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*吉永幸一郎* 選手は強打のキャッチャーで *ホームラン* を打つ打者のイメージが強い。 *巨人* に移籍だったが当時パ・リーグの方がDHもありいいのにな~と思っていた。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
吉永さんのフォロースルーは本当に綺麗
柔らかくて力感なくて、撫でるように振ってるようで、飛距離が出る。まさに唯一無二の打ち方だった。
86年から99年までホークス応援してましたが、私の中では松中選手より吉永選手です。解説者時代の森祇晶氏が「ダイエーは吉永さえマークしていれば良かった。」と言わしめた選手です。本人の意志もあるのでしょうが、野球界に残っていないのが本当に残念ですね。
天才打者でぱっと浮かぶのが吉永幸一郎さんです。構えからフォロースルーが本当に美しいですね。打率3割が一度だけとは驚きです。
本当に今ならどれだけの成績を残した事やら···と、ずっと印象に残っている方です。好きな選手でした。
1999年〜2001年あたりでオリックスでボールボーイしていました。近くで見ると選手の「オーラ」というのが本当に見えて、当時のダイエーでは井口選手がとにかくすごいオーラを放っていました。そして、吉永選手は当時クリーンナップだったものの、もうオーラはでていませんでした。変な話してすみません。
前捌きのいいスイングは真似できない理想のバッティング広くてフェンスの高い福岡ドームでも軽々と柵越えを放つ打撃センスは天才的
スイング速い、カッコいい
95年の鹿児島でのオリックス戦で、ホームランを観ました。綺麗なアーチでした。
気のない構えから一本足でタイミングとって低めを救うスイング 吉永のホームランは見てて気持ちよかった
南海ホークスのユニフォームが着用出来たのは前年87年入団までの選手だったんですね。ダイエーと移籍した巨人で日本一が経験できたのは幸せだったのかも。
ダイエー監督になったばかりの王さんが、吉永と大道のフリーバッティングを見てコイツらはタイトルを取れる!と一目惚れしたのは有名な話。
ボール球見送る時、大丈夫なの?ってなるくらい早く目を切って下向いて足場慣らしながらバット前に出すの好きだったw
めっちゃわかる🤣懐かしい❗
いやあ、最高の動画ありがとうございます。吉永選手は歴代でもかなり好きな打者でチャンスで小久保選手が凡退しても後ろに吉永選手が控えてるのが心強かった。たぶん対戦投手はノーアウトのピンチで小久保、吉永、城島と並ばれてるのは恐怖だったろうなあ。
1:00 何気に神ドラフトなんだよな。後の生え抜きエースの村田勝喜に代打の切り札大道に曲者柳田聖人。吉田豊彦は左のエースで2桁完投は未だに豊彦以来左腕先発で誰もいないからね。若井基安(根本政権では4番打ってたし)以外はみんな最後は移籍しちゃったけどホークスファンから見れば全員活躍したいいドラフト。
若井は、96年5月、あの卵事件のあと前年度HR王を獲得しながらその年はドン底に喘いでいた小久保を外す形で王さんの下でも四番を経験してますね。若井さんを四番に据えたり河野大道と若手を使い出したら勝ち越しを続けて最後は6連勝。ということもありました。
吉永のフォロースルー大好き😄
このドラフト全員当たりwエグすぎる
南海、最後のドラフトなかなか玄人好みの渋いメンバー
ワールドスタジアムというプレステの野球ゲームで独特のフォロースルーが再現されてて、子どもながらにかっこいいなと思ってたなあ…
門田選手が鏡に写ったノムさんの打撃フォームを参考にしたように、吉永選手も門田さんを参考にしたという話を聞いた事があります。城島の台頭でキャッチャーからファースト、松中の台頭でDH、助っ人外国人の起用で代打へと、徐々に居場所を追いやられた印象。『あぶさん』でも長く登場しましたが、特に個人エピソードなどはありませんでしたね。
左手を被せるようなフォームが独特でカッコよかったです。
吉永さんが出てきたときの安心感半端ないんよな。
ドラフトの各球団の1位指名選手や同期入団の選手に懐かしい名前がいっぱいある。今ほどパリーグが全国区ではなかった時代にもかかわらず、全国によく知られた選手でしたね。巨人に数年いたおかげで、元巨人と紹介されたり、背番号3というのは、違和感がある。やはり、吉永と言えば、元ダイエーで背番号27だなぁ。
長年冬のパリーグのガラガラの中でする試合が好きやったらしいよ。パリーグのメガネのキャッチャーといえばこの人ですな。
何から何まで「門田2世」のイメージがあった 玄人好みの選手の1人だったな
門田はハードコンタクトの「剛」一直線だったけど、吉永はふわっと柔らかく打つ「柔」スタイルだから、似てもにつかんと思うが。
どっちかと言うとドラさんっぽかった
確かに似てますね!!
@@紳士先輩-f8t 衣笠祥雄さんは両者のバッティングは似てると言っていたけどな。
@@RYTTNK 軽い気持ちで言ったんじゃないでしょうか。門田って小さい体でフルスイングを追及しつづけた人で、水に浸して重くしたボールを、これまた重たいマスコットバットでガンガントスバッティングやってた人です。若い時は野村克也さんと三番四番を組んでましたが、いつもノムサンに「そんなに振らなくてもホームラン打てるのに…」といつもお小言を言われてました。「バットにボールを乗せて運ぶ感覚を身に付けろ」とも。要は柔らかく打てと押し付けられてたんですが、ずっと頑固にフルスイングの練習してました。吉永はミートの延長で力入れずにホームラン打つ器用なタイプだったから、全くの真逆だと思いますがね。
素朴な見た目からの豪快なバッティング
門田にも似たフォロースルーが印象深いスイングの選手でした。
この方、適切な起用をされていたら、一度や二度打撃タイトルを獲得していたでしょうね…。当時の王監督自身が、「キャッチャーじゃなかったら、首位打者を取っている」とコメントしてましたから。それに、いま現在、野球界にも残っていないんだよな…。どこかのチームの打撃コーチをして、この方と同じようなスケールの大きい打者を育てているところを見てみたかった…。本当に惜しい存在…。
吉永さんの膝が故障しなかった世界線を見てみたい。29本打った年も、夏場に膝が悲鳴を上げて後半戦ホームラン1本も打てなかったのは残念です。膝が悪化したのに福岡ドーム、東京ドームと膝に悪い人工芝だったのも影響したと思います。
吉永が巨人に来た時終わったと思った。どうせあまり試合に出られず、代打だと思ったので…もっとDHかファーストで使ってくれるチームに出されたなら本塁打を量産出来たのでは!とつくづく思っていました。あの頃の南海ーダイエーの打者は門田に始まり、佐々木誠、藤本博、山本和、岸川、吉永など、足を上げて、豪快なスイングをする打者が多く、見るからに打ちそうな気配を感じました。
小久保とコンビ組んで29本打った年、前半戦の数字凄かったですよね
巨人在籍短かったけど、2002年は代打でいいところで打ってくれたイメージ。ベイスターズ戦での、起死回生の代打同点ホームランは忘れられない。
自分もです。
高めのボール球をホームランにしたんだよね。普通あんな高めのボール球を打てる人はいないよ。
田淵監督1年目、ぶっちぎり最下位だったシーズン途中、全く一軍での実績が無かったこの人が四番に抜擢された時は「一体誰だ?」と思いましたが、その後、若き主砲として着実に成長していく彼の姿は、暗黒ホークスの中では唯一の希望の星でした。
南海の終わりからダイエー初期の頃は面白い打者が多いんだよメモリアル男の広永益隆とかね代打メインだったしプロ在籍成績は大したことないが色んな記録に残っとる
昔いた職場の先輩が高校時代に対戦して「流してスタンドに運ぶとはなんて奴だ」と驚愕した話をしてくれました
これ真似したら素振りだけで手首が痛むんですよほんとに天性のスイング
メガネをかけたスラッガーで真っ先に思いつく選手
ボブさんかなぁ〜
懐かしいダイエーユニフォーム。平成最初の。
吉永さんに城島さんと打てる捕手コンビの時代もありましたね坊西さんも代打でそこそこでしたし
改めて成績見返すと森友哉より安定した数字残してる…(苦笑)
田淵監督時代、4番を打った事もある。城島健司入団後は指名打者に回ることが多かった。
吉永幸一郎は門田博光を師と仰いでで軽量化されたバットが主流の中門田の影響を強く受けてて頑なに重いバットを使い続けてたんだよね。遠心力を使ってヘッドを走らせる打ち方しか出来ないって本人が語ってたのを思い出す。やっぱり当時の西武球場での幻の30号が悔やまれる....個人的には佐々木誠の呪いと思ってて松中が三冠王取るまで背番号3が誰も活躍出来なかったからね(吉永も背番号3に変更してから全くダメだった)
バッティングセンスは抜群だったですね。努力が伴えばもっとすごいバッターになっていたと思います。王監督も三冠王も可能な打者だと言ってましたね。
豪快なスイングからのホームランが印象的なスラッガーでしたホークスでは城島、ジャイアンツでは阿部とレギュラーを争いましたが、他球団なら間違いなくレギュラーだったと思います
いや、キャッチャーとしては守備がいまいちだったんで強肩で頑丈な城島にポジションを譲って97年に打撃専念のために一塁手になってますよ。前半は神がかってましたが、その年の後半から急に打てなくなってそのうち松中に取って代わられました。なので、最終的なライバルは松中やDHのニエベスや大道でしたね。
膝が悪くて、もう捕手が出来なかったとか。
天才打者のひとり。何故97年を境に急に成績が低迷したのか分からない。
膝がめちゃ痛かったそうな。
スパイ疑惑...
城島健司が台頭するまで小久保裕紀、秋山幸二などとクリーナップを担った鷹の正捕手。
たしか王さんに「ライトにファールを打つつもりでタイミングを取れ」と言われて開眼したんだよね。でも長続きしなかったなぁ…
福岡ドーム球場初の1試合3本塁打、が印象的
1:00外れが一人もいない神ドラフト。
確かにバットコントロールが上手い若井さん守備が駄目でしたが柳田さんも地味でしたが確か1年だけヤクルトに移籍して又出戻りでしたね。
@@たろう-z6n 才能だけで野球をやっていたダイエーの選手の中で、頭脳的でいやらしい野球をやる、柳田選手の存在は私にとって一服の清涼剤でした。
すげーフォロースルー
一番いい頃に拡小前の巨大福岡ドームだったこともあるんだけど、一度も30本塁打マークしなかったのが意外だよね
郭泰源のアウトコースのフォークをうまく広い左中間抜く三塁打あった
園川を苦手にしていたが、園川をカモにしていたイチローに克服法を聞いたという
中継観てて、ついにHR30本到達〜!と思ったらその試合が雨でノーゲームになり、結局29本でシーズンを終え残念…というのを覚えてます。引退まで30本超えなかったので、残念な雨でした。
柳田おって運命的なものを感じる‥
巨人移籍後、いつだったか開幕から代打のみの成績3打数2ホーマーなんて快調スタートの年があった
2002年では?
顔は係長なんやけど、打ち方バチイケメン
大きな希望をその胸に抱き光のアーチをかけろよ空高く応援歌に入る前の前奏がカッコよい😊
吉永幸一郎氏と言えば「パリーグのメガネ捕手」もさることながら、「右投げ左打ちの捕手のパイオニア的存在」だとも言えましょう。私と同学年でもあります。
うろ覚えだけどロッテの園川投手が苦手でイチローに攻略法聞きに行って代わりに近鉄の赤堀投手の攻略法教えたとプロ野球最後のサムライってインタビュー本で読んだことある
確か29本打った年、3割優先して最後打席に立たなかったんだよね。あの雨が悔しいよな。
松中、柳田、に並ぶホークス史上に残る左のスラッガーなのに、晩年から今に至るまでかわいそうな扱い。余程王監督に嫌われていたのか、と心配になる。
スイングがどことなく門田選手に似てると思ったのはコメ主だけではないはずです。最初からDHやら外野を守ってたら、もっと成績も伸びたのでは?
めちゃめちゃバットのグリップ細いなぁ。
メガネのキャッチャーといえば吉永!
前捌きで縦スラは絶対打てないスイングなんだよなー
吉永君は僕が大学時代活躍した選手だ。
現役時代これほどの成績を残したエリート野球選手が、引退後ただの一度もNPBで監督コーチ歴がないってこマ?
球界の中間管理職
引退してからは何も聞かなくなった。
王による南海ヘイトの犠牲者だよ…門田の継承者なのに冷遇された感を当方はぬぐえない。
すごいバッターのイメージある反面、活躍しだした22~23歳の頃に不倫をスクープされてたなぁ…ってイメージ。確か嫁さんって当時21才ぐらいだったような?
当時はまだ珍しかった右投左打の捕手。両打の高田誠。白幡・今久留主とかいた中で主軸クラスの打撃で捕手ながら3割29本なんて打てるんだとビックリしました。(スパイ疑惑の件は置いといて)
天才打者なのに、初めの成績はそうでもなかったのですね。😅移籍後の秋山の本塁打数が伸びなかった福岡ドームでのあの当たりは、流石ですけれどもね。😊
このドラフト大当たりやな
全盛期に、WBCがあったら、選ばれてほしかったです
1998年のサイン盗み騒動に翻弄されたのかなあ…
松井には松井の打撃がある松井の打撃など誰が真似出来るかな?
やっぱり門田2世と言うよりかは、野村2世と言った方が正しい元ダイエーの吉永。
一時、巨人にもいたなー
ダイエーにサイン盗み疑惑あったよね観客席から相手のサインをバッターにしてた疑惑吉永が槍玉に上げられてた確かに覚醒した年があった様な…
この時代、サイン盗みの疑惑があったよ。外野に小さいマスコットバットを2本持った人がいてその組み合わせて盗み見たサインを解析して打者に教えてたという
見た目はサラリーマン
ドカベンみたい
自分の兄貴 高校時代吉永さんと対決しています。その兄貴曰く外野で守っていてもスイングが聞こえた打球のスピードが違うわ あれ見たらプロは無理だわともちなみに鈴木平に関しては何故プロになれたか、通用したか不思議だと言ってました ちなみに小学生時代から知ってます
少年野球の監督をしてたがエースの子の母親と不倫をしてチームがなくなった噂を聞いたが本当なんですかね⁇
本当です
会社の中間管理職のおじさん
だったら教えてもらわなくても打てたのでは?
*吉永幸一郎* 選手は強打のキャッチャーで *ホームラン* を打つ打者のイメージが強い。 *巨人* に移籍だったが当時パ・リーグの方がDHもありいいのにな~と思っていた。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
吉永さんのフォロースルーは本当に綺麗
柔らかくて力感なくて、撫でるように振ってるようで、飛距離が出る。まさに唯一無二の打ち方だった。
86年から99年までホークス応援してましたが、私の中では松中選手より吉永選手です。解説者時代の森祇晶氏が「ダイエーは吉永さえマークしていれば良かった。」と言わしめた選手です。本人の意志もあるのでしょうが、野球界に残っていないのが本当に残念ですね。
天才打者でぱっと浮かぶのが吉永幸一郎さんです。
構えからフォロースルーが本当に美しいですね。
打率3割が一度だけとは驚きです。
本当に今ならどれだけの成績を残した事やら···と、ずっと印象に残っている方です。
好きな選手でした。
1999年〜2001年あたりでオリックスでボールボーイしていました。近くで見ると選手の「オーラ」というのが本当に見えて、当時のダイエーでは井口選手がとにかくすごいオーラを放っていました。そして、吉永選手は当時クリーンナップだったものの、もうオーラはでていませんでした。変な話してすみません。
前捌きのいいスイングは真似できない理想のバッティング
広くてフェンスの高い福岡ドームでも軽々と柵越えを放つ打撃センスは天才的
スイング速い、カッコいい
95年の鹿児島でのオリックス戦で、ホームランを観ました。
綺麗なアーチでした。
気のない構えから一本足でタイミングとって低めを救うスイング 吉永のホームランは見てて気持ちよかった
南海ホークスのユニフォームが着用出来たのは前年87年入団までの選手だったんですね。
ダイエーと移籍した巨人で日本一が経験できたのは幸せだったのかも。
ダイエー監督になったばかりの王さんが、吉永と大道のフリーバッティングを見てコイツらはタイトルを取れる!と一目惚れしたのは有名な話。
ボール球見送る時、大丈夫なの?ってなるくらい早く目を切って下向いて足場慣らしながらバット前に出すの好きだったw
めっちゃわかる🤣懐かしい❗
いやあ、最高の動画ありがとうございます。吉永選手は歴代でもかなり好きな打者でチャンスで小久保選手が凡退しても後ろに吉永選手が控えてるのが心強かった。たぶん対戦投手はノーアウトのピンチで小久保、吉永、城島と並ばれてるのは恐怖だったろうなあ。
1:00 何気に神ドラフトなんだよな。後の生え抜きエースの村田勝喜に代打の切り札大道に曲者柳田聖人。
吉田豊彦は左のエースで2桁完投は未だに豊彦以来左腕先発で誰もいないからね。
若井基安(根本政権では4番打ってたし)以外はみんな最後は移籍しちゃったけどホークスファンから見れば全員活躍したいいドラフト。
若井は、96年5月、あの卵事件のあと前年度HR王を獲得しながらその年はドン底に喘いでいた小久保を外す形で王さんの下でも四番を経験してますね。若井さんを四番に据えたり河野大道と若手を使い出したら勝ち越しを続けて最後は6連勝。ということもありました。
吉永のフォロースルー大好き😄
このドラフト全員当たりw
エグすぎる
南海、最後のドラフト
なかなか玄人好みの渋いメンバー
ワールドスタジアムというプレステの野球ゲームで独特のフォロースルーが再現されてて、子どもながらにかっこいいなと思ってたなあ…
門田選手が鏡に写ったノムさんの打撃フォームを参考にしたように、吉永選手も門田さんを参考にしたという話を聞いた事があります。
城島の台頭でキャッチャーからファースト、松中の台頭でDH、助っ人外国人の起用で代打へと、徐々に居場所を追いやられた印象。
『あぶさん』でも長く登場しましたが、特に個人エピソードなどはありませんでしたね。
左手を被せるようなフォームが独特でカッコよかったです。
吉永さんが出てきたときの安心感半端ないんよな。
ドラフトの各球団の1位指名選手や同期入団の選手に懐かしい名前がいっぱいある。
今ほどパリーグが全国区ではなかった時代にもかかわらず、全国によく知られた選手でしたね。
巨人に数年いたおかげで、元巨人と紹介されたり、背番号3というのは、違和感がある。
やはり、吉永と言えば、元ダイエーで背番号27だなぁ。
長年冬のパリーグのガラガラの中でする試合が好きやったらしいよ。
パリーグのメガネのキャッチャーといえばこの人ですな。
何から何まで「門田2世」のイメージがあった 玄人好みの選手の1人だったな
門田はハードコンタクトの「剛」一直線だったけど、吉永はふわっと柔らかく打つ「柔」スタイルだから、似てもにつかんと思うが。
どっちかと言うとドラさんっぽかった
確かに似てますね!!
@@紳士先輩-f8t
衣笠祥雄さんは両者のバッティングは似てると言っていたけどな。
@@RYTTNK
軽い気持ちで言ったんじゃないでしょうか。
門田って小さい体でフルスイングを追及しつづけた人で、水に浸して重くしたボールを、これまた重たいマスコットバットでガンガントスバッティングやってた人です。若い時は野村克也さんと三番四番を組んでましたが、いつもノムサンに「そんなに振らなくてもホームラン打てるのに…」といつもお小言を言われてました。「バットにボールを乗せて運ぶ感覚を身に付けろ」とも。要は柔らかく打てと押し付けられてたんですが、ずっと頑固にフルスイングの練習してました。
吉永はミートの延長で力入れずにホームラン打つ器用なタイプだったから、全くの真逆だと思いますがね。
素朴な見た目からの豪快なバッティング
門田にも似たフォロースルーが印象深いスイングの選手でした。
この方、適切な起用をされていたら、一度や二度打撃タイトルを獲得していたでしょうね…。
当時の王監督自身が、「キャッチャーじゃなかったら、首位打者を取っている」とコメントしてましたから。
それに、いま現在、野球界にも残っていないんだよな…。
どこかのチームの打撃コーチをして、この方と同じようなスケールの大きい打者を育てているところを見てみたかった…。
本当に惜しい存在…。
吉永さんの膝が故障しなかった世界線を見てみたい。29本打った年も、夏場に膝が悲鳴を上げて後半戦ホームラン1本も打てなかったのは残念です。
膝が悪化したのに福岡ドーム、東京ドームと膝に悪い人工芝だったのも影響したと思います。
吉永が巨人に来た時終わったと思った。どうせあまり試合に出られず、代打だと思ったので…
もっとDHかファーストで使ってくれるチームに出されたなら本塁打を量産出来たのでは!とつくづく思っていました。
あの頃の南海ーダイエーの打者は門田に始まり、佐々木誠、藤本博、山本和、岸川、吉永など、足を上げて、豪快なスイングをする打者が多く、見るからに打ちそうな気配を感じました。
小久保とコンビ組んで29本打った年、前半戦の数字凄かったですよね
巨人在籍短かったけど、2002年は代打でいいところで打ってくれたイメージ。
ベイスターズ戦での、起死回生の代打同点ホームランは忘れられない。
自分もです。
高めのボール球をホームランにしたんだよね。普通あんな高めのボール球を打てる人はいないよ。
田淵監督1年目、ぶっちぎり最下位だったシーズン途中、全く一軍での実績が無かったこの人が四番に抜擢された時は「一体誰だ?」と思いましたが、その後、若き主砲として着実に成長していく彼の姿は、暗黒ホークスの中では唯一の希望の星でした。
南海の終わりからダイエー初期の頃は面白い打者が多いんだよ
メモリアル男の広永益隆とかね
代打メインだったしプロ在籍成績は大したことないが色んな記録に残っとる
昔いた職場の先輩が高校時代に対戦して「流してスタンドに運ぶとはなんて奴だ」と驚愕した話をしてくれました
これ真似したら素振りだけで手首が痛むんですよ
ほんとに天性のスイング
メガネをかけたスラッガーで真っ先に思いつく選手
ボブさんかなぁ〜
懐かしいダイエーユニフォーム。平成最初の。
吉永さんに城島さんと打てる捕手コンビの時代もありましたね
坊西さんも代打でそこそこでしたし
改めて成績見返すと森友哉より
安定した数字残してる…(苦笑)
田淵監督時代、4番を打った事もある。城島健司入団後は指名打者に回ることが多かった。
吉永幸一郎は門田博光を師と仰いでで軽量化されたバットが主流の中門田の影響を強く受けてて頑なに重いバットを使い続けてたんだよね。
遠心力を使ってヘッドを走らせる打ち方しか出来ないって本人が語ってたのを思い出す。
やっぱり当時の西武球場での幻の30号が悔やまれる....
個人的には佐々木誠の呪いと思ってて松中が三冠王取るまで背番号3が誰も活躍出来なかったからね(吉永も背番号3に変更してから全くダメだった)
バッティングセンスは抜群だったですね。努力が伴えばもっとすごいバッターになっていたと思います。王監督も三冠王も可能な打者だと言ってましたね。
豪快なスイングからのホームランが印象的なスラッガーでした
ホークスでは城島、ジャイアンツでは阿部とレギュラーを争いましたが、他球団なら間違いなくレギュラーだったと思います
いや、キャッチャーとしては守備がいまいちだったんで強肩で頑丈な城島にポジションを譲って97年に打撃専念のために一塁手になってますよ。前半は神がかってましたが、その年の後半から急に打てなくなってそのうち松中に取って代わられました。なので、最終的なライバルは松中やDHのニエベスや大道でしたね。
膝が悪くて、もう捕手が出来なかったとか。
天才打者のひとり。
何故97年を境に急に成績が低迷したのか分からない。
膝がめちゃ痛かったそうな。
スパイ疑惑...
城島健司が台頭するまで小久保裕紀、秋山幸二などとクリーナップを担った鷹の正捕手。
たしか王さんに「ライトにファールを打つつもりでタイミングを取れ」と言われて開眼したんだよね。でも長続きしなかったなぁ…
福岡ドーム球場初の1試合3本塁打、が印象的
1:00
外れが一人もいない神ドラフト。
確かにバットコントロールが上手い
若井さん守備が駄目でしたが
柳田さんも地味でしたが確か1年だけヤクルトに移籍して又出戻りでしたね。
@@たろう-z6n 才能だけで野球をやっていたダイエーの選手の中で、頭脳的でいやらしい野球をやる、柳田選手の存在は私にとって一服の清涼剤でした。
すげーフォロースルー
一番いい頃に拡小前の巨大福岡ドームだったこともあるんだけど、一度も30本塁打マークしなかったのが意外だよね
郭泰源のアウトコースのフォークをうまく広い左中間抜く三塁打あった
園川を苦手にしていたが、園川をカモにしていたイチローに克服法を聞いたという
中継観てて、ついにHR30本到達〜!と思ったらその試合が雨でノーゲームになり、結局29本でシーズンを終え残念…というのを覚えてます。
引退まで30本超えなかったので、残念な雨でした。
柳田おって運命的なものを感じる‥
巨人移籍後、いつだったか
開幕から代打のみの成績
3打数2ホーマーなんて
快調スタートの年があった
2002年では?
顔は係長なんやけど、
打ち方バチイケメン
大きな希望をその胸に抱き
光のアーチをかけろよ空高く
応援歌に入る前の前奏がカッコよい😊
吉永幸一郎氏と言えば「パリーグのメガネ捕手」もさることながら、「右投げ左打ちの捕手のパイオニア的存在」だとも言えましょう。私と同学年でもあります。
うろ覚えだけど
ロッテの園川投手が苦手で
イチローに攻略法聞きに行って
代わりに近鉄の赤堀投手の攻略法教えたと
プロ野球最後のサムライってインタビュー本で読んだことある
確か29本打った年、3割優先して最後打席に立たなかったんだよね。
あの雨が悔しいよな。
松中、柳田、に並ぶホークス史上に残る左のスラッガーなのに、晩年から今に至るまでかわいそうな扱い。
余程王監督に嫌われていたのか、と心配になる。
スイングがどことなく門田選手に似てると思ったのはコメ主だけではないはずです。
最初からDHやら外野を守ってたら、もっと成績も伸びたのでは?
めちゃめちゃバットのグリップ細いなぁ。
メガネのキャッチャーといえば
吉永!
前捌きで縦スラは絶対打てないスイングなんだよなー
吉永君は僕が大学時代活躍した選手だ。
現役時代これほどの成績を残したエリート野球選手が、引退後ただの一度もNPBで監督コーチ歴がないってこマ?
球界の中間管理職
引退してからは何も聞かなくなった。
王による南海ヘイトの犠牲者だよ…
門田の継承者なのに冷遇された感を当方はぬぐえない。
すごいバッターのイメージある反面、活躍しだした22~23歳の頃に不倫をスクープされてたなぁ…ってイメージ。確か嫁さんって当時21才ぐらいだったような?
当時はまだ珍しかった右投左打の捕手。両打の高田誠。白幡・今久留主とかいた中で主軸クラスの打撃で捕手ながら3割29本なんて打てるんだとビックリしました。(スパイ疑惑の件は置いといて)
天才打者なのに、初めの成績はそうでもなかったのですね。😅
移籍後の秋山の本塁打数が伸びなかった福岡ドームでのあの当たりは、流石ですけれどもね。😊
このドラフト大当たりやな
全盛期に、WBCがあったら、選ばれてほしかったです
1998年のサイン盗み騒動に翻弄されたのかなあ…
松井には松井の打撃がある松井の打撃など誰が真似出来るかな?
やっぱり門田2世と言うよりかは、野村2世と言った方が正しい元ダイエーの吉永。
一時、巨人にもいたなー
ダイエーにサイン盗み疑惑あったよね
観客席から相手のサインをバッターにしてた疑惑
吉永が槍玉に上げられてた
確かに覚醒した年があった様な…
この時代、サイン盗みの疑惑があったよ。外野に小さいマスコットバットを2本持った人がいてその組み合わせて盗み見た
サインを解析して打者に教えてたという
見た目はサラリーマン
ドカベンみたい
自分の兄貴 高校時代吉永さんと対決しています。その兄貴曰く外野で守っていてもスイングが聞こえた打球のスピードが違うわ あれ見たらプロは無理だわとも
ちなみに鈴木平に関しては何故プロになれたか、通用したか不思議だと言ってました ちなみに小学生時代から知ってます
少年野球の監督をしてたがエースの子の母親と不倫をしてチームがなくなった噂を聞いたが本当なんですかね⁇
本当です
会社の中間管理職のおじさん
だったら教えてもらわなくても打てたのでは?