【朝鮮王朝解説編】哲宗(チョルジョン):朝鮮王朝25代王の治世を解説。江華島の平民から王になった男。철종

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  • Опубликовано: 6 янв 2025

Комментарии • 11

  • @ゆうこ-p3m8o
    @ゆうこ-p3m8o 2 года назад +5

    これ「風と雲と雨」のドラマ配信見れば
    朝鮮王朝末期の模様がよく分かったよ。

  • @tmiddleearth8134
    @tmiddleearth8134 2 года назад +3

    ① この時期を描いたドラマをtubeで見なおしています
    ② いま聞いた印象ですが 先祖からこの代まで運命の導きというか
    因果を感じます
    ③ 資治通鑑を読む ・・ やはり東洋の共有性の書物ですね

  • @tmiddleearth8134
    @tmiddleearth8134 2 года назад +3

    1982年のドラマ「風雲」というドラマをtubeで
    見ていたのですが
    この時代から日本介入まで描いています・・
    次回の日本接触まで 興味深く見たいと思います ・・

    • @fanamchannel
      @fanamchannel  2 года назад +1

      一度ユーチューブで見てみます。

    • @user-moguramomo
      @user-moguramomo 2 года назад

      早速飛んだら日本語でなかった💢

  • @DoDo.Shibal
    @DoDo.Shibal Год назад +7

    哲宗はそもそも王になれる人物ではなかった。粛宗の庶子である英祖の庶子である思悼世子の庶子である恩彦郡の庶子である全渓郡の庶子である。 つまり直系の先祖4代がすべて庶子出身だ。 その上、先王憲宗より行列が一段階高く、本来は宗法上王位に就くことができなかった。 しかし、当時王族そのものがほとんど氏が乾いて庶子と行列を問い詰めることができず、朝鮮初期だったとすれば一生宮殿の近くにも行ったことがあるかどうかの人に王位が与えられた。 そして、この哲宗さえまた息子がいないため、哲宗と血統上17親等にもなる高宗が継ぐことになる。
    正祖が早く亡くなり純祖が11歳で王に即位したが、1800年2月に世子に冊封され、6月に父である正祖が亡くなった。 その時、大王大妃だった貞純王后が収斂清浄を実施し、正祖の忠臣だっ金祖淳の娘と結婚することになる。 しかし、貞順王后が亡くなると、誰も金祖淳を防ぐことができず、60年間の安東金氏の勢道図政治を始め、國が幕張に突き進んだ。