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さんちゃんはお笑いとトークのセンスを持っているうえに、人前に出ても緊張しないのか度胸を持っている。この3点セットがあったから、11PMのTVデビューをうまく活かせたような気がします。しかし藤本義一さんは、さんちゃんの何が気に入らなかったのか分かりませんが、公開説教はさんのよりずっと年上のだいのおとこがやることなのか?と思います。しかしエムカクさん、字が上手❗
とにかく 元気で さんまさんが幸せでいてほしい。 あの いつもの喋りで ちょっと幸せになります😄😁
どの業界でも、すごい人は若い時からすごいんだよね。
生きるお笑いレジェンド!テレビでさんまさんを見れている自分たちは幸せと思います。後世に語り継がれる芸人さんであることに間違いは無いと思います。
字もめっちゃ綺麗⭐️
このチャンネルはすごく愛を感じます。物心ついた頃からさんまさんがテレビに出てるのが当たり前で育ってきたので、この先もずーっと元気でテレビに出続けて欲しいです🙏
先輩や師匠達からの愛が感じられるエピソードですね😊
天皇の料理番にさんまさんが出た時は嬉しかった。堺正章との共演で良い番組だった。形態模写の印象でした、小林繁とか。まだ自分子供だつたので。
資料を集めるのも大変な労力と時間とお金がかかることですし、さんまさんがとても好きだとはいえ、凄いことだと考えます。なぜ、活躍できたか、考察している点もとても素晴らしかったです。
嬉しいお言葉ありがとうございます!
知らなかったので、面白く拝見しました😃私がさんまさんを認識したのは、日曜の夕方やってた『ヤングOh Oh』という番組で、既に女性ファンが多かったような。。。「華がある」って、わかりやすいです❣ その番組で、他の落語家のお兄さん方と並んでるコーナーがあったけど、やっぱり赤い着物を着ていて(笑点みたいな画)、とても目立っていて、その頃から好きでした🥰今、いろんな芸人さんからYou Tubeに誘われても、「俺はTVに売り出して貰ったんやから」的な義理を貫いて、頑なにTVに拘る姿勢も好き。先々、You Tube始めても、勿論、観ますけど(笑)余談ですが、横山やすしさんが、横山ノックさんのお弟子さんだったと、つい最近、You Tubeで知って、びっくりしました😮😳最近、昔の漫才の動画UPして下さる方、多くて、今観ても、お腹痛くなるくらい笑える🤭あーいう番組が無くなり、私もTV観なくなって久しいなぁ〜😞
華がある、確かに合点がいきました。これだけは努力ではどうしようも無い親から頂いたもの。あとはあのダウンタウンもたけしもタモさんも所ジョージにも無いもの。それは親近感だと思います。ロケに出れば、おばちゃんに抱きつかれおっさんに呼び捨てで粗末に扱われ、子供には足に纏わりつかれる。お祭りでいつも賑やかなおっちゃんっているものですがそんな感じで見てるとこっちまでなぜか笑ってしまう。こんな雰囲気は上記の四人にはありません。この空気感を持ってる他の芸人は鶴瓶さんぐらいでしょう。それでも居るだけでパっと明るくさせる太陽のような存在感は唯一無二。まさに日本の太陽です。いつか会いたいとずっとおもってまして笑輪の笑い~Born Ready達~全国ツアーあるのでぜひ行って生さんま堪能したいと思ってます。はたまた番組の関係で新幹線は新大阪駅で会えるらしいですが常連ファンのおばちゃんも凄いらしくどうしたものかと(w
さんまさんって凄いなぁ。としみじみ感じました。そして「華がある」これはほんと、今でもそうで、66歳でも体型なんかはスマートだし、髪型も30代の頃と同じだし…あと、さんまさんが何かで「芸人は品がないといけない」みたいなことを言っていたのが印象的だったのですが、まさにさんまさんは品華があります。さんまさんが下ネタや下品なことを言っても品は損ねていない。それに、そんなトークでも笑いが起きるから品が落ちないんかなぁと個人的に思っています。さんまさんの様な芸人というか、さんまさんのような人は二度と出てこないでしょう。さんまさんと同じ時代を生きて、日本人に生まれて嬉しいの極みです!テレビを付ければさんまさんを観れる。この当たり前がとてつもなく贅沢で尊い。だけどさんまさんは「バラエティーはそんな上げまつるもんやないねん」って言いそうですが…。
コメントありがとうございます。先日、メルマガでさんまさんの“品”について書いたところでしたので、とても興味深く読ませていただきました。いつか動画でも紹介したいなと思いました(^^)
返信いただきありがとうございます♪動画待ってます^_^
たしか「さんまのまんま」に桂小枝さんがゲスト出演した時、お二人でこの話をしてました❗
良く調べてらっしゃいますね。素晴らしい。
さんまさんを初めて認知したのはヤングオーオーでした。まさか?こんなに売れるとは?
横山やすしさんも、頑張っている若手をそんな事で潰されてたまるか!という気持ちがあったんでしょうね。他所の弟子っこさんでもきちんと見ているやすしさんだからね。
20世紀の日本のテレビ文化が産んだ稀代のスーパースターだと思います。もう50年近く活動されてますね。おそらく後世に伝えられる数少ない芸人さんのひとりだと思います。
エムカムさんも凄いです!情報収集や一番のさんまさん愛💙ずーっと見てられます📲
実際にその番組を見ているような臨場感があってワクワクしてきました(^_^)テレビの前で応援する松之助師匠も目に浮かんできました。この先のヒストリー、そして第3巻も楽しみにしてます!
藤本義一さんがさんまさんに、すごい勢いで怒っていたのが印象に残っている。場の雰囲気が凍りついていたような印象が未だにある。
さんまさんは凄いと思う、これだけ人の心をつかむ人は、もう出てこないのでは、脚本や台本では無く機転てトークする、大ファンです。
エムカクさんの著書を二冊とも購入させていただき、楽しく読ませてもらいました精神的にきつい時も、エムカクさんの動画や著書を通じてさんまさんの生き方に触れることでエネルギーを頂くことができたことをこの場をお借りして御礼申し上げますこれからもさんまさんに関する興味深い動画をお待ちしています本当にありがとうございます
お読みいただきありがとうございます!今後の励みとなるお言葉をいただきすごく嬉しいです(^^)
字がお上手ですね😮
この頃、森乃福郎さん、司会の毎日放送の午後2時から放送していた番組のコーナーで、若手漫才師や若手落語家のコンビが出場して漫才コンテストをしていたのを見たことを覚えています❗確か兄弟子の小緑さんとコンビを組んで出ていましたね、審査委員長が横山ノックさんでした。さんまさんは突っ込みで、上手に小緑さんの面白さを引き出していたのを覚えています‼️当時から、相手の面白さを引き出し笑いに変える才能を持ち合わせていたのですね。
大変貴重な情報を教えていただきありがとうございます!記録させていただきます。
@@43desperado35 さん、小緑さんの面白さを横山ノックさんが、絶賛してましたね😃後の不祥事がなければ小緑さんも売れていたのに残念です😑
森のふくろうさん懐かしい
初めてさんまを見た紳助さんの第一印象「うわ!奈良からどエライ田舎もんが出てきおった」さんまはパンタロンに角刈りで「わしゃー 菅原文太じゃけー」と挨拶していたそうだ。
本当のデビューは75年のヤングおーおーでしたよ、自分視てましたので。
この11PM見てました。68歳です。藤本はたいしておもしろい小説家ではなかったな、お笑いをわかっている格好だけいわゆる文化人。でも結果的に明石家さんまを世に出す切っ掛けを作ってくれた。横山やすしに可愛がられる林正之助には、貶められる原因を作った。明石家さんまは、芸人というよりスターなんだろう、とにかくファンは明石家さんまが出ている番組が見たいので、ダウンタウンのような吉本のごり推しはなかったし、のびのびと活動することができて今があるとおもいます。
さんまさんをはじめてみたのは、当時でも人気番組だった「フィーリングカップル5対5」です。単に部隊と観客席を走り回り、何も話さないで終わりで、なにこれ?とおもって、いまでもそれを覚えているのが唐突な出かただったんですけどね。そんな出かたするので、後日、司会側のメンバーにでもなるのかとおもったら、そういうわけでもなく。それがデビューかと思っていたのですが、そうではなかったんですね。
紳助さんも仰ってますよね、さんまには華がある・・と。
3:05 動画内では言及されていませんでしたが一応。 写真に写っている前の三人のうち、小枝師匠の左隣の着物姿の男性は 現・桂文之助(当時:雀松)師匠ですね。
ご教示いただきありがとうございます。きちんと記録させていただきますφ(..)
@@m_kaku いえいえ、エムカクさんがツイートした同じ画像をよく見たときに「落語 桂雀松」と読めたので、おそらくと思います。因みに文之助師匠は、さんまさん・小枝師匠とは一歳年下です。
桂雀松(現桂文之助)さんは桂枝雀門下で、一番弟子南光さん、二番弟子桂雀三郎さんに続く三番弟子の人ですね。
ヤングオーオーの鮮烈デビューもお願いします。
そっちが先ですね、75年の初め頃でした。
若い頃の小枝師匠髪がふさふさでイケメン
小枝さんがイケメンだし、上沼さんやお姉ちゃんが可愛い!
さんまさんの記憶は、日清製粉提供のヤングオーオーって番組で、当時阪神のピッチャー小林のものまねやってたのが記憶にあります。ずいぶん古い記憶ですが、私は阪神ファンではなかったので、気にしない感じでしたが、周りに受けてた記憶力ありますね。なつかしいですね〜(笑)
正式のデビューはおーおーでしたよ、コレの前年に自分視ました。
よく調べてあってすごいなと思いました。CM後に藤本さんに公開説教的なことをされてその後はトークはどうだったのでしょうか。やっぱり喋れなくなったりしたんですかね…その辺りも気になります。さんまさんは抜群のアドリブ力が魅力ですがそれだけでなくコミュニケーション能力がずば抜けていると思います。負けず嫌いの紳助さんとバチバチな関係にならず両雄が並び立つ感じで仲良く出来たのもさんまさんのコミュ能力の賜物だと思います。
羽生さんが100年に一人の天才アインシュタインが300年に一人の天才だとすると、明石家さんまさんは1000年に一人の天才
僕の知るさんまさんの面白いベストは、明石第三小隊ですね、ひょうきん族の。あのノリツッコミは神業だった記憶と思います。あと、40年近く前のヤングタウン月曜日オープニングのフリートークですね。さんまさんは、リラックスしている時は抜群に面白いと思いますね。
夜中にやっさんの家に行きボートのエンジン音クイズさせられたという話好きです。
さんまってもっと昔から存在してた気がするのが不思議だw76年デビューって意外と新しいんだなと感じますね。まだその頃は、ドリフターズや欽ちゃんがテレビを席巻してた頃だなぁ
今の芸人さんって、こういうエピソードを持ってる人少なそう。理不尽なほど厳しい先輩の存在っていうのは昭和の時代ではよく聞くけど、今の大御所芸人は懐の深い、若手世代に理解のある人が多い感じがするし。でも芸人のハードルが下がってるぶん、入替わりも激しくなって、残ってくのは難しい時代になったかもね。昔の理不尽さや嫌な先輩の存在ってある意味、負けん気とか打たれ強さを磨くのには良かったのかもしれない。
ちなみに、島田紳助がM1を創設した動機の1つは「藤本義一みたいな訳のわからん文化人に漫才コンクールの審査員をさせたくないから」
離婚してからターボかかった❤気がする
お笑い界の天才、杉本高文こと明石家さんまさん。こんな人今後二度と出てこない逸材だと思いました😮
さんま情報すごい 学生服のさんまでかい さすが相撲チャンピオン
いいね🎉
懐かしいです。この時の上沼恵美子さん、めちゃ可愛かった。こんなに可愛いのにお笑いに出てるのが衝撃的やったなあ。普通、ブスやから笑いを取るために芸人になるもんやったからなあ。
この話は有名ですよね登録しました
面白いです。さんまさんはモーツァルトです。疾走感と悲しみがあって、、、、
ぼくはそのデビューのテレビをみてました、何とか目立とうと発言しまくり、藤本義一さんに怒られていました。1976年ころ、なんば花月で、ポケットミュージックとかいう、まくまのコントを紳助竜助とでていました、観客はまったく興味なしで、みんな、トイレにいくか、売店にいくかして、見ていません。ぼくは高校生でしたが、新人のさんまをみて、あんまりおもろないやつやと、思ってました。しかし、そのころでさえ、一番前の席で三人の女の子がキャーキャー言うてたのを覚えています、彼女たちに「うるさい!」いうて、受けなかったさんまたちは舞台を降りました。たくさんの芸人がいるなかで売り出そうとしている競争はすごいもので、さんまは、三枝さんのバックアップなしでは一段上がれなかった、二段目は、あの関西を揺るがした江川騒動の空白の一日の「小林繁」のアンダースローのものまね、これで、CMまででた、関西は小林繁はスターでしたから。
大変貴重な情報をありがとうございます!(^^)
@@m_kaku さん、関西ではやはり、まず、ヤンタンでレギュラーをとり、人気がでて、認められるパターンがおおく、さんまさんは、鶴瓶さんのやん月の後で、人気がではじめました、
藤本義一と上沼恵美子のいる番組。
自慢ではないが、このちょっと後、小禄さんまでお笑いネットワークに出た頃に梅田ですれ違いました。数人の女性といたと記憶しております。当時は若手芸人の一人、という印象しかなく「あっ」と思っただけですが。この人は「華がある」カテゴリの中でお笑いとしては最高の「可愛らしさがある」人です。東の加藤茶、西のさんまですかね。また、「ひどい目にあって笑いがとれる」という才能も併せもっております。その面では「ダメだこりゃ」のいかりや長介に匹敵するでしょう。勉強量も凄かった、と以前新聞で読みました。お名前は記憶しておりませんが、年長のお笑いの脚本家か演出家だったと思います。吉本の舞台を毎日全部真剣に観ていた、と書いておられました。それがひょうきん族での大爆発につながったと思います。ひょうきん族以降のトークでも、たけしはさんま相手だと安心しきってボケております。ボケを逃がさないことはもちろん、最大に生かしてくれる相手だという信頼を感じます。
テレビ界では、喜劇王様だったエンタツアチャコさん&横山やすしさんには、大御所の藤本義一司会をも黙らす。横山やすしさんは、明石家さんまさんを将来の大スターって見抜いた。
藤本義一さんは元々きれやすく 母が義一さんの講演会にいったとき お客様が義一さんの話しに笑ったら 何が俺の話しがおかしんや 人が真面目に話してるのに 俺を馬鹿にしとんのか 笑ったのは誰やとー笑った客は帰れと怒りました。
横山やすし、偉い。
制作よみうりテレビ
一般的には小林のモノマネからブレークしてますねそれにしても若いころのコエピョン地味やなあ
私は高1でしたが、この時の事はよく覚えています。アレがTVデビューだったんですか?もう結構売れていたように記憶していたんですが、アレは酷かった。48手以外にあるわけ無い。良い加減なことを言うな。お前幾つやって、本当に激怒してはって、よせば良いのに、さんまさん食ってかかって、画面は凍り付いていました。なぜ怒り出したのか今でもわかりませんが、それはもう烈火の如くでした。しかし、さんまさん一歩も引かず、天下の藤本義一に喧嘩を売って、終わったなって思っていました。後にアレがさんまさんだった事を知り、そこそこ売れていたと記憶が前後したのでしょう。そうですか、アレがTVデビューですか。大したもんです。流石です。
その後どうなったのか興味があったので貴重な証言です。ケンカになったんだ…どうもありがとうございます。
桂ざこばさんが桂朝丸時代にさんまさんと共演し、怒っていたのを覚えています。何か無礼な若僧と認識されたのかと思います。たしか昭和53年頃のことです。勿論その数年後仲良く会話されていましたが。松之助師匠の言う通り若手芸人は顔を覚えて貰う必要があるので、ドンドン前に出ればいいかと思います。
野球に例えたら高卒の清原が1年目から30本打ち続けるのと同じなのかな
松本人志さんも藤本義一さんにかなりブチ切れてましたね!😂
俺の生まれる4日前や
私の記憶が確かであれば、この時に横山やすしさんから「センスある」と言われたようなあと、間違っているかも知れませんが、何かの質問に「ズロース」って回答したのはこの時だったかしら?
藤本義一はさんまと言い、ダウンタウンと言い、自分より若い才能ある芸人が嫌いなのか?やすしはダウンタウンは嫌っていたけど、さんまは気に入っていた。さんまとは和解したみたいだけど、松本はガチで嫌っていた。死んでも、何もコメントを出さなかった。実際藤本義一はお笑いそのものは、そんなに知識も理解もなかった。
藤本さんが激怒したちゅうんは、性格的な相性もあるんだろうけど本質的に戯曲・劇作家肌で歌舞伎も含めた古来からの演劇や落語に代表される古典演芸では必須とされた「間」を重んじる藤本さんには、少しでも隙間が空きそうだとドンドン喋りをぶっ込んで「間」を埋めに入る(=「間」をとことん嫌う)さんまさんのスタイルがどうにも承服出来なかったという事では無いかと。
どうでもいいことなんですが、ぜんじろうさんてどうされているんでしょうね。
1967年とは⁉︎ 驚きました。
1976年
若い頃のさんまの漫談はホント、つまらんかったという印象。
映画化決定
秋刀魚さんは中坊の頃、クラスの男のヒーローでした。エロい事たくさん教えてもらいましたよw
子供の頃から思っていたのですが、漫才コンクールの審査席で偉そうにしているおっさんが審査席に座っていたので違和感を覚えていたのですが、それが後のさんまさんやダウンタウンと揉める藤本義一だと後々知りました。自分はあのおっさんを難波先生と勘違いしてましたが、もともと文才はあってもお笑いを見る目がなかったのか、松ちゃんの遺書でバッシングしたりさんまさんがラジオで触れるようになった頃から大人しくなった気がします。あくまで個人の見解ですが。
藤本義一が「CMとCM明けに二度聞いた」と言うのが結構ミソなんだよな。言ってしまえば、そこで「ひな壇のなかから一人、全国区で師匠名込みで名前と顔を売ってくれた」。晒したんじゃなくて斜に構えた「ご褒美」だったんじゃないかなぁ? もしくは、将来世に出るのが明らかな「しゃべりすぎる男」への割りと真摯な忠告だったのかもしれない。そのあとの横山やすしのフォローも、藤本&やすしコンビの阿吽の仕込みだったんではないかと思ってしまう。こーゆーオッサンは才気走った20歳ぐらいの若い子見ると、「ちょっとキャンといわせとかんと、この子のタメならんな。あとで誰かフォローいれといてな」と目配せ一つで芝居したりするからな。
ぼんち揚〜
タモリたけし所さんも一万本越えるでしょ
さんちゃんはお笑いとトークのセンスを持っているうえに、人前に出ても緊張しないのか度胸を持っている。この3点セットがあったから、11PMのTVデビューをうまく活かせたような気がします。しかし藤本義一さんは、さんちゃんの何が気に入らなかったのか分かりませんが、公開説教はさんのよりずっと年上のだいのおとこがやることなのか?と思います。しかしエムカクさん、字が上手❗
とにかく 元気で さんまさんが幸せでいてほしい。 あの いつもの喋りで ちょっと幸せになります😄😁
どの業界でも、すごい人は若い時からすごいんだよね。
生きるお笑いレジェンド!
テレビでさんまさんを見れている自分たちは幸せと思います。
後世に語り継がれる芸人さんであることに間違いは無いと思います。
字もめっちゃ綺麗⭐️
このチャンネルはすごく愛を感じます。物心ついた頃からさんまさんがテレビに出てるのが当たり前で育ってきたので、この先もずーっと元気でテレビに出続けて欲しいです🙏
先輩や師匠達からの愛が感じられるエピソードですね😊
天皇の料理番にさんまさんが出た時は嬉しかった。堺正章との共演で良い番組だった。形態模写の印象でした、小林繁とか。まだ自分子供だつたので。
資料を集めるのも大変な労力と時間とお金がかかることですし、さんまさんがとても好きだとはいえ、凄いことだと考えます。なぜ、活躍できたか、考察している点もとても素晴らしかったです。
嬉しいお言葉ありがとうございます!
知らなかったので、面白く拝見しました😃
私がさんまさんを認識したのは、日曜の夕方やってた『ヤングOh Oh』という番組で、既に女性ファンが多かったような。。。
「華がある」って、わかりやすいです❣ その番組で、他の落語家のお兄さん方と並んでるコーナーがあったけど、やっぱり赤い着物を着ていて(笑点みたいな画)、とても目立っていて、その頃から好きでした🥰
今、いろんな芸人さんからYou Tubeに誘われても、「俺はTVに売り出して貰ったんやから」的な義理を貫いて、頑なにTVに拘る姿勢も好き。
先々、You Tube始めても、勿論、観ますけど(笑)
余談ですが、横山やすしさんが、横山ノックさんのお弟子さんだったと、つい最近、You Tubeで知って、びっくりしました😮😳
最近、昔の漫才の動画UPして下さる方、多くて、今観ても、お腹痛くなるくらい笑える🤭あーいう番組が無くなり、私もTV観なくなって久しいなぁ〜😞
華がある、確かに合点がいきました。これだけは努力ではどうしようも無い
親から頂いたもの。あとはあのダウンタウンもたけしもタモさんも所ジョージにも無いもの。
それは親近感だと思います。ロケに出れば、おばちゃんに抱きつかれ
おっさんに呼び捨てで粗末に扱われ、子供には足に纏わりつかれる。
お祭りでいつも賑やかなおっちゃんっているものですがそんな感じで
見てるとこっちまでなぜか笑ってしまう。こんな雰囲気は上記の四人にはありません。
この空気感を持ってる他の芸人は鶴瓶さんぐらいでしょう。
それでも居るだけでパっと明るくさせる太陽のような存在感は唯一無二。
まさに日本の太陽です。いつか会いたいとずっとおもってまして
笑輪の笑い~Born Ready達~全国ツアーあるのでぜひ行って生さんま堪能したいと
思ってます。
はたまた番組の関係で新幹線は新大阪駅で会えるらしいですが
常連ファンのおばちゃんも凄いらしくどうしたものかと(w
さんまさんって凄いなぁ。としみじみ感じました。そして「華がある」これはほんと、今でもそうで、66歳でも体型なんかはスマートだし、髪型も30代の頃と同じだし…あと、さんまさんが何かで「芸人は品がないといけない」みたいなことを言っていたのが印象的だったのですが、まさにさんまさんは品華があります。さんまさんが下ネタや下品なことを言っても品は損ねていない。
それに、そんなトークでも笑いが起きるから品が落ちないんかなぁと個人的に思っています。
さんまさんの様な芸人というか、さんまさんのような人は二度と出てこないでしょう。さんまさんと同じ時代を生きて、日本人に生まれて嬉しいの極みです!
テレビを付ければさんまさんを観れる。この当たり前がとてつもなく贅沢で尊い。だけどさんまさんは「バラエティーはそんな上げまつるもんやないねん」って言いそうですが…。
コメントありがとうございます。
先日、メルマガでさんまさんの“品”について書いたところでしたので、とても興味深く読ませていただきました。
いつか動画でも紹介したいなと思いました(^^)
返信いただきありがとうございます♪
動画待ってます^_^
たしか「さんまのまんま」に桂小枝さんがゲスト出演した時、お二人でこの話をしてました❗
良く調べてらっしゃいますね。素晴らしい。
さんまさんを初めて認知したのはヤングオーオーでした。
まさか?こんなに売れるとは?
横山やすしさんも、頑張っている若手をそんな事で潰されてたまるか!という気持ちがあったんでしょうね。他所の弟子っこさんでもきちんと見ているやすしさんだからね。
20世紀の日本のテレビ文化が産んだ稀代のスーパースターだと思います。もう50年近く活動されてますね。おそらく後世に伝えられる数少ない芸人さんのひとりだと思います。
エムカムさんも凄いです!情報収集や一番のさんまさん愛💙
ずーっと見てられます📲
実際にその番組を見ているような臨場感があってワクワクしてきました(^_^)テレビの前で応援する松之助師匠も目に浮かんできました。
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藤本義一さんがさんまさんに、すごい勢いで怒っていたのが印象に残っている。
場の雰囲気が凍りついていたような印象が未だにある。
さんまさんは凄いと思う、これだけ人の心をつかむ人は、もう出てこないのでは、脚本や台本では無く機転てトークする、大ファンです。
エムカクさんの著書を二冊とも購入させていただき、楽しく読ませてもらいました
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本当にありがとうございます
お読みいただきありがとうございます!
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この頃、森乃福郎さん、司会の毎日放送の午後2時から放送していた番組のコーナーで、若手漫才師や若手落語家のコンビが出場して漫才コンテストをしていたのを見たことを覚えています❗確か兄弟子の小緑さんとコンビを組んで出ていましたね、審査委員長が横山ノックさんでした。
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当時から、相手の面白さを引き出し笑いに変える才能を持ち合わせていたのですね。
大変貴重な情報を教えていただきありがとうございます!
記録させていただきます。
@@43desperado35 さん、小緑さんの面白さを横山ノックさんが、絶賛してましたね😃
後の不祥事がなければ小緑さんも売れていたのに残念です😑
森のふくろうさん懐かしい
初めてさんまを見た紳助さんの第一印象「うわ!奈良からどエライ田舎もんが出てきおった」
さんまはパンタロンに角刈りで「わしゃー 菅原文太じゃけー」と挨拶していたそうだ。
本当のデビューは75年のヤングおーおーでしたよ、自分視てましたので。
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横山やすしに可愛がられる
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原因を作った。
明石家さんまは、芸人というよりスターなんだろう、とにかくファンは明石家さんまが出ている番組が見たいので、ダウンタウンのような吉本のごり推しはなかったし、のびのびと活動することができて今があるとおもいます。
さんまさんをはじめてみたのは、当時でも人気番組だった「フィーリングカップル5対5」です。
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それがデビューかと思っていたのですが、そうではなかったんですね。
紳助さんも仰ってますよね、さんまには華がある・・と。
3:05 動画内では言及されていませんでしたが一応。
写真に写っている前の三人のうち、小枝師匠の左隣の着物姿の男性は
現・桂文之助(当時:雀松)師匠ですね。
ご教示いただきありがとうございます。
きちんと記録させていただきますφ(..)
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因みに文之助師匠は、さんまさん・小枝師匠とは一歳年下です。
桂雀松(現桂文之助)さんは桂枝雀門下で、一番弟子南光さん、二番弟子桂雀三郎さんに続く三番弟子の人ですね。
ヤングオーオーの鮮烈デビューもお願いします。
そっちが先ですね、75年の初め頃でした。
若い頃の小枝師匠髪がふさふさでイケメン
小枝さんがイケメンだし、上沼さんやお姉ちゃんが可愛い!
さんまさんの記憶は、日清製粉提供のヤングオーオーって番組で、当時阪神のピッチャー小林のものまねやってたのが記憶にあります。
ずいぶん古い記憶ですが、私は阪神ファンではなかったので、気にしない感じでしたが、周りに受けてた記憶力ありますね。
なつかしいですね〜(笑)
正式のデビューはおーおーでしたよ、コレの前年に自分視ました。
よく調べてあってすごいなと思いました。
CM後に藤本さんに公開説教的なことをされてその後はトークはどうだったのでしょうか。
やっぱり喋れなくなったりしたんですかね…
その辺りも気になります。
さんまさんは抜群のアドリブ力が魅力ですがそれだけでなくコミュニケーション能力がずば抜けていると思います。
負けず嫌いの紳助さんとバチバチな関係にならず両雄が並び立つ感じで仲良く出来たのもさんまさんのコミュ能力の賜物だと思います。
羽生さんが100年に一人の天才
アインシュタインが300年に一人の天才
だとすると、
明石家さんまさんは1000年に一人の天才
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夜中にやっさんの家に行きボートのエンジン音クイズさせられたという話好きです。
さんまってもっと昔から存在してた気がするのが不思議だw
76年デビューって意外と新しいんだなと感じますね。
まだその頃は、ドリフターズや欽ちゃんがテレビを席巻してた頃だなぁ
今の芸人さんって、こういうエピソードを持ってる人少なそう。理不尽なほど厳しい先輩の存在っていうのは昭和の時代ではよく聞くけど、今の大御所芸人は懐の深い、若手世代に理解のある人が多い感じがするし。でも芸人のハードルが下がってるぶん、入替わりも激しくなって、残ってくのは難しい時代になったかもね。昔の理不尽さや嫌な先輩の存在ってある意味、負けん気とか打たれ強さを磨くのには良かったのかもしれない。
ちなみに、島田紳助がM1を創設した動機の1つは「藤本義一みたいな訳のわからん文化人に漫才コンクールの審査員をさせたくないから」
離婚してからターボかかった❤気がする
お笑い界の天才、杉本高文こと明石家さんまさん。こんな人今後二度と出てこない逸材だと思いました😮
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懐かしいです。
この時の上沼恵美子さん、めちゃ可愛かった。
こんなに可愛いのにお笑いに出てるのが衝撃的やったなあ。
普通、ブスやから笑いを取るために芸人になるもんやったからなあ。
この話は有名ですよね
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面白いです。さんまさんはモーツァルトです。疾走感と悲しみがあって、、、、
ぼくはそのデビューのテレビをみてました、何とか目立とうと発言しまくり、藤本義一さんに怒られていました。1976年ころ、なんば花月で、ポケットミュージックとかいう、まくまのコントを紳助竜助とでていました、観客はまったく興味なしで、みんな、トイレにいくか、売店にいくかして、見ていません。ぼくは高校生でしたが、新人のさんまをみて、あんまりおもろないやつやと、思ってました。しかし、そのころでさえ、一番前の席で三人の女の子がキャーキャー言うてたのを覚えています、彼女たちに「うるさい!」いうて、受けなかったさんまたちは舞台を降りました。たくさんの芸人がいるなかで売り出そうとしている競争はすごいもので、さんまは、三枝さんのバックアップなしでは一段上がれなかった、二段目は、あの関西を揺るがした江川騒動の空白の一日の「小林繁」のアンダースローのものまね、これで、CMまででた、関西は小林繁はスターでしたから。
大変貴重な情報をありがとうございます!(^^)
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自慢ではないが、このちょっと後、小禄さんまでお笑いネットワークに出た頃に梅田ですれ違いました。数人の女性といたと記憶しております。当時は若手芸人の一人、という印象しかなく「あっ」と思っただけですが。
この人は「華がある」カテゴリの中でお笑いとしては最高の「可愛らしさがある」人です。東の加藤茶、西のさんまですかね。また、「ひどい目にあって笑いがとれる」という才能も併せもっております。その面では「ダメだこりゃ」のいかりや長介に匹敵するでしょう。
勉強量も凄かった、と以前新聞で読みました。お名前は記憶しておりませんが、年長のお笑いの脚本家か演出家だったと思います。吉本の舞台を毎日全部真剣に観ていた、と書いておられました。それがひょうきん族での大爆発につながったと思います。ひょうきん族以降のトークでも、たけしはさんま相手だと安心しきってボケております。ボケを逃がさないことはもちろん、最大に生かしてくれる相手だという信頼を感じます。
テレビ界では、喜劇王様だったエンタツアチャコさん&横山やすしさんには、大御所の藤本義一司会をも黙らす。横山やすしさんは、明石家さんまさんを将来の大スターって見抜いた。
藤本義一さんは元々きれやすく 母が義一さんの講演会にいったとき お客様が義一さんの話しに笑ったら 何が俺の話しがおかしんや 人が真面目に話してるのに 俺を馬鹿にしとんのか 笑ったのは誰やとー笑った客は帰れと怒りました。
横山やすし、偉い。
制作
よみうりテレビ
一般的には小林のモノマネからブレークしてますね
それにしても若いころのコエピョン地味やなあ
私は高1でしたが、この時の事はよく覚えています。
アレがTVデビューだったんですか?
もう結構売れていたように記憶していたんですが、アレは酷かった。48手以外にあるわけ無い。良い加減なことを言うな。お前幾つやって、本当に激怒してはって、よせば良いのに、さんまさん食ってかかって、画面は凍り付いていました。なぜ怒り出したのか今でもわかりませんが、それはもう烈火の如くでした。しかし、さんまさん一歩も引かず、天下の藤本義一に喧嘩を売って、終わったなって思っていました。後にアレがさんまさんだった事を知り、そこそこ売れていたと記憶が前後したのでしょう。そうですか、アレがTVデビューですか。大したもんです。流石です。
その後どうなったのか興味があったので貴重な証言です。
ケンカになったんだ…
どうもありがとうございます。
桂ざこばさんが桂朝丸時代にさんまさんと共演し、怒っていたのを覚えています。何か無礼な若僧と認識されたのかと思います。たしか昭和53年頃のことです。勿論その数年後仲良く会話されていましたが。
松之助師匠の言う通り若手芸人は顔を覚えて貰う必要があるので、ドンドン前に出ればいいかと思います。
野球に例えたら高卒の清原が1年目から30本打ち続けるのと同じなのかな
松本人志さんも藤本義一さんにかなりブチ切れてましたね!😂
俺の生まれる4日前や
私の記憶が確かであれば、この時に横山やすしさんから「センスある」と言われたような
あと、間違っているかも知れませんが、何かの質問に「ズロース」って回答したのはこの時だったかしら?
藤本義一はさんまと言い、ダウンタウンと言い、自分より若い才能ある芸人が嫌いなのか?
やすしはダウンタウンは嫌っていたけど、さんまは気に入っていた。
さんまとは和解したみたいだけど、松本はガチで嫌っていた。
死んでも、何もコメントを出さなかった。
実際藤本義一はお笑いそのものは、そんなに知識も理解もなかった。
藤本さんが激怒したちゅうんは、性格的な相性もあるんだろうけど本質的に戯曲・劇作家肌で歌舞伎も含めた古来からの演劇や落語に代表される古典演芸では必須とされた「間」を
重んじる藤本さんには、少しでも隙間が空きそうだとドンドン喋りをぶっ込んで「間」を埋めに入る(=「間」をとことん嫌う)さんまさんのスタイルがどうにも承服出来なかった
という事では無いかと。
どうでもいいことなんですが、
ぜんじろうさんてどうされているんでしょうね。
1967年とは⁉︎ 驚きました。
1976年
若い頃のさんまの漫談はホント、つまらんかったという印象。
映画化決定
秋刀魚さんは中坊の頃、クラスの男のヒーローでした。
エロい事たくさん教えてもらいましたよw
子供の頃から思っていたのですが、漫才コンクールの審査席で偉そうにしているおっさんが審査席に座っていたので違和感を覚えていたのですが、それが後のさんまさんやダウンタウンと揉める藤本義一だと後々知りました。自分はあのおっさんを難波先生と勘違いしてましたが、もともと文才はあってもお笑いを見る目がなかったのか、松ちゃんの遺書でバッシングしたりさんまさんがラジオで触れるようになった頃から大人しくなった気がします。あくまで個人の見解ですが。
藤本義一が「CMとCM明けに二度聞いた」と言うのが結構ミソなんだよな。
言ってしまえば、そこで「ひな壇のなかから一人、全国区で師匠名込みで名前と顔を売ってくれた」。
晒したんじゃなくて斜に構えた「ご褒美」だったんじゃないかなぁ?
もしくは、将来世に出るのが明らかな
「しゃべりすぎる男」への割りと真摯な忠告だったのかもしれない。
そのあとの横山やすしのフォローも、藤本&やすしコンビの阿吽の仕込みだったんではないかと思ってしまう。
こーゆーオッサンは才気走った20歳ぐらいの若い子見ると、「ちょっとキャンといわせとかんと、この子のタメならんな。あとで誰かフォローいれといてな」と目配せ一つで芝居したりするからな。
ぼんち揚〜
タモリたけし所さんも一万本越えるでしょ