2015中心市街地探訪023・・東京都青梅市

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  • Опубликовано: 1 окт 2024
  • 東京都心から西へ約50kmに位置する青梅市は、面積103.26㎢、人口136,988人(2015.2.1)。江戸時代には、石灰、織物などの産業が栄え、多摩川の水運や「青梅街道」の整備によって発展し、昭和26年(1951年)に市制を施行した。
    静岡県からのアクセスは、東海道新幹線で東京まで行き、中央線から青梅線の直通列車に乗り換え、または「立川」で中央線から青梅線に乗り換えるかの方法で、東京から青梅まで約1時間20分。中心市街地は、JR青梅駅、東青梅駅、河辺駅周辺の3箇所を核とした「旧青梅街道」と「奥多摩街道」周辺のエリア。青梅駅周辺は、宿場町の風情と昭和レトロの街。東青梅は行政の中心地。河辺駅周辺は大型商業施設の集積地という青梅には、それぞれ異なった三つの顔があり、静岡県内に例えると、東海道沿いには旧市街、駅周辺には大型施設が立地する新旧混在する藤枝市のような街だった。
    【青梅駅】
    青梅線が乗り入れ、1時間当たり、東京、立川方面の上り列車が日中5本、奥多摩方面の下り列車が2本設定されている。1日当たりの乗車人員(2013年度)は7,096人。昭和レトロの街並みとして知られる青梅の映画看板が、ホーム下の通路にも飾ってある。駅前のロータリーは、タクシー乗り場のほか、都営バスと西東京バスが乗り入れている。
    【旧長崎屋青梅店】
    店舗面積3,965㎡の長崎屋青梅店は、1972年から営業していたが2002年に閉店。その後も、オープン当初からこの同じビルで営業していたスーパーマーケットの「マルフジ」も2015年1月に閉店し、現在に至っている。
    【映画看板の街並み】
    映画看板の街並みとなったのは、青梅出身の映画看板師の存在がきっかけだった。東京で一番になることが夢だった久保板観(ばんかん)さんは、16歳で看板屋に弟子入りした。最盛期には三つあった映画館の看板を、一手に引き受けていたが1973年に青梅最後の映画館が閉館したため、商業看板の仕事へ転職してしまった。それから約20年後の1994年、青梅の町興しのイベントで映画看板を描いたのがきっかけで、再び久保さんのもとへ映画看板師としての仕事が来るようになり、中心市街地のいたるところでも久保さんが描いた映画看板を楽しむことができるようになった。
    【昭和レトロ商品博物館】1999年オープン
    昭和の懐かしいお菓子やジュースなどのパッケージなどが展示されている博物館。
    【赤塚不二夫会館】2003年オープン
    天才バカボンで有名な赤塚不二夫作の絵や写真が展示されている。
    【昭和幻灯館】
    昭和レトロ商品博物館の別館。
    【東青梅駅】
    青梅線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員(2013年度)は6,873人。周辺には、青梅市役所と青梅マラソンのスタート地点がある。
    【河辺駅】
    青梅線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員(2013年度)は13,605人で市内最大の利用者数を誇る。線路を挟んだ北と南は「南北自由通路」で行き来ができ、北口は、ペデストリアンデッキとなっていて「河辺タウンビル」と直結している。
    【河辺タウンビルA】
    地上8階建て、1階にフードコート、2階に核店舗となる「東急ストア」、3階と4階には、書店や100円ショップなどが入り、5階から8階が立体駐車場となっている。
    【河辺タウンビルB】
    地上6階建て、1階にファストフードや携帯ショップ、2階から4階には「青梅中央図書館」、5階と6階には温浴施設「河辺温泉梅の湯」が入っている。
    【西友河辺店】
    1980年にオープン、店舗面積9,673㎡。

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