今回もご質問ありがとうございます! まず結論から言えば ECM構文とコントロール構文は別物です。以下の例を比べてみてください: (1) ECM構文 I believe [him to be honest]. → himは believeから Accusative Caseを(例外的に)付与される。believeの目的語は him to be honest「彼が正直である(こと)」全体であり him単独ではない。 (2) コントロール構文 I persuaded him(i) [PRO(i) to see a doctor]. → himは元々 persuadeの目的語(説得の対象)であり、Accusative Caseを付与される。to seeの意味上の主語として音形を持たない PROがあり、先行する himを受ける。 wantが「どちらも選択できる」(=どちらの用法も持つ)というのは: (3) 主節のS ≠ to不定詞の意味上のS → ECM I want [him to leave]. → himは wantから(例外的)格付与を受ける。 (4) 主節のS = to不定詞の意味上のS → コントロール I(i) want [PRO(i) to leave]. → PROは格を付与されず、この場合は主節の主語がコントローラーとなる。 「Cを伴うECM」というのは、おそらく補文標識の forが to不定詞の意味上のSに Accusative Caseを付与することを指しており、より自然な例文としては以下のようなものになるかと思いますが: (5) I want very much [for him to leave]. → この場合、himはCPの主要部Cである forから格を付与される。コメントにもある通り、PROは登場しないのでコントロール構文ではない。 こちらの動画も参考になるかもしれないので、宜しければご覧になってみてください:ruclips.net/video/wpVe90j6swI/видео.html
Radford (2009) Analysing English Sentences: A Minimalist Approachの分析によれば、believeは典型的な ECM verbで、補文は TP/IP= CPの主要部となる forは取れません。 (1) We believe [TP: him to be honest]. ※補文が CPだと例外的格付与の障壁となってしまい、格を与えることができないと考えらえれています。 (1)を受動態にすると、"is believed"は対格を与える力が無くなり、非定形節の Tである toは主格を与えられないので、TPの主語は主節の主語位置に移動して主格を付与されることになります: (2) He is believed [TP: _ to be honest]. 他方、wantは(先のECMによる説明とは異なる考え方になりますが)"for-deletion verb"と分析されており、以下のように補文は for-toの形をとる CPで、I want [him to leave].は forが音声的に削除されているが、himは Cから格を与えられているとされています: (3) I want [CP [C (for)] [TP him to leave]]. このように、目には見えなくとも forから対格を与えられているとすると、himが主節の主語位置に移動する理由がなくなり、(4)のような受動態は非文法的になってしまいます: (4) *He was wanted [CP [C: (for)] [TP _ to leave]]. wantの用法の一部と believeを「同じ」ECMとして扱うと、受動化の可能性などで両者の振る舞いに差が生じてしまうのですが、for-deletion verbs(補文はCP)と ECM verbs(補文はTP)を区別する分析であれば説明がつくという印象です。もっとも、入門のテキストでは wantも ECMで説明されることが多いんですけどね…😅 ですので、深掘りにつながる good questionです!
Good question!! ご質問ありがとうございます…と同時に、明確に「こう考えると良い」という解説ができる言語現象ではなく、Carnie (2002) Syntax: A Generative Introduction (2nd ed.)では "We don't have a good explanation for it."という記載すらあります。 ですので、以下は参考として挙げるものですが、英語の歴史的には下の例のように「CP指定部に wh語 + 主要部Cの位置に従属接続詞」という語順が存在したそうです: (i) men shal wel knowe who that I am "Men will know well who I am." (Caxton, 1484, R 67, in Lightfoot, 1979: 322) 現代英語では「wh語 + that/if/whether」という併用は非文法的になってしまうのですが、(i)の間接疑問文では Cが thatによって埋まっており、"who am I"の語順になる余地が残っていないことになります(やはり渋滞になる)。 他の考え方としては、wh疑問文の場合には「①wh語をCP指定部に移動させる要素」と「②Tの位置にある助動詞をCに牽引する要素」が関係してくるのですが、従属節のCPの主要部 Cには ②の要素がないとする説もあります。その具体的な理由については様々な仮説が提案されているという感じです。
@ ありがとうございます。 (i)は強調構文を連想させますね。(...who it is that I am) ところでS' Compの分析だと主節の疑問詞つきの直接疑問文で、疑問詞と倒置した助動詞がCompをめぐって渋滞を起こしますよね。これを考えると指定部と主要部を分けるのには利があるようですが、今度は間接疑問で問題が出てくるんですね。まさにあちらを立てればこちらが立たずですね
いつも勉強させてもらってます!最近勉強していて疑問に思ったことがあります。
persuade/promise/tryはコントロール構文であることは理解できました。
次にwantがコントロール構文とCを伴うECMどちらも選択できると学びました。Cを伴うECMはコントロール構文ではないのですか?
一応i want (for) him to leave.これはPROが出てこないから別ものだと思って捉えています。
「生成文法 渡辺明」を参考にして
今大学でちょうどこの範囲やっている状態です。
今回もご質問ありがとうございます!
まず結論から言えば ECM構文とコントロール構文は別物です。以下の例を比べてみてください:
(1) ECM構文
I believe [him to be honest].
→ himは believeから Accusative Caseを(例外的に)付与される。believeの目的語は him to be honest「彼が正直である(こと)」全体であり him単独ではない。
(2) コントロール構文
I persuaded him(i) [PRO(i) to see a doctor].
→ himは元々 persuadeの目的語(説得の対象)であり、Accusative Caseを付与される。to seeの意味上の主語として音形を持たない PROがあり、先行する himを受ける。
wantが「どちらも選択できる」(=どちらの用法も持つ)というのは:
(3) 主節のS ≠ to不定詞の意味上のS → ECM
I want [him to leave].
→ himは wantから(例外的)格付与を受ける。
(4) 主節のS = to不定詞の意味上のS → コントロール
I(i) want [PRO(i) to leave].
→ PROは格を付与されず、この場合は主節の主語がコントローラーとなる。
「Cを伴うECM」というのは、おそらく補文標識の forが to不定詞の意味上のSに Accusative Caseを付与することを指しており、より自然な例文としては以下のようなものになるかと思いますが:
(5) I want very much [for him to leave].
→ この場合、himはCPの主要部Cである forから格を付与される。コメントにもある通り、PROは登場しないのでコントロール構文ではない。
こちらの動画も参考になるかもしれないので、宜しければご覧になってみてください:ruclips.net/video/wpVe90j6swI/видео.html
@ 分かりやすいです!以前も質問させていただいた時も分かりやすかったです。これからも学ばせてもらいます。
@@GalileosEnglishLab何度もすみません🙇 i want him to leave は例外的に対格が付与されるってことは一応受動態にしても文法的に正しいと見なされるって認識あってますか?believeもforつけたりできませんよね、この区別が難しいです!
Radford (2009) Analysing English Sentences: A Minimalist Approachの分析によれば、believeは典型的な ECM verbで、補文は TP/IP= CPの主要部となる forは取れません。
(1) We believe [TP: him to be honest].
※補文が CPだと例外的格付与の障壁となってしまい、格を与えることができないと考えらえれています。
(1)を受動態にすると、"is believed"は対格を与える力が無くなり、非定形節の Tである toは主格を与えられないので、TPの主語は主節の主語位置に移動して主格を付与されることになります:
(2) He is believed [TP: _ to be honest].
他方、wantは(先のECMによる説明とは異なる考え方になりますが)"for-deletion verb"と分析されており、以下のように補文は for-toの形をとる CPで、I want [him to leave].は forが音声的に削除されているが、himは Cから格を与えられているとされています:
(3) I want [CP [C (for)] [TP him to leave]].
このように、目には見えなくとも forから対格を与えられているとすると、himが主節の主語位置に移動する理由がなくなり、(4)のような受動態は非文法的になってしまいます:
(4) *He was wanted [CP [C: (for)] [TP _ to leave]].
wantの用法の一部と believeを「同じ」ECMとして扱うと、受動化の可能性などで両者の振る舞いに差が生じてしまうのですが、for-deletion verbs(補文はCP)と ECM verbs(補文はTP)を区別する分析であれば説明がつくという印象です。もっとも、入門のテキストでは wantも ECMで説明されることが多いんですけどね…😅
ですので、深掘りにつながる good questionです!
@@GalileosEnglishLab納得できすぎました!笑ほんとにスッキリして次に進めそうです。😂
これからも他の動画楽しみにしてます!
whetherや ifの場合はCのところにあるから倒置が起こると渋滞になるというのは分かったんですが、whatみたいな普通の疑問詞の場合にも間接疑問文で倒置が起きないのはどう考えたら良いんでしょうか?
Good question!! ご質問ありがとうございます…と同時に、明確に「こう考えると良い」という解説ができる言語現象ではなく、Carnie (2002) Syntax: A Generative Introduction (2nd ed.)では "We don't have a good explanation for it."という記載すらあります。
ですので、以下は参考として挙げるものですが、英語の歴史的には下の例のように「CP指定部に wh語 + 主要部Cの位置に従属接続詞」という語順が存在したそうです:
(i) men shal wel knowe who that I am
"Men will know well who I am."
(Caxton, 1484, R 67, in Lightfoot, 1979: 322)
現代英語では「wh語 + that/if/whether」という併用は非文法的になってしまうのですが、(i)の間接疑問文では Cが thatによって埋まっており、"who am I"の語順になる余地が残っていないことになります(やはり渋滞になる)。
他の考え方としては、wh疑問文の場合には「①wh語をCP指定部に移動させる要素」と「②Tの位置にある助動詞をCに牽引する要素」が関係してくるのですが、従属節のCPの主要部 Cには ②の要素がないとする説もあります。その具体的な理由については様々な仮説が提案されているという感じです。
@ ありがとうございます。
(i)は強調構文を連想させますね。(...who it is that I am)
ところでS' Compの分析だと主節の疑問詞つきの直接疑問文で、疑問詞と倒置した助動詞がCompをめぐって渋滞を起こしますよね。これを考えると指定部と主要部を分けるのには利があるようですが、今度は間接疑問で問題が出てくるんですね。まさにあちらを立てればこちらが立たずですね
>あちらを立てればこちらが立たず
理論構築の際の「あるある」という部分ではありますね😅
他方、私も含め、どうしても英語の文法現象をベースに考えがちにはなりますが、他の言語でも(もっと言えば言語一般を射程に入れた際に)成り立つ文法記述・説明ができるか?という視点が大事になってくると考えています。
そうすると、CP指定部に wh語・C主要部に疑問をあ表す要素が併用される言語も多々あることから、CPの分析の方を基本と捉え、英語の間接疑問文の語順は言語固有の制約を考えた方が妥当かなという印象を私は抱いていますね。