【ゆっくり解説】判断ミスは時として大事故へつながる。 洞爺丸事故 鉄道事故解説 #16
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- Опубликовано: 8 фев 2025
- 皆さん年の瀬いかがお過ごしでしょうか。うp主は大掃除に追われています。
いくら自分の経験に自身があっても思い込みと決めつけで判断するのは危険ですね。
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この事故の時、上を下への大騒ぎの連絡船事務所から乗船名簿をパクった新聞記者がいます(当然ですが、この時代はコピーも控えも無い)。
その新聞はどこよりも早く犠牲者の氏名を新聞へ載せる大スクープを勝ち取りましたが、名簿をパクられた国鉄側と警察は遺体の身元確認が困難になり、現場は混乱に輪をかける事態になりました。
なお、名簿に名を載せたまま出港直前に下船した乗客も複数いて、自分の名前が新聞に載っていて驚く人や、新聞を読んだ家族が悲嘆に暮れるところにヒョッコリ帰宅して「幽霊だ!」となるハプニングも起きています。
上記のように出港直前に降りたり逆に乗船したり人もいたところに、確認の元となる名簿も無いことで、正確な乗客乗員数を把握できなくなり、右往左往する国鉄をマスコミは「管理がいい加減」と叩く始末。
今なら大炎上必至の盗難事件ですが、当時の新聞業界では記者が名簿をパクった事を「武勇伝」として語り継がれたそうです。
叔父さんが洞爺丸に乗船予定だったが
修学旅行が台風の為、中止になり
難を逃れたと言っていた
その修学旅行生が多数犠牲になったのが紫雲丸事故…
函館住でした、次の日幼稚園に行くと先生達が「昨日の夜、お船が沈みました」と話してくれました。
後日父親と函館山に登ると、山頂から沈没した赤い船底が見えました。
幼いわたしには、理解できませんでした。
この事故で海岸に出て遺体収容を手伝ったって母親が教えてくれた、海岸には漂着した遺体だらけだったそうな。
私の小学校の担任は七重浜で収容作業にかかわったと話してくれました。
しかしこの当時はまだ衛生状態も悪かったり色々と遺体収容も大変だったと思いますし遺体だらけの海岸を見たらトラウマになってしまうと思います。もしかし暫くは食事ものどを通らなかったり眠れなかったのではないのかなと思います。このころはまだ戦後間もないのでおそらく遺体を収容の手伝いをいた人の中には精神的におかしくなってしまった‼のではないのかなと思います。しかもこの頃は恐らく精神科や心療内科などの医学も発達してなかったので大変だったかと思います。
羊蹄丸の船長「風が弱くなったのは台風の目だ。今出航したら…、取り返しのつかない事になる…。」
出航を見合わせ、乗客と乗員たちの生命を第一として沈没を逃れた羊蹄丸。摩周丸の方は浦賀ドッグで入渠中だったので被害を受ける事はなかったものの、検査の予定期間を繰り上げたとか…。
羊蹄丸船長は乗客から「臆病者!波も風も穏やかなのに!早く出せ!」と罵倒されましたし、風が強くなった時も「なぜ風が弱いうちに出さなかったのか」とまでいわれましたが、翌日出航前に洞爺丸事故を聞いてからは「あの時出ていれば」と船長に感謝していたそうです。
ただし表彰については「表彰すれば洞爺丸の船長を責めることになるから出来ない」と総裁直々に伝えたそうです。
大雪丸が助かったのは
1、空船で開口部密閉が容易、また乾舷が高く浸水しにくかった。
2、函館湾の状況に詳しい二等航海士に判断を一任、彼の進言に沿って湾内に留まらず安全な木古内湾まで波の方向に舳先を向けて航行させたこと。
です。
後事故後立てられた対策として
台風の進行方向に開口している函館湾に面した函館港ではなく、
台風や冬の季節風にも地形的に安全な青森湾に面した青森港に避難場所を変える
があります。
実際停電解除後米軍用寝台車や貨車の積み込みを中止し「2分の遅れなら取り戻せる」と判断して直ちに青森港に向かっていれば無事青森港と言う安全地帯に逃げ込む事も出来ました。
50過ぎのおっさんですが洞爺丸事故に関心があって、30年ほど前、某大学の法学部まで行って海難審判の記録を読みました。第11青函丸以外沈没船はすべて船長の判断ミスとなっていてショックを受けました。この事故は、今まで誰も経験していなかった気象状況が原因で船長の判断ミスとは言えないと思いました。気象庁でもこの気象状況の解析が終わって発表されたのが
事故から確か2年後だったかと。あの、偽りの晴れ間さえなかったらと悔やまれます。
そもそも北海道に強力な台風が接近すること自体あまりなく、当時のレベルの気象分析では「想定外」だったのではないか。
それと、まだ戦後9年、迷ったら前進しろというような空気や圧力が、なかったとは言えないだろう。
道南から原生林が消滅した原因(強風で殆どなぎ倒された)になったと言われるほどの台風だったそうです。
おそらく、気象記録が残るようになった北海道史上初の巨大台風だったんでしょう。
この事故におけるターニングポイントは青森に連絡する列車があったと言う事も出港を決意した1つだったりするんですよね。
実際出航時間が遅れる事で今日中に青森に行けそうにないと判断された方が係員に『連絡する列車に間に合わないから下船したい。』と告げ下船しようとしたのですが『船舶の法律上1度乗船者名簿に記載された方は下船できない決まりなんです。』と断られた物の自己判断で下船し助かったと言う方のお話がありますよね。
この時実は乗船される方も居て、乗船者名簿に記載のない人物が乗船して亡くなった方と乗船者名簿に記載があるのにその人物から親族に電話がかかって来たと言う不思議な事が起ったと言う事故でもあったりしますよね。
洞爺丸が有名ですが他にも7隻の船舶が津軽海峡内で遭難し死者が出ている事を考えますと下船を判断されたと言うのは本当に不思議な事ですよね。
甲板から飛び降りて下船し生き残り、その後運送会社を起こすも今度は会社もトラックも全て伊勢湾台風で流された方も居るそうです。
実際下船した人の中には大喧嘩して強引に下船した人もいたとか
飛行機事故でも乗客名簿に記載されていたものの事情で乗ることができなかったため難を逃れたり、他人名義の航空券で乗り込んで遭難したという例はありますよね。
父が気象観測船の船員でした。当時は船で台風の中に入っていって観測していたそうです。すごい時代ですよね。
北海道まで台風が来る件数が増えてて、気象予報がほぼ当たる(完全だとは言ってない)現在でも「台風なんか北海道までこない」とか言ってる人が居るくらいだからなあ・・・。
この動画をみて、青函トンネルのスゴさと、北海道新幹線のすばらしさを、再発見することが、できました。
僕も、鉄道技術に、感謝して、生きていきたいと、思いました。
昔本で読んだけど、ある人物がこの船に乗ったはいいが急用を思いだし何とか外に出たんだけど、その後スグにやってきた人達がこの船に乗りたくてその人が降りた場所から乗り込んだ
次の日に沈没した事を知って安堵したのと同時に乗り込んでしまった人達を思い出して何とも言えない気持ちになったって話が思い出される
洞爺丸はなぜ沈んだか
よく読んでました。
父方の祖父母がこの事故で亡くなったと聞いています。
父は当時高校生でした。北海道に父の両親が旅行し、そのまま帰らぬ人に…
詳しくは語らない父でしたが、洞爺丸って事故でお前の爺さん婆さんが死んだと教えてられました。
こんな事故だっだんですね。
洞爺丸台風(温帯低気圧となっていたと言われる)で起きた事故だね。
既に温帯低気圧となっていた状態から再発達して、台風の頃より気圧が低くなった影響でより広い範囲で暴風となったようす。今で言う「爆弾低気圧」となっていた。
でも他の船舶も沈没していたのは知らなかったなあ
この嵐の中で出航した船🚢のうち、船🚢の名前を忘れましたが一隻だけ先輩船長の「このような状況に遭遇したら松前港⚓に逃げこめ!」としつこいぐらいに教わっていた船長が乗船した船🚢は船長独自の判断で何とか松前港⚓に辿り着き、辿り着いた直後にエンジンが壊れたと言う話を聞いた事があります。
この悲惨な海難事故がきっかけで青函トンネル工事が始まる事になったのは他の皆様のコメントの通りになります。
この船は洞爺丸の次便大雪丸ですね。洞爺丸が乗客を乗せたままだったので次便繰延で欠航となり桟橋を空けるために沖出し仮泊のため出航し函館港内が輻輳混乱のため沖合に向かいました。その途中七重浜仮泊中の洞爺丸とすれ違い無線電話交信をしています。その後大雪丸は木古内沖の湧元錨地に苦心惨憺の上到着して難を逃れました。難を逃れたと言っても船尾からの浸水や機関故障もあり船橋では猛烈な揺れで船長が転倒負傷もあり、乗客を乗せた状態で洞爺丸が湧元錨地に向かうのはベストだったのかという見解もあります。洞爺丸遭難事故から約5年後摩周丸が低気圧の悪天候で函館着岸が不可能になり600名の乗客を乗せたまま湧元錨地で低気圧をやり過ごしてほぼ1日掛かりで函館に到着した出来事があったそうです。
事故当時 父と祖母が近所に住んでて救助作業手伝ったって聞いたよ。祖父は国鉄五稜郭工場勤務で棺を作ったようです。昔の話ですがご冥福をお祈り申し上げます。
うぷ主の住んでいる地域とは1か月の時差があるようだ・・・
近藤船長は函館上空にあらわれた青空を、自身の気象知識と得られた気象情報から総合的に台風の目と判断したから出航したのであって、それを判断ミスというのはあくまでも結果論にすぎません。
ただ、停電が回復して可動橋が上がった時点で、何故再出航しなかったのか?たった三分前に下したテケミに何故こだわったのか?
仮に出航していれば、難航したであろうけどなんとか陸奥湾に逃げ込めたのではないのか?
この点が不可解でもあり、判断を誤った唯一の点かもしれませんね。
とてもよい内容でしたがBGMの音量が大きすぎて霊夢たちの声が聞こえづらいです💦
浸水により機関停止。それによって舵も推進力も効かないの風上に船体を向けることができなくなった。
K船長はかなり慎重な性格だったが台風が100km/h近い速度で進んでいてそれが急減速するとは思ってもみなかったようだ。
近年、気象関係の専門誌に出てますが
台風15号(洞爺丸台風)は既に日本海に出た時点で温帯低気圧になって一度衰退し、その後「温暖低気圧として速度を落として急速に発達した」今で言う爆弾低気圧みたいなものだった。故に「洞爺丸台風」と言う言い方は少しそぐわないのでは
と言われてます。
実際閉塞前線を伴って北上してますからね。
ミリバール、近所の元船乗りの爺さん、今も使ってる。
久々の動画ですね
待ってました
これがきっかけで青函トンネル建設が進んだんだったかな?
そうです。
青函トンネルは「洞爺丸事故の最終対策」です。
そうです。☺️掘り抜きに20年位掛かる事になるのですか…😓。
(*´・ω・`)b
結構な数が沈んだんだな…
ちなみに同じ日に、台風15号が接近している中、当時の吉田総理大臣はカナダ、ヨーロッパ、アメリカに外遊に行くため、羽田空港から飛行機で、最初の訪問国カナダに向けて出発したばかりでした。
以前、と言っても4,50年前までは遺体の映像や画像をそのまま映してたからショッキングなんてモンじゃ無かったよ。子供だった俺は何日も良く寝られんかったのを憶えてますわ。
この事故で人の生死を実感した小学校高学年のある日。
父親の部屋にあった朝日グラフって写真雑誌に事故後のご遺体の写真と、
沈没前の船内の様子を写した写真。
こうやって生きていた人が、肉塊になってしまう事が物凄い衝撃だったな。
そもそも今の技術で当時の事故について語ることはできない。もし積み込み中に停電が起こらなかったら………………………識者の中には停電がなかったらなんとか出港できて台風が接近してきた頃にはなんとか陸奥湾に入り込めたという人もいる。
ちなみにマイネフ38は戦前の名士列車急行17・18列車に連結されたマイネフ37230。
もうすぐ1月も終わるのに年末の挨拶。
台風の目に入った事を台風過ぎたと判断したのは船長なんだけどね。
当時は気象衛星何て物もないし台風の正確な位置も分からなかったからどうしようもなかったのではないだろうか
犠牲になられた方々の中に、戦時中道南で父が御世話になった人達が居られたと生前に話してましたネ……(・ิω・ิ)
このときの波長が、洞爺丸にとって最悪なものだったことも転覆・沈没の要因として挙げられていますね。
マニって現金輸送貨車だよな相当が海に沈んだってことか
+UDON2364様
「マニ」自体は「重量42.5t以上47.5t未満(マ)」の「荷物車(ニ)」という意味で、現金輸送車両を
指している訳ではないですよ。当の現金輸送車マニ34(1959~60年にマニ30に改番)は1979~80年に
6両全車欠けることなく廃車されています。
現在小樽交通記念館に保存されている現金輸送車マニ30 2012は1978~79年に新製された2次車です。
(情報ソース:RM LIBRARY208 現金輸送車物語~タブーとなったマニ34・30形(ネコ・パブリッシング))
私の父が当時修学旅行の引率教員として生徒と共に乗り込む予定でしたが、
到着が遅れて間に合わず、次の便を待つことになり、偶然難を逃れました。
もし時間通り到着していたらと思うと、ぞっとします。
この台風、勢力かなり大きかったんじゃないですか。中心気圧968ヘクトパスカルだったみたいですから。
駄菓子菓子www
船長の判断ミスが致命的だったな
いつの間にか艦長になってる
もうすぐ旧正月ですものね
わかります
bgmがうるさい!
この頃は青函連絡船が本州と北海道を結ぶ唯一の足だったのである意味北海道の政治や経済を支えていたので青函連絡船を止めてしまうと人も物流もストップしてしまうので簡単に欠航するわけにはいかなかったのではないのかなと思います。今なら即欠航になると思います。
今なら多少の強風でも青函トンネルでなんとかなりますからね、、、陸路偉大。
当時言われていたのが「青函連絡船が三日欠航すれば北海道の物価が倍になる」と言う事で生活必需品の輸送は青函連絡船がほぼ一手に引き受けていた時代でした。内航船舶もある事はあっても石炭輸送が主力でした。
愚者は経験に学ぶとよく言ったものだ
聞いてるのが辛くなる!
もう止める!
「都市伝説」ですが、洞爺丸の乗客に当時の財界の大物がいて、翌日に重要な会議があるので何がなんでも出せと「恫喝」した、と言われているようです。
+酒井良政様
逆に漫才コンビのWけんじは相方が深酒で爆睡したせいで乗り遅れて難を免れたそうです。
それなんですが………
勝手に下船して助かった人の放言と言われています。
実際に幹部職員は乗っていましたが、前後の行動から見ても意思決定には関わっていません。
津軽海峡暴風域~~~♫
こらwwwwwwwwww
やめなさいwwwww
もう少し抑揚つけて話せないのか?
お経を聞いてるようだ…
ゆっくり実況の音声に抑揚そのものが無いですからね……
どちらかと言うとBGMを下げて欲しい。
年取ると聞き分けがつらいのよ。
それが「ゆっくり」