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この上村合戦は時系列的に下記の三方ヶ原の戦いの直後になり、新説・三方ヶ原の戦いの実態(前編)ruclips.net/video/QrX2fu9_HlE/видео.html新説・三方ヶ原の戦いの実態(後編)ruclips.net/video/PDOF42duoYY/видео.html次の動画が上村合戦のあとの話になります信玄死後の知られざる戦い・滝山合戦と遠州森の戦いruclips.net/video/iGrUxZLGZ44/видео.html合わせて見て頂けると理解が深まりますのでよかったら是非
応援しています。
スーパーサンクスありだとうございます♪次の動画も頑張ります
ソロツーリング城廻りで行きますが、本当に凄い山城ですよ。苗木城なんて絶景です。今も昔も国道19号と153号が基幹となる線ですが、その間に散らばる集落を結ぶ道路も山間の良い道で、歴史のロマンを絡ませながら走って楽しんでいます。加茂、設楽、恵那、上伊那、下伊那等。素晴らしいですよ。この動画の合戦地は、みんな谷合のチョークポイントの隣の少し開けた土地で、気づかず通り過ぎてしまうような所ばかりです。
チャンネル主も昔ソロツーリングで城を巡ってましたわー、また行きたいなぁ
相変わらずクオリティが高くて大満足。
次はどの辺が良かったか教えてくれたら嬉しい
すごいめっちゃ見やすくなった…!! 3D化された上に色々動きがあるおかげで情報が頭に入りやすいです。文献にちょろっとしか出てこない遠山一族がずらっと出てくるのはさすがというか、絶対このチャンネルだけですよねw 謎だった一族の挙動の一端が知れて大満足です😊
山がちな地形だと3Dマップは映えるかな?また使って行こうと思います
@@Yoshifuji-Sengoku 最近だと高天神城付近の進軍ルートとかですかね。一言坂のような隘路っぽい地形もより分かりやすくなりそうな気がしますね。
進軍の図の矢印が動くやつが3D化難しいので行軍は今のところ技術的に厳しかったりします
@@Yoshifuji-Sengoku 技術的なことは何もわからず…勝手言いましてすみません💧 平面図が3D化するだけで伝わり方が全然違うなぁって今回思いました
感心するぐらい良く調べてある。知らない武将の名前も多く凄く見ていて新鮮で分かり易い。普通に本を読んでいるだけじゃ知り得ない事が沢山。面白かった。これ時間掛かるでしょうけど見てる方としては楽しいので次回の作品に期待。個人的には永禄4年の第四回川中島合戦とか謙信亡き後の加賀、能登、越中への織田方の攻勢とか御館の乱を見てみたいです。
普通の本には上村合戦はまず載ってないので自分で調べるしかないんですよね(涙
本当にいつも素晴らしい情報量で郷土史家や地元の方などに直接尋ねたりしているのかと思うほどです。ニュートラルな観点での考察や参考文献のセンスなども含め信頼がおけます。いつも楽しく見ております、ありがとうございます。今後も、丁寧な解説動画をメジャーなものから細かくなかなか調べにくいものまで楽しみにしております。
時間が掛かってしまい継続するのがなかなか苦しくありますが、今後もできる限り頑張って行きます
お疲れ様です。非常に勉強になりました。ありがとうございます。設楽方面から美濃岩村方面へ走るとそれほど遠くない事に驚かされます。同様に信州下伊那、飯田方面も。あの地域は歴史的に非常に重要な地域だと思っているので古道を実際に調べて歩いてみたいと思っているところです。
旧東山道(中山道)もあの辺りを通ってたらしいんですが痕跡が追えないのです
面白かったです。
相変わらずの情報量、凄いですね。織田、武田に挟まれた遠山氏、歴史上けっこう重要な役割だったんですね。初めて知りました。
境目の国衆は本当に大変ですが遠山氏は頑張ったと思う
地元民の自分ですら初めて聞いた話ばかりで目から鱗素晴らしい
地元なのが羨ましい
マニアックな合戦ありがとうございます。よくその辺りは稲武や設楽付近は趣味のオートバイで良く行きます。もう一つの趣味が有名じゃ無い合戦や山城調査、観光です。上村合戦がまさか出てくるとは驚きです。次は三河総劇をお願いします🤲
三河忩劇は家康の初陣でもやる時かなぁ雨山合戦くらいしか派手なのないしなぁ
なにこのかっちょええ音楽
系図や地図を扱い、前後に連続する他の戦いまで解説し極め付けには当時の河川流路まで!満足する21分間でした。次の動画も楽しみにしています👍
今回は山岳なのでアレですが次回は旧河川流路が活躍する予定
やはり地図は良いよな皆誤解気味なんだけど日本の大部分さ山であり森林本当の地図で初めて武田家の実態が見えて来る。当時の信濃全域でも30万石ちょい、甲斐は20万石もないから武田の最大版図でも直接領地化出来てたのはおそらく15万石くらい。これが最強な訳ないやろ。
駿河も使える平野が少なかったりしますね。武田は徳川さんのおかげで大分誇張されてるかな
むしろそれだけ石高がないから他領を攻め取らないと自らも飢えて○ぬ可能性があったから強かったのかもしれません。(常に背水の陣状態…)ただ兵数は増やせる訳がないので少数精鋭状態だったんでしょうね。数が少なければ対処を間違えなければ勝つ方法は幾らでもありますし…
緻密に調べ上げましたね… 素晴らしいです!
ありがとうございます♪ちょっとマニアック過ぎですがw
@@Yoshifuji-Sengoku いやいや、マニア最高じゃないですか! 頑張ってくださいね。
投稿ありがとうございます。矢作川流域の谷間でいくぶんか平地が広く、今も南信、東濃、奥三河への道路の結節点なので重要な地域なんですね。長野・岐阜間が中央高速道路除くと木曽谷(19号)か伊那谷通って岩村(418号)くらいしか無い事考えると。
美濃から信濃に行くなら木曽経由か中馬街道いくしかないって感じ
12:07 こうやって見るとゴルフ場ってとんでもない広さの山城だな
最近じゃあメガソーラーなんてのもありますよね(汗環境破壊もそうですが街道跡とかぶっ潰されてることもね・・・
スーパーニッチな合戦に詳しすぎる解説が凄い!何か聞いた事有るなぁと思ったらあの逆さ磔の”おつやの方”前日譚でしたかで、遠山氏、遠山遠山?・・・てggたら傍流の明知遠山みたいだがやっぱ遠山の金さんの先祖なのな
動画内で遠山の金さんの話題にも触れるべきでしたわぁ、生放送とかコメントで金さんの話題が結構でますね
上村合せんは、始めて知りました❗
この動画で知って貰えたなら光栄でありまする
自分の住んでる街の歴史を教えてもらった気分です。聞いてた通説と全然違うんですね。地図で見るとうちの前で合戦していたと思うと変な気分です(笑)
地元とは羨ましい、地元には地元だけの伝承もあると思うので何か分かったら発信してもらえると歴史研究家も喜ぶと思います
理論的解説でとても、楽しい地形図の利用の仕方も分かりやすい。難を言えば自動音声の高音が耳ざわり。
声優としてもV tuberとしても有名な方ですが好みが合わなかったかな
肉声なの、てっきり機械と思いました。
地元の千旦林城がある…城主の吉村さん情報が少ないんだよな…昔話と伝説しか…昔話だと(吉村)源斎は信玄の呼び掛けを断って怒りを買って兵を差し向けられた。そして源斎は岩屋に籠って戦って戦死したとされる。源斎岩と名付けられた場所もあります…
別コメで子孫の方が来てくれておりまする
両親が東濃なので比較的ここら辺の歴史にも明るいと思ってるけど細かい所まで調べてて凄いなあ。見続けてたら存在するかも怪しいウチの超々マイナー御先祖様もどこかで出てくる可能性が…
ご先祖さまは誰なんだろうw東濃に帰った時に話題になったり見に行ってくれると嬉しいな
@@Yoshifuji-Sengoku 実は今、この動画に触発されて、岩井戸砦跡に来てそこで返信を書いているのだ(笑)
うは、実に羨ましい!うちの動画見て現地に行こうと思ってくれたことはマジで嬉しい、そうだ東美濃へ行こう!!w
誰も知らないと思っていた当家の先祖の千旦林城主吉村氏まで登場するとは…。当家の家系図では吉村氏為は15世紀の人物で、上村合戦で亡くなった当時の千旦林城主は吉村朝氏とされています。
吉村源斎と源蔵の父子がまあ名前がたまに見られるくらいで千旦林の吉村氏は残念ながらマイナーですめ。吉村氏の系図は見たことないので貴重かも。吉村父子の諱は通説とは違う感じなんですねぇ
@@Yoshifuji-Sengokuそうですよね〜当家の家系図が正しければ① 橘蔵人氏長→②橘刑部左衛門尉氏久→③橘七左衛門尉氏次(法名:源斎、千旦林初代城主)→④橘七郎左衛門尉氏為→⑤吉村源蔵左衛門尉頼氏(応仁の乱で京都出向)→⑥吉村源五左衛門尉氏尚→⑦吉村弥惣左衛門尉義氏(通称:源斎、武田信玄の召し出しに応ぜず討死)→⑧吉村源蔵左衛門尉朝氏(上村合戦で討死)→⑨吉村左兵衛尉俊氏(武田家侵攻で千旦林城落城とともに討死)→⑩吉村新五郎澄氏とされています。③の源斎と⑦の源斎が混同されて、息子源蔵の名前が氏為と間違われている史料があるのでは?と当家内では考察されています。
これはもう間違いなく混同されてそう、歴史家が系図を検討してくれたら通説が変わりそうな気配を感じます。なにか書状でもあれば歴史が変わったりするかも。吉村源蔵の上村合戦の討死がどのようなものであったか分かれば、上村合戦も見直されて、あったか無かったかあいまいな状況も変わるのになぁ・・・と悔しく思ったりします。
@@Yoshifuji-Sengokuそうですね!でもこんなマイナーな武将の家系図を検証してくれる歴史家はいるでしょうか…?σ(^_^;) 家系図は大概デタラメとも言いますしね。書状のような一次史料はなかったかも…。お盆に実家に帰った時に確認してみますね。
@@Yoshifuji-Sengoku実家の史料を確認してみたところ、やはり書状等の一次史料はありませんでした。ただ一番古そうな家系図の記載は下記の通りで、吉村源蔵が上村合戦で死亡したとされるのは通説の元亀元年ではなく、主様が主張されている通りの元亀三年の年季が書かれていて感動しました。吉村源蔵左衛門尉朝氐元亀三年武田勢當國◻︎發岩村城主大和守景任卒去此時朝氐苗木家ニ加リ上邑ヘ出張明知民部入道ノ一手ニテ秋山伯耆守ト戦微運ニ百諸勢悉敗走民部入道始串原父子戦死朝氐此時大力英雄ニテ秋山勢ノ首七級討取終ニ戦死元亀三年壬申十二月廿八日法名戌庵院實道
東美濃オールスターという魅力的な響き人質を甲斐へ送ったのは武田に従属するほぼ全ての勢力がやっていたことで、真田も三男昌幸を甲斐へ送り信玄の秘書のような立場だったのを考えると、身の安全と育成を兼ねて甲斐へ送るのは悲惨な事ではないと思う。
古い言葉を使いつつも現代人に分かりやすいフレーズも使っていきたいと思ってます
そもそも美濃遠山氏が加藤氏の子孫だったの知らなかった
それが知って貰えただけでも動画を作った意味があったかな
音声では「飯羽間(いいばさま)」と言ってましたが「飯羽間(いいばま)」が正解ですね。
「飯狭間」の表記もあったりすので、表記は「飯羽間」で読みは「いいばさま」の折衷案にした感じです
三河の文字のあたりはですが奥三河と変換してみるとすんなりいくと思います。東三河とどう違うかといわれると難しいところなんですが・・・
ん?どこかに誤字がありましたかね
このあたりを学習しようとすると遠山VS遠山VS遠山VS遠山みたいに遠山ゲシュタルト崩壊が起こっててうんざりするんよね
遠山さんは一族同士の争いは少ない方ですかね
前回すでにコメントでヒントもらってたけど面白かった。三方ヶ原で決戦してるはずの武田軍が有力な一隊を送り込んできて、14分あたりで一方的に方位殲滅の闘い方してるのはどうしてこーなったって感じでしょうねw
下条信氏の経路や秋山の進撃路は三河からなら納得できる道筋なんですよね
センゴクは秀吉の小田原征伐あたりまで読んだけど内容が全然思い出せない・・・・もっかい読み直すか・・・・飛信隊の信の話も途中で投げ出してしまった・・・・
センゴクの秋山さんとおつやさんはアレですけどねw
しかし平らな土地が全然無いな。
動画にするなら山がちな方が助かったりします。平野だとアクセントがね
長篠が撮られると大きいってのがほんと感じられますね。信玄公の死を秘して、家康がピヨってる間に東海道を制圧しちゃうのは無理だったのかなあ…
長篠は遠江と三河の有効な結節点の最北って感じですかね
こんにちは(*゚ー゚)v
いらしゃいませー♪
遠山一族は、日本最少の城と言われた苗木藩をはじめ、例の桜吹雪の旗本など幕臣として江戸時代を生き延びたのに何故不名誉な俗説が流布したのだろうか😅?
金さんは明地遠山の分家で親の代で養子入りしてたりします
例の桜吹雪の一族って、北条家臣系の一族だと思った。
北条家臣になった武蔵遠山家も明知遠山の分家だったりします。遠山政景は遠山景行の従兄弟甥になります
創作剣豪将軍がよしふじ?
元々はなろうで書いてた小説のヒロインが義藤さまで、そのキャラから名前を借りてチャンネル名にした経緯があったりします
直義。すまぬ美術史が専門なんで。
鎌倉殿動画の時からそうだけど、一目で分かって貰うにはまだ使わざるを得ない感じ
@@Yoshifuji-Sengoku さんこれ難しい問題なんだよな。でも年寄りでも新しい知見を喜ぶ人は多いしそもそも事実が固定されたら歴史学がタヒんでしまう。
初めて聞きました。学校でも習って無いですよ。
上村合戦はマイナーですので
なんだかなあ
この上村合戦は時系列的に下記の三方ヶ原の戦いの直後になり、
新説・三方ヶ原の戦いの実態(前編)
ruclips.net/video/QrX2fu9_HlE/видео.html
新説・三方ヶ原の戦いの実態(後編)
ruclips.net/video/PDOF42duoYY/видео.html
次の動画が上村合戦のあとの話になります
信玄死後の知られざる戦い・滝山合戦と遠州森の戦い
ruclips.net/video/iGrUxZLGZ44/видео.html
合わせて見て頂けると理解が深まりますのでよかったら是非
応援しています。
スーパーサンクスありだとうございます♪次の動画も頑張ります
ソロツーリング城廻りで行きますが、本当に凄い山城ですよ。苗木城なんて絶景です。
今も昔も
国道19号と153号が基幹となる線ですが、その間に散らばる集落を結ぶ道路も山間の良い道で、歴史のロマンを絡ませながら走って楽しんでいます。
加茂、設楽、恵那、上伊那、下伊那等。素晴らしいですよ。
この動画の合戦地は、みんな谷合のチョークポイントの隣の少し開けた土地で、気づかず通り過ぎてしまうような所ばかりです。
チャンネル主も昔ソロツーリングで城を巡ってましたわー、また行きたいなぁ
相変わらずクオリティが高くて大満足。
次はどの辺が良かったか教えてくれたら嬉しい
すごいめっちゃ見やすくなった…!! 3D化された上に色々動きがあるおかげで情報が頭に入りやすいです。文献にちょろっとしか出てこない遠山一族がずらっと出てくるのはさすがというか、絶対このチャンネルだけですよねw 謎だった一族の挙動の一端が知れて大満足です😊
山がちな地形だと3Dマップは映えるかな?また使って行こうと思います
@@Yoshifuji-Sengoku 最近だと高天神城付近の進軍ルートとかですかね。一言坂のような隘路っぽい地形もより分かりやすくなりそうな気がしますね。
進軍の図の矢印が動くやつが3D化難しいので行軍は今のところ技術的に厳しかったりします
@@Yoshifuji-Sengoku 技術的なことは何もわからず…勝手言いましてすみません💧 平面図が3D化するだけで伝わり方が全然違うなぁって今回思いました
感心するぐらい良く調べてある。
知らない武将の名前も多く凄く見ていて新鮮で分かり易い。
普通に本を読んでいるだけじゃ知り得ない事が沢山。
面白かった。
これ時間掛かるでしょうけど見てる方としては楽しいので次回の作品に期待。
個人的には永禄4年の第四回川中島合戦とか謙信亡き後の加賀、能登、越中への織田方の攻勢とか御館の乱を見てみたいです。
普通の本には上村合戦はまず載ってないので自分で調べるしかないんですよね(涙
本当にいつも素晴らしい情報量で郷土史家や地元の方などに直接尋ねたりしているのかと思うほどです。
ニュートラルな観点での考察や参考文献のセンスなども含め信頼がおけます。いつも楽しく見ております、ありがとうございます。今後も、丁寧な解説動画をメジャーなものから細かくなかなか調べにくいものまで楽しみにしております。
時間が掛かってしまい継続するのがなかなか苦しくありますが、今後もできる限り頑張って行きます
お疲れ様です。非常に勉強になりました。ありがとうございます。設楽方面から美濃岩村方面へ走るとそれほど遠くない事に驚かされます。同様に信州下伊那、飯田方面も。
あの地域は歴史的に非常に重要な地域だと思っているので古道を実際に調べて歩いてみたいと思っているところです。
旧東山道(中山道)もあの辺りを通ってたらしいんですが痕跡が追えないのです
面白かったです。
相変わらずの情報量、凄いですね。
織田、武田に挟まれた遠山氏、歴史上けっこう重要な役割だったんですね。
初めて知りました。
境目の国衆は本当に大変ですが遠山氏は頑張ったと思う
地元民の自分ですら初めて聞いた話ばかりで目から鱗
素晴らしい
地元なのが羨ましい
マニアックな合戦ありがとうございます。よくその辺りは稲武や設楽付近は趣味のオートバイで良く行きます。もう一つの趣味が有名じゃ無い合戦や山城調査、観光です。上村合戦がまさか出てくるとは驚きです。次は三河総劇をお願いします🤲
三河忩劇は家康の初陣でもやる時かなぁ雨山合戦くらいしか派手なのないしなぁ
なにこのかっちょええ音楽
系図や地図を扱い、前後に連続する他の戦いまで解説し極め付けには当時の河川流路まで!
満足する21分間でした。
次の動画も楽しみにしています👍
今回は山岳なのでアレですが次回は旧河川流路が活躍する予定
やはり地図は良いよな
皆誤解気味なんだけど
日本の大部分さ山であり森林
本当の地図で初めて武田家の
実態が見えて来る。
当時の信濃全域でも30万石ちょい、甲斐は20万石もないから武田の最大版図でも直接領地化出来てたのはおそらく15万石くらい。これが最強な訳ないやろ。
駿河も使える平野が少なかったりしますね。武田は徳川さんのおかげで大分誇張されてるかな
むしろそれだけ石高がないから他領を攻め取らないと自らも飢えて○ぬ可能性があったから強かったのかもしれません。(常に背水の陣状態…)
ただ兵数は増やせる訳がないので少数精鋭状態だったんでしょうね。
数が少なければ対処を間違えなければ勝つ方法は幾らでもありますし…
緻密に調べ上げましたね… 素晴らしいです!
ありがとうございます♪ちょっとマニアック過ぎですがw
@@Yoshifuji-Sengoku いやいや、マニア最高じゃないですか! 頑張ってくださいね。
投稿ありがとうございます。
矢作川流域の谷間でいくぶんか平地が広く、今も南信、東濃、奥三河への道路の結節点なので重要な地域なんですね。
長野・岐阜間が中央高速道路除くと木曽谷(19号)か伊那谷通って岩村(418号)くらいしか無い事考えると。
美濃から信濃に行くなら木曽経由か中馬街道いくしかないって感じ
12:07
こうやって見るとゴルフ場ってとんでもない広さの山城だな
最近じゃあメガソーラーなんてのもありますよね(汗
環境破壊もそうですが街道跡とかぶっ潰されてることもね・・・
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何か聞いた事有るなぁと思ったらあの逆さ磔の”おつやの方”前日譚でしたか
で、遠山氏、遠山遠山?・・・てggたら傍流の明知遠山みたいだがやっぱ遠山の金さんの先祖なのな
動画内で遠山の金さんの話題にも触れるべきでしたわぁ、生放送とかコメントで金さんの話題が結構でますね
上村合せんは、始めて知りました❗
この動画で知って貰えたなら光栄でありまする
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地図で見るとうちの前で合戦していたと思うと変な気分です(笑)
地元とは羨ましい、地元には地元だけの伝承もあると思うので何か分かったら発信してもらえると歴史研究家も喜ぶと思います
理論的解説でとても、楽しい地形図の利用の仕方も分かりやすい。難を言えば自動音声の高音が耳ざわり。
声優としてもV tuberとしても有名な方ですが好みが合わなかったかな
肉声なの、てっきり機械と思いました。
地元の千旦林城がある…城主の吉村さん情報が少ないんだよな…昔話と伝説しか…昔話だと(吉村)源斎は信玄の呼び掛けを断って怒りを買って兵を差し向けられた。そして源斎は岩屋に籠って戦って戦死したとされる。源斎岩と名付けられた場所もあります…
別コメで子孫の方が来てくれておりまする
両親が東濃なので比較的ここら辺の歴史にも明るいと思ってるけど細かい所まで調べてて凄いなあ。
見続けてたら存在するかも怪しいウチの超々マイナー御先祖様もどこかで出てくる可能性が…
ご先祖さまは誰なんだろうw東濃に帰った時に話題になったり見に行ってくれると嬉しいな
@@Yoshifuji-Sengoku 実は今、この動画に触発されて、岩井戸砦跡に来てそこで返信を書いているのだ(笑)
うは、実に羨ましい!うちの動画見て現地に行こうと思ってくれたことはマジで嬉しい、そうだ東美濃へ行こう!!w
誰も知らないと思っていた当家の先祖の千旦林城主吉村氏まで登場するとは…。当家の家系図では吉村氏為は15世紀の人物で、上村合戦で亡くなった当時の千旦林城主は吉村朝氏とされています。
吉村源斎と源蔵の父子がまあ名前がたまに見られるくらいで千旦林の吉村氏は残念ながらマイナーですめ。吉村氏の系図は見たことないので貴重かも。吉村父子の諱は通説とは違う感じなんですねぇ
@@Yoshifuji-Sengokuそうですよね〜
当家の家系図が正しければ
① 橘蔵人氏長→②橘刑部左衛門尉氏久→③橘七左衛門尉氏次(法名:源斎、千旦林初代城主)→④橘七郎左衛門尉氏為→⑤吉村源蔵左衛門尉頼氏(応仁の乱で京都出向)→⑥吉村源五左衛門尉氏尚→⑦吉村弥惣左衛門尉義氏(通称:源斎、武田信玄の召し出しに応ぜず討死)→⑧吉村源蔵左衛門尉朝氏(上村合戦で討死)→⑨吉村左兵衛尉俊氏(武田家侵攻で千旦林城落城とともに討死)→⑩吉村新五郎澄氏
とされています。
③の源斎と⑦の源斎が混同されて、息子源蔵の名前が氏為と間違われている史料があるのでは?と当家内では考察されています。
これはもう間違いなく混同されてそう、歴史家が系図を検討してくれたら通説が変わりそうな気配を感じます。なにか書状でもあれば歴史が変わったりするかも。吉村源蔵の上村合戦の討死がどのようなものであったか分かれば、上村合戦も見直されて、あったか無かったかあいまいな状況も変わるのになぁ・・・と悔しく思ったりします。
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@@Yoshifuji-Sengoku
実家の史料を確認してみたところ、やはり書状等の一次史料はありませんでした。ただ一番古そうな家系図の記載は下記の通りで、吉村源蔵が上村合戦で死亡したとされるのは通説の元亀元年ではなく、主様が主張されている通りの元亀三年の年季が書かれていて感動しました。
吉村源蔵左衛門尉朝氐
元亀三年武田勢當國◻︎發岩村城主大和守景任卒去此時朝氐苗木家ニ加リ上邑ヘ出張明知民部入道ノ一手ニテ秋山伯耆守ト戦微運ニ百諸勢悉敗走民部入道始串原父子戦死朝氐此時大力英雄ニテ秋山勢ノ首七級討取終ニ戦死
元亀三年壬申十二月廿八日
法名戌庵院實道
東美濃オールスターという魅力的な響き
人質を甲斐へ送ったのは武田に従属するほぼ全ての勢力がやっていたことで、真田も三男昌幸を甲斐へ送り信玄の秘書のような立場だったのを考えると、身の安全と育成を兼ねて甲斐へ送るのは悲惨な事ではないと思う。
古い言葉を使いつつも現代人に分かりやすいフレーズも使っていきたいと思ってます
そもそも美濃遠山氏が加藤氏の子孫だったの知らなかった
それが知って貰えただけでも動画を作った意味があったかな
音声では「飯羽間(いいばさま)」と言ってましたが
「飯羽間(いいばま)」が正解ですね。
「飯狭間」の表記もあったりすので、表記は「飯羽間」で読みは「いいばさま」の折衷案にした感じです
三河の文字のあたりはですが奥三河と変換してみるとすんなりいくと思います。
東三河とどう違うかといわれると難しいところなんですが・・・
ん?どこかに誤字がありましたかね
このあたりを学習しようとすると遠山VS遠山VS遠山VS遠山みたいに遠山ゲシュタルト崩壊が起こっててうんざりするんよね
遠山さんは一族同士の争いは少ない方ですかね
前回すでにコメントでヒントもらってたけど面白かった。
三方ヶ原で決戦してるはずの武田軍が有力な一隊を送り込んできて、14分あたりで一方的に方位殲滅の闘い方してるのはどうしてこーなったって感じでしょうねw
下条信氏の経路や秋山の進撃路は三河からなら納得できる道筋なんですよね
センゴクは秀吉の小田原征伐あたりまで読んだけど内容が全然思い出せない・・・・
もっかい読み直すか・・・・飛信隊の信の話も途中で投げ出してしまった・・・・
センゴクの秋山さんとおつやさんはアレですけどねw
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動画にするなら山がちな方が助かったりします。平野だとアクセントがね
長篠が撮られると大きいってのがほんと感じられますね。
信玄公の死を秘して、家康がピヨってる間に東海道を制圧しちゃうのは無理だったのかなあ…
長篠は遠江と三河の有効な結節点の最北って感じですかね
こんにちは(*゚ー゚)v
いらしゃいませー♪
遠山一族は、日本最少の城と言われた苗木藩をはじめ、例の桜吹雪の旗本など幕臣として江戸時代を生き延びたのに何故不名誉な俗説が流布したのだろうか😅?
金さんは明地遠山の分家で親の代で養子入りしてたりします
例の桜吹雪の一族って、北条家臣系の一族だと思った。
北条家臣になった武蔵遠山家も明知遠山の分家だったりします。遠山政景は遠山景行の従兄弟甥になります
創作剣豪将軍がよしふじ?
元々はなろうで書いてた小説のヒロインが義藤さまで、そのキャラから名前を借りてチャンネル名にした経緯があったりします
直義。
すまぬ美術史が専門なんで。
鎌倉殿動画の時からそうだけど、一目で分かって貰うにはまだ使わざるを得ない感じ
@@Yoshifuji-Sengoku さん
これ難しい問題なんだよな。
でも年寄りでも新しい知見を喜ぶ人は
多いしそもそも事実が固定されたら
歴史学がタヒんでしまう。
初めて聞きました。学校でも習って無いですよ。
上村合戦はマイナーですので
なんだかなあ