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雑誌づくりをずっとしてきた人間からすると、広告収入というのは出版社にとっては資金繰りの点で大きな意味を持っていました。雑誌販売の利益が取次から入ってくるのが6ヶ月の手形なので、そのあいだの資金繰りは銀行から借金するか、広告収入をあてるわけで、編集者でも長とか副編あたりは雑誌づくりよりも広告クライアントとの対応が主な仕事です。そんなことをしていると、広告出稿の見返りページを作らなければいけまらん。「バーター」というわけです。でも、この行為は雑誌を買ってくれる人、つまり読者に対する裏切り行為になることがしばしばありました。本当のことを記事にするのではなく、広告主の要望を優先したのです。広告を一切排除して編集している「暮しの手帖」の価値はそこにあるのです。誌面は読者のためにある、という当たり前のことを放棄したのは出版社自身だったのですね。このことが記事のクオリティを下げました。だから雑誌は売れなくなりました。広告主に媚びず、読者にもまた媚びず雑誌を作ることを理想としていた私は、それがいかに大変なことであるのか身を持って知り、陳腐な言葉で言えば挫折したわけです。私が手本とした雑誌は、先の「暮しの手帖」と平凡社の「太陽」でした。「太陽」は日本の雑誌で編集長に初めてデザイナー出身の方を採用した雑誌です。そして、荒木経惟さんがうまれた。(太陽賞)。雑誌の世界から逃げて、今は週刊誌すら買わなくなってしまった。
いつも貴重なお話しありがとうございます。前に1990年代頃の美容雑誌を見返したら6×7のフィルムを使用していたからなのか、言われる通り雑誌でも、奥行き感がありました。比較すると今と違って印刷代もあるのかもしれませんが昔のものはキレイですね。そういう事を知れて改めて嬉しいです。
PCの雑誌も昔は広告の量が物凄くて分厚かったですね
奇しくも休刊直前の収録になった回ですね。突然の休刊で、読者はさぞビックリした事と思います。今、改めてアップしたのは何か切っ掛けのような物があったのでしょうか?
1970年代のカメラ雑誌をみると、いろいろな意味でさらに痺れますよ、、、
ミノルタα707 α7と使い、待望のコニカミノルタα7digitalでした。その後はキヤノンに行きましたがSONY初代α7は買いました。数年前にα7s(初代)に買い換え、いまだα7の名前には特別なものを感じます。
中古カメラ店の中古品一覧読み漁っていた時代を思い出しました。懐かしいです。
本の厚みの違いは、まず最初に出てくると思いました。出版、とくに雑誌不況で、軒並み雑誌媒体はページ数が大きく減りましたから…。広告ページが減ったのもありますけど、製作費削減でページ数が減った。グラビアも載せる写真誌なので紙質は最後まで良いものにしたかったと思いますけど、最終的にはその部分も落としていったのかもしれないですね(モノクロページ増やしたりとか)。読者(=売上)が大きく減るなか、より広告を取るためにメーカーに寄った提灯記事的なものが増えていったのも、雑誌としては機能不全に陥っていました。
紙媒体は最近忘れていましたが、久しぶりに書店に行って買いたいと思います☺️
アサヒカメラとかも買ってたなぁ。フィルム時代でなんやらかんやらお金がかかる時代に写真雑誌はいいお値段だから立ち読みしてから買いたい内容号なら買ってた感じでしたなぁ。今は、ネット・RUclipsでいろんな情報を得られるからねぇ。ただ、アサヒカメラのコンテストにだして名前だけ載せていただいた号は大切に取ってます😊それだけでも嬉しかった😊
2021年の動画でしょうか。面白い。
2005年は雑誌も華やかなだったのですね。アサヒカメラと日本カメラは分厚い雑誌の記憶がありましたが後年は半分の厚みになったのですね。。。2005年からデジタル一眼に進んだのですね。ついでにパソコンの歴史も少し振り返ってみるとWindowsがXPからVistaに、Intelが CoreシリーズでCoreが2個になっていく時代でした。スマートフォンはまだで2007年6月に初代iPhoneが、日本でのiPhone 3Gが2008年7月発売でした。この辺りの年代はやっぱりデジタルに一気に進んだのですね。日本カメラはよく購読しました。後半の白黒ページ中古カメラは欠かさず見ていました…。私が初デジ一のEOS 5D初代買ったのが2009年(発売が2005年)でした。趣味の世界が毎年変わるような思い出があります。
もっと前に廃刊になった「四季の写真」よく買いましたが、皆さんご存知ですか?
広告の主力媒体が変わった…といえばそれまでの話なのかもしれないですが写真業界に限らず、確実に日本の衰退を感じますね。2005年当時は、まだティーンエイジャーだったのですが当時ですら不景気だ失われた20年だ何だと言われながら、店舗は24時間営業が当たり前いろいろな過剰サービスも健在でした。今や24時間営業すら維持できず、コンビニのスプーンすら買ってくださいの時代ですからね。まだまだ雑誌が広告料だけで成り立っていた時代、実はすごく良い時代だったんですね。
後ろの100ページくらいが広告と思います。年間1億円を越える広告収入があった。と聞きます!編集部のスタッフの人数も多かった。と思います。アサヒカメラが廃刊になるちょっと前に後ろの広告100ページがなくなった話題がありました。それと記事ですけど、スナップ、モノクロ、町歩き等々同じようなグループばかりが記事を書き面白みがなくなり、審査員までそのグループがしていた。そんな感じがありました。それで廃刊になった。
リアルタイムで読んでいるときは広告が邪魔に感じましたが時代が過ぎると広告のほうが面白かったりしますね。
CAPAや月刊カメラマンもペラペラになりましたね…昔買っていたのでビックリしました。
今の写真雑誌はバエする写真が多くなってしまってつまらなくなった。市中の写真ギャラリーを回った方が余程いい写真に出会える。
写真集のようなクオリティでもっと販売単価を上げて出してもいいと思います。
懐かしい。ツライ。。。デジタルの進化って【アルジャーノンに花束を】に似てるように思います。アタマ悪くなる訳では無いけど(笑)広がり方と減り方と、残ったモノを考えると繋がるような。サミシイ様なそれでいい様な。。。
日本カメラもとっくに休刊だと思っていました。しらべたら、まだ続いているようでビックリ。
2021年でしたか?とっくに廃刊になってますからね。残念ですね。あれ!毎日カメラとアサヒカメラか?
雑誌づくりをずっとしてきた人間からすると、広告収入というのは出版社にとっては資金繰りの点で大きな意味を持っていました。雑誌販売の利益が取次から入ってくるのが6ヶ月の手形なので、そのあいだの資金繰りは銀行から借金するか、広告収入をあてるわけで、編集者でも長とか副編あたりは雑誌づくりよりも広告クライアントとの対応が主な仕事です。そんなことをしていると、広告出稿の見返りページを作らなければいけまらん。「バーター」というわけです。でも、この行為は雑誌を買ってくれる人、つまり読者に対する裏切り行為になることがしばしばありました。本当のことを記事にするのではなく、広告主の要望を優先したのです。広告を一切排除して編集している「暮しの手帖」の価値はそこにあるのです。誌面は読者のためにある、という当たり前のことを放棄したのは出版社自身だったのですね。このことが記事のクオリティを下げました。だから雑誌は売れなくなりました。広告主に媚びず、読者にもまた媚びず雑誌を作ることを理想としていた私は、それがいかに大変なことであるのか身を持って知り、陳腐な言葉で言えば挫折したわけです。私が手本とした雑誌は、先の「暮しの手帖」と平凡社の「太陽」でした。「太陽」は日本の雑誌で編集長に初めてデザイナー出身の方を採用した雑誌です。そして、荒木経惟さんがうまれた。(太陽賞)。雑誌の世界から逃げて、今は週刊誌すら買わなくなってしまった。
いつも貴重なお話しありがとうございます。前に1990年代頃の美容雑誌を見返したら6×7のフィルムを使用していたからなのか、言われる通り雑誌でも、奥行き感がありました。比較すると今と違って印刷代もあるのかもしれませんが昔のものはキレイですね。そういう事を知れて改めて嬉しいです。
PCの雑誌も昔は広告の量が物凄くて分厚かったですね
奇しくも休刊直前の収録になった回ですね。
突然の休刊で、読者はさぞビックリした事と思います。
今、改めてアップしたのは何か切っ掛けのような物があったのでしょうか?
1970年代のカメラ雑誌をみると、いろいろな意味でさらに痺れますよ、、、
ミノルタα707 α7と使い、待望のコニカミノルタα7digitalでした。
その後はキヤノンに行きましたがSONY初代α7は買いました。数年前にα7s(初代)に買い換え、いまだα7の名前には特別なものを感じます。
中古カメラ店の中古品一覧読み漁っていた時代を思い出しました。懐かしいです。
本の厚みの違いは、まず最初に出てくると思いました。出版、とくに雑誌不況で、軒並み雑誌媒体はページ数が大きく減りましたから…。広告ページが減ったのもありますけど、製作費削減でページ数が減った。グラビアも載せる写真誌なので紙質は最後まで良いものにしたかったと思いますけど、最終的にはその部分も落としていったのかもしれないですね(モノクロページ増やしたりとか)。読者(=売上)が大きく減るなか、より広告を取るためにメーカーに寄った提灯記事的なものが増えていったのも、雑誌としては機能不全に陥っていました。
紙媒体は最近忘れていましたが、久しぶりに書店に行って買いたいと思います☺️
アサヒカメラとかも買ってたなぁ。
フィルム時代でなんやらかんやらお金がかかる時代に写真雑誌はいいお値段だから立ち読みしてから買いたい内容号なら買ってた感じでしたなぁ。
今は、ネット・RUclipsでいろんな情報を得られるからねぇ。
ただ、アサヒカメラのコンテストにだして名前だけ載せていただいた号は大切に取ってます😊
それだけでも嬉しかった😊
2021年の動画でしょうか。
面白い。
2005年は雑誌も華やかなだったのですね。
アサヒカメラと日本カメラは分厚い雑誌の記憶がありましたが後年は半分の厚みになったのですね。。。
2005年からデジタル一眼に進んだのですね。ついでにパソコンの歴史も少し振り返ってみるとWindowsがXPからVistaに、Intelが CoreシリーズでCoreが2個になっていく時代でした。
スマートフォンはまだで2007年6月に初代iPhoneが、日本でのiPhone 3Gが2008年7月発売でした。
この辺りの年代はやっぱりデジタルに一気に進んだのですね。
日本カメラはよく購読しました。後半の白黒ページ中古カメラは欠かさず見ていました…。
私が初デジ一のEOS 5D初代買ったのが2009年(発売が2005年)でした。趣味の世界が毎年変わるような思い出があります。
もっと前に廃刊になった「四季の写真」よく買いましたが、皆さんご存知ですか?
広告の主力媒体が変わった…といえばそれまでの話なのかもしれないですが
写真業界に限らず、確実に日本の衰退を感じますね。
2005年当時は、まだティーンエイジャーだったのですが
当時ですら不景気だ失われた20年だ何だと言われながら、店舗は24時間営業が当たり前
いろいろな過剰サービスも健在でした。
今や24時間営業すら維持できず、コンビニのスプーンすら買ってくださいの時代ですからね。
まだまだ雑誌が広告料だけで成り立っていた時代、実はすごく良い時代だったんですね。
後ろの100ページくらいが広告と思います。
年間1億円を越える広告収入があった。と聞きます!
編集部のスタッフの人数も多かった。と思います。
アサヒカメラが廃刊になるちょっと前に後ろの広告100ページがなくなった話題がありました。それと記事ですけど、スナップ、モノクロ、町歩き等々同じようなグループばかりが記事を書き面白みがなくなり、審査員までそのグループがしていた。そんな感じがありました。それで廃刊になった。
リアルタイムで読んでいるときは広告が邪魔に感じましたが時代が過ぎると広告のほうが面白かったりしますね。
CAPAや月刊カメラマンもペラペラになりましたね…昔買っていたのでビックリしました。
今の写真雑誌はバエする写真が多くなってしまってつまらなくなった。市中の写真ギャラリーを回った方が余程いい写真に出会える。
写真集のようなクオリティでもっと販売単価を上げて出してもいいと思います。
懐かしい。ツライ。。。
デジタルの進化って【アルジャーノンに花束を】に似てるように思います。
アタマ悪くなる訳では無いけど(笑)広がり方と減り方と、残ったモノを考えると繋がるような。
サミシイ様なそれでいい様な。。。
日本カメラもとっくに休刊だと思っていました。しらべたら、まだ続いているようでビックリ。
2021年でしたか?とっくに廃刊になってますからね。残念ですね。あれ!毎日カメラとアサヒカメラか?