Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
40歳でなくなったのは無念だろう。この時代で配下からは信頼されうる生き方をした。信長もみる眼があり、氏郷もそれに応えた。現代の社会人としてまさにお手本になる方だ。もし氏郷が奥州仕置に行かなかったら、もし氏郷が関ヶ原まで生きていたらと思うと残念でならない。
松倉秀政が「家臣にして欲しい」と申し出たところ、「あいつは臆病者だからやめた方がいい」と進言された。氏郷は「自分を臆病者と言えるものが臆病者であろうか。」と言って召抱えた。その後すぐに手柄を上げて、領地を貰うが、その思いに答えようと先陣を切り深入りしてしまい討死してしまう。「大志があり、人の上に立つべき男を早く取り立てたが、いま少し出世を遅らせておけば無理な働きなどせず、討死もなかっただろう。俺の過ちでよき武者を失った。」と涙を流したそう。
歴史におけるifにおいて、蒲生氏郷と前田利家の二強がいれば、豊臣の世は長く続けられたどろうと言われるほどの隠れた巨人の武将ですよね。
氏郷と堀秀政がもっと長生きしてれば豊臣政権はまた違った形となってただろうに……
「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」でしたよね。桜の花(人の命)は限りがあるし、吹かなくても散るものを。心短いな、春の山風は。後、「自分は貧しくなって良いから、家臣には知行を十分に与えて大切にするのは勿論。だが、情けも掛けてやらねば、鳥の両翼の関係と同じで、組織が上手く回らなくなる」でしたっけ。
蒲生氏郷で検索すると鎧の画像出てくるけどめっちゃカッコ良い
畳の縁に躓いて小姓達に笑われた「佐久間安政」は、鬼玄蕃こと佐久間盛政の弟です氏郷のエピソードで好きなのは、伊達政宗と黒塚という土地を巡って揉めた際に、「みちのくの 安達が原の黒塚に 鬼こもれりというはまことか」という平兼盛の歌を引用し、黒塚は安達が原に含まれるのだから我が領地だと主張して政宗を黙らせたエピソードです😊
滋賀県では、子供が泣くと「ガオーさんが来るぞ」と言って泣き止めさせた。蒲生軍の勇猛さと残虐さが後世に伝わっている・・・・って、滋賀県は蒲生の地元だろ・・・
私の一番好きな武将がついに出てきてくれた。嬉しい😊
蒲生旧臣の忠義心が、後に氏郷と同じ近江出身の三成への忠義心に変わるのが何とも面白い。
三成は氏郷並の家臣愛を示したからねぇ。
蒲生氏郷って名前がもう強いよな
蒲生家は氏郷のカリスマ性で持っていたも同然だった。その氏郷の急死で蒲生家は一気に没落、そして後継者無しで断絶という末路だからな…。何より氏郷自身の短命もさることながら、その息子の秀行、更にその息子の忠郷・忠智兄弟も短命だったから、氏郷の代からの歴代君主の短命は遺伝だった可能性があるな…。
枝別れした分家の駿河長谷川家は江戸時代当時では六十以上の人がそこそこいて長生きしてる方の家だったからこそどこで差がついたのか。末期養子が江戸初期に緩くてなおかつ分家筋の長谷川家から養子が送られてたらワンチャン鬼平犯科帳が大名の「蒲生平蔵宣以」の物語になってた可能性もあるんだよな。
蒲生秀行は織田信長の孫、その子の蒲生忠郷は家康の孫なんでDNAのサラブレッド感はめちゃくちゃ凄い。結果は残念でしかないけど。
信長の野望で知ったが、蒲生氏郷と戸沢盛安は能力高いのにすぐ死ぬという印象。
戸沢は20代で死ぬからなマジで悲しすぎる
戸沢は20代で死んでまうからマジで早すぎる
秀吉が医者手配する時の「日の本で一番の医者を日の本で一番の箱で会津へ行かせろ!」という話好き
よく改名したことでも有名です。また部下に蒲生性を与えすぎて家臣にも蒲生がいっぱい。松坂市出身者より。
漫画「センゴク」で小牧・長久手の戦い編で、信雄・家康の同盟成立後に連合軍が攻めようとしていたのが堀秀政・蒲生氏郷が守る南近江方面と知ったけど、本当に攻めてたら連合軍がボロ負けする予感しかしないんですが…この二人同時に相手にして勝てる未来がマジで見えない
浪人を何人もめし抱えて、恩を返そうと活躍しまくったおかげで、氏郷が活躍した者には名前を与えてしまうので同じ名前が増えまくった
家臣の中で特に功績を立てた人間には【蒲生】の姓と自分の名前の一文字である【郷】の諱を氏郷は家臣に与えたね。有名どころとしては蒲生郷舎(のちの石田三成家臣)・蒲生郷成(お家騒動である蒲生騒動の当事者の一人)、蒲生郷安(同じく蒲生騒動の当事者の一人)かな。
奇しくも「豊臣」による擬似一族の没落を先駆けて体現してたというね
へうげもので伊達政宗と殴り合いの喧嘩するシーンは笑ったwもうちょっと寿命が長ければ、歴史が変わったかもしれない程の有能武将。当時の平均寿命って30代くらいの過酷に時代だから、仕方ないかもしれん。
11:04 これは確か、大仏殿の石垣に使う石を運ぶ途中に秀吉の命で休憩していたら京童にからかわれたんで男塾名物直進行軍のごとく目的地へ文字通りまっつぐ進んで途中の建物を轢き潰した逸話の一部よな。温和な人格者って評価の高いレオンの珍しく短気な逸話の一つw
こうして、松坂牛は誕生した🐂😋松坂の名付け親が蒲生氏郷とは知らず、驚きました
広島カープの元投手コーチで解説者の安仁屋宗八氏は、シーズン前に各投手の勝ち星数を予想するのだが、大盤振る舞いするので合計すると試合数を軽く超えてしまうのだ。決して足し算が不得手なわけではなく、これは期待していることの表れ。蒲生氏郷の領地分配の話を聞いて思い出した。蒲生氏郷については優等生タイプで熱い逸話も少ないため、さほど魅力を感じなかったのだが、部下をまとめる統率があり、自ら前線で刀を奮う武力があり、大胆不敵な野望を持ち、領民からは慕われる善政をしく、というね。優等生どころじゃなく完成度高過ぎ。今度信長の野望をする時は能力値を上げねばなるまい。
蒲生氏郷。こんなすげー男がいたとは
この子を自分の婿にしたいって感覚は相当惚れてる証拠。信長が会ってぞっこん惚れて婿にしてしまうんだから、それはもう賢くて体格がよい美丈夫だったんだろうね。
お疲れ様です。蒲生さんは普通に天下狙えたレベル。ただ、時の運ですね、
鎧のデザインセンスも400年後の現代でも通用する完璧超人
直腸癌で亡くなったんだって。若いから進行も早かったのかな🥺がもう家とかあまり聞いたことなかったけど、こんなすごい人がいたことを知れて嬉しい
戦国無双で変な兜の奴いるなぁって思ってたけど、史実だったのか
こうやって見ると信長の言うことを原理主義者レベルで遂行してたんだなと
「鯰尾の兜」の逸話を出しているから蒲生氏郷のイラストも「黒漆塗燕尾形兜」の方じゃなく「鯰尾兜」のイラストにして欲しかったなぁ。蒲生の逸話のせいで知らん人が良く「燕尾の兜」を「鯰尾の兜」と勘違いしてる人が多いからなぁ。
俺の中では立花宗茂、島津家と並ぶこの時代最強大名。秀吉 は天下統一したとは言えこんな事奴等がまだ居たんやから自分の死後の事まで完全な対策出来んかったよな。徹底して外様を弱らせて敵無しにさせた徳川が長く続いたのも納得。
戦国のMR.パーフェクト来た!氏康、氏郷と取り上げてくれてありがとやで。戦国唯一無敗の男、甲斐宗運は取り上げてくれてたんやっけ?
秀吉「だいたい先頭の方にいるだろうから討ち取るの簡単」と言われるほどの突撃狂な一方で天下で一番気の長い人物と言われる。そして天下で一番気の短い人物と言われた忠興と仲良しってのが面白いし高山右近と忠興とでこっそり牛肉を焼いて食う逸話とかも面白いw秀吉は氏郷の子どもの秀行の改易を強行しようとし、秀次は蒲生の相続検地は利家・家康も協力したのにこの二名の心象を損ねると不安視し、90万石安堵と方針で対立したのも秀吉と秀次の確執の最大の要因とも? 秀吉「能力のない若造に東北は任せられん。能力重視や!改易しろ!」秀次「ならお拾様(秀頼)にも同じこと言えるんですか!」 秀吉「…………あ?」
僕も蒲生郡日野町で生まれたので紹介してもらえて嬉しいです!豊臣政権時代は徳川、毛利と肩を並べるくらいだったのびっくり
氏郷の死で一番救われたのは徳川家康だろうな…
そうか氏郷が生きていれば家康は会津92万石をもつ氏郷が関東に攻めてくるからそのまま豊臣政権は続いたかも知れないのか
え、初めて聞いた名なんやが。。完璧超人すぎるな。。
限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風
会津に居を構えてるけど、蒲生氏郷公のお墓まで歩いていける距離に住んでます御子息の蒲生秀行公のお墓までは…チャリンコでないと少々厳しい(汗)
なんかこう言う動画見てて思うけど近畿の古都京都から関東の東京に事実上の首都機能が移って関東が主軸に成って以降現在に至るまで滋賀って現代の子供達から見たら地味な印象の県でしか無いけど、明治維新以降も一応コンスタントに著名人を輩出し続けてるけど特に頭角を表したのって戦国時代とかの古の時代とかだと今回の蒲生氏郷の近江出身の織田家臣団や浅井家臣団や六角家臣団や京極家臣団みたいな武将系統をすんげー輩出してて思ってるより近江の地って東側の武者の最終防衛ラインだった関係か解らんけど商人の素質もそうだけどどちらかと言うと武の方にパラメーター振った血生臭い土地よな
長生きしたら歴史が変わったって所まで完全無欠な戦国武将ですね。
まさに!歴史に「もしも」は禁物ですが、生き様はもっと語り継がれると思います!
ワイの一番好きな日本史の人物やんけ大河の主人公やって欲しいちな世界史では光武帝完璧超人が好き
光武帝はおちゃめすぎて、叩き出されたことあるし有能でも貴族出なら割と冷遇して批判受けてた
蒲生氏郷が後10年、いや5年長生き出来ていれば大きく歴史も変わってただろうね。
トップクラスに好きな武将です
人柄聞いて真っ先にエルヴィン・ロンメルを想像した。カリスマ故(ゆえ)の後継者問題は昔も今も同じか…
織田信長に重用されてたから凄い人ってのはわかるんだけど 会津若松城を改修して政宗がけしかけた一向一揆を鎮圧したぐらいしかわからないわー 堀秀政みたいな感じなのかな?
政宗がいつ一向宗扇動したんだよw実際に一揆扇動したのかすらよく分かってないのに
一向一揆(本願寺)ではなく、葛西・大崎一揆(改易された大名の反乱)だと思う。
会津若松城じゃなくて、若松城だよ。
@@黒川千鶴-u1v 鶴ヶ城じゃなくて?
@@datemono-sengokuzidai鶴ヶ城は蒲生時代の名称だけど、全国各地に同じ名前があるから、国が史跡として定めた名前が若松城、江戸時代の文献では、会津城、黒川城。
小田原征伐の恩賞にかつての先輩「佐々成政の馬印」の使用許可を秀吉に願い出るエピソードも入れて欲しかった。
初めて聞きましたが佐々成政は秀吉が嫌っていた人だったのを知ってのことだったのでしょうか?
@tonks-jf2zr 勿論知っていたとは思いましたが、秀吉は佐々成政の事は評価していたと思います。小西と加藤の前の肥後は成政の戦功で与えていたし、蒲生に「金の三階傘は武名名高い佐々のものだから、それに見合う戦功をたてれば」と言っています。因みにこの時、蒲生は後の豊臣秀次と一緒にお願いをしましたが、秀次がこの時に願い出たのは柴田勝家の馬印の使用許可でした。
@@AlternateUniverseNORI 秀次といっしょにしたなら安心ですね…その何年かあとに秀次も族滅されるのだから独裁者の機嫌取りはむつかしい
もし健康に生きてたなら関ヶ原の西軍大将でもおかしくないこれに立花宗茂が間に合ってたら西軍勝利やろただその時まだ会津が領地やったら…家康も氏郷が会津にいたら関ヶ原自体が起きなかったかも上杉やったから無理矢理きっかけ作ったが
流石は俵藤太の子孫
もしもあと五年生きていれば、五大老ではなく、氏郷を入れた六大老になってたはず
ここのチャンネル見るようになって、名前を聞いた事ある有名な大名が想像以上にキリシタン大名だった事が驚きで学び。学生時代の授業もこの動画くらい楽しかったらなぁ~。
嬉しいコメントありがとうございます!学生時代歴史が苦手科目だったので、人物→出来事や歴史的な流れを理解する みたいな人が増えてくれると嬉しいです!☺️
秀吉による暗殺は分からんけど、蒲生の死後に秀吉が未亡人にちょっかいかけようとしたとの話はある。未亡人は出家してそれを避けた。
蒲生氏郷は仕事には厳しい人でしたがライバルの伊達政宗に比べると人が良く冷酷さやずる賢さが無かったのかもしれませんね。後脇が甘い部分もあったかもしれませんね。
人質は基本的に自分の配下の子達らなので自分の息子みたいに育てるのが普通なんだけど、それでも蒲生賢秀が観音寺と日野城で負けて六角が滅亡後すぐ13歳で人質→即座に小姓格に取り上げられるのは相当なお気に入りにでもならない限りありえないよね…まだ降伏して間もない蒲生家で忠誠心もまだまだ怪しいのにかなり好かれて居たのかな
コメント・補足情報ありがとうございます!言葉からイメージする意味合いとだいぶ違いそうなので、いつか一度動画内で説明する必要がありそうですね!➡人質
お城巡りをしていると城主蒲生氏郷とよく名前をみます🤗ここも氏郷来てるで!とテンションが上がります✴️92万石の裏には政宗のおろかな工作が(笑)🤗✨日野城はるろうに剣心のロケ地で出てました🤗
いつもコメントありがとうございます!最近城巡りの楽しさに目覚めつつあります笑旅行先では必ず城を入れます🏯
織田政権における次世代のエース候補が堀秀政と蒲生氏郷であり、豊臣政権においては長生きしてたら、大老のメンツも変わってて徳川の天下はなかったと思う存在。
心労だわ・・・絶対・・・でもこの立ち回りは氏郷にしか出来んかった・・
セルを思い出すわ。
信長の娘婿No.1‼️本能寺の変さえなければどうなっていたことだろう。若くして亡くなるとはどれ程の無念であったろうか😢
鯰尾?作中の兜は「燕尾」の兜だろ。鯰尾の兜は長烏帽子で鯰の面まできっちり作り込まれている。
コイツの家臣に岡定俊(左内)と言う、蓄財が趣味で武勇もある武将が居ました。
さすがは天下を取れると言われるだけはある!
もしも関ヶ原まで生きていれば、西軍の大将は違っていたかもしれない…そして勝者は違っていた“かも”しれない。
架空歴史小説で、大量の鉄砲で軍勢の先頭を銃撃し、氏郷を討ち取るってのがあったなぁw
ノッブに惚れられるなんて本当にチートなんだなm(_ _)m
横山先生の「伊達政宗」で翻弄される小物っぽく描かれていたのが残念でした。
血筋も平氏・源氏にも負けない奥州藤原家がご先祖で、たどっていけば天皇家にもあたるとか、、、サラブレットやな!
五大老に入っていたら間違いなく歴史は変わってるな
寿命D
シーっお口チャック
恵まれた能力からの寿命D組多いからなあ
急逝したのは悔やまれるけど死んでいなかったら、おそらく秀吉によって千利休切腹前後あたりで力を削ぐか殺されていたと思うよ。徳川家康以上に恐れていていたからね。
ただ、秀吉は氏郷とは戦いやすいとは言ってるw絶対に一番前にいるからそいつを潰せば終わるって。あとは報奨として蒲生姓も与えてたから混乱したってw
そら、小姓の時からその兜つけて髭生やしてたら只者やないわ(笑)
はえー、古田織部が七哲に入っとらんバージョンもあるんだ。
今は松阪なのは覚えておいて欲しい 松阪市民は松坂牛の表記を見ると殺意を覚える人もいるくらいだから
情報ありがとうございます!!😨私の地元も誤読されやすい地名なので、気持ちは重々…以後気をつけます!!
家臣に与える領地を申告制にしたら、自分の分がなくなったからやり直した、というエピソード好き。利休七哲には、古田重然(織部)は入っていると思うけどな🤔
冬姫にラブレター送ってるんやで、恥ずいわ
蒲生家は皆んな早死にらしいね。残念で仕方がない。
これといった大きな功績はないけど評価は高い、謎武将って印象だったな
独眼鉄はクズエピソードが多いな氏郷に比べたら、小さいと感じる
部下になったばっかりの奴には「ウチじゃ銀の鯰尾兜被った猪武者が先陣切るからソイツに負けるなよ」って伝えた話すき蒲生家で鯰尾兜……一体誰なんですかねぇ……?
伊達政宗は秀吉との取次役の浅野長政に送った絶縁状の十ヶ条の一つに自分と仲の悪い蒲生氏郷と懇意にしているとわざわざ書くほど嫌っていたらしい。ちなみに両家の和解が成立したのは398年後の平成6年(1994年)
政宗が領土ちょいちょい削られたのは小田原参陣が遅れたり裏で怪しいことやらかしたりした自業自得で蒲生氏郷を嫌うのは逆恨みなんじゃないかなあ
あの信長が大切に育てた武将だからね。能力もあっただけに・・・仮想戦記でも結構活躍するが、一番目立ったのが「覇信長記」。第二代皇帝「織田幸村」の最大の重臣であり、「世界中から認められた(比喩ではなく)」名将になった。
氏郷と容保公は会津では名君と語り継がれている
蒲生氏郷は決して内政上手ではありませんよ。この人、松坂城の築城もそうですが実戦第一主義な城を築城したため現在にもその影響か松坂城跡周辺は交通の便が悪いです。また、家臣に蒲生姓を与えすぎて氏郷死去後の家中争いに影響を与えています。
【氏郷は人材育成をあまりきちんとしていなかったのではないか?】と思ってしまいますね。 もし人材育成をちゃんとしていたら、氏郷死後に勃発した家臣である蒲生郷成と蒲生郷安が引き起こした権力争い【蒲生騒動】が起こらず、そして蒲生家も蒲生騒動を引き起こした罰として、下野宇都宮へ減転封されずに会津に残ったのかもしれないですから。
なんで大河やらないんやろうな。
政宗が悪く描かれすぎるのを避ける時あるから?
ちょっと退場が早すぎんねんほんと惜しいわ
だって何もやってないもんコイツ人生の波瀾万丈感もないし
一揆鎮圧位しか無いしな…退場が早すぎる
40歳でなくなったのは無念だろう。この時代で配下からは信頼されうる生き方をした。信長もみる眼があり、氏郷もそれに応えた。現代の社会人としてまさにお手本になる方だ。もし氏郷が奥州仕置に行かなかったら、もし氏郷が関ヶ原まで生きていたらと思うと残念でならない。
松倉秀政が
「家臣にして欲しい」
と申し出たところ、
「あいつは臆病者だからやめた方がいい」
と進言された。
氏郷は
「自分を臆病者と言えるものが臆病者であろうか。」
と言って召抱えた。
その後すぐに手柄を上げて、領地を貰うが、その思いに答えようと先陣を切り深入りしてしまい討死してしまう。
「大志があり、人の上に立つべき男を早く取り立てたが、いま少し出世を遅らせておけば無理な働きなどせず、討死もなかっただろう。俺の過ちでよき武者を失った。」
と涙を流したそう。
歴史におけるifにおいて、蒲生氏郷と前田利家の二強がいれば、豊臣の世は長く続けられたどろうと言われるほどの隠れた巨人の武将ですよね。
氏郷と堀秀政がもっと長生きしてれば豊臣政権はまた違った形となってただろうに……
「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」でしたよね。
桜の花(人の命)は限りがあるし、吹かなくても散るものを。心短いな、春の山風は。
後、「自分は貧しくなって良いから、家臣には知行を十分に与えて大切にするのは勿論。だが、情けも掛けてやらねば、鳥の両翼の関係と同じで、組織が上手く回らなくなる」でしたっけ。
蒲生氏郷で検索すると鎧の画像出てくるけどめっちゃカッコ良い
畳の縁に躓いて小姓達に笑われた「佐久間安政」は、鬼玄蕃こと佐久間盛政の弟です
氏郷のエピソードで好きなのは、伊達政宗と黒塚という土地を巡って揉めた際に、「みちのくの 安達が原の黒塚に 鬼こもれりというはまことか」という平兼盛の歌を引用し、黒塚は安達が原に含まれるのだから我が領地だと主張して政宗を黙らせたエピソードです😊
滋賀県では、子供が泣くと「ガオーさんが来るぞ」と言って泣き止めさせた。
蒲生軍の勇猛さと残虐さが後世に伝わっている・・・・
って、滋賀県は蒲生の地元だろ・・・
私の一番好きな武将がついに出てきてくれた。嬉しい😊
蒲生旧臣の忠義心が、後に氏郷と同じ近江出身の三成への忠義心に変わるのが何とも面白い。
三成は氏郷並の家臣愛を示したからねぇ。
蒲生氏郷って名前がもう強いよな
蒲生家は氏郷のカリスマ性で持っていたも同然だった。
その氏郷の急死で蒲生家は一気に没落、そして後継者無しで断絶という末路だからな…。
何より氏郷自身の短命もさることながら、その息子の秀行、更にその息子の忠郷・忠智兄弟も短命だったから、氏郷の代からの歴代君主の短命は遺伝だった可能性があるな…。
枝別れした分家の駿河長谷川家は江戸時代当時では六十以上の人がそこそこいて長生きしてる方の家だったからこそどこで差がついたのか。末期養子が江戸初期に緩くてなおかつ分家筋の長谷川家から養子が送られてたらワンチャン鬼平犯科帳が大名の「蒲生平蔵宣以」の物語になってた可能性もあるんだよな。
蒲生秀行は織田信長の孫、その子の蒲生忠郷は家康の孫なんでDNAのサラブレッド感はめちゃくちゃ凄い。結果は残念でしかないけど。
信長の野望で知ったが、蒲生氏郷と戸沢盛安は能力高いのにすぐ死ぬという印象。
戸沢は20代で死ぬからな
マジで悲しすぎる
戸沢は20代で死んでまうから
マジで早すぎる
秀吉が医者手配する時の「日の本で一番の医者を日の本で一番の箱で会津へ行かせろ!」という話好き
よく改名したことでも有名です。
また部下に蒲生性を与えすぎて家臣にも蒲生がいっぱい。
松坂市出身者より。
漫画「センゴク」で小牧・長久手の戦い編で、信雄・家康の同盟成立後に連合軍が攻めようとしていたのが堀秀政・蒲生氏郷が守る南近江方面と知ったけど、本当に攻めてたら連合軍がボロ負けする予感しかしないんですが…この二人同時に相手にして勝てる未来がマジで見えない
浪人を何人もめし抱えて、恩を返そうと活躍しまくったおかげで、氏郷が活躍した者には名前を与えてしまうので同じ名前が増えまくった
家臣の中で特に功績を立てた人間には【蒲生】の姓と自分の名前の一文字である【郷】の諱を氏郷は家臣に与えたね。
有名どころとしては蒲生郷舎(のちの石田三成家臣)・蒲生郷成(お家騒動である蒲生騒動の当事者の一人)、蒲生郷安(同じく蒲生騒動の当事者の一人)かな。
奇しくも「豊臣」による擬似一族の没落を先駆けて体現してたというね
へうげもので伊達政宗と殴り合いの喧嘩するシーンは笑ったw
もうちょっと寿命が長ければ、歴史が変わったかもしれない程の有能武将。
当時の平均寿命って30代くらいの過酷に時代だから、仕方ないかもしれん。
11:04 これは確か、大仏殿の石垣に使う石を運ぶ途中に秀吉の命で休憩していたら京童にからかわれたんで男塾名物直進行軍のごとく目的地へ文字通りまっつぐ進んで途中の建物を轢き潰した逸話の一部よな。温和な人格者って評価の高いレオンの珍しく短気な逸話の一つw
こうして、松坂牛は誕生した🐂😋
松坂の名付け親が蒲生氏郷とは知らず、驚きました
広島カープの元投手コーチで解説者の安仁屋宗八氏は、シーズン前に各投手の勝ち星数を予想するのだが、大盤振る舞いするので合計すると試合数を軽く超えてしまうのだ。決して足し算が不得手なわけではなく、これは期待していることの表れ。
蒲生氏郷の領地分配の話を聞いて思い出した。
蒲生氏郷については優等生タイプで熱い逸話も少ないため、さほど魅力を感じなかったのだが、部下をまとめる統率があり、自ら前線で刀を奮う武力があり、大胆不敵な野望を持ち、領民からは慕われる善政をしく、というね。優等生どころじゃなく完成度高過ぎ。
今度信長の野望をする時は能力値を上げねばなるまい。
蒲生氏郷。こんなすげー男がいたとは
この子を自分の婿にしたいって感覚は相当惚れてる証拠。信長が会ってぞっこん惚れて婿にしてしまうんだから、それはもう賢くて体格がよい美丈夫だったんだろうね。
お疲れ様です。
蒲生さんは普通に天下狙えたレベル。ただ、時の運ですね、
鎧のデザインセンスも400年後の現代でも通用する完璧超人
直腸癌で亡くなったんだって。若いから進行も早かったのかな🥺
がもう家とかあまり聞いたことなかったけど、こんなすごい人がいたことを知れて嬉しい
戦国無双で変な兜の奴いるなぁって思ってたけど、史実だったのか
こうやって見ると信長の言うことを原理主義者レベルで遂行してたんだなと
「鯰尾の兜」の逸話を出しているから蒲生氏郷のイラストも「黒漆塗燕尾形兜」の方じゃなく「鯰尾兜」のイラストにして欲しかったなぁ。
蒲生の逸話のせいで知らん人が良く「燕尾の兜」を「鯰尾の兜」と勘違いしてる人が多いからなぁ。
俺の中では立花宗茂、島津家と並ぶこの時代最強大名。
秀吉 は天下統一したとは言えこんな事奴等がまだ居たんやから自分の死後の事まで完全な対策出来んかったよな。
徹底して外様を弱らせて敵無しにさせた徳川が長く続いたのも納得。
戦国のMR.パーフェクト来た!
氏康、氏郷と取り上げてくれてありがとやで。戦国唯一無敗の男、甲斐宗運は取り上げてくれてたんやっけ?
秀吉「だいたい先頭の方にいるだろうから討ち取るの簡単」と言われるほどの突撃狂な一方で天下で一番気の長い人物と言われる。そして天下で一番気の短い人物と言われた忠興と仲良しってのが面白いし高山右近と忠興とでこっそり牛肉を焼いて食う逸話とかも面白いw
秀吉は氏郷の子どもの秀行の改易を強行しようとし、秀次は蒲生の相続検地は利家・家康も協力したのにこの二名の心象を損ねると不安視し、90万石安堵と方針で対立したのも秀吉と秀次の確執の最大の要因とも? 秀吉「能力のない若造に東北は任せられん。能力重視や!改易しろ!」秀次「ならお拾様(秀頼)にも同じこと言えるんですか!」 秀吉「…………あ?」
僕も蒲生郡日野町で生まれたので紹介してもらえて嬉しいです!豊臣政権時代は徳川、毛利と肩を並べるくらいだったのびっくり
氏郷の死で一番救われたのは徳川家康だろうな…
そうか氏郷が生きていれば家康は会津92万石をもつ氏郷が関東に攻めてくるからそのまま豊臣政権は続いたかも知れないのか
え、初めて聞いた名なんやが。。完璧超人すぎるな。。
限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風
会津に居を構えてるけど、蒲生氏郷公のお墓まで歩いていける距離に住んでます
御子息の蒲生秀行公のお墓までは…チャリンコでないと少々厳しい(汗)
なんかこう言う動画見てて思うけど近畿の古都京都から関東の東京に事実上の首都機能が移って関東が主軸に成って以降現在に至るまで滋賀って現代の子供達から見たら地味な印象の県でしか無いけど、明治維新以降も一応コンスタントに著名人を輩出し続けてるけど特に頭角を表したのって戦国時代とかの古の時代とかだと今回の蒲生氏郷の近江出身の織田家臣団や浅井家臣団や六角家臣団や京極家臣団みたいな武将系統をすんげー輩出してて思ってるより近江の地って東側の武者の最終防衛ラインだった関係か解らんけど商人の素質もそうだけどどちらかと言うと武の方にパラメーター振った血生臭い土地よな
長生きしたら歴史が変わったって所まで完全無欠な戦国武将ですね。
まさに!歴史に「もしも」は禁物ですが、生き様はもっと語り継がれると思います!
ワイの一番好きな日本史の人物やんけ
大河の主人公やって欲しい
ちな世界史では光武帝
完璧超人が好き
光武帝はおちゃめすぎて、叩き出されたことあるし
有能でも貴族出なら割と冷遇して批判受けてた
蒲生氏郷が後10年、いや5年長生き出来ていれば大きく歴史も変わってただろうね。
トップクラスに好きな武将です
人柄聞いて真っ先にエルヴィン・ロンメルを想像した。
カリスマ故(ゆえ)の後継者問題は昔も今も同じか…
織田信長に重用されてたから凄い人ってのはわかるんだけど 会津若松城を改修して政宗がけしかけた一向一揆を鎮圧したぐらいしかわからないわー 堀秀政みたいな感じなのかな?
政宗がいつ一向宗扇動したんだよw
実際に一揆扇動したのかすらよく分かってないのに
一向一揆(本願寺)ではなく、葛西・大崎一揆(改易された大名の反乱)だと思う。
会津若松城じゃなくて、若松城だよ。
@@黒川千鶴-u1v 鶴ヶ城じゃなくて?
@@datemono-sengokuzidai
鶴ヶ城は蒲生時代の名称だけど、全国各地に同じ名前があるから、国が史跡として定めた名前が若松城、江戸時代の文献では、会津城、黒川城。
小田原征伐の恩賞にかつての先輩「佐々成政の馬印」の使用許可を秀吉に願い出るエピソードも入れて欲しかった。
初めて聞きましたが
佐々成政は秀吉が嫌っていた人だったのを知ってのことだったのでしょうか?
@tonks-jf2zr
勿論知っていたとは思いましたが、秀吉は佐々成政の事は評価していたと思います。
小西と加藤の前の肥後は成政の戦功で与えていたし、蒲生に「金の三階傘は武名名高い佐々のものだから、それに見合う戦功をたてれば」と言っています。
因みにこの時、蒲生は後の豊臣秀次と一緒にお願いをしましたが、秀次がこの時に願い出たのは柴田勝家の馬印の使用許可でした。
@@AlternateUniverseNORI 秀次といっしょにしたなら安心ですね
…その何年かあとに
秀次も族滅されるのだから
独裁者の機嫌取りはむつかしい
もし健康に生きてたなら関ヶ原の西軍大将でもおかしくない
これに立花宗茂が間に合ってたら西軍勝利やろ
ただその時まだ会津が領地やったら…
家康も氏郷が会津にいたら関ヶ原自体が起きなかったかも
上杉やったから無理矢理きっかけ作ったが
流石は俵藤太の子孫
もしもあと五年生きていれば、五大老ではなく、氏郷を入れた六大老になってたはず
ここのチャンネル見るようになって、名前を聞いた事ある有名な大名が想像以上にキリシタン大名だった事が驚きで学び。学生時代の授業もこの動画くらい楽しかったらなぁ~。
嬉しいコメントありがとうございます!
学生時代歴史が苦手科目だったので、人物→出来事や歴史的な流れを理解する みたいな人が増えてくれると嬉しいです!☺️
秀吉による暗殺は分からんけど、蒲生の死後に秀吉が未亡人にちょっかいかけようとしたとの話はある。未亡人は出家してそれを避けた。
蒲生氏郷は仕事には厳しい人でしたがライバルの伊達政宗に比べると人が良く冷酷さやずる賢さが無かったのかもしれませんね。後脇が甘い部分もあったかもしれませんね。
人質は基本的に自分の配下の子達らなので自分の息子みたいに育てるのが普通なんだけど、それでも蒲生賢秀が観音寺と日野城で負けて六角が滅亡後すぐ13歳で人質→即座に小姓格に取り上げられるのは相当なお気に入りにでもならない限りありえないよね…まだ降伏して間もない蒲生家で忠誠心もまだまだ怪しいのに
かなり好かれて居たのかな
コメント・補足情報ありがとうございます!
言葉からイメージする意味合いとだいぶ違いそうなので、いつか一度動画内で説明する必要がありそうですね!➡人質
お城巡りをしていると城主蒲生氏郷とよく名前をみます🤗ここも氏郷来てるで!とテンションが上がります✴️92万石の裏には政宗のおろかな工作が(笑)🤗✨日野城はるろうに剣心のロケ地で出てました🤗
いつもコメントありがとうございます!
最近城巡りの楽しさに目覚めつつあります笑
旅行先では必ず城を入れます🏯
織田政権における次世代のエース候補が堀秀政と蒲生氏郷であり、
豊臣政権においては長生きしてたら、大老のメンツも変わってて徳川の天下はなかったと思う存在。
心労だわ・・・絶対・・・
でもこの立ち回りは氏郷にしか出来んかった・・
セルを思い出すわ。
信長の娘婿No.1‼️
本能寺の変さえなければどうなっていたことだろう。
若くして亡くなるとはどれ程の無念であったろうか😢
鯰尾?
作中の兜は「燕尾」の兜だろ。
鯰尾の兜は長烏帽子で鯰の面まできっちり作り込まれている。
コイツの家臣に岡定俊(左内)と言う、蓄財が趣味で武勇もある武将が居ました。
さすがは天下を取れると言われるだけはある!
もしも関ヶ原まで生きていれば、西軍の大将は違っていたかもしれない…
そして勝者は違っていた“かも”しれない。
架空歴史小説で、大量の鉄砲で軍勢の先頭を銃撃し、氏郷を討ち取るってのがあったなぁw
ノッブに惚れられるなんて本当にチートなんだなm(_ _)m
横山先生の「伊達政宗」で翻弄される小物っぽく描かれていたのが残念でした。
血筋も平氏・源氏にも負けない奥州藤原家がご先祖で、たどっていけば天皇家にもあたるとか、、、サラブレットやな!
五大老に入っていたら間違いなく歴史は変わってるな
寿命D
シーっお口チャック
恵まれた能力からの寿命D組多いからなあ
急逝したのは悔やまれるけど死んでいなかったら、おそらく秀吉によって千利休切腹前後あたりで力を削ぐか殺されていたと思うよ。
徳川家康以上に恐れていていたからね。
ただ、秀吉は氏郷とは戦いやすいとは言ってるw絶対に一番前にいるからそいつを潰せば終わるって。
あとは報奨として蒲生姓も与えてたから混乱したってw
そら、小姓の時からその兜つけて髭生やしてたら只者やないわ(笑)
はえー、古田織部が七哲に入っとらんバージョンもあるんだ。
今は松阪なのは覚えておいて欲しい 松阪市民は松坂牛の表記を見ると殺意を覚える人もいるくらいだから
情報ありがとうございます!!😨
私の地元も誤読されやすい地名なので、気持ちは重々…
以後気をつけます!!
家臣に与える領地を申告制にしたら、自分の分がなくなったからやり直した、というエピソード好き。
利休七哲には、古田重然(織部)は入っていると思うけどな🤔
冬姫にラブレター送ってるんやで、恥ずいわ
蒲生家は皆んな早死にらしいね。残念で仕方がない。
これといった大きな功績はないけど評価は高い、謎武将って印象だったな
独眼鉄はクズエピソードが多いな
氏郷に比べたら、小さいと感じる
部下になったばっかりの奴には「ウチじゃ銀の鯰尾兜被った猪武者が先陣切るからソイツに負けるなよ」って伝えた話すき
蒲生家で鯰尾兜……一体誰なんですかねぇ……?
伊達政宗は秀吉との取次役の浅野長政に送った絶縁状の十ヶ条の一つに自分と仲の悪い蒲生氏郷と懇意にしているとわざわざ書くほど嫌っていたらしい。
ちなみに両家の和解が成立したのは398年後の平成6年(1994年)
政宗が領土ちょいちょい削られたのは小田原参陣が遅れたり裏で怪しいことやらかしたりした自業自得で
蒲生氏郷を嫌うのは逆恨みなんじゃないかなあ
あの信長が大切に育てた武将だからね。能力もあっただけに・・・
仮想戦記でも結構活躍するが、一番目立ったのが「覇信長記」。第二代皇帝「織田幸村」の最大の重臣であり、「世界中から認められた(比喩ではなく)」名将になった。
氏郷と容保公は会津では名君と語り継がれている
蒲生氏郷は決して内政上手ではありませんよ。
この人、松坂城の築城もそうですが実戦第一主義な城を築城したため
現在にもその影響か松坂城跡周辺は交通の便が悪いです。
また、家臣に蒲生姓を与えすぎて
氏郷死去後の家中争いに影響を与えています。
【氏郷は人材育成をあまりきちんとしていなかったのではないか?】と思ってしまいますね。 もし人材育成をちゃんとしていたら、氏郷死後に勃発した家臣である蒲生郷成と蒲生郷安が引き起こした権力争い【蒲生騒動】が起こらず、
そして蒲生家も蒲生騒動を引き起こした罰として、下野宇都宮へ減転封されずに会津に残ったのかもしれないですから。
なんで大河やらないんやろうな。
政宗が悪く描かれすぎるのを避ける時あるから?
ちょっと退場が早すぎんねん
ほんと惜しいわ
だって何もやってないもんコイツ
人生の波瀾万丈感もないし
一揆鎮圧位しか無いしな…
退場が早すぎる