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懐かしいはじめて購入したPC9821がPentium 75MHzだった。486が多い中でPentiumというだけで高級機VGAの解像度なのに32ビットカラーにしただけでデスクトップ画面がチラついていました。
そもそも「魔理沙」や「霊夢」って、このPCが「現役」だったころ生まれたキャラなんだよな。
三月にアップした動画のWindows2000PCに東方Project入れてます。一番簡単なモードでも難しいと思う程度のゲームスキルですが楽しんでます。😄
@@0xCAFEBABE1996 結構歴史あるんですね、そのころは電脳アイドル千葉麗子の水着ばかり見てたわw
確かWindows95の時代は、CPUがPentium133MHzでメモリーを32MBまで増設して、ようやく普通にテキパキ動いてくれる状態になったような記憶があります。メモリは8MBや16MBでももちろん動きますが、動作が何をやらせても遅過ぎて投げ飛ばしたくなるような感じだった事を覚えてます。当時のPCは1年で直ぐ型落ちになるくらい進化が目まぐるしかった時代でもあります。
やべえCPU見て「お、早いやつじゃん」とつぶやくオレ、45歳。高校時代に486SXの次くらいにPentium PROとかの時代に学生時代を過ごしたのでその頃のあこがれが焼き付いてる。浮動小数点数演算装置=コプロセッサ内蔵は当時憧れだった。なぜなら、3DCGをやるにはコプロセッサ有り無しではレンダリング速度が段違いだったのだ。まだ今で言うGTXみたいなVGAであるOPEN GLカードとかもなかった。この頃のDOS/Vパソコンは作りが荒いし、相性問題もあったし、不具合を徹夜で直したりして、さんざんだったな。しかし、印象に残ってるのはこの時代のPCだけなんだよ。このPCもオレもボロボロなジャンクになってしまったぜ。。。
昔すぎて記憶があやふやですが、CONFIG.SYSの見直しでメモリ認識はなんとかならないのかなと。HIMEM.SYSやEMM386.EXEのバージョンとか、あとはSYSTEM.INIの記述とか。バグFIXも兼ねてOSR2を入れた方が良いとは思いますけど、そこはこだわり?
いろいろ情報ありがとうございます。実はOSR2も試してみたのですが改善しませんでした。このPCはばらさずに置いてあるので時間が取れるときにでも確認してみようかと思います。
MS製 Windows 95 の HIMEM.SYS は 64 MB 迄しか認識しません。 それから、MS 製 EMM386.EXE は VCPI に対応していないので、動かない DOS ソフトが有ります。
@@吉野和壽 さん詳しい情報ありがとうございます。
きれいな腕ですね。
もっと肉付きが良ければ”美味しそうな腕”にwww
パラレルポートの需要は、ドットインパクトプリンタ(カーボン紙で複写する伝票の印刷)との接続で使われているからだと思います。
情報ありがとうございます。ドットインパクトプリンタってまだ使われているんですね。確か、印刷時のジジジジッて特徴的な機械音がするプリンタですよね。複写が必要ないタイプのプリンターはサーマルドットプリンターへと置き換わっていったような記憶があります。(ワープロの時代(^_^;)
私は486CPUでチップセットがサターンの頃に自作作り始めた。マーキュリーがでたのでPentium 66MHzに乗り換えたがDX4 100MHzより遅くてトライトン2が出た時にPentium133MHzに乗り換えたのを覚えている。OSはMS-DOS5.0や6.2を使ってWindowsはWindows3.0を使っていたがWindows3.1がでたので乗り換えた。サウンドボードやSCSI等の機器はconfig.sysに使用するISAバスの設定を記載しないと動作しませんので今の機器みたく挿しただけでは使えません。
初期のATXケースならBabyATとも互換性があったような。シリアルやパラレル用のパンチ穴が開いててATコネクタの丸穴だけ開いたIOパネルも付属してた。
ああ、懐かしい・・・モニターもブラウン管がメインだった時代
72pin SIMMの時代はシングルサイドとダブルサイドというのがあった覚えがあります。昔使っていたFMV(i486DX2のころ)で、SIMMスロットが4つありましたが、8MBを挿すと2スロット分占有してしまって1スロットが使えなくなるという仕様でした。4MBや16MBならば1スロットずつ使えました。メモリチップの容量の関係で8MBは2スロット分占有してしまうようでした。32MBだと16MBが2つ分となってしまったのではないでしょうか。
情報ありがとうございます。そのような仕様の場合もあるんですね。マザーボードのマニュアルでは32MB4枚で128MBサポートとなってます。BIOSでそれを認識しているので他の方のご指摘のMS製のメモリードライバーが怪しいかもしれません。その頃は32MBでも大容量メモリーだと思っていて、64MBオーバーなんて私には縁の無いお話しでした。(^_^;)
懐かしい!昔ソフマップ独自ブランドのSusteenってのがあって、それに入っていたのがこのBaby-ATマザーだった。動画を見てお分かりのとおりキーボード以外のコネクターは全てブラケットで出さないといけないので、結構ケース内がごちゃごちゃするんだよねその後K6-Ⅲ 450を搭載したマザーに換装して結構長い間使ってたな・・・・・・ちなみにグラフィックはATI 3DXPRESSIONで、サウンドカードはPHONE BLASTER(サウンドカードとアナログモデムが合体したカード)でした。
モデム 懐かしい響きですね。ダイアルアップ接続で今みたいにネット接続通信速度はでないし、それに無意味にトラフィックを増加させるようなことをすると怒られる時代でしたね。
懐かしいなぁFDD版買いましたよCPUは486メモリーは16MHDDは540だったかなVooDoo2まだうちにありますwwHoverやりまくりました
FDD版ですか!FDD版のインストールは経験無いので羨ましいです。VooDoo2は3Dの王者とも言えるカードでいつかは使おうと思ってました。
PC9821キャンビーにインストールしたときは4時間ぐらいかかったかも!あと、Baby ATで組んだこともある。キーボードはATXの変換コネクタで接続。電源はAT電源を用意した。因みに、電源は今もある。サウンドにISAのサウンドブラスターを用意した。USBカードも挿したと思う。グラフィックは何を使ったかは忘れた。懐かしいね。当時買ったDOS/Vパーツカタログは今では貴重品かも?
オールインワンタイプのキャンビーに拡張カード差し込むのは大変だった。もう内部にあるCRTモニタケーブルの抜き差しだけで汗がダラダラものでした。
うわ、Fireball懐かしいな、初めての自作PCで使ってたわ。
「ベビーAT」規格のMBこれ、「AT互換機」ともいわれるゆえんであるIBM PC/ATのMBの基板サイズと同じ「AT」規格のMBを小さくしたもの本来サイズの小型版という点では「マイクロATX」の立場とおなじAT、ベビーATともども「規格上」では基板上の"外部"端子は「キーボード」"のみ"マウス・シリアル・パラレル・モニタ(グラフィック)をはじめあらゆる通信端子は"全部ISAの拡張ボードでまかなう"が本来の形その後、集積化が進んでマウスやシリアルもパラレルもMB上に搭載するようになりケース側がそれを見込んで"独自"に端子設置穴だけつく状態になったそれでは組み立てがやりずらいのでインテルなどがMB周りを再構築したのが「ATX規格」
詳しい説明ありがとうございます。現在のATX規格はスロットの規格変更(進化)等はありましたがもう暫くこのまま変わらなさそうですね。今度の変更がどうなるのか逆に楽しみでもあります。
次回 ゆっくり実況をこのパソコンで作ってみた期待してます
PC9801BX2でチャレンジしました。9821とは違って、640✕200の解像度しか出ないので表示が切れていたような記憶があります。CPUがPentiumOverdriveの64MHzだったので、動作が重かったです。
初期の頃はメモリーも種類があっただけでなく、チップセットにも上限があったりしたからね~ただBIOSとOSの容量表記が違うのは変だから原因を調べた方が良いかもね。
ソケット4は超レアですね。市販マザーは初めて拝見しました。そうそう、古いCPU用のCPUクーラーって入手難しくなってますね。当時、ゴロゴロしてたi486用なんかも今では入手難ですし・・
初期のPentiumに66MHzなんてあったっけ?と調べたらあったようですが、相当高価だったんじゃないですかね?
64MHz程度でMP3ファイルを初代Winampでの再生はオーバースペックな気がする。192kbpsのMP3ファイルを再生するだけでも、システムモニターのグラフは上に張り付いた状態でカツカツになる。動画再生に関しては、この性能では完全にオーバースペックで、かくかくとコマ落ちしまくりになる。今回のマシン=4メガフロップス Nintendo Switch=TVモードで384ギガフロップス… Switchと性能を比較すると差がありすぎぃ~!
もう31年前だと。。。😵
私はペンティアム100Mhzでした。でも、少し前の新幹線はDX4使っていたんですよ。
茶色い細長い部品はタンタルコンデンサではなく抵抗アレイだと思うよ!きっとチップ抵抗アレイが出る前の基板なんだね。
間違いの指摘ありがとうございます。色艶から思い込み間違いしていました。ずーーっと間違っていたのを全世界に発信してしまい恥ずかしいかぎりです。😅
この世代はCPUアクセラレータに変えたりメモリー増設やってました。懐かしい、自作始めたのはsocket370からです。ヒートスプレッダ無くなってダイかけとかの失敗やったのが懐かしいwレガシーインターフェイス判る人いるかな?
Pentium3のダイ欠けは私も経験あります。幸い動作不良をおこすようなダメージはなかったのですが精神的ダメージが大きかったです。😅
@@0xCAFEBABE1996 その頃ってSNSとか無い時代だったから、PC月刊誌とか買っていたけど絶滅しましたね。><;
@@g3nero299SNSは無かったけど、NiftyServe の Forum はあったから、ある意味あんまり今と遜色はない気はする。まぁ「殆どが文字情報」でしたが。
メモリ32MBの実家のパソコンを自分で調べて128MBに増設したときの感動はすごかった
懐かしい音だ
次は、・386で、Windows 3.1を、お願いします
Microsoft Windows 1.0
Hi. Would you sell the motherboard to me? Cheers from CPU Galaxy 😊
この復活が何の役に立つのか?全く不明なのがいいわあ~
Windows 95 の起動音(本物)が聞けただけで充分。「本物の起動音」は、滅多に聞けない。
486DX4 100MHzでも一応動くのを雑誌で見た事ある。
Celeron 800 Mhz でも動作します。
初代win95はメモリ64MB以上積んでも無視してなかった?昔のことなので記憶がアレですが、どこかでそういう記事読んでずっこけた記憶があります。NT4 workstation/serverがレジストリの変更だけで切り替えられるとか言ってた報告してるサイトだったからNTと勘違いしてるかも。 Pentium75にCPUクーラーあったかな?ヒートシンクだったような。いや流石にヒートシンクはチップセットについてただけかな。
この時代はクーラー使うのにグリスは使いませんw95台だとPentiumは200Mhz以上まで行ってたか!
coppermineくらいからじゃないと、日常利用は厳しい‥
令和の時代にwin95の起動音を聴ける日が来ようとは…
最近のOSはデフォで起動音ないからさみしいですね。
windows95 起動音 作曲者ブライアン・イーノ
茶色い細長い部品はタンタルコンデンサーではなくて、集合抵抗でしょ。バスのpull upしてるんだけど。
はい、すでに指摘されています。間違った情報を動画内で発信していまい申し訳ありません。
ビデオカードはカノープス
今じゃあ考えられん位金メッキ使っと😅
カネけちって互換CPU買ってたな
S3のVIRGEシリーズ。今のGeforce並みに幅利かせてたな。高性能ってわけではなかった。で、ATiのRAGEとかNVIDIAのRIVA128が出て消えた・・・特にRIVA128はコスパがよくあのVooDooすら蹴散らしてしまった。まあどれも買えず指くわえながらPC雑誌見てたわけだが・・・
当時のPCのCPUクーラーにはグリスなんてない機種も多くあった気がする対応クーラーなんてなくても今時のクーラーならテキトーに乗せるだけで十分冷えるから拘らないならテキトーに乗せて縛っておけば大丈夫だと思うんだ🤔蓋の開けにくさは、当時の電気製品は「サービスマン以外は開けないでください」と書いてあるのが普通でそもそもユーザーが開けることを考慮していないからというのが大きそうネットなんてなかったから一般人は電気部品の知識を得る機会自体ほぼなかったしイマドキの電子機器と違ってアナログの部品は取り付け角ズレただけでまともに動かないなんて物も多いから分解自体推奨されていなかったというのもそれにしてもスロット埋めたい病は大変ね最近のPCはメモリ全部埋めるとパフォーマンス落ちるのが普通で2枚差しが定石だし😅
ヒートシンクだけ貼り付けようかとも思ったのですが、やはり山洋電気のファンが載っているのが魅力的だったんです。(^^;最近はパフォーマンス重視でメモリーは2枚刺しが主流なんですね。Mini-ITXマザーだと2枚しか挿せないのが一般的ですから私向きかな(^^)
WINDOWS95なら8Mでも一応動いたはずシリアルマウスはおむすび3ボタンかMSマウスが定番
ヲヒってなんですか?
発作だと思います
@@習近屁 さん千葉のプログラマーの方がよく使っていたツッコミ?です。カタカナで”ヲヒッ!”だそうで私は気にいってます。
俺はAMDのK6派
あの頃はIntel、AMDともに互換ソケットで自作ユーザーが一番楽しめた時代かもしれませんね。
この時代のCPUは金属の価値のほうが高く金属ごみにするほうが価値があるんだよな。あとは古すぎでもう稼働しているものがほとんどないから純粋に希少価値が高いんだよな
1:17〇ねってwwwどんだけ嫌なんんだ?
集合抵抗だよ。
はい、すでに指摘されました。間違った情報流してごめんなさい。
@@0xCAFEBABE1996 いえいえ。古いプロセッサで楽しんでいらっしゃいますね。自分は不安定なPCの検証中でこれを書いています。
※勿論、このCPUは「バグあり」な奴ですよね?(でなけりゃ、動かす意味がありません・・・)EDOメモリとか、いっぱい持ってたけど、こないだ処分してしまいました。ていうか、よくマザーボードが生きてたな。電解コンデンサとか、破裂してなかったのかな?
タンタルコンデンサだから大丈夫そうです。その代わりに発火が怖いですけど・・・
懐かしい
はじめて購入したPC9821がPentium 75MHzだった。
486が多い中でPentiumというだけで高級機
VGAの解像度なのに32ビットカラーにしただけでデスクトップ画面がチラついていました。
そもそも「魔理沙」や「霊夢」って、このPCが「現役」だったころ生まれたキャラなんだよな。
三月にアップした動画のWindows2000PCに東方Project入れてます。
一番簡単なモードでも難しいと思う程度のゲームスキルですが楽しんでます。😄
@@0xCAFEBABE1996
結構歴史あるんですね、そのころは電脳アイドル千葉麗子の水着ばかり見てたわw
確かWindows95の時代は、CPUがPentium133MHzでメモリーを32MBまで増設して、ようやく普通にテキパキ動いてくれる状態になったような記憶があります。
メモリは8MBや16MBでももちろん動きますが、動作が何をやらせても遅過ぎて投げ飛ばしたくなるような感じだった事を覚えてます。
当時のPCは1年で直ぐ型落ちになるくらい進化が目まぐるしかった時代でもあります。
やべえCPU見て「お、早いやつじゃん」とつぶやくオレ、45歳。高校時代に486SXの次くらいにPentium PROとかの時代に学生時代を過ごしたのでその頃のあこがれが焼き付いてる。浮動小数点数演算装置=コプロセッサ内蔵は当時憧れだった。なぜなら、3DCGをやるにはコプロセッサ有り無しではレンダリング速度が段違いだったのだ。まだ今で言うGTXみたいなVGAであるOPEN GLカードとかもなかった。この頃のDOS/Vパソコンは作りが荒いし、相性問題もあったし、不具合を徹夜で直したりして、さんざんだったな。しかし、印象に残ってるのはこの時代のPCだけなんだよ。このPCもオレもボロボロなジャンクになってしまったぜ。。。
昔すぎて記憶があやふやですが、CONFIG.SYSの見直しでメモリ認識はなんとかならないのかなと。
HIMEM.SYSやEMM386.EXEのバージョンとか、あとはSYSTEM.INIの記述とか。
バグFIXも兼ねてOSR2を入れた方が良いとは思いますけど、そこはこだわり?
いろいろ情報ありがとうございます。
実はOSR2も試してみたのですが改善しませんでした。
このPCはばらさずに置いてあるので時間が取れるときにでも確認してみようかと思います。
MS製 Windows 95 の HIMEM.SYS は 64 MB 迄しか認識しません。
それから、MS 製 EMM386.EXE は VCPI に対応していないので、動かない DOS ソフトが有ります。
@@吉野和壽 さん
詳しい情報ありがとうございます。
きれいな腕ですね。
もっと肉付きが良ければ”美味しそうな腕”にwww
パラレルポートの需要は、ドットインパクトプリンタ(カーボン紙で複写する伝票の印刷)との接続で使われているからだと思います。
情報ありがとうございます。
ドットインパクトプリンタってまだ使われているんですね。
確か、印刷時のジジジジッて特徴的な機械音がするプリンタですよね。
複写が必要ないタイプのプリンターはサーマルドットプリンターへと置き換わっていったような記憶があります。(ワープロの時代(^_^;)
私は486CPUでチップセットがサターンの頃に自作作り始めた。
マーキュリーがでたのでPentium 66MHzに乗り換えたがDX4 100MHzより遅くてトライトン2が出た時にPentium133MHzに乗り換えたのを覚えている。OSはMS-DOS5.0や6.2を使ってWindowsはWindows3.0を使っていたがWindows3.1がでたので乗り換えた。サウンドボードやSCSI等の機器はconfig.sysに使用するISAバスの設定を記載しないと動作しませんので今の機器みたく挿しただけでは使えません。
初期のATXケースならBabyATとも互換性があったような。
シリアルやパラレル用のパンチ穴が開いてて
ATコネクタの丸穴だけ開いたIOパネルも付属してた。
ああ、懐かしい・・・モニターもブラウン管がメインだった時代
72pin SIMMの時代はシングルサイドとダブルサイドというのがあった覚えがあります。昔使っていたFMV(i486DX2のころ)で、SIMMスロットが4つありましたが、8MBを挿すと2スロット分占有してしまって1スロットが使えなくなるという仕様でした。4MBや16MBならば1スロットずつ使えました。メモリチップの容量の関係で8MBは2スロット分占有してしまうようでした。32MBだと16MBが2つ分となってしまったのではないでしょうか。
情報ありがとうございます。
そのような仕様の場合もあるんですね。
マザーボードのマニュアルでは32MB4枚で128MBサポートとなってます。
BIOSでそれを認識しているので他の方のご指摘のMS製のメモリードライバーが怪しいかもしれません。
その頃は32MBでも大容量メモリーだと思っていて、64MBオーバーなんて私には縁の無いお話しでした。(^_^;)
懐かしい!昔ソフマップ独自ブランドのSusteenってのがあって、それに入っていたのがこのBaby-ATマザーだった。
動画を見てお分かりのとおりキーボード以外のコネクターは全てブラケットで出さないといけないので、結構ケース内がごちゃごちゃするんだよね
その後K6-Ⅲ 450を搭載したマザーに換装して結構長い間使ってたな・・・・・・
ちなみにグラフィックはATI 3DXPRESSIONで、サウンドカードはPHONE BLASTER(サウンドカードとアナログモデムが合体したカード)でした。
モデム 懐かしい響きですね。
ダイアルアップ接続で今みたいにネット接続通信速度はでないし、それに無意味にトラフィックを増加させるようなことをすると怒られる時代でしたね。
懐かしいなぁFDD版買いましたよCPUは486メモリーは16MHDDは540だったかな
VooDoo2まだうちにありますww
Hoverやりまくりました
FDD版ですか!FDD版のインストールは経験無いので羨ましいです。
VooDoo2は3Dの王者とも言えるカードでいつかは使おうと思ってました。
PC9821キャンビーにインストールしたときは4時間ぐらいかかったかも!
あと、Baby ATで組んだこともある。
キーボードはATXの変換コネクタで接続。
電源はAT電源を用意した。
因みに、電源は今もある。
サウンドにISAのサウンドブラスターを用意した。
USBカードも挿したと思う。
グラフィックは何を使ったかは忘れた。
懐かしいね。
当時買ったDOS/Vパーツカタログは今では貴重品かも?
オールインワンタイプのキャンビーに拡張カード差し込むのは大変だった。
もう内部にあるCRTモニタケーブルの抜き差しだけで汗がダラダラものでした。
うわ、Fireball懐かしいな、初めての自作PCで使ってたわ。
「ベビーAT」規格のMB
これ、「AT互換機」ともいわれるゆえんである
IBM PC/ATのMBの基板サイズと同じ「AT」規格のMBを小さくしたもの
本来サイズの小型版という点では「マイクロATX」の立場とおなじ
AT、ベビーATともども「規格上」では
基板上の"外部"端子は「キーボード」"のみ"
マウス・シリアル・パラレル・モニタ(グラフィック)をはじめ
あらゆる通信端子は"全部ISAの拡張ボードでまかなう"が本来の形
その後、
集積化が進んでマウスやシリアルもパラレルもMB上に搭載するようになり
ケース側がそれを見込んで"独自"に端子設置穴だけつく状態になった
それでは組み立てがやりずらいので
インテルなどがMB周りを再構築したのが「ATX規格」
詳しい説明ありがとうございます。
現在のATX規格はスロットの規格変更(進化)等はありましたがもう暫くこのまま変わらなさそうですね。
今度の変更がどうなるのか逆に楽しみでもあります。
次回 ゆっくり実況をこのパソコンで作ってみた
期待してます
PC9801BX2でチャレンジしました。
9821とは違って、640✕200の解像度しか出ないので表示が切れていたような記憶があります。
CPUがPentiumOverdriveの64MHzだったので、動作が重かったです。
初期の頃はメモリーも種類があっただけでなく、チップセットにも上限があったりしたからね~
ただBIOSとOSの容量表記が違うのは変だから原因を調べた方が良いかもね。
ソケット4は超レアですね。市販マザーは初めて拝見しました。
そうそう、古いCPU用のCPUクーラーって入手難しくなってますね。
当時、ゴロゴロしてたi486用なんかも今では入手難ですし・・
初期のPentiumに66MHzなんてあったっけ?と調べたらあったようですが、相当高価だったんじゃないですかね?
64MHz程度でMP3ファイルを初代Winampでの再生はオーバースペックな気がする。
192kbpsのMP3ファイルを再生するだけでも、システムモニターのグラフは上に張り付いた状態でカツカツになる。
動画再生に関しては、この性能では完全にオーバースペックで、かくかくとコマ落ちしまくりになる。
今回のマシン=4メガフロップス Nintendo Switch=TVモードで384ギガフロップス… Switchと性能を比較すると差がありすぎぃ~!
もう31年前だと。。。😵
私はペンティアム100Mhzでした。
でも、少し前の新幹線はDX4使っていたんですよ。
茶色い細長い部品はタンタルコンデンサではなく抵抗アレイだと思うよ!きっとチップ抵抗アレイが出る前の基板なんだね。
間違いの指摘ありがとうございます。
色艶から思い込み間違いしていました。
ずーーっと間違っていたのを全世界に発信してしまい恥ずかしいかぎりです。😅
この世代はCPUアクセラレータに変えたりメモリー増設やってました。
懐かしい、自作始めたのはsocket370からです。
ヒートスプレッダ無くなってダイかけとかの失敗やったのが懐かしいw
レガシーインターフェイス判る人いるかな?
Pentium3のダイ欠けは私も経験あります。
幸い動作不良をおこすようなダメージはなかったのですが精神的ダメージが大きかったです。😅
@@0xCAFEBABE1996
その頃ってSNSとか無い時代だったから、PC月刊誌とか買っていたけど絶滅しましたね。><;
@@g3nero299SNSは無かったけど、NiftyServe の Forum はあったから、ある意味あんまり今と遜色はない気はする。まぁ「殆どが文字情報」でしたが。
メモリ32MBの実家のパソコンを自分で調べて128MBに増設したときの感動はすごかった
懐かしい音だ
次は、
・386で、Windows 3.1
を、お願いします
Microsoft Windows 1.0
Hi. Would you sell the motherboard to me? Cheers from CPU Galaxy 😊
この復活が何の役に立つのか?全く不明なのがいいわあ~
Windows 95 の起動音(本物)が聞けただけで充分。「本物の起動音」は、滅多に聞けない。
486DX4 100MHzでも一応
動くのを雑誌で見た事ある。
Celeron 800 Mhz でも動作します。
初代win95はメモリ64MB以上積んでも無視してなかった?昔のことなので記憶がアレですが、どこかでそういう記事読んでずっこけた記憶があります。NT4 workstation/serverがレジストリの変更だけで切り替えられるとか言ってた報告してるサイトだったからNTと勘違いしてるかも。 Pentium75にCPUクーラーあったかな?ヒートシンクだったような。いや流石にヒートシンクはチップセットについてただけかな。
この時代はクーラー使うのにグリスは使いませんw95台だとPentiumは200Mhz以上まで行ってたか!
coppermineくらいからじゃないと、日常利用は厳しい‥
令和の時代にwin95の起動音を聴ける日が来ようとは…
最近のOSはデフォで起動音ないからさみしいですね。
windows95 起動音 作曲者ブライアン・イーノ
茶色い細長い部品はタンタルコンデンサーではなくて、集合抵抗でしょ。バスのpull upしてるんだけど。
はい、すでに指摘されています。
間違った情報を動画内で発信していまい申し訳ありません。
ビデオカードはカノープス
今じゃあ考えられん位金メッキ使っと😅
カネけちって互換CPU買ってたな
S3のVIRGEシリーズ。今のGeforce並みに幅利かせてたな。高性能ってわけではなかった。
で、ATiのRAGEとかNVIDIAのRIVA128が出て消えた・・・特にRIVA128はコスパがよくあのVooDooすら蹴散らしてしまった。
まあどれも買えず指くわえながらPC雑誌見てたわけだが・・・
当時のPCのCPUクーラーにはグリスなんてない機種も多くあった気がする
対応クーラーなんてなくても今時のクーラーならテキトーに乗せるだけで十分冷えるから
拘らないならテキトーに乗せて縛っておけば大丈夫だと思うんだ🤔
蓋の開けにくさは、当時の電気製品は「サービスマン以外は開けないでください」と書いてあるのが普通で
そもそもユーザーが開けることを考慮していないからというのが大きそう
ネットなんてなかったから一般人は電気部品の知識を得る機会自体ほぼなかったし
イマドキの電子機器と違ってアナログの部品は取り付け角ズレただけでまともに動かないなんて物も多いから分解自体推奨されていなかったというのも
それにしてもスロット埋めたい病は大変ね
最近のPCはメモリ全部埋めるとパフォーマンス落ちるのが普通で2枚差しが定石だし😅
ヒートシンクだけ貼り付けようかとも思ったのですが、やはり山洋電気のファンが載っているのが魅力的だったんです。(^^;
最近はパフォーマンス重視でメモリーは2枚刺しが主流なんですね。
Mini-ITXマザーだと2枚しか挿せないのが一般的ですから私向きかな(^^)
WINDOWS95なら8Mでも一応動いたはず
シリアルマウスはおむすび3ボタンかMSマウスが定番
ヲヒってなんですか?
発作だと思います
@@習近屁 さん
千葉のプログラマーの方がよく使っていたツッコミ?です。
カタカナで”ヲヒッ!”だそうで私は気にいってます。
俺はAMDのK6派
あの頃はIntel、AMDともに互換ソケットで自作ユーザーが一番楽しめた時代かもしれませんね。
この時代のCPUは金属の価値のほうが高く金属ごみにするほうが価値があるんだよな。あとは古すぎでもう稼働しているものがほとんどないから純粋に希少価値が高いんだよな
1:17
〇ねってwww
どんだけ嫌なんんだ?
集合抵抗だよ。
はい、すでに指摘されました。
間違った情報流してごめんなさい。
@@0xCAFEBABE1996 いえいえ。古いプロセッサで楽しんでいらっしゃいますね。自分は不安定なPCの検証中でこれを書いています。
※勿論、このCPUは「バグあり」な奴ですよね?(でなけりゃ、動かす意味がありません・・・)
EDOメモリとか、いっぱい持ってたけど、こないだ処分してしまいました。
ていうか、よくマザーボードが生きてたな。電解コンデンサとか、破裂してなかったのかな?
タンタルコンデンサだから大丈夫そうです。
その代わりに発火が怖いですけど・・・