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受験生です。中国史が苦手でなかなか覚えられなかったのですが、このチャンネルのお陰で印象深いエピソードと共に少しずつ覚えられるようになりました!!本当にありがとうございます。
受験頑張れよ!
この人、めちゃめちゃ有能だけど性格に癖が強すぎますね。こんな極端な人物に出会えるのが中国史のだいご味。まさに「プラスもマイナスもでかすぎる」人物譚、とても楽しく拝見しました。ありがとうございました。
李斯の逐客令についての反論は現代の説得方法としても良いですね。いつも動画のアップロードありがとうございます。
逐客令を否定しながらも、『韓非は韓の公子だ』と讒言して、○す所が、闇😱
@@noriaki4927 いや、全く
そして趙高に足元をすくわれる。
プラスもマイナスも大きすぎるのは確かでございますが、「賢者も千に一つは過ちを言い、愚者も千に一つは正しいことを言う」と申します。完璧を人間に求めれば、それはロマンではなくフィクションでありましょう。
うぽつです。中国史といえば三国志のイメージが強いですがそれ以外の時代ももっと人気が出ると良いですよね。李斯の悲惨な最期は悪魔に魂を売り渡した者の末路を思わせますが、「惨めな思いをして生きたくない」「今ある栄光や幸福を手放したくない」という感情は人なら誰でも持ち合わせているものなので物悲しさを感じます。
まさに野心の塊。虎狼の国、秦人の鑑ですね(楚人だけど)。荀子はとんでもないモンスターを育ててしまった…
前にどこかでも書いたけど中国の基本形を作ったのが商鞅でそれをほぼ全国に施行したのが李斯、完成させたのが蕭何ですね。3人ともに厳正な法律家であり行政者だと言える。
私も歴史が好きなのでこの時代もある程度の知識はありますが、改めて聞くと李斯って凄い才能の持ち主ですね。
乱世だったからこそ、始皇帝がいたからこそ活躍できた、輝けた人だと思うので仮に扶蘇が跡を継いでいたとしても政治的に長生きは出来なかったでしょうねぇ。とはいえ功名心や自己保身なんかは人間誰しも持って当然のものなので、そういう意味でもすごく人間臭いタイプの偉人ですね。あといつの間にか登録者数7万人突破してましたね。おめでとうございます!
ありがとおおおおッございますゥ!!!!
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことに感謝しております……!いつも変わらぬ楽しい中国史の時間をお見せできるよう、これからも精進していきますので、どうぞよろしくお願いいたします!
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!変わらぬ熱き応援が私を奮い立たせて下さっています……!!!今後の頑張りにもぜひご期待ください……!
末子が河南省駐馬店市上蔡県の李斯楼村に匿われたという伝承があります。その村の住民は、みんな李姓で、李斯の子孫を称してます。
最後の最後に馬鹿とよばれた人を跡継ぎに推しちゃったのが運の尽きだったかもね。
李斯の評価は、孔子の管仲に対する評価が近しい。当時の人物には、不仁であるが後世には大きく利益があった。しかし焚書だけは歴史好きには許し難しことである。
功罪色々ありますが「我、鳥獣に非ず」の言葉に衝撃を受け人生が変わりました。私の人生のターニングポイントとなった瞬間でした。
15:52 何という執念深い逐客 江戸幕府かw李斯はすぐ後の時代の劉邦が粛清モードに入ったときに蕭何を投獄する理由に引用されてますよね「塩鉄論」にも出てくるあたり あの時代のメジャーな政治家だったのでしょうね
文選にモムゼンもってくる洒落がいい。
21世紀の現代の東アジア人の全てのルールの基礎を作った人物とも言えるので、個人的には同時代の全ての英雄よりも偉大な人物だったと思います惜しむらくは、後々秦の崩壊につながるガチガチ過ぎる法律に柔軟性をつけてくれるNo.2がいたら、帝国はそのまま続いた気がしますね(どこかで滅ぶのは歴史の必定ではありますが)
優秀な政治家でもあり、悪い意味でも人間らしい面もあった人ですね動画色々お疲れ様です
大好きな李斯でペデス鳥アンデッキなのが超嬉しい地元民🫰
墨家の書物が全然残ってないのは、この時の焚書が原因っぽいですよね
墨家は…軍事顧問団であると共に結束力がメッチャ強かったのが裏目に。反乱者が出た時、異様に拠点守備が堅いのも困るし。
秦が覇を唱えることができたのは、武門で秀でた将がいたのもあるが、財務人事に長けた呂不韋や法務と行政と諜報のエキスパートである李斯がいたことが大きいと思う。自国の損耗を少なくして対外戦争を優勢に進めることができたんだろう。中央集権体制は法家の理想とする国家体制だから、李氏はそれを成し遂げようとした。最期はもう哀れとしか言いようがない。あれほど人物が己の保身のために滅びるとは…。無情だな。
李斯をするなら、是非、韓非子も解説して欲しいです。あくまで希望です
「外国人追放令」を撤回させたのは、凄かった…………
「気に入らなーい。ビリビリ。」📃🚮趙普→「貼り直して持ってきました!」「…わかったよ。」君主と宰相の関係性に興味があるので、昭襄王と范雎の話が楽しみです。
how do you write icon in comment?
李斯個人に限れば、逐客令で秦を追い出されていれば腰斬刑で最期を迎えることはなかったかも……?
万事塞翁が馬
自分はこういう人間になりたいとは思わない(そもそもそんな能力もない)けど、己の生き方考え方を貫き、結果位人臣を極め、数多くの功績を後世に残した彼の人生はとてもかっこいいと思います。欠点も多いですが、歴史に名を残すような人物は綺麗ごとだけではやっていけないだろうし、またそこも人間味であると思います。
まさに、キングダムから鳥さんに辿り着き、動画を見倒しています!
この話とは関係ないけど、静岡県立美術館でやってる「兵馬俑と古代中国」見に行ってきました。とっても面白かったです展示物からも始皇帝という人物がいかに時代の変革者であるかがよく分かったし、その中に李斯の政策もかなりあるはずなので鳥人間さんのチャンネルを合わせて見ることですごく勉強になります。
狙い通りキングダムからこの動画見てます!元々中国ドラマ好きなので完全に中国史ハマりました…!今は「ミーユエ」を見ているんですが、お時間あればその主人公である宣太后について解説してほしいです🫶
横山光輝さんの、「項羽と劉邦」、「史記」「三国志」は名作ですね、「武田勝頼」もおすすめです
最後の立ち回りだけが残念ですね・・・。でも私はネズミの話が大好きかな。今の社会でも同じことが言えますからね。便所のネズミと蔵のネズミを見比べた李斯は「人が堂々と振る舞えるかそうでないか、その才能を活かせるか活かせないかは環境次第なのだ」
「人の賢不肖は譬えば鼠のごとく、自ら処るところにあるのみ。人之賢不肖譬如鼠矣、在所自処耳。」(史記 李斯列伝)という名言がありましたね。司馬遷先生は、聖人君主大好きな熱血理想主義者だから、割と辛辣な評価ですね。呂不韋もそうですが、実務上の妥協は仕方ないのかなと感じます。韓非に後任を任せて、隠居していたら、また違った歴史があったのかな。私的には、李斯は割と好きですが、呂不韋の印象が良くないのは自己矛盾なんですよね。動画面白かったです。長文すみません。
鍾会が司馬昭にちゃんと忠誠を誓っていたバージョンみたいな人だな
李斯の功罪の罪の部分は出自の低さとそこからくる立身出世欲にあると思う。どれも保身のために行った行為と見えるけど、この泥臭さが好き。
0:21 オプーナ「よくぞこの動画を視聴した。褒美としてオプーナを買う権利をやろう」
「簡単に」が「邯鄲に」に変換間違えしている所に、主の中国史愛を感じる(笑)
私は敢えての変換かと存じます。
李斯の生き方大好きです。有能すぎるし人間味も溢れる。
才能と見識は間違いなく本物。謀略活動もできる稀代の天才だった。しかし、「才能と人格(人間性)は一致しない」人間の体現者でもあった事で「法の番人が保身と不正に手を染めて、最期はそれが巡り巡って自分の首を絞める」という救いようのない結末を迎えてしまったなあ。「史記」ルートでも「趙正書」ルートでも秦の国体を保てなかったのは事実だし、こち亀の両さん以上に欲ボケしてしまったのが悔やまれる
ありがとうございます!李斯を見ていて呂布と魏延を思い出しました。能力はものすごいけど人間性の底が浅くて手放しでは褒められない、敬意は持てないあの感じ。こういう人は一度落ちたらな~わざわざ救おうとする人は少ないからな~本人もそれをうっすら分かってても自分を変えるって難しいからな~考えさせられます!次も楽しみにしてます!
呂布はともかく、魏延って人間性が低いとか浅いってどういう所から来てるんでしょうか自分は魏延が裏切者だとか性格がよくないってのは全然ピンと来ないんですよ少なくとも劉備の配下になってから、最期に殺されるまで裏切り行為をしようとした事もないですし(最後は権力抗争みたいな物)、諸葛亮とそりが合わなかっただけだと思いますね劉備と諸葛亮の人を見る目を比べたら圧倒的に劉備の方が上なわけで、その劉備が大抜擢する位の人間なのだから人間性も悪いとは思えないし、将軍としての能力に関しては否定する人は殆どいませんよね
いつもご支援いただき、ありがとうございます!優れた能力を持つものの野心や人間性に問題がある人物は、絶対の君主がいる時は大分良いんですけどねェ……
@@木村博士 なるほど!そうですね!
@@木村博士 魏延と楊儀の仲は最悪で、互いに憎み合ったほどです。特に魏延が馬岱に討たれた後、首を踏み付けて言った台詞がコレ↓楊儀「この悪党め、もう一度悪い事が出来るならやってみろ!」
李斯は本当にもったいない…韓非という素晴らしい人も保身のために葬ったこともあるから評価が難しい…この保身第一の考えさえなければ… 秦のためにつくしたいなら廃嫡は推すべきではなかったですね マイナスの部分が大きくて私もなにも言えないオプーナは中国史だった…?
自身の優れた能力をゴリ押しできる環境を与えてくれた君主に恵まれ栄達したが、その君主亡き後に後ろ盾を失いボロが出て失脚する。今まで秦で活躍してきた宰相達が繋いできたパスを最後に受けて、末路までなぞったような終わりを迎えた。秦の名宰相の生きざまを清算したような印象を受けました。
最後の最後で厠のネズミの良さに気づいたのかもしれない、ってどっかのサイトが評価してたなそういえば李林甫にも息子が行商人?を指さして我らはこうなりたいと思ってもなれるでしょうか?って言ったエピソードあったな(これ以上勝手な政治してたら一族まとめて破滅するから止めろって意味)なお李林甫の返答は「もう後にはひけない」......
けど、最後は楊国忠に一族皆殺しにされる。
商鞅 李斯共に最後は悲惨だがのちの中国の礎を築く優秀な人物だと思う。
李斯自身がもし低い身分のままでも満足して懸命に生きていたならこんな悲惨すぎる末路は辿らなかったかもしれないし、秦の国にしても天下統一をしたことによってむしろ滅びへの道が早まったとも言える。そういう意味で李斯も秦も変に野心をたぎらせたせいで壮絶にしくじってしまったのだろうけど、彼らの成し遂げた天下統一と中央集権化のシステムはその後の中華二千年を規定するほどの影響を残した。確かに、どう評価したらよいか難しい。
位人臣を極めると、あとは墜ちるだけ…だからスパッと隠居した漢の張良が「スゴい」と言われる訳で。
功罪有り過ぎて難しいけど李斯が居なければ中華の形そのものが全く違うものになっていただろうというのは分かりましたわ…李斯が居なければその後の漢王朝すら郡県制だったかもしれないし…歴史に大いに爪痕を残した大人物ですかね…末路はアレですが…
呂不韋に続き、早速李斯をありがとうございます。司馬遷の評価が王翦に対するのと似ていますね。司馬遷的には始皇帝を諌められないとダメみたいです。そんなの無理でしょう。。
秦がすぐ滅びちゃいましたからねえ、建国の英雄にはなれても王朝を支える功臣にはなれなかった、胡亥と趙高が色々言われてるけどすぐに反乱が起きて数年で滅びてるんだから本当の原因は始皇帝時代に問題があったとしか思えないですよねえ
初めて李斯を知ったのは横山光輝先生の項羽と劉邦で、趙高にやり込められてボッコボコに拷問された挙げ句、嘘の自白をさせられて処刑ってとんでもない無様なお亡くなりをしてしまった李斯さん。やっぱ最後を間違えたら評価がとんでもなく落ちるんだなあって実感した
自分か?
趙高の脅しに屈しなくてもそんな迫害されたとは思えないんだよなあそこで選択ミスったのなあ
私はコーエーの三国志は昔から好きでしたし、少し前にキングダムも読みました。でも中国史が面白いなと思い始めたのは鳥人間さんのおかげです。本当にありがとうございます
晩年が(T_T)それを考慮しても評価が高い人物ですね(^_^マジ晩年(T_T)
中国史武力ランキングは多々目にするけど政治家ランキング10傑とかだったら李斯はいるかな
いかに優秀であっても猜疑心が強いと他者を陥れた者は最期に自身に全て返ってくる見本のような生涯だったな。
李斯の動画、楽しく拝見させてもらいました!李斯、宦官である趙高のことを格下に見ていたのでしょうね。暗愚でコントロールしやすい胡亥は他の人間にとってもコントロールしやすい人物だっただろうし、宦官が皇帝の身近にいる存在だということは李斯も知っていたはずですから。もし李斯が扶蘇を擁立していたら、秦だけでなく、以後の中国史は大きく変わっていたかも知れません。
ご支援いただき、ありがとうございました!楽しくご覧いただけて本当に嬉しいです!本当に、趙高の危険性が理解できていなかったのが、致命的でしたね……
ここで李斯キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!間違いなく優秀な能吏👍
今回も動画を閲覧した者です。久しぶりに当チャンネルのテーマに戻ったらと思ったら、メジャーな【李斯】を出して来ましたね。他の方のコメント、特に司馬遷の評価にもあるように、彼はプラスとマイナスの実績が多い、ということが自分が持つ【李斯】に対する評価ですね。 文字、貨幣、重量等の統一、各地への道の建設。これは後世の事を考えると凄いことであると思いますが、【李斯】が持つネガティブな面が尾を引いているからか、評価が別れますね。 上記が自分が持つ【李斯】の評価ですが、間違っていたら、ごめんなさい。 今回も良い動画を配信していただいて、ありがとうございました。 今回の動画について、他の方のコメントを視聴することが出来て、勉強になりました。 さて次回は誰を、何を取り上げるのか、楽しみにしております。 動画配信については、心身共に負担が掛かると思いますので、投稿者さんにおかれましては、身体とメンタルに気をつけていただければ、と思います。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
中国史は面白い人物が多いですね^^楽しく視聴させていただきました。
李斯は中国という国の基を築いた天才的な人なのは間違いないけど、歴史が証明してしまう通り、野心的な人の最後は何時だって悲惨なのが悲しいところだね…この人がいなかったら中国は欧州みたいになっていたんだろうねとは思う
厠のネズミと倉庫のネズミ、同じ環境下なら後者は敵わない。晩年の李斯は倉庫のネズミになりきっちゃったのかなぁ。
7:46頃の李斯の暇乞いの発言が強烈に刺さりました。書籍を読み漁りたいので、詳しい方がいたら出典について教えて欲しいです。
商咉は自分で考案した車裂きで処された陰謀を以て政敵?を排した者が政敵に排されるのもまた因果応報
知っているのか霊夢!と感心してたら順慶・・・やられましたね
私なりの理解では、自身の長所や成功例は、自身の短所や失敗につながる・・・。表裏一体かと。
厳しいだけの人のイメージだったけど統一王朝の基礎を作った人だったね😃
不遜と知りつつもなんか親近感を感じてしまう
李斯のぉ…人格は破綻しとったが、才覚だけは誰よりもあった。驕れる者も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。あいつには平家物語を熟読させるべきだったわい。司馬遷のいう通り、自らの驕りが招いた災いを除けばその名声はもっと上がっていただろう。盛唐の李林甫と人格勝負をさせたら五分五分やろうな…はァ…惜しい人材を亡くした。
平家物語は無理でしょw
@@seattleslew2332 そんなもん儒教パワーで何とかすんだよ!!!
今回出番ありましたね
儒教は時空すら超える…って道家してるぜ!
当時は竹簡と語りつつ参考画像の絵画では燃やされてるのは紙の本。調べたら絵は清朝の頃のもので散々にツッコまれてる絵なんですねw
冒頭で秦つながりで李信がネタになってましたが、ナンバーツーつながりで李儒やリシュリューもありだったかもしれませんね。始皇帝時代の政策の立案・遂行の中心にいたことや、最後は趙高の野望を読み違えてあっさり倒されたことは知っていましたが秦版攘夷・逐客令に敢然と立ち向かったことは今回初めて知りました。
李斯を上手く評価できないといううp主さんも完全同意です。
宰相の身でありながら世界史の教科書にも名前が載るレベルだからな。まあ他にもいるっちゃいるけど(商鞅とか)
なんで始皇帝の遺言を書き換えるのに協力したのか、ずっとわからないし、何の得があるのかもわからないしで、李斯はずっともやもやさせられる人物だわ。趙高がやばいとしてもまだ蒙恬蒙毅も生きていたし…。
扶蘇が即位したらその蒙恬達が敵になるんですけど、この時点では趙高は味方で蒙恬達は敵ですよ秦でその前に権力闘争に敗れた者がどうなったかご存知ですよねえ
世界史的には名前だけでなくやったことも同時に覚えなきゃいけない人だしなあ。ぶっちゃけカンシンとかオウセンは中国史好きじゃないと知らないけど、この人は一般人でも知ってる人は知ってる人っていう...。
荀子が心配したのは李斯ではなく、李斯、統治下の人臣だと思う。同時代(親子世代)でも法家と言えば韓非名宰相と言えば簫何名軍師と言えば張良奇計と言えば陳平李斯の名前はない😭漢王朝自身が秦王朝を反面教師としてましたね。しかし、郡県制(皇帝専制)と封建制(地方分権)の相反はその後の王朝のジレンマ(難問)といて受継がれて行く…
古代中華王朝の骨格を作り上げた点と、文字の統一… これだけでも後世への影響は絶大!
いつもありがとうございます!すごいことをやってるのに、すごい小物感。共感がわきます。
こちらこそいつもご支援いただき、恐悦至極に存じますッ!人格と能力の乖離の乖離が凄まじい李斯の紹介をお楽しみいただけたようで、嬉しいです!!!!
鼠の逸話は、胸を打つ真実だと思います。
超有能で実務能力が高く政略の才もあり、後世にも多大な影響を与えつつ、自身は非業の死を遂げる。李斯は日本史で言えば大久保利通だな。
日本史に例えるなら、井伊直弼だと思います。
李斯は功績は多いがそれは道に外れた行いで建てたものが多く、大逆不忠之徒になり果てたので身を滅ぼし、不孝不忠の外道に落ちるのも当然と言えるでしょう。
西方遠征からの帰国お疲れ様でした…というかいきなり李斯とは重いですね…さて彼は闇落ちしたのか…
始皇帝の遺詔を改竄すると、同意した時点で趙高の術中に嵌り、闇落ちしたと言えます。此処で敢然と拒否していたら、鴆毒飲まされ自害だったかも。
鳥さん、秦の昭王の時もだったけどこういう秦らしい(?)人は苦手なのかしら李斯は、諸説ある沙丘の変をどう解釈するかで評価がだいぶ変わると思うんだよなぁ
個人的には、沙丘の変に関しては、趙高がもとは趙の公子であり沙丘の平台が趙の離宮であったことから、趙の勢力を前に李斯はどうすることもできないかったのだ、という藤田勝久氏の説が1番しっくりくる粛清や言論弾圧にしても、創始された王朝が権威を確立し安定する為には多かれ少なかれ必要な部分もあるだろうし、中華史上初の統一王朝なら尚更という気もする少なくとも、史記の解釈には全体的に違和感が強いまぁワタクシは物心ついた時から法家贔屓ですから、多少はね?
始皇帝存命中に没していれば、悪どいこともしたけど秦の統一と統治機構を整備した名宰相としていい終わり方ができたと思う。同時期に学んだ韓非の生年や秦に来る前に狩りができるくらいの次男が居たってことを考慮すると始皇帝よりも15~20歳くらい上でしょうからそりゃ晩年は思考も衰えていたでしょう。しかし、何でコーエー作品の代表例がオプーナw
成り上がり→族滅の見本市だよね、春秋戰國は。
ネズミを見て身の置き場を痛感した李斯が、最後腰斬に遭ったとき見えた秦王朝の風景は、ネズミのいた厠より汚いものだったんでしょうかね。妄想ですが李斯がなんとか秦の王宮を離れて劉邦あたりに仕えていたらどうなったんでしょうか??錆ちゃっててあんまり使い物にならないかなぁ?
27:50これは後の時代見るとホントに真理よね、五楚七国の乱や八王の乱見ると血族がほとんどあてにならないのがよくわかる
李斯、晩年は残念すぎた(´・ω・`)
李斯は郡県制というその後の中華王朝の支配制度の礎を築いた名臣だとは思いますが、ただ君主である始皇帝こそ郡県制の必要性と封建制の問題点について理解してましたが、ほとんどの人はそういった所を理解できなかったのと、彼自身権勢欲が強かったので、敵がかなり多そうですね…。焚書は思想弾圧のために行われましたが、そもそもの原因は郡県制の有用性が多くの人に理解されていなかった点だと思うので、李斯が思ったような効果はあげなかったと思うので、ただ単に貴重な書物が失われただけの完全な失策だと思います。そして、趙高に唆されて胡亥を二世皇帝に擁立してしまった点は彼の最初にして最後の最大の失敗ですね…。李斯が趙高の陰謀に乗ってしまったのは、おそらく始皇帝死後直後は本人の権勢欲と敵が多いという状況から保身の事で頭がいっぱいだったからではないかと思います…。(自分が商鞅の二の舞になるのを恐れていたと思われる。でも、結局は無実の罪で処刑されるという憂き目に…。しかも、その後まもなく秦王朝自体も滅亡するという…。まさに諸行無常、栄枯必衰。)
政治に外国人を任せるなんて、遥かに進歩した現代の民主主義国家にはあり得ない発想だやっぱり古代人だぜ
秦の優秀な歴代宰相の集大成のような人物だね。(良い意味でも悪い意味(末路含む)でも)
こんにちは。日本一有名な仙台駅のペデデッキですね!でも日本初のペデデッキは柏駅なんですよねえ。初めて柏駅に行った時になんて機能的な作りなんだと感激した田舎ものですwいつも思う。あそこまで己の才覚を存分に振るって、秦という国を始皇帝と共に打ち立てたのに何故宦官一人にコロッと転がされてしまったのか。惜しいかな、李斯。結局我が身可愛さだけの只の俗物に毛が生えただけの人物だったのか?それで最後は自分の功績を全て無にしてしまうとは何とも言葉がない。わたしは高く評価しているんだがどうしても最後がなあ。
コメントを視聴した者です。どこかで見たことあるなと思ったら、仙台駅の風景だったんですね。柏駅にも駅の構造が採用されていたことには、驚きました。仙台駅は1人旅で、柏駅は職場の研修所の関係で行った場所です。短いコメントですが、ここで筆を置きます。
1に横山光輝、2にコーエー三国志、3にキングダム、4に鳥人間さん。現在の中国に王岐山という人がいて自分は諸葛孔明に憧れるとたまに書いているのですが、李斯に近い…
おー李斯きたあー
李斯登場を的中させいて、密かに驚いていました……
李斯きたーーーーーーー
自分にかかる火の粉は振り払うけど他者がどうなろうとどうでもいいって考えの人だったんだろうねどこぞの企業の重役だったらそれでも良かったんだろうけど国を運営するのはこの人はやるべきではなかった
李斯が居なければ始皇帝の中華統一をなし得なかったが後ろ盾の始皇帝を失い転落する様は見ていて哀しい
秦王政の外国人排斥法を実施しても、恐らく時間は掛かるけど秦は統一してたけどね既に秦の国力軍事力は六国全部相手にしても勝てる程の差が開いてたから順当に韓→趙→魏と滅ぼしてしまえば、例え胡亥が王になっても天下統一しそうだし
始皇帝の死後が、ターニングポイントだったかもしれないですね。兆候を討って、扶蘇を立てていれば、名宰相として名前が残ったかもしれない。しかし、その場合には、楚漢戦争が起きることなく、項羽も劉邦も歴史に名を残すことがなかったかもしれない。「if」を想像することも、歴史を学ぶ醍醐味だと思います。
一人生で栄光と没落、陰と陽、善と悪😇🪢😈全ての感情を経験をしているのは、どっちかに偏っているのを遥かに上回る経験値やと思いました! 人3.4人分の人生を一人で歩んでこられたような大人物やと感じました🤣
郡県制の方が封建制よりやはり良いのかな?郡県制で上手くいくとは限らないが、後者は直ぐに無茶苦茶になってる気がする。
法家実務の完成者と言われるだけあって、いろんな意味でとんでもないスケールだよなあと。ただ彼は「始皇帝の側近」なのであって、悲惨な末路を辿らざるを得なかったのは「秦王室のお気に入り」ではなかった、最大の後ろ盾である始皇帝無しでは、本質的にその地位を保つことはできんかった、ってことなんだろうなと皇帝独裁制の実務を担うナンバー2の地位は結局、信頼関係を結べたトップ次第なのだと、李斯が楽毅が長孫無忌が、あるいは魏忠賢が和珅が教えてくれる
オプーナが気になって困るw 中国史を見る権利をやろう!
政策を扱う学者や官僚としては優秀だったけど、政治家としての芯や器量に欠けたままその階段を登り詰めちゃったのが彼にとっても秦にとっても命取りだったんでしょうかね。後の劉邦とかの人格重視宰相論に反面教師として影響を与えたのかなとも思いました。
受験生です。中国史が苦手でなかなか覚えられなかったのですが、このチャンネルのお陰で印象深いエピソードと共に少しずつ覚えられるようになりました!!本当にありがとうございます。
受験頑張れよ!
この人、めちゃめちゃ有能だけど性格に癖が強すぎますね。こんな極端な人物に出会えるのが中国史のだいご味。まさに「プラスもマイナスもでかすぎる」人物譚、とても楽しく拝見しました。ありがとうございました。
李斯の逐客令についての反論は現代の説得方法としても良いですね。
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完璧を人間に求めれば、それはロマンではなくフィクションでありましょう。
うぽつです。
中国史といえば三国志のイメージが強いですがそれ以外の時代ももっと人気が出ると良いですよね。
李斯の悲惨な最期は悪魔に魂を売り渡した者の末路を思わせますが、「惨めな思いをして生きたくない」「今ある栄光や幸福を手放したくない」という感情は人なら誰でも持ち合わせているものなので物悲しさを感じます。
まさに野心の塊。虎狼の国、秦人の鑑ですね(楚人だけど)。荀子はとんでもないモンスターを育ててしまった…
前にどこかでも書いたけど中国の基本形を作ったのが商鞅でそれをほぼ全国に施行したのが李斯、完成させたのが蕭何ですね。3人ともに厳正な法律家であり行政者だと言える。
私も歴史が好きなのでこの時代もある程度の知識はありますが、改めて聞くと李斯って凄い才能の持ち主ですね。
乱世だったからこそ、始皇帝がいたからこそ活躍できた、輝けた人だと思うので仮に扶蘇が跡を継いでいたとしても政治的に長生きは出来なかったでしょうねぇ。
とはいえ功名心や自己保身なんかは人間誰しも持って当然のものなので、そういう意味でもすごく人間臭いタイプの偉人ですね。
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李斯の評価は、孔子の管仲に対する評価が近しい。
当時の人物には、不仁であるが後世には大きく利益があった。
しかし焚書だけは歴史好きには許し難しことである。
功罪色々ありますが「我、鳥獣に非ず」の言葉に衝撃を受け人生が変わりました。
私の人生のターニングポイントとなった瞬間でした。
15:52 何という執念深い逐客 江戸幕府かw
李斯はすぐ後の時代の劉邦が粛清モードに入ったときに蕭何を投獄する理由に引用されてますよね
「塩鉄論」にも出てくるあたり あの時代のメジャーな政治家だったのでしょうね
文選にモムゼンもってくる洒落がいい。
21世紀の現代の東アジア人の全てのルールの基礎を作った人物とも言えるので、個人的には同時代の全ての英雄よりも偉大な人物だったと思います
惜しむらくは、後々秦の崩壊につながるガチガチ過ぎる法律に柔軟性をつけてくれるNo.2がいたら、帝国はそのまま続いた気がしますね
(どこかで滅ぶのは歴史の必定ではありますが)
優秀な政治家でもあり、悪い意味でも人間らしい面もあった人ですね
動画色々お疲れ様です
大好きな李斯でペデス鳥アンデッキなのが超嬉しい地元民🫰
墨家の書物が全然残ってないのは、この時の焚書が原因っぽいですよね
墨家は…軍事顧問団であると共に結束力がメッチャ強かったのが裏目に。
反乱者が出た時、異様に拠点守備が堅いのも困るし。
秦が覇を唱えることができたのは、武門で秀でた将がいたのもあるが、財務人事に長けた呂不韋や法務と行政と諜報のエキスパートである李斯がいたことが大きいと思う。自国の損耗を少なくして対外戦争を優勢に進めることができたんだろう。中央集権体制は法家の理想とする国家体制だから、李氏はそれを成し遂げようとした。最期はもう哀れとしか言いようがない。あれほど人物が己の保身のために滅びるとは…。無情だな。
李斯をするなら、是非、韓非子も解説して欲しいです。
あくまで希望です
「外国人追放令」を撤回させたのは、凄かった…………
「気に入らなーい。ビリビリ。」📃🚮
趙普→「貼り直して持ってきました!」「…わかったよ。」
君主と宰相の関係性に興味があるので、昭襄王と范雎の話が楽しみです。
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李斯個人に限れば、逐客令で秦を追い出されていれば腰斬刑で最期を迎えることはなかったかも……?
万事塞翁が馬
自分はこういう人間になりたいとは思わない(そもそもそんな能力もない)けど、
己の生き方考え方を貫き、結果位人臣を極め、数多くの功績を後世に残した彼の人生はとてもかっこいいと思います。
欠点も多いですが、歴史に名を残すような人物は綺麗ごとだけではやっていけないだろうし、またそこも人間味であると思います。
まさに、キングダムから鳥さんに辿り着き、動画を見倒しています!
この話とは関係ないけど、静岡県立美術館でやってる「兵馬俑と古代中国」見に行ってきました。とっても面白かったです展示物からも始皇帝という人物がいかに時代の変革者であるかがよく分かったし、その中に李斯の政策もかなりあるはずなので鳥人間さんのチャンネルを合わせて見ることですごく勉強になります。
狙い通りキングダムからこの動画見てます!元々中国ドラマ好きなので完全に中国史ハマりました…!
今は「ミーユエ」を見ているんですが、お時間あればその主人公である宣太后について解説してほしいです🫶
横山光輝さんの、「項羽と劉邦」、「史記」「三国志」は名作ですね、「武田勝頼」もおすすめです
最後の立ち回りだけが残念ですね・・・。
でも私はネズミの話が大好きかな。今の社会でも同じことが言えますからね。
便所のネズミと蔵のネズミを見比べた李斯は
「人が堂々と振る舞えるかそうでないか、その才能を活かせるか活かせないかは環境次第なのだ」
「人の賢不肖は譬えば鼠のごとく、自ら処るところにあるのみ。人之賢不肖譬如鼠矣、在所自処耳。」(史記 李斯列伝)という名言がありましたね。司馬遷先生は、聖人君主大好きな熱血理想主義者だから、割と辛辣な評価ですね。呂不韋もそうですが、実務上の妥協は仕方ないのかなと感じます。韓非に後任を任せて、隠居していたら、また違った歴史があったのかな。私的には、李斯は割と好きですが、呂不韋の印象が良くないのは自己矛盾なんですよね。動画面白かったです。長文すみません。
鍾会が司馬昭にちゃんと忠誠を誓っていたバージョンみたいな人だな
李斯の功罪の罪の部分は出自の低さとそこからくる立身出世欲にあると思う。どれも保身のために行った行為と見えるけど、この泥臭さが好き。
0:21 オプーナ「よくぞこの動画を視聴した。褒美としてオプーナを買う権利をやろう」
「簡単に」が「邯鄲に」に変換間違えしている所に、主の中国史愛を感じる(笑)
私は敢えての変換かと存じます。
李斯の生き方大好きです。有能すぎるし人間味も溢れる。
才能と見識は間違いなく本物。謀略活動もできる稀代の天才だった。
しかし、「才能と人格(人間性)は一致しない」人間の体現者でもあった事で
「法の番人が保身と不正に手を染めて、最期はそれが巡り巡って自分の首を絞める」という
救いようのない結末を迎えてしまったなあ。
「史記」ルートでも「趙正書」ルートでも秦の国体を保てなかったのは事実だし、
こち亀の両さん以上に欲ボケしてしまったのが悔やまれる
ありがとうございます!
李斯を見ていて呂布と魏延を思い出しました。能力はものすごいけど人間性の底が浅くて手放しでは褒められない、敬意は持てないあの感じ。
こういう人は一度落ちたらな~
わざわざ救おうとする人は少ないからな~
本人もそれをうっすら分かってても自分を変えるって難しいからな~
考えさせられます!
次も楽しみにしてます!
呂布はともかく、魏延って人間性が低いとか浅いってどういう所から来てるんでしょうか
自分は魏延が裏切者だとか性格がよくないってのは全然ピンと来ないんですよ
少なくとも劉備の配下になってから、最期に殺されるまで裏切り行為をしようとした事もないですし
(最後は権力抗争みたいな物)、諸葛亮とそりが合わなかっただけだと思いますね
劉備と諸葛亮の人を見る目を比べたら圧倒的に劉備の方が上なわけで、その劉備が大抜擢する位の人間なのだから
人間性も悪いとは思えないし、将軍としての能力に関しては否定する人は殆どいませんよね
いつもご支援いただき、ありがとうございます!
優れた能力を持つものの野心や人間性に問題がある人物は、絶対の君主がいる時は大分良いんですけどねェ……
@@木村博士 なるほど!そうですね!
@@木村博士
魏延と楊儀の仲は最悪で、互いに憎み合ったほどです。
特に魏延が馬岱に討たれた後、首を踏み付けて言った台詞がコレ↓
楊儀「この悪党め、もう一度悪い事が出来るならやってみろ!」
李斯は本当にもったいない…韓非という素晴らしい人も保身のために葬ったこともあるから評価が難しい…
この保身第一の考えさえなければ… 秦のためにつくしたいなら廃嫡は推すべきではなかったですね マイナスの部分が大きくて私もなにも言えない
オプーナは中国史だった…?
自身の優れた能力をゴリ押しできる環境を与えてくれた君主に恵まれ栄達したが、その君主亡き後に後ろ盾を失いボロが出て失脚する。
今まで秦で活躍してきた宰相達が繋いできたパスを最後に受けて、末路までなぞったような終わりを迎えた。秦の名宰相の生きざまを清算したような印象を受けました。
最後の最後で厠のネズミの良さに気づいたのかもしれない、ってどっかのサイトが評価してたな
そういえば李林甫にも息子が行商人?を指さして我らはこうなりたいと思ってもなれるでしょうか?って言ったエピソードあったな
(これ以上勝手な政治してたら一族まとめて破滅するから止めろって意味)なお李林甫の返答は「もう後にはひけない」......
けど、最後は楊国忠に一族皆殺しにされる。
商鞅 李斯共に最後は悲惨だが
のちの中国の礎を築く
優秀な人物だと思う。
李斯自身がもし低い身分のままでも満足して懸命に生きていたならこんな悲惨すぎる末路は辿らなかったかもしれないし、秦の国にしても天下統一をしたことによってむしろ滅びへの道が早まったとも言える。
そういう意味で李斯も秦も変に野心をたぎらせたせいで壮絶にしくじってしまったのだろうけど、彼らの成し遂げた天下統一と中央集権化のシステムはその後の中華二千年を規定するほどの影響を残した。
確かに、どう評価したらよいか難しい。
位人臣を極めると、あとは墜ちるだけ…だからスパッと隠居した漢の張良が「スゴい」と言われる訳で。
功罪有り過ぎて難しいけど
李斯が居なければ中華の形そのものが全く違うものになっていただろうというのは分かりましたわ…
李斯が居なければその後の漢王朝すら郡県制だったかもしれないし…
歴史に大いに爪痕を残した大人物ですかね…末路はアレですが…
呂不韋に続き、早速李斯をありがとうございます。司馬遷の評価が王翦に対するのと似ていますね。司馬遷的には始皇帝を諌められないとダメみたいです。そんなの無理でしょう。。
秦がすぐ滅びちゃいましたからねえ、建国の英雄にはなれても王朝を支える功臣にはなれなかった、胡亥と趙高が色々言われてるけどすぐに反乱が起きて数年で滅びてるんだから本当の原因は始皇帝時代に問題があったとしか思えないですよねえ
初めて李斯を知ったのは横山光輝先生の項羽と劉邦で、趙高にやり込められてボッコボコに拷問された挙げ句、嘘の自白をさせられて処刑ってとんでもない無様なお亡くなりをしてしまった李斯さん。やっぱ最後を間違えたら評価がとんでもなく落ちるんだなあって実感した
自分か?
趙高の脅しに屈しなくてもそんな迫害されたとは思えないんだよなあ
そこで選択ミスったのなあ
私はコーエーの三国志は昔から好きでしたし、少し前にキングダムも読みました。でも中国史が面白いなと思い始めたのは鳥人間さんのおかげです。本当にありがとうございます
晩年が(T_T)
それを考慮しても評価が高い人物ですね(^_^
マジ晩年(T_T)
中国史武力ランキングは多々目にするけど政治家ランキング10傑とかだったら李斯はいるかな
いかに優秀であっても猜疑心が強いと他者を陥れた者は最期に自身に全て返ってくる見本のような生涯だったな。
李斯の動画、楽しく拝見させてもらいました!
李斯、宦官である趙高のことを格下に見ていたのでしょうね。暗愚でコントロールしやすい胡亥は他の人間にとってもコントロールしやすい人物だっただろうし、宦官が皇帝の身近にいる存在だということは李斯も知っていたはずですから。
もし李斯が扶蘇を擁立していたら、秦だけでなく、以後の中国史は大きく変わっていたかも知れません。
ご支援いただき、ありがとうございました!楽しくご覧いただけて本当に嬉しいです!
本当に、趙高の危険性が理解できていなかったのが、致命的でしたね……
ここで李斯キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
間違いなく優秀な能吏👍
今回も動画を閲覧した者です。
久しぶりに当チャンネルのテーマに戻ったらと思ったら、メジャーな【李斯】を出して来ましたね。
他の方のコメント、特に司馬遷の評価にもあるように、彼はプラスとマイナスの実績が多い、ということが自分が持つ【李斯】に対する評価ですね。
文字、貨幣、重量等の統一、各地への道の建設。これは後世の事を考えると凄いことであると思いますが、【李斯】が持つネガティブな面が尾を引いているからか、評価が別れますね。
上記が自分が持つ【李斯】の評価ですが、間違っていたら、ごめんなさい。
今回も良い動画を配信していただいて、ありがとうございました。
今回の動画について、他の方のコメントを視聴することが出来て、勉強になりました。
さて次回は誰を、何を取り上げるのか、楽しみにしております。
動画配信については、心身共に負担が掛かると思いますので、投稿者さんにおかれましては、身体とメンタルに気をつけていただければ、と思います。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
中国史は面白い人物が多いですね^^楽しく視聴させていただきました。
李斯は中国という国の基を築いた天才的な人なのは間違いないけど、歴史が証明してしまう通り、野心的な人の最後は何時だって悲惨なのが悲しいところだね…
この人がいなかったら中国は欧州みたいになっていたんだろうねとは思う
厠のネズミと倉庫のネズミ、同じ環境下なら後者は敵わない。晩年の李斯は倉庫のネズミになりきっちゃったのかなぁ。
7:46頃の李斯の暇乞いの発言が強烈に刺さりました。
書籍を読み漁りたいので、詳しい方がいたら出典について教えて欲しいです。
商咉は自分で考案した車裂きで処された
陰謀を以て政敵?を排した者が政敵に排されるのもまた因果応報
知っているのか霊夢!と感心してたら順慶・・・やられましたね
私なりの理解では、自身の長所や成功例は、自身の短所や失敗につながる・・・。
表裏一体かと。
厳しいだけの人のイメージだったけど統一王朝の基礎を作った人だったね😃
不遜と知りつつもなんか親近感を感じてしまう
李斯のぉ…人格は破綻しとったが、才覚だけは誰よりもあった。
驕れる者も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。あいつには平家物語を熟読させるべきだったわい。
司馬遷のいう通り、自らの驕りが招いた災いを除けばその名声はもっと上がっていただろう。
盛唐の李林甫と人格勝負をさせたら五分五分やろうな…はァ…惜しい人材を亡くした。
平家物語は無理でしょw
@@seattleslew2332 そんなもん儒教パワーで何とかすんだよ!!!
今回出番ありましたね
儒教は時空すら超える…って道家してるぜ!
当時は竹簡と語りつつ参考画像の絵画では燃やされてるのは紙の本。調べたら絵は清朝の頃のもので散々にツッコまれてる絵なんですねw
冒頭で秦つながりで李信がネタになってましたが、ナンバーツーつながりで李儒やリシュリューもありだったかもしれませんね。始皇帝時代の政策の立案・遂行の中心にいたことや、最後は趙高の野望を読み違えてあっさり倒されたことは知っていましたが秦版攘夷・逐客令に敢然と立ち向かったことは今回初めて知りました。
李斯を上手く評価できないといううp主さんも完全同意です。
宰相の身でありながら世界史の教科書にも名前が載るレベルだからな。まあ他にもいるっちゃいるけど(商鞅とか)
なんで始皇帝の遺言を書き換えるのに協力したのか、ずっとわからないし、何の得があるのかもわからないしで、李斯はずっともやもやさせられる人物だわ。趙高がやばいとしてもまだ蒙恬蒙毅も生きていたし…。
扶蘇が即位したらその蒙恬達が敵になるんですけど、この時点では趙高は味方で蒙恬達は敵ですよ秦でその前に権力闘争に敗れた者がどうなったかご存知ですよねえ
世界史的には名前だけでなくやったことも同時に覚えなきゃいけない人だしなあ。ぶっちゃけカンシンとかオウセンは中国史好きじゃないと知らないけど、この人は一般人でも知ってる人は知ってる人っていう...。
荀子が心配したのは李斯ではなく、李斯、統治下の人臣だと思う。
同時代(親子世代)でも
法家と言えば韓非
名宰相と言えば簫何
名軍師と言えば張良
奇計と言えば陳平
李斯の名前はない😭
漢王朝自身が秦王朝を反面教師としてましたね。
しかし、郡県制(皇帝専制)と封建制(地方分権)の相反はその後の王朝のジレンマ(難問)といて受継がれて行く…
古代中華王朝の骨格を作り上げた点と、文字の統一… これだけでも後世への影響は絶大!
いつもありがとうございます!
すごいことをやってるのに、すごい小物感。共感がわきます。
こちらこそいつもご支援いただき、恐悦至極に存じますッ!
人格と能力の乖離の乖離が凄まじい李斯の紹介をお楽しみいただけたようで、嬉しいです!!!!
鼠の逸話は、胸を打つ真実だと思います。
超有能で実務能力が高く政略の才もあり、後世にも多大な影響を与えつつ、自身は非業の死を遂げる。李斯は日本史で言えば大久保利通だな。
日本史に例えるなら、井伊直弼だと思います。
李斯は功績は多いがそれは道に外れた行いで建てたものが多く、大逆不忠之徒になり果てたので身を滅ぼし、不孝不忠の外道に落ちるのも当然と言えるでしょう。
西方遠征からの帰国お疲れ様でした…というかいきなり李斯とは重いですね…さて彼は闇落ちしたのか…
始皇帝の遺詔を改竄すると、同意した時点で趙高の術中に嵌り、闇落ちしたと言えます。
此処で敢然と拒否していたら、鴆毒飲まされ自害だったかも。
鳥さん、秦の昭王の時もだったけどこういう秦らしい(?)人は苦手なのかしら
李斯は、諸説ある沙丘の変をどう解釈するかで評価がだいぶ変わると思うんだよなぁ
個人的には、沙丘の変に関しては、趙高がもとは趙の公子であり沙丘の平台が趙の離宮であったことから、趙の勢力を前に李斯はどうすることもできないかったのだ、という藤田勝久氏の説が1番しっくりくる
粛清や言論弾圧にしても、創始された王朝が権威を確立し安定する為には多かれ少なかれ必要な部分もあるだろうし、中華史上初の統一王朝なら尚更という気もする
少なくとも、史記の解釈には全体的に違和感が強い
まぁワタクシは物心ついた時から法家贔屓ですから、多少はね?
始皇帝存命中に没していれば、悪どいこともしたけど秦の統一と統治機構を整備した名宰相としていい終わり方ができたと思う。
同時期に学んだ韓非の生年や秦に来る前に狩りができるくらいの次男が居たってことを考慮すると始皇帝よりも15~20歳くらい上でしょうからそりゃ晩年は思考も衰えていたでしょう。
しかし、何でコーエー作品の代表例がオプーナw
成り上がり→族滅の見本市だよね、春秋戰國は。
ネズミを見て身の置き場を痛感した李斯が、最後腰斬に遭ったとき見えた秦王朝の風景は、ネズミのいた厠より汚いものだったんでしょうかね。
妄想ですが李斯がなんとか秦の王宮を離れて劉邦あたりに仕えていたらどうなったんでしょうか??錆ちゃっててあんまり使い物にならないかなぁ?
27:50これは後の時代見るとホントに真理よね、五楚七国の乱や八王の乱見ると血族がほとんどあてにならないのがよくわかる
李斯、晩年は残念すぎた(´・ω・`)
李斯は郡県制というその後の中華王朝の支配制度の礎を築いた名臣だとは思いますが、ただ君主である始皇帝こそ郡県制の必要性と封建制の問題点について理解してましたが、ほとんどの人はそういった所を理解できなかったのと、彼自身権勢欲が強かったので、敵がかなり多そうですね…。焚書は思想弾圧のために行われましたが、そもそもの原因は郡県制の有用性が多くの人に理解されていなかった点だと思うので、李斯が思ったような効果はあげなかったと思うので、ただ単に貴重な書物が失われただけの完全な失策だと思います。そして、趙高に唆されて胡亥を二世皇帝に擁立してしまった点は彼の最初にして最後の最大の失敗ですね…。李斯が趙高の陰謀に乗ってしまったのは、おそらく始皇帝死後直後は本人の権勢欲と敵が多いという状況から保身の事で頭がいっぱいだったからではないかと思います…。(自分が商鞅の二の舞になるのを恐れていたと思われる。でも、結局は無実の罪で処刑されるという憂き目に…。しかも、その後まもなく秦王朝自体も滅亡するという…。まさに諸行無常、栄枯必衰。)
政治に外国人を任せるなんて、遥かに進歩した現代の民主主義国家にはあり得ない発想だ
やっぱり古代人だぜ
秦の優秀な歴代宰相の集大成のような人物だね。(良い意味でも悪い意味(末路含む)でも)
こんにちは。日本一有名な仙台駅のペデデッキですね!でも日本初のペデデッキは柏駅なんですよねえ。初めて柏駅に行った時になんて機能的な作りなんだと感激した田舎ものですw
いつも思う。あそこまで己の才覚を存分に振るって、秦という国を始皇帝と共に打ち立てたのに何故宦官一人にコロッと転がされてしまったのか。
惜しいかな、李斯。結局我が身可愛さだけの只の俗物に毛が生えただけの人物だったのか?それで最後は自分の功績を全て無にしてしまうとは何とも言葉がない。
わたしは高く評価しているんだがどうしても最後がなあ。
コメントを視聴した者です。どこかで見たことあるなと思ったら、仙台駅の風景だったんですね。
柏駅にも駅の構造が採用されていたことには、驚きました。
仙台駅は1人旅で、柏駅は職場の研修所の関係で行った場所です。
短いコメントですが、ここで筆を置きます。
1に横山光輝、2にコーエー三国志、3にキングダム、4に鳥人間さん。
現在の中国に王岐山という人がいて自分は諸葛孔明に憧れるとたまに書いているのですが、李斯に近い…
おー李斯きたあー
李斯登場を的中させいて、密かに驚いていました……
李斯きたーーーーーーー
自分にかかる火の粉は振り払うけど他者がどうなろうとどうでもいいって考えの人だったんだろうね
どこぞの企業の重役だったらそれでも良かったんだろうけど国を運営するのはこの人はやるべきではなかった
李斯が居なければ始皇帝の中華統一をなし得なかったが後ろ盾の始皇帝を失い転落する様は見ていて哀しい
秦王政の外国人排斥法を実施しても、恐らく時間は掛かるけど秦は統一してたけどね
既に秦の国力軍事力は六国全部相手にしても勝てる程の差が開いてたから
順当に韓→趙→魏と滅ぼしてしまえば、例え胡亥が王になっても天下統一しそうだし
始皇帝の死後が、ターニングポイントだったかもしれないですね。
兆候を討って、扶蘇を立てていれば、名宰相として名前が残ったかもしれない。
しかし、その場合には、楚漢戦争が起きることなく、項羽も劉邦も歴史に名を残すことがなかったかもしれない。
「if」を想像することも、歴史を学ぶ醍醐味だと思います。
一人生で栄光と没落、陰と陽、善と悪
😇🪢😈全ての感情を経験をしているのは、どっちかに偏っているのを遥かに上回る経験値やと思いました!
人3.4人分の人生を一人で歩んでこられたような大人物やと感じました🤣
郡県制の方が封建制よりやはり良いのかな?
郡県制で上手くいくとは限らないが、後者は直ぐに無茶苦茶になってる気がする。
法家実務の完成者と言われるだけあって、いろんな意味でとんでもないスケールだよなあと。
ただ彼は「始皇帝の側近」なのであって、悲惨な末路を辿らざるを得なかったのは「秦王室のお気に入り」ではなかった、
最大の後ろ盾である始皇帝無しでは、本質的にその地位を保つことはできんかった、ってことなんだろうなと
皇帝独裁制の実務を担うナンバー2の地位は結局、信頼関係を結べたトップ次第なのだと、
李斯が楽毅が長孫無忌が、あるいは魏忠賢が和珅が教えてくれる
オプーナが気になって困るw 中国史を見る権利をやろう!
政策を扱う学者や官僚としては優秀だったけど、政治家としての芯や器量に欠けたまま
その階段を登り詰めちゃったのが彼にとっても秦にとっても命取りだったんでしょうかね。
後の劉邦とかの人格重視宰相論に反面教師として影響を与えたのかなとも思いました。