやめられない人達という認識の人も多かったようです。本当にミスターはプロ野球を人気にしてくれたよ。
@@しょう-f8m8oそれは、日本初のプロ野球チームと言われる日本運動協会の話ですね。当時、大学野球の高まりからスター選手が過剰にもてはやされ、人として横道に逸れるような選手が増えていたという問題がありました。これに早大OBの方が「学生の模範となる大人の球団を作ろう」と発案し、アメリカのプロチームを参考にしながら設立したのが日本運動協会でした。選手は学生の模範たりうる人間であることが求められ、募集の際には面接があったそうです。学業に関しても、大学生の模範になるという目的のために選手への教養教育が行われていました。要するに、大学生に舐められない大人を作り上げたかったわけですね。日本運動協会は後に経営難から阪急が引き取って宝塚運動協会となり、その後やはり経営難に陥って解散しますが、その際学んだ簿記などの教養を活かしてそのまま阪急に雇ってもらった選手が複数人おられたそうです。
中京商の3連覇に貢献した野口投手は婚約相手の父から「プロ野球なんてもんに入るなら娘と別れろ」と言われてプロ野球を断念したし、そもそもプロ野球より圧倒的に六大学が観客多かったしね。
とは言っても当時の野球というのはかなり熱気があって「お金が絡まない野球こそ健全な育成と健全な心を宿す神聖なもの」として捉えられていてかなりアマチュア野球が神格化していたんですよ。そんなスポーツや野球をプロとしてましてや金儲けに使うのは言語道断。まるで風俗女と一緒だ!と当時の人は思ったんですよ。でもこのままではいつまでもアマチュア気分ではアメリカにいつまで経っても勝てないからこそ出来上がったのがプロ野球です。まぁ…メジャー最強メンバーが来るまでは殆どプロなんてものは見たことがなかったらしいですからね。
GHQの野球が大好きなマーカット少将の発案、後押しも。
怪我の功名!1つの争いが、野球をここまで盛り上げた。
ちょっと補足、2リーグ制に再編する時に毎日は阪神からエースの若林と捕手の土井垣と主砲の別当を引き抜いており阪神はリーグに残ったが弱体化するようになり、巨人も中日戦を重視するようになりました。
セントラルリーグは巨人国鉄(現ヤクルト)大洋(現DeNA)の東京リーグパシフィックリーグは南海(現ソフトバンク)阪急(現オリックス)近鉄(消滅)の大阪リーグ
オー、グレートセントラルエキサイティングリーグ、パ❗
こう見ると、讀賣中日に毎日はるか後年だけどサンケイ、と大手新聞社のほとんどが球団を持ってきた中朝日が参入してこなかったのはどういった理由なんだろうか?(戦前の「朝日軍」は関係ないらしい)夏の高校野球のみで十分って考え方なのか?
地方紙の西日本でさえ球団持ったのにね。
朝日は戦前軍部繋がり戦争賛成派で読売や毎日対立していたことと反米保守でプロスポーツ嫌いなことが理由
十分と言うか、高校野球(当時は中学か?)があるからプロ参入しなかった(orできなかった)んじゃないかな?当時はまだないだろうが、プロアマ協定的な問題、絶対起こるだろ
昔「野球害毒論」と言うのを出していたからかなぁja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E5%AE%B3%E6%AF%92%E8%AB%96
@@Phantom002100毎日新聞が参入できてるからそれはない
セ・リーグ→巨人、阪神、中日、松竹、大洋、広島、西日本、国鉄パ・リーグ→阪急、南海、東急、大映、毎日、西鉄、近鉄
阪神はセリーグに残ったかわりに毎日に主力選手をとられその影響もあり初代日本一は毎日がなった
別当、本堂、土井垣、呉、若林。
毎日の引き抜きなかったら阪神の歴史かなり変わってたやろ❗
この当時から「人気のセ 実力のパ」と言われていたのかしら?
ある雑誌で見たのですが、設立当時の毎日は「半身タイガース」と呼ばれていたそうな。
セは新規参入Xといいつつ新規参入認めたんかよ...なんのために分裂したんだよw
巨人と中日は「2リーグ分裂前」までは、気が合った時期があったんだね(笑)。
やっぱりファンは巨人を目の敵にしてるけど球団としてはある意味相愛なのってここからなんやなと
いや、ただの小判鮫やんw
プロ野球発足時からですよ。元々朝日新聞が夏の甲子園大会、毎日新聞が春の甲子園大会、都市対抗野球を主催していることにより、野球人気の高まりについていくように読売新聞も発行部数のため日米野球の招待だけでなく、職業野球開催への取り組みに非常に熱心だった。職業野球を開催するにあたって対戦相手は必須、その中で「東京対大阪」という構図を興行を行う上で強く望んだ。そこで白羽の矢が立ったのがノンプロで関西の強豪チーム阪神電鉄だった。阪急電鉄が既に宝塚運動協会というプロ球団を持っていたにもかかわらず。その理由の一つとして甲子園球場の存在が大きく、開催場所の確保だけでなくライバル社の朝日新聞と毎日新聞への牽制にも繋がるというのが狙い。また先にプロリーグを作ろうとしてることも面白くないと言う理由もあった。
中興の祖というものがある意味創業より難しいと言われる所以ですかな
この頃から読売は引き抜いてるのな
読売新聞や中日新聞の、時代を見る目の無さがよくわかる動画でした。
国際連盟構想ぶち上げたが自国が加盟しなかったアメリカのウィルソン大統領みたいな
なんでパシフィックなんだろう他にいい言葉なかったのかな
正力松太郎氏が公職追放になっていた理由は大東亜戦争のA級戦犯だったからですね。
こんばんは然し、毎日新聞がロッテに球団を身売りしたら阪神タイガースを贔屓してますからね。やはり毎日はセントラルが良かったのでは?😂
松竹ロビンズ辺りがパ・リーグとか?
毎日新聞社は球団をロッテに身売りしていません。大映スターズを吸収して大毎オリオンズとなった際に、既に球団経営熱が冷めた毎日は大映オーナー永田氏に球団経営を任せ撤退したのです。ロッテに身売りしたのは大映・永田の方です。
流石❗️正力松太郎😊【興行主】としては最高の案を出してら😂ただ、周囲の気持ちを理解しなくて失敗…というのも彼らしい😁
いや、読売の言う通りだよ
読売新聞って、渡辺恒雄やろ?正力オーナーに歯向かった男か。
今も昔も読売のやりたい放題w
来年は最下位なってほしいです。天国から地獄へ!八百長強奪の代償です
リーグ戦の下位2球団はリーグ入れ替えというルール創設はどうか。
1リーグで一年だけでもまたやってみてもらいたいどんだ!戦いになるかみてみたい
Jリーグみたいなものかな?なので降格があったりして。
歴史はともかく現状、野球の人気を盛り上げるにはどうしたらよいか親会社チーム諸々考えて欲しい。今もクライマックスに物申すヒトとか出てくる始末だし船頭多くして船山に登る、わけだ…例えば前のパ・リーグみたいに前期後期プレーオフとか、思い切って6✕2から4✕3→プラスワイルドカードで競うとか得失点差を導入するとか⚾チームが増えるとも考えにくいから今できそうなことで面白くできないだろうか🤔
得失点差の導入は反対。サッカーの様に得点が入らないのなら成立するだろうけど、野球では合わない。
短期決戦がやりたければ前後期制が良いかなぁ
近年まで、公式な文書にも「分立」じゃなく「分裂」と書かれていましたからね。そんな喧嘩別れ状態で、よく初年度から日本シリーズ(当時は日本ワールドシリーズ)を開催できたものだ(オールスターは2年目からだったが)。
当時、社会人野球の強豪チームとして知られていた大洋漁業(現マルハニチロ)は毎日に戸倉勝城ら主力選手を引き抜かれた事からプロ野球参入を決断した。因みにこの時、設立されたプロ球団(まるは。1950年から大洋ホエールズ)に入れなかった選手達の救済策として全下関という球団が設立され1951年まで活動していた。
今じゃ考えられないけど、戦前の野球選手は現代風に言うと「野球という遊び(または学生のうちに卒業しておくべきもの)を職業と称して大人になっても続けてるクズニート共の集まり」って思われてたからな。
そんな時代でもプロとして真摯に野球と向き合っていた人からすれば、戦後の娯楽が少ない時期に急激に人気の上がったプロ野球に「俺も混ぜて」と言って来るのは腹が立つという気持ちも分からんではない。
確か、プロ野球黎明期の頃は職業野球選手でなくなっても食べるのに困らないようにと一般社会に出ても通用する職業教育的な事も並行してやっていたという話を聞いたことがあります
一昔前までのプロゲーマーのような立ち位置と聞きました。
学生の遊びを大人になってもやめられない人達という認識の人も多かったようです。
本当にミスターはプロ野球を人気にしてくれたよ。
@@しょう-f8m8oそれは、日本初のプロ野球チームと言われる日本運動協会の話ですね。
当時、大学野球の高まりからスター選手が過剰にもてはやされ、人として横道に逸れるような選手が増えていたという問題がありました。
これに早大OBの方が「学生の模範となる大人の球団を作ろう」と発案し、アメリカのプロチームを参考にしながら設立したのが日本運動協会でした。
選手は学生の模範たりうる人間であることが求められ、募集の際には面接があったそうです。学業に関しても、大学生の模範になるという目的のために選手への教養教育が行われていました。
要するに、大学生に舐められない大人を作り上げたかったわけですね。
日本運動協会は後に経営難から阪急が引き取って宝塚運動協会となり、その後やはり経営難に陥って解散しますが、その際学んだ簿記などの教養を活かしてそのまま阪急に雇ってもらった選手が複数人おられたそうです。
中京商の3連覇に貢献した野口投手は婚約相手の父から「プロ野球なんてもんに入るなら娘と別れろ」と言われてプロ野球を断念したし、そもそもプロ野球より圧倒的に六大学が観客多かったしね。
とは言っても当時の野球というのはかなり熱気があって
「お金が絡まない野球こそ健全な育成と健全な心を宿す神聖なもの」として捉えられていてかなりアマチュア野球が神格化していたんですよ。
そんなスポーツや野球をプロとしてましてや金儲けに使うのは言語道断。まるで風俗女と一緒だ!と当時の人は思ったんですよ。
でもこのままではいつまでもアマチュア気分ではアメリカにいつまで経っても勝てないからこそ出来上がったのがプロ野球です。
まぁ…メジャー最強メンバーが来るまでは殆どプロなんてものは見たことがなかったらしいですからね。
GHQの野球が大好きなマーカット少将の発案、後押しも。
怪我の功名!
1つの争いが、
野球をここまで盛り上げた。
ちょっと補足、2リーグ制に再編する時に毎日は阪神からエースの若林と捕手の土井垣と主砲の別当を引き抜いており阪神はリーグに残ったが弱体化するようになり、巨人も中日戦を重視するようになりました。
セントラルリーグは
巨人
国鉄(現ヤクルト)
大洋(現DeNA)
の東京リーグ
パシフィックリーグは
南海(現ソフトバンク)
阪急(現オリックス)
近鉄(消滅)
の大阪リーグ
オー、グレートセントラル
エキサイティングリーグ、パ❗
こう見ると、讀賣中日に毎日はるか後年だけどサンケイ、と大手新聞社のほとんどが球団を持ってきた中
朝日が参入してこなかったのはどういった理由なんだろうか?(戦前の「朝日軍」は関係ないらしい)
夏の高校野球のみで十分って考え方なのか?
地方紙の西日本でさえ球団持ったのにね。
朝日は戦前軍部繋がり戦争賛成派で読売や毎日対立していたことと反米保守でプロスポーツ嫌いなことが理由
十分と言うか、高校野球(当時は中学か?)があるからプロ参入しなかった(orできなかった)んじゃないかな?
当時はまだないだろうが、プロアマ協定的な問題、絶対起こるだろ
昔「野球害毒論」と言うのを出していたからかなぁja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E5%AE%B3%E6%AF%92%E8%AB%96
@@Phantom002100
毎日新聞が参入できてるからそれはない
セ・リーグ→巨人、阪神、中日、松竹、大洋、広島、西日本、国鉄
パ・リーグ→阪急、南海、東急、大映、毎日、西鉄、近鉄
阪神はセリーグに残ったかわりに
毎日に主力選手をとられその影響もあり初代日本一は毎日がなった
別当、本堂、土井垣、呉、若林。
毎日の引き抜きなかったら阪神の歴史かなり変わってたやろ❗
この当時から「人気のセ 実力のパ」と言われていたのかしら?
ある雑誌で見たのですが、設立当時の毎日は「半身タイガース」と呼ばれていたそうな。
セは新規参入Xといいつつ新規参入認めたんかよ...
なんのために分裂したんだよw
巨人と中日は「2リーグ分裂前」までは、気が合った時期があったんだね(笑)。
やっぱりファンは巨人を目の敵にしてるけど球団としてはある意味相愛なのってここからなんやなと
いや、ただの小判鮫やんw
プロ野球発足時からですよ。
元々朝日新聞が夏の甲子園大会、毎日新聞が春の甲子園大会、都市対抗野球を主催していることにより、野球人気の高まりについていくように読売新聞も発行部数のため日米野球の招待だけでなく、職業野球開催への取り組みに非常に熱心だった。
職業野球を開催するにあたって対戦相手は必須、その中で「東京対大阪」という構図を興行を行う上で強く望んだ。
そこで白羽の矢が立ったのがノンプロで関西の強豪チーム阪神電鉄だった。
阪急電鉄が既に宝塚運動協会というプロ球団を持っていたにもかかわらず。
その理由の一つとして甲子園球場の存在が大きく、開催場所の確保だけでなくライバル社の朝日新聞と毎日新聞への牽制にも繋がるというのが狙い。
また先にプロリーグを作ろうとしてることも面白くないと言う理由
もあった。
中興の祖というものがある意味創業より難しいと言われる所以ですかな
この頃から読売は引き抜いてるのな
読売新聞や中日新聞の、時代を見る目の無さがよくわかる動画でした。
国際連盟構想ぶち上げたが自国が加盟しなかったアメリカのウィルソン大統領みたいな
なんでパシフィックなんだろう
他にいい言葉なかったのかな
正力松太郎氏が公職追放になっていた理由は大東亜戦争のA級戦犯だったからですね。
こんばんは
然し、毎日新聞がロッテに球団を身売りしたら阪神タイガースを贔屓してますからね。
やはり毎日はセントラルが良かったのでは?😂
松竹ロビンズ辺りが
パ・リーグとか?
毎日新聞社は球団をロッテに身売りしていません。大映スターズを吸収して大毎オリオンズとなった際に、既に球団経営熱が冷めた毎日は大映オーナー永田氏に球団経営を任せ撤退したのです。ロッテに身売りしたのは大映・永田の方です。
流石❗️正力松太郎😊
【興行主】としては最高の案を出してら😂
ただ、周囲の気持ちを理解しなくて失敗…というのも彼らしい😁
いや、読売の言う通りだよ
読売新聞って、渡辺恒雄やろ?正力オーナーに歯向かった男か。
今も昔も読売のやりたい放題w
来年は最下位なってほしいです。天国から地獄へ!八百長強奪の代償です
リーグ戦の下位2球団はリーグ入れ替えというルール創設はどうか。
1リーグで一年だけでもまたやってみてもらいたいどんだ!戦いになるかみてみたい
Jリーグみたいなものかな?
なので降格があったりして。
歴史はともかく現状、野球の人気を盛り上げるにはどうしたらよいか親会社チーム諸々考えて欲しい。今もクライマックスに物申すヒトとか出てくる始末だし船頭多くして船山に登る、わけだ…例えば前のパ・リーグみたいに前期後期プレーオフとか、思い切って6✕2から4✕3→プラスワイルドカードで競うとか得失点差を導入するとか⚾チームが増えるとも考えにくいから今できそうなことで面白くできないだろうか🤔
得失点差の導入は反対。サッカーの様に得点が入らないのなら成立するだろうけど、野球では合わない。
短期決戦がやりたければ前後期制が良いかなぁ