【昭和天皇が本気で怒った日】天皇『 田中の話を聞くことは自分はいやだ』田中は涙を流して辞職。
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- Опубликовано: 18 сен 2024
- こんにちは。『祖国日本』です。
主に日清戦争、大東亜戦争でどのような出来事が起こっていたのかという戦争史、昭和史を漫画によって配信していきます。週に2本ほど上げていく予定です。
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日露戦争を体験してない若い軍人たちが座学で好成績だったことで自分を優秀だと思い込み、「僕が考えた最高の謀略を実行するンゴ」「古いおっさんの言う事は聞かなくてもよい」で次々と好き勝手なことをやった挙句行きついたのが対米戦争。
そういう連中を抑えるためには原則を守って処罰しなければいけなかったところをなあなあにしたことが原因。
今の日本でも原則を軽視して軽い処罰やそもそも処罰しないことが横行している。
暗記秀才は結局はカス
関東軍ヤバいな、治外法権過ぎる。
この話聞く分には田中首相も不憫やな、
陸軍の権力が強すぎた
この事件は擁護しようもない愚策やからなぁ
結局のところ関東軍の独断専行が帝国を亡国にさせた一因。満洲は利益を齎すどころか日本の足枷となった。
陸軍機密費をちょろまかして国会議員になった時に それを調べていた検察官を56したのが田中儀一と思われていた
@@三島英資 三瓶二等主計の件
昭和天皇陛下がお怒りになった
ってよっぽどだな…
宮中で言う「御不満」が民間で言う「激怒」の意味なんだそうだが、昭和の陛下がご生前に「御不満」を示されたのは、満州某重大事件と二・二六事件との2回だけだった由。
総理就任時から今日まで左右双方からけちょんけちょんの田中義一だが、人格頭脳とも実に優秀な人物だったと言われる。
広瀬武夫(大使館付武官としてロシア勤務で一緒だった)や石光真清ら、田中義一と深く関わった人物らの手記や手紙を読むと、
「人情に厚く頭脳明晰」
と言った人物描写が非常に多い。
個人的には忠義の心も厚かったと言われる。
陛下の不興を買った男として「妾宅で腹上死」とのデマも流された一方、前代未聞の陛下の激怒にショックを受けて衰弱死したとも言われた。
後には東條英機が「統帥強化」を図って内閣総理大臣の身で敢えて参謀総長を兼務した(そして非難された)ほどで、田中義一本人がいかに忠義の臣であろうとも、要人爆殺という陸軍の暴走には、口は挟み得なかったろう。
(しかも、当時の田中は既に政党領袖で予備役)
山縣有朋の様に外部から陸軍をコントロールする手段を持つでもなく(田中義一自身も晩年の山縣とは離隔)、かと言って完全に政党の立場から軍を抑えるでもなく、機密費問題同様に最後まで軍界から片足を抜き得なかった人という印象が強い。
@@草莽-b6d
逆に2回しか「御不満」に
なられたことがないなんて本当に凄いな…
さすが昭和天皇陛下
どこぞの関西の首長は、やはり長としての器ではないのよのう(たかだか20メートル歩かされた位で…)。
本当はもっとご不満があったでしょうね。田中の死を境に昭和天皇が自身の感情を露わにするのを抑えるキッカケになったかもしれない。
>満州某重大事件と二・二六事件との2回だけだった由。
政府首脳が軒並み暗殺・行方不明となった226事件はともかく、満州の方は首相が健在だから、天皇無答責を定めた帝国憲法上よろしくない。政治上の責任を負わないということは、裏を返せば天皇自身が政治上の責任を負わされるような行動を取らないと言うこと。
決裁が通らないから、実力行使で強行しようっていうこの頃の陸軍の姿勢はやばいよね😨
関東軍だけです。それも、河本大佐と石原中佐の頃まで。熱可と辻さんが出て来るまでは。
野蛮人悪人に取り囲まれた昭和天皇は大変だった。戦後はほっとされたことでしょう。。
山本五十六さえ六でなしの一人。
謀略をするならするでバレないようにやれや。
実行した組織どころか個人まで割れてしまうとか、恥さらしすぎるだろう。
リスク管理の方向性として、事実関係を明らかにして関係者を厳重に処分するという当初の田中総理の方針は間違ってなかったし、昭和天皇もその方針で進めることを強く期待したからこそ軍部の圧力に屈して期待を裏切られたことに強い言葉が出たのだろう。不憫だわ。
同感
今でも,自民党はうやむや,日本はうやむやを好むね。
それを受け入れる愚かな日本の有権者たち。
下剋上の陸軍ですからね。
そもそも、皇族軍人は何のための制度か。こういうとき、軍の実態を陛下に直言すぺきかと思う。もっとも、昭和天皇はそれを嫌うであろうが。直訴や越訴というのは、手続から外れているゆえ。しかし、立憲君主制なり法治国家となるには、日本は未熟すぎる。軍が超法規的存在志向で、他方、君主自身が立憲体制枠内を堅持しては、まずかろう。憲法で予定しない元老ではあるが、これがいなくては日本は回らない国家であったかと思う。
スターリンの赤軍大粛清のようなこと、ここで断行すれば、日本の敗戦、大日本帝国の解体はなかったかとは思う。
西園寺公は所詮は平時の政治家かと思う。
組織・団体に所属していると、内々の意見や利害に目を奪われ、全体的・客観的な視点が分からなくなるいい例かな。一部の軍人によるテロ、として事実を認め中国・世界に平謝りの姿勢をさらしていれば、かえって信頼も得られたかもしれないと思う。
天皇陛下はさすがに世界的な視点からみている言動が多いと思う。
どのみち陸軍の協力が得られないと閣内不一致で内閣は続けられない。シビリアンコントロールがないと軍の暴走を止められないんだよね。関東軍を陸軍がかばう限りほぼ打つ手がない。
満州国って日本から遠くて目が届かないから戦国時代みたいで謀略、暗殺なんでもありで軍人には夢がある国だね
真面目な語り口からの「アニメであれば激アツ展開」で吹いた
どいつもこいつも、軍人の本分を忘れとる🤬
兵科に政治科を新設したほうがよかったかも(勿論皮肉)
軍人は政治に関わるな。
この頃の軍人は戦国時代の武将とでも思ってたんじゃね。将校の質が低すぎる。
あたしは、真相を知った張学良さんを対日闘争に目覚めさせてしまったという点で、大失敗だったと思っている。
愚策です。中国などという孔子なり儒教なりを国教のように奉る国へ出掛けていき、世襲体制の奉天軍閥で、張作霖を爆殺する。張学良が反日に舵を切るのは当たり前です。日本と妥協しては、中国人としては、終了してしまいます。
知れば知るほど滅茶苦茶な組織だな笑
すごくわかりやすい!
こんなの、昭和天皇だけでなく、畏れ多くも今上陛下や上皇陛下も、どの天皇も激怒するよ。今、実は岸田首相は陛下に裏で、あれこれ叱責されていたりして。でも、言うことは聞かないんだよね。中国の言うことは聞くのに。聞く力とは、これ如何に。
妄想で草
@@ささはら-v6m そう。なんてたって、岸田内閣総理大臣は、日本国民全員の言うことを真摯に受け止めて聞いてくれるから。聞く力こそ正義。これすなわち妄想なり(笑)妄想とは恐れ入ったよ。
誤算だったのは、父親より息子の方が大体だったということ。
そして、総辞職直後に腹上死。
満州国内の動き…関東軍の動き…首相の動き 天皇陛下の考えがバラバラ…。張学良を少し見くびってましたね。
タモリこと森田一義は田中義一の名前をひっくり返して命名されたそうです。田中さんは一部では尊敬されていたのでは?
@@sirenkin 吉田茂が田中義一のこと大尊敬してますねー
@@user-bw6df1zp5i
そうなんですか。どこかに書いているのですか?
まあ、あの陸軍をそれなりにうまく纏めていたのは大きいですね。
@@mattsong3975 吉田茂は田中義一に直談判しスウェーデン大使の命令を撤回させ外務次官に任命されたため、田中義一をとても尊敬していたという逸話があります。検索したら出てきますよ〜
@@mattsong3975 田中義一の抜擢で吉田茂が外務次官に任命されたため生涯恩義を感じていたという逸話があります。検索すれば出てくると思われます。
何気に名前変わってますね
この動画にはいくつかの事実誤認があります。張作霖が乗った列車を破壊したのは、上からの爆轟です。「マオ」で述べられているような天井からの爆轟もしくは線路の上に架かった陸橋からの爆轟です。線路に設置された爆薬によるものではないです。当時の写真を見ればわかります。列車は脱線することなく線路上に屹立しています。
関東軍…
板垣征四郎・東條英機・石原 莞爾・武藤章・富永恭次・辻政信
まさに陸軍の伏魔殿ですね😅
本当にこのチャンネル大好き
私の母の叔母の義理の兄、武田丈夫陸軍少尉(最終は、大佐)が張作霖爆殺事件の密偵(2人)の1人として、活動。昭和天皇が触れ、逆鱗に触れました。
錦鶏勲章をいただきました。まさか、歴史に残る活躍の序奏になり、ノモンハン事件、パレンバン落下傘につながりました。
日本陸軍と言う、どうしようもない、集団は、なぜ出来上がったの?そして、満州事変?あれはやり方が、まずかった。
濁点
帝国憲法を悪用した軍に、誰も逆らえなかった。邪を指摘すると「俺たちは天皇陛下の軍隊だぞ」と言われ、それ以上文句を続けようものなら不敬罪。
田中義一は天皇に叱られて頓死した。これが世間一般の認識で、実情や真意など全く伝わっていない。昭和天皇の若気の至り発言で田中義一も少しは救われた感はあるが、田中の評価は気の毒である。当時、田中以外が首相であればどうなっていたやら。田中義一は意外に優秀で苦労人である。息子の田中龍夫と彼らの歴史的貢献を明らかにして評価を上げてもらいたい。あまりにも歴史学者や政治学者は彼らの事績を知らなすぎる。
ここから満州事変に繋がっていくのだが
それでも日本は侵略行為はしたことないと言う人間がいるんだもんな〜
大東亜戦争なんて泥棒戦争ですよ。
証拠なんて残すわけないだろ。逆にバレバレな方がおかしい。
日露戦争では優秀だったが、政治家としては残念な人物と文献で読んだ。
線路を爆破したところで列車の脱線転覆では張作霖を確実にやれるとは限らず、現に張作霖の近くいた張景恵や日本の軍人(儀我)は軽傷で助かっている。失敗した時はどうするつもりだったのか。
後に河本大作が回顧録で、爆殺が成らなかった場合は、抜刀隊を送り込むつもりだったと述べている。
昭和天皇が怒ることは本当に珍しいな。よっぽどやで
昭和天皇は温厚そうで瞬間湯沸かし器。田中義一はまだマシで板垣は面罵されている。
@@supremegarbage9796 まじで?そんな話はじめて聞いたし意外。教えてくれてありがとう
昭和天皇陛下も満州事変のときはまだ満30歳であらせられた。それよりも若い28歳のときに起きたのが張作霖爆殺事件。
まだまだ若さゆえの感情のゆたかさがあったと思います。
🙏
チャンネルの名前とサムネも今までのテイストと変わってません?
満洲事変が合法か違法かはこの際どうでもいいけど、あの広大な面積で20倍の戦力のある奉天軍を抑えてあっさり軍事制圧したから他の軍人が思い違いをして支那事変に繋がる暴挙を考えたと言えそう。
石原を礼賛する向きもあるが、昭和天皇が謁見を許さなかったのがその答え。
勝手に謀略を巡らして軍を動かす。臨参命には従わない。軍規を蔑ろにして結果として国際関係をズタボロにした。
田中義一首相はなんか工事の現場のおっさんみたいな顔だなwww
名前変わった?
モラトリアム田中ww
金子信雄じゃないのかw
田中義一内閣の時代は、その名前を逆さまに読んで「ひとつもよいことなかった」と揶揄したもんだ、と祖父から聞いた。しかし、陛下の叱責に田中総理の憔悴ぶりはすさまじく、後には陛下も厳しく言い過ぎたと後悔されたほどと聞く。こういう背景のもと、今でも田中自殺(自決)説がくすぶるが、お気楽な面と生真面目な面が同居したような人物だったように思われる。私は自決だったような気がする。
腹上死、狭心症、切腹、諸説あるが忠臣が切腹しお詫び奉ったんじゃないかなと思う
この時代から権力者がきちんと責任を取らない日本の悪習は根付いていたということか。
歴史家はそっけなく
田中義一元首相はその後死亡したと書くにとどめてますが
…若い昭和天皇が老人を殺したのに近いのではないかと
このあとお目付け役の西園寺公望が昭和天皇を厳しく諫言したらしいですが
この事件は うっかり怒ると人を殺してしまう、ということで
以後の言行を昭和天皇が慎むことになった、
そういう事件ではないかと思います
西園寺公の叱責は、田中首相辞任後、あるいは逝去後でしようか。それとも、やり取りを伝聞した後(木戸侯あたりから聞いた?)でしようか。少し気になりました。
@@mattsong3975 実は私もそこは確かめてないのです
とにかく、この後昭和天皇は政治に意見を述べるのに
遠まわしになりますが、
田中義一元首相の死が影響したと思っています
@@tonks-jf2zr
そうですか。ありがとう御座いました。
しかし、日本は立憲君主制を始めるには、少し早かったということですね。あのような軍部を放置したままで、ミカドが意見を差し控えるようになると、軍部がいよいよ横暴となりますね。
しかも、あの時期、ミカドは良識のある人物であり、主導してほしかった。しかも、直宮も良識を備えた人物。このような天佑のような偶然を活かさなかったのは、極めて残念なこと。
私は、山縣公と西園寺公がもう少ししっかりしていたらと思います。山縣公は、あのような陸軍を残してしまいました。西園寺公は、陛下は臣下の輔弼に委ねることが立憲君主であると指導しました。
@@mattsong3975 あの時西園寺が陛下を諫めた事自体は分からなくも無いが、
その後の事を考えるとやはり短絡的な行動だったと言わざるを得ないかも。
要は西園寺は田中の死に震え上がったのだと思う。
『これでは陛下が田中を殺した事になってしまう』と。
彼はとにかく陛下に責や類が及ばないようにする事しか頭に無かったのでは。
しかしその諫言が陛下の口をつぐませ、それに取って代わるように
軍が独断専行に走るようになった訳で、結果論とはいえ彼の責任は大きいかと。
河本が処罰されてたらどういう流れになってたんだろ…
5・15事件に様に田中首相の命が狙われたかもしれない。
@@coyote8091 そうか、もう間もなくだ。白川大臣は重光、野村とともに爆弾テロに遭ったんですよね。。
@@kumosukeponsuke 満州事変は起きなかっただろうな
戦後も、
福一事故の責任者も、福知山線事故の責任者も
処罰されてねーもんな。無責任国家
何か怪しげなチャンネルだな・・・
東日本大震災の時も勝手に部隊を動かした輩がいたな。
あれは正しい
なぜなら政府はほぼ敵兵だし
阪神淡路大震災のように
遅れてしまう
もしまた大震災が起きたら
政府の許可が出るのを待たずに
出動して欲しい
田中首相は昭和天皇に嫌われたということで寝たきりの状態になり亡くなったので昭和天皇はそれ以来、政治のことに関わらなくなったそうです。
天皇陛下の信を失ったのであれば、自決すべきであろう。
実際田中義一は狭心症でこの後急死します。
悪い時代だね。
こんなのに失った程度で自決を言われる時代。
最悪な時代が終わったことが日本の繁栄になるとはね。
@@user-pm8hx1zw8h今は繁栄してないけどな
また、悪い時代に戻したい人がいるからね。
@@user-bw6df1zp5i 憚れるが腹上死という風説も…
昭和天皇も、まだ天皇になったばかりの頃の大事件でしたね。
謀略するにしてもお粗末すぎるんだよ
関東軍ってこの時期は2万しかいなかったんだ、、全盛期は70万らしいけど
画面が真っ暗ですよ。
結局侵略してるのに今でも誰もその表現しないところあるからなぁ
ユンチアンの マオはウソだらけ
某知事なら続けるだろう。
この失跡がもとで田中さん死んじゃったんだよね
ほんこん?
勲章は上者が下の者に与える物でしょう
世界一偉い天皇陛下は誰からもらっているのでしょうか
戦前から親中派はロクな事しないな
教えてください。
これだけのお方が何故、特攻というのを黙認したのか。止めることはできなかったのか…
国民を宝と思っていた天皇のはず…
当初の心境を知りたいです
陛下は辞めろて言ってたはずですが、大本営が暴走したんじゃあ無かったかな?
昭和天皇は独裁者ではありません。昭和天皇が国政に直接口出ししたのはほかに、226事件やポツダム宣言受諾など、限られています。
@@user-pw3ub8uh3i
独裁者じゃないのはわかります💦
でも今挙げてくださった事例には口出しをしてますよね…?
そしたら特攻に対しても言及できたはずだと思うのですが…
昭和天皇は戦争に突入した後は時間を重ねる毎にたいへん多弁・・・言い方を変えると好戦的になりました。一旦本人も承諾して開戦した以上、前線で戦う兵士の士気を鼓舞する大元帥としての役割を果たそうという意識や、明治天皇に習う気持ちがあったのかもしれません。特攻についても、まずその功績を讃えたのは有名なお話です。戦後の昭和天皇のとは明確に異なるその姿は、単純に心境や考え方を断言出来る様なものでもなく、今後とも研究される題材なのでは無いかと思います。
「一撃講和論」でお調べになるかと良いかと
無条件降伏だと天皇も処刑される可能性が高かったので何とか「一撃」を加えて有利な条件で講和したかったのです
だから特攻も「一撃」として喜ばしかったのでしょう
田中義一は超重要人物で、明治以来の日本政治を仕切って来た長州閥の後継者であり、大正デモクラシーの成果である日本初の普通選挙で、比較第一党になった政党の党首でもある。その人物を叱って辞めさせた昭和天皇は、現代なら専制君主と批判されても仕方ない。昭和天皇の叱責による田中首相辞任は、明治の藩閥と大正デモクラシーを否定した事になり、政府と軍部のジョイントが外れ、各省庁と軍部をまとめて指導出来る「政府」は存在しなくなった。日本は誰も舵取りが出来ない漂流状態のまま、戦争に突入し敗戦を迎える。戦後の日本では昭和天皇の罪を軽くするため、田中義一は大した事のない人物にされてしまったのだ。
BGM要らない、話の内容と合ってないし。
温厚な昭和天皇が激怒するほどの嫌なやつだったんでしょうね
嫌な奴と言うより約束を違えたからこその怒りでしょうね。
立場上、怒らざるを得なかったのだと思います
う〜ん、前提が曖昧な気がします。そもそもシナ大陸の軍閥と、軍閥から武器を与えられた30万人の兵士?一般市民の集まり?の残酷さや鬼畜外道さを前提に語って欲しいかな…と思いました(批判ではありません。感想です)。また、そもそも田中首相のやり方で当時の日本国の最大の課題であったソ連に対峙できたのか?また内閣を纏められなかった時点で田中首相は辞職ものだったと思います。なので、昭和天皇のお言葉と田中首相の辞職は関係ない。田中首相が保身の為、また虚栄心のために大見得を切って発言した内容が、経緯や派閥の力学とは関係なく、内閣の総意として違った内容であれば、その時点で辞職しない厚顔な田中首相が悪い。
軍や政治に命をかけて真摯に向き合ってきた乃木大将などの薫陶を受けてきた昭和天皇からすれば、国の大事に、矛盾した結論を責任もなく持ってきた田中首相に対しての発言は言い過ぎでも何でもないと思います。現代の感覚で考察してはいけない。まだまだ当時の日本には命をかけて自らの責任を全うする志士がいた。命大事だけを叫ぶ現代の感覚は排して欲しいと思いました。
総括すれば、天皇の統率力の無さがこの先の悲劇を生んだのでは?
この事件が起きたのは1928年で昭和天皇が即位してから2年ほどしてからのこと。この時の昭和天皇の年齢が27歳。そもそも帝国陸海軍の統率力があったのかと言われると、判断が難しいところですよね。
青年君主に対して周りの重臣や幕僚は心中「大したことない世間知らずの坊ちゃん」な感じで見下していたのではないでしょうか。昭和天皇も若いから元老や幕僚に対して強く言えなかったのもある。
天皇が統率力を発揮してよかったのかどうか
明治憲法上は可能だが、それをやってしまうと自由民権運動や政党政治を潰すことにもつながりかねないので難しい。軍部だけを天皇大権で統率して政治は議会と内閣に任せて統率しないというアンバランスなことは、理屈では可能だが実際には難しかったのではないか。現に5.15事件や2.26事件が起きていて、その矛先が天皇にも向いた可能性が大いにあると思う。その場合、奉勅命令なんて何の意味もない
統率力とは?
明治憲法下では立憲主義なんですが!!
天皇の統帥権が問題になるってことと、御聖断で始まって御聖断で大日本帝国は終わったのです。
天皇もチョットは働いてお金の大切さを考えろ!
慎みなさい
だったら今すぐ国会議員に向かって
突撃しろ
あいつら敵兵で領土を売ったり
裏金してるぞ
大事な国の金で旅行してる
だったら今すぐ国会議員に向かって突撃しろ
あいつら敵兵で領土を売ったり
大事な国の金で旅行してたり
裏金してるぞ
当時では侵略は当たり前のこと。侵略される国が悪いに決まっている。
時代が違います。不戦条約が有りました。国連が出来てました。常任理事国は日本です。
@@yucarin もうこの時代は帝国主義の考え方は終わってました。だから日本は孤立した
じゃあ結局アメリカに侵略された日本が悪かったということに落ち着くな
側室制を廃止したのが
諸悪の根源
爆弾が破裂した時に同じ客車内の張作霖の隣の隣に座り同じく被爆した張作霖の軍事顧問として日本陸軍から送り込まれた儀我 誠也少佐は張作霖は小手に少し怪我したに過ぎずピンピンしていたと言う、然も迎えの自動車の到着が不自然な程に早かった! 帰城直後に死亡したと知らさ違和感しか無いと言ってる事から類推すればモスクワ留学で赤狂いした事が露見し父に激怒され廃嫡されかけていた息子張学良が殺したのでは?
お薬出しときますね〜