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戦時中は敵性語は禁止されて居たのはあくまで民間に向けであるようです。祖父は海軍砲術学校出でしたが、英語の授業があったそうです。「寄港地に行った際その地域の言葉がわからないと困る」が理由らしいです。私が高校生の時、英語の試験勉強して居て、祖父にちょっと見せてみろ!と言われ見せた所「このくらいなら分かる」とサラッと言われたのには吃驚しました。戦時中は英語禁止されて居たのと違いの?と、聞いたら海軍で勉強した!と言われて吃驚しました。あと、海兵団に入った時には日本は負けるよ!若いお前らは戦後復興の仕事も待っている!絶対死ぬなよ!と、言われたそうです。それまで軍人は死ぬ事が美学と教え叩き込まれて居たので、これにも吃驚したと言って居ました。
敵性言語を止めようって運動は朝日新聞が旗を振ってた単なる民間運動らしいですね、当時の唯一の全国紙だからそれなりに影響力はあったと思うけど。映像での情報は映画館でしか観れなかったとか本で読みましたね、だから大正時代?だかの地方での大きな地震の時に映画館で凄い死者が出たとか何とか
今の民間船でさえ、フネをやるには「ゴースターン」「ゴーヘイ」等々、英語ナマリが普通に使われている。海図だって内航以外は基本的に英語表記なのだ。海軍がわざわざ英語教育を全廃したって、不自由さが増すだけなのだ。兵学校の英語廃止要求なんてむしろバカな話なので、それを阻止(というか「従前通り」なのだが)にした井上成美にせよ、それほど称賛されるべき話でもない。兵学校校長は井上成美の後でも二人も変わっているが、別に井上成美がいようがいまいが英語教育は続けられていた。明治期に敢えて「国語化」を図ったのは陸軍だが、これもまた「陸軍は外国語と民間用語を禁忌のように嫌った」(司馬遼太郎)「土俗的・狂信的」(阿川弘之)等々と非難する様な話でもあるまい。三百余藩に別れて戦をやった結果、最後までフランス語だった幕府歩兵や諸藩洋式兵より全部国語化していた長州が最もパフォーマンスが良かったからだろう。海軍とケタひとつ違う人数を統一的に動かさねばならぬ陸軍では、国語化は(宗教的禁忌どころか)むしろ論理的に優先課題だったろう。ただ、陸軍において・英語の教育が主流ではなかったこと(三国干渉への明治帝の御意志から露仏独だったというが、大正期のどこかで、仏は英に変えるべきだったろう)・小学校教育も普及しない時代の「国語化」を引きずったこと(一般用語でも代替可能な用語も相当出てきていた)のは、確かに失敗だったろうとは思う。
日本の為に人知れず命を全うした人も居るのですね、合掌
日露戦争直前、商人を装って北満に潜り込んだ石光真清は、北満駐屯の露軍から、「どうも十年以上この付近に住みついていた日本人の密偵らしい(石光自身が密偵なのだが)のだが、健康不良で明日にも死にそうだから、日本人として看取ってやれ」と牢屋に案内された。何を言っても反応なく、支那人か朝鮮人かも分からないのだが、小声で「キミ、日清戦争は勝ったのだぞ。キミらの活動のお陰で、祖国は清国を破ったのだぞ」とささやくと、黙ったまま両眼から涙を溢れさせ、翌朝死んだのだという。名前の分かる様な物さえ何も持っていなかった由。征韓論が盛んな折には西郷が配下を現地偵察に派遣したともいう程で、既に日清戦争以前から「人知れず埋もれた」情報担当者は多かった。広開土王碑などもこうした兵要地誌調査で発見されたのだ。無名のまま埋もれた者がどれほどいたのか。思うと端然たらざるを得ぬ。
面白かったです。中野士官学校の卒業生が多くインドネシアの独立にも関わっていたのですね。いつもながら素晴らしい動画ありがとうございます。
ベトナム戦争にもね
やはり、こう言った学校は、日本には、必要だ。とんでもない国を撹乱させて、戦争を防ぐ意味でも。
紙一重だから危険だよ
優秀な情報員が集めてきた貴重な情報もそれを精査して次の行動に移せる上層部が昔も今も居ないのです。
陸軍中野学校って資料が少なく、今でも分からない部分が多いみたいで調査や研究が続いているみたいです。ルバング島残留日本兵として有名な小野田少尉も中野学校出身者ですね。
あの人は二俣分校だったかの出身じゃなかったっけ?
情報戦は平時の戦争当時の陸軍は一部かなり頭が柔らかかったんだねそういえば義烈空挺隊も中野学校出身者がいたんだよね
時空を超えて優秀と評される人は間違いなくリアリストで、常識に左右されない自分なりの信念を持つ人なんだろうな
可能ならこの人の一生を漫画でも紹介してください。
古い映画作品にありますよ、陸軍中野学校なるタイトルで。
非常に面白い動画です。ありがとうございます。
映画の陸軍中野学校では草薙少佐、加藤大介。椎名少尉、市川雷蔵。でした。映画1作は事実に近い内容だった。増村保造監督の臨場感を大事する作風との相性は抜群ですね。
登戸研究所の先生が、インテリジェンスの一つの『偽札』が、余りに完璧で、実際に中国で流通してしまったと言う話をお聞きした事が有ります。その話が、なんだか日本人らしい技術の凄さも、爽快?で、好きな話です✨
「ベルトコンベアに乗って流れてくる民国紙幣を手でクシャクシャにするアルバイト」を戦時中にやっていた人の話が吉村昭さんの随筆にありました。偽札感を無くし使用済感を出すための処置だったらしいと戦後に気づいたのだとか。敵国のサツを刷ってインフレで相手国の経済をガタガタにする、というのは日本を含めた各交戦国で互いにやっていたのだそうですが、印刷が面倒な日本の紙幣に手を出した国は無かったそうです。(軍票偽造はあるが、割に簡単にバレたのだとか)一方で、日本製の蒋介石政権ニセ札は質が良く?好評で、戦後もかなり後まで流通していたと言われますから、なんというか、変な国です。
中国側はそんなこと知っていた もう国内がガタガタで紙幣を刷る余裕もないので渡りに船と見逃していたとかそもそもそんな状態の紙幣より モノ・現物のほうが信用あったけどしかし この技術と機械が回りまわって 今の北の偽ドルにつながっていると言われてますね
勉強になります。有り難うございました。
今でも中野学校は中野で生まれた者にとっては大きな誇りだ。
柳広司の作品ジョーカー・ゲームの元ネタなんですよね内容が作品とほぼ一緒なのが面白い
秋草「天皇も普通の人間だよ」これと対極をなす「中野の吉田松陰」伊藤佐又のギャップが中野学校の悲劇の要因だったと思う。秋草がせめて昭和5年ごろから中野を設立して陸軍の支援があったら、諜報戦も、少しはましになっていたと思う。あと、昭和15年春のベルリン行きが、本当はスターリン暗殺計画だったのどうか、興味は尽きない。
日本の情報機関という名の弱小組織はいくつかあるが、やはり情報機関は軍事組織が持たないと意味がない。公安調査庁と、警察庁の公安なんて水と油だし、内閣情報調査室があるが…日本は情報機関を一本化すべきだろう。
CIA並は無理でしょうがドイツ諜報機関をモデルとした組織の設置は可能な筈です。個人的には空母建造に予算を使うよりも諜報機関にその分の予算を使う方が日本の安全保障に役立つと考えますがね。
うちが居た、陸上幕僚監部調査部調査第二課調査別室、昔の陸軍特情部の流れを、特情部の頃は、フィンランドポーランド等と協力し合っていたそうです、まぁ今はアメリカのNSAの下請けみたいなものでした~、
この方達が命を賭して守ろうとした日本民族は見るも無惨な醜態を晒していますよ。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
@@user-kr1bu6rl2q 確かに拘らなければ取り敢えず平和ですな。
@@user-kr1bu6rl2q 様 それはけっこうなことです。ただそれは命を賭して戦って下さった先人達がおられたことを決して忘れてはいけないことを心の何処かにおいていて欲しいだけです。平和っていうのは容易く手に入るものではないのですから。
Thanks!
編集お疲れ様です。
この学校出身の1人である鈴木大佐がアウンサンと関わってビルマことミャンマーの独立に大きく貢献し、今日における友好国へと繋がったからいつの時代も何が起こるか分からないものですね。
アウンサンが土壇場で裏切って日本軍を攻撃してきたことは、案外知られていないんだよね。戦勝国サイドに立って独立への足がかりにしたわけだから、単純に指弾しようとは俺とて思わないが、「日本軍の援助で成立したのだ」「だから理屈抜きで友好国なのだ」「戦後もずっと友好国なのだ」なんて言っているノドカな日本人はさぞ間抜けに見えるのだろうなとは思っている。当たり前だが、彼らは彼ら自身の独立の為に動いているのだ。最近とて中共とは相当親密に付き合っている国だ。(印緬国境と中緬国境との落差を見よ)今日における友好国に繋がった云々、なんぞと、むかし世話をしてやった親戚のオジサンみたいな自己満足を言っていて済む話ではないのは確かである。
何時も本当に有難うございますm(_ _)m
陸軍中野学校第一期生が軍人を辞めようとした話は有名ですね
市川雷蔵出演の「陸軍中野学校」という映画があった、秋草少将をモデルにしたのは加東大介か。中野学校の次は「陸軍登戸研究所」でしょう。
「陸軍中野学校・雲一号指令」とか言うやつ(笑)レンタルビデオを結構面白がって見た記憶があります。
特殊作戦群にその技能が一部引き継がれてそうですね。
英霊に感謝の誠を捧げます。
本編と関係ないですが中川州男中将の動画がなくなってしまったのが寂しいです、大好きなので。
皇室制度についてディベートさせる授業もあったそうだ、中野学校は
市川雷蔵主演の映画 陸軍中野学校で 、加藤大介さんが 演じてましたね
今の日本に必要なインテリジェンス機関
母方の祖父は陸軍中野学校出身❤🎉😮👍🐨
やる夫板で、戦後の謀略活動を題材にした作品があって、主人公の友人又は相棒がこのような組織出身の人物だった。
中野学校初期卒業生と、終戦期、あるいは分校卒業生との間にはその性質的に大きく異なる点があったこともできれば付記して欲しかった
情報収集、分析、情報を生かした戦略の重要性を上が理解していなかったから、第二次大戦になって後手に回った。もっと早く、第一次大戦後にこの学校を作っていれば…
中野学校みたいな養成機関迄創りあげたのに、何故日本は諜報戦を軽視してしまったのか。
GHQに潰された。
映画陸軍中野学校として有名になって中野学校モデルに小説ジョーカーゲームシリーズ誕生したのは言うまでもない
今村均や栗林忠道、宮崎繁三郎然り、軍人臭を感じさせない人物は馬鹿にされがちだが、真の有能であることが多い‼︎
今村均や栗林忠道、宮崎繁三郎って、馬鹿にされていたのか!?初耳だ。栗林忠道(尊敬する軍人だが)が「軍人臭を感じさせない」というのも、どうなんだ?かなりキツい人だった様で、硫黄島からの生き残り将校(米軍侵攻前に半強制的に内地へ「トバされた」)の中には、戦後まで栗林をケナす人もいた。(「硫黄島からの手紙」の映画の公開当時、文藝春秋でコンナ声モアリマスみたいな特集が組まれていた)「締め付け過ぎて近衛師団で放火騒ぎが起こり、留守師団長の栗林が硫黄島にトバされた」などという兵隊の噂まであったという。「軍人臭を感じさせない人物」って、何か出典あるのなら御教示頂ければ幸甚。
中野学校関係者がアメリカの沖縄上陸後の工作をされて、少年兵組織して結構酷い感じのこともされてたという話を以前どこかで読んだか見たかしましたのをコメントさせていただきます。
スパイ王に オレはなる‼️😁👍
樋口季一郎との関係はどうだったんだろうか?
おじいちゃんの学校です
露助無くなって欲しい
小野田少尉も中野学校の卒業生で、彼の行動や言動もこのような教育が影響した部分も大きいのかなと
母方の祖父の事を尋ねた時、父方の祖母は「近衛兵」母方の伯母、叔父は「中野学校」と返事が帰ってきました。先日、祖父を深堀したいと思い、元自衛官で現在行政書士をされてる方に、軍歴証明書の取得を依頼しました。兵種 通信兵近衛師団 電信第一連隊(中野)に昭和2年入隊。ほとんど、「簡易点呼済み」と記載。昭和12に中国に行って。昭和13年に陸支機密第◎◎号の為帰還。第◎◎◎号◎◎に依り招集解隊それ以降の昭和14年からの軍歴が真っ白で、空白でした。謎です。退役軍人なので、終戦か終戦近くまでは軍歴があると…思ったのですが…なので、近衛兵は間違えないと…中野学校所属は?って感じです…良くコメントで、親戚が中野学校…知り合いが中野学校…とコメントされる方に是非、軍歴証明書を取得して頂きたいと思います。中野学校と記載されてるのか、軍歴が記載されているのか、祖父の様に真っ白なのか…気になります。
軍歴証明書は、個人でも請求できました、まぁ必要な書類は陸軍ならば本籍地の県庁に請求、海軍ならば厚生労働省です、叔父の場合秋田県庁が火災に有って多数の兵歴簿が焼失してましたが、幸いにも残ってました、親父の軍歴証明書は厚生労働省から送ってもらいました、昭和二十年九月まで海軍電測学校に居た、と残ってました😅
故市川雷蔵主演の映画「陸軍中野学校」では、草薙中佐でした。
映画、陸軍中野学校の草薙中佐のモデルになった人。ゾルゲを逮捕して自白させて、絞首刑にできたのも内務省の特別高等警察をでしたし、日本陸軍のスパイ軽視はかなり痛かった。
ゾルゲについては、上層部が腐っていたのが大きい。尾崎や西園寺あたりを取り巻きにしていたのが近衛文麿だったので、突っ込んだ追及ができなかったともいう。
凄い😂
日本としては、この学校を作るのが遅すぎた。おそらく、1920年代に創設するべきだった。はっきり言って、特異な学校だっただろう。なんせ、スパイの養成機関だから。秋草だろうが、岩畔だろうが、所詮は個人。将軍とか言っても、人事異動するとどうしようもなくなってしまう。もっと体系的に諜報戦を考えるべきでしたね。参謀本部の中に組織をたくさん作り、その中にこの学校の卒業生を登用するべきでしたね。
「作るのが遅すぎた」「参謀本部の中に組織をたくさん作り」もナニも、既に「たくさん」あったのが(悪名高い)特務機関なわけだろう。奉天特務機関なんぞ既に大正9年(1920年だが)に創設され、随分活発に活動している。それこそ満州某重大事件なんてものも「張作霖の蒋介石への接近」を特務機関が偵知したからこそ立案遂行されたのだ。天津特務機関は溥儀の監視や担ぎ出しに一役買っているよな。で?これ以上「たくさん」作ってキミは何をどうしたいの?
いまも世界の何処かで中野学校の子孫が密かに暗躍し人知れず消えているのだろうか。
今この時期に陸軍中野学校のRUclipsがどうして上がってくるのか
後10年早く存在していたら、良かったのに!!英語教育駄目って普通におかしいですね!!😅
戦前帝国軍人は、諜報、スパイ、暗号傍受解読など卑怯で姑息、正面決戦こそ武人。などと思っていたと夢想しがちだが、特務機関や中野学校などきちんと認識はしていたんですよね。規模は国力に比するので連合国の比ではなかったが。
同感。そして日本とは比較にもならず大規模かつ効率的に運営していた米国でさえ、戦後のCIA(これとて真珠湾を察知できなかった反省から情報機関を統合強化したのが濫觴)は、あれこれドジを踏んでいる。名高い英国MI6もソ連側の浸透を受けた。そのソ連もKGBの見通しの甘さだか所見の不採用だかでアフガン侵攻に踏み切った(結局亡国の重要因となった)とも言われる。事実の群体の中から「結果論として有益」なものを選ぶのは口でいうほど簡単な話ではないのだろう。こんなことは我々個人の日常生活でさえいえることではあるのだが。ろくに実態知りもせずに「陸軍の情報軽視が〜」なんか言ってハイオシマイで済む話ではないのは確かである。
ぐんぴぃ…
もっとはやく中野学校が創設されていたらと思います。
戦争に勝つ為の組織のはずの陸軍が学歴社会という謎。
戦時中は敵性語は禁止されて居たのはあくまで民間に向けであるようです。
祖父は海軍砲術学校出でしたが、英語の授業があったそうです。
「寄港地に行った際その地域の言葉がわからないと困る」が理由らしいです。
私が高校生の時、英語の試験勉強して居て、祖父にちょっと見せてみろ!と言われ見せた所「このくらいなら分かる」とサラッと言われたのには吃驚しました。
戦時中は英語禁止されて居たのと違いの?と、聞いたら海軍で勉強した!と言われて吃驚しました。
あと、海兵団に入った時には日本は負けるよ!
若いお前らは戦後復興の仕事も待っている!
絶対死ぬなよ!
と、言われたそうです。
それまで軍人は死ぬ事が美学と教え叩き込まれて居たので、
これにも吃驚したと言って居ました。
敵性言語を止めようって運動は朝日新聞が旗を振ってた単なる民間運動らしいですね、
当時の唯一の全国紙だからそれなりに影響力はあったと思うけど。
映像での情報は映画館でしか観れなかったとか本で読みましたね、だから大正時代?だかの地方での大きな地震の時に映画館で凄い死者が出たとか何とか
今の民間船でさえ、フネをやるには
「ゴースターン」「ゴーヘイ」
等々、英語ナマリが普通に使われている。
海図だって内航以外は基本的に英語表記なのだ。
海軍がわざわざ英語教育を全廃したって、不自由さが増すだけなのだ。
兵学校の英語廃止要求なんてむしろバカな話なので、それを阻止(というか「従前通り」なのだが)にした井上成美にせよ、それほど称賛されるべき話でもない。
兵学校校長は井上成美の後でも二人も変わっているが、別に井上成美がいようがいまいが英語教育は続けられていた。
明治期に敢えて「国語化」を図ったのは陸軍だが、これもまた
「陸軍は外国語と民間用語を禁忌のように嫌った」(司馬遼太郎)
「土俗的・狂信的」(阿川弘之)
等々と非難する様な話でもあるまい。
三百余藩に別れて戦をやった結果、最後までフランス語だった幕府歩兵や諸藩洋式兵より全部国語化していた長州が最もパフォーマンスが良かったからだろう。
海軍とケタひとつ違う人数を統一的に動かさねばならぬ陸軍では、国語化は(宗教的禁忌どころか)むしろ論理的に優先課題だったろう。
ただ、陸軍において
・英語の教育が主流ではなかったこと(三国干渉への明治帝の御意志から露仏独だったというが、大正期のどこかで、仏は英に変えるべきだったろう)
・小学校教育も普及しない時代の「国語化」を引きずったこと(一般用語でも代替可能な用語も相当出てきていた)
のは、確かに失敗だったろうとは思う。
日本の為に人知れず命を全うした人も居るのですね、合掌
日露戦争直前、商人を装って北満に潜り込んだ石光真清は、北満駐屯の露軍から、
「どうも十年以上この付近に住みついていた日本人の密偵らしい(石光自身が密偵なのだが)のだが、健康不良で明日にも死にそうだから、日本人として看取ってやれ」
と牢屋に案内された。
何を言っても反応なく、支那人か朝鮮人かも分からないのだが、小声で
「キミ、日清戦争は勝ったのだぞ。キミらの活動のお陰で、祖国は清国を破ったのだぞ」
とささやくと、黙ったまま両眼から涙を溢れさせ、翌朝死んだのだという。
名前の分かる様な物さえ何も持っていなかった由。
征韓論が盛んな折には西郷が配下を現地偵察に派遣したともいう程で、既に日清戦争以前から「人知れず埋もれた」情報担当者は多かった。
広開土王碑などもこうした兵要地誌調査で発見されたのだ。
無名のまま埋もれた者がどれほどいたのか。
思うと端然たらざるを得ぬ。
面白かったです。中野士官学校の卒業生が多くインドネシアの独立にも関わっていたのですね。いつもながら素晴らしい動画ありがとうございます。
ベトナム戦争にもね
やはり、こう言った学校は、日本には、必要だ。とんでもない国を撹乱させて、戦争を防ぐ意味でも。
紙一重だから危険だよ
優秀な情報員が集めてきた貴重な情報もそれを精査して次の行動に移せる上層部が昔も今も居ないのです。
陸軍中野学校って資料が少なく、今でも分からない部分が多いみたいで調査や研究が続いているみたいです。
ルバング島残留日本兵として有名な小野田少尉も中野学校出身者ですね。
あの人は二俣分校だったかの出身じゃなかったっけ?
情報戦は平時の戦争
当時の陸軍は一部かなり頭が柔らかかったんだね
そういえば義烈空挺隊も中野学校出身者がいたんだよね
時空を超えて優秀と評される人は間違いなくリアリストで、常識に左右されない自分なりの信念を持つ人なんだろうな
可能ならこの人の一生を漫画でも紹介してください。
古い映画作品にありますよ、陸軍中野学校なるタイトルで。
非常に面白い動画です。ありがとうございます。
映画の陸軍中野学校では草薙少佐、加藤大介。椎名少尉、市川雷蔵。でした。映画1作は事実に近い内容だった。増村保造監督の臨場感を大事する作風との相性は抜群ですね。
登戸研究所の先生が、インテリジェンスの一つの『偽札』が、余りに完璧で、実際に
中国で流通してしまったと言う話をお聞きした事が有ります。その話が、なんだか日本人らしい技術の凄さも、爽快?で、好きな話です✨
「ベルトコンベアに乗って流れてくる民国紙幣を手でクシャクシャにするアルバイト」
を戦時中にやっていた人の話が吉村昭さんの随筆にありました。
偽札感を無くし使用済感を出すための処置だったらしいと戦後に気づいたのだとか。
敵国のサツを刷ってインフレで相手国の経済をガタガタにする、というのは日本を含めた各交戦国で互いにやっていたのだそうですが、印刷が面倒な日本の紙幣に手を出した国は無かったそうです。
(軍票偽造はあるが、割に簡単にバレたのだとか)
一方で、日本製の蒋介石政権ニセ札は質が良く?好評で、戦後もかなり後まで流通していたと言われますから、なんというか、変な国です。
中国側はそんなこと知っていた もう国内がガタガタで紙幣を刷る余裕もないので渡りに船と見逃していたとか
そもそもそんな状態の紙幣より モノ・現物のほうが信用あったけど
しかし この技術と機械が回りまわって 今の北の偽ドルにつながっていると言われてますね
勉強になります。有り難うございました。
今でも中野学校は中野で生まれた者にとっては大きな誇りだ。
柳広司の作品ジョーカー・ゲームの元ネタなんですよね
内容が作品とほぼ一緒なのが面白い
秋草「天皇も普通の人間だよ」
これと対極をなす「中野の吉田松陰」伊藤佐又のギャップが中野学校の悲劇の要因だったと思う。
秋草がせめて昭和5年ごろから中野を設立して陸軍の支援があったら、諜報戦も、少しはましになっていたと思う。
あと、昭和15年春のベルリン行きが、本当はスターリン暗殺計画だったのどうか、興味は尽きない。
日本の情報機関という名の弱小組織はいくつかあるが、やはり情報機関は軍事組織が持たないと意味がない。公安調査庁と、警察庁の公安なんて水と油だし、内閣情報調査室があるが…日本は情報機関を一本化すべきだろう。
CIA並は無理でしょうがドイツ諜報機関をモデルとした組織の設置は可能な筈です。
個人的には空母建造に予算を使うよりも諜報機関にその分の予算を使う方が日本の安全保障に役立つと考えますがね。
うちが居た、陸上幕僚監部調査部調査第二課調査別室、昔の陸軍特情部の
流れを、特情部の頃は、フィンランド
ポーランド等と協力し合っていたそうです、まぁ今はアメリカのNSAの下請けみたいなものでした~、
この方達が命を賭して守ろうとした日本民族は見るも無惨な醜態を晒していますよ。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
@@user-kr1bu6rl2q 確かに拘らなければ取り敢えず平和ですな。
@@user-kr1bu6rl2q 様 それはけっこうなことです。ただそれは命を賭して戦って下さった先人達がおられたことを決して忘れてはいけないことを心の何処かにおいていて欲しいだけです。平和っていうのは容易く手に入るものではないのですから。
Thanks!
編集お疲れ様です。
この学校出身の1人である鈴木大佐がアウンサンと関わってビルマことミャンマーの独立に大きく貢献し、今日における友好国へと繋がったからいつの時代も何が起こるか分からないものですね。
アウンサンが土壇場で裏切って日本軍を攻撃してきたことは、案外知られていないんだよね。
戦勝国サイドに立って独立への足がかりにしたわけだから、単純に指弾しようとは俺とて思わないが、
「日本軍の援助で成立したのだ」
「だから理屈抜きで友好国なのだ」
「戦後もずっと友好国なのだ」
なんて言っているノドカな日本人はさぞ間抜けに見えるのだろうなとは思っている。
当たり前だが、彼らは彼ら自身の独立の為に動いているのだ。
最近とて中共とは相当親密に付き合っている国だ。
(印緬国境と中緬国境との落差を見よ)
今日における友好国に繋がった云々、なんぞと、むかし世話をしてやった親戚のオジサンみたいな自己満足を言っていて済む話ではないのは確かである。
何時も本当に有難うございますm(_ _)m
陸軍中野学校第一期生が軍人を辞めようとした話は有名ですね
市川雷蔵出演の「陸軍中野学校」という映画があった、秋草少将をモデルにしたのは加東大介か。中野学校の次は「陸軍登戸研究所」でしょう。
「陸軍中野学校・雲一号指令」
とか言うやつ(笑)
レンタルビデオを結構面白がって見た記憶があります。
特殊作戦群にその技能が一部引き継がれてそうですね。
英霊に感謝の誠を捧げます。
本編と関係ないですが中川州男中将の動画がなくなってしまったのが寂しいです、大好きなので。
皇室制度についてディベートさせる授業もあったそうだ、中野学校は
市川雷蔵主演の映画 陸軍中野学校で 、加藤大介さんが 演じてましたね
今の日本に必要なインテリジェンス機関
母方の祖父は陸軍中野学校出身❤🎉😮👍🐨
やる夫板で、戦後の謀略活動を題材にした作品があって、主人公の友人又は相棒がこのような組織出身の人物だった。
中野学校初期卒業生と、終戦期、あるいは分校卒業生との間にはその性質的に大きく異なる点があったこともできれば付記して欲しかった
情報収集、分析、情報を生かした戦略の重要性を上が理解していなかったから、第二次大戦になって後手に回った。
もっと早く、第一次大戦後にこの学校を作っていれば…
中野学校みたいな養成機関迄創りあげたのに、何故日本は諜報戦を軽視してしまったのか。
GHQに潰された。
映画陸軍中野学校として有名になって中野学校モデルに小説ジョーカーゲームシリーズ誕生したのは言うまでもない
今村均や栗林忠道、宮崎繁三郎然り、軍人臭を感じさせない人物は馬鹿にされがちだが、真の有能であることが多い‼︎
今村均や栗林忠道、宮崎繁三郎って、馬鹿にされていたのか!?
初耳だ。
栗林忠道(尊敬する軍人だが)が「軍人臭を感じさせない」というのも、どうなんだ?
かなりキツい人だった様で、硫黄島からの生き残り将校(米軍侵攻前に半強制的に内地へ「トバされた」)の中には、戦後まで栗林をケナす人もいた。
(「硫黄島からの手紙」の映画の公開当時、文藝春秋でコンナ声モアリマスみたいな特集が組まれていた)
「締め付け過ぎて近衛師団で放火騒ぎが起こり、留守師団長の栗林が硫黄島にトバされた」
などという兵隊の噂まであったという。
「軍人臭を感じさせない人物」って、何か出典あるのなら御教示頂ければ幸甚。
中野学校関係者がアメリカの沖縄上陸後の工作をされて、少年兵組織して結構酷い感じのこともされてたという話を以前どこかで読んだか見たかしましたのをコメントさせていただきます。
スパイ王に オレはなる‼️😁👍
樋口季一郎との関係はどうだったんだろうか?
おじいちゃんの学校です
露助無くなって欲しい
小野田少尉も中野学校の卒業生で、彼の行動や言動もこのような教育が影響した部分も大きいのかなと
母方の祖父の事を尋ねた時、父方の祖母は「近衛兵」母方の伯母、叔父は「中野学校」と返事が帰ってきました。
先日、祖父を深堀したいと思い、元自衛官で現在行政書士をされてる方に、軍歴証明書の取得を依頼しました。
兵種 通信兵
近衛師団 電信第一連隊(中野)に昭和2年入隊。
ほとんど、「簡易点呼済み」と記載。
昭和12に中国に行って。
昭和13年に陸支機密第◎◎号の為帰還。
第◎◎◎号◎◎に依り招集解隊
それ以降の昭和14年からの軍歴が真っ白で、空白でした。謎です。
退役軍人なので、終戦か終戦近くまでは軍歴があると…思ったのですが…
なので、近衛兵は間違えないと…中野学校所属は?って感じです…
良くコメントで、親戚が中野学校…知り合いが中野学校…とコメントされる方に是非、軍歴証明書を取得して頂きたいと思います。
中野学校と記載されてるのか、軍歴が記載されているのか、祖父の様に真っ白なのか…
気になります。
軍歴証明書は、個人でも請求できました、まぁ必要な書類は陸軍ならば本籍地の県庁に請求、海軍ならば厚生労働省です、叔父の場合秋田県庁が火災に有って多数の兵歴簿が焼失してましたが、幸いにも残ってました、親父の軍歴証明書は厚生労働省から送ってもらいました、昭和二十年九月まで海軍電測学校に居た、と残ってました😅
故市川雷蔵主演の映画「陸軍中野学校」では、草薙中佐でした。
映画、陸軍中野学校の草薙中佐のモデルになった人。
ゾルゲを逮捕して自白させて、絞首刑にできたのも内務省の特別高等警察をでしたし、日本陸軍のスパイ軽視はかなり痛かった。
ゾルゲについては、上層部が腐っていたのが大きい。
尾崎や西園寺あたりを取り巻きにしていたのが近衛文麿だったので、突っ込んだ追及ができなかったともいう。
凄い😂
日本としては、この学校を作るのが遅すぎた。おそらく、1920年代に創設するべきだった。はっきり言って、特異な学校だっただろう。なんせ、スパイの養成機関だから。
秋草だろうが、岩畔だろうが、所詮は個人。将軍とか言っても、人事異動するとどうしようもなくなってしまう。もっと体系的に諜報戦を考えるべきでしたね。参謀本部の中に組織をたくさん作り、その中にこの学校の卒業生を登用するべきでしたね。
「作るのが遅すぎた」
「参謀本部の中に組織をたくさん作り」
もナニも、既に「たくさん」あったのが(悪名高い)特務機関なわけだろう。
奉天特務機関なんぞ既に大正9年(1920年だが)に創設され、随分活発に活動している。
それこそ満州某重大事件なんてものも
「張作霖の蒋介石への接近」
を特務機関が偵知したからこそ立案遂行されたのだ。
天津特務機関は溥儀の監視や担ぎ出しに一役買っているよな。
で?
これ以上「たくさん」作ってキミは何をどうしたいの?
いまも世界の何処かで中野学校の子孫が密かに暗躍し人知れず消えているのだろうか。
今この時期に陸軍中野学校のRUclipsがどうして上がってくるのか
後10年早く存在していたら、良かったのに!!
英語教育駄目って普通におかしいですね!!😅
戦前帝国軍人は、諜報、スパイ、暗号傍受解読など卑怯で姑息、正面決戦こそ武人。などと思っていたと夢想しがちだが、特務機関や中野学校などきちんと認識はしていたんですよね。規模は国力に比するので連合国の比ではなかったが。
同感。
そして日本とは比較にもならず大規模かつ効率的に運営していた米国でさえ、戦後のCIA(これとて真珠湾を察知できなかった反省から情報機関を統合強化したのが濫觴)は、あれこれドジを踏んでいる。
名高い英国MI6もソ連側の浸透を受けた。
そのソ連もKGBの見通しの甘さだか所見の不採用だかでアフガン侵攻に踏み切った(結局亡国の重要因となった)とも言われる。
事実の群体の中から「結果論として有益」なものを選ぶのは口でいうほど簡単な話ではないのだろう。
こんなことは我々個人の日常生活でさえいえることではあるのだが。
ろくに実態知りもせずに「陸軍の情報軽視が〜」なんか言ってハイオシマイで済む話ではないのは確かである。
ぐんぴぃ…
もっとはやく中野学校が創設されていたらと思います。
戦争に勝つ為の組織のはずの陸軍が
学歴社会という謎。