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素晴しい動画、心から感動しました。本当にありがとうございました。私は興味の範囲でしか哲学に触れていないので、難しい言葉は理解しきれないことはありました。ですが、90分すぎからは最後まで楽しく理解しながら拝見することができました。最後の井庭教授のコメントで …哲学が届くのか… …哲学の凄み、強度…まさにこの点を理解、活用することによって、人はより強くたくましく、そして健やかに生きられそうと思えました。ありがとうございました。
動画とても勉強になりました。ありがとうございます。私は高齢者です。日本が好きで、日の丸が好きで、もっと言うと旭日旗が好きです。そして、竹田青嗣さんの大ファンです。尊敬しております。
竹田さんは天皇制反対の立場ですよ
@@nat33777 そうなのですか?ていだん
そうなのですか?鼎談本で、日本について、かなり韓国人離れした発言をしていたのでてっきり。感情は韓国寄り。論理は事実を見て、という姿勢でしたので。
@@禰刀一人 「天皇の戦争責任」(径書房)
@@nat33777 それです。韓国人をかなり諌めてた。
めちゃめちゃ面白いです!「《他者(達)》との間主観性が如何にして可能か」という西洋哲学の認識問題がパターンランゲージと深く共鳴していることが、よく分かりました。行為のパターン(センター)とは《本質》であり、間主観性によって伝達可能になるのだ、という風に理解しました。
は
哲学は話し合いを本質とするわけではなく、様々な意見を検討して結論を出すということだな。
独学により様々な分野に関心があるのでとても楽しく見させて頂きました。自分も他の方の論文の中から現象学の観念に出逢い腑に落ちました
デリダをdigっていたらここに来ました。フッサール❣️
人の気持ちや、何かを完全に適切に数値化できたら変わるのかもフッサールはコンピューターに可視光か非可視光で、コップを読み込ませたらどう思うの
最初から躓いてしまいます。「主観」と「客観」と、「認識」と「存在」は同じことを表していると仰っていますが、「主観」と「客観」はどちらも「認識」であって、「認識」と「存在」と同じではないはず。「主観」、「客観」という言葉を使うなら、(主観的認識と客観的認識)と(存在)になるはずです。つまり、「存在」を溶かして論じているのだなと思って聞いていると、いきなり「りんご」が出てきます。「りんご」は「存在」であって「認識」ではないはず。目の前の(存在)を(主観的に認識)し――例えば、この赤いものは何かな? などと――、それを(客観的に認識)する――ああ、りんごだ――。「認識」の一部である「感覚」――ここでは「りんご」を見ていることを扱っていますので――や、りんごという言葉を教えられてりんごという概念を知っていること――目の前の赤い「存在」をりんごだと判断していますので――や、多くのことを端折っていますが、こんなふうに考えるのが自然ではないでしょうか。素人の粗さはお許しください。 とともに、これは最初のりんごのイラストのところまでをちらと見ただけで躓き、述べたものにすぎません。その非礼もお許しください。
内省した結果取り出せる、確信成立の条件だよね。仮説にすぎないよね。
本質や意味は実証できないから仮説ではないよずっと更新される可能性を持つので
間違えました!すいません
哲学とは本質観取である、なんて難しい言葉を使うからみんな哲学が嫌になるのだよ。哲学とは本質を考える、または探究することである、でいいのだよ。
違います!難しいことが言葉を切り拓くのです!幼稚語では出来無い、幼児語とは全く違うコトバの縮減に顕わる質の重厚さ!躾!
サムネとタイトルからしてクソおもんなさそうで草
素晴しい動画、心から感動しました。
本当にありがとうございました。
私は興味の範囲でしか哲学に触れていないので、難しい言葉は理解しきれないことはありました。
ですが、90分すぎからは最後まで楽しく理解しながら拝見することができました。
最後の井庭教授のコメントで
…哲学が届くのか…
…哲学の凄み、強度…
まさにこの点を理解、活用することによって、人はより強くたくましく、そして健やかに生きられそうと思えました。
ありがとうございました。
動画とても勉強になりました。ありがとうございます。
私は高齢者です。
日本が好きで、日の丸が好きで、もっと言うと旭日旗が好きです。
そして、竹田青嗣さんの大ファンです。尊敬しております。
竹田さんは天皇制反対の立場ですよ
@@nat33777 そうなのですか?ていだん
そうなのですか?鼎談本で、日本について、かなり韓国人離れした発言をしていたのでてっきり。感情は韓国寄り。論理は事実を見て、という姿勢でしたので。
@@禰刀一人 「天皇の戦争責任」(径書房)
@@nat33777 それです。韓国人をかなり諌めてた。
めちゃめちゃ面白いです!
「《他者(達)》との間主観性が如何にして可能か」という西洋哲学の認識問題がパターンランゲージと深く共鳴していることが、よく分かりました。
行為のパターン(センター)とは《本質》であり、間主観性によって伝達可能になるのだ、という風に理解しました。
は
哲学は話し合いを本質とするわけではなく、様々な意見を検討して結論を出すということだな。
独学により様々な分野に関心があるのでとても楽しく見させて頂きました。自分も他の方の論文の中から現象学の観念に出逢い腑に落ちました
デリダをdigっていたらここに来ました。
フッサール❣️
人の気持ちや、何かを完全に適切に数値化できたら変わるのかも
フッサールはコンピューターに可視光か非可視光で、コップを読み込ませたらどう思うの
最初から躓いてしまいます。「主観」と「客観」と、「認識」と「存在」は同じことを表していると仰っていますが、「主観」と「客観」はどちらも「認識」であって、「認識」と「存在」と同じではないはず。「主観」、「客観」という言葉を使うなら、(主観的認識と客観的認識)と(存在)になるはずです。つまり、「存在」を溶かして論じているのだなと思って聞いていると、いきなり「りんご」が出てきます。「りんご」は「存在」であって「認識」ではないはず。目の前の(存在)を(主観的に認識)し――例えば、この赤いものは何かな? などと――、それを(客観的に認識)する――ああ、りんごだ――。
「認識」の一部である「感覚」――ここでは「りんご」を見ていることを扱っていますので――や、りんごという言葉を教えられてりんごという概念を知っていること――目の前の赤い「存在」をりんごだと判断していますので――や、多くのことを端折っていますが、こんなふうに考えるのが自然ではないでしょうか。素人の粗さはお許しください。
とともに、これは最初のりんごのイラストのところまでをちらと見ただけで躓き、述べたものにすぎません。その非礼もお許しください。
内省した結果取り出せる、確信成立の条件だよね。仮説にすぎないよね。
本質や意味は実証できないから
仮説ではないよ
ずっと更新される可能性を持つので
間違えました!すいません
哲学とは本質観取である、なんて難しい言葉を使うからみんな哲学が嫌になるのだよ。哲学とは本質を考える、または探究することである、でいいのだよ。
違います!難しいことが言葉を切り拓くのです!幼稚語では出来無い、幼児語とは全く違うコトバの縮減に顕わる質の重厚さ!躾!
サムネとタイトルからしてクソおもんなさそうで草