三内丸山遺跡は環日本海交易の中心地だった|十和田湖大噴火で滅んだ?

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  • Опубликовано: 13 окт 2024
  • 諏訪や糸魚川流域、中国大陸とも交易の可能性のある交易都市として三内丸山遺跡を考えてみました
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Комментарии • 3

  • @ショウ-t2b
    @ショウ-t2b 2 года назад +1

    紀元前4~3,000年前の縄文中期の日本に大規模集落があったとは驚きですよね。
    球場建設の話がなかったら、未だに地中に眠ってたんでしょうか?
    こんなひょんなことから歴史が書き換わるんですから、埋蔵史跡って面白いですよね~🎵
    この頃といえば世界五大河文明と重なってますんで、高層の櫓もあったそうだから三内丸山も文明には数えられないのかしら?
    文明の定義としては、大河がマストで一定の法的秩序や国家形成が必要だとのことなので、集団生活で木の実を煮炊きしてたくらいじゃ無理ですね😜

  • @ranger8599
    @ranger8599 2 года назад +1

    青森の縄文時代の遺跡で日本最古の縄文土器や石鏃が出土する大平山元遺跡は謎ですよね。三内丸山遺跡が栄えていた時期は縄文時代の最も温暖な時期と重なり、気候は現代の九州ぐらいと言われ、栄えるのも納得なのですが、大平山元遺跡で縄文土器や石鏃が使われていたのって氷河期なんですよね。
    出土物が氷河が解けて森が広がったタイミングで使われそうな物なのに、気候が氷河期真っ只中なんですよね。一体縄文土器で何を煮てたのか??