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俺の生まれは深川だけどすぐに豊洲に引っ越した本家は残っています。携帯の無い時代そわそわしながら彼女待った時代。貧乏だった昭和あの時代に戻りたい気もするけど、いろんな事が走馬灯のようによみがえってきます。サブ、秀さん大好きです。
当時私は10歳でした。この番組見てショーケンに憧れて来月で板前歴39年になります!この番組に出会って無かったら今何をしていたんだろう…BGM聴いただけでその場面、場面が甦って来ます。ありがとうございました。
やっぱ 井上堯之バンド&ショーケン・サイコーだね!昭和の時代、人間味、本当にあったな
本当にそうですね
自分は平成生まれの20代ですが、最近このドラマを初めて見ました。昔、こんな素敵な役者さんたちがいて、こんな素敵なドラマがテレビで見れたなんて、とてもうらやましいです。時代も変わって、昔のこと=古くさい、もう遅いものってすぐなってしまいますが、大事なことはきっと変わらないのではないかと思います。このドラマが教えてくれること、きっと自分はまだわかってないことたくさんあると思いますが、大事にします。
当時は録画などは殆ど無いので夜9時にはテレビ前で全集中で見てましたから。外からの情報もないので自分で見た・感じたことが全て、翌日の登校時間、学校では皆サブちゃんになりきっているw、こびりついている影響力は相当なもんですね(だから皆長文コメばかり、良いことです)今には無い、人くさいドラマ、じっくり味わってください(あぁまた長文に・・)
いちいち泣けちゃうこれ以上の演出はないこの時代背景をリアルに表現した音楽家だと思う
前略おふくろ様涙がこぼれます😢いろいろ思い出して!
甘酸っぱい楽しい事か辛い事か分かりませんが、この動画はイケナイタイムマシンですねw。でもちょっとだけ一休みして過去を振り返るのも良いのではないかと思います。
@@mf-dtm-youtube 朝から晩まで働くおふくろのことばかり頭に浮かびました😢ありがとう御座いました。
人情、近所付き合い、いたずらした子供を叱る近所の親父。昭和いい時代に生まれ、ショーケン、ジュリー,孝之バンド他沢山の本物のアーティスト、俳優さん達を見てこれて、本当に良かった🙂 聴いていると、沢山思い出させてくれる。 ショーケン、歌っても演者になっても最高です。
TVはその時間に見る(当たり前でしょ!)、FMをカセットで録音する(ちっ司会の声入っちゃたよ)、LPを買うなんて盆正月くらい、ステレオの前でカセットで録音(俺の部屋に誰も入ってくるなよ)、TDKだ、いやSONYだwww、サブちゃんカットにしたテモテな友達に歯ぎしりw、なんて時代だったから記憶に残っているのでしょうね。訃報が相次ぎ寂しいですが、私らももうそういう年代に突入です。
今は無き思い出、銭湯でおっかないおじさんに良く怒鳴られたな。風呂あがると、牛乳ご馳走になったこともあった、そんなのが当たり前の時代が昭和ですね。
それぞれ聴いてると、その時々のシーンが目に浮かびますね。最高っす!
それはサブちゃんの真似っすね、番組の翌日は皆で「っす」を言い合ってましたねw
@@mf-dtm-youtube 昔は良かったですよね。あと、曲を聴いてて…なんだか懐かしくも感じますし、切なくも感じます。今でもDVDで見てますよ。
「良い映画には、良い映像と良い音楽がある」とビートたけし氏がおっしゃっていたが、良いドラマにも当てはまる。メインテーマ始め、このドラマの音楽は何気ない音楽に思えるのだけど心から離れずに私を甘く切なく、そして豊かな気持ちにさせてくれる。キザな言い方だけれども本当だからしょうがない、ですよね^_^
「秀次のテーマ」いいですねぇ。秀さんカッコよかった。特に、サブが喧嘩で相手に怪我をさせてしまいヤクザに喫茶店で絡まれてる時、秀さんが助けに来た場面を思いだします。「向こうで話そ」とヤクザの頭を陰に連れていき、二人で出てきたらヤクザがうつ向ながら出て来て、最後は、「これ頼むよ」と伝票をヤクザに渡してサブを連れて帰る。凄く印象に残ってます。
良きあの頃・・確かにそう思います「前略おふくろ様」は 個性的な俳優さんが顔を揃え倉本總さんの素晴らしい原案・脚本によって実現した 奇跡的なテレビドラマです無理なリメイクは 絶対にして欲しくないと思いますあの頃すでに 伝統を壊す都市化や 核家族化による高齢者の問題がベースになっているのはその後に「やすらぎの郷」を執筆された倉本さんだからこそ と 今になって合点がいきました当時の井上堯之バンドについて グループサウンズとの関係など詳しくは知らないのですが「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」「寺内貫太郎一家」などの音楽を担当していた凄腕グループだったと記憶しています中でも「前略おふくろ様」での使用曲は どれもが人間味に溢れていて 心に沁みる曲ばかりアップしてくださったことに本当に感謝します
最近日本映画専門チャンネルでこのドラマを生まれてはじめて見て感動しっぱなしです。なんという傑作なんでしょう❗ 倉本聰の脚本としょーけんの演技の素晴らしさに脱帽し、坂口良子の可愛さにメロメロです。この後、若くして亡くなることを思うと、時々涙が出そうになります。しかしなんといってもこのドラマを名作にしてるのは音楽ですよね。素晴らしい音楽どうもありがとうございます。
自分の中では梅宮さんは今の梅宮さんじゃないんですよねぇ、秀さんなのです、バラエティなどに出るようになって、こんな人だったのかとびっくりした。Ⅱは当時、裏は「百恵ちゃん赤いシリーズ」でした、兄貴と母親は百恵ちゃん赤いシリーズ、「何が百恵ちゃんだ、フン」と見たかったがⅡの方が大事、粋がって別室で自分と父は前略Ⅱをしんみり見てたことを思いだします。ビデオなんてなかった時代。
ジーンと来ました。あの時に戻ってみたいな。
2024年、聴きにきました。
涙が出る
ポケットに手を突っ込んで夜道を歩くサブちゃんの姿は忘れられませんね
前略、片島三郎様、天国へ、旅だったんですね。ショウケン、我が青春。有り難う
RUclipsで40年前に見落としていた名作ドラマを知り、ハマって、思い切ってDVD BOXを買い、ぶっ続けに観て、観終わった後、毎日ここでテーマ曲を聴き続けています。聞いているとあの時代の深川の世界にタイムスリップしちゃいます。素敵です。有難う。
昔は良かったねぇ、と言っていてはいけませんけど。訃報が相次ぎます、悲しいですね、ずっと延々続くでしょう、川谷さんもかすみちゃんももういないのです・・・。たまに疲れたらこれを聞いて昔を懐かしみ、また前を向け我ら年齢不詳達(自戒を込めて)。しかし、良いドラマでしたねぇ。
また音楽を聞きつつ読み返していて、ふと思ったことを書きます。昔が良かったなあと思えるのは、その時代を生きて、その後年月を経た人間だけの特権じゃないかと思えるのです。ちょっと前のことを思い出しても懐かしいとは思わないけど、30年、40年経つと想い出が熟成する、甘酸っぱかったり、ほろ苦かったり…、年食うのも悪くない、最近よく思います。。。
聴きながらドラマを思い出して不覚にも涙してしまいました!良子さんも室田さんも拓三さんも大滝さんも絹代さんもショーケンもいないんだなあ、寂しい!
録画なんてできない時代だったので(多分)、番組の時間にテレビの前にかじりついて見ていたので記憶に残っているのでしょうね。このドラマを見ていたことは宝物です。
良いドラマでしたね!大人への憧れヤ 先輩後輩の縦社会 淡い恋心カスミちゃん可愛かった!な
このドラマを見て青春を東京で過ごしたいと思い上京しました。❤
それはとても羨ましいというか無茶と言うかw。
この頃の坂口良子さん可愛いかったね〜❤️
ショーケンが言ってたけどこのドラマの撮影は本当にキツくて拘束時間も長くて撮影が終わっても飲みにいったり出来なくて居酒屋で飲むシーンは本物のお酒を使っており室田さんや川谷さんが酔ってマジに荒れてたので怖くてヤバかったそうです。料理も梅宮さんや小松さんと撮影の半年前から修行に入って梅宮さんが料理にハマって皆んなに食べさせてたみたいだけど料理の腕が本当に良かったのは小松さんで上品だけどしっかり味が付いて本当に美味かったそうです。
いいお話、ありがとうございます。
小松政夫さん梅宮様の料理が食べたい酒もセリフいいし大変だ😖💦
@@mf-dtm-youtube 裏の話しありがとう御座います‼️😀🖐️
懐かしい、このドラマに影響を受けた世代の者です今は、子供も成人しこの先を考える歳になりました今日見つけたこの動画にこのサントラに感動してます。気持ちがあの頃にを思い出しました、ええ時代やったとしみじみと思い出します。ありがとう☺️
ありがとうございます、おっしゃる通り。昔は、TVは一発放送、その放送の時間に真剣に見るしかない、FMファンで曲名を調べ「ではxxxどうぞ」カセット録音開始がちゃ、「あぁDJの声入っちゃたよ・・・」なんてやってましたから、あの頃のことは鮮明に覚えているんですね~。
◆「前略おふくろ様」が放映されていた当時 小4のチビッ子で丸太が浮いている運河の まさにこの近くのコウバ付設の社宅に家族4人で住んでました。今でも全話録りためたこのドラマを見返すたんび あの頃の深川の風景を思い出します。で このドラマを観ていて思うのが三郎たちが仕事が終わって錦糸町あたりのキャバレーによく行っていたけど安月給の彼らのコトだから タクシーなんかが使えるわけもなく徒歩で40分はかかる道のりを毎回トボトボ歩いてたのかなぁ とか 地元ならではのよけいな心配をしちゃうこと。そういや 三郎が洲崎の小料理屋にピンチヒッターで行ったエピソードもありました。今はとっくに東陽町って名前に変わっちゃってるけど。そんなこんながすべて懐かしい 自分の中でのベストワンなドラマなんですよね。( ΦωΦ)。。。しみぢみ
羨ましいです。少しでも当時の面影が残っている場所とかありませんか?そうだ写真を撮りに行こうと思ってGoolglemapとか見てみましたが、どこに行けば良いのか分かりませんでした、もう全く残っていないんですかねぇ・・・?
@@mf-dtm-youtube さん◆早速のレス ありがとさんです。そうなんですよね 当時の風情が残ってるとこ ほとんどないんですよね。貯木場はことごとく埋め立てられ 木場の材木工場は新木場移転か廃業しちゃってるのでね。かなりベタですが 門仲の富岡八幡と深川不動尊界隈は当時の面影がなんとか残っている場所です。それと個人的におすすめなのが清澄町にある清澄庭園。ドラマには出てきてませんが 地元の人たちにはお馴染みの庭園です。園内は池の飛石で渡る通路があったり 当時の岩崎家が遺した植栽や全国の奇岩が配置されていて のんびりするには持ってこいの場所です。自分が小学生のころは無料で入園できて 放課後は友だちとよく鬼ごっこをやりに行ったもんです。当時のチビッ子にとっては都会の中の里山の様で 子どもなりに四季を楽しんだ貴重な場所だったんですよね。天気のいい日にお弁当持参で行ってみてはいかがでしょうか。( ̄▽ ̄)v
ショーケンと孝之さんは本当にバッチリ‼️ 以前ジュリーが、僕には、曲書いてくれないんだもんって、羨ましそうに言ってた🙂 井上バンドも含め、何時も仲間に囲まれて一緒に突き進んで来た人達❕ 全てが歴史的。 曲を聴いていると、その時その時に自然と戻れる。きっと表現力が凄かったんだろう。みんな心にしみます。
メインタイトル‼️良い‼️懐かしすぎる。
耳に残ってた曲を調べまくって三郎のテーマだと知りたどり着きました
長い放浪の旅、お疲れ様でした。まがい物ではありますが、ここには全パターン取り揃えてありますから存分に聞いていってくださいw。
この頃のドラマは、メインテーマ曲だけでなく、それぞれ配役のテーマ曲があり、それも又、きれいな曲が多く、素敵です。私も最近見ています、40年前にタイムスリップデス、ありがとう!!
冒頭の滝田ゆうの絵が、暖かく、懐かしく、とても素晴らしい・・昭和の猥雑な下町の“抜けられます”の世界。全てにおいてとてもクオリティの高い作品だったナ~。今ではもう、このような手の込んだドラマは出来ないんだろーねぇ。
黒電話に純喫茶、病院の待合室でたばこ。世間も社会も音も映像も、自分たちも、変わっちゃいました。落ち着いて味わい深く見れるドラマものはなくなりましたねぇ。という懐古趣味はただのおじさんおばさんと呼ばれるだけですが(笑)。おじさんおばさんで結構、昔は良かったですね。
@@mf-dtm-youtube 様私は 孫もいないのに ジジイと呼ばれてます
このレコード買いましたありがとうございます、ショーケンはカッコ良かったですね
mfさん ありがとうございます😊 これが聞きたかったっす。 コンプライアンスがどうのこうの言われても、、、。今だに修ちゃんに憧れている俺っす。上司やかみさんに怒られるとサブちゃんになります。
「修ちゃん」って 志賀勝さんが演じた「川波」の山口修さんですか?
拝聴しました。懐かしいですね。月並みですが、貧しくてもどこか憂いを持てた時代でしたね。ありがとうございました。
昭和サイコーです。
ショーケン憧れでした 格好の良さ ひねくれさ 当時の若者のランドマークでした。亡くなってガッカリして体重落ちました、お疲れ様っす井上堯之さん天才!!!!!
このドラマの舞台になった深川ってチャキチャキの下町 江戸っ子の兄さんを思い出します。山口県から大学で上京してバイト先の社員さんで何かと馬が合い 他の東京の人とは違う キップの良さと気取りが無く よく呑みに連れてって貰い 自宅にも泊めて貰いました。その社に就職を勧められましたが私は郷里へ帰り、その兄さんが札幌へ転勤されて2度 会いに行きました。その後 その兄さんは仙台で震災に遭い 亡くなり会えず 心に蟠りが残ったままです。三社祭には一目散に神輿ん担いだフンドシ姿の兄さん、カッコ良すぎで思い出すと涙が止まりません。
たまんねぇよな、実際。現実に開発、開発で日本人が築き上げてきた場所が無くなり、外資に買われて無に帰している… やっぱたまんねぇよな片島さん。阪妻さん…トシオさん … たまんないっすよね。分田上、マジで在りそうで言ってみたいッス。
政吉のダサさとかたまらない![おそめ🏮 🍶]飲みに行きてーよなー
やはりサブちゃんは、ショウケンしかいないしょ
前略おふくろ様を以前、ゲオやツタヤで探しましたが見つからず諦めていましたが最近またぞろ気になり、ふとユーチューブを思いつき駄目元で検索したら出てきました!!見つけた瞬間はダイジェストか何かと思い半分期待を削いでショックに備えていましたが、なんと初回から1話1話40数分の完全版でした。とても嬉しかったです。アップしてくれた方への感謝が尽きません。私の記憶では1部だけだと思っていましたが3部まであったことは知りませんでした。まだ1部の途中までしか見ておりませんが、数十年以前同様夢中になっています。アップしてくれた方へ心より感謝申し上げます。また、何か書きます。まずは感謝まで
最近、ガラ系からスマホに替えて、前略おふくろ様を何度も見て、あの頃はリアルで見ていましたが、便利な世の中になりましたね。不便な時代だったけど、それなりに楽しかったなぁタバコの吸い方を今も真似ています😅多くの人が他界したけど、向こうで「分田上」「かわなみ」
利夫さんは54歳、かすみちゃんは57歳、おふくろ様は67歳だったとのこと。かすみちゃん、おふくろ様、さぶちゃん、3人とも3月のこの時期に亡くなった。岡野のじいさんは2012年、半妻さんも2002年に亡くなっていた、64歳天国でも川波をやっててくれるだろう、生き方の書、最高の番組でした、合掌。
前略 mf 様リアルタイムで観た人もまた 歳をとっているわけで・・・だけど まだ心の中の「分田上」も「川波」も「おそめ」だって生きているわけで・・・前略 mf 様時の流れってやつが 憎いです
悲しいお知らせ。こんな素晴らしい粋な曲を書き弾いてくれた井上さんに感謝しかありません。
今の時代には、ありえないドラマだった。青春。涙出てくる。さぶちゃん、元気?
50000回を超えたそうで。たどり着いて頂いた人、ありがとうございます。一瞬でもあの時に戻って懐かしんでもらえれば、とそれだけですね。第2シリーズの最終回は1977年4月だそうです、もう42年前!になります。でも不思議に色々な画面を鮮明に覚えています。DTMで作っているので井上バンドのあの枯れた生音には全然及びませんが1音1音の装飾音まで再現したつもりですのでご容赦を。
いやいや十分だよ。1聴くと10思い出すから切っ掛けを ありがとう。
2024年お盆前ですが…聞きにきました。仏壇、明日掃除します。今って、なんか全てが…ヤバいっすよ〜
最近見つけてハマってます。「…あいや〜・あれっすよ‥」「マフラーの巻き方」「グレーのパンツ」真似してました。
前略おふくろ様 今頃見つけた人がいます、そりゃぁないっすよ。。。笑
きっと私は、多くの人達の代わりに今を生きている
女将さんまでもが・・・、ご冥福をお祈りします。
もうすぐ50年昔のドラマになります。懐かしいけど 寂しいですね。出演者もほとんど亡くなりましたし 当時高校生の私も66歳です。人生って短く感じますね
◆東京深川は僕が生まれ育った町。ちょうどこのドラマが始まったころまで住んでいた場所。水辺に丸太が並んで浮かんでいる河の映像はまさに僕が住んでいたご近所そのものでござんす。舞台になった木場や森下町 清澄白河 冬木町に門前仲町界隈は夕暮れになるまで友だちと駆け回り遊んだテリトリー。ドラマに出てきた料亭の大女将やヒデさん それといかつい顔した半妻さんみたいな なんクセもありそうなおっかなくてあったかいオトナたちが町中にホントにたくさんいましたねぇ。そんなこともあり材木屋の舞台セットや まだ埋め立て前の貯木場の風景なぞをドラマ内に見つけるたんび子どもの頃のあの原風景がリアルに蘇ってきます。ドラマ内に流れていたサントラはあの頃の深川の情緒とピッタリ重なり映像と合わさると下町の匂いたっぷりのノスタルジーを否が応でも掻き立てます。僕の深川での思い出は駄菓子屋で買い食いしたり 空き地で赤影ごっこや三角ベースをした子ども目線での記憶しかありませんがあの時もしも僕がサブちゃんくらいの青年であったなら先輩やオトナたちに揉まれて近所の居酒屋で愚痴こぼしたり川岸で取っ組みあったり喫茶店でおねいちゃんと待ち合わせしたりなどドラマのワンシーンの様な ほろ苦くもあまずっぺぇ思い出が深川のあちこちにきっとたくさん残ったんじゃないかと思うんですよね。( ̄▽ ̄)。。。♪~
これはこれは当時の住人さんがいたとは。一度歩いてみましたがあのような風景には出会えず。今でもあの風景がほんの少しでも垣間見れるような場所は無いですかねぇ?
@@mf-dtm-youtube さん早速のご返信ありがとさんです。深川界隈は当時の放映からはや40年近くたち現地へ行かれてお分かりの通りあんなにあった風情ある材木屋や貯木場はすっかり時代に淘汰され富岡八幡や深川不動周辺を除いては当時の面影を追える場所はホントに少なくなってしまいました。この一年ばかり件のコロナ禍の影響で都内へ赴くのはすっかり縁遠くなり現在の深川界隈の状況に疎くなっているのですが個人的に当時とほぼ変わらず残っているだろうところがあります。一か所目は 日吉屋さん(蕎麦屋:江東区白河2丁目3−14)店内に入るとテーブル席からかなり床が上がった座敷席がありいかにも利夫さんとサブちゃんあたりが ひや酒飲んでそうな深川の雰囲気満点です。今も昭和当時のまま改装されていなければいいのですが。もう一か所は 清澄庭園(江東区清澄3丁目3)いわゆる材木店がひしめく深川の町なみとは趣が異なりますがここも昭和から変わらぬ風景を残している貴重な場所です。園内は回遊式の純日本庭園で散策路には池の中に飛び石があったり東屋があったり四季折々の風情が楽しめるところです。ココは近所の幼稚園や小学校行事で学童が訪れる庭園で僕も子どもの頃は毎年弁当持ちで先生に連れられ行っていました。で 当時はだれでも無料で入れたこともあり僕ら小学生の格好の遊び場で園内で鬼ごっこなぞで立ち入り禁止に分け入ったりでよく友だちといけないことして遊んでいましたねぇ。そそ 清澄と云えば劇中において半妻さんの結婚相手である子持ち親子の実家 文房具屋があった場所。もしかしたら半妻親子が家族で清澄庭園にちょくちょく遊びに訪れていたかもしれませんね~なんつって。園内をゆっくり回れば大人でも半日十分楽しめます。深川探索ついでに天気のいい日に家族でお弁当持ってミニピクニックなんかを清澄庭園で楽しんではいかがでしょうか。( ̄▽ ̄)v
そりゃ時間が経ちすぎてますからねぇ。落ち着いたら下町散策にでも行こうと思います、ありがとうございました。
なんともうらやましい限りです・・本当の深川のことは 今も昔も 私には縁遠いお話ですがなぜか「前略おふくろ様」に心酔した記憶のせいか良く知ってる人が 今もそこにいるような気がしてなりません
@@daihuuhukudaihuuhuku さん返信ありがとさんです。僕が深川に家族で住んでいたのは生まれてからの10年足らず。今は東京下町から離れ千葉の中途半端な田舎に引っ込んではや40年以上経ってしまいました。しかし 幼年期から少年期にかけての たった10年間は良かった体験 悪かった思い出全部ひっくるめて自分のアイデンティティのほとんどをカタチづけたんじゃないかと思ってます。...僕が深川に住んでいたころ。夕方 材木屋でひしめく町内の道端の風景としてコウバから出たオガクズや木っ端なんぞを使い込まれたドラム缶で燃やす炎が薄暮の色と引きかえに徐々に明るさを増した分燻された煙の匂いがより一層 夕刻特有の寂しさを町中に引き連れてきます。木材を加工するコウバの二階に無理くり建て増しされた社宅で友だちと外遊びから帰って早々 母親に尻を叩かれ九九のドリルを解いてる振りしてテレビを見ていると夕方5時の終業ベルが鳴り仕事が終わったおっちゃんたちが近くの酒屋ギンヤで買ってきたお酒やらおつまみを持ち寄ったのか一階の休憩室でワイワイと酒盛りの宴が聞こえてきます。僕はその楽し気なオトナたちの雰囲気を察知すると母親がちゃぶ台に用意したカレーを素早く掻っ込むが早いかダッシュで急こう配な階段を駆け下りおっちゃんたちの間に分け入って柿ピーやイカクン 6Pチーズと云ったおつまみの御相伴にあずかったりしてました。特に冬至である今ごろの季節だと休憩室唯一の暖房器具 ダルマストーブのアタマの平たいところに金網を乗っけておっちゃんたちが炙るアタリメの足をもらうのが何よりの楽しみ。おっちゃんたちはしゃべくりの合間にダルマストーブで湯を沸かしてお酒の燗をつけたり缶詰をあっためたりしてはそのツマミのおすそ分けを僕らチビッ子に振舞ってくれました。で父親が小学低学年の僕のコップにやおらビールを注いでは回りのオトナたち公認で呑ませてもらうのが大好きでしたねぇ。誤解のないように申し上げればそれは不良な子どもが育つ粗野な環境という事では断じてなくあの当時 下町のコウバ街に住んでいたごく普通の子どもたちなら誰でも経験のあるごくごく普通なエピソードでありました。もひとつ誤解ないように言うとあのユルユルな巷のモラル観とは親の監視下の中での子どもの軽い飲酒なぞ当時の日本の家庭なら割と寛容な事だったんじゃないかと思うんですよね。そんなユルユルな時代背景の中で僕が愛してやまない「前略おふくろ様」に代表される秀逸な下町ドラマの数々が出てきたわけです。他の同時代下町ドラマでは「寺内貫太郎一家」は上野谷中。「ムー ・ ムー一族」は築地にほど近い新富町が舞台でしたね~「時間ですよ」はおねいちゃんのオッパイシーンが普通に登場する下町銭湯が舞台だったしほんでもって映画では誰もが知っているあの国民的ムービー「男はつらいよ」は葛飾柴又という もう絵にかいたようなガチンコな下町っぷりで。そのドラマたちは今のお仕着せなモラルでは絶対NGな場面があちこちにあったりするがでも そのおかげで今見ても決して色褪せてないおもしろ楽しいものばかりで。そんなユルユルな時代背景を昭和世代の多くが素直に楽しめ シンパシーを感じ取れるのが「前略おふくろ様」じゃぁないかと思うんですよねぇ。( ̄▽ ̄)。。。長文めぇんご
走馬灯のように、次々と当時の想い出が頭の中を駆け巡って来る。その当時から経て、平成、令和・・・深川・木場はメッキリ変わっちまったよ。
この度は本当にありがとうございました!お宝にさせていただきます。
ありがとうございます、気持ちを落ち着かせたい時、また聞いてあげてくださいませ。
倉本聡さんが傷だらけの天使の後のショーケン主演で一本作って欲しいと言われて作ったが、ショーケンを抑えられる俳優さんをアチコチに配置し、控えめなショーケンで輝かせたと言ってましたね〜
こんな素敵な人生が、昭和の時代です。!
動画の再生が終わるまで、思う存分思い出に浸ってください、これはそういう動画ですw
前略おふくろ様のパート3やって欲しかったなぁ〜
オッサンになってからはミツ子のテーマが自分の青春をフラッシュバックさせる
高校受験を控え、担任の先生からテレビは我慢しろと言われたけど、「前略おふくろ様」だけは見せてくれと言ったことを覚えています。
あの頃はそういうのありましたねぇ、今もあるかw。私は一番大事なものを封印しろと言われて、泣く泣くギターの弦をペンチで切って半年間弾けなかった思い出が懐かしいですねぇ。
深川木場の風景が浮かんでくる。
しばしあの頃にお戻りください、75年76年だそうです。
mf 私が中学生の頃でした。思い出に浸ります。ありがとうございます😊
ご視聴ありがとうございます。やっとのことで1つ仕上げました、また同様に楽しんで頂けたら幸いです。皆さんも耳タコなものですので怖いです(笑)、また暖かい耳で宜しければ聞いてやって下さいませ。ruclips.net/video/GHvCU8GI4xY/видео.html
なかなかCDも手に入らないので有り難いです。東京が東京地方で東京ローカルがあった頃のお話。開発が進みすぎて山の手から下町まで変わりすぎて。探せば世田谷にも残ってるんだろうけど。
アップしていただきありがとうございます。本当に嬉しいです!
ありがとうございます。サブちゃんかっこいい、かすみちゃん可愛い、秀次さんシブい、と懐かしむあなたも私も皆さんも・・・歳とりましたねぇ(笑)いいドラマでした。
同感です。しかし、月日が経つのははやいものですね。
前略 ご清聴の皆様同慶の至りな訳で、言う事ないっす❣️
さぶちゃんに会いたい、いい大将になったかな、どこに店あるのかな
泣かせないでくれるかな...😉
夕暮れ時に聴いてみてください。サブちゃん、うめちゃん、かすみちゃん…みんなに逢えますから。
@@アカパパ-n8y わかります!おっしゃる通りです!夕暮れにワンカップ大関のんで曲聞いてさぶちゃんに会いにいきます
京都、下京区で鴨川食堂をやってましたよ👍🏻😎
口ずさみなが料理してましたけどその必要がなくなりました(笑)ありがとうございます!
こんなの聞きながら料理していると、川波病がうつりますよ(笑)。「はい今日はカレーっす」と何でも「っす」と言ってしまう三郎に影響されすぎ病とか「で何だっけ?あれよあれあれ、何だっけ?」とすぐに忘れる八千草さん病とか。私は何でもかんでも「っす」でしたね(笑)。
mf さん三郎のテーマなんて流れたらそうなっちゃうっす!ショーケン病に感染してるヤツ はいっぱいいる訳で…。笑
これのCD欲しいッ!
私はLP版を入手しましたがCDは出ていたと思いますが今はヤクオフには出ていないみたいですね。私は拓郎氏の人生を語らずのペニーレーンでバーボンを(当時発禁になった、LPは持ってて)を無性に聞きたくなりプレーヤをえいやぁと買いましたw、今は安いものがあるし)それかDVDボックス全買いしかないかと・・・
倉本聰さんのシナリオ、きたのぬにから は観なかったけれどおふくろ様は欠かさず観ていた この音楽のちからも大きかった 井上バンド
あぁ、政吉さんまでも・・・
欲しい〜むちゃくちゃ欲しい😂CDないかな
CDは出ているはずですよ、手に入るかはどうでしょう?私はLPを手に入れましたけど。この原曲を聞くためにプレーヤを買う価値はあるのでしょうw
@@mf-dtm-youtube そうですかやっぱりありがとうございます
また来ちゃたよ!
時間ジャンプ機能を発見し(今更?笑)説明に入れました。毎日これだけは聞くとか、バージョン違いを聞き比べるのもいいかも知れません。私は18:02を何度も何度も・・・。
素晴らしい。耳コピ出来る人尊敬します。前略おふくろ様は、リアルタイムとビデオで5、6回観てますが、曲とタイトルがほとんど分かりませんでした。感謝です。平吉のテーマ? マジですか?
自分はLP買って100万回聞いてますから。曲は知ってても中々タイトルまでは分かりませんね。いえ、平吉のテーマですね。www.voxmusicweb.com/detail.php?id=19877 あまり出てはいないのでちょっと意外ですね。
まかさか、お袋様が全曲聴けるとは?!ありがとうございます
ショウケン、良子さん先に逝かれました。小3時のアイドル的方。ご冥福を!俺等聖子も、先に逝かれました。ボッチは、辛い。鷹sanは、今日もドットコム❣️で走ってます。ゴールは、無い。
アップと書かれていてふと気になりましたが、これはLPの音源ではありませんので(そんな著作権侵害などする気は全くありませんので)。LPの楽曲を聞いて、音楽作成ソフトに打ち込んだコンピュータ演奏です、お間違えなく。ピアノやギターは相当念入りに再現したつもりですが、コンピュータ演奏ですので整いすぎてしまっていますね、原曲はもっと枯れた渋い演奏です。
これを聴いてるほとんど人は 想い出に浸っているのです 浸っていたいのですお気に召さるな
秀次さんも・・・
2で喫茶店の中、ヤクザに脅されているサブを迎えに来たシーンや、自転車に乗り、仕入れから帰ってくるシーンが、すねに傷を持つ四十男の哀愁を感じ、堪らなく好きでした。ご冥福をお祈りします。
昭和の時代多くの若い人達が、
この音源はオリジナルではなくてmtさんが作った音源でしょうか?
DTM(デスクトップミュージック)とはパソコンと音楽ソフトで自分で作った音と言うことです。
あいやー
仏の顔も、、、…………………………3度何が?3度昭和時代
俺の生まれは深川だけどすぐに豊洲に引っ越した本家は残っています。携帯の無い時代そわそわしながら彼女待った時代。貧乏だった昭和あの時代に戻りたい気もするけど、いろんな事が走馬灯のようによみがえってきます。サブ、秀さん大好きです。
当時私は10歳でした。
この番組見てショーケンに憧れて来月で板前歴39年になります!
この番組に出会って無かったら今何をしていたんだろう…
BGM聴いただけでその場面、場面が甦って来ます。
ありがとうございました。
やっぱ 井上堯之バンド&ショーケン・サイコーだね!昭和の時代、人間味、本当にあったな
本当にそうですね
自分は平成生まれの20代ですが、最近このドラマを初めて見ました。昔、こんな素敵な役者さんたちがいて、こんな素敵なドラマがテレビで見れたなんて、とてもうらやましいです。時代も変わって、昔のこと=古くさい、もう遅いものってすぐなってしまいますが、大事なことはきっと変わらないのではないかと思います。このドラマが教えてくれること、きっと自分はまだわかってないことたくさんあると思いますが、大事にします。
当時は録画などは殆ど無いので夜9時にはテレビ前で全集中で見てましたから。
外からの情報もないので自分で見た・感じたことが全て、翌日の登校時間、学校では皆サブちゃんになりきっているw、こびりついている影響力は相当なもんですね(だから皆長文コメばかり、良いことです)
今には無い、人くさいドラマ、じっくり味わってください(あぁまた長文に・・)
いちいち泣けちゃう
これ以上の演出はない
この時代背景をリアルに表現した音楽家だと思う
前略おふくろ様
涙がこぼれます😢
いろいろ思い出して!
甘酸っぱい楽しい事か辛い事か分かりませんが、この動画はイケナイタイムマシンですねw。でもちょっとだけ一休みして過去を振り返るのも良いのではないかと思います。
@@mf-dtm-youtube
朝から晩まで働くおふくろのことばかり頭に浮かびました😢
ありがとう御座いました。
人情、近所付き合い、いたずらした子供を叱る近所の親父。昭和いい時代に生まれ、ショーケン、ジュリー,孝之バンド他沢山の本物のアーティスト、俳優さん達を見てこれて、本当に良かった🙂 聴いていると、沢山思い出させてくれる。 ショーケン、歌っても演者になっても最高です。
TVはその時間に見る(当たり前でしょ!)、FMをカセットで録音する(ちっ司会の声入っちゃたよ)、LPを買うなんて盆正月くらい、ステレオの前でカセットで録音(俺の部屋に誰も入ってくるなよ)、TDKだ、いやSONYだwww、サブちゃんカットにしたテモテな友達に歯ぎしりw、なんて時代だったから記憶に残っているのでしょうね。
訃報が相次ぎ寂しいですが、私らももうそういう年代に突入です。
今は無き思い出、銭湯でおっかないおじさんに良く怒鳴られたな。風呂あがると、牛乳ご馳走になったこともあった、そんなのが当たり前の時代が昭和ですね。
それぞれ聴いてると、その時々のシーンが目に浮かびますね。
最高っす!
それはサブちゃんの真似っすね、
番組の翌日は皆で「っす」を言い合ってましたねw
@@mf-dtm-youtube 昔は良かったですよね。
あと、曲を聴いてて…なんだか懐かしくも感じますし、切なくも感じます。
今でもDVDで見てますよ。
「良い映画には、良い映像と良い音楽がある」とビートたけし氏がおっしゃっていたが、良いドラマにも当てはまる。メインテーマ始め、このドラマの音楽は何気ない音楽に思えるのだけど心から離れずに私を甘く切なく、そして豊かな気持ちにさせてくれる。キザな言い方だけれども本当だからしょうがない、ですよね^_^
「秀次のテーマ」
いいですねぇ。
秀さんカッコよかった。
特に、サブが喧嘩で相手に怪我をさせてしまいヤクザに喫茶店で絡まれてる時、秀さんが助けに来た場面を思いだします。
「向こうで話そ」とヤクザの頭を陰に連れていき、二人で出てきたらヤクザがうつ向ながら出て来て、
最後は、「これ頼むよ」と伝票をヤクザに渡してサブを連れて帰る。
凄く印象に残ってます。
良きあの頃・・確かにそう思います
「前略おふくろ様」は 個性的な俳優さんが顔を揃え
倉本總さんの素晴らしい原案・脚本によって実現した 奇跡的なテレビドラマです
無理なリメイクは 絶対にして欲しくないと思います
あの頃すでに 伝統を壊す都市化や 核家族化による高齢者の問題がベースになっているのは
その後に「やすらぎの郷」を執筆された倉本さんだからこそ と
今になって合点がいきました
当時の井上堯之バンドについて グループサウンズとの関係など詳しくは知らないのですが
「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」「寺内貫太郎一家」などの音楽を担当していた
凄腕グループだったと記憶しています
中でも「前略おふくろ様」での使用曲は
どれもが人間味に溢れていて 心に沁みる曲ばかり
アップしてくださったことに本当に感謝します
最近日本映画専門チャンネルでこのドラマを生まれてはじめて見て感動しっぱなしです。なんという傑作なんでしょう❗ 倉本聰の脚本としょーけんの演技の素晴らしさに脱帽し、坂口良子の可愛さにメロメロです。この後、若くして亡くなることを思うと、時々涙が出そうになります。
しかしなんといってもこのドラマを名作にしてるのは音楽ですよね。素晴らしい音楽どうもありがとうございます。
自分の中では梅宮さんは今の梅宮さんじゃないんですよねぇ、秀さんなのです、バラエティなどに出るようになって、こんな人だったのかとびっくりした。
Ⅱは当時、裏は「百恵ちゃん赤いシリーズ」でした、兄貴と母親は百恵ちゃん赤いシリーズ、「何が百恵ちゃんだ、フン」と見たかったがⅡの方が大事、粋がって別室で自分と父は前略Ⅱをしんみり見てたことを思いだします。
ビデオなんてなかった時代。
ジーンと来ました。
あの時に戻ってみたいな。
2024年、聴きにきました。
涙が出る
ポケットに手を突っ込んで夜道を歩くサブちゃんの姿は忘れられませんね
前略、片島三郎様、天国へ、旅だったんですね。ショウケン、我が青春。有り難う
RUclipsで40年前に見落としていた名作ドラマを知り、ハマって、思い切ってDVD BOXを買い、ぶっ続けに観て、観終わった後、毎日ここでテーマ曲を聴き続けています。聞いているとあの時代の深川の世界にタイムスリップしちゃいます。素敵です。有難う。
昔は良かったねぇ、と言っていてはいけませんけど。
訃報が相次ぎます、悲しいですね、ずっと延々続くでしょう、川谷さんもかすみちゃんももういないのです・・・。
たまに疲れたらこれを聞いて昔を懐かしみ、また前を向け我ら年齢不詳達(自戒を込めて)。
しかし、良いドラマでしたねぇ。
また音楽を聞きつつ読み返していて、ふと思ったことを書きます。昔が良かったなあと思えるのは、その時代を生きて、その後年月を経た人間だけの特権じゃないかと思えるのです。ちょっと前のことを思い出しても懐かしいとは思わないけど、30年、40年経つと想い出が熟成する、甘酸っぱかったり、ほろ苦かったり…、年食うのも悪くない、最近よく思います。。。
聴きながらドラマを思い出して不覚にも涙してしまいました!良子さんも室田さんも拓三さんも大滝さんも絹代さんもショーケンもいないんだなあ、寂しい!
録画なんてできない時代だったので(多分)、番組の時間にテレビの前にかじりついて見ていたので記憶に残っているのでしょうね。このドラマを見ていたことは宝物です。
良いドラマでしたね!大人への憧れヤ 先輩後輩の縦社会 淡い恋心
カスミちゃん可愛かった!な
このドラマを見て青春を東京で過ごしたいと思い上京しました。❤
それはとても羨ましいというか無茶と言うかw。
この頃の坂口良子さん
可愛いかったね〜❤️
ショーケンが言ってたけどこのドラマの撮影は本当にキツくて拘束時間も長くて撮影が終わっても飲みにいったり出来なくて居酒屋で飲むシーンは本物のお酒を使っており室田さんや川谷さんが酔ってマジに荒れてたので怖くてヤバかったそうです。料理も梅宮さんや小松さんと撮影の半年前から修行に入って梅宮さんが料理にハマって皆んなに食べさせてたみたいだけど料理の腕が本当に良かったのは小松さんで上品だけどしっかり味が付いて本当に美味かったそうです。
いいお話、ありがとうございます。
小松政夫さん梅宮様の料理が食べたい酒もセリフいいし大変だ😖💦
@@mf-dtm-youtube 裏の話しありがとう御座います‼️😀🖐️
懐かしい、このドラマに影響を受けた世代の者です
今は、子供も成人しこの先を考える歳になりました
今日見つけたこの動画にこのサントラに感動してます。
気持ちがあの頃にを思い出しました、ええ時代やった
としみじみと思い出します。ありがとう☺️
ありがとうございます、おっしゃる通り。
昔は、TVは一発放送、その放送の時間に真剣に見るしかない、FMファンで曲名を調べ「ではxxxどうぞ」カセット録音開始がちゃ、「あぁDJの声入っちゃたよ・・・」なんてやってましたから、あの頃のことは鮮明に覚えているんですね~。
◆「前略おふくろ様」が放映されていた当時 小4のチビッ子で
丸太が浮いている運河の まさにこの近くのコウバ付設の社宅に家族4人で住んでました。
今でも全話録りためたこのドラマを見返すたんび あの頃の深川の風景を思い出します。
で このドラマを観ていて思うのが
三郎たちが仕事が終わって錦糸町あたりのキャバレーによく行っていたけど
安月給の彼らのコトだから タクシーなんかが使えるわけもなく
徒歩で40分はかかる道のりを毎回トボトボ歩いてたのかなぁ とか 地元ならではのよけいな心配をしちゃうこと。
そういや 三郎が洲崎の小料理屋にピンチヒッターで行ったエピソードもありました。
今はとっくに東陽町って名前に変わっちゃってるけど。
そんなこんながすべて懐かしい 自分の中でのベストワンなドラマなんですよね。
( ΦωΦ)。。。しみぢみ
羨ましいです。
少しでも当時の面影が残っている場所とかありませんか?
そうだ写真を撮りに行こうと思ってGoolglemapとか見てみましたが、どこに行けば良いのか分かりませんでした、もう全く残っていないんですかねぇ・・・?
@@mf-dtm-youtube さん
◆早速のレス ありがとさんです。
そうなんですよね 当時の風情が残ってるとこ ほとんどないんですよね。
貯木場はことごとく埋め立てられ 木場の材木工場は新木場移転か廃業しちゃってるのでね。
かなりベタですが 門仲の富岡八幡と深川不動尊界隈は当時の面影がなんとか残っている場所です。
それと個人的におすすめなのが清澄町にある清澄庭園。
ドラマには出てきてませんが 地元の人たちにはお馴染みの庭園です。
園内は池の飛石で渡る通路があったり 当時の岩崎家が遺した植栽や全国の奇岩が配置されていて のんびりするには持ってこいの場所です。
自分が小学生のころは無料で入園できて 放課後は友だちとよく鬼ごっこをやりに行ったもんです。
当時のチビッ子にとっては都会の中の里山の様で 子どもなりに四季を楽しんだ貴重な場所だったんですよね。
天気のいい日にお弁当持参で行ってみてはいかがでしょうか。
( ̄▽ ̄)v
ショーケンと孝之さんは本当にバッチリ‼️ 以前ジュリーが、僕には、曲書いてくれないんだもんって、羨ましそうに言ってた🙂 井上バンドも含め、何時も仲間に囲まれて一緒に突き進んで来た人達❕ 全てが歴史的。 曲を聴いていると、その時その時に自然と戻れる。きっと表現力が凄かったんだろう。みんな心にしみます。
メインタイトル‼️良い‼️懐かしすぎる。
耳に残ってた曲を調べまくって三郎のテーマだと知りたどり着きました
長い放浪の旅、お疲れ様でした。
まがい物ではありますが、ここには全パターン取り揃えてありますから存分に聞いていってくださいw。
この頃のドラマは、メインテーマ曲だけでなく、それぞれ配役のテーマ曲があり、それも又、きれいな曲が多く、素敵です。私も最近見ています、40年前にタイムスリップデス、ありがとう!!
冒頭の滝田ゆうの絵が、暖かく、懐かしく、とても素晴らしい・・昭和の猥雑な下町の“抜けられます”の世界。
全てにおいてとてもクオリティの高い作品だったナ~。
今ではもう、このような手の込んだドラマは出来ないんだろーねぇ。
黒電話に純喫茶、病院の待合室でたばこ。
世間も社会も音も映像も、自分たちも、変わっちゃいました。
落ち着いて味わい深く見れるドラマものはなくなりましたねぇ。
という懐古趣味はただのおじさんおばさんと呼ばれるだけですが(笑)。
おじさんおばさんで結構、昔は良かったですね。
@@mf-dtm-youtube 様
私は 孫もいないのに ジジイと呼ばれてます
このレコード買いました
ありがとうございます、ショーケンはカッコ良かったですね
mfさん ありがとうございます😊 これが聞きたかったっす。 コンプライアンスがどうのこうの言われても、、、。今だに修ちゃんに憧れている俺っす。上司やかみさんに怒られるとサブちゃんになります。
「修ちゃん」って 志賀勝さんが演じた「川波」の山口修さんですか?
拝聴しました。懐かしいですね。月並みですが、貧しくてもどこか憂いを持てた時代でしたね。ありがとうございました。
昭和サイコーです。
ショーケン憧れでした 格好の良さ ひねくれさ 当時の若者のランドマークでした。
亡くなってガッカリして体重落ちました、お疲れ様っす
井上堯之さん天才!!!!!
このドラマの舞台になった深川ってチャキチャキの下町 江戸っ子の兄さんを思い出します。
山口県から大学で上京してバイト先の社員さんで何かと馬が合い 他の東京の人とは違う キップの良さと気取りが無く よく呑みに連れてって貰い 自宅にも泊めて貰いました。
その社に就職を勧められましたが私は郷里へ帰り、その兄さんが札幌へ転勤されて2度 会いに行きました。
その後 その兄さんは仙台で震災に遭い 亡くなり会えず 心に蟠りが残ったままです。
三社祭には一目散に神輿ん担いだフンドシ姿の兄さん、カッコ良すぎで思い出すと涙が止まりません。
たまんねぇよな、実際。現実に開発、開発で日本人が築き上げてきた場所が無くなり、外資に買われて無に帰している… やっぱたまんねぇよな片島さん。阪妻さん…トシオさん … たまんないっすよね。分田上、マジで在りそうで言ってみたいッス。
政吉のダサさとかたまらない!
[おそめ🏮 🍶]
飲みに行きてーよなー
やはりサブちゃんは、ショウケンしかいないしょ
前略おふくろ様を以前、ゲオやツタヤで探しましたが見つからず諦めていましたが最近またぞろ気になり、ふとユーチューブを思いつき駄目元で検索したら出てきました!!見つけた瞬間はダイジェストか何かと思い半分期待を削いでショックに備えていましたが、なんと初回から1話1話40数分の完全版でした。とても嬉しかったです。アップしてくれた方への感謝が尽きません。私の記憶では1部だけだと思っていましたが3部まであったことは知りませんでした。まだ1部の途中までしか見ておりませんが、数十年以前同様夢中になっています。アップしてくれた方へ心より感謝申し上げます。また、何か書きます。まずは感謝まで
最近、ガラ系からスマホに替えて、前略おふくろ様を何度も見て、あの頃はリアルで見ていましたが、便利な世の中になりましたね。不便な時代だったけど、それなりに楽しかったなぁ
タバコの吸い方を今も真似ています😅
多くの人が他界したけど、向こうで「分田上」
「かわなみ」
利夫さんは54歳、かすみちゃんは57歳、おふくろ様は67歳だったとのこと。
かすみちゃん、おふくろ様、さぶちゃん、3人とも3月のこの時期に亡くなった。
岡野のじいさんは2012年、半妻さんも2002年に亡くなっていた、64歳
天国でも川波をやっててくれるだろう、生き方の書、最高の番組でした、合掌。
前略 mf 様
リアルタイムで観た人もまた 歳をとっているわけで・・・
だけど まだ心の中の「分田上」も「川波」も「おそめ」だって
生きているわけで・・・
前略 mf 様
時の流れってやつが 憎いです
悲しいお知らせ。こんな素晴らしい粋な曲を書き弾いてくれた井上さんに感謝しかありません。
今の時代には、ありえないドラマだった。青春。涙出てくる。さぶちゃん、元気?
50000回を超えたそうで。たどり着いて頂いた人、ありがとうございます。一瞬でもあの時に戻って懐かしんでもらえれば、とそれだけですね。
第2シリーズの最終回は1977年4月だそうです、もう42年前!になります。でも不思議に色々な画面を鮮明に覚えています。
DTMで作っているので井上バンドのあの枯れた生音には全然及びませんが1音1音の装飾音まで再現したつもりですのでご容赦を。
いやいや
十分だよ。
1聴くと10思い出すから
切っ掛けを ありがとう。
2024年お盆前ですが…
聞きにきました。
仏壇、明日掃除します。
今って、なんか全てが…ヤバいっすよ〜
最近見つけてハマってます。
「…あいや〜・あれっすよ‥」「マフラーの巻き方」「グレーのパンツ」真似してました。
前略おふくろ様 今頃見つけた人がいます、そりゃぁないっすよ。。。笑
きっと私は、多くの人達の代わりに今を生きている
女将さんまでもが・・・、ご冥福をお祈りします。
もうすぐ50年昔のドラマになります。懐かしいけど 寂しいですね。出演者もほとんど亡くなりましたし 当時高校生の私も66歳です。人生って短く感じますね
◆東京深川は僕が生まれ育った町。
ちょうどこのドラマが始まったころまで住んでいた場所。
水辺に丸太が並んで浮かんでいる河の映像は
まさに僕が住んでいたご近所そのものでござんす。
舞台になった木場や森下町 清澄白河 冬木町に門前仲町界隈は
夕暮れになるまで友だちと駆け回り遊んだテリトリー。
ドラマに出てきた料亭の大女将やヒデさん
それといかつい顔した半妻さんみたいな なんクセもありそうな
おっかなくてあったかいオトナたちが
町中にホントにたくさんいましたねぇ。
そんなこともあり
材木屋の舞台セットや まだ埋め立て前の貯木場の風景なぞをドラマ内に見つけるたんび
子どもの頃のあの原風景がリアルに蘇ってきます。
ドラマ内に流れていたサントラは
あの頃の深川の情緒とピッタリ重なり映像と合わさると
下町の匂いたっぷりのノスタルジーを否が応でも掻き立てます。
僕の深川での思い出は
駄菓子屋で買い食いしたり 空き地で赤影ごっこや三角ベースをした
子ども目線での記憶しかありませんが
あの時もしも僕がサブちゃんくらいの青年であったなら
先輩やオトナたちに揉まれて
近所の居酒屋で愚痴こぼしたり川岸で取っ組みあったり
喫茶店でおねいちゃんと待ち合わせしたりなど
ドラマのワンシーンの様な ほろ苦くもあまずっぺぇ思い出が
深川のあちこちにきっとたくさん残ったんじゃないかと思うんですよね。
( ̄▽ ̄)。。。♪~
これはこれは当時の住人さんがいたとは。
一度歩いてみましたがあのような風景には出会えず。
今でもあの風景がほんの少しでも垣間見れるような場所は無いですかねぇ?
@@mf-dtm-youtube さん
早速のご返信ありがとさんです。
深川界隈は当時の放映からはや40年近くたち
現地へ行かれてお分かりの通り
あんなにあった風情ある材木屋や貯木場はすっかり時代に淘汰され
富岡八幡や深川不動周辺を除いては
当時の面影を追える場所はホントに少なくなってしまいました。
この一年ばかり
件のコロナ禍の影響で都内へ赴くのはすっかり縁遠くなり
現在の深川界隈の状況に疎くなっているのですが
個人的に当時とほぼ変わらず残っているだろうところがあります。
一か所目は 日吉屋さん
(蕎麦屋:江東区白河2丁目3−14)
店内に入るとテーブル席からかなり床が上がった座敷席があり
いかにも利夫さんとサブちゃんあたりが ひや酒飲んでそうな
深川の雰囲気満点です。
今も昭和当時のまま改装されていなければいいのですが。
もう一か所は 清澄庭園
(江東区清澄3丁目3)
いわゆる材木店がひしめく深川の町なみとは趣が異なりますが
ここも昭和から変わらぬ風景を残している貴重な場所です。
園内は回遊式の純日本庭園で
散策路には池の中に飛び石があったり東屋があったり
四季折々の風情が楽しめるところです。
ココは近所の幼稚園や小学校行事で学童が訪れる庭園で
僕も子どもの頃は毎年弁当持ちで先生に連れられ行っていました。
で 当時はだれでも無料で入れたこともあり
僕ら小学生の格好の遊び場で園内で鬼ごっこなぞで立ち入り禁止に分け入ったりで
よく友だちといけないことして遊んでいましたねぇ。
そそ 清澄と云えば劇中において
半妻さんの結婚相手である子持ち親子の実家 文房具屋があった場所。
もしかしたら半妻親子が家族で清澄庭園に
ちょくちょく遊びに訪れていたかもしれませんね~なんつって。
園内をゆっくり回れば大人でも半日十分楽しめます。
深川探索ついでに
天気のいい日に家族でお弁当持ってミニピクニックなんかを
清澄庭園で楽しんではいかがでしょうか。
( ̄▽ ̄)v
そりゃ時間が経ちすぎてますからねぇ。
落ち着いたら下町散策にでも行こうと思います、ありがとうございました。
なんともうらやましい限りです・・
本当の深川のことは 今も昔も 私には縁遠いお話ですが
なぜか「前略おふくろ様」に心酔した記憶のせいか
良く知ってる人が 今もそこにいるような気がしてなりません
@@daihuuhukudaihuuhuku さん
返信ありがとさんです。
僕が深川に家族で住んでいたのは生まれてからの10年足らず。
今は東京下町から離れ千葉の中途半端な田舎に引っ込んで
はや40年以上経ってしまいました。
しかし
幼年期から少年期にかけての たった10年間は
良かった体験 悪かった思い出全部ひっくるめて
自分のアイデンティティのほとんどをカタチづけたんじゃないかと思ってます。
...僕が深川に住んでいたころ。
夕方 材木屋でひしめく町内の道端の風景として
コウバから出たオガクズや木っ端なんぞを
使い込まれたドラム缶で燃やす炎が
薄暮の色と引きかえに徐々に明るさを増した分
燻された煙の匂いがより一層
夕刻特有の寂しさを町中に引き連れてきます。
木材を加工するコウバの二階に無理くり建て増しされた社宅で
友だちと外遊びから帰って早々 母親に尻を叩かれ
九九のドリルを解いてる振りしてテレビを見ていると
夕方5時の終業ベルが鳴り仕事が終わったおっちゃんたちが
近くの酒屋ギンヤで買ってきたお酒やらおつまみを持ち寄ったのか
一階の休憩室でワイワイと酒盛りの宴が聞こえてきます。
僕は
その楽し気なオトナたちの雰囲気を察知すると
母親がちゃぶ台に用意したカレーを素早く掻っ込むが早いか
ダッシュで急こう配な階段を駆け下り
おっちゃんたちの間に分け入って柿ピーやイカクン 6Pチーズと云った
おつまみの御相伴にあずかったりしてました。
特に冬至である今ごろの季節だと
休憩室唯一の暖房器具 ダルマストーブのアタマの平たいところに金網を乗っけて
おっちゃんたちが炙るアタリメの足をもらうのが
何よりの楽しみ。
おっちゃんたちはしゃべくりの合間に
ダルマストーブで湯を沸かしてお酒の燗をつけたり
缶詰をあっためたりしては
そのツマミのおすそ分けを僕らチビッ子に振舞ってくれました。
で
父親が小学低学年の僕のコップにやおらビールを注いでは
回りのオトナたち公認で呑ませてもらうのが大好きでしたねぇ。
誤解のないように申し上げれば
それは不良な子どもが育つ粗野な環境という事では断じてなく
あの当時 下町のコウバ街に住んでいたごく普通の子どもたちなら
誰でも経験のあるごくごく普通なエピソードでありました。
もひとつ誤解ないように言うと
あのユルユルな巷のモラル観とは
親の監視下の中での子どもの軽い飲酒なぞ
当時の日本の家庭なら割と寛容な事だったんじゃないかと思うんですよね。
そんなユルユルな時代背景の中で僕が愛してやまない
「前略おふくろ様」
に代表される秀逸な下町ドラマの数々が出てきたわけです。
他の同時代下町ドラマでは
「寺内貫太郎一家」は上野谷中。
「ムー ・ ムー一族」は築地にほど近い新富町が舞台でしたね~
「時間ですよ」は
おねいちゃんのオッパイシーンが普通に登場する下町銭湯が舞台だったし
ほんでもって映画では誰もが知っているあの国民的ムービー
「男はつらいよ」は葛飾柴又という
もう絵にかいたようなガチンコな下町っぷりで。
そのドラマたちは
今のお仕着せなモラルでは絶対NGな場面があちこちにあったりするが
でも そのおかげで今見ても決して色褪せてないおもしろ楽しいものばかりで。
そんなユルユルな時代背景を昭和世代の多くが素直に楽しめ
シンパシーを感じ取れるのが
「前略おふくろ様」
じゃぁないかと思うんですよねぇ。
( ̄▽ ̄)。。。長文めぇんご
走馬灯のように、
次々と当時の想い出が頭の中を駆け巡って来る。
その当時から経て、平成、令和・・・深川・木場はメッキリ変わっちまったよ。
この度は本当にありがとうございました!お宝にさせていただきます。
ありがとうございます、気持ちを落ち着かせたい時、また聞いてあげてくださいませ。
倉本聡さんが傷だらけの天使の後のショーケン主演で一本作って欲しいと言われて作ったが、ショーケンを抑えられる俳優さんをアチコチに配置し、控えめなショーケンで輝かせたと言ってましたね〜
こんな素敵な人生が、昭和の時代です。!
動画の再生が終わるまで、思う存分思い出に浸ってください、これはそういう動画ですw
前略おふくろ様のパート3やって欲しかったなぁ〜
オッサンになってからはミツ子のテーマが自分の青春をフラッシュバックさせる
高校受験を控え、担任の先生からテレビは我慢しろと言われたけど、「前略おふくろ様」だけは見せてくれと言ったことを覚えています。
あの頃はそういうのありましたねぇ、今もあるかw。
私は一番大事なものを封印しろと言われて、泣く泣くギターの弦をペンチで切って半年間弾けなかった思い出が懐かしいですねぇ。
深川木場の風景が浮かんでくる。
しばしあの頃にお戻りください、75年76年だそうです。
mf 私が中学生の頃でした。思い出に浸ります。ありがとうございます😊
ご視聴ありがとうございます。
やっとのことで1つ仕上げました、また同様に楽しんで頂けたら幸いです。
皆さんも耳タコなものですので怖いです(笑)、また暖かい耳で宜しければ聞いてやって下さいませ。
ruclips.net/video/GHvCU8GI4xY/видео.html
なかなかCDも手に入らないので有り難いです。東京が東京地方で東京ローカルがあった頃のお話。開発が進みすぎて山の手から下町まで変わりすぎて。探せば世田谷にも残ってるんだろうけど。
アップしていただきありがとうございます。本当に嬉しいです!
ありがとうございます。
サブちゃんかっこいい、かすみちゃん可愛い、秀次さんシブい、と懐かしむあなたも私も皆さんも・・・歳とりましたねぇ(笑)
いいドラマでした。
同感です。しかし、月日が経つのははやいものですね。
前略 ご清聴の皆様
同慶の至りな訳で、言う事ないっす❣️
さぶちゃんに会いたい、いい大将になったかな、どこに店あるのかな
泣かせないでくれるかな...😉
夕暮れ時に聴いてみてください。サブちゃん、うめちゃん、かすみちゃん…みんなに逢えますから。
@@アカパパ-n8y わかります!
おっしゃる通りです!
夕暮れにワンカップ大関のんで
曲聞いてさぶちゃんに会いにいきます
京都、下京区で
鴨川食堂をやってましたよ👍🏻😎
口ずさみなが料理してましたけどその必要がなくなりました(笑)
ありがとうございます!
こんなの聞きながら料理していると、川波病がうつりますよ(笑)。
「はい今日はカレーっす」と何でも「っす」と言ってしまう三郎に影響されすぎ病とか
「で何だっけ?あれよあれあれ、何だっけ?」とすぐに忘れる八千草さん病とか。
私は何でもかんでも「っす」でしたね(笑)。
mf さん
三郎のテーマなんて流れたら
そうなっちゃうっす!
ショーケン病に感染してるヤツ はいっぱいいる訳で…。笑
これのCD欲しいッ!
私はLP版を入手しましたがCDは出ていたと思いますが今はヤクオフには出ていないみたいですね。
私は拓郎氏の人生を語らずのペニーレーンでバーボンを(当時発禁になった、LPは持ってて)を無性に聞きたくなりプレーヤをえいやぁと買いましたw、今は安いものがあるし)
それかDVDボックス全買いしかないかと・・・
倉本聰さんのシナリオ、
きたのぬにから は観なかったけれどおふくろ様は欠かさず観ていた この音楽のちからも大きかった 井上バンド
あぁ、政吉さんまでも・・・
欲しい〜むちゃくちゃ欲しい😂CDないかな
CDは出ているはずですよ、手に入るかはどうでしょう?
私はLPを手に入れましたけど。この原曲を聞くためにプレーヤを買う価値はあるのでしょうw
@@mf-dtm-youtube そうですかやっぱりありがとうございます
また来ちゃたよ!
時間ジャンプ機能を発見し(今更?笑)説明に入れました。
毎日これだけは聞くとか、バージョン違いを聞き比べるのもいいかも知れません。
私は18:02を何度も何度も・・・。
素晴らしい。耳コピ出来る人尊敬します。
前略おふくろ様は、リアルタイムとビデオで5、6回観てますが、曲とタイトルがほとんど分かりませんでした。感謝です。
平吉のテーマ? マジですか?
自分はLP買って100万回聞いてますから。曲は知ってても中々タイトルまでは分かりませんね。
いえ、平吉のテーマですね。www.voxmusicweb.com/detail.php?id=19877
あまり出てはいないのでちょっと意外ですね。
まかさか、お袋様が全曲聴けるとは?!ありがとうございます
ショウケン、良子さん先に逝かれました。小3時のアイドル的方。ご冥福を!俺等聖子も、先に逝かれました。ボッチは、辛い。鷹sanは、今日もドットコム❣️で走ってます。ゴールは、無い。
アップと書かれていてふと気になりましたが、これはLPの音源ではありませんので(そんな著作権侵害などする気は全くありませんので)。LPの楽曲を聞いて、音楽作成ソフトに打ち込んだコンピュータ演奏です、お間違えなく。
ピアノやギターは相当念入りに再現したつもりですが、コンピュータ演奏ですので整いすぎてしまっていますね、原曲はもっと枯れた渋い演奏です。
これを聴いてるほとんど人は 想い出に浸っているのです 浸っていたいのです
お気に召さるな
秀次さんも・・・
2で喫茶店の中、ヤクザに脅されているサブを迎えに来たシーンや、自転車に乗り、仕入れから帰ってくるシーンが、すねに傷を持つ四十男の哀愁を感じ、堪らなく好きでした。
ご冥福をお祈りします。
昭和の時代多くの若い人達が、
この音源はオリジナルではなくてmtさんが作った音源でしょうか?
DTM(デスクトップミュージック)とはパソコンと音楽ソフトで自分で作った音と言うことです。
あいやー
仏の顔も、、、…………………………
3度
何が?3度
昭和時代