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祖母のルーツ、とても嬉しく見させて頂きました。
三木浦出身の名古屋在住50代オヤジです🥸この辺は全国でも一番の年間降雨量を誇り骨が16本も有る尾鷲傘や尾鷲合羽などの丈夫な雨具が使われる程の【土砂降り】という言葉がピッタリくる大雨が降る地域です☔なのでコンクリートやアスファルトの無かった時代には石を使って舗装をしたり石垣を作ったりして町の形を維持していたのかもとふと思いました🤔廃村散策の動画で故郷の遺跡を覗けて嬉しく思いました🤗先祖が塩を作る為にこの土地に入った等の情報も新たに聞けて嬉しいです🤗そういえば最近この港町に出来た【織屋】という古民家カフェの店主が海水から塩を作ったのをInstagramで観ました🧐何か古からの縁を感じてしまいます😌ここの店主は散策や風土記の勉強もしてるようなので次に散策された折には帰り道の疲れを癒すべく港町のカフェに立ち寄ってみてはいかがでしょうか☕🤗
コメントありがとうございます!まさかご出身の方からコメント頂けるなんて感激です😭我々が訪れた時は運良く快晴だったので、雨がよく降る地域とは思いも至りませんでした。織屋さん、実は事前のリサーチで存在は知っていたのですがタイミング合わずその日はお休みだったんですよね🥲このチャンネルでは他にも色々な場所を紹介していくので、是非別の動画も楽しんで頂けると幸いです☺️
お二人共に生き残って下さいね。おすすめ動画を遅ればせながらみさせて頂きました。素敵な海と石垣の動画最高でした❤南河内のおばちゃんはまた大満足でした。ありがとうございます。くれぐれも安全第一!健康第一!で取材をして下さいね。
ありがとうございます!
苔むした石垣と杉林が美しいですね。素敵な動画をありがとうございます。
三重県も素晴らしい所ですね。以前 一人で外国貧乏旅をしてきて 反面 日本の良さを感じるこの頃です。日本ほど 四季ごとに変る 美しい自然はないです。この日本に祖先である 縄文人が移住したのが数万年前の大昔 南は沖縄から 北は北海道・・千島列島に残る彼等の足跡 村ができると神様を祭る 神社を作ってきました。至る所に神社が残ってきたわけです。 つい最近までたいした道具も無く 山に残る廃村・・そこにある石畳み 石積み・・当たり前ですが 川から見つけた石を一つ一つ運び 積み上げた労力は大変な労働だったことでしょう。正に ここ 元盛松集落の石積み・・気が遠くなる村作りだったと思います。子供も当然 手伝ったんだろうと思います。一度 訪れたい所ですね。初めてのコメントですが この後 他の動画も見させていただきます。ありがとうございました。
コメントありがとうございます!こうして我々の祖先がかつて築き上げた営みの痕跡を追っていくと、その偉大さが実感できますよね。これほどのものを機械もない時代に造り上げたのは本当に驚きです。是非他の動画も楽しんで観て頂けると嬉しいです😊
西伊豆の小さな漁村に、今でも同じような石垣だらけのところがあります。台風の時は石以外は流されてしまうんでしょう。船着き場はたぶん、入り江になっているところに木製の桟橋か何かがあって、波に流されてしまったんだと思います。石垣の上の敷地には、木は朽ち果てますが、探せば束石(昔の木造住宅の基礎代わり)なんかはあって、落ち葉に埋もれていたんだと思います。途中にあった球体は、硬質プラスチックのブイで、今でも船具屋などに行けば売っています。たぶん台風で飛ばされて来たんだと思います。四角い石のマスは、飲料水を汲む為のところでしょう。木の樋でそこまで水を流して貯めていたんだと思います。
お疲れ様です、石垣はい村係一押し、楽しめました、ジャングルも良いですね、歩くの大変そー、次も見るなも
オススメしようと思ってたら既に行かれてたんですね、子供の頃に貝を取るために何度か行ったことがあるので懐かしかったです。最初の窯はおそらく炭焼き窯ですね、紀伊半島には雑木林を10年単位で巡回する炭焼職人がおります、まだやってる人がいれば何年後かにあの窯も使われるでしょう
行動力には敬服します 又埋もれた人々の歴史を知ることが出来楽しく見ることが出来素晴らしいと思いますが 事前知識の欠如は 白けることが多すぎます藤つるをロープという表現は 余りにもですでも 知られざる先人の遺構を 居ながらに拝見することが出来るのは 感動です茶化すのは最小限でお願いします
サスケのセカンドステージと言った後に立って写真を撮った時の足元の石や27:26に写っている大きな石の側面に矢穴のような石を切り出していた跡が見えますね。あれだけ立派な石垣を作れたのも近くにいい石場があったから他の土地より容易に石を採取できる環境により出来たのかなと思えました
炭焼き窯ですよね。懐かしいなぁー
コメントありがとうございます!炭焼き窯だったんですね!教えて頂きありがとうございます😊
素晴らしい動画をありがとうございます😊いろんなことを考えさせられました。
ステンレスもプラスチックスもなかった時代に廃村になった集落はなんか格が違いますね。おっしゃる通りインカとかマヤを想像します。
コメントありがとうございます!まるで遺跡のようですよね😳我々がこれまで訪れた廃村の中でも特に印象深い場所でした。
ほんとに美しい場所ですね100年前の集落で人々が生活している情景を見てみたいと思いました。写真残ってないのかな?
コメントありがとうございます!我々も現地で当時の様子を想像しながらしみじみそう感じました。色々と資料を当たってみたのですが残念ながら当時の写真は見つけられなかったんですよね・・・
@@neu_historica 残念です。
ここ凄いですね。うまく手入れしてなんとでも活かせそう
製塩は、尾鷲市内は、梶賀もしてました。盛松は、南牟婁の最北北牟婁郡の最南は、早田です。早田も漁場を借りてました。炭竃は、備長炭の窯です。
ロマンがあっていいですね❗️
窯 って、 山奥だと 炭焼き窯とかありますよね。
とっても面白い、ユニークな”石垣集落”元盛松ですね。断崖そばの山肌での集落では、生業として薪炭と漁業でとはいえ、野菜とか米をどうしてたのか思うと…大変な暮らしを想像してしまいます。海の景色は素晴らしいですがね・・・
興味ある動画でした。最初の所にテレビと冷蔵庫が映っていますが裏のラベルを映して頂きたかったな。製造年が解かります。朽ち果て車は「ホンダのライフツーリング」かな? 50年前、軽自動車で初めての4ドア車でした。
コメントありがとうございます!なるほど、そういうところからもその場所の歴史が見えてくるんですね😳次回から意識して探索したいと思います!
海の見える廃村👀ぜひ行ってみたいです😍でも、膝が…😅💦昨年末に左膝半月板損傷して、未だに膝の痛みが消えません😭お二人の動画を見て、完治するまで我慢します😣
コメントありがとうございます!元盛松は実際行ってみると本当に素敵な場所で感動しました😊膝が完治したら是非行ってみてください😄
紀伊南牟婁郡誌」によると16世紀頃、三鬼新八郎という人物が三木浦に居城を構え、この盛松も領有していたとある。この三木新八郎という人物は1575年に熊野水軍の将でもあった掘内氏善に討ち滅ぼされているので、少なくともこれより以前に盛松は存在していたことが伺える。漁業や農業があまり発展しなかったこの集落にとって、製塩は殊更重要な生業であったであろうことが想像できる。実際に元盛松には「塩竃」という地名も残っているほどである。と書いてあるのを見ました。
この方たちのブログにそう書いてますね
この周辺も同じく「石垣」が立派ですね石の大きさや高さは劣りますがお城レベル100年前くらいに廃村らしいので重機が使えたハズもなくこんな辺鄙な処にこんな長大なシシ垣が存在するのは驚き場所によってはお城の「表」レベルの精緻な石垣が存在するのも驚き23:28確かに此処は元寇防塁跡に遜色ないレベル杉を全部伐採して発掘調査して欲しいくらいの場所私人ではなく偉い人公人の文献が何か残っていたらワンチャンあると思います
廃村探訪、お疲れ様でした。三重県に住んでいながら、尾鷲にこんな所があるなんて、初めて知りました。この前の廃校の前後に行かれたのかな。最初の方の窯はなんなんでしょう。炭焼きの窯か、焼き物の窯か。数十年以内に放棄された、作業場ですかねえ。海の見える廃村、元盛松。流石、石垣や石畳などは苔生しつつも立派でしたが、100年も経つと家やお寺は朽ちて自然に帰ってしまったのですね。イケボのカメラマンさんと相棒の彼、これからもご安全に。動画、楽しみにしてます。
コメントありがとうございます!温かいお言葉、励みになります。おっしゃる通り前回の廃校と同じ日に伺いました。まだまだ日本には素敵な隠れスポットがたくさんありそうですね😀これからも安全第一で、楽しい動画をお届けできるよう頑張ります!
楽しみ楽しみに~待ってます🍴🙏今日はお蕎麦でした⁉️
雨が多い地域なので、土が流れないように石垣が密に組まれているんでしょうか。それにしても、なんとかして集落を守ろうとする先人の努力を感じますね。
村人の生活は苦労を伴い大変だったと思うのは現代人当時の周辺を見渡せば当たり前の環境だったのかもしれませんでも当然だけどなんか物悲しくなるね
この精密な石垣はグレートジンバブエの遺跡を連想させられますね
船着き場の看板新しいね。
砂浜での製塩かと思っていたら岩だらけで海水を高台まで運搬して製塩してたのかな。としたら大変な労力が必要だったでしょう。
遺跡レベルですね😮
捻れてるのは蔦です。木から離れてため 捻れて成長して木に辿り着いたと思われます。
尾鷲とか南伊勢とかって今は国道とかありますけど、昔は船がメインだったみたいですね特に中世の尾鷲、南伊勢は海賊がいっぱいいたみたいですよ
コメントありがとうございます!中世は海賊が多かったんですね。この辺りはリアス式海岸なので潜みやすかったのかもしれませんね。
お疲れ様です
ちょwww船着き場のところ船が着けるのが可能なのか海の深さを見たかったwwww
今頃コメントです 過去動画をさかのぼり繰り返して見返しています この動画が一番好きかも景色が素敵すぎる 自分では行けないような場所の撮影ありがとうございます 山登りのような集落が廃れていくのはしかたがないとして重機がもっと発達して車で行ける場所になれば移住出来そうですが 後、インフラだけが心配です 三重〜和歌山は酷道と言われる場所が多いから難しいかな
コメントありがとうございます!元盛松は私も大好きな場所なので気に入って頂けて嬉しいです。
画像も綺麗でチョイスもいいけどもっとなんだろな詳しい解説が欲しいただ行ってみた、くらいにしか見受けられず残念感
ここは古代の海賊の隠れ里ではないでしょうか?
和歌山は炭焼き窯が多く、古い炭焼き窯をメインに撮影しているカメラマンがいます。
石造りの所が何か南米のインカ帝国のようですね、
0:58「圧巻」は本来このような使い方をしません。
津波 も 意識してるように感じました
三重のユーチューバーさん、かんたさんが行きましたよ帰りにイノシシが出てきて大変だったみたいです。気をつけていかないとヤバいです。
ダッシュ島と似た感じですね。自慢じゃありませんけど山中育ちの私には海沿いの傾斜もたいしたことなく感じてしまいます😁もちろん口だけではありません。海岸の傾斜崖を道具は一切使わず登ったことも在れば降りたことも在ります😊👍️
初見です!お疲れ様です!この前、自分も行きましたよー!凄い所でした!アソコで、凄いヤツと遭遇しました😱
コメントありがとうございます!良い所ですよね😆凄いヤツ気になります…笑
確か、かん太さんは甥っ子さんを守りながらイノシシと戦った場所でしたね😨
炭焼き窯です
神社あともありますよ、
はじめの窯は、焼き物(陶器)の窯でしょう。陶芸家が、1970年代、80年代に、そこで作品をつくるために、暮らしたのかも。*昭和2年に廃村ですか。亡き父親の生年ですね。1927年。製塩業では暮らしていけなくなったのでしょう。*16世紀末からの歴史を閉じたわけですね。江戸幕府が開かれるころからの歴史を。300年間の歴史。10世代ほどの家族の歴史。
其の窯は、石風呂の窯では無いかな!先ずは木を燃やし、燃えたらかぎ出して、ゴザをひき枕を持って浴衣で寝て汗をかきながら。水を飲みながら、と、言うものでしょう!☺️
この石の多さは、タルタリア文明の跡ではないでしょうか?
陶器の焼き窯です
狼煙を上げる場所があったということは下級武士が居た部落では、戦国時代
焼き物釜で、焼き物を焼いていたのでしょう?茶碗とか皿など。
炭焼き窯だろう。紀州備長炭で有名だよ。ピザ窯などと云わないようにね。
かんたの酷道チャンネルを見てみて。
やばい、お宝があったそうです、小皿の半分のやつですね、拾って持ってたほうがいいのに?江戸っぽい、中国明代、400年以上歴史あるようだが、
たくさんのSuperThanksありがとうございます😭
ご支援ありがとうございます!
祖母のルーツ、とても嬉しく見させて頂きました。
三木浦出身の
名古屋在住50代オヤジです🥸
この辺は全国でも
一番の年間降雨量を誇り
骨が16本も有る尾鷲傘や
尾鷲合羽などの丈夫な雨具が
使われる程の【土砂降り】という
言葉がピッタリくる
大雨が降る地域です☔
なのでコンクリートや
アスファルトの無かった時代には
石を使って舗装をしたり
石垣を作ったりして町の形を
維持していたのかもと
ふと思いました🤔
廃村散策の動画で
故郷の遺跡を覗けて
嬉しく思いました🤗
先祖が塩を作る為に
この土地に入った等の情報も
新たに聞けて嬉しいです🤗
そういえば
最近この港町に出来た
【織屋】という古民家カフェの
店主が海水から塩を作ったのを
Instagramで観ました🧐
何か古からの縁を
感じてしまいます😌
ここの店主は散策や
風土記の勉強もしてるようなので
次に散策された折には
帰り道の疲れを癒すべく
港町のカフェに立ち寄ってみては
いかがでしょうか☕🤗
コメントありがとうございます!
まさかご出身の方からコメント頂けるなんて感激です😭
我々が訪れた時は運良く快晴だったので、雨がよく降る地域とは思いも至りませんでした。
織屋さん、実は事前のリサーチで存在は知っていたのですがタイミング合わずその日はお休みだったんですよね🥲
このチャンネルでは他にも色々な場所を紹介していくので、是非別の動画も楽しんで頂けると幸いです☺️
お二人共に生き残って下さいね。おすすめ動画を遅ればせながらみさせて頂きました。素敵な海と石垣の動画最高でした❤南河内のおばちゃんはまた大満足でした。ありがとうございます。くれぐれも安全第一!健康第一!で取材をして下さいね。
ありがとうございます!
苔むした石垣と杉林が美しいですね。
素敵な動画をありがとうございます。
三重県も素晴らしい所ですね。
以前 一人で外国貧乏旅をしてきて 反面 日本の良さを感じるこの頃です。
日本ほど 四季ごとに変る 美しい自然はないです。この日本に祖先である 縄文人
が移住したのが数万年前の大昔 南は沖縄から 北は北海道・・千島列島に残る
彼等の足跡 村ができると神様を祭る 神社を作ってきました。
至る所に神社が残ってきたわけです。 つい最近までたいした道具も無く 山に残る
廃村・・そこにある石畳み 石積み・・当たり前ですが 川から見つけた石を一つ一つ
運び 積み上げた労力は大変な労働だったことでしょう。
正に ここ 元盛松集落の石積み・・気が遠くなる村作りだったと思います。
子供も当然 手伝ったんだろうと思います。
一度 訪れたい所ですね。
初めてのコメントですが この後 他の動画も見させていただきます。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます!
こうして我々の祖先がかつて築き上げた営みの痕跡を追っていくと、その偉大さが実感できますよね。
これほどのものを機械もない時代に造り上げたのは本当に驚きです。
是非他の動画も楽しんで観て頂けると嬉しいです😊
西伊豆の小さな漁村に、今でも同じような石垣だらけのところがあります。台風の時は石以外は流されてしまうんでしょう。
船着き場はたぶん、入り江になっているところに木製の桟橋か何かがあって、波に流されてしまったんだと思います。
石垣の上の敷地には、木は朽ち果てますが、探せば束石(昔の木造住宅の基礎代わり)なんかはあって、落ち葉に埋もれていたんだと思います。
途中にあった球体は、硬質プラスチックのブイで、今でも船具屋などに行けば売っています。たぶん台風で飛ばされて来たんだと思います。
四角い石のマスは、飲料水を汲む為のところでしょう。木の樋でそこまで水を流して貯めていたんだと思います。
お疲れ様です、石垣はい村係一押し、楽しめました、ジャングルも良いですね、歩くの大変そー、次も見るなも
オススメしようと思ってたら既に行かれてたんですね、子供の頃に貝を取るために何度か行ったことがあるので懐かしかったです。最初の窯はおそらく炭焼き窯ですね、紀伊半島には雑木林を10年単位で巡回する炭焼職人がおります、まだやってる人がいれば何年後かにあの窯も使われるでしょう
行動力には敬服します 又埋もれた人々の歴史を知ることが出来楽しく見ることが出来
素晴らしいと思いますが 事前知識の欠如は 白けることが多すぎます
藤つるをロープという表現は 余りにもです
でも 知られざる先人の遺構を 居ながらに拝見することが出来るのは 感動です
茶化すのは最小限でお願いします
サスケのセカンドステージと言った後に立って写真を撮った時の足元の石や27:26に写っている大きな石の側面に矢穴のような石を切り出していた跡が見えますね。
あれだけ立派な石垣を作れたのも近くにいい石場があったから他の土地より容易に石を採取できる環境により出来たのかなと思えました
炭焼き窯ですよね。懐かしいなぁー
コメントありがとうございます!
炭焼き窯だったんですね!
教えて頂きありがとうございます😊
素晴らしい動画をありがとうございます😊
いろんなことを考えさせられました。
ステンレスもプラスチックスもなかった時代に廃村になった集落は
なんか格が違いますね。
おっしゃる通りインカとかマヤを想像します。
コメントありがとうございます!
まるで遺跡のようですよね😳
我々がこれまで訪れた廃村の中でも特に印象深い場所でした。
ほんとに美しい場所ですね100年前の集落で人々が生活している情景を見てみたいと思いました。写真残ってないのかな?
コメントありがとうございます!
我々も現地で当時の様子を想像しながらしみじみそう感じました。
色々と資料を当たってみたのですが残念ながら当時の写真は見つけられなかったんですよね・・・
@@neu_historica 残念です。
ここ凄いですね。うまく手入れしてなんとでも活かせそう
製塩は、尾鷲市内は、梶賀もしてました。盛松は、南牟婁の最北北牟婁郡の最南は、早田です。早田も漁場を借りてました。炭竃は、備長炭の窯です。
ロマンがあっていいですね❗️
窯 って、 山奥だと 炭焼き窯とかありますよね。
とっても面白い、ユニークな”石垣集落”元盛松ですね。断崖そばの山肌での集落では、生業として薪炭と漁業でとはいえ、野菜とか米をどうしてたのか思うと…大変な暮らしを想像してしまいます。海の景色は素晴らしいですがね・・・
興味ある動画でした。最初の所にテレビと冷蔵庫が映っていますが裏のラベルを映して頂きたかったな。製造年が解かります。
朽ち果て車は「ホンダのライフツーリング」かな? 50年前、軽自動車で初めての4ドア車でした。
コメントありがとうございます!
なるほど、そういうところからもその場所の歴史が見えてくるんですね😳
次回から意識して探索したいと思います!
海の見える廃村👀ぜひ行ってみたいです😍
でも、膝が…😅💦
昨年末に左膝半月板損傷して、未だに膝の痛みが消えません😭
お二人の動画を見て、完治するまで我慢します😣
コメントありがとうございます!
元盛松は実際行ってみると本当に素敵な場所で感動しました😊
膝が完治したら是非行ってみてください😄
紀伊南牟婁郡誌」によると16世紀頃、三鬼新八郎という人物が三木浦に居城を構え、この盛松も領有していたとある。この三木新八郎という人物は1575年に熊野水軍の将でもあった掘内氏善に討ち滅ぼされているので、少なくともこれより以前に盛松は存在していたことが伺える。
漁業や農業があまり発展しなかったこの集落にとって、製塩は殊更重要な生業であったであろうことが想像できる。実際に元盛松には「塩竃」という地名も残っているほどである。
と書いてあるのを見ました。
この方たちのブログにそう書いてますね
この周辺も同じく「石垣」が立派ですね
石の大きさや高さは劣りますがお城レベル
100年前くらいに廃村らしいので重機が使えたハズもなくこんな辺鄙な処にこんな長大なシシ垣が存在するのは驚き
場所によってはお城の「表」レベルの精緻な石垣が存在するのも驚き
23:28
確かに此処は元寇防塁跡に遜色ないレベル
杉を全部伐採して発掘調査して欲しいくらいの場所
私人ではなく偉い人公人の文献が何か残っていたらワンチャンあると思います
廃村探訪、お疲れ様でした。
三重県に住んでいながら、尾鷲にこんな所があるなんて、初めて知りました。この前の廃校の前後に行かれたのかな。
最初の方の窯はなんなんでしょう。炭焼きの窯か、焼き物の窯か。数十年以内に放棄された、作業場ですかねえ。
海の見える廃村、元盛松。流石、石垣や石畳などは苔生しつつも立派でしたが、100年も経つと家やお寺は朽ちて自然に帰ってしまったのですね。
イケボのカメラマンさんと相棒の彼、これからもご安全に。動画、楽しみにしてます。
コメントありがとうございます!温かいお言葉、励みになります。
おっしゃる通り前回の廃校と同じ日に伺いました。
まだまだ日本には素敵な隠れスポットがたくさんありそうですね😀
これからも安全第一で、楽しい動画をお届けできるよう頑張ります!
楽しみ楽しみに~待ってます🍴🙏今日はお蕎麦でした⁉️
雨が多い地域なので、土が流れないように石垣が密に組まれているんでしょうか。
それにしても、なんとかして集落を守ろうとする先人の努力を感じますね。
村人の生活は苦労を伴い大変だったと思うのは現代人
当時の周辺を見渡せば当たり前の環境だったのかもしれません
でも当然だけどなんか物悲しくなるね
この精密な石垣はグレートジンバブエの遺跡を連想させられますね
船着き場の看板新しいね。
砂浜での製塩かと思っていたら岩だらけで海水を高台まで運搬して製塩してたのかな。
としたら大変な労力が必要だったでしょう。
遺跡レベルですね😮
捻れてるのは蔦です。木から離れてため 捻れて成長して木に辿り着いたと思われます。
尾鷲とか南伊勢とかって今は国道とかありますけど、昔は船がメインだったみたいですね
特に中世の尾鷲、南伊勢は海賊がいっぱいいたみたいですよ
コメントありがとうございます!
中世は海賊が多かったんですね。
この辺りはリアス式海岸なので潜みやすかったのかもしれませんね。
お疲れ様です
ちょwww船着き場のところ船が着けるのが可能なのか海の深さを見たかったwwww
今頃コメントです 過去動画をさかのぼり繰り返して見返しています この動画が一番好きかも景色が素敵すぎる 自分では行けないような場所の撮影ありがとうございます 山登りのような集落が廃れていくのはしかたがないとして重機がもっと発達して車で行ける場所になれば移住出来そうですが 後、インフラだけが心配です 三重〜和歌山は酷道と言われる場所が多いから難しいかな
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元盛松は私も大好きな場所なので気に入って頂けて嬉しいです。
画像も綺麗でチョイスもいいけど
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ただ行ってみた、くらいにしか見受けられず残念感
ここは古代の海賊の隠れ里ではないでしょうか?
和歌山は炭焼き窯が多く、古い炭焼き窯をメインに撮影しているカメラマンがいます。
石造りの所が何か南米のインカ帝国のようですね、
0:58
「圧巻」は本来このような使い方をしません。
津波 も 意識してるように感じました
三重のユーチューバーさん、かんたさんが行きましたよ
帰りにイノシシが出てきて大変だったみたいです。気をつけていかないとヤバいです。
ダッシュ島と似た感じですね。自慢じゃありませんけど山中育ちの私には海沿いの傾斜もたいしたことなく感じてしまいます😁もちろん口だけではありません。海岸の傾斜崖を道具は一切使わず登ったことも在れば降りたことも在ります😊👍️
初見です!お疲れ様です!
この前、自分も行きましたよー!
凄い所でした!
アソコで、凄いヤツと遭遇しました😱
コメントありがとうございます!
良い所ですよね😆
凄いヤツ気になります…笑
確か、かん太さんは甥っ子さんを守りながらイノシシと戦った場所でしたね😨
炭焼き窯です
神社あともありますよ、
はじめの窯は、焼き物(陶器)の窯でしょう。
陶芸家が、1970年代、80年代に、そこで作品をつくるために、暮らしたのかも。
*
昭和2年に廃村ですか。亡き父親の生年ですね。1927年。
製塩業では暮らしていけなくなったのでしょう。
*
16世紀末からの歴史を閉じたわけですね。江戸幕府が開かれるころからの歴史を。300年間の歴史。10世代ほどの家族の歴史。
其の窯は、石風呂の窯では無いかな!
先ずは木を燃やし、燃えたらかぎ出して、ゴザをひき枕を持って浴衣で寝て汗をかきながら。水を飲みながら、と、言うものでしょう!☺️
この石の多さは、タルタリア文明の跡ではないでしょうか?
陶器の焼き窯です
狼煙を上げる場所があったということは
下級武士が居た部落では、戦国時代
焼き物釜で、焼き物を焼いていたのでしょう?茶碗とか皿など。
炭焼き窯だろう。
紀州備長炭で有名だよ。
ピザ窯などと云わないようにね。
かんたの酷道チャンネルを見てみて。
やばい、お宝があったそうです、小皿の半分のやつですね、拾って持ってたほうがいいのに?江戸っぽい、中国明代、400年以上歴史あるようだが、
ありがとうございます!
ありがとうございます!
たくさんのSuperThanksありがとうございます😭
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございます!