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お二人とも素晴らしい人ですね。確執がとれて本当によかったと思います。これからもお体に気をつけて、ご活躍なさってくださいね。お二人のいちファンとして心より応援しております。
1984年オールスター戦8連続三振の時に王さんはベンチでニコニコして江川さんを拍手してましたよ♪
2007年、清酒黄桜のCMで小林繁氏と江川卓氏が歩み寄り「どうも…ご無沙汰しております」と椅子にこしかけながら酒を酌み交わすシーンを思い出しました。当時このCMは話題をよびマスコミで大きく取り上げられました。その3年後に小林さんはお亡くなりになられました。57歳という若さでした。巨人から阪神に移籍され、会見の席で彼が語った言葉として「同情は受けたくありません」と言って、対巨人戦は素晴らしい成績を残しました。とても印象に残っております。
江川が引退してからは野球中継は見なくなりました。江川が登板した時は完全試合をするか、ノーヒットノーランを達成するか、ドキドキしながら試合を観ていた記憶があります。江川は私にとってナンバーワンの投手です。
江川卓投手みたいなある意味ピッチャーの威厳を誇示して王道をいくワガママな投手が殆どいなくなった、牛耳り方に拘り、勝ち方そもそのに執着を魅せ、その強引とも受け取れるねじ伏せ方に私はある種の快感を覚えました、また落ちるフォーク、チェンジアップでもツーシームでもなくホップすると言われるストレートで…。
現在,このお二人が互いにどう思っているのか,どんな関係なのかは本人たちに聴かないと解らないですが,江川さんが入団してから随分と時間も経ち,また色々な経験も積み,お互いの人となりも解ってくるので,いい関係になっていて欲しいなぁ.特に,王さんは巨人退団後,福岡で監督,会長,GMとなっていく中で,随分と努力・勉強されたと思う.人心掌握,チーム運営,対人スキルなど学ぶうちに,あの事件の本質も見えると,江川さんだけを責めることが出来ないとなってくると思う.
現役時の王氏が激情型な選手だった事は割りと有名で、選手の起用法やチーム方針を巡り長嶋茂雄氏と殴り合いになる寸前までバチバチに口論する事も少なくなかったとか…。
クロマティの本を読むと、王さんも人間なんだ、ということがよく伝わる。人に嫌われる要素は、やはりあったみたい。聖人君子なんていない。完璧な人なんて、いないよね。
「空白の一日」は江川と巨人の合作です。江川から持ちかけられても巨人軍が断れば良かったのです。本当のクズは江川では無く巨人軍です。
クズは巨人でしょ江川から持ちかけたとは思えないですね誰か入れ知恵したのなら別ですけどその入れ知恵したのは読売の手先だと思うし
持ちかけtのは読売で、江川は何もわからず乗せられただけ。そもそも野球しかしらない江川に法的な判断などできない。小林をトレードに出したのも巨人軍で、江川ではない。本来なら責めるべきは読売と巨人なのに、なぜか江川個人が悪の権化とされた。球団には何も言わないくせに江川個人を責めた王など、卑怯以外の何物でもない。マスコミの情報操作に踊らされる国民の多いことよ。
本当のクズは、作新学院学院長とナベツネです。
バース、ローズ、カブレラが記録にのぞんだ時のチームの対応から、私は嫌になりました。
V9の頃の厳しかったチームの雰囲気を長嶋が緩めてしまい、王が監督を受けたときはメンバーも若返っており、すっかり厳しさがなくなっていた。それを引き締めようと王は選手に厳しく接したが、逆に反発を買ってしまい、選手は監督の陰口を言うようになっていた。(中畑「ワン公」発言)当時の主力だった選手たちは「地獄の伊東キャンプ」経験者でいわゆる「長嶋派」と言われるメンバーが多数だったので、王監督もだいぶ手を焼いた。ある年は、シーズン終了後の納会に主力組が遅刻して現れ、その理由があろうことか長嶋のゴルフコンペに参加していたためだった。このように王vs江川の確執から始まった流れはいつしか王vs主力選手という構図になってしまっていた。
逆にバースに7試合連続本塁打の時は怒った顔してましたが…
王は人格者ではないですね
1979年と1980年の春季キャンプの紅白戦では、王選手と江川投手が対戦した場面があったはず。どんな成績だったのか知りたいです。
六年に一度の優勝でいい、って発言は王が在任中に優勝出来なくても王貞治の責任じゃない、って言う江川なりの優しさなんじゃね?
江川は引退会見で聞かれてもいないのにわざわざ確執はありませんよ、と言ったらしい。王が監督でなければまだ現役続けてたと思う
巨人軍って選手を悪者にしてでも勝つことにこだわって、それが逆効果になることが多いような気もしますが…
王さんと江川氏の確執って初めて耳にしました、私達プロ野球ファンが興味を覚えさせるための空白の一日然り大袈裟に煽り捲くったスポーツメディア、どの時代も犠牲になってプロスポーツ界からさる人、江川氏のようにマイペースで何事もなかった様に突き進み、こうしたメンタルの強さが大投手、大打者を生み育てるのだと思います、どの世界も弱肉強食、熾烈な試練に耐えた者が勝者に成りうる。
江川さんへのあの発言は有名ですよね。😩王さんとて昔から完全無欠の人格者のわけはない。自分の記録への変な配慮を監督時に圧で選手らに強いたこともあったし。引っくるめて和解は、後輩の江川さんから示せば氷解します。この話のようにね😄江川さんは根に持つタイプでないし✌️
聖人君子はいなくて良いと思うが、残念だが入団の経緯という簡単な言葉では言えないくらい、残念で気分が悪い最低のコミッショナー裁定だったと個人的に思っている。あの入団会見で笑っていた姿はいまだに受け入れられない。そしてあれ以降、巨人ファンだった当方はプロ野球そのものの興味を失って、ただだらだらと野球中継を見る人間になった。
阪神へ追いやったとは。とほほ。当時を知る人間としてはそう感じるのかもね。
荒川さんとの奇跡の出会いからはや数年、荒川さんヲ、芯から信じていたからの一本足打法です!2人力を合わせて、世界のホームラン王をも、創り出しました😂
昔は巨人ファンでした。江川が記者に向かって、「そう興奮しないで下さい。」と言ったときに、コイツ頭良いなと思い、江川が好きになりました。空白の1日は、巨人の球団が主導したもので、江川は球団の言われるままに従っただけです。 それなのに巨人の選手達は、江川を嫌った(中畑と長島を除く)。ましてや王はドラフトで巨人に入ったわけではありません。 これ以降、私は理屈の分からない巨人の選手を嫌いになりました。 ただ、今でも江川は好きです。 最近はどうですか? 日ハムから来た中田を、巨人の選手は嫌っていましたか? 自粛期間を無視した原も原だが、栗山も栗山だ。 やっぱり、巨人は好きになれません。
同感
アレは面白かったな~ 記者の方が頭に血が昇って😡キーって バカみたい
その通り。記者はあんた何様?という感じ。偉そうに。そもそも入団する可能性がないのに指名したクラウンが悪い。巨人は指名順が2位だったのに。ロクに球団経営の努力もしないクラウンが強引な指名をしなければこんな騒ぎにもならなかったのだ。当時のドラフト制度の欠陥。
私も、昔は巨人ファンでした!特に、王さんを尊敬していました!松井君が、ニューヨークに行くまではそれ以後は、地元関西の阪神ファンです!江川さんも、高校の時の怪物ぶりで、追っかけでした!小林さんも、好きでした!だから、何か残念です!
全てが、上手くいくことは、現実社会でもむづかしいです!
当時の江川に対するマスコミと世間の対応は酷かったな。自分たちが恰も正義だと言わんばかりに攻撃していた。小林には同情したけど、トレードを決めたのはあくまで球団の判断なのに。記者会見で“そんなに興奮しないで落ち着いて話ししましょう”発言も至極もっともですよ。記者が異常に興奮していたんだから、いい大人がさ。
江川さんの入団の経緯気の毒です。王さんはダイエー監督時サイン盗み問題であわや永久追放!危なかった。広岡さんが調査の責任者につき灰色で決着永久追放を免れた。
俺は小学生だったけど、長嶋がだらしないからと思った。王が嫌な役を引き受けなければチームがバラバラになっていた。
中畑はエラーしたと聞くから、言い訳の冗談だと思います。
中畑さんの発言だったら、ジョークだよ。江川さんは中畑さんのあこがれだったからね。それにあの二人仲がいい。
中畑は単に守備がヘタクソだっただけwww
@@おばにゃ-y5j 江川を引退に追い込んだのも中畑のエラー。あれがなかったら小早川まで打席が回らなかったし。まあ、江川・中畑のRUclipsの対談でそう言ってただけなので冗談半分なのかもしれないけど。
大学時代の日米野球でも中畑にエラーされたと根に持ってますよねw
一時だけならともかく、長いこと憎しみ続けるのって思った以上に精神にキますからね。熱が冷めたある日ふと落とし所が浮かぶこともあれば、見兼ねた第三者が仲立ちしてアッサリなんてこともあるしそれでも稀に死ぬまでずっと、なんてパターンもありますが
88年は江川不在じやなく、クロマティ吉村が打線でいなくなったからだよ。有田や呂がクリーンアップを打ってたくらい。
もう少し情報を集めよう。
ビジネスで失敗して監督どころではない、当時の監督は、年俸高く無かったです!
昔言われたことをいつまでもネチネチ思っとったらいかんわ❗️ましてスポーツ選手は‼️お上手、お上手、パチパチと褒めてほしいのか?王さんも人間や、神様ではないわ❗️同じ人間やさかい好き嫌いはあるやろう。
自分の夢のためにできることはなんでもする。今では賞賛されていることを、江川だって(主導的でない立場で)やっただけ。批判する人がいることが当時から不思議だった。
うむ、第一に王氏が自分が可愛がっていた選手がトレードの相手としてチームを離れ、代わりに入った江川氏を疎遠にするって、お門違いな事でしょ?
そうですね プロの世界だから落ち合いさんみたくドライにやってほしいですね 自分ならそんなに気にしないですよ要らないと言われたんだから 他所で頑張ればいいだけ 阪神でやればいいでしょそれだけですよ
世界の王…もしも、江川が巨人に入団していなかったら、王貞治の記録は、達成出来ていただろうか?
江川がまだ高1の時に、評判を聞きつけた記者が作新学院へ出向いて江川を見た第一印象は「王に似ているな」だったらしい似た者同士の2人が仲が悪いとは
まあ世界の王だから発言がこんなにクローズアップされてしまったけどそりゃ可愛がっていた後輩が江川のために結果としてトレードされてしまったんだから言いたくもなるでしょう。ただ江川も活躍して実力を見せたし、またドーム元年直前に当時監督だった王の時に突然引退したりして意趣返ししてますよね。監督が藤田さんだったら絶対辞めてないと思うんだけどなあ。
リリーフ専門にでも何でもなって、藤田監督のためなら、ドーム元年に優勝できるように支えたと思いますね。
私もソフトボールをやったが、力ノアル選手はでかい面をするようにできている。だから、皆から、総スカンを食うらしい。でかい面を見ると、白人が威張り散らすのをみるのも同じで、パンチを与えたくなる、
この手の話は次元が低い。本質的には組織の問題、どこかの爺さんが自分のとこだけ強ければいい、その論理で野球に口出しからおかしくなる。選手個人に問題がすり替えられている。選手は個性の塊、だから、尊敬できる人はほとんどいないと、ある選手に公言される。いけね~たかだか一ファン(いや大谷とイチロー以外ほとんど興味ないファン)がこんなこと言っては…。
「江川登板時にわざとエラーする」ってエラーしたら自分の査定が悪くなるし、自分の感情を優先してチームをピンチにするのはプロ失格だし、八百長行為じゃん。まあ実話かどうかわからないけど。後、1987年の日本シリーズ第一戦の先発が桑田なのはそのシーズン15勝で最優秀防御率も獲得して沢村賞にもなってるし、全成績で江川より上なんだから妥当だと思うけど。
当時の映像良く見てみ、エラーじゃなくてわざと取らずにヒットにしたり、緩慢な送球で進塁させてた。少なくとも、お前全力じゃないだろって言うプレーが多々あった。もちろん査定が悪くなるのは打たれた江川だけ。
87年桑田で妥当!この年捕手20発山倉MVPも捕手は打てないが前提で桑田選出でもならんら不思議でなく第一戦桑田当然。江川2戦が良かったのでは。第3戦石毛、ブコビッチにソロ2失点でまずまずの江川まさかシリーズ後引退するとは✨
@@keiichi6059 どっちにしても全力でプレーをしないのはプロ失格だと思いますが。
@@しらたまさん-q1r その通り、プロ失格。沢村賞を与えなかった記者も、プロ失格。
@@しらたまさん-q1r プロだからこそ、自分の査定がマイナスになる「エラー」にならない程度に足を引っ張ってたんじゃないかなw
江川が引退した次のシーズン前、正月の挨拶でだったか、なべつねが「余計なのがいなくなるから今年は日本一です」いらんのやったら江川は阪神のエースでよかったのになあ。
江川が監督になれない理由が分かりました!
王さんは敗戦中にもかかわらず、夜間の巨人寮から大声で電話をしていた堀内投手をぶん殴るなと、熱く正義感を表に表す人でした江川の不正な入団はそんな王さんには許すことができなかったのでしょう王さんは練習の鬼ではありましたが、毎日寮を抜け出して酒を飲み歩くなど聖人君子ではありません長嶋さんがかなり変わった天然キャラクターだったので、王さんは聖人君子を演じなければならなかったのかと思います
王さんも江川ではなく球団に文句を言うべきだったと思う。第一江川さんが巨人入団を知ったのは、彼の入団が決まってからだったから、彼も周りの勝手な行動に唖然としてたのをよく覚えている。まあ巨人というチーム以外では起こりえなかった騒動だし皆いい様に踊らされたって感じかな。
@@BIKOHBOH いやいや読売球団も悪いけど、何が何でも巨人入りにこだわったのは江川(と江川の父親)だからね江川事件があったから、元木とか菅野みたいな逆指名っぽい忖度がまかり通ってしまった江川は大学は慶應(受験に失敗して法政大へ)、球団は巨人というブランドにこだわった結果だから、巨人の選手はみんな江川が嫌いだった
@@kazuo2580 そもそも江川は選手生命が短くなることを承知のうえでドラフトの規定を忠実に守って浪人していた。空白の一日を画策して江川に持ち掛けたのは読売で、何もわからない若造の江川はその話に乗せられただけ。江川個人を責めるなら、それ以上に諸悪の根源である読売と巨人を責めるべき。
昔、阪神では、村山さんと、小山さんも、仲が悪かった。
裏に何かあるのは確実(私は分からんけど)だから江川が全て悪いわけがないが…エースの小林繁を追い出して江川が入団したとなれば周りも江川を嫌うし罵倒しますよ。
なんら法的には問題は無いのですから江川氏には何の落ち度もありません。むしろ、野球への熱心な思いを貫くという意味で野球人として見本になる人だと思いますが。
ルールブックにやっていいと書いてある事はやってもいいというのが日本の常識、やってはいけないと書いてない事はやっていいというのが日本以外の常識。そもそも穴があるような協約が悪いし、元凶機関のコミッショナーが強権発動とか片腹痛い出来事だった。現役時代の威光あったというだけで、王氏は監督としては無能だったと思う。
二人の確執は本当に良くなったのかな?王さん江川さん 我輩はおふたりの野球人として好きです。どうか、握手をして下さい。
江川と王は…と喋ってるけど、王と江川じゃない❓王さんの方が年配なんだから、細かいかも知れないけど、間違えてはいけないと思うけどなぁ…
私は江川が逆に好きになりました。普通に入ってたらあんまり興味なかったかも知れません。桑田の時は桑田は好きだけど巨人は嫌いでした。桑田が投げるとワクワクしましたね。
王さん大人げないのながっかり😞💨
王と江川では格がちがいすぎる
王が巨人監督を解任された1988年に番記者が出版したノンフィクション本からの抜粋。【江川との四年間戦争】人格者といわれた王だが、中途半端な身内人間には敵意をむき出しにする面もあった。表面的には普通に接していても、心の中では絶対に許さないのである。その筆頭が江川である。監督に就任してから江川が引退するまで、実に四年間にも及んだ二人の戦いは、王の監督生命を縮めた大きな要因と言えるだろう。 王と江川は最初の出会いからして、ウマが合わなかった。 江川は「空白の一日」という法破りの形で巨人に入団した。王はその入団の方法に感心できなかった。そのため、江川入団の際に、「まァ、仕方ないんじゃないの。でも、オレ個人としては、江川と同室になるのはいやだなァ」と話している。 江川は巨人を退団するまで、そんな王の言葉を忘れることはできなかったという。王も同様、江川の人間性を最後の最後まで信じようとはしなかったのである。 二人の対立は、王が監督になった(昭和)59年から、一層深まっていく。藤田監督がそれまで許していた江川への特別待遇を王は剥奪したのである。 藤田とヘッドコーチだった故牧野茂は。チームメイトから信頼されていた江川を取り入れることで、チームを把握できると考えた。そのため、飛行機嫌いの江川には移動は新幹線で、遠征で登板のない場合は東京に残らせるなどの特別待遇を与えていたが、王は性格的にも特定の選手だけ特別扱いすることは許せなかったのである。 それに、王は「江川は既に全盛時の力はない」と判断、練習も調整法にしても、他の投手陣と同じようにしろ、と言い渡したのである。 確かに江川は56年にフル回転して日本一の座に着く原動力となったが、57年にはあと1勝で優勝という最終戦に打ち込まれ、58年の日本シリーズでは2敗するなど、力に陰りが見えていた。 だが、江川はそんな王の方針に、はっきりと不満を示した。 「人にはそれぞれのやり方がある。同じ練習をするのはナンセンスだ」 かくて、王政権1年目の江川は15勝したものの、防御率は3.48。節目のゲームには勝てず、戦犯の一人となった。 象徴的だったのが開幕戦。大量リードを守れず滅多打ちされ江川はKO。8対8の引き分けに終わったものの、開幕ダッシュを目論んだ王の計算は一気に狂った。 王の監督としてのスタートは、江川でつまづいたとも言えるのである。 以後、王は江川への信用を一層失くし、大事なゲームは西本を投入するようになった。 「江川は大事なゲームに弱い。肩が痛いといって中四日で投げられない。西本は中何日でも投げたいという。西本を使うのは当たり前だ」 監督として王のとった采配は当然だったのだろう。だが、王は江川の存在価値を考えていなかったのだ。江川が投げてチームが盛り上がる。江川の与えるプラス・アルファを全く信じていなかったことが、いや、信じたくなかったことが、失敗を招いた。 監督二年目の60年は、江川の成績は11勝7敗、防御率は5.28とデビュー年を除いて最悪のものだった。そして、この年、主力選手たちが「チームを優勝させず、長嶋さんを監督に呼び戻す会」を作ったという不穏なウワサまで流れ、その首謀者こそ江川だったという。 まさに王の足を引っ張るかのような江川だったが、これには伏線があった。(続く)
(続き) 前年のオフの年俸査定で、江川と西本が逆転、初めて西本がNo1となった。これは王が一枚嚙んでいたといわれるもので、「西本の年俸を江川より上げてやってくれ」とフロントに頼んだのである。 王は江川の価値を最後まで信じようとしなかった。いや、認めたくなかったのかもしれない。頑固な王は「江川を使え」という藤田前監督のアドバイスにも突っぱねている。 その結果が、江川の最悪の成績と不穏な動きである。まるで王への復讐のようである。結局60年は、王巨人は3位。オフには「長嶋復帰、王辞任か」と騒ぎ立てられ、王は屈辱的な思いに身をやつした。 王の仕打ちに対して江川は王を恨み、また王も江川へのわだかまりをより強くしていくのである。 75勝を挙げ、勝ち星で広島を上回りながら、あと1勝に泣いた3年目も、王は、江川に裏切られ続けた。 「このゲームに勝てば優勝はほぼ決まり」という終盤のヤクルト戦で、江川は「肩の調子が悪い」との理由で先発を拒否したのである。 結局、試合は代役・槙原を立てたが逆転負け。シーズンが終わってみれば結局、この1敗が致命的となったのだ。 このシーズン前、「今年優勝できなかったら辞任する」という悲壮な決意で臨んだ王だったが、優勝をほぼ手中におさめながら江川のおかげで逃した。王と江川、二人の間には宿命的な深い溝があったといえる。 四年目の62年になると、王は大胆な決断で、江川との戦いに終止符を打とうとした。「もう江川はエースとして扱わない」という方針を前面に打ち出したのである。 それを、誰もが江川と思っていた開幕先発を西本起用という大胆采配で示したのである。 中日を完封したその試合後の王のセリフは、慎重な王が初めて口にした生身のセリフとして語り草になっている。 「世界中で一番勝ちたいのはオレだ。投手も一番勝ちたい奴を使ったんだ!!」 これは江川へのあてつけでもあった。王には「どうしても勝ちたい。チームを優勝させたい」と江川が願っているなどと信ずることができなかったのである。 江川がこの開幕前夜に、高校時代にバッテリーを組んだ小倉偉民氏のパーティーを延期してもらってまでも、開幕投手に立候補していたことを知っていたうえでのつらあてだった。 その後も王は、今度は西本を開幕ローテーションから外し、ついには敗戦処理まで落とす非常采配をする。 そして桑田が頭角を現すや大黒柱に据え、桑田以外は鹿取、サンチェ(注・故人)を投入する「ワン・パターン」継投策・・・で、とうとう悲願の初優勝を体験した。王は江川を斬り捨てることで、ようやく自分の野球を確立できたのである。 しかし、こうした偏重策が、江川はもちろんのこと他の投手陣にも不信感を与えることになっていったのは否めない。 その江川が、「もう、オレ、辞めたいよ。人間関係に疲れたよ」と漏らしたというから、王との関係、そして当時の巨人投手陣の王への不信感は、惨憺たるものだったろう。 これも、江川の存在がもたらした悲劇といえるかもしれない。江川との過去3年に及んだ戦いに悩まされてきた王の最後の策とはいえ、あくまでも王と江川との確執の延長戦にあるものだ。 リーグ優勝を飾った王は、江川との戦いに勝ったかにみえた。しかし、西武との日本シリーズで頼みにしていた桑田が打たれ、やはり、江川のカゲを乗り越えることができなかった。しかも、最後にきて強烈なしっぺ返しを食らうのである。 「ハリを打てば来年は投げられない。でも今年の優勝に賭けたんです」と江川が涙ながらに語った62年11月12日の引退発表。大物選手はまず監督に引退を打ち明けていたが、江川は監督の王にではなく、広報室長に真っ先に相談していたことがわかってしまったのである。監督の面子は丸つぶれだ。 王は正にピエロ役だった。引退記者会見に同席した王は退席後、「やっと解放されたよ」とポツリ。江川に対する憎しみが如実に表れた言葉であった。 「プロ野球だけが人生ではない」と広言し、現役時代から副業に精を出していた江川。一方、現役時代はホームランを打ち、チームを優勝させることしか頭になかった王。二人の野球に取り組む姿勢はあまりに違う。王は江川の合理性を理解できなかった。そして、もっとも好きになれないタイプであった。 こんな二人がうまくやっていけるはずがない。王は四年もの間、自分のチームにいた江川という敵と戦い続けねばならなかったのである。(了)
❤😂
世界の王だから何を言ってもいいのだろう🤣
王は記録に残る選手だったけど選手時代も人格者だったのは違うだろう。だいたい20代30代の人間が人格者のはずがない。若さゆえの間違いもするしハメもはずす。ホントに人格者だったら気持ち悪いよ。
王の入団時の阪神契約してるのに巨人と二重契約王と荒川の試合中の暴力行為よるバッキー選手の骨折長嶋監督一年目の王の故障は何かあるとおも和ざるを得ない監督時に記録維持のための敬遠真っ黒け
大谷選手は人格者に見えないのか
@@真珠恵瑠 日本ハムとのドラフト指名の経過みれば全く人格者にはみえない普通にピッチャーの打つセいけばいいだけ
@@真珠恵瑠 あんたは人格者とは何なのかわかっているのか。
江川入団時の王は40歳手前ぐらいで若くはない。あの頃の平均寿命は72歳位で40歳と言えば今の感覚で50代~60代くらい成熟していたので人格者じゃなくても大人げないと思う。もっとも人格者に年齢は関係は無いです。
人格者っぽく言われてるけど、そうでは無いわな
よーく考えたら、「行きたいところ、行きたい職場に行く」って当たり前なんだけどね。「俺の職場は野球の”聖域”なんだから、お前みたいな自分勝手な奴は来るな」って事なんだろうけどさ。色んなものを篩(ふるい)にかけると「自意識過剰」と「固執」だけが残るんじゃないの?ブランド志向の王氏は結局雇い主がする事への不満のやり場が抑えられないから言葉にしたのだろうケド、そのブランド品を買いたい客に「ウチはドレスコードがあるから売れない」と言っても欲しけりゃ他人に頼んでも買うでしょ。後のナベツネ氏が他の件で言った「一介の野球選手ごときが・・」に繋がるイライラにリンクしている。「新聞社」と「軍」と「永久に不滅信仰」が共存している稀有な球団にまつわる昭和の寓話。
タイプは違い、その実どこか似た物同士と言えます〜共に英雄的存在です、、、またお互い「O型
世界の王って大げさな表現です。王氏の時代はプロ野球は世界でわずかしかないし、大リーグとは。ボール バット 球場の規格 ルール ピッチャーのレベルが違いますからね。王氏が大リーグにいてあのホームラン数なら世界一に異論はないですが、日本限定のホームラン王ですよ。
どう考えても江川は嫌いなタイプ。野球がうまければ偉い訳ではないし、何をやってもいいわけでもない
江川さんも、親が、とか、親戚が、とか、他人の意思に自分が翻弄されてる言い訳が、不快に感じます。
あの頃は若い人が周りに遠慮することなく自分の意思を表すことなんてできなかったんですよ。今の若者は時代に恵まれていると思いますね。
球界と言わずスポーツ界で一番嫌いなのがこの江川です。あの生意気な言動見るのも嫌です。それに引き換え、常に他人に気遣いする王さんは大好きです。
巨人一筋を貫き通すって良いじゃないですか❢いい子ちゃんよりは全然良いと思います。高校時代からの江川ファンです。
二度のドラフト一位指名拒否してまでし、一応違法でない方法を見つけて入団した選手に王の仕打ちは発言が全てマスコミにより晒されていたので酷すぎると当時から思っていた。そして監督の立場になっても戦力低下要因になる様な事を私怨を理由に平気でした事実は非難されるべき行為。既出の婦人会での発言も職業野球人としてあってはならない行動暴露だが影響力の強い王の発言は影響していたはずだ。全体に日本人にはない幼稚さを感じさせるエピソード。王さんの出身と無縁でない印象だ。
イチローも江川を嫌いだと思う
王は荒川コーチに改造された人造一本足打者、荒川コーチがいなければ普通の打者で終わっていたのだぜ!造られたホームラン王、これが芸能界に酷似の当時の巨人軍だよ。王を尊敬するぐらいなら、俺は落合選手を尊敬するぜ!
お二人とも素晴らしい人ですね。確執がとれて本当によかったと思います。
これからもお体に気をつけて、ご活躍なさってくださいね。お二人のいちファンとして心より応援しております。
1984年オールスター戦
8連続三振の時に王さんはベンチでニコニコして
江川さんを拍手してましたよ♪
2007年、清酒黄桜のCMで小林繁氏と江川卓氏が歩み寄り「どうも…ご無沙汰しております」と椅子にこしかけながら酒を酌み交わすシーンを思い出しました。
当時このCMは話題をよびマスコミで大きく取り上げられました。
その3年後に小林さんはお亡くなりになられました。57歳という若さでした。
巨人から阪神に移籍され、会見の席で彼が語った言葉として「同情は受けたくありません」と言って、対巨人戦は素晴らしい成績を残しました。とても印象に残っております。
江川が引退してからは野球中継は見なくなりました。江川が登板した時は完全試合をするか、ノーヒットノーランを達成するか、ドキドキしながら試合を観ていた記憶があります。江川は私にとってナンバーワンの投手です。
江川卓投手みたいなある意味ピッチャーの威厳を誇示して王道をいくワガママな投手が殆どいなくなった、牛耳り方に拘り、勝ち方そもそのに執着を魅せ、その強引とも受け取れるねじ伏せ方に私はある種の快感を覚えました、また落ちるフォーク、チェンジアップでもツーシームでもなくホップすると言われるストレートで…。
現在,このお二人が互いにどう思っているのか,どんな関係なのかは本人たちに聴かないと解らないですが,江川さんが入団してから随分と時間も経ち,また色々な経験も積み,お互いの人となりも解ってくるので,いい関係になっていて欲しいなぁ.
特に,王さんは巨人退団後,福岡で監督,会長,GMとなっていく中で,随分と努力・勉強されたと思う.人心掌握,チーム運営,対人スキルなど学ぶうちに,あの事件の本質も見えると,江川さんだけを責めることが出来ないとなってくると思う.
現役時の王氏が激情型な選手だった事は割りと有名で、選手の起用法やチーム方針を巡り長嶋茂雄氏と殴り合いになる寸前までバチバチに口論する事も少なくなかったとか…。
クロマティの本を読むと、王さんも人間なんだ、ということがよく伝わる。人に嫌われる要素は、やはりあったみたい。聖人君子なんていない。完璧な人なんて、いないよね。
「空白の一日」は江川と巨人の合作です。江川から持ちかけられても巨人軍が断れば良かったのです。本当のクズは江川では無く巨人軍です。
クズは巨人でしょ
江川から持ちかけたとは思えないですね
誰か入れ知恵したのなら別ですけど
その入れ知恵したのは読売の手先だと思うし
持ちかけtのは読売で、江川は何もわからず乗せられただけ。
そもそも野球しかしらない江川に法的な判断などできない。
小林をトレードに出したのも巨人軍で、江川ではない。
本来なら責めるべきは読売と巨人なのに、なぜか江川個人が悪の権化とされた。
球団には何も言わないくせに江川個人を責めた王など、卑怯以外の何物でもない。
マスコミの情報操作に踊らされる国民の多いことよ。
本当のクズは、作新学院学院長とナベツネです。
バース、ローズ、カブレラが記録にのぞんだ時のチームの対応から、私は嫌になりました。
V9の頃の厳しかったチームの雰囲気を長嶋が緩めてしまい、王が監督を受けたときはメンバーも若返っており、すっかり厳しさがなくなっていた。
それを引き締めようと王は選手に厳しく接したが、逆に反発を買ってしまい、選手は監督の陰口を言うようになっていた。(中畑「ワン公」発言)
当時の主力だった選手たちは「地獄の伊東キャンプ」経験者でいわゆる「長嶋派」と言われるメンバーが多数だったので、王監督もだいぶ手を焼いた。
ある年は、シーズン終了後の納会に主力組が遅刻して現れ、その理由があろうことか長嶋のゴルフコンペに参加していたためだった。
このように王vs江川の確執から始まった流れはいつしか王vs主力選手という構図になってしまっていた。
逆にバースに7試合連続本塁打の時は怒った顔してましたが…
王は人格者ではないですね
1979年と1980年の春季キャンプの紅白戦では、王選手と江川投手が対戦した場面があったはず。どんな成績だったのか知りたいです。
六年に一度の優勝でいい、って発言は王が在任中に優勝出来なくても王貞治の責任じゃない、って言う江川なりの優しさなんじゃね?
江川は引退会見で聞かれてもいないのにわざわざ確執はありませんよ、と言ったらしい。王が監督でなければまだ現役続けてたと思う
巨人軍って選手を悪者にしてでも勝つことにこだわって、それが逆効果になることが多いような気もしますが…
王さんと江川氏の確執って初めて耳にしました、私達プロ野球ファンが興味を覚えさせるための空白の一日然り大袈裟に煽り捲くったスポーツメディア、どの時代も犠牲になってプロスポーツ界からさる人、江川氏のようにマイペースで何事もなかった様に突き進み、こうしたメンタルの強さが大投手、大打者を生み育てるのだと思います、どの世界も弱肉強食、熾烈な試練に耐えた者が勝者に成りうる。
江川さんへのあの発言は有名ですよね。😩王さんとて昔から完全無欠の人格者のわけはない。自分の記録への変な配慮を監督時に圧で選手らに強いたこともあったし。引っくるめて和解は、後輩の江川さんから示せば氷解します。この話のようにね😄江川さんは根に持つタイプでないし✌️
聖人君子はいなくて良いと思うが、残念だが入団の経緯という簡単な言葉では言えないくらい、残念で気分が悪い最低のコミッショナー裁定だったと個人的に思っている。あの入団会見で笑っていた姿はいまだに受け入れられない。そしてあれ以降、巨人ファンだった当方はプロ野球そのものの興味を失って、ただだらだらと野球中継を見る人間になった。
阪神へ追いやったとは。とほほ。当時を知る人間としてはそう感じるのかもね。
荒川さんとの奇跡の出会いからはや数年、荒川さんヲ、芯から信じていたからの一本足打法です!2人力を合わせて、世界のホームラン王をも、創り出しました😂
昔は巨人ファンでした。江川が記者に向かって、「そう興奮しないで下さい。」と言ったときに、コイツ頭良いなと思い、江川が好きになりました。空白の1日は、巨人の球団が主導したもので、江川は球団の言われるままに従っただけです。
それなのに巨人の選手達は、江川を嫌った(中畑と長島を除く)。ましてや王はドラフトで巨人に入ったわけではありません。
これ以降、私は理屈の分からない巨人の選手を嫌いになりました。
ただ、今でも江川は好きです。
最近はどうですか? 日ハムから来た中田を、巨人の選手は嫌っていましたか? 自粛期間を無視した原も原だが、栗山も栗山だ。
やっぱり、巨人は好きになれません。
同感
アレは面白かったな~ 記者の方が頭に血が昇って😡キーって バカみたい
その通り。記者はあんた何様?という感じ。偉そうに。そもそも入団する可能性がないのに指名したクラウンが悪い。巨人は指名順が2位だったのに。ロクに球団経営の努力もしないクラウンが強引な指名をしなければこんな騒ぎにもならなかったのだ。当時のドラフト制度の欠陥。
私も、昔は巨人ファンでした!特に、王さんを尊敬していました!松井君が、ニューヨークに行くまではそれ以後は、地元関西の阪神ファンです!江川さんも、高校の時の怪物ぶりで、追っかけでした!小林さんも、好きでした!だから、何か残念です!
全てが、上手くいくことは、現実社会でもむづかしいです!
当時の江川に対するマスコミと世間の対応は酷かったな。自分たちが恰も正義だと言わんばかりに攻撃していた。小林には同情したけど、トレードを決めたのはあくまで球団の判断なのに。記者会見で“そんなに興奮しないで落ち着いて話ししましょう”発言も至極もっともですよ。記者が異常に興奮していたんだから、いい大人がさ。
江川さんの入団の経緯気の毒です。王さんはダイエー監督時サイン盗み問題であわや永久追放!危なかった。広岡さんが調査の責任者につき灰色で決着永久追放を免れた。
俺は小学生だったけど、長嶋がだらしないからと思った。王が嫌な役を引き受けなければチームがバラバラになっていた。
中畑はエラーしたと聞くから、言い訳の冗談だと思います。
中畑さんの発言だったら、ジョークだよ。江川さんは中畑さんのあこがれだったからね。それにあの二人仲がいい。
中畑は単に守備がヘタクソだっただけwww
@@おばにゃ-y5j 江川を引退に追い込んだのも中畑のエラー。あれがなかったら小早川まで打席が回らなかったし。まあ、江川・中畑のRUclipsの対談でそう言ってただけなので冗談半分なのかもしれないけど。
大学時代の日米野球でも中畑にエラーされたと根に持ってますよねw
一時だけならともかく、長いこと憎しみ続けるのって思った以上に精神にキますからね。熱が冷めたある日ふと落とし所が浮かぶこともあれば、見兼ねた第三者が仲立ちしてアッサリなんてこともあるし
それでも稀に死ぬまでずっと、なんてパターンもありますが
88年は江川不在じやなく、クロマティ吉村が打線でいなくなったからだよ。
有田や呂がクリーンアップを打ってたくらい。
もう少し情報を集めよう。
ビジネスで失敗して監督どころではない、当時の監督は、年俸高く無かったです!
昔言われたことをいつまでも
ネチネチ思っとったらいかんわ❗️ましてスポーツ選手は‼️
お上手、お上手、パチパチと褒めてほしいのか?
王さんも人間や、神様ではないわ❗️
同じ人間やさかい好き嫌いは
あるやろう。
自分の夢のためにできることはなんでもする。
今では賞賛されていることを、江川だって(主導的でない立場で)やっただけ。
批判する人がいることが当時から不思議だった。
うむ、第一に王氏が自分が可愛がっていた選手がトレードの相手としてチームを離れ、代わりに入った江川氏を疎遠にするって、お門違いな事でしょ?
そうですね プロの世界だから
落ち合いさんみたくドライにやってほしいですね 自分ならそんなに気にしないですよ
要らないと言われたんだから 他所で頑張ればいいだけ 阪神でやればいいでしょ
それだけですよ
世界の王…もしも、江川が巨人に入団していなかったら、王貞治の記録は、達成出来ていただろうか?
江川がまだ高1の時に、評判を聞きつけた記者が作新学院へ出向いて
江川を見た第一印象は「王に似ているな」だったらしい
似た者同士の2人が仲が悪いとは
まあ世界の王だから発言がこんなにクローズアップされてしまったけどそりゃ可愛がっていた後輩が江川のために結果としてトレードされてしまったんだから言いたくもなるでしょう。ただ江川も活躍して実力を見せたし、またドーム元年直前に当時監督だった王の時に突然引退したりして意趣返ししてますよね。監督が藤田さんだったら絶対辞めてないと思うんだけどなあ。
リリーフ専門にでも何でもなって、藤田監督のためなら、ドーム元年に優勝できるように支えたと思いますね。
私もソフトボールをやったが、
力ノアル選手は
でかい面をするようにできている。
だから、
皆から、総スカンを食うらしい。
でかい面を見ると、
白人が威張り散らすのをみるのも
同じで、
パンチを与えたくなる、
この手の話は次元が低い。本質的には組織の問題、どこかの爺さんが自分のとこだけ強ければいい、その論理で野球に口出しからおかしくなる。選手個人に問題がすり替えられている。選手は個性の塊、だから、尊敬できる人はほとんどいないと、ある選手に公言される。いけね~たかだか一ファン(いや大谷とイチロー以外ほとんど興味ないファン)がこんなこと言っては…。
「江川登板時にわざとエラーする」ってエラーしたら自分の査定が悪くなるし、自分の感情を優先してチームをピンチにするのはプロ失格だし、八百長行為じゃん。まあ実話かどうかわからないけど。後、1987年の日本シリーズ第一戦の先発が桑田なのはそのシーズン15勝で最優秀防御率も獲得して沢村賞にもなってるし、全成績で江川より上なんだから妥当だと思うけど。
当時の映像良く見てみ、エラーじゃなくてわざと取らずにヒットにしたり、緩慢な送球で進塁させてた。
少なくとも、お前全力じゃないだろって言うプレーが多々あった。
もちろん査定が悪くなるのは打たれた江川だけ。
87年桑田で妥当!この年捕手20発山倉MVPも捕手は打てないが前提で桑田選出でもならんら不思議でなく第一戦桑田当然。江川2戦が良かったのでは。第3戦石毛、ブコビッチにソロ2失点でまずまずの江川まさかシリーズ後引退するとは✨
@@keiichi6059 どっちにしても全力でプレーをしないのはプロ失格だと思いますが。
@@しらたまさん-q1r その通り、プロ失格。
沢村賞を与えなかった記者も、プロ失格。
@@しらたまさん-q1r プロだからこそ、自分の査定がマイナスになる「エラー」にならない程度に足を引っ張ってたんじゃないかなw
江川が引退した次のシーズン前、正月の挨拶でだったか、なべつねが
「余計なのがいなくなるから今年は日本一です」
いらんのやったら江川は阪神のエースでよかったのになあ。
江川が監督になれない理由が分かりました!
王さんは敗戦中にもかかわらず、夜間の巨人寮から大声で電話をしていた堀内投手をぶん殴るなと、熱く正義感を表に表す人でした
江川の不正な入団はそんな王さんには許すことができなかったのでしょう
王さんは練習の鬼ではありましたが、毎日寮を抜け出して酒を飲み歩くなど聖人君子ではありません
長嶋さんがかなり変わった天然キャラクターだったので、王さんは聖人君子を演じなければならなかったのかと思います
王さんも江川ではなく球団に文句を言うべきだったと思う。第一江川さんが巨人入団を知ったのは、彼の入団が決まってからだったから、彼も周りの勝手な行動に唖然としてたのをよく覚えている。まあ巨人というチーム以外では起こりえなかった騒動だし皆いい様に踊らされたって感じかな。
@@BIKOHBOH
いやいや読売球団も悪いけど、何が何でも巨人入りにこだわったのは江川(と江川の父親)だからね
江川事件があったから、元木とか菅野みたいな逆指名っぽい忖度がまかり通ってしまった
江川は大学は慶應(受験に失敗して法政大へ)、球団は巨人というブランドにこだわった結果だから、巨人の選手はみんな江川が嫌いだった
@@kazuo2580 そもそも江川は選手生命が短くなることを承知のうえでドラフトの規定を忠実に守って浪人していた。
空白の一日を画策して江川に持ち掛けたのは読売で、何もわからない若造の江川はその話に乗せられただけ。
江川個人を責めるなら、それ以上に諸悪の根源である読売と巨人を責めるべき。
昔、阪神では、村山さんと、小山さんも、仲が悪かった。
裏に何かあるのは確実(私は分からんけど)だから江川が全て悪いわけがないが…エースの小林繁を追い出して江川が入団したとなれば周りも江川を嫌うし罵倒しますよ。
なんら法的には問題は無いのですから江川氏には何の落ち度もありません。
むしろ、野球への熱心な思いを貫くという意味で野球人として見本になる人だと思いますが。
ルールブックにやっていいと書いてある事はやってもいいというのが日本の常識、やってはいけないと書いてない事はやっていいというのが日本以外の常識。そもそも穴があるような協約が悪いし、元凶機関のコミッショナーが強権発動とか片腹痛い出来事だった。
現役時代の威光あったというだけで、王氏は監督としては無能だったと思う。
二人の確執は本当に良くなったのかな?
王さん江川さん 我輩はおふたりの野球人として好きです。
どうか、握手をして下さい。
江川と王は…と喋ってるけど、
王と江川じゃない❓
王さんの方が年配なんだから、細かいかも知れないけど、間違えてはいけないと思うけどなぁ…
私は江川が逆に好きになりました。普通に入ってたらあんまり興味なかったかも知れません。桑田の時は桑田は好きだけど巨人は嫌いでした。桑田が投げるとワクワクしましたね。
王さん大人げないのな
がっかり😞💨
王と江川では格がちがいすぎる
王が巨人監督を解任された1988年に番記者が出版したノンフィクション本からの抜粋。
【江川との四年間戦争】
人格者といわれた王だが、中途半端な身内人間には敵意をむき出しにする面もあった。表面的には普通に接していても
、心の中では絶対に許さないのである。その筆頭が江川である。監督に就任してから江川が引退するまで、実に四年間にも及んだ二人の戦いは、王の監督生命を縮めた大きな要因と言えるだろう。
王と江川は最初の出会いからして、ウマが合わなかった。
江川は「空白の一日」という法破りの形で巨人に入団した。王はその入団の方法に感心できなかった。そのため、江川入団の
際に、「まァ、仕方ないんじゃないの。でも、オレ個人としては、江川と同室になるのはいやだなァ」と話している。
江川は巨人を退団するまで、そんな王の言葉を忘れることはできなかったという。王も同様、江川の人間性を最後の最後まで
信じようとはしなかったのである。
二人の対立は、王が監督になった(昭和)59年から、一層深まっていく。藤田監督がそれまで許していた江川への特別待遇を
王は剥奪したのである。
藤田とヘッドコーチだった故牧野茂は。チームメイトから信頼されていた江川を取り入れることで、チームを把握できると考
えた。そのため、飛行機嫌いの江川には移動は新幹線で、遠征で登板のない場合は東京に残らせるなどの特別待遇を与えていたが、王は性格的にも特定の選手だけ特別扱いすることは許せなかったのである。
それに、王は「江川は既に全盛時の力はない」と判断、練習も調整法にしても、他の投手陣と同じようにしろ、と言い渡した
のである。
確かに江川は56年にフル回転して日本一の座に着く原動力となったが、57年にはあと1勝で優勝という最終戦に打ち込まれ、
58年の日本シリーズでは2敗するなど、力に陰りが見えていた。
だが、江川はそんな王の方針に、はっきりと不満を示した。
「人にはそれぞれのやり方がある。同じ練習をするのはナンセンスだ」
かくて、王政権1年目の江川は15勝したものの、防御率は3.48。節目のゲームには勝てず、戦犯の一人となった。
象徴的だったのが開幕戦。大量リードを守れず滅多打ちされ江川はKO。8対8の引き分けに終わったものの、開幕ダッシュを
目論んだ王の計算は一気に狂った。
王の監督としてのスタートは、江川でつまづいたとも言えるのである。
以後、王は江川への信用を一層失くし、大事なゲームは西本を投入するようになった。
「江川は大事なゲームに弱い。肩が痛いといって中四日で投げられない。西本は中何日でも投げたいという。西本を使う
のは当たり前だ」
監督として王のとった采配は当然だったのだろう。だが、王は江川の存在価値を考えていなかったのだ。江川が投げて
チームが盛り上がる。江川の与えるプラス・アルファを全く信じていなかったことが、いや、信じたくなかったことが、失敗を招いた。
監督二年目の60年は、江川の成績は11勝7敗、防御率は5.28とデビュー年を除いて最悪のものだった。そして、この年、主力
選手たちが「チームを優勝させず、長嶋さんを監督に呼び戻す会」を作ったという不穏なウワサまで流れ、その首謀者こそ江川だったという。
まさに王の足を引っ張るかのような江川だったが、これには伏線があった。(続く)
(続き)
前年のオフの年俸査定で、江川と西本が逆転、初めて西本がNo1となった。これは王が一枚嚙んでいたといわれるもので、「西本の年俸を江川より上げてやってくれ」とフロントに頼んだのである。
王は江川の価値を最後まで信じようとしなかった。いや、認めたくなかったのかもしれない。頑固な王は「江川を使え」
という藤田前監督のアドバイスにも突っぱねている。
その結果が、江川の最悪の成績と不穏な動きである。まるで王への復讐のようである。結局60年は、王巨人は3位。オフ
には「長嶋復帰、王辞任か」と騒ぎ立てられ、王は屈辱的な思いに身をやつした。
王の仕打ちに対して江川は王を恨み、また王も江川へのわだかまりをより強くしていくのである。
75勝を挙げ、勝ち星で広島を上回りながら、あと1勝に泣いた3年目も、王は、江川に裏切られ続けた。
「このゲームに勝てば優勝はほぼ決まり」という終盤のヤクルト戦で、江川は「肩の調子が悪い」との理由で先発を拒否
したのである。
結局、試合は代役・槙原を立てたが逆転負け。シーズンが終わってみれば結局、この1敗が致命的となったのだ。
このシーズン前、「今年優勝できなかったら辞任する」という悲壮な決意で臨んだ王だったが、優勝をほぼ手中におさめ
ながら江川のおかげで逃した。王と江川、二人の間には宿命的な深い溝があったといえる。
四年目の62年になると、王は大胆な決断で、江川との戦いに終止符を打とうとした。「もう江川はエースとして扱わない」
という方針を前面に打ち出したのである。
それを、誰もが江川と思っていた開幕先発を西本起用という大胆采配で示したのである。
中日を完封したその試合後の王のセリフは、慎重な王が初めて口にした生身のセリフとして語り草になっている。
「世界中で一番勝ちたいのはオレだ。投手も一番勝ちたい奴を使ったんだ!!」
これは江川へのあてつけでもあった。王には「どうしても勝ちたい。チームを優勝させたい」と江川が願っているなどと
信ずることができなかったのである。
江川がこの開幕前夜に、高校時代にバッテリーを組んだ小倉偉民氏のパーティーを延期してもらってまでも、開幕投手に
立候補していたことを知っていたうえでのつらあてだった。
その後も王は、今度は西本を開幕ローテーションから外し、ついには敗戦処理まで落とす非常采配をする。
そして桑田が頭角を現すや大黒柱に据え、桑田以外は鹿取、サンチェ(注・故人)を投入する「ワン・パターン」継投策・・・
で、とうとう悲願の初優勝を体験した。王は江川を斬り捨てることで、ようやく自分の野球を確立できたのである。
しかし、こうした偏重策が、江川はもちろんのこと他の投手陣にも不信感を与えることになっていったのは否めない。
その江川が、「もう、オレ、辞めたいよ。人間関係に疲れたよ」と漏らしたというから、王との関係、そして当時の巨人
投手陣の王への不信感は、惨憺たるものだったろう。
これも、江川の存在がもたらした悲劇といえるかもしれない。江川との過去3年に及んだ戦いに悩まされてきた王の最後の
策とはいえ、あくまでも王と江川との確執の延長戦にあるものだ。
リーグ優勝を飾った王は、江川との戦いに勝ったかにみえた。しかし、西武との日本シリーズで頼みにしていた桑田が打たれ
、やはり、江川のカゲを乗り越えることができなかった。しかも、最後にきて強烈なしっぺ返しを食らうのである。
「ハリを打てば来年は投げられない。でも今年の優勝に賭けたんです」と江川が涙ながらに語った62年11月12日の引退発表。
大物選手はまず監督に引退を打ち明けていたが、江川は監督の王にではなく、広報室長に真っ先に相談していたことがわかってしまったのである。監督の面子は丸つぶれだ。
王は正にピエロ役だった。引退記者会見に同席した王は退席後、「やっと解放されたよ」とポツリ。江川に対する憎しみが
如実に表れた言葉であった。
「プロ野球だけが人生ではない」と広言し、現役時代から副業に精を出していた江川。一方、現役時代はホームランを打ち、
チームを優勝させることしか頭になかった王。二人の野球に取り組む姿勢はあまりに違う。王は江川の合理性を理解できなかった。そして、もっとも好きになれないタイプであった。
こんな二人がうまくやっていけるはずがない。王は四年もの間、自分のチームにいた江川という敵と戦い続けねばならなかっ
たのである。(了)
❤😂
世界の王だから何を言ってもいいのだろう🤣
王は記録に残る選手だったけど選手時代も人格者だったのは違うだろう。
だいたい20代30代の人間が人格者のはずがない。
若さゆえの間違いもするしハメもはずす。ホントに人格者だったら気持ち悪いよ。
王の入団時の阪神契約してるのに巨人と二重契約
王と荒川の試合中の暴力行為よるバッキー選手の骨折
長嶋監督一年目の王の故障は何かあるとおも和ざるを得ない
監督時に記録維持のための敬遠
真っ黒け
大谷選手は人格者に見えないのか
@@真珠恵瑠
日本ハムとのドラフト指名の経過みれば
全く人格者にはみえない
普通にピッチャーの打つセいけばいいだけ
@@真珠恵瑠 あんたは人格者とは何なのかわかっているのか。
江川入団時の王は40歳手前ぐらいで若くはない。
あの頃の平均寿命は72歳位で40歳と言えば今の感覚で50代~60代くらい成熟していたので人格者じゃなくても大人げないと思う。
もっとも人格者に年齢は関係は無いです。
人格者っぽく言われてるけど、そうでは無いわな
よーく考えたら、「行きたいところ、行きたい職場に行く」って当たり前なんだけどね。
「俺の職場は野球の”聖域”なんだから、お前みたいな自分勝手な奴は来るな」って事なんだろうけどさ。
色んなものを篩(ふるい)にかけると「自意識過剰」と「固執」だけが残るんじゃないの?
ブランド志向の王氏は結局雇い主がする事への不満のやり場が抑えられないから言葉にしたのだろうケド、そのブランド品を買いたい客に「ウチはドレスコードがあるから売れない」と言っても欲しけりゃ他人に頼んでも買うでしょ。
後のナベツネ氏が他の件で言った「一介の野球選手ごときが・・」に繋がるイライラにリンクしている。
「新聞社」と「軍」と「永久に不滅信仰」が共存している稀有な球団にまつわる昭和の寓話。
タイプは違い、その実どこか似た物同士と言えます〜共に英雄的存在です、、、またお互い「O型
世界の王って大げさな表現です。王氏の時代はプロ野球は世界でわずかしかないし、大リーグとは。ボール バット 球場の規格 ルール ピッチャーのレベルが違いますからね。王氏が大リーグにいてあのホームラン数なら世界一に異論はないですが、日本限定のホームラン王ですよ。
どう考えても江川は嫌いなタイプ。野球がうまければ偉い訳ではないし、何をやってもいいわけでもない
江川さんも、
親が、とか、
親戚が、とか、
他人の意思に自分が翻弄されてる言い訳が、不快に感じます。
あの頃は若い人が周りに遠慮することなく自分の意思を表すことなんてできなかったんですよ。今の若者は時代に恵まれていると思いますね。
球界と言わずスポーツ界で一番嫌いなのがこの江川です。あの生意気な言動見るのも嫌です。それに引き換え、常に他人に気遣いする王さんは大好きです。
巨人一筋を貫き通すって良いじゃないですか❢
いい子ちゃんよりは全然良いと思います。
高校時代からの江川ファンです。
二度のドラフト一位指名拒否してまでし、一応違法でない方法を見つけて入団した選手に王の仕打ちは発言が全てマスコミにより晒されていたので酷すぎると当時から思っていた。そして監督の立場になっても戦力低下要因になる様な事を私怨を理由に平気でした事実は非難されるべき行為。既出の婦人会での発言も職業野球人としてあってはならない行動暴露だが影響力の強い王の発言は影響していたはずだ。全体に日本人にはない幼稚さを感じさせるエピソード。王さんの出身と無縁でない印象だ。
イチローも江川を嫌いだと思う
王は荒川コーチに改造された人造一本足打者、荒川コーチがいなければ普通の打者で終わっていたのだぜ!
造られたホームラン王、これが芸能界に酷似の当時の巨人軍だよ。
王を尊敬するぐらいなら、俺は落合選手を尊敬するぜ!