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25歳の娘が病気で亡くなり、やっと4回目の月命日が過ぎました。毎日辛いです。娘の好きなお菓子を見るだけで涙が出ます。他の親子の姿を見るだけで涙が出ます。ただ、ただ涙が出ます。夜になると更に辛いです。泣いても泣いても涙が出ます。「もっと生きたい、死にたくない」娘のこの言葉を思い出すとたまらないです。もう一度娘に会って助けてあげられなかったことを謝りたいです。
涙、涙で見させていただきました。まだ一周忌も過ぎず毎日悲しんでいます。たった今笑っていたのに7時間後には霊安室にいるなんて信じられませんでした。亡くなった子の魂にとって何が一番つらいか・・というお話を聞き私が涙の中で生きているのを辛い気持ちで見ているのかなと。今なにも出来なくなった身にとって、それは酷だなと思いました。なんで泣いているの?・・と言っていた息子の顔を思い出し、亡くなってからも母を思う魂が楽になるように、少しづ頑張ろうと思いました。気づかせて下さり感謝いたします、有難うございました。
最愛の息子が23歳で事故で亡くなってもうすぐ8年になります。事故の後一人残った娘と同じ悲しみを抱えたもの同士として強い絆のもと暮らしてきました。今年の4月娘は生涯の伴侶を得てうちを出て行きました。私は子供達から自立する為に去年パソコンスクールに通い、今年の4月からはテニススクールに通っています。息子は中学から大学までテニスを続けていました。「今度逢ったら、一緒に、テニスしよ!!」悲しみを乗り越えようとは思いません。乗り越えられるものではなく、この胸の痛みは私は死ぬまで胸の奥に秘めて生きていきます。一人の時には泣くこともあります。でも、私は前を向いて視線を少し上に向けて胸を張って生きています。私の人生でこれ以上の苦しみは無い。もう怖いものなんか何にもないじゃないかと思います。負けてたまるかと思います!
私も2年前に25歳で急死した娘に会いたいです。あとを追うことも何度も考えました。一目元気な姿を見たいと寂しくなりますが、娘の分まで精一杯生きて行こうと思いました。
私は十年前に息子を元旦那の不注意で亡くしました。元旦那に任せた自分を後悔し、責任で潰れそうな毎日です。また、元旦那を許せずに離婚し、下の子と二人で生きています。ごめんね、ごめんね。ばかり思って、自分が生きてる意味がわからなくなります。下の子を育てるために責任だけで生きている自分に疲れて来ました。十年経った今、PTSDに苦しみ、通院中です。色んなことが一気に溢れだし、一人になると知らず知らず涙が出ています。1日1日、息子に逢える日に向かって生きています。下の子も大事な大事な息子なので、家でも外でも元気なふりすることがすごく疲れます。元気がないね?なんて言われるのも、元気出して!前を向いて!と言われるのも、下の子がいるでしょ!と言われるのも、もう良いのです。きっと、我が子を亡くした母親はもう誰にもどうにもできないと、私は思っています。下の子が自分の力で立派に生きていける日まで、自分を奮い立たせて生きる努力をしようと日々思っています。
逆縁享年7歳で、亡くなった長男の葬儀のときに知った言葉です。そして、私も1年は納骨できませんでした。誰もが、言うんです。亡くなった子どもさんは、お母さんの幸せを願ってるって。自分を責めちゃいけないって。でも、無理。私は、責める自分を許します。先日、乳がんの告知を受けました。今、50才です。相談者さんの気持ちが伝わってきます。いくつになっても、色々、物忘れが出てきても、消えない記憶。命がなくなるときに、きっと、自分を許せるかなと、それでいいかなと思いながら、生きています。
それだけ子どもを愛してくださるお母さんに子どももきっと感謝してると思いました。ありがとうございます。
愛別離苦 ほど この世 で 苦しい 事 は ないか と 思いますズタズタ に 身 も心 も なり かならず 後悔 に 苦しめられ 苛まれ 生きてる 心地 がしない命 の 重さ 存在 に 圧倒されますそして 命 の 儚さ あっけなさ寿命 の 不確かさ 理不尽さ自分 の 力 では どうしょもない 虚しさ例え 僅かな 間でも 縁 があり 発狂してしまうような 別離 が あっても 愛 縁 が あった ことに 感謝私 は 必ず 愛別離苦 で 離された 愛する人達 とは やがては 合流できる と 信じてます その時 の 為に 今 生かされている 間 は 一生懸命 彼等 の 分まで 生きよう と 思ってます愛 命 は 深い感謝道子 ロンドン
ただ、ただ涙が出てきました私は中学2年の時に母が亡くなりましたあの時、私が助けたれたらって何度思ったことかこの方がいつの日か心安らぐ日が来ますように
私も昨年、オリンピックの延期発表の少し前に22歳の息子を亡くしました。幼くは無いですが、若気の至りの走り屋で、夜中に山の崖から車で転落死しました。危ない遊びを散々注意してきましたが、突然最悪の結果が現実となりました。母子家庭なので警備から遺体が無言の帰宅をしてからは、泣き叫んで憔悴する間も無く、続々来られる来客や葬儀、各種手続きに追われました。現実を受け入れらずに泣けないまま、時間や空間、心と体などが噛み合わない状態で今日を迎えております。まだまだ遊びに行っているだけ、と思っていたいのか、もう息子がいないと気が付きそうになると、どこかおかしくなって来る感覚に襲われます。現在大学生の次男が居るので廃人にならずに済んだと思います。すいません、和尚さんのお話が一朝一夕には響くところまで行けないかもしれませんが、今後も何度も拝見して現実を見られるようになりたいと思います。
幼い娘が4年前に他界しております。計り知れないお気持ちでの相談だったとお察し致します。和尚様のお話を共有させて頂けた事に感謝いたします。お互いの娘といつか笑顔で再会できる心持ちで今を過ごせたら良いですね。
4年前に、10歳の息子を事故で亡くしました。葬儀のときの浄土真宗のお坊さんの言葉が忘れられません。息子さんは死をもって、生きることの大切さを教えてくれたんですよ、と。
@@そらるまふまふ そうですね。ありがとうございます😊
自殺を考えたこともありましたが、1日でも長く生きようと思います。
私は23年前に生後4か月の娘を亡くしました。生活のために生後2か月で保育園に預け、仕事に行っていました。保育園でうつぶせに寝ていて呼吸が止まったと職場に連絡がありました。乳幼児突然死症候群という死亡診断でしたが、病院に運ばれて呼吸が回復してから3日間、頑張ってくれました。納骨はいまだにできていません。娘の着ていたもの、おもちゃもまだ捨てられずにあります。娘が亡くなって翌年、夫とは離婚しました。お互いに娘の死を受け入れられず、責めあうことに耐えられなくなったからです。大愚和尚さまのおっしゃる通り、私のしていることは娘の魂を苦しめているのですよね。それはとても理解しました。でもやっぱり、悲しみは消えません。後悔は消えません。うつぶせ寝にさせた保育園への怒りは消えません。そして何より、そんな保育園に預けた自分が一番許せません。先月母が亡くなりました。母の納骨と一緒に娘を納骨することにします。母と一緒なら、娘も寂しくないだろうと思うので。でも納骨することを考えると涙が止まりません。一日も早く娘のところへ行きたいと思いますが、自ら命を断てば、娘のいるところには行けなくなるので、それだけは踏みとどまっています。ただ、それだけです。
私も大切な娘を亡くしました、私のせいでなくなったのではないかと自分を責めて責めて今でも辛くてたまりません、でもその時その時の考えで一番ベストを選んできましたそして精一杯その時はやりましたそのことが一番いいと思ってやってきたのですから自分を責めることをやめようと、娘は私の心の中私の体のなかにいますので私が苦しめばこの子も苦しむ私が笑えばこの子も安心するといつも思いながら生きています、そしてこの子のことを思って供養してやるのは私しかいませんだから頑張って生きていこうと思っています,私は主人が慰めてくれていますのですくわれます、あなた離婚は正解でしたね!最低の夫ですね、私ももう地獄を見ましたのでこれ以上怖いものは何もありません、だから強く生きていこうと、負けるもんか!といつも言いながら生きています、こんなことに負けるもんかといつも口にだしなから頑張っています、一生懸命、家で暇があれば筋トレストレッチをして体を動かしています、運動してると辛いことを忘れます、最初は睡眠薬などに頼っていましたが最近はそれもありません、負けるもんかこんなことにと言いながら頑張りましょう
先日、父が病気で亡くなりました。葬儀中や火葬場で様々な思い出がよみがえり涙が自然と出てきました。その時、父が「自分の事はもういいから人生を前に進めろ。あと母さんを頼む」と言っている気がしました。亡くなった父であればこう考えていただろうという私の想いだけかもしれませんがすっと悲しみが消えて、父を忘れずこれからも強く明るく生きなければいけない。それが亡くなった家族に対する一番の供養ではないかと思いました。亡くなられた娘さんもきっとお母さんには長生きして欲しいと思っているはずです。病が快方に向かわれる事を願っています。
涙が出て止まりませんでした。私は60歳ですが、20歳の時に男の子を亡くしており、40年間見られなかった子供の成長をずっと追ってきました。みつこさんと同じように、子の死のきっかけの当時の親を責めてきました。お医者さんを責めてきました。歳を重ねると共に、人のせいにしても仕方ない、何もできなかった自分が悪いと自分を責めるしかないと思ってきました、医療に出会う度にもっと何かできたのではないかと考えてしまい、死ぬまで苦しむのは当然と思ってきました。我が子は産まれてすぐだったので母親の私を守ることはないままでしたが、君の魂は、君のせいで私が苦しんでいるのを望んではいないのですね。君の寿命だったのですね。私が苦しんでいるのは君の冥福ではないのですね。あまりに早く亡くなり、10年後娘を授かったものの離婚したので、親として悲しみを共有する人が居なくて、悲しみの持って行き場がないままでした。つい最近、結婚話が進んでいる娘に、この機会に話そうとしましたが、出来ませんでした。今日、大愚和尚様のこのお話に出会い、逆縁という言葉を初めて知りました。君の冥福を願うなら悲しみは無くならなくとも、君の立場になって君の魂に正面から向きあいたいと思います。苦しみから自分を解放したいと思います。君が私の元に産まれてくれたこと、確かに生きていたこと、改めて抱きしめたい。どうか君の魂が安らかでありますように。大愚和尚様、ありがとうございました。
早速のハートをありがとうございます。入院されているみつこさんへ、感謝と共感の言葉だけでも届けば嬉しいと思い、また長文失礼します。みつこさんが、私ができなかった質問をしていただいたお陰で、私は心が軽くなりました。本当にありがとうございました。大変な治療でしょうが、ご自分のお体を心で痛めないよう、治療に専念されること、応援させてください。コロナ渦で入院生活は一層大変だろうと思います。比べて申し訳ないですが、盆前に消化器科に緊急入院しコロナのせいで監禁状態で大変でした。でも盆には退院して、例年通りお仏壇でのお迎えもお墓参りもできたとき、こういった供養の行ができる事がこんなに有難いとは!つくづく感じ入りました。みつこさんに押しつけるつもりはないので気楽に流してお読みくださいませ。その入院よりずっと前、あの時憎いと思った母、でも大好きだった母が急逝し、自分が体調不調でままならなかった時期に、お坊さんから供養はどこでも構わないと教わりまして、部屋で毎朝水を供えるだけの供養をしていたことがあります、40年前のあの子も想いながら。その毎朝の心持ちが今も起きた時の習慣になっている気がします。余計な事書きました、すみません。因みに父は長年ガンですが、90歳で普通に暮らしております。有難いことです。どうか大愚和尚様のお言葉で、みつこさんの心も楽になりますよう、そして、ご病気が回復されますよう、陰ながら祈らせて頂きます。
深くて悲しい本当に地獄のようなお話しでした、どうかいまくるしまれているごいぞくのかたがこのおはなしをきいてすこしでもすくわれますように、
理不尽な亡くなられたお子さんの親御さんの苦しさ、いかばかりかと思います。お祈りするしかないです。無力ですが。確かに、子供さんの魂は、親を見守っているんですね。幸せになってほしい
大愚和尚様、ありがとうございます。質問者様、私も同じ気持ちです。苦しみが少しでも緩和される事を願ってます。
ここ最近向き合わなきゃいけない問題で悩んでいて心が疲弊しているのもあるんでしょうけどもっともっと生きたかったであろう6歳の子のお話を聞かせて頂いてただただ涙が溢れてきました。「生きている」のではなく「生かされている」んですよね。
命は重みあるもの✨自分だけの命でもない。先は闇。今生かされていることに『感謝💐』💫✨💫産んでくれてありがとう🥰産まれてきてくれてありがとう🥰ご相談者さまの心身共の快方を心より願います✨
今年、逆縁を経験したものです。心の病気から後遺症10年間程の病院生活をサポートしてきました。ある程度は覚悟する時間がありましたがやはり母親として未熟であった自分を責めてしまいます。今回のお話しをお伺いして沢山涙が出て少しスッキリとしました。とくにコロナ禍においてのお子さん達の心の負担は相当だと思います。いつかはそのような心の支えになる活動が私が唯一出来ることかと。和尚さん、今回は逆縁を取り上げて頂きありがとうございます。
泪 泪 ただただ泪が溢れます。感謝
逆縁相談者様の長年のとても苦しい心の内がひしひしと伝わってきました。残念ながら私が経験した事ではないので、どのような苦しみなのか実際にはわからないのかもしれません。子供が幼い時には、母と子は一心同体というほどの繋がりがあります。子供が成長していくの伴って子供の方から自然に離れて行きますけど、母親が子供を想う様に子供も母親を想っています。相談者様がお辛い気持ちのままだと、亡くなられた子供さんもお辛くなるのではないかと思います。色々な後悔もあり、何十年も苦しまれて来られたので、そう簡単には思えないかもそれませんが、和尚様も仰っておられた様にそのお子さんの寿命だったんだと。今、お身体もお辛い状態だと思いますが、これからは少しでも心安らかにお過ごしくださいます様にお祈りいたします。
5歳の息子を持つ父ですが、めちゃくちゃ泣きました。自分が仕事で疲れて帰って来てもお構いなく遊ぼうと言って、週に一度の休日も実際には休めません。でも我が子は大好きです。この話を聞いてこの子がもし…と想像すると号泣してました。子供は親を喜ばせる為に産まれてきたという話も聞いたことがあり、このお話もそれに通じる所があるかなと。
私は今年の5月に死産しました。息子は6ヶ月でもぅおちんちんも爪も全て完璧に出来上がってちゃんとした赤ちゃんでした。もの凄く悲しかったです。2歳とか歩いて喋る様になって1番可愛い時に子供を失くすって物凄く辛いですね
Rieさんのお気持ちを想像して、とても心が痛み、目がウルウルになりました。私は去年(2022年)5月に化学流産を経験した者です。妊娠判定後わずか数日での事だったので、亡くなった赤ちゃんを外へ掻き出す処置は受けずに済みましたが、不妊治療の末にやっと授かった命が、いとも簡単に消えてしまった絶望感と言ったら…😔三日三晩、奈落の底へ引きずり込まれた廃人のような気分で、精神的におかしくなりそうでした。四日目の朝から、半ば無理やりでしたが、気持ちを切り替えて、前へ進み始めると、友人知人から『顔つきと雰囲気が穏やかになったね。』と言われることが増えていきました。この子は、私を成長させるための講師として、数日間だけここへやって来て、役目を終えてあの世へ帰って行ったのかもしれない。そう考えられるようになりました。これからもその感謝を忘れないために、自宅の仏壇の過去帳に祀って供養しています。まだ可能性のあるうちは妊活は続けようとも思っています。私でもこんなに辛かったのですから、Rieさんのお気持ちは本当に計り知れません。息子さんが1日も早く転生されることを、Rieさんが元気を取り戻されることを、私も微力ながら祈願させて頂きます🙏
@@karatounokawaiimonosuki ありがとうございます毎日毎日、瞑想して 待遇和尚さんのお話を聞いて無理やり仕事に行ってサーフィンや筋トレを続け 死産した赤ちゃんの写真と遺灰をテレビの下に飾ってます 五体満足健康に産まれて来る事の方が奇跡だと気づかせてくれたベイビーに感謝しています死産したのが5/6 なんですが 2022年の5/16に男の子を出産しました♬不思議な事に死産した赤ちゃんの写真を息子👶はよくジーっと見つめてます流産して一年以内は👶出来やすいって聞きましたよ♬頑張って下さいね❤️
生命は与えの中に有り受け入れ難しと云う執着や未練が浄化されますように幼き弟達を亡くした者からの伝言です。
自分を、他人を 責める気持ち、許せないと思う気持ちを 手放したいと思います。その思いの正体が何であるのか見極めねばなりません。
後に生きる人の幸せを心から、亡くなった方は願っているんですね。悲しみにとらわれるのも、執着なのかもしれません。悲しみは亡くなりませんが、明るい方にいくことが、生き残った人間の義務なんでしょうね、今日も、ありがとうございます。
なくなった方のご冥福を、お祈り致します。とともに、みつこさん、の回復をお祈りさせて頂きます
よく、ここまで生き延びたな、、、僕は死にかけたのは一度ぐらいです。川崎病でしたが、薬をガンガン打って発症せずに助かりました。でも、昔だったら死んでた。生き延びて成長するのは難しいことなんですね。
子どもが旅立ってから、1年半になります。生まれつきの病気でした。事情があって、元夫と継母に看取られました。葬儀、遺骨、お墓…どれも不明です。でも、きっと私のそばにいてくれる…近すぎて、一体化していて感じないくらいかもしれないよ、と言ってくれる人もいます。魂のレベルで繋がっていると信じたいです。でも、やっぱりどうしても会いたくて、死にたくなります…またいつかきっと会えますように…
和尚様は何と読めば良いのか。すみません。いつも見させて頂いております。
仏回✨
娘が亡くなったことを受容できる日が来るのか、、、分かりません。
私もです・・・
🙏🙏🙏
ごめんなさい🙇♀️言葉が出てこないです🙏🙏🙏🙏🙏
25歳の娘が病気で亡くなり、やっと4回目の月命日が過ぎました。毎日辛いです。娘の好きなお菓子を見るだけで涙が出ます。他の親子の姿を見るだけで涙が出ます。ただ、ただ涙が出ます。夜になると更に辛いです。泣いても泣いても涙が出ます。
「もっと生きたい、死にたくない」娘のこの言葉を思い出すとたまらないです。もう一度娘に会って助けてあげられなかったことを謝りたいです。
涙、涙で見させていただきました。
まだ一周忌も過ぎず毎日悲しんでいます。たった今笑っていたのに7時間後には霊安室にいるなんて信じられませんでした。
亡くなった子の魂にとって何が一番つらいか・・というお話を聞き私が涙の中で生きているのを辛い気持ちで見ているのかなと。
今なにも出来なくなった身にとって、それは酷だなと思いました。なんで泣いているの?・・と言っていた息子の顔を思い出し、亡くなってからも母を思う魂が楽になるように、少しづ頑張ろうと思いました。気づかせて下さり感謝いたします、有難うございました。
最愛の息子が23歳で事故で亡くなってもうすぐ8年になります。事故の後一人残った娘と同じ悲しみを抱えたもの同士として強い絆のもと暮らしてきました。今年の4月娘は生涯の伴侶を得てうちを出て行きました。
私は子供達から自立する為に去年パソコンスクールに通い、今年の4月からはテニススクールに通っています。息子は中学から大学までテニスを続けていました。
「今度逢ったら、一緒に、テニスしよ!!」
悲しみを乗り越えようとは思いません。乗り越えられるものではなく、この胸の痛みは私は死ぬまで胸の奥に秘めて生きていきます。一人の時には泣くこともあります。
でも、私は前を向いて視線を少し上に向けて胸を張って生きています。私の人生でこれ以上の苦しみは無い。もう怖いものなんか何にもないじゃないかと思います。負けてたまるかと思います!
私も2年前に25歳で急死した娘に会いたいです。あとを追うことも何度も考えました。一目元気な姿を見たいと寂しくなりますが、娘の分まで精一杯生きて行こうと思いました。
私は十年前に息子を元旦那の不注意で亡くしました。元旦那に任せた自分を後悔し、責任で潰れそうな毎日です。また、元旦那を許せずに離婚し、下の子と二人で生きています。
ごめんね、ごめんね。ばかり思って、自分が生きてる意味がわからなくなります。下の子を育てるために責任だけで生きている自分に疲れて来ました。十年経った今、PTSDに苦しみ、通院中です。色んなことが一気に溢れだし、一人になると知らず知らず涙が出ています。1日1日、息子に逢える日に向かって生きています。下の子も大事な大事な息子なので、家でも外でも元気なふりすることがすごく疲れます。
元気がないね?なんて言われるのも、元気出して!前を向いて!と言われるのも、下の子がいるでしょ!と言われるのも、もう良いのです。きっと、我が子を亡くした母親はもう誰にもどうにもできないと、私は思っています。下の子が自分の力で立派に生きていける日まで、自分を奮い立たせて生きる努力をしようと日々思っています。
逆縁
享年7歳で、亡くなった長男の葬儀のときに知った言葉です。
そして、私も1年は納骨できませんでした。
誰もが、言うんです。
亡くなった子どもさんは、お母さんの幸せを願ってるって。自分を責めちゃいけないって。
でも、無理。
私は、責める自分を許します。
先日、乳がんの告知を受けました。
今、50才です。
相談者さんの気持ちが伝わってきます。
いくつになっても、色々、物忘れが出てきても、消えない記憶。
命がなくなるときに、きっと、自分を許せるかなと、それでいいかなと思いながら、生きています。
それだけ子どもを愛してくださるお母さんに子どももきっと感謝してると思いました。ありがとうございます。
愛別離苦 ほど この世 で 苦しい 事 は ないか と 思います
ズタズタ に 身 も心 も なり かならず 後悔 に 苦しめられ 苛まれ 生きてる 心地 がしない
命 の 重さ 存在 に 圧倒されます
そして 命 の 儚さ あっけなさ
寿命 の 不確かさ 理不尽さ
自分 の 力 では どうしょもない 虚しさ
例え 僅かな 間でも 縁 があり 発狂してしまうような 別離 が あっても 愛 縁 が あった ことに 感謝
私 は 必ず 愛別離苦 で 離された 愛する人達 とは やがては 合流できる と 信じてます その時 の 為に 今 生かされている 間 は 一生懸命 彼等 の 分まで 生きよう と 思ってます
愛 命 は 深い
感謝
道子 ロンドン
ただ、ただ涙が出てきました
私は中学2年の時に母が亡くなりました
あの時、私が助けたれたらって何度思ったことか
この方がいつの日か心安らぐ日が来ますように
私も昨年、オリンピックの延期発表の少し前に22歳の息子を亡くしました。
幼くは無いですが、若気の至りの走り屋で、夜中に山の崖から車で転落死しました。
危ない遊びを散々注意してきましたが、突然最悪の結果が現実となりました。
母子家庭なので警備から遺体が無言の帰宅をしてからは、泣き叫んで憔悴する間も無く、続々来られる来客や葬儀、各種手続きに追われました。
現実を受け入れらずに泣けないまま、時間や空間、心と体などが噛み合わない状態で今日を迎えております。
まだまだ遊びに行っているだけ、と思っていたいのか、もう息子がいないと気が付きそうになると、どこかおかしくなって来る感覚に襲われます。
現在大学生の次男が居るので廃人にならずに済んだと思います。
すいません、和尚さんのお話が一朝一夕には響くところまで行けないかもしれませんが、今後も何度も拝見して現実を見られるようになりたいと思います。
幼い娘が4年前に他界しております。計り知れないお気持ちでの相談だったとお察し致します。和尚様のお話を共有させて頂けた事に感謝いたします。お互いの娘といつか笑顔で再会できる心持ちで今を過ごせたら良いですね。
4年前に、10歳の息子を事故で亡くしました。葬儀のときの浄土真宗のお坊さんの言葉が忘れられません。息子さんは死をもって、生きることの大切さを教えてくれたんですよ、と。
@@そらるまふまふ そうですね。ありがとうございます😊
自殺を考えたこともありましたが、1日でも長く生きようと思います。
私は23年前に生後4か月の娘を亡くしました。生活のために生後2か月で保育園に預け、仕事に行っていました。保育園でうつぶせに寝ていて呼吸が止まったと職場に連絡がありました。乳幼児突然死症候群という死亡診断でしたが、病院に運ばれて呼吸が回復してから3日間、頑張ってくれました。
納骨はいまだにできていません。娘の着ていたもの、おもちゃもまだ捨てられずにあります。
娘が亡くなって翌年、夫とは離婚しました。お互いに娘の死を受け入れられず、責めあうことに耐えられなくなったからです。
大愚和尚さまのおっしゃる通り、私のしていることは娘の魂を苦しめているのですよね。それはとても理解しました。でもやっぱり、悲しみは消えません。後悔は消えません。うつぶせ寝にさせた保育園への怒りは消えません。そして何より、そんな保育園に預けた自分が一番許せません。
先月母が亡くなりました。母の納骨と一緒に娘を納骨することにします。
母と一緒なら、娘も寂しくないだろうと思うので。でも納骨することを考えると涙が止まりません。
一日も早く娘のところへ行きたいと思いますが、自ら命を断てば、娘のいるところには行けなくなるので、それだけは踏みとどまっています。
ただ、それだけです。
私も大切な娘を亡くしました、私のせいでなくなったのではないかと自分を責めて責めて今でも辛くてたまりません、でもその時その時の考えで一番ベストを選んできましたそして精一杯その時はやりましたそのことが一番いいと思ってやってきたのですから自分を責めることをやめようと、娘は私の心の中私の体のなかにいますので私が苦しめばこの子も苦しむ私が笑えばこの子も安心するといつも思いながら生きています、そしてこの子のことを思って供養してやるのは私しかいませんだから頑張って生きていこうと思っています,私は主人が慰めてくれていますのですくわれます、あなた離婚は正解でしたね!最低の夫ですね、私ももう地獄を見ましたのでこれ以上怖いものは何もありません、だから強く生きていこうと、負けるもんか!といつも言いながら生きています、こんなことに負けるもんかといつも口にだしなから頑張っています、一生懸命、家で暇があれば筋トレストレッチをして体を動かしています、運動してると辛いことを忘れます、最初は睡眠薬などに頼っていましたが最近はそれもありません、負けるもんかこんなことにと言いながら頑張りましょう
先日、父が病気で亡くなりました。葬儀中や火葬場で様々な思い出がよみがえり涙が自然と出てきました。その時、父が「自分の事はもういいから人生を前に進めろ。あと母さんを頼む」と言っている気がしました。亡くなった父であればこう考えていただろうという私の想いだけかもしれませんがすっと悲しみが消えて、父を忘れずこれからも強く明るく生きなければいけない。それが亡くなった家族に対する一番の供養ではないかと思いました。
亡くなられた娘さんもきっとお母さんには長生きして欲しいと思っているはずです。病が快方に向かわれる事を願っています。
涙が出て止まりませんでした。私は60歳ですが、20歳の時に男の子を亡くしており、40年間見られなかった子供の成長をずっと追ってきました。みつこさんと同じように、子の死のきっかけの当時の親を責めてきました。お医者さんを責めてきました。歳を重ねると共に、人のせいにしても仕方ない、何もできなかった自分が悪いと自分を責めるしかないと思ってきました、医療に出会う度にもっと何かできたのではないかと考えてしまい、死ぬまで苦しむのは当然と思ってきました。
我が子は産まれてすぐだったので母親の私を守ることはないままでしたが、君の魂は、君のせいで私が苦しんでいるのを望んではいないのですね。君の寿命だったのですね。私が苦しんでいるのは君の冥福ではないのですね。
あまりに早く亡くなり、10年後娘を授かったものの離婚したので、親として悲しみを共有する人が居なくて、悲しみの持って行き場がないままでした。つい最近、結婚話が進んでいる娘に、この機会に話そうとしましたが、出来ませんでした。
今日、大愚和尚様のこのお話に出会い、逆縁という言葉を初めて知りました。君の冥福を願うなら悲しみは無くならなくとも、君の立場になって君の魂に正面から向きあいたいと思います。苦しみから自分を解放したいと思います。君が私の元に産まれてくれたこと、確かに生きていたこと、改めて抱きしめたい。どうか君の魂が安らかでありますように。
大愚和尚様、ありがとうございました。
早速のハートをありがとうございます。
入院されているみつこさんへ、感謝と共感の言葉だけでも届けば嬉しいと思い、また長文失礼します。
みつこさんが、私ができなかった質問をしていただいたお陰で、私は心が軽くなりました。本当にありがとうございました。
大変な治療でしょうが、ご自分のお体を心で痛めないよう、治療に専念されること、応援させてください。コロナ渦で入院生活は一層大変だろうと思います。比べて申し訳ないですが、盆前に消化器科に緊急入院しコロナのせいで監禁状態で大変でした。でも盆には退院して、例年通りお仏壇でのお迎えもお墓参りもできたとき、こういった供養の行ができる事がこんなに有難いとは!つくづく感じ入りました。
みつこさんに押しつけるつもりはないので気楽に流してお読みくださいませ。その入院よりずっと前、あの時憎いと思った母、でも大好きだった母が急逝し、自分が体調不調でままならなかった時期に、お坊さんから供養はどこでも構わないと教わりまして、部屋で毎朝水を供えるだけの供養をしていたことがあります、40年前のあの子も想いながら。その毎朝の心持ちが今も起きた時の習慣になっている気がします。余計な事書きました、すみません。因みに父は長年ガンですが、90歳で普通に暮らしております。有難いことです。
どうか大愚和尚様のお言葉で、みつこさんの心も楽になりますよう、そして、ご病気が回復されますよう、陰ながら祈らせて頂きます。
深くて悲しい本当に地獄のようなお話しでした、どうかいまくるしまれているごいぞくのかたがこのおはなしをきいてすこしでもすくわれますように、
理不尽な亡くなられたお子さんの親御さんの苦しさ、いかばかりかと思います。お祈りするしかないです。無力ですが。
確かに、子供さんの魂は、親を見守っているんですね。幸せになってほしい
大愚和尚様、ありがとうございます。
質問者様、私も同じ気持ちです。苦しみが少しでも緩和される事を願ってます。
ここ最近
向き合わなきゃいけない問題で悩んでいて
心が疲弊しているのもあるんでしょうけど
もっともっと生きたかったであろう
6歳の子のお話を聞かせて頂いて
ただただ涙が溢れてきました。
「生きている」のではなく
「生かされている」んですよね。
命は重みあるもの✨
自分だけの命でもない。
先は闇。
今生かされていることに
『感謝💐』💫✨💫
産んでくれてありがとう🥰
産まれてきてくれてありがとう🥰
ご相談者さまの心身共の快方を
心より願います✨
今年、逆縁を経験したものです。
心の病気から後遺症10年間程の病院生活を
サポートしてきました。ある程度は覚悟する時間がありましたが
やはり母親として未熟であった自分を責めてしまいます。
今回のお話しをお伺いして沢山涙が出て
少しスッキリとしました。
とくにコロナ禍においてのお子さん達の
心の負担は相当だと思います。
いつかはそのような心の支えになる活動が
私が唯一出来ることかと。
和尚さん、今回は逆縁を取り上げて頂きありがとうございます。
泪 泪 ただただ泪が溢れます。感謝
逆縁
相談者様の長年のとても苦しい心の内がひしひしと伝わってきました。
残念ながら私が経験した事ではないので、どのような苦しみなのか実際にはわからないのかもしれません。
子供が幼い時には、母と子は一心同体というほどの繋がりがあります。子供が成長していくの伴って子供の方から自然に離れて行きますけど、母親が子供を想う様に子供も母親を想っています。
相談者様がお辛い気持ちのままだと、亡くなられた子供さんもお辛くなるのではないかと思います。
色々な後悔もあり、何十年も苦しまれて来られたので、そう簡単には思えないかもそれませんが、和尚様も仰っておられた様にそのお子さんの寿命だったんだと。
今、お身体もお辛い状態だと思いますが、これからは少しでも心安らかにお過ごしくださいます様にお祈りいたします。
5歳の息子を持つ父ですが、めちゃくちゃ泣きました。自分が仕事で疲れて帰って来てもお構いなく遊ぼうと言って、週に一度の休日も実際には休めません。でも我が子は大好きです。この話を聞いてこの子がもし…と想像すると号泣してました。子供は親を喜ばせる為に産まれてきたという話も聞いたことがあり、このお話もそれに通じる所があるかなと。
私は今年の5月に死産しました。
息子は6ヶ月でもぅおちんちんも爪も全て完璧に出来上がってちゃんとした赤ちゃんでした。もの凄く悲しかったです。2歳とか歩いて喋る様になって1番可愛い時に子供を失くすって物凄く辛いですね
Rieさんのお気持ちを想像して、とても心が痛み、目がウルウルになりました。
私は去年(2022年)5月に化学流産を経験した者です。
妊娠判定後わずか数日での事だったので、亡くなった赤ちゃんを外へ掻き出す処置は受けずに済みましたが、不妊治療の末にやっと授かった命が、いとも簡単に消えてしまった絶望感と言ったら…😔
三日三晩、奈落の底へ引きずり込まれた廃人のような気分で、精神的におかしくなりそうでした。
四日目の朝から、半ば無理やりでしたが、気持ちを切り替えて、前へ進み始めると、友人知人から『顔つきと雰囲気が穏やかになったね。』と言われることが増えていきました。
この子は、私を成長させるための講師として、数日間だけここへやって来て、役目を終えてあの世へ帰って行ったのかもしれない。
そう考えられるようになりました。
これからもその感謝を忘れないために、自宅の仏壇の過去帳に祀って供養しています。
まだ可能性のあるうちは妊活は続けようとも思っています。
私でもこんなに辛かったのですから、Rieさんのお気持ちは本当に計り知れません。
息子さんが1日も早く転生されることを、Rieさんが元気を取り戻されることを、私も微力ながら祈願させて頂きます🙏
@@karatounokawaiimonosuki ありがとうございます
毎日毎日、瞑想して 待遇和尚さんのお話を聞いて無理やり仕事に行ってサーフィンや筋トレを続け 死産した赤ちゃんの写真と遺灰をテレビの下に飾ってます 五体満足健康に産まれて来る事の方が奇跡だと気づかせてくれたベイビーに感謝しています
死産したのが5/6 なんですが 2022年の5/16に男の子を出産しました♬
不思議な事に死産した赤ちゃんの写真を息子👶はよくジーっと見つめてます
流産して一年以内は👶出来やすいって聞きましたよ♬頑張って下さいね❤️
生命は与えの中に有り
受け入れ難しと云う
執着や未練が浄化されますように
幼き弟達を亡くした者からの伝言です。
自分を、他人を 責める気持ち、許せないと思う気持ちを 手放したいと思います。その思いの正体が何であるのか見極めねばなりません。
後に生きる人の幸せを心から、亡くなった方は願っているんですね。悲しみにとらわれるのも、執着なのかもしれません。
悲しみは亡くなりませんが、明るい方にいくことが、生き残った人間の義務なんでしょうね、今日も、ありがとうございます。
なくなった方のご冥福を、お祈り致します。
とともに、みつこさん、の回復をお祈りさせて頂きます
よく、ここまで生き延びたな、、、
僕は死にかけたのは一度ぐらいです。川崎病でしたが、薬をガンガン打って発症せずに助かりました。
でも、昔だったら死んでた。生き延びて成長するのは難しいことなんですね。
子どもが旅立ってから、1年半になります。生まれつきの病気でした。
事情があって、元夫と継母に看取られました。
葬儀、遺骨、お墓…どれも不明です。
でも、きっと私のそばにいてくれる…近すぎて、一体化していて感じないくらいかもしれないよ、と言ってくれる人もいます。魂のレベルで繋がっていると信じたいです。
でも、やっぱりどうしても会いたくて、死にたくなります…またいつかきっと会えますように…
和尚様は何と読めば良いのか。
すみません。いつも見させて頂いております。
仏回✨
娘が亡くなったことを
受容できる日が来るのか、、、
分かりません。
私もです・・・
🙏🙏🙏
ごめんなさい🙇♀️
言葉が出てこないです🙏🙏🙏🙏🙏